炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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第五章
1:道中


 ナギの決意を新たにし、とにかく人助けをするという目標を掲げたリュウ達「紅き翼」は、現在次の目的地を目指して移動していた。今居るのは、メガロメセンブリアからひたすら南に向かった先の荒野である。既に飛行船の運行領域外であり、道無き道を行く姿はまさに冒険者だ。

 

「そういやリュウよぉ、あのカードとあん時のドラゴンは一体何だったんだ?」

「あ、そういや説明してなかったっけ。ちょっと待って……」

 

 何故その様な辺境を紅き翼が歩いているのかと言うと、そこには悠久の風の制度というか体制が関係している。悠久の風は確かに大きな組織ではあるが、魔法世界全てを完璧に網羅しているというわけではない。

 

「よっと……この二枚のカードなんだけど、これを掲げると龍を召喚する事が出来て……何て言えばいいかな……えーと……使い魔みたいな?」

≪ほう、我を使い魔と呼ぶか。豪気なことだな≫

≪サイフィスはともかく私を使い魔ね。リュウ、ちょっと態度デカイんじゃない?≫

≪……待てラグレイアよ、我はともかく、というのはどういう事だ?≫

≪あら気に障ったかしら。風竜さんはもう少し心が広いものだと思ったのだけれど≫

≪……≫

 

 悠久の風に加盟する事による影響で、他国に直接的な内情を知られる事を嫌い、参加したがらない国もそれなりに多いのだ。そんな訳で悠久の風が関与していない国がいくつかこの先に在ると聞き、ナギの発案でそちらに行ってみよう、となったのである。

 

「あっつ! 何これ熱っつっ!? すみません調子に乗りましたごめんなさい!」

≪分かれば良い≫

≪そーそ≫

「? それって……よく見たらパクティオーカードか? あれ、お前仮契約出来ねーんじゃなかったっけ?」

 

 国境を越えようと、無断入国しようと、魔法世界では特に咎められる事はない。少なくとも今の魔法世界情勢は安定しており、小国同士による小競り合い以外の大きな争い等は皆無だからだ。その為、こうした徒歩での往来も別に珍しい事ではない。前人未到の地を目指すトレジャーハンター等は、むしろそれが基本だ。

 

「いや、俺にもよくわかんないんだけど、どうも竜の神様みたいな存在となら契約できるみたい」

「ほぇー。そうなんか」

「なるほど、それもディースさんの言っていた龍の民とやらの特性なのでしょうかねぇ」

 

 やる気に満ち溢れたナギの一声によって決められた今回の遠征。だもんで、実はこの先になんて名前の国があるのかすらリュウ達はわかっていなかった。調べる間もなく出発したという完全無欠の見切り発車だ。

 

「あ、じゃあ火山の妙な部屋でリュウが一人でぶつぶつ言ってたのは……」

「そ、だから言ったじゃん。契約するから、色々話を聞いてたって」

「むむむそうだったのか。私はてっきり本当にリュウ君の精神がやられてしまったのかと……」

「ワシも修行のせいで心を病んだかと思うたな……」

「私も気付いてないフリをしながら必死なリュウを見て笑いを堪えるのが大変で……」

 

 見知らぬ土地を行くのもそれはそれで良い経験になる。見たことのない魔物を相手にすれば多少は気も引き締まる。いつもなら下調べに余念のないアルやゼクト、詠春の年長組も、今回は全くの手探りで進もうという事になったらしい。

 

「ちょっと待って何最後の! わかってたの!?」

「当然じゃないですか。私を誰だとお思いで?」

「……」

「リュウ、アルに何言っても無駄だぞ。こいつの性格の悪さは筋金入りだぜ?」

「……うん、知ってる」

 

 と、まぁそんな訳で、日常会話をしながらも歩き、走り、出現する魔物をあっさりと薙ぎ倒し、実際のところあんまり引き締まってはいない空気の中で、リュウ達はただひたすらに歩いているのだった。

 

 そうしてさらに一日。行けども行けども対して変わり映えのしない荒野な景色を、リュウ達は進んでいた。今になってせめて地図くらいは確保しておくべきだったかと悔やんでも後の祭りだ。方位磁石すらないので、夜に星の位置を確認して進む方向を決定するという原始的なキャラバンライフ。出てくる魔物にも慣れて新鮮さが感じられなくなり、こうなるともう楽しみと言えば食事くらいしかなかった。そのような精神状態が影響してか、本日の昼食はカレーである。以前リュウが作ったカレーが思いのほか好評だったので、また作ることになったのだ。

 

「あ、ナギ馬鹿! お前細かく切りすぎだ!」

「あー? 俺にこんな細けー作業なんざ向いてねーんだよ!」

「ったくいいか? 人参やじゃがいもはほどよく一口サイズだ。たまねぎは涙対策を忘れるなよ」

「めんどくせーなぁ……」

「詠春よ、火を起したぞ」

「では後は私が……いいかナギ、カレーをおいしく作るポイントは、じっくりと弱火でたまねぎを炒める事だ。しっかり見てろよ」

「食えればどーでもいーよ……」

 

 詠春は結構料理にうるさい性格だったらしい。どうせ食うなら美味い物をという信条のもと、いつの間にか総指揮を取り、テキパキと指示を下していた。ディースの料理とは呼べぬあれを彼はどのような心境で見ていたのだろうか。

 

「ふふふ、知ってますよ詠春。あなたのような人を日本では“カレー大臣”と呼ぶそうですね?」

「カレー大臣!?」

 

 ナギとゼクトが何だか強そうな呼び名にビックリしている。アルの出所不明な怪しい日本知識に、飯盒でご飯を炊く準備をするリュウと総司令官詠春はツッコミを放棄した。

 

「ふぅむ、それはまた、そこはかとなく偉そうじゃのう」

「ああ、負けたぜ詠春。これからお前はカレー大臣だ。好きなだけ作れ」

「任せろ」

「え、乗り気!?」

 

 予想に反してノリノリな詠春に思わず突っ込んでしまった。しかしこの状況、何だかどこかで見た事があるような気が凄いするリュウである。記憶の片隅からチクチクと突っついてくるような感じだ。

 

(なんだろう……何かあったような……)

 

 そんなリュウの心配をよそに、つつがなく調理は進んでいく。具を炒め、水を投入し、くつくつと煮込んだ所でルーを割り入れる。誰でも出来る一連の作業だが、詠春は几帳面にも時計を取り出し、自らのこだわりの時間で完璧な仕上がりを求めた。生半可なカレーでは詠春の究極を求める心は止められないようだ。そしてしばらく煮込む事数十分。ちょうどご飯の方も炊き上がったところで、じっと鍋を見つめていた詠春が立ち上がった。

 

「……よし、出来たぞ! 各自好きなだけよそえ!」

 

 スパイシーな香りは程よく食欲を刺激し、大きめの具にはよーく味が染みている。そして輝くようなルーと真っ白いご飯の絶妙なコンビネーション。流石はカレー大臣。その名に恥じない見事な出来栄えである。

 

「相棒、俺っちの分も頼むぜ」

「はいはい」

「っしゃー食うぞー!」

「待てナギ! 頂きますはどうした!」

「……お前ホンットそういうのにうるせーよなー……」

 

 キャンプのように屋外で食べる食事は何故こんなにも美味しいのか。染み渡る辛さの刺激がいい感じに腹を満たしていく。さて、ここでもし仮に、そんな和やかな食事を邪魔する無粋な輩が現れたらどうだろうか。動物と同じく、普段よりも余計に気が立つのは当然だろう。だから、自然とリュウ達の間の会話が途切れた。何者かの気配が近づいていることを察知したのだ。今までの魔物のそれとは違う、明らかに人が放つ気配を。

 

「はぁーっはっはっはぁ! とうとう見つけたぞ!」

「!?」

 

 どこからともなく響き渡る野太い声。鳥か? 飛行機か? いや違う。少し離れた崖の上に、堂々と仁王立ちする人影有り。皆、ズザッとその男の姿を一瞬だけ見て……何故かすぐ目を逸らした。

 

「食事中失礼! お前達が噂に聞く紅き翼に相違ないな!」

 

 キラリと光る頭頂部! 漢に軟弱な頭髪など不要!

 上半身は裸! 真の漢の衣服とは、その鍛え上げた筋肉のみ!

 下半身はズボン! 漢といえど、社会のルールは守る紳士たれ!

 

 その顔にあるのは絶対的な自信ただ一つ。逞しきマッスルは油を塗りたくったように太陽光を照り返し、さながら1万ワットの光源のように光り輝いている! 

 

「我が名はカーン! ラ・カーン! 貴様らを叩きのめすこの名をよく覚えておくがいい! さぁ! いざ尋常に勝負!」

「……」「……」

 

 その男……否、漢は、リュウ達にビシッと指先を向けて高らかにそう宣言した。ナギ達が発する邪魔すんなこのボケオーラに全く気付いていないらしい。取り敢えずは相手にしていないナギ達だったが、その中でリュウだけは、軽く頬の筋肉が引き攣っていた。あいつカーンって言ったな。ああ、思い出した。なんかそんな名前の奴も居た気がする。しかしここまで悪い意味でインパクトのある存在だったとは。ていうか頭についてる「ラ」って何だろう。……そんなどうでもいい事が頭の中を駆け巡る。飯がまずくなるとはまさにこの事だ。

 

「なんじゃろうなあれは」

「さぁな。アル知ってるか?」

「いえ残念ながら」

「リュウ君、さっきから進んでないようだが、どうした?」

「いえちょっと、食欲が……」

 

 なんとか今見たアレをなかった事にしようと頑張るリュウ。しかしイヤに耳に障る笑い声が何故か山彦のように輪唱を繰り返し、猛烈な自己アピールを繰り返している。

 

「どうした! この俺に恐れをなしたか! フン、この腰抜け共めぇ!」

「……」

 

 スルーしようと思ったが、放っておくのもむかつく。この瞬間、リュウ達の間で光速通信も真っ青なアイコンタクト合戦が行われた。

 

 詠春行けよ。

 断る。お前が行け。

 嫌だ。アルかお師匠は。

 嫌です。

 同じく。

 リュウは?

 ムリ。

 ボッシュは?

 え、俺っち!?

 はい決定、お前な。

 

 という視線による会話の結果、ボッシュに白羽の矢が立った。この場合即座に断らなかった方が悪い。ボッシュとて、紅き翼に入ってから何もしていなかったわけではない。一応練習用の杖を持ちつつ、ちびちびと呪文を唱える真似事をしていたのだ。その修業の成果が今ここに発揮される!

 

「くっそぉこうなりゃヤケだ! やってやるぜ! ……魔法の射手・光の1矢!」

「おお、飛んだ!」

 

 ぱひゅん。練習用の杖を前足で器用に持つボッシュの放った光の矢は、あまりにも貧弱だった。当たった所で虫一匹殺せまい。ヒョロヒョロと健気に進む光の矢に、カーンは頭の血管がぶち切れそうだ。

 

「貴様ら! そんな物でこの俺に傷を付けられるとでも思うてかぁ!」

 

 舐めやがって。カーンは筋肉で弾き返してくれる、と言わんばかりの顔で仁王立ちを崩さない。ヒョロヒョロの矢は頑張って空を登り詰め、何とかカーンの顔面直撃コースを取り……だが当たる直前、力尽きたように失速した。まるでフォークボールのように、進路をカーンの下半身へと……。

 

「ハウッ!?」

「あ」

 

 カーンだけにかーん、とストライクな音が聞こえた気がした。失速した矢はあろうことか、カーンの股間に直撃。どんなに鍛え上げた漢であろうと、そこは流石に痛かった。前のめりに倒れたカーンは、ピクピクと痙攣している。

 

「……」

 

 ……苦しい戦いだった。今までにない強敵であった。ラ・カーン。君の名は忘れない。ありがとうカーン。さようならカーン。ごめんやっぱ明日にはもう忘れているだろうけど。そんなわけで、そそくさと食器などを片付けたリュウ達は、何事もなかったかのように出発して旅を続けるのであった。

 

「……おのれ……卑怯なり紅き翼……だが……俺は負けん。負けんぞぉ……!!」

 

 という不敵な笑い声を、聞こえなかった事にして。

 

 

 

 

「うーし、この辺でちょっと休憩すっか。ちょっくら危ねーのがいねーか偵察してくるぜ」

「やれやれ。年寄りに長旅はキツイのぅ」

「ゼクトさんそれ本気で言ってます?」

「まぁまぁリュウ。ゼクトは老人なんですからもっと労わらないと」

 

 翌日、未だにリュウ達は歩き続けていた。荒野は抜けたらしく、今は草原と森が半々で点在するような風景である。休んでいる時に狙われては如何なリュウ達とは言え非常にめんどい事になるので、周囲に危険な魔物がいないかどうか見てくるのは基本だ。

 

「リュウ! 近くに川があったぜ! 見に行かねーか?」

「……川?」

 

 戻ってきてすぐそう報告し、面白いもの見つけたと年相応に笑うナギ。同年代はリュウしかいないので、要は一緒に遊ぼうぜ、という意味である。無邪気なその言葉を聞いたリュウは、何やら妙な反応を示した。

 

(川……だと……)

「結構広いみたいだぜ。あっちだ」

「……」

 

 俺っちも、と暇そうにしてたボッシュを肩に乗せ、リュウは何故か無言でナギの案内に付いて行った。

 

「おお、こいつぁ広ぇなぁ」

「うひょーつめてぇ! よーし、詠春達も呼んで来ようぜ!」

 

 足だけ水に浸かってバシャバシャとはしゃぐナギ。ボッシュの言うとおり、今リュウの目の前には広大な川が流れていた。透明度は底まで見渡せるほどで、所々に中州があり、少し上流に目を向けると小さな滝のようになっている。魔法世界だけあって見た事もないような魚が泳いでいて、中々の景観だ。

 

「……く……ふふ……うふふふふふ」

「おいリュウ、どうした?」

「相棒?」

 

 ニタァ、と未だかつて見た事のない悪そうな笑みをリュウは浮かべた。目の前には大きな川、そして優雅に泳ぐ魚達。こんな好機を見逃すなど、THE FISHの称号を持つ(自称)人間がしていいのか? いや、良い訳がない!

 

「出でよ! Myロッドォォォ!」

「!?」

 

 パチィッと指を鳴らして天高く右手を掲げるリュウ。するとその手には光り輝く……というのは誇張だが、とにかくそこにはドラゴンズ・ティアからヒュパッと出した……釣り竿が、握られていた。

 

「うお、なんだぁ!?」

「あ、相棒何を……」

「ひゃっほーーーー!」

 

 リュウは釣りが好きである。

 インドア系統ばかりな中で唯一のアウトドアな趣味なのだ。今の状況になってからは腕を振るう暇がなかったので何とか抑え込んでいたが、こうもあからさまに釣って下さいと言わんばかりの魚達が目の前に居たのでは、釣るしかない。いやむしろリュウの思考回路では釣らない方が失礼に当たるだろう。そしてこんな事もあろうかと、実は京都に滞在していた時に、リュウは釣り竿を購入していた。地元の詠春に掛け合って良い釣り具屋に案内してもらっていたのだ。

 

「趣味の出費に糸目は付けぬ!」

 

 割と貧乏性な癖に、リュウはそういう事には妥協しない人間だった。金に物を言わせてそれなりに値の張る一品を手に入れていたのだ。手早くドラゴンズ・ティアからヒュパパッと針やら餌やら買っておいた釣りに必要な物を取り出すと……

 

「とうりゃっ!!」

 

 掛け声一発、中州のよさげな足場を一瞬で看破し、無駄に三回転半を決める華麗なジャンプでそこへと舞い降りるのだった。

 

「と、取り合えず詠春達呼んでくるか」

「お、おう」

 

 そんな人格まで変わったようなリュウの姿を、呆れるようにナギとボッシュが見ていたとかなんとか。

 

 

 

 

「くっはぁぁぁ、たーのしーーーーー!!」

 

 まさにスーパーハイテンション! 向う所敵無し! 魚に警戒心が無いのかの如く、川はそれはもう入れ食いであった。他に釣りをする人間など居ないのか、ちょっと餌を垂らすだけで群がるように食い付いてくる。釣りと言えばひたすら待つのも趣きがあるが、やはりバリバリ釣り上げるのが快感だ。

 

「またゲットォォォ!! ……ってあれ?」

 

 一応かなり大きめな桶を用意して居たのだが、気付けばそこは溢れんばかりにびちびちと飛び跳ねる魚達で埋まっていた。ヤマメやアユに似た魚から見たことも無い派手な色彩の魚など、文字通りの大漁だ。久しぶりに時間を忘れて没頭してしまっていたようだ。

 

「ふぃー……うん。まぁざっとこんなもんかな」

 

 一通り興奮も冷めた所で、そう言えば俺何やってたんだっけ? と現実に帰ってくる。川岸に目を向けると、そこではナギ達が暇そうに焚き火を囲んでいた。その様子を見て、リュウはやっと待たせていたっぽい事に気付いた。

 

「やっべ、しまった……」

「お、気づいたな。オラァリュウー! 取り敢えず釣った魚こっち持って来ーい!」

 

 ナギは別に怒ってるというわけではないようで、ほっとリュウはため息を着いた。ちょうど時間はお昼だし、焼き魚でも食おうという魂胆らしい。

 

「了解ー! 今行くー!!」

 

 こんだけ釣れれば文句はない。楽しかったー、とホクホク顔で竿をしまおうとした時、ふとリュウは閃いてしまった。「そういや、今ポケットに入っている小銭を餌にしたらどうなるのだろう?」と。何を言っているんだこいつは、と普通の人なら思うかもしれないが、リュウがなぜそんな事を考えたかというと、彼の昔の記憶に答えがある。その中に釣り場でコインを餌にすると、特殊な魚が釣れる、という物があるのだ。

 

(……)

 

 いやそんなまさかね、と葛藤しつつも、しかしレイやディースという存在に実際に会ったリュウだ。昔の記憶の通りに事が運んでもおかしくないと思えるだけの土壌がここにはある。魚をナギ達の下に届けてあと一回だけと断ると、まぁ物は試しにと針にコインを括り付け、ポチャンと川へ投げ入れてみるのだった。

 

 数分後。

 

「……」

 

 普通の魚は当然だが見向きもしない。後ろからは魚の焼ける匂いが漂い、いい感じに鼻をくすぐっている。コインなんて金属片で釣れるなんてやっぱ有り得ないか。ま、現実なんてそんなもんですよねーと、何の反応も見せない竿を引こうとしたその時。……クイッと、何かしらの手応えが竿を揺らした。

 

「!」

(嘘、まさか!?)

 

 高鳴る鼓動を抑えながら、リュウは慎重かつ大胆にリールを巻き上げる。食い付きは良し。抵抗は他の魚に比べて格段に弱い。段々と水中に見える魚影が大きくなるにつれて、リュウの緊張が高まっていく。薄らと、魚影が人の形を取っているように見える。そしてちょうど、影が手前1メートル程まで接近したとき……

 

「ぷっはー。いやーついパクっとやってもーたがな。まさか正規のコイン餌にするとはなぁ。してやられましたわー」

 

 そう言って、水の中から商人の格好をした魚人が頭を掻きつつ現れたのだった。ぽかーん、と釣り上げたリュウは呆気にとられた。

 

「……おいリュウ、なにソイツ?」

「ほう、魚人ですか。これは珍しい」

「わては海人やで。魚人とはちゃいますがな。改めて、マニーロ商会のマニーロってもんや、よろしゅう」

 

 頭を下げ、懐から名刺を差し出して、マニーロはにこやかに笑った。これが本場の営業スマイルというものか、とリュウは無駄に感心している。

 

「あまり美味そうには見えんのぅ」

「おう、わては煮て良し焼いて良しやけど、タタキだけは勘弁してや」

 

 ゼクトの冗談に付き合ってくれる辺り、かなりのいい人のようだ。まぁゼクトは冗談を言うタイプではないという事を彼は知らないだけだが。

 

(しかしまさか本当に釣れるとは)

 

 コインを餌に釣れるこの海人「マニーロ」は、釣った魚を貴重なアイテムと交換してくれる存在だ。普通に店を構えていたりもするが、様々な釣り場にもこうして姿を表す。

 

(マニーロって商会の名前だったんだ)

「見た所あんさん達は一見さんのようですなぁ。わてらのマニーロ商会って知ってまっか?」

「いや、全然」

 

 くるりとナギがリュウ達全員の顔を見て、みんなが知らなそうな顔をしていると判断してそう答えた。

 

「そうでっか。ほなら説明させてもらいます。うぉっほん。えー、わてらマニーロ商会は別名水場の商人(あきんど)言いましてな。魚を通貨に色んな便利なモンを取引しとりますのや」

「へー」

「……」

 

 やってる事が想像通りな事にちょっと安心するリュウである。

 

「ま、こうしてそちらの坊ちゃんに釣られてしもたのも何かの縁。良かったらそこの魚とわての商品と、何か交換しまへんか?」

「……だってさ。どうする? 釣ったのはリュウだから、お前の好きなように任せるぜ」

 

 ナギはそう言う。他のメンツを見ると全員同じ意見のようだ。ならばこの際だ。大量に釣りすぎたので腐らせてしまっては勿体無い。

 

「わかりました。じゃあ今これだけある内で、何か交換できそうな物があったら見せてくださいな」

 

そう言って、リュウは今ナギ達が焼いてるのと同じ種類の魚を数匹より分け、残りをマニーロに手渡した。

 

「よっしゃ、じゃ、すぐに見積もるんで待っとってな」

 

 受け取ったマニーロは、リュウの釣果を機嫌よく吟味し始めるのだった。

 

「いやー、こりゃうめーな」

「うむ、こうして塩のみというのも乙なものじゃな」

「はい、ボッシュ君。これでいいかい」

「お、わりぃな兄さん、わざわざほぐしてくれてよ。んむ……おほっ、こらうめぇ」

 

 魚が焦げてしまっては台無しなので、リュウを待つ事なくナギ達は食べ始めていた。釣りたての魚をその場で焼いて食う。都市暮らしではなかなか味わえない贅沢である。

 

「あちらはまだ終わりそうにないですねぇ」

 

 チラリとアルが視線を向ける先では、自分の持ってる商品のどれが交換に相応しいか真剣に考えるマニーロと、その前でずーっと待ってるリュウがいた。

 

「ふーむ……こっちは……いや待てこれの方が……」

「あの、まだですか?」

「もーちょい待っとき! 短気は損気やで坊ちゃん!」

「……」

 

 リュウの後ろではみんなが美味そうに焼き魚を頬張っている。ナギなどは既に三匹目に突入だ。釣った本人が飯に有りつけないとか理不尽にも程がある。腹も減ったし足も疲れたし、早くしろやー、とリュウが爆発寸前な所で、マニーロがくるりとリュウの方を向いた。

 

「決まったで坊ちゃん!」

「はぁ」

「坊ちゃんにはちょいと大振りかも知れんけど、ま、見た所タダモンつー訳でもやなさそうやしな」

 

 ようやくですかというリュウの気のない返事を意にも介さず、マニーロが差し出してきた物は一振りの剣だった。やや広めの刀身を持ち、魚の尾びれのような柄が特徴的なショートソードの一種だ。

 

「? これは何ていう剣なんですか?」

「通称カッツバルゲル言うてな。由来はよう知らんが、旧世界はドイツだかっちゅう国から流れてきたワザモノやで」

「カッツバルゲル! これが……!」

 

 聞き覚えがある。今持っているスクラマサクス同様、記憶の中でも出てきた武器の一つだ。実の所今リュウはちょうど新しい武器が欲しいところだった。スクラマサクスは安物だったせいか、火山で使ったテラブレイクのせいで刀身に修復不能なダメージを受けていて、刃こぼれが酷かったのだ。タダで剣を貰えるなら、まさに渡りに船というやつだ。

 

「いいんですかこんな高そうなの……他には交換できそうな物ってなかったんですか?」

「いや、実は1個だけあったんやけどな」

「? 何か問題でも?」

「実はコッチはもう予約入ってたのを忘れとってなぁ。この先のフォウ帝国が武器を欲しがっとるようやってな」

「!?」

 

 リュウが驚いたのは武器がどうのではない。さりげなく今出た国の名前。それが非常に聞き覚えのある名前だったからだ。

 

「この先に、フォウ帝国……があるんですか?」

「なんや坊ちゃん知らんのかいな。こっから西にフォウ帝国、東にウィンディア、南東にフーレンの里っちゅう国があるんやで」

「ぬぁんですと!?」

 

 まさかまさかの事態だ。そんなに聞き覚えのある国がこの先に密集してあるとは。もし悠久の風本部で先に調べていたら、これほどの感動は味わえなかっただろう。地図も持たず、ひたすら歩き続けて来たおかげで倍率ドン。さらに倍の感動である。これで次の目的地は決まったようなものだ。どっちに向かえば良いかもわかったし良い事づくめ。だがまぁ今は一旦そのことは置いておいて。

 

「なんやそないに驚いて。……ああ、坊ちゃん達は旅人さんやったか。ほな知らんのも納得やな」

「えーと、わかりました。じゃあ取り合えずその剣とこの魚は交換ってことで」

「お! おーきに。ぼっちゃん御目が高いなぁ。将来大もんになるできっと!」

 

 リップサービスも忘れないマニーロ。お客様には平身低頭、さすがは生粋の商売人だ。そしてリュウは剣を受け取った。これからの新たなメインウェポンだ。剣は長さ一メートル弱の両刃で、かなりずっしりとした重量感を与えてくれる。

 

「ほな、わてはこの辺で失礼しますわ。……あーっとそや、もしまたマニーロ商会とコンタクト取りたくなったら、これつこうてや」

「?」

 

 そう言って、リュウは金ピカのコインを渡された。コインは両面にマニーロの顔が可愛くデフォルメされた絵柄が描かれている。ご丁寧に針を括りつけられるような小さい穴が空いている。

 

「これは?」

「さっきみたいなドラクマ通貨に掛かるのは、わてのような物好きだけやで。そのコインなら、他のもんでも食いつきよるさかいな」

「え? でもいいんですか? これ貴重なんじゃ?」

 

 コインはかなりの金ピカだ。ひょっとしなくても金で出来ているのではないか? そう考えるとこんなヒョイっと貰ってしまっては恐縮してしまう。

 

「えーてえーて。まさか正規の通貨を餌にするヤツがおるとは思わへんかったからなー。一本取られてもーたし、珍しい縁ってやつの記念やな」

「……わかりました。じゃあ、ありがたく貰っておきます」

「うんうん、子供は素直なんが一番やで坊ちゃん」

 

 折角の厚意だし、ここはお言葉に甘えておこう。そんな感じでリュウはコインをしっかりとその手に握り締めた。

 

「ほな、わてはもう行きますわ。まいどー!」

 

 言うや否やマニーロは川へと飛び込み、あっという間に潜って見えなくなってしまった。中々気持ちの良い商人さんだった。世の中の店の人も、あれくらい感じの良い人ばかりだったらいいなと思いつつ、リュウは貰ったコインをためつすがめつすしながらみんなの方へ戻る、と。

 

「あれ?」

 

 既に、焚き火は消され跡形も無くなっていた。当然、焼いていた筈の魚は影も形もない。

 

「おやリュウ遅かったですねぇ。残念ですが、あなたの分まで全部食べてしまいましたよ?」

「わりぃな相棒!」

「なぁ!?」

 

 この一撃は結構ショックがでかかった。ようやくご飯かと思ったらもう全部食べちゃいましたと。酷い、なんて薄情な連中だ。そんなリュウの様子をしししと含み笑いで見ているこの二人は一体何なんだ。そんな感じでリュウが固まっていると。

 

「おめーらその辺にしとけ。リュウ、ほらよ」

「!」

 

 そう言ってナギが差し出したのは、まだ湯気の残る、串に刺さった焼き魚だった。

 

「まだあったけーから早く食っちまえ」

「ナギ、もう少し引っ張らないと面白くないじゃないですか」

「そうだぜナギっこよぉ」

「うっせーな。まーあれだ。腹減って倒れられても迷惑だからな」

 

 だーっとギャグチックに滝のような涙を流し、ナギに心の底からお礼を言うリュウ。そんな我らがリーダーのツンデレぶりと、アル&ボッシュの嫌がらせぶりに心の中で各人の株価を変動させつつ、リュウはようやくありついた焼き魚を味わうのだった。


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