1:休息
「あ〜〜……」
「なぁ相棒、気持ちはわかんねぇでもねぇけどよ、その緩みきったツラぁどうにかならんのかね?」
「まぁいいじゃないすか~……」
魔法世界、メガロメセンブリア。紅き翼御用達の喫茶店。今、リュウとボッシュの二人はそこにいた。二人掛け用のテーブルにグッタリと突っ伏し、リュウはだらしなく緩みきった顔を恥ずかしげもなく晒している。
「……平和って……素敵……」
「相棒……」
周りのざわざわとした喧騒は全く耳に入ることなく、リュウはようやく訪れたこのダラダラ出来る至高の時間を、思う存分堪能している。のへーっと垂れまくりのリュウの顔を見て、呆れるボッシュの小言も今は効果がない。それほど、エヴァンジェリンの下での修業は辛かったのだ。
*
旧世界でエヴァンジェリンとディースに魔法を教わる事になってから、凡そ一週間ほど。リュウはその期間、これでもかってぐらいにこってりと絞られていた。たったの一週間程度で何を、と普通なら感じるかも知れないが、そこはかの闇の福音エヴァンジェリン。
「貴様も不老なのだろう。ならば何も気にする必要はあるまい」
と、現実時間では確かに一週間なのだが、実際には一時間が一日になる別荘を毎日四時間分使用。体感時間で言うと約一ヶ月分の日時を、まるまる全部魔法の修行に当てるという非常に濃い日々を送ったのだった。
「お前、魔力量も魔法の才能も中の上程度と言った所か。まぁ基礎だけは多少出来ているようだが……」
というのがまず最初にリュウの魔法の腕を改めて精査したエヴァンジェリンの評価。龍の民だから特別に凄い……なんていう都合の良い展開は残念ながら無かった。まぁもしもそんな才能があったら、ゼクトやアルがもっと熱心に魔法を教えていただろうが。
「あら、それだけあれば十分じゃない。誰かさんが初めて魔法に触った時なんて、火も灯らなくてピーピー泣いてたのに比べたら」
「……。まぁ私は誰かのように、教え方が致命的なレヴェルでヘタクソという訳ではないから安心しろ。最上までは行かなくとも、上の上にまでは引き上げてやる」
「……」
別荘の塔屋上で、リュウの前に共に並び立つ二人の女性。両者とも笑っているように見えるのに、息も詰まるようなプレッシャーが渦巻いているのは何故だろうか。よく見なくとも二人のこめかみ辺りにピクッと青筋が入っているのを、リュウは見逃していない。
「ま、まぁまぁ……それじゃえっと……よ、よろしくお願いします……」
こうして始まったリュウの魔法修行。エヴァンジェリンの教え方は予想の通り、体で覚えろ的な徹底したスパルタ方式。合間、合間にディースオリジナルの技を教わったりもしながら、リュウは何とかその修行の日々を耐え切り、クリアしたのだった。
エヴァンジェリン本人は人に物を教えるのは初めてだったらしいが、このやり方が最も最適だと公言して憚らなかった。肉体と精神を共に鍛え、さらに自身のストレスも解消出来て一石三鳥であると。やらされた方はたまったものではない。
「ふーむ。お前が耐えられたという事は、やはり私は正しかったという証拠だな。今後もしも弟子を取る事があったら、全てこのやり方にするとしよう」
「……」
修行最終日、そんな事を宣言するエヴァンジェリンを見て、リュウはひょっとしたら未来で弟子になるのかも知れない少年の名を思い浮かべ、心の中で謝罪の言葉を述べた。そんなこんなで浮遊魔法に加え幾つかの技や魔法を習得し、それなりにパワーアップを果たしたリュウ。何やらボッシュもディースから独自に魔法の手解きを受けて怪しい術を覚えたりして、二人は魔法世界に帰還する事にしたのだった。
「あたしはもう少しキティと一緒に居るとするよ。久方ぶりにこっちに来たんだし」
「ディース、お前も帰れ。私は忙しいんだ。お前に構ってる暇などない」
「何よー。どうせそんな事言って、キティも本当は暇なんでしょー? たまにはさー、おねいさんと積もりに積もったここ数百年を酒の肴に、退廃的なガールズトークしましょうよー」
「ええい、だからそうしなだれかかるなと言っているだろうが! 重いわ!」
ディースはしばらく旧世界を満喫すると言い残し、エヴァンジェリンに同行した。この時、リュウはあんたらガールズって年じゃないでしょ、というツッコミをうっかり口に出してしまい、危うく自分の命を危険に晒したりしたのだが、割愛する。
さらに余談だが修行期間中は、朝はフランス料理昼はトルコ料理と、毎日のように食べたい物を変えるエヴァンジェリンに、リュウは半泣きになりながら本を読み、食事を提供していた。その上彼女はちょっとでも味が気に入らないと、「このケバブを作ったのは誰だぁ!」などとわかりきった事を叫んでちゃぶ台返しをする始末。
そのおかげとはあんまり思いたくないのだが、今のリュウの料理の腕は最早立派なマエストロ。レパートリーも豊富に取り揃え、どこに出しても恥ずかしくないくらい激的に上達していたりする。魔法じゃなく料理の修業だったんじゃないかと思ったのは内緒である。
*
「なぁ相棒よぉ、いい加減もうちょいシャキっとしろや」
「え~……」
喫茶店のテーブルでぐてっとしたまま、目だけを動かしてリュウはボッシュを見る。色々ユンナの知識を受け継いだと言ってもボッシュに性格の変化などはなく、今まで通り。だが共に魔法の修行をした事で一つだけ、リュウとボッシュの間に変化があった。それは二人の間でのみ、何と念話による会話が出来るようになったのだ。ちなみにボッシュが使っている発動体は、エヴァンジェリンが塔の中から発掘してきたちょうどいいサイズの首輪である。
「いやー、しかしホント……平和っていいよねぇ」
「ハァ……」
とまぁそんな感じで、リュウとボッシュは久方ぶりの穏やかな時間を全力で満喫しているのだった。
*
次の日、所変わってメガロメセンブリア近辺の海岸沿い。リュウはそこで楽しそうに海を見渡していた。勿論それは魚影の集まる場所の探知目的だが。
「夢にまで出るとは、余程俺はストレスが溜まっていたに違いない!」
「相棒、ニヤケ面が気持ちわりぃ」
「うっせー!」
ボッシュのツッコミを明らかなニヤケ顔でやり込めるリュウ。説得力は限りなくゼロである。リュウが海辺に何の用かと言えば、それはもう一つしかない。そう、釣りだ。 昨日喫茶店でしばらくだらけた後、リュウは開放感から購買欲が出てきたので、服やら靴やらを大量に購入し、さらにその後はホテルに泊まって夕方から延々惰眠を貪るというぐうたらぶりを発揮。
その時なんと夢の中で、巨大な釣竿が「釣りをしないと呪うぞラリホ〜」と、脅しにならない脅しを掛けつつ追いかけて来るという恐ろしい光景に遭遇したのだった。だもんでリュウはその呪いを回避するため仕方なく、それはもう仕方なく釣りをしに来たのである。
「見える! あの辺で爆釣の気配が!」
「……」
ボッシュの呆れ顔を華麗にスルーしつつ、キュピーンとニュータ○プばりの超感覚で良さげな気配を察知したリュウは一足飛びでそこへと向かう。素早く釣り道具を取り出して、鼻歌交じりにセッティングの開始だ。
「何が楽しいんだかなぁ……こんな遊びのよぉ……」
「む……いいかボッシュ、釣りってのはね、なんて言うかこう救われてなきゃダメなんだ。誰にも邪魔されず自由で……」
「スゲェどうでもいいなぁ俺っちにゃ」
適当に浮かんだセリフを話すリュウに、同じく適当にあしらうボッシュ。そんな訳でリュウは海辺に腰を降ろし、これまた久方ぶりの趣味に没頭するのだった。そしてそれから数十分ほど。時折釣り上げたり逃したり、一喜一憂するリュウの傍で、暇そうにしているボッシュから、再び声が上がる。
「なぁ相棒よぉ……」
「んー?」
「これからどうすんだよ?」
「あー……」
「何かやりてぇ事があんじゃねぇのかい?」
そう聞かれて、リュウは少しこれからの事を考えた。リュウ個人としては、別に少しくらいこうして休養を取ってもバチは当たるまいと思っている。しかしそこから先どうするのかと具体的なビジョンを聞かれると……正直、当てがなかった。
シュークの港町での聞き込みでわかったように、普通の人は“完全なる世界”という名前すら知らない。悠久の風に登録している冒険者でも、同じく知らない事は確認済み。となると、情報を得るにはそれこそ全世界に広がって裏も表も熟知しているような、強固なネットワークの持ち主でもなければ無理だろう。
「うーん……」
引き続き糸を垂らしながら、リュウはさらに考えてみた。自分のさして広くない交友範囲の中で、果たしてそんな情報通が居ただろうか。魚が掛からないので思考に没頭し、その時ふとある人物の影が頭をよぎった。
「……そうだ。あの人なら……」
「お、やっとどっか行く気になったか相棒?」
「うん。ちょっと情報が欲しいんで……このまま釣りしてよう」
かくっとボッシュは顎を落とした。中々器用なフェレットである。
「おいこら待てやその発想はおかしい」
ジト目で切れ味鋭い突っ込みを入れるボッシュ。フェレットにしとくには惜しい逸材だ。まぁそんな風に言われるであろう事は、当然承知のリュウである。
「ふふふ、まだまだ甘いなボッシュ君。確かに釣りと言ったけど使うのは……これだ!」
そう言ってリュウは、これ見よがしにある物体をドラゴンズ・ティアから取り出した。ヒュパッと手の上に現れる金ピカのコイン。その両面にはデフォルメされた海人の顔が描かれている。
「そいつぁ確か……ああ、なるほどなぁ、あの魚のアンちゃんか」
「その通り、マニーロさんなら俺の知りたい事知ってるかもしんないから」
魔法世界の海を統べると言っても過言ではないだろうマニーロ商会。彼らなら“完全なる世界”の事も知っている可能性がある。そういうわけで情報を得るべく、コインを餌にしてマニーロを召喚しようとするリュウ。
「……で、相棒よぉ」
「ん?」
「いつになったらそのコイン使うんでぇ?」
「……あと五匹」
「おうこら温厚な俺っちもしまいにゃ怒るぜ」
「わかったよもー」
何だかんだ言いつつ、日本で購入しておいた大容量クーラーボックスが数箱一杯になるまで釣っていたリュウだった。
「ほいっ……」
針の先にコインを括りつけ、勢いよく海へと垂らす。ポチャンと音を立て、沈んでいってから僅か数十秒。ピクリと竿に反応があった。
「随分と早くねぇかい?」
「まぁメガロ近いし、その辺に居たのかもね」
訝しげなボッシュをいなしてキリキリとリールを巻く。大した抵抗を感じる事もなく、海面近くに魚影が浮いてくる。やはり、人型だ。
「ぷはー、毎度。マニーロ商会でっせ」
バシャッと顔を出したマニーロが、のそのそと陸地へと上がってくる。商人用の巨大なリュックらしきものを背負い、人懐こい笑みを浮かべる海人である。
「どうも。えっと……マニーロさん……ですか?」
「そうやで。わてらはみーんなマニーロって名前や。わてはぼっちゃんとは初対面やけどな」
「はぁ……」
以前こことは離れた場所で出会ったマニーロを思い出し、その時の彼と比較してみるが……ぶっちゃけどこがどう違うのか全っ然わからない。当人達は一体どうやって自分達を見分けているのか、どうでもいいけどちょっと知りたいと思うリュウである。
「まぁいいや。あのー、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけどいいですか?」
「ん? なんや取引やないんか。まぁ構わんけど、何が聞きたいかによるなぁ」
リュウの用事が魚と商品とのトレードではないと知り、少し残念そうにするマニーロ。何だかちょっとだけ心を痛めるリュウである。
「すみません。じゃあ単刀直入に聞きますが“完全なる世界”って名前聞いた事ないですか?」
「何やて! “完全なる世界”やって!?」
「!?」
「…………あかん。さっぱりわからんわ。初めて聞く名前やな」
「……」
かくっと今度はリュウが首を落とすリアクションを取った。マニーロの見事なボケっぷり。関西弁を話すからといって、そこまで関西風味なボケを披露しなくてもいいのに、と思わないでもないリュウである。
「えと……他のお仲間さんでも聞いたことなさそうですかね?」
「ん〜……恐らくない……んやないかなぁ」
「……」
リュウの中で一番可能性が高いと思われたマニーロネットワークでも知らないとなると、最早“完全なる世界”の隠蔽ぶりには舌を巻くしかない。……まぁ、それならそれで仕方がない。せっかくマニーロを捕まえた事だし、ならばとリュウはちょっとアプローチ方法を変えてみる事にした。
「あ……じゃあ全然話変わるんですけど、何か問題のある街とか場所って知らないですか? 例えばこう……諍いが絶えないとか、最近物騒になったとか……何でもいいんですけど」
おぼろげな記憶を頼りに、そんなアバウトな事を聞きだすリュウ。大本を叩けないのならば、小さな事からコツコツと。要は大戦に繋がりそうな火種があるとしたらそういう場所だろうから、先に火消しを行おうという魂胆である。
「ん〜そうやなぁ……」
リュウの言葉に少し考え込むマニーロ。さっきのように知らないと言い切らない事から、一応心当たりのような物があるとわかる。
「わてはそういうのあんまり詳しくないんやけどな、何やエライ物騒な催し物が裏で開かれとる街がある……って話は小耳に挟んだ事あるなぁ」
「へぇ、催し物……ですか? その街の名前は……?」
「ん〜何やったかなぁ……もうここまで出掛かっとるんやけどなぁ……」
「……」
チラチラと、どことなくわざとらしい感じでリュウを見るマニーロ。リュウは直感した。マニーロは既に街の名前を思い出している。しかしそれを教えないのは、つまりここからはビジネスであると、駆け引きであると言っているのだ。なるほど流石は水辺の商人。ここまで来て引っ張るその手腕は、リュウとしても参考にしたいところである。
「……わかりました。さっき釣った魚と合わせて、手元にこれだけありますから、教えてくれたら取引しますよ」
リュウはそう言ってここで釣った魚と、さらにドラゴンズ・ティアに入っていた今までに釣った魚を取り出した。それを見たマニーロは目の色を変えている。
「おっほー、こらまた凄い量やなぼっちゃん。お、丁度思い出したで。確かヘラス帝国とメガロの中間辺りにある……ジンメルっちゅう街やったかな。うん、悪いんやけどそんぐらいしか、わての耳には届いとらんなぁ」
「ジンメル……」
どことなく、昔の記憶の中にそんな街の名があったようななかったような……まぁとにかく手応えを感じるリュウ。
「よっしゃ、ま、世の中ギブアンドテイクやからな。ほんじゃあちょいと待っとってなぼっちゃん」
リュウの持っていた大量の魚を前に、早速と腕まくりをして楽しそうに吟味に入るマニーロであった。
……それから数分後。
「どやぼっちゃん。あんだけの量やし大サービスや。こんなかで好きなもん、どれでも三つと交換したるで?」
「おー凄い品揃え……え、でも三つもいいんですか?」
「構わんて。海人に二言はないよってな。遠慮なく選んだってーな」
「そ、そうですか? ……じゃあ……」
マニーロがリュックの中から取り出してそこに広げたのは、大小様々なアイテム達。一つ一つを手に取ると、名前から何からマニーロが丁寧に説明してくれる。昔の記憶から名前自体は知っているものもあるが、実際にこうして実物を見るのは中々新鮮で楽しい。
そこにあるのは以下の品々だ。
「キングオブダガー」「聖なるスカーフ」「フィランギ」「ハリセン」「四葉の冠」「蜻蛉斬り」「バグナク」「鈴の首輪」「閃光弾×10」「煙玉×20」「火薬玉×30」
火薬玉などの消耗品以外は、どれも中々普通では手に入らない一品である。
「う〜ん……迷う……」
今自分の手持ちと相談し、リュウがまず思うのは武器の事だ。今まで使っていたカッツバルゲルは大分痛んできているし、そろそろ持ち替えるのも悪くない。それをメインと考えて、後は幾つか気になった物を交換するのが得策だろうか。
「……決めた。じゃあ“フィランギ”と“キングオブダガー”と、……あと“コレ”で」
「お、おーきに。その三つを選ぶとは、中々目利きやなぁぼっちゃん。感心するで」
「いや、そんなことないですって」
そんな本気かリップサービスかよく分からない会話をしながら、マニーロがさっとアイテムを渡す準備に入る。
“フィランギ”はかつて旧世界はインドの部族が使ったという曰くつきの剣である。刀身は真っ直ぐで、切っ先の先端から2/3までは両刃。根元に近い部分が片刃と言う不思議な形状の剣で、柄には弓状の鍔がついている。
“キングオブダガー”はこの中では一番の掘り出し物と思われる一品で、刀身に意識を集中させると、自分自身の防御力をアップさせる魔法効果が発動する優れもの。ダガーとしての切れ味もなかなか良く、護身用に常に身に付けておくのもいいとマニーロは言う。
そしてリュウが選んだ最後の一つ。何故こんなモノが商品として陳列されているのか、普通の人ならマニーロ商会の正気を疑うところであろう。しかし見た瞬間、リュウはそれに魅入られてしまった。気が付いたらふらふらと手に取ってしまっていたのだ。
勧められるままに素振りをして、さらにリュウは驚いた。その試し心地は実に素晴らしいものがあったのだ。素材は紙なのかプラスチックなのかよくわからないが、防水加工や耐久性は完璧で、爽快な破裂音に対し、何とダメージは皆無。コテコテの関西風味であるマニーロもリュウが素振りを終えた後、実に満足そうな表情でグッと親指を立てたのだ。
そう。それはどこからどう見てもまごう事なき“ハリセン”。使い道など突っ込み以外にはないであろう“ハリセン”。何か不思議な効果でもあるのだろうと見せかけて、その実魔法無効化等の特殊効果は全くない正真正銘ただの“ハリセン”である。
何故リュウはこれを選んでしまったのか。それはとても一概には言えないだろう。しかしあえて言うなれば、それは“夢”であると言える。これさえあれば、あらゆるお約束で必須な“どこからともなくハリセン突っ込み”という夢が物理的に実現可能になるのだ!
まさにどんなニーズにもお答えできる、究極の万能紙型突っ込み兵器である。余談だが類似品に“トイレのスリッパ”というものもあるのだが、そちらは衛生的によろしくないので手に入れたとしても使わないだろう。
商品をリュウに手渡す際、マニーロとリュウの間でピシガシグッグと友情の証たるハンドサインが交わされたのは、必然であった。
「そいじゃ、また何かあったらよろしゅうなー、まいどー」
「ありがとうございましたー」
ハリセンの良さが伝わったのが本当に嬉しかったのか、リュウはさらに煙玉を三個程おまけしてもらった。何とも気持ちの良い商人さんである。絶妙な笑顔で挨拶して、マニーロは海へと戻っていった。
「……で、さっき言ってたなんたらってぇ街に行くのかい相棒?」
「うん。他に目ぼしい情報もないし、ちょっと気になるしね」
「そうかい。まぁ俺っちとしちゃあ、だらだら釣りしてるよりゃよっぽどいいけどな」
「んじゃまぁ、服も武器も新調した事だし、ぼちぼち向かう事としますか」
「おうよ」
そう言って釣り道具をしまうと、リュウは新たな目的地目指して旅の支度をするために、ホテルへと戻るのだった。
*
「おっととと……」
≪ちょ、相棒スゲー揺れてんぞ、しっかりしてくれよ≫
「あーごめんまだちょっと上手く制御出来なくて……」
メガロメセンブリアでの怠惰な休息期間を終えて翌日。リュウは早速目的地へと出発していた。今、リュウは拙い浮遊魔法を用いて、地上数十メートルを飛行中である。時折風に煽られてバランスを崩しかけ、腰のボッシュから文句が念話で飛んできている。
目的地のジンメルという街はメガロとヘラス帝国の丁度中間辺りに位置している。飛行船で向かっても良かったのだが、リュウはお金の節約と習ったばかりの浮遊魔法の訓練を兼ねて、自力で飛んでいこうと思い立ったのだった。
長距離飛行というのはエヴァンジェリンの修行ではあまり行えなかった項目なので、魔力の配分コントロール等、まだまだ学ぶ事が多い。丸一日ぶっ続けて飛んで、力尽きかけた所でキャンプを張って爆睡。日が昇ったらまた飛ぶという荒行を行っていた。
そして徐々に飛行も安定しだし、大体工程の半分辺りに差し掛かったところで、腰のボッシュから妙な報告がリュウの頭に響き渡った。
≪おいちょっと待て相棒、ポケットが光ってるみてぇだぜ?≫
「ん?」
キキーッとブレーキを掛けて、空中に止まるリュウ。言われた通りポケットを覗いて見ると、確かに中に入れている何かが光っているようだ。
「なんだろ?」
ごそごそ調べてみて、光の正体はすぐに判明した。発生源は以前、妖精に貰った赤い宝石“フェアリドロップ”だ。宝石は何か切羽詰まったように明滅を繰り返している。
「どしたんだろこれ……もしかして俺を呼んでんのかな?」
「さぁなぁ。とにかく使ってみりゃいいんじゃねぇか?」
ポーチから顔を出したボッシュの言う通りなので、リュウはフェアリドロップを使おうとした……のだが。
「……所で、これってどう使うの?」
「さてなぁ。普通に考えりゃ掲げたりするんじゃねぇのかね?」
そう言えばうっかりこれの使い方を聞いてなかったので、取り敢えずボッシュの意見を採用し、フェアリドロップを頭上に掲げるリュウ。すると徐々に手の中で宝石が熱くなりだした。そして光の明滅の間隔が短く、発光自体はますます激しくなっていき……
「あー俺……この後どうなるかわかっちゃったかも……」
「奇遇だな相棒……俺っちもわかっちまったぜ……」
フッとどこか悟ったような諦めたような表情を浮かべるリュウにボッシュ。宝石の点滅がもう限界だと言いたげに激しくなり……そしてついに宝石は、二人の予想に正解だと告げるかの如く大爆発を起こすのだった。
*
「あ、リュウのヒト!」
「やっと来てくれたよぅ!」
「これで何とかなるよぅ!」
気が付くと、喧しく響くキンキン声が三つ、リュウの耳に飛び込んできた。
「……」
「……」
周囲はまるで生物の気配を感じない山脈に囲まれ、目の前にはふよふよ浮かぶ妖精が三人。爆発の大きさの割には大したダメージはなかった……のだが、リュウとボッシュは煙を上げ、見事に爆発オチ後のアフロキャラのような出で立ちとなってその場に立ち尽くしていた。
「……」
メガロで買ったばかりのおニューの服がボロッボロになっているだろう事は想像に難くない。あの時、衣服類はちょっと大量に買い過ぎたかと思ったリュウだったのだが、それがこんな形で役に立つ事になろうとは、全く人生とはわからないものである。
「……」
「……」
全く言葉を発さずに、目元を伏せているリュウとボッシュ。その迫力は妖精達に十分なプレッシャーを与えているようで、恐らく彼女達の目には、今リュウの背後に“ゴゴゴゴゴ”という文字が見えたり見えなかったりしているだろう。
「な、なによぅ黙ってないで何とか言ってよぅ!」
「そうよぅ久しぶりなんだから言う事あるはずよぅ!」
「私達に会えて嬉しいんでしょ! ならそういう顔しなさいよぅ!」
リュウの雰囲気に気付いているのだろうが……どこか見当はずれな発言をする妖精三人。その言葉により、リュウとボッシュの怒りゲージは一瞬で限界を超えた。
「何でいきなり爆発すんじゃいぃ!」
「死んだらどーするおめぇらぁぁ!」
「ヒィッ!?」
その二人の形相は、まるで鬼のようだったと後に妖精は語る。
「えっと、わ、悪かったわよぅ」
「ただのお茶目な悪戯なんだから、そんなに怒らないでよぅ」
「そんなことより食べ物が尽きたのよぅ。助けてよぅ」
「……」
「……」
どうやら、彼女達にはリュウ達の怒りが上手く伝わっていないらしい。今のリュウとボッシュのアフロ姿を見ても何の感慨も沸かないとは。……まぁ別に笑って欲しいとかそういう訳ではないが、とにかく反省の色無しなのはリュウからしても目に余る。だからリュウは、先日手に入れたばかりのあのアイテムを、ドラゴンズ・ティアからヒュパッと取り出した。ボッシュに目配せをすると、よしやっちまえと言わんばかりに頷く。
「……キミタチ、ちょっとそこに一列に並びなさい」
「ど、どうしたのよぅリュウのヒト……」
「その手に持ってるのはなんなのよぅ?」
「もしかして、私達へお土産でもくれるの?」
「……いいから並びなさい。そしてあげるのはお土産じゃなくて……お仕置きじゃー!!」
スパーンという良い音が連続して三つ、静かな山脈の隙間に響き渡る。……そしてその後二時間。正座させた妖精達に、目を釣り上げたリュウとボッシュの怒涛のお説教が繰り広げられるのであった。
*
「……以上。今後は気を付けて」
「はい……」
まるで火が消えたように、ずーんと肩を落として大人しくなってしまった妖精達。くどくどしたリュウのお説教は、大分効果を発揮したらしい。そんな訳でリュウとボッシュの怒りが収まった頃、ようやく二人はここへ呼ばれた理由に思考が回帰していた。
「……で? 何だっけ、さっき食べ物がないとか言ってた気がするけど」
「そ、そうなのよぅ」
「貰ったお金もとっくに尽きちゃったのよぅ」
「これから私達どうすればいいかわかんないのよぅ」
「……」
思わず大きな溜め息がリュウの口から漏れ出した。
(こいつら、本当俺に会う前はどうやって生きてきたんだろう……)
そんな以前にも感じた疑問を思い浮かべつつ、リュウは彼女達と龍山山脈で別れた時に、安易にお金を渡した事があまり妖精達の為になっていなかった事を認識した。こいつらは、甘やかしては駄目なのだ。リュウは腕を組んで少し考えた後、徐に人差し指を天に向けた。
「おじいちゃんが言っていた……“魚を与えれば一日の飢えは凌げる。しかし、魚の捕り方を教えれば、一生飢えを凌げる”と」
「……?」
妖精達は、リュウが何を言いたいのかイマイチわかっていないらしい。少し表現が遠回し過ぎたようで思いっきり頭上に?マークを浮かべている。そんな姿にまたもや溜息が漏れるリュウである。
「仕方ないから、君らに食料……魚の釣り方を教えてあげるって言ってんの」
「え〜……」
リュウのありがたい筈の意見に、妖精達は不満たらたらだった。苦労したくないという不抜けた根性が垣間見える。その態度にまた先程の説教モードが首をもたげかける。
「え〜じゃありません! 取り合えずどこなのココ!?」
リュウはくわっ! と目を吊り上げながら辺りを見渡した。よく見ると以前の龍山山脈ではないようだが、それでも同じように殺風景な山の上のようだ。ちょうど今居る場所の先は崖のようになっており、反対に目を向けると下へと続く森らしき緑がずっと続いている。
「ここは……タ、タルシス大陸の、オリンポス山よぅ……」
「まぁ聞いたところで山の名前なんて知らないけどね!」
「えぇー……」
リュウの何だか理不尽な反撃に、素直な反応を返す妖精達である。
「それで、近くに川とかは?」
「あ、あるよぅ」
「そこの崖の下に流れてるよぅ」
「何ィ!?」
「ヒッ……」
リュウがノリで大声を出すと、やはりビビった様子の妖精三人。先程の説教は、やはりかなりの影響を彼女達に及ぼしているようだ。別名トラウマとも言うが。
「わかった。じゃあ、君らに簡単な釣り竿の作り方と、魚の釣り方の基本を教えるから、そこへ案内して」
「り、了解よぅ……」
「もー、リュウのヒト怖いよぅ」
「でも逆らったらもっと不味いことになりそうよぅ」
「コラそこ! 文句を垂れる前と後にサーと付けろ!」
「は、はい! サー!」
エヴァンジェリンの修業のせいか、何だか彼女の性格の一部が移ってしまったような攻撃的なリュウである。それに対し渋々といった形ではあるが妖精達は重い腰をあげてふよふよ飛んでいく。その後ろ姿を見て、リュウとボッシュは満足気に頷くのだった。
そうして案内されたのは、崖から急斜面を下へと降りていったところの山間部。そこはちょっとした谷となっていて、多少の緑と妖精の言った通りの川が流れていた。急流ではあるが魚はそこそこ居るらしい。リュウは妖精達に暖かい怒号と優しい罵倒を交えて木の竿の作り方をレクチャーし、続いてその辺に居る虫を餌に、簡単な釣り方を教授した。
「あ、また掛かったよぅ」
「意外と楽しいかも知れないよぅ」
「……」
一人だけ当たりが来ずむくれているようだが、他二人はそれなりに釣れているらしい。どうやら飲み込み自体は悪くないようだ。後ろで監督するリュウとボッシュも、うんうんと頷いている。
「よし、これで君らは釣りビギナーになった訳だし、もう食料には困らないでしょ」
「確かにそうだけど……毎日お魚は……」
「たまにはお肉も食べたいよぅ……」
「あとは甘ーいお菓子も……」
一度覚えた贅沢は中々忘れられないのが人間という生物だ。そして、どうやら妖精達もそうであるらしい。川岸に腰掛けて糸を垂らしつつ、不平不満をぶつくさ呟く妖精三人である。
「わがまま言うんじゃありません!」
「えぇー……」
と、一応言ってはみたものの、確かに毎日毎食魚は自分もやだなと、話のわかる男リュウ。何でこんな辺鄙な場所を住処に選んだのかわからないが、まぁ関わった以上仕方ないから、その辺も何とかしてやるかと考えるお人好しっぷりである。
「何のかんの言って、結構面倒見いいよなぁ相棒よぉ」
「……うっさい」
「へむっ!?」
改めて指摘されると微妙に気恥ずかしくなったので、にやけるボッシュの口を抓って照れ隠し。釣りを続ける小さな背中を見ながら、思案を練る。こんな山中では近くに街があるとは思えない。そうなると妖精達が自分で買ってくる、とはいかないから、もしも肉を食べたいなら、山周辺の生き物を自力で狩るしかないだろう。
リュウも妖精達も狩りのイロハなんてわからないので、先生になってくれる人を探して来て、何とか教え込んで貰うしかないと言う事になる。そうすると、当然泊まり込みになってしまうのだが……そのためには最低限、雨風を凌げる宿も必要だ。
今の妖精達の住処はお世辞にも建物とすら言えない粗末な物で、木で組んだだけの骨組みと、草らしきもので敷いた屋根だけという、それはそれは風通しの良いものだ。人など呼べる訳が無い。
「うーん……」
つまりは狩りの他に、妖精達の所で人も寝られる建物を建てる必要も出てくる訳だ。それについても人を頼るしかないという事。片方だけでも辛いのに、両方をと考えると非常に頭が痛い。
(面倒だなぁもう……)
そんな感じで悪態を付きつつ色々と考えを巡らすリュウ。その後、釣り終えた妖精達は早速魚を焼いて食べると言って崖上へと登っていった。じゃあ俺はこの辺で一端帰るよと告げ、リュウは爆発しないという触れ込みの新しいフェアリドロップを受け取り、その機能を使って元の場所へと戻るのだった。
「ふう……」
「いやぁ全く厄介事を抱え込んじまったなぁ相棒よぉ」
「うんまぁ……こういうのもよくある事……でしょ」
「そんなもんかねぇ」
「いやわかんないけど」
自分で言っておきながら、そんな頻繁にあったらやってらんねーけど、と突っ込みを入れる。若干滅入った気分を吹き飛ばすように、目的地目指して浮遊魔法の出力を上げてかっ飛ばすリュウなのであった。