炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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3:力試し

 丸い塔のような建物から離れ、そこは一面広い砂浜。透き通るような海と穏やかな日の光が差し込む絶景は、流石にエヴァンジェリンの自慢する別荘である。

 

(こんなプライベートビーチが持ち運び可能ってズル過ぎね?)

 

 休日に訪れたとしたら、久方ぶりに伸び伸びと水泳でも楽しみたいリュウだったが、そんなささやかな願いすら叶う筈もなく。リュウは今、この別荘の主たる吸血鬼の少女と数メートル離れて対峙していた。

 

「ん? 何だ貴様、ドラゴンにはならないのか?」

「えっとその……出来ればこのままで……」

「……」

 

 冷や汗をかきつつ、リュウはどうせ避けられないのならと開き直った。今の自分が伝説の“闇の福音”相手にどこまで通用するのか。世界最強という強大な壁に向かって力試しをすることにしたのだ。

 

「ふん……後悔するなよ」

 

 リュウがドラゴンになろうとしない。つまりは自分相手に全力を出さない舐めたプレーをする気と知り、ピクリと眉を吊り上げるエヴァンジェリン。そういうつもりなら存分に痛ぶってやろうかと、ドSの本性が滲み出る。

 

「あの……出来たら死なない程度に……」

「それは貴様次第だ。覚悟はいいな?」

 

 腕を組むエヴァンジェリンの周りに、いくつもの氷の塊が浮かぶ。魔法の射手。まずは挨拶代わり。それを見たリュウも慌てて魔法の射手を詠唱。相殺するべく火の矢を同じ数だけ周りに浮かべる。

 

「では行くぞ……魔法の射手・連弾・氷の79矢!」

「魔法の射手・連弾・炎の79矢!」

 

 勢い良く放たれた両者の矢は二人の中間地点でぶつかりあい、派手な爆発を引き起こして開戦の狼煙を上げる。立ち込める爆風の中にエヴァンジェリンの気配を察したリュウは、次に拳を固めて龍の力を集中させだした。

 

「ハハハッ!」

「!」

 

 相殺と同時に飛び出していたエヴァンジェリンが、拳に魔力の光を携えて爆風の中から姿を現す。いきなり相手のペースに呑まれる訳には行かない。性格からして小細工はしないだろうという予想はドンピシャだ。リュウは既に、迎撃のための龍の力を腕に溜め終えている。

 

「散烈拳!」

「!」

 

 待っていましたと龍の力の散弾を放ち、エヴァンジェリンを迎え撃つ。弾は左右に大きく広がり、避けるスペースはほとんどない。最初の一撃(ファーストヒット)をこんなガキに譲るなどプライドが許さないエヴァンジェリンは、迫る弾幕を前にして進む方向を変えた。直角に上へと舞い上がり、あっさりとその散弾を回避する。

 

「……」

 

 妙な小技を使う奴だ。それがエヴァンジェリンがリュウに対して抱いた最初の感想。そして思ったより、この手の戦いに慣れを感じる。どうもリュウの謙遜する控えめな態度に対し、侮り過ぎていたらしい。案外楽しめそうだとリュウに対する評価を書き換え、エヴァンジェリンは宙に浮きつつボッと魔力のオーラを纏った。

 

「【氷爆】!」

「!」

 

 周囲の魔力の変化から来る微振動を感知し、咄嗟にジャンプで上へと逃げるリュウ。その直後、今しがた自分が居た足元の空間に、氷点下の爆発が起きた。ほとんどノーモーションで放たれた攻撃。かわしはしたが、今のはそうするしか回避の方法がなかった。つまり無理矢理空中という、エヴァンジェリンの土俵に引き込まれたのだ。

 

「中々いい反応をするじゃあないか!」

「! 戦いの歌(バトルソング)!」

 

 リュウはギッと口を結んだ。肉弾戦を余儀なくさせられる。エヴァンジェリンは猛スピードで目の前に突っ込んできているのだ。出来れば距離を離してちくちくお茶を濁したかったが、そんなリュウの考えは甘すぎるらしい。突撃と共に魔力を乗せた拳を振りかぶるエヴァンジェリン。リュウも同時に拳を振り上げる。

 

「フッ!」

「っ!」

 

 互いの拳撃同士がぶつかり合い、激しく飛び散る魔力の火花。リュウは上手くこの一撃をいなしたと思ったが、エヴァンジェリンは文字通りの手練れである。「パワーはそこそこだが力の向きが正直過ぎるな」「それに加えて次の行動への移行も遅い」。たった一度の攻防から、リュウの情報を正確に読み取っていた。

 

「遅いっ!」

「おぐっ!?」

 

 細い足から繰り出される蹴りが、リュウの鳩尾に直撃する。くの字に折れたリュウの頬に、返す刀で二発目の拳撃が飛んでくる。……上手い。リュウは拳を喰らいながら、素直にそう思った。ほんの僅かな間に、力量全部を丸裸にされたような気がしてしまう。これが数百年を生きる吸血鬼の洞察力か。

 

「この……っ!」

 

 無論拳を喰らったあとに、すかさず拳と蹴りを繰り出しリュウは反撃を試みた。だがそれらはエヴァンジェリンの巧みな防御の前に、全く当たらない。相手の力は利用し、自分の布石にするエヴァンジェリンの柔の技。彼女の防御はそのまま攻撃になるのだ。まさしく柔よく剛を制す。ナギ達のような単純な力押しとは違う、テクニックというやつである。

 

「どうした、その程度かっ!」

「くっ……!」

 

 そのまま流れるように連撃に移るエヴァンジェリン。流石の猛攻だが今まで培ってきた体術を駆使し、最初に喰らった幾つかの打撃以外貰わずリュウは辛くも凌いでいる。今、この空中という戦場で最も大きな問題は、リュウが飛べないという事だ。リュウは空中での動きは虚空瞬動による直線の動きしか出来ない。それに対しエヴァンジェリンは自在に飛べる分、どんな状況にも対応できる。この時点でリュウは不利なのだが、勿論それだけではない。

 

「なかなかっ……粘るじゃないか!」

「うっ!?」

 

 さらにエヴァンジェリンは、少しずつ回転速度を上げてきていた。リュウが自分の攻撃に対応した時点でそれ以下の攻撃はしなくなり、新たに上げたスピードとパワーで攻めてくるのだ。対応してはさらにそれを上回るという、まさしくドSないやらしい攻め方だ。だが仕方がない。そんな事が出来るという事自体、そもそも実力に差があると言う証拠なのだから。

 

「そぅらっ!」

「うあっ!?」

 

 エヴァンジェリンの魔力を集中させた一際強烈な拳撃を、両腕をクロスしてガードするリュウ。威力を殺しきれず地面に叩きつけられ、盛大に砂を巻き上げ後方まで吹き飛ばされた。

 

「くっ……!」

 

 口に飛び込んできた砂を吐き出し、痛みの程を確認する。腕がギシギシ言っている。身体強化無しだったら、軽く骨が砕けていただろう。あの細腕の一体どこからこんな力を出しているのか。思わず舌打ちしたくなる理不尽さだ。

 

「ようし次だ! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 【来たれ氷精、闇の精!】」

「!?」

 

 空中に静止して手を掲げ、呪文を唱えるエヴァンジェリン。その顔に浮かぶ笑みは、リュウが次にどう出るのか試してやろうと言っている。おまけに言えば、非常に悪そうな顔である。

 

(くそっ!)

「【闇を従え吹雪け、常世の氷雪!】」

 

 凌ぐという選択肢を取るならば、大防御を使うという手がある。あらゆる攻撃を防御するスキル。だが、大防御は限度を超えるダメージには意味がない。闇の福音の魔法の直撃に耐えられるという自信はリュウにはない。

 

 最も良いのは避ける事だが……エヴァンジェリンは残念ながらリュウより一枚も二枚も上手だ。読まれて見切られるのは当然として、回避先にあの呪文をぶつけられでもしたら、そこで終わってしまう。もちろんエヴァンジェリンは、ほぼ手加減などしないだろう。

 

「……」

 

 エヴァンジェリンが詠唱している間に幾つもの考えを巡らせた末、リュウは奥の手を使う事にした。あまり取りたくない手段だが、そうも言っていられない。せめて有効打を一発でも入れるには、これしかないからだ。リュウは自分の中に意識を向けた。足元から火柱のようなオーラが吹き上げ、その様子にエヴァンジェリンがさらに笑みを深くする。

 

「ようやく本気か! 龍の民の力とやら、見させてもらうぞ!」

 

 空には渦巻く強大な魔力。地には立ち昇る力強い龍の力。リュウの変身とエヴァンジェリン呪文の発射は、ほぼ同時であった。

 

「【闇の吹雪】!」

「ウオオオオオ!」

 

 呪文が放たれ、オーラが弾け飛びドラゴナイズドフォームが顕わになる。変身したリュウの目前に迫る、強大な闇のビーム。

 

「んっ!」

 

 リュウは両腕に力を込めて前に突き出し、高速で迫る闇の吹雪を、何と真正面から受け止めた。不安定な砂の足場に、威力で押され足がめり込んでいく。

 

「う……お……おおあああ!」

 

 バヂィッと電撃のような音を立て、リュウは自分への直撃コースを取っていた闇の吹雪の軌道を、力づくで逸らした。向かう方向を変えられた闇の吹雪はそのままいずこかへ飛んでいき……少しして、遠方から爆発音が響き渡った。

 

「……?」

 

 違和感がある。やはり前にシュークの工場で変身した時と同様、リュウは気分が妙に高揚していた。一体何故こんな事が起こるようになったのか。原因がよくわからないが、今はまず目の前の相手に集中しなければ。

 

「……」

 

 エヴァンジェリンは、黙ったまま静かに砂浜に降り立った。魔法に魔法をぶつけての相殺ならいざ知らず、未だかつてあんな力技で闇の吹雪を防いだ者をエヴァンジェリンは知らない。その事実だけで、姿を変えたリュウの力がわかるというもの。要するに、自分と同じ規格外。

 

「……」

「……」

 

 少しずつ、エヴァンジェリンの表情が楽しげなモノへと変わっていく。久しぶりに感じる、実力のわからない化物を相手にした時の緊張感。自然と放つ威圧感が増大し、リュウもまた、噴き出す龍の力の威圧でそれを平然と相殺する。

 

「ふっ……遠慮はいらんようだな!」

 

 エヴァンジェリンの体を包む魔力のオーラが一層の膨れ上がりを見せる。そしてその手から伸びていく光。キキキと耳障りな音を出すそれは、固体・液体を蒸発させる相転移のエネルギー。

 

「はっ!」

「っ!」

 

 生やした光の剣を携え、エヴァンジェリンが先程までとは比べ物にならないスピードで飛び掛かる。対するリュウも龍の力を腕に込め、背中に輝くバーニア全開で飛び出す。ここからは、まさしく化物同士。吸血鬼の真祖と龍の民によるガチバトルの勃発だ。

 

「『断罪の剣』!」

「ヴィールヒ!」

 

 衝突する刃と爪。互いに渾身の一撃同士が、激しくその力を叩き付け合う。ギリギリで届かない、行き所のない威力が衝撃となり、周囲の砂を吹き飛ばし海水を蒸発させていく。

 

「……っ!」

「ぐっ……!」

 

 拮抗するかに思われたが、押されだしたのはエヴァンジェリンだ。変身したリュウの方が、純粋な力では強いらしい。ならば引く理由はない。ここは一気に行くべきだと、リュウはさらに力を込める。

 

「うおおあぁっ!」

「っ!」

 

 キィンと、まるで金属を叩き折ったような澄んだ音が鳴った。リュウの爪はエヴァンジェリンの光の剣を砕き折ったのだ。一瞬だが、呆けた顔をするエヴァンジェリン。

 

「ちぃっ!」

 

 剣を砕いた勢いのまま、リュウは反対の爪をエヴァンジェリンの胴体に叩きつける。だが薙ぎ払う寸前で、エヴァンジェリンは上に回避。舞ったのは、衣服の一部。切れ端だけだ。

 

「まだぁっ!」

「!」

 

 しかしリュウは止まらない。今こそ好機とばかりにバーニアを噴かせ、上に逃げたエヴァンジェリンを追撃する。息つく暇も与えず、一気に攻める。

 

「おおあっ!」

「! ……くっ……!」

 

 それまでとはうって変わり、攻勢になったのはリュウだ。ドラゴナイズドフォームとなった今、拳と蹴り、そして爪。威力速度共にそれまでのリュウの比ではなくなっている。例えエヴァンジェリンが柔軟に防御しようと、その上からお構いなしに攻撃を叩きつけるのだ。一見すると愚策に思えるが、それは正解だった。リュウはまだまだ、駆け引き等は上手くないのだから。強引で無理矢理な攻撃は、着実にエヴァンジェリンを捉え、ダメージを与えている。

 

「この……ガキがっ! 調子に乗るなぁ!」

 

 リュウの攻撃はエヴァンジェリンから見れば、まさしく荒削りの一言だ。がむしゃらなのは嫌いではないが、勢いに乗せると怖いという事もよく知っている。だから、ここで流れを断つのが定石というやつだ。攻撃を捌きながらも、エヴァンジェリンは頭上に向かって魔力を解き放つ。出現したのは巨大な氷塊。

 

「『氷神の戦槌』!」

「!!」

 

 無詠唱で発生した圧倒的な質量は、リュウを押し潰そうと圧し掛かってくる。砕いても氷の礫が邪魔になり、その動作自体が隙になるだろう。避ければそれは距離を置く事を意味し、仕切り直しとなってしまう。だから、リュウも唱えた。自分にしか使えない、魔法を。

 

「パドラーム!」

 

 足元の地面が赤く光り、そこから業火が吹き上げる。上から落ちてくる氷塊に対し、自らの真横に出現する巨大な火柱。魔法勝負の勝敗は文字通り、火を見るよりも明らかだった。

 

「!」

 

 エヴァンジェリンの目の前で、氷塊はリュウにぶつかるよりも早く火柱によって焼かれた。跡形も無く溶け落ち、残る筈の水分すらも蒸発する。驚愕するエヴァンジェリン。いきなり発動した魔法が、彼女の想定外なのは当然の話だ。リュウのそれは魔力を感知させず、龍の力を消費して行使する独特の魔法なのだ。

 

「くっ……」

 

 魔法を破った事で余計な勢いを付けられる前に、再びリュウの馬鹿力攻撃に晒されるのを嫌ったエヴァンジェリンは後方に退いて、距離を置こうとする。

 

「リク・ラク……」

「っ!」

 

 それは彼女にしては、“らしくない”ミスだった。後方に引きながら、さらに呪文を唱えようとしたエヴァンジェリンの隙を突き、リュウの高速突撃からの拳が鳩尾に突き刺さった。

 

「かっ……ぁ……!?」

 

 身体をくの字に曲げ、肺から空気が絞り出される。その姿はリュウが最初に打撃を喰らった姿とほぼ同じ。まるで意趣返しだ。初めてまともな直撃を受け、苦悶の表情に顔を歪めるエヴァンジェリン。そして、普段ならそれで満足してリュウは攻撃を止めただろうが、今はそうは行かない。原因不明の気分の高揚が、もっとやれとリュウに命令する。

 

「つぁっ!」

「ッ!?」

 

 目の前に差し出されたエヴァンジェリンの顔面に、容赦なく回し蹴りを浴びせようとするリュウ。が、それ以上は彼女の矜持が許さない。蹴りは腕にガードされ、その反動を利用し、今度こそエヴァンジェリンは距離を取る事に成功した。

 

「……」

「……」

 

 睨み合う二人。エヴァンジェリンはリュウの蹴りをガードした腕を見た。血が流れている。正面からの攻防の末に、傷を付けられたのはいつ以来だろうか。エヴァンジェリンはその箇所を妖しく舐め上げながら、ニイと口元を歪ませた。

 

「これ程とはな」

 

 楽しい。表情が語るのはその一言だ。最強の魔法使いと呼ばれるようになってから今に至るまで、自分にこれだけ肉迫する奴は初めてと言っていい。エヴァンジェリンは、リュウのさらなる秘めた力を、どうしても引き出したくて堪らなくなってきていた。

 

「いいだろう。この私が、全力を持って貴様の相手をしてやる!」

「!」

 

 だから貴様も全力を出せ。声にこそ出さなかったが、リュウはその言葉が聞こえた気がした。先程よりさらに一回りも二回りも大きな魔力が、エヴァンジェリンの身体を包みこむ。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 【契約に従い、我に従え、氷の女王!】」

「!!」

 

 魔法に疎いリュウでも、今の詠唱が何かはわかった。広範囲を絶対零度で完全凍結し、あらゆる分子運動を停止させて粉々に砕く殲滅呪文。ディースも操るその魔法が、リュウに牙を向いたのだ。

 

「さぁ! この我が魔法から逃れられん事は貴様も知っていよう! 死にたくなければドラゴンになってみせろ!」

「!」

 

 それは脅迫だ。リュウが竜変身をしないならば、このまま魔法を放ち、殺すと宣言したのだ。エヴァンジェリンは相当な興奮状態にある。もしもリュウが要求を断れば、殲滅呪文は間違いなく放たれるだろう。果たしてドラゴナイズドフォームはそれに耐えられるのか。流石にリュウには分からない。

 

「……」

 

 リュウはヒュンと砂浜に着地すると、黙って胸に掛かっているドラゴンズ・ティアを外した。気分が高揚しているせいか、変身しても大丈夫だろうかという葛藤がない。むしろ、そんなに見たいなら見せてやるよと、まるでナギのような事を考える始末だ。外したアクセサリーを後方に放り、自分のさらなる奥深くへと、意識を巡らせて……凶暴な力が全身を暴れ回る感覚に襲われた。

 

「!?」

 

 それは初めて今の姿になった時のものと全く同じだった。即ち、暴走。焦りが生まれ、高揚していた気分が否応なく冷静になっていく。こんなに早く暴走状態になるなんて。何週間か前までは、ドラゴンズ・ティアを外しても少しの間大丈夫だった筈。だが、今は全く余裕がない。

 

(は、早く……!)

 

 リュウは消えそうな意識をなんとか保ち、奥底で眠る力を呼び覚ます。咄嗟とはいえ、何を使うかは決まっていた。選択には、時間は掛からない。

 

【ワンダー】巨大化

【シャープ】特徴強化

【リバース】反転

 

「でぇぇやぁぁぁあ!」

 

 吼えるリュウの頭上に紫の雷が落ち、黒い半球体がその周りに形成される。緑色に輝く紋様が浮かび上がり、バチバチと落雷の跡が周囲を取り巻いている。

 

「……。ク……ククククク。いよいよか。さて、どれ程の物か……」

 

 エヴァンジェリンは呪文を中断し、その光景を眺めていた。ようやく見る事が出来る龍の民の真骨頂。果たしてディースが言う程のものであるのかどうか。楽しみで仕方がない。

 

「……?」

 

 だが、エヴァンジェリンの笑みはすぐに怪訝な表情へと変化した。発生した黒い半球体の大きさは、リュウの身長を僅かに上回る程度の規模でしかなかったのだ。ドラゴンとは、小さくとも十メートル程度の大きさはあるはず。おかしい。エヴァンジェリンの脳裏に疑念が湧いたその時、黒い半球体にヒビが入り、砕け散った。

 

キ ュ オ オ オ オ !

 

「な……!?」

 

 エヴァンジェリンは絶句した。そこに現れたのは本当に小さなドラゴンだったからだ。咆哮は甲高く、全長はさっきまでのリュウの身長と大差ない。小さな翼が生えており、外殻は黄色。つぶらな瞳と愛らしい容姿から、子供のドラゴンであると見て差し支えない。

 

「……詰まらん。所詮はガキ、という事か」

 

 そう呟くと、エヴァンジェリンは失望の表情を浮かべた。一応ドラゴンはドラゴンだが、子供とあってはいくら何でも期待外れだ。失望は間もなく怒りに変わるだろう。そしてリュウは……エヴァンジェリンの呟きに対して憤慨の意を示した。

 

≪舐めないでください≫

「……何?」

 

 小さなドラゴンが、つぶらな瞳できゅっとエヴァンジェリンを睨みつけたその瞬間。姿が、かき消えた。

 

「!?」

≪こっち≫

「……何だと!?」

 

 声が聞こえた方向は、自分のはるか後ろ。そしてそのすぐ後に、凄まじい衝撃波が砂浜を抉った。振り返り、エヴァンジェリンは驚愕する。つまりドラゴンは、自分の目でさえ追えないスピードで動いたという事だ。まさか、目の前に居るのに見失う等という失態をやらかすとは思わなかった。

 

「……ク……フフフ……ハハハハハ! なるほど、よくわかった。前言を撤回しよう!」

 

 確かに、舐めていたらしい。己の見識の甘さを嘲り笑うエヴァンジェリン。失望の表情が消え失せ、再び浮かぶ笑み。彼女の身体を魔力が覆う。

 

 ドラゴンの名は“クイックシルバー”。巨大化の力を強化し、さらにそれを反転させることで生まれる、驚異の対弾性を誇るドラゴン。その外殻は全ての属性に耐性を持ち、いかなる攻撃も弾いてしまう程の密度を秘めている。

 

 そして最大の特徴は、その攻撃手段。クイックシルバーにブレス攻撃はない。代わりに、小さな体と強固過ぎる防御力を最大限に生かしたシンプルな攻撃方法、“突進”を得意とするのだ。その愛らしい容姿とは正反対に、物理的力強さを備えたドラゴンなのである。

 

≪行きます≫

 

 宣言後、またもドラゴンの姿がエヴァンジェリンの視界から消えた。

 

「くっ!?」

 

 文字通りの目にも止まらぬ超高速で、クイックシルバーはエヴァンジェリンのすぐ横を通過した。かろうじて直撃されなかったエヴァンジェリンだが、遅れて来る衝撃波の強大さに吹き飛ばされそうになる。凄まじい速度だ。瞬動等とは次元が違う。これは確かに、当たればどんな物体でも粉砕されるだろう。クイックシルバーが着弾したと思われる遠方の土煙りが晴れると、その中心に居る生物は、エヴァンジェリンの方に向き直った。

 

≪次は当てます≫

 

 体当たりに慣れていないのか、どうも狙いが上手くつかない。だが二回ほど突進してみて、感触は掴めた。今度はきちんと当てられる。エヴァンジェリンの頭に響いた声には、そんなリュウの自信のような物が伺えた。

 

「……フハハハハハ! いいだろう! 来てみろドラゴン!」

≪じゃあ遠慮なく!≫

 

 吸血鬼とドラゴン。今まさに異種族魔法格闘戦が全力のクライマックスを迎えようとしたその瞬間。

 

 真剣な場の空気に水を差すように、どこか間の抜けた爆発音が辺りに響き渡った。

 

≪!≫

「!」

 

 二人共、その音響の出処へと目を向ける。それはあの塔の方だった。真ん中辺りから、濛々と黒煙を吐き出している。あそこにあるのは厨房だと気付いたエヴァンジェリンは、即座に原因に思い至る。続いてリュウも、今の爆発が何なのか大体の察しを付ける。

 

≪……ディースさん……?≫

「あの馬鹿め」

 

 それは絶妙なタイミングだった。爆音は膨れ上がったテンションという名の風船に、まさしく針を一刺ししたに等しかったのだ。おかげで今、そこにあるのは真面目に戦うのも馬鹿らしく感じる白けムードである。

 

「……はっ……やめだ」

 

 エヴァンジェリンは、緊張を解いた。覆っていた魔力のオーラも消し去り、大きく息を吐き出す。

 

「あいつのせいで気が逸れた。この辺りにしておこう。貴様の実力も大体わかったしな」

≪……≫

 

 エヴァンジェリンはそう言って、スタスタとリュウの方へと歩き出す。本当にここで止めるらしい。確かに水を差された今、戦う気が無くなってしまったのも事実だ。リュウも元の姿へ戻る事にした。クイックシルバーの体が光に包まれ、元の青い髪をした少年の姿に変わる。

 

 エヴァンジェリンが戦いを止めたのには、もう一つ理由がある。もしあのまま二人が衝突していたら、どちらかもしくは二人共が、洒落にならないダメージを負っていただろうからだ。自分は不死だから問題ないが、リュウはそうはいかない。自分と拮抗するだけの強さを、ここで失うのはあまりに勿体無い。だから、冷静になったエヴァンジェリンは戦いを止めたのだった。

 

(何か俺変身し損な気が……)

 

 リュウの方は、クイックシルバーに変身したもののブレス攻撃をした訳ではないので、大した消耗もなく息が切れている程度だ。ちょっと不安だった筋肉痛などもない。懸念だった気分の高揚も元に戻り、慌ててドラゴンズ・ティアを拾いに行く。そこへ思いの他スッキリとした顔で、エヴァンジェリンが近付いてきた。

 

「貴様、さっきの闘い方は我流だな?」

「まぁ……いきなり実戦ばかりだったもので」

 

 修行時代。あの紅き翼の面子を相手にとにかく生き延びる事を最優先にした結果、出来上がったのが今のスタイルだ。今更矯正しろと言われても難しい。だがエヴァンジェリンはそれを咎めようというのではなさそうだ。ストレス発散になったのか、機嫌が良さそうである。

 

「荒削りだが気に入ったぞ。特に、あの妙な姿になった時の遠慮の無さがな」

「……すみません」

 

 いくら吸血鬼とは言え、エヴァンジェリンの見た目は幼い少女だ。その見た目に遠慮して、力を抜くというのは男なら誰もがする事だろう。しかしリュウは違った。烈火の気迫でエヴァンジェリンに攻撃を加えていたのだ。彼女はそこが、逆に気に入ったらしい。尤も、それは謎の気分の高揚現象によるものだが。

 

「貴様は中々見込みがある。どうだ? 共に悪の覇道を突き進む気はないか? 私に永遠の忠誠を誓うと言うなら、下僕にしてやらん事もないぞ?」

 

 凶悪にブラックな笑みを浮かべながら、誘いを掛けてくるエヴァンジェリン。戦う前までの態度から一転して、リュウに対する評価がガラリと変わっている。キャリア組も真っ青の出世ぶりである。“下僕”という部分に、やはりSな部分が垣間見られるワケだが。

 

「ええと……いやその……」

「フッ……まぁ今すぐに結論を出せとは言わん。まずはあそこに戻るとしよう」

 

 くいと煙を上げる塔を指差すエヴァンジェリン。思ったより評価された事が嬉しくて、上手く断れなかった優柔不断なリュウである。その後、塔へと戻った二人の前に、案の定煤けてぷすぷす煙を上げている不思議アフロなディースが倒れていた。

 

 ……華麗にスルーしたのは言うまでもない。


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