炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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5:執念

 リュウは、自分の鼓動が早まっているのを感じた。対峙している相手は、人を殺す事に何の躊躇いも持たない男。そいつが現れたという事は、自分を殺しに来たという事。思えば麻帆良で初めて“竜変身”を行った時から、今まで襲ってこなかった事の方がむしろ不気味に感じる。

 

「あの時の……ナギって言ったっけ。彼と組んでいたんだってね」

「……」

「探したよリュウ。僕は、君をどうしても……どう……しても……」

「……?」

 

 リュウは、バルバロイの放つ雰囲気が以前と全く違う事に戸惑っていた。能面の様だった表情は感情豊かに人間味を感じさせ、言葉の抑揚がそれを後押ししている。奇妙なのは、まるで何かに耐えるように、バルバロイが自分の胸を抑えている事。だが、すぐにそんな事はリュウの意識の外に追い出された。リュウを見るその目が、とてつもない憎しみを抱いている事に気付いたからだ。

 

「……そう、リュウ……。僕、君を……殺さなくちゃ」

「!」

 

 思い出したようにバルバロイの表情が消え、周囲の空気が深く沈み込む。リュウが戦闘態勢に移るよりも早く、バルバロイの姿がリュウの前から消えた。

 

「……がっ!?」

 

 突然、リュウの左頬に衝撃が走った。後方へ激しく吹き飛ばされたが、すぐさま態勢を立て直し、着地する。口の中のどこかが切れたのか、血の味が広がる。

 

「……っ!」

「今のは、警告だ。……早く、あの姿に……」

 

 リュウが立っていた場所の半歩前の位置。振り切った拳を元に戻し、まるで友達に注意を促すような言い方で、バルバロイはリュウにそう言った。今のリュウでは対応出来ない速度。明らかに、自分より格上の強さだとわかる。それに加えリュウはどこか得体の知れないバルバロイの様子に、背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

戦いの歌(バトルソング)!」

「……」

 

 こいつは自分の命を狙いに来ている……筈だが、わざわざ警告と称して今の一撃を全力で行わなかった。解せない。何故、変身させようとするのか。わからないが、リュウはとにかく初っ端から全力で対応する事に決めた。粉砕する勢いで地を蹴り、拳に全体重を乗せてバルバロイへと殴りかかる。

 

「おおおあ!」

「っ……なるほど。少しは……出来るように……なったんだ」

「!」

 

 リュウが本気で放った拳は、バルバロイに届かない。あっさりと、その片手で受け止められていた。力を込めて振り解こうとしても、ピクリとも動かない。

 

「力比べでも……しようか……?」

 

 パッとリュウの手を離し、格闘の構えを取るバルバロイ。今の一撃は当たらなかったのに、どこか苦しそうな表情をしているように見える。だがそれとは別に、リュウに対する殺気は時間を追う毎に増している。とにかく、この場を切り抜けなければ。リュウは持てる力を振り絞って再び殴りかかった。今度は、バルバロイもそれに反撃をし始める。

 

 打撃戦が、始まった。

 

「うあああ!」

「……」

 

 二人の衝突は激しいものだった。拳の応酬、蹴りの乱舞。リュウだけが声を荒げ、対するバルバロイは無言で強烈な攻撃を繰り出す。外れた威力が空を裂き、地を削る。そして、すぐに差は現れた。最初こそ互角かと思われたが、劣勢になったのは……リュウだ。

 

「ぐっ!?」

 

 顔面に肘が。

 

「かふっ!?」

 

 鳩尾に蹴りが。

 

「うごっ!?」

 

 顎に拳が。自分の攻撃は悉く外され、バルバロイの攻撃は半分以上が当たる。スピードも技術も開きがある。地力の差が顕著に出ていた。

 

「あ……ぐ……」

「……こんなものかい?」

 

 片膝を付き荒い息を吐くリュウを見下し、バルバロイは詰まらなそうに言い捨てた。このままでは勝てない。文字通り身に染みて理解させられる。嬲り殺しにでもするつもりなのか。口から垂れる血を拭い、とにかく前を向く。バルバロイの次の行動に備えなければ。

 

「くっ……!」

「……ふん」

 

 だがリュウが顔を上げた瞬間、そこでバルバロイは突然攻撃の手を止めた。スタスタと、リュウに背を向けて距離を取る。まるでリュウに時間を与えるように。

 

「今のままでも……君を殺せる。でもそれじゃ……意味がないんだ。早く……あの姿に……」

「……」

 

 あの姿、とはドラゴナイズドフォームである事はわかる。わからないのは、何故バルバロイがそれに固執するのか。変身する時間をくれるとは、リュウからすればありがたい話であるけれども……リュウはその態度が気に食わなかった。

 

「何で俺が……お前の言う事を聞かなきゃ……ならないんだ……!」

「……」

 

 こいつには、何度も恐怖を味わわされた。その事を思い出してしまい、気を抜けば足が竦みそうになるのも確かだ。しかし、リュウにも意地がある。勝てないんだからどうぞ変身してと言われて、はいそうですかとそうするのは、手の上で躍らされているようで癪に障る。

 

 ナギ達との修行や数々の冒険を経て多少なり付いた自信が、リュウに望みを持たせていた。そして、実際まだリュウには戦いの歌に加えて個別の補助魔法を重ね掛けするという、地力を上げる手段が残されている。それこそ、リュウが今のままでも抵抗できると考える根拠であった。

 

「……」

 

 リュウにまだ変身する気がない事を悟ったバルバロイは、フンと一つ鼻で笑った。

 

「わかった。じゃあ君が……その気になるように……まずはその……身体強化の魔法を……消しておこうか」

「!?」

 

 消す? 戦いの歌を? そんな事が出来るわけがない。何を言うのかとその言葉の裏を読もうとするリュウの前で、バルバロイの周囲に魔力のようなものが集まっていく。

 

「【結界】」

 

 呟くような一言と共に、バルバロイが集まった力を拡散させる。それはまるで波紋のように、足元から周辺一帯に広がっていき……途端、リュウは全身に脱力感を感じた。

 

「……え?」

 

 自分の手を見る。薄らと体全体を包んでいた筈の戦いの歌の輝きが、消えていた。脱力感の正体はそれだ。つまり今の光の波紋によって、本当に身体強化の効果が掻き消されたという事。

 

「これで君の力は……大幅に下がった……そのままでは僕に勝てない……さぁ、早くあの姿に……」

 

 執拗に変身するよう求めて来るバルバロイ。身体強化を二度掛けする策は、これで使えなくなってしまった。それは今の姿のままでバルバロイに対抗出来る手段の消失を意味する。リュウはもう一度、戦いの歌を発動させようとしたが……。

 

戦いの歌(バトルソング)!」

「……」

「!! 魔法が……!」

 

 戦いの歌が発動しない。いや、それどころか魔法そのものが発動しない。外に出す魔力が、何かによって無効化されている。これが先程の波紋の光の効果。結界と言う言葉をバルバロイが言った事から、一つだけリュウの中で思い当たる事がある。それはスキルの一つ。敵味方の補助魔法を全て消し去る効果のあるスキルが、確か名を結界と言ったはずである。

 

「ここまでしてもなる気がないなら……仕方ない……そのままで……死んでもらう」

「……」

 

 痺れを切らしたのか、バルバロイの言葉がやたらクリアにリュウには聞こえた。場所が場所だけに、石の槍で喉を貫かれた時の恐怖が蘇る。リュウはもう理解できている。頭の中で意地と理性が一瞬だけぶつかりあったが、結果は最初から見えていた。

 

「……」

 

 後ろに下がって距離を離し、自分の中に意識を集中する。足元から噴き上げる火柱のようなオーラ。

 

「ウオォォォッ!」

 

 オーラが一際眩い閃光と共に弾け飛び、リュウはついにドラゴナイズドフォームに姿を変える。それを見たバルバロイは、初めて笑みのようなものを見せた。

 

「そう、それだ……それこそ、僕が倒さなければいけない力……“うつろわざるもの”……」

 

 ビキッと、何か割れるような音が闇夜に響いた。音の出処はバルバロイだ。彼の顔、そして腕にヒビが入っている。割れ目からはドス黒い何かが覗いている。ヒビは左半身だけに集中しており、右側には見当たらない。

 

「これで僕も……本気を……出せる……」

「!?」

 

 バルバロイは、小刻みに揺れ出した。体から骨が軋み、砕けるような音が聞こえてくる。徐々にバルバロイの半身が変わっていくのが見て取れる。

 

「ぐあ……あ……あああ……」

「!?」

 

 苦悶の声を上げて細かい蠢動を繰り返すその姿は、まるで何かを産むか、または取り憑かれていくようだった。ドラゴナイズドフォームとなったリュウの第六感が、警告を発している。リュウはその感覚に従った。自分が変身を見逃されたからとて、相手の変化を待つ理由にはならない。隙だらけの今、攻撃を仕掛けるのだ。卑怯とは思わない。こいつは、自分の命を狙ってきた相手なのだから。背中のバーニアから夜の闇に映える赤い光を引き出し、震えるバルバロイに高速で接近する。

 

「ヴィールヒ!」

「……」

 

 バルバロイは振り下ろされるリュウの爪を、ヒビだらけの腕でガードしようとした。だがドラゴナイズドフォームは甘くない。そんな防御、腕ごと引き裂いてやる。そう考えるリュウの自信と意気込みは、確かに引き裂いた。

 

 ――――リュウの、自分自身の、腕を。

 

「…………え?」

 

 目が捉えたのは自らの血の色。腕に感じたものは痛み。そして頭は、何が起きたかわからないという混乱で埋め尽くされていく。

 

「うああああ!?」

 

 呻き声を上げたのは、リュウの方だった。即座にバーニアを使い、一旦後ろへ距離を取る。痛みの元を見ると、爪を振り下ろした筈の右腕に深い裂傷が走っているのがわかる。しかもその切り口は、酸を直線でぶつけられた様に溶けているのだ。今までどんな攻撃に晒されようと、決して傷を負う事のなかったドラゴナイズドフォームが破られた。その事は衝撃となってリュウに襲いかかる。

 

「っ……そ……んな……!!」

「……効果あった……ね……苦労した甲斐が……あった……」

「!!」

 

 リュウは、バルバロイの姿に再び戦慄を覚えた。ヴィールヒを受けた衝撃で露わになったヒビの中身。……左半身全てが、ドス黒く変色していたのだ。腕や足は極端に細くなり、指先が妖しく光っている。顔も半分が黒く染まり、目は完全に白で瞳がない。その黒い左半身には、ぼんやりとオレンジ色の光を放つ不気味な模様が浮かんでいる。

 

「お前……一体……!?」

「ああ……これかい? これは……僕の敵を……殺そうと思って……身に付けたのさ……」

 

 誇示するように、リュウにその異型となった左腕を見せつけるバルバロイ。その時、ドクンとその半身が蠢き、肩の辺りから何かが飛び出ようとした。リュウは見た。バルバロイの体に浮かび上がったそれは、紛れもなくドラゴンの顔だったのだ。

 

「ぐう……っ!」

 

 バルバロイは、その黒いドラゴンの顔を抑えつけるように顔を歪め、無理矢理自分の中に押し戻した。そのまま、濁った目でリュウを見つめている。

 

「まさか……」

 

 リュウは理解した。あの黒い半身が、何を持ってそうなったのか。あれは、ドラゴンを取り込んでいるのだ。それも一匹や二匹じゃない。数え切れない程、大量に。黒く染まっているのは、取り込まれたドラゴン達の怨嗟の証。それを自らの内に無理矢理押し込める事によって、ドラゴンという存在への強力な対抗手段にしたのだ。だから、自分はダメージを喰らった。では一体、どこでそんな大量のドラゴンを取り込んだのか。リュウは旧世界に来る前に、ナギと話した時の事を思い出していた。

 

「……魔法世界のドラゴンが、極端に居なくなったのは……お前が……!」

「よく、知っているね……その通り。目には目を……龍の民にはドラゴンを……この力こそ……僕の敵を倒すための……君を殺すための力。……【ドラゴンキラー】さ!」

 

 バルバロイは駆け出した。黒い半身のオレンジ色の紋様が闇夜に浮かび上がり、鈍い呻くような声がリュウの耳に届いた。その黒い左腕を振りかぶるバルバロイの速度は、先程よりもはるかに早い。だがリュウも変身した今、見えない訳ではない。

 

「くっ……!」

 

 振るわれるバルバロイの腕を、リュウは払い除けた。パワーならば、リュウの方が勝っている。腕はリュウに直撃こそしなかったが……勿論、只では済まなかった。当たった腕の装甲部分が、煙を上げて溶けていたのだ。抗いがたい痛みが襲ってくる。

 

「うあ……ああ……っ!」

 

 まるで強烈な酸で焼いたようだった。生半可な攻撃では傷一つつかない筈のドラゴナイズドフォームを、いとも容易く傷付けるドラゴンキラー。リュウには分かる。あれは、自分の龍の力に相反する力であると。触る事すら出来ない。このままでは明らかに不利だ。

 

「……っ」

 

 だが、リュウは変身を解くわけにはいかなかった。素の身体スペックでは、到底勝ち目がないのだから。距離を取ったリュウを、バルバロイは無機質な瞳と白いだけの目の両方で見つめていた。何故、一気に攻めて来ないのか。リュウの頭に疑問が浮かぶが、作戦の決まらないリュウにとっては幸運だった。近づけないのなら、遠距離での攻撃に転じるまで。

 

「ババル!」

「……」

 

 リュウの固有魔法。上空から降り注ぐ雷の束。魔力を使わないこの魔法ならば、あの光の波紋の干渉を受けずに攻撃できる。……しかし雷撃は、バルバロイ本体まで届かなかった。その直前で、障壁のような物に遮られ弾かれたのだ。並の魔法では通用しないと嫌でもわかる分厚さ。対策は万全という事だった。

 

「く……」

「……来ないの? なら、こっちから行くよ」

 

 バルバロイはそう宣言して、再び駆け出した。もう接近戦しかない。リュウは決めた。変身した事で気分が高揚し、そのせいでこれ以上グダグダ考える事を放棄してしまったのだ。向かってくるバルバロイに、背中のバーニアを滾らせて自分から突撃していく。

 

「うああっ!」

「!」

 

 フェンシングのように突き出してくるバルバロイの左半身。それを避ける為、リュウはフェイントを仕掛けた。バルバロイの直前でめり込むほどに大地を踏みしめ方向転換、勢いを無理矢理押し殺して直角に横へと動いたのだ。

 

「――――ッ!」

 

 今のリュウの速度は、バルバロイ以上。迎撃体制が整う前に、がら空きのバルバロイの右半身目掛けて、爪を振り上げる。

 

「ヴィールヒッ!」

「!! ……ぐ……っ!」

 

 今度こそ、リュウの攻撃はバルバロイにダメージを与えた。黒くなっていないバルバロイの右半身。その白い二の腕を抉ったのだ。血が飛び散る。しかし、浅い。与えたダメージはバルバロイの行動を抑止する程ではない。リュウの僅かな硬直を狙って、バルバロイはドラゴンキラーを振りかぶる。

 

「死んでいいよ……!」

「っ!」

 

 咄嗟にガードしたが、今度はリュウの腕の肉が切り裂かれた。同時に肉が焼けるような音がし、リュウは歯を食いしばる。

 

「まだ……!」

「!!」

 

 リュウが痛みを堪え切った一瞬、さらにバルバロイは、リュウの脇腹を狙って左足を蹴り込んだ。左半身は全てがドラゴンキラーだ。当然、蹴りの直撃をガードしたリュウの足にも、焼け付くような痛みが走る。

 

「うっ……ぐぁ……こ、の……!」

「……!!」

 

 痛みに喘ぎながら、力を込めたリュウの拳がバルバロイの右脇腹に鈍い音を立てて突き刺ささる。苦痛に歪むバルバロイの白い目が血走り、気迫が膨れ上がる。

 

 ……そこからは、凄惨な殺し合いであった。

 

「ウオアアアア!」

「っ……!!」

 

 一撃ずつ交換する度、リュウはさらに気が高揚して怒りに飲まれていく。バルバロイも、痛みで暴れる体内の無数のドラゴンを抑え、それに伴う表層意識の混濁で、徐々に我を忘れていく。両者とも一切の妥協なく。直撃すれば致命に至る攻撃を……並の人間ならば掠るだけで吹き飛ぶであろう威力の攻撃を、繰り出し続けた。

 

「ハァ……ハァ……」

「う……く……」

 

 しかし……一撃が、決まらない。ほぼ互角。身体スペックの面ではリュウに分がある。しかしバルバロイのドラゴンキラーが、それをイーブンに持ち込む。両者とも、血塗れだった。お互いがお互いの攻撃を潰し合い、同時にダメージを与える事の繰り返し。

 

「ウ……ォォォオオオ!」

「……ッアアアア!」

 

 何度も何度も。互いに決め手がないまま、激突し合う二人。既に周りの岩場は所々にクレーターが目立ち、僅かにあった丘は消し飛び酷い有様だ。二人の攻撃の威力の凄まじさを物語っている。リュウの拳がバルバロイの顔面を捉え、同時にバルバロイの足がリュウの胸に直撃する。相討ちによる威力の相殺がなければ、どちらかがそれで終わっていただろう。再び息を荒げて対峙する二人。まさに千日手だ。

 

「ぐっ……が……」

「!」

 

 だが、拮抗は突如として崩れた。突然バルバロイが胸を押さえて苦しみだしたのだ。リュウにはわからなかったが、受け続けたダメージのせいで、抑えてきたドラゴン達の力に対し、とうとう意識が抗えなくなってきていたのだ。

 

「リュウ……君に……君に負ける訳には……行か……ない……!」

「!」

 

 バルバロイは目を血走らせたまま、怒りを剥き出しにしている。その只ならぬ執念に気圧され、リュウの血が上った頭は僅かに冷やされていた。

 

「お前……俺が何なんだ! なんでそこまで……!」

「君は龍の民の……最後の生き残り……ミリア様の、敵だ!」

「!!」

 

 ミリア。バルバロイは間違いなくそう言った。思いがけずに聞えてきた単語は、ディースに聞かされた昔話の登場人物。龍の民を滅ぼした元凶そのもの。バルバロイがミリアの手下である事が、その口ぶりから容易に想像できた。

 

「俺を倒すのが目的なのは……そういう事か……!」

「……それだけじゃない。僕は……君の存在を許さない。君を生み出す為に……最初から失敗する事がわかっていて……僕は……違う。僕は失敗作なんかじゃない……だから僕には、君を殺す権利がある……僕は……ぼくは……ッ!」

 

 言動が支離滅裂になったその時、バルバロイの黒い半身が、一際大きく蠢いた。

 

「うぐあああああッ!」

「!?」

 

 それは豹変、という言葉が何より相応しい。極端な感情の昂ぶりが引き金になり、抑え込んでいたバルバロイの意識の混濁が、深刻なレベルに達したのだ。表情のない黒い左半身と、右半身の顔に浮かぶ憤怒の形相。二つが合わさったそれは、まさしく悪鬼の如く。

 

「リュウゥゥゥゥァァ!!」

「!」

 

 黒い左腕を振り上げて雄叫びを上げるバルバロイは、半ば野生の獣のようにリュウに向かって突進してきた。

 

「僕は……君を殺す……絶対に……絶対にィ……ッ!」

「!!」

 

 それは先程までのようなリュウと互角の動きではなかった。鈍い。ドラゴンキラーの暴走とも言えるバルバロイの突撃を、リュウは無言でかわす。だがそれで止まらないバルバロイは、勢い余って後方の岩へと激突した。

 

「ううぐ……あぁ……リュウゥゥゥ……どこだ……リュウウゥ!!」

「……」

 

 岩を破壊し、土煙りの中で辺りを見回すバルバロイ。その動きは精彩を欠くどころではなかった。バルバロイの意識は、ただ憎しみと憎悪だけで満たされている。右半身の血走った瞳に、理性の光は最早ない。

 

「! そこかぁ……リュウゥ……リュウウゥゥ!!」

 

 後ろを振り向き、リュウの姿を確認したバルバロイが、再び特攻を仕掛ける。リュウは、力を溜めた。バルバロイが豹変した原因は、リュウにはわからない。しかしこれは好奇である。相手にどんな理由があろうと、むざむざ殺されるつもりはリュウにはない。

 

「D−チャージ……!」

 

 互角の戦いをしていた時では使う事ができなかったが、今ならば出来る。殺し合いを制する為の、力を何倍にも上げるリュウの奥の手。だがそれを発動させた瞬間、リュウの中の力が、激しく暴れ出した。

 

「が……ぁ……っ!?」

 

 それはエヴァンジェリンとの勝負の時、ドラゴンズ・ティアを外したのと同じ暴走の感覚だった。何故だ。今はしっかりドラゴンズ・ティアを身に付けているというのに。有り得ないと思いたいが、感覚は真実だ。リュウはそれ以上のD-チャージを止めた。自分までバルバロイのようになる訳にはいかない。

 

 前に目を向けると、正気を失ったバルバロイが向かって来ている。それを迎え撃つべく、リュウも背のバーニアから赤い光を噴出させて、突撃を敢行する。

 

「ウオァァァァ!」

「リュウゥゥゥゥ!!」

 

 夜空に浮かぶ半月。雲の隙間から顔を出したそれが造り出す互いの影。リュウとバルバロイの、二つの影と影が交差したその瞬間。

 

 ……リュウの右腕が、バルバロイの胸の中央を貫いていた。

 

「が……は……っ」

「……っく……」

 

 リュウの頬の横。僅かに数センチメートル。紙一重で掠めたバルバロイの左腕により、静かに赤い血が吹き出る。胸を貫いたリュウの腕の一部から、肉が焼け落ちる音が聞こえてくる。ドラゴンキラーに触れている為だ。

 

「う……ぐ……ぁ……」

「……」

 

 右腕から、バルバロイの体が弛緩していく感覚がリュウに伝わる。……紛れもなく、致命傷だ。

 

「……」

 

 腕を引き抜くと、すれ違うようにバルバロイは倒れた。少しずつ、黒い半身が元へと戻っているのが見て取れる。リュウは変身を解いた。暴走の気配を消すには、それが一番良いからだ。

 

「……リ……リュウ」

「!」

 

 もう、反撃する力はないだろう。先程の弛緩していく感触から、リュウはそれを実感している。周囲にあの光の波紋の効果が無くなっている事も、その推測を後押しする。

 

「お前……人格がおかしくなるまでなんで……そんな……」

「僕は……君を……この手で殺す……どんな手を……使って……でも……」

 

 俯せに倒れたバルバロイの目は、既に視点が定まっていない。それにも関わらず、リュウの方にだけは、しっかりと向いている。今まさに命絶えるその時まで固執する執念。リュウは薄ら寒いものを感じた。

 

「……」

「君は……あの男の……ユンナの……。……うつろわ……もの……僕は君に……劣ってなんて……いない……」

「……」

 

 ユンナ。また聞く事になったその名。バルバロイが何を言っているのか、リュウの中で少しずつパズルのピースが合わさってきていた。血を吐き、段々と声がか細く聞き取り辛くなっていく。

 

「僕は……失敗作じゃ……ない……只じゃ……死な……」

 

 バルバロイの目から、光が消えていく。小さくなった声で何かをぶつぶつ言っているようだが聞き取れない。リュウは少しだけ、バルバロイに近付いた。

 

「ミリア様……あなたの願いは……あなたの“完全なる世界”は……」

「!!」

 

 ようやく聞き取れた言葉に、リュウは驚愕した。完全なる世界。間違いなく、バルバロイはそう言った。今まで手掛かりすらなかったその組織の名。こいつが、リュウの求める何かを知っている事がわかる。

 

「おい! “完全なる世界”って、お前達とどんな……」

 

 バルバロイの顔付近に近付き、声を荒げるリュウ。不用意だった。もう力も残っていないと思っていた。だがろうそくは最後に激しく燃え上がるように、バルバロイはその千載一遇のチャンスに、最後の力を振り絞った。

 

「あなたの願いは……僕が……!」

 

 バルバロイの右腕が動き、リュウの足を、動けないよう掴んだ。

 

「な……なにを」

「【石の息吹】ッ!」

 

 リュウを決して逃がさないという強固な意志の現れ。バルバロイの最後の魔力は石化の霧となり、辺りを埋め尽くしていった。


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