炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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4:完遂

「クッ!」

 

 戦斧が振るわれ、空を切る。もう何度目の空振りか。狙ってはいる。だが瞬きする程の間に、標的はそこから消え失せていた。当たらない。ガードすらさせる事が出来ない。

 

「ふっ!」

 

 人間の子供が、先程の虎人(フーレン)より速くミクバの周囲を跳ね回る。何だこれは。あり得ない。攻撃が追いつかない。ミクバは、驚愕の渦の中にいた。

 

「せいっ!」

「ぐっ!?」

 

 スクラマサクスがすれ違いざま、紫の肌を切り裂く。リュウの瞬動と虚空瞬動を駆使した回避と攻撃の両立は、ミクバを翻弄していた。床を、天井を、時には空を蹴り、ミクバの周囲を縦横無尽に飛び回る。そしてすれ違った瞬間に、剣撃をお見舞いするのだ。それは最早小さな結界だ。リュウの動きそのものが防壁となり、ミクバをボルトで固定したように、そこに釘付けにする。一つ一つの動きは直進だが、それをこうも短く連続で繰り出されては、捉えることなど不可能に近い。ましてやリュウの背丈は、レイやガーランドと比べてはるかに小さいのだ。ミクバにとって、これ程やり辛い相手は初めてだった。

 

(行ける! こいつになら、十分通じる!)

 

 リュウは確信した。ナギ達という規格外との修行の成果が、如実に現れている。紅き翼の彼らにはこれでも普通に見切られていたが、ミクバには通用している。今の実力でも何とかなる。

 

「この、小僧がぁっ!」

「!!」

 

 豪腕が唸る。タイミング良く、リュウが着地した場所に巨大な拳が深々と突き刺さる。だが、手応えはない。砕けたのは床だけ。リュウはとっくにミクバの頭上に居る。

 

「遅いんだよぉ!」

「がぁ!?」

 

 リュウの蹴りが顔面を捉えた。気合十分の回し蹴りだ。ミクバの太い首は衝撃を吸収し、ダメージは微々たる物だが、もうこれで数発は叩き込んでいる。

 

「こ……の……餓鬼ぃ!!」

 

 屈辱以外の何物でもない。こんなガキに良いようにあしらわれるなど、プライドが許さない。ミクバは床を打ち付けた拳を開き、そして握り締める。自分の周囲、飛び回るリュウの軌跡に向けて、それを投げつけた。

 

「!? 砂利……!?」

 

 広範囲にばら撒かれた瓦礫の破片。細かい砂が目に入り、リュウの視界が遮られる。まさに数打てば当たる、だ。砕いた床の破片を広く撒けば、周囲を飛び回るリュウに当たるのは道理だ。ミクバは微笑む悪魔のように顔を歪ませる。僅かに動きが鈍った今ならば、当てられる。

 

「捉えた! 死ねィっ!」

「……!」

 

 ミクバの渾身の一撃。全力を込められた斧の一撃は、しかし、床をさらに砕いただけだった。

 

「!?」

「っぶねぇ!」

 

 リュウは紙一重で、その攻撃を避けていた。何処でもいいからと虚空瞬動で空を蹴ったのだ。着地した場所はミクバの背後。あと一瞬遅れたらヤバかったが、逆に今目の前には隙だらけの背中。ここは一撃決めるチャンスだ。剣に龍の力を込め、練習通りの型で斬りつける。

 

「ぅおりゃぁ!」

「ぐぁっ!?」

 

 大地斬(斬岩剣)。ミクバの背を鎧ごと、縦一文字に斬り裂いた。ダメージにたたらを踏んだのを見逃さない。今が一斉攻撃の絶好の好機!

 

「今です!」

「うおぉぉぉぉっ!」

「ぬうんッ!」

 

 右から突進してきたレイのナイフが、斧を持つミクバの右腕にめり込み、左からはガーランドの斧が腹部の鎧ごと中身を打ち砕く。狙い通りの即席コンビネーションが、鮮やかに決まった。

 

「ぐぁっ!? こ、この……雑魚どもがぁっ!!」

「!」

 

 痛みと怒りに顔を震わせるミクバが、斧を横薙ぎに一閃。だがリュウは伏せ、レイは射程外に引き、ガーランドは終わり際を強引に払い除けて、それをかわす。三人は再び一箇所に集まり、ミクバと対峙した。リュウ自身、大分息も上がっているし心拍数が高い。が、まだまだイケる。レイとガーランドは、この小さな強者に舌を巻いていた。自分達二人では歯が立たなかったミクバを、リュウは一人で掻き回し、さらに隙を作るという宣言通りの事をやってのけたのだ。

 

「やるねぇリュウ」

「全くだ。末恐ろしいな」

「どーも。でも、まだ気は抜けないですよ」

 

 このままいけばミクバに勝てる。レイとガーランドはそう勇気付けられてたが、リュウは何かまだ、ミクバがやらかす気がしていた。こんな簡単にいく訳がない。それが世の常だ。そして、その予感は外れなかった。……ミクバは、震えていた。もうこれ以上、こんな雑魚に付き合うつもりはない。全力で、皆殺しだ。

 

「雑魚どもがぁ…………雑魚どもがぁぁぁぁっ!!」

「!!」

 

 ミクバの腕や顔、リュウ達が傷付けた痕から流れ出ていた血が、止まった。極端な興奮状態により、血液が凝固したのだ。筋肉がさらに肥大する。目の色が黒から赤へと変わり、急激に膨れ上がる。さらに増大する威圧感。ダメージと怒りでタガが外れたのだ。

 

「がぁぁぁ!」

「!? ヤバイ! 二人とも!!」

 

 危険を予期したリュウが瞬動を発動する。声に反応したガーランドとレイも、咄嗟にその場を飛び退いて……

 

「ぬぁ……!?」「うおぉ!?」

 

 が、避けきれない。巨大な斧が、さっきまでとはまるで違う速度で振り回された。それが、三回。レイが一発、ガーランドが二発。それぞれ武器を盾に直撃は免れたものの、威力に弾き飛ばされ壁に激突。流血が激しい。

 

「だ、大丈夫ですか!」

 

 リュウの声に二人はゆっくり頷いて答えた。ダメージが大きい。しばらく動けなそうだ。それにしても何だ今のは。がむしゃらにも程がある。こちらが積み重ねたダメージが、今のぶん回し三発のうちどれかに当たってしまえばチャラだ。イーブン以上に持ち込まれる。これがミクバの本気か。

 

(……)

 

 それに……。今の攻撃を見ていたリュウの脳裏を、自分も同じ事が出来るイメージが掠めた。剣を持つ腕に力を溜め、猛スピードでがむしゃらに振り回す。上手くすれば三発全部当てられるが、そうでなければ恐らく一発しか当てられない攻撃。今の技を記憶にあるものと照合するとしたら、技名はさしずめ「みだれうち」といったところか。意図せず、スキルとして盗んでしまったようだ。だが今はそんなことはどうでもいい。二人とは違い、横に避けたリュウからは、攻撃を終えたミクバは隙の塊にしか見えない。

 

「うおおお!」

 

さっき背中を鎧ごと斬り裂いた大地斬(斬岩剣)を、今度は斧を握る腕めがけて放つ。躊躇はない。手首から先を切り落とすつもりで振り下ろす。剣は、ガギンとまるで金属にぶつかったような音を立てて、皮膚に、弾かれた。

 

「え!?」

「小僧ぉそこかぁっ!?」

 

 鬼の形相となったミクバは、剣を弾かれた事に硬直するリュウを見逃さない。剣を弾いた丸太のような腕を力任せに振り回し、リュウの腹部に直撃させた。

 

「ぐはぅっ!?」

 

 そんなバカな。混乱するリュウ。硬く、重たい腕の威力はリュウの身体を容易く吹き飛ばし、壁を粉砕して漸く止まった。強烈な一撃を、モロに食らってしまった。今のは、マズイ。

 

「グッ……な……んで……!?」

 

 痛い。ミクバの攻撃は、修行の時に受けたどの攻撃をも上回っているようにリュウは感じた。単純な威力だけならば詠春やナギのそれに及ぶ訳ではないが、一撃一撃に込められた殺気はプレッシャーとなり、精神ごと削る。その事に加え、さっきは通った筈の剣が何故か弾かれるという不可解な出来事。直面する初めて尽くしの経験が、精神と肉体に大きく影響を与えているのだ。おぼつかない足取りで何とか立ち上がるものの、ダメージの色は濃い。

 

「今のは……もしや……」

 

 みだれうちを受けた傷を抑えつつ、何とか体勢を立て直したガーランドは、今の出来事を注意深く観察していた。ミクバの皮膚を、薄らと包む光のようなものが見える。武者修業の途中、あの光の使い手に出会った事がある。その経験からわかる。あの光が何なのか。だからこそ驚愕し、荒っぽく声を上げた。

 

「リュウ! ミクバは今「大防御」を使っている! 攻撃は通じない!」

「!」

 

(だ、大防御……!?)

 

 その単語には覚えがある。必死に記憶から引っ張り出す。「大防御」とは、発動するとあらゆる攻撃から身を守るという技だ。どんな攻撃だろうとダメージを受け付けなくなる。しかしその代償として、それ以外の行動は出来ない。つまり防御に徹し、攻撃など出来るはずがないのだ。

 

『リ、リリフ……』

 

 下級の治癒魔法で腹部のダメージを癒す。本当なら中級のアプリフを使いたいが、痛みで集中が上手くいかない。修行不足を痛感する。ミクバはレイとガーランドの方に照準を合わせたようだ。一発当てた事で、リュウの耐久力を把握したのだろう。つまりはいつでも殺せるということだ。何とか二人の方に合流したいが、瞬動は無理だ。腹部のダメージで膝が笑っている。とても踏ん張れない。ならば中級の攻撃魔法を使うかと考えるが。

 

(大防御……ってことは、魔法も効かねーのか……)

 

 大防御そのものは、自分も使えるイメージが湧いた。みだれうちと同じく盗めたようだ。だがそれゆえに、余計に今のミクバが不可解だ。自分は多分、発動したらあれ程は動けない。さっき剣を弾いたのも大防御の効果だろうが、それならば、ミクバは何故動ける。何故攻撃が出来る。

 

「ガーランドさん! 大防御って動けるの!?」

 

 リュウは謎の答えを求め、知っていると思わしきガーランドに尋ねた。大声を出すだけでも、腹から頭にズキンと痛みが走る。

 

「いや、通常ならば無理だ。無理な筈なのだ。……だがコイツは今、現に動いている。今は出来る出来ないを問答している暇はない!」

「……」

 

 その通りだ。出来るのか出来ないのかは、この際どうでもいいのだ。重要なのは、それをミクバが行えているという事実だ。だがこれはハッキリ言って最悪だ。どんな攻撃も効かない技を使いながら、尚且つ攻撃が出来たら、それは最早反則と言って良い。一方的過ぎる。

 

「グフフ……ひ弱な虎人よ、まずは貴様から血祭りにしてやろう。弟と同じ場所へ送ってやる」

「……チッ……」

 

 ミクバは、歪んだ笑みをレイに向ける。レイは、さっきのみだれうちで左腕をやられていた。ダラリと垂れ下がり、大量の血が流れている。これでは自慢のスピードも半減だ。さらには位置取りも悪い。背後が壁で下がる事も出来ない。リュウは焦った。何とか助けなければ。ガーランドはまだ動けない。攻撃魔法はミクバとレイの距離が近すぎても巻き込む可能性がある。

 

(何か手を……そうだ!)

 

 まだある。とっておきの飛び道具が。ミクバが余裕を見せ、リュウに背を向けている今がチャンスだ。スクラマサクスを握り締め呼吸を整え、龍の力を操る。ありったけを剣に込め、気迫でそれを振り抜く。

 

「食らえぇっ!!」

 

海波斬(斬空閃)。龍の力による渾身の飛ぶ斬撃。それが無防備なミクバの後頭部に向けて、一直線に飛んで行く。

 

「!」

 

 ミクバは気付いた。しかし、かわせない。ギィンと甲高い音を立てて、斬撃は後頭部に直撃する。その隙にレイは死角から何とか脱出した。際どいアシストだったが、狙い通り。これでそれなりにダメージを与えられていればもっと良かったが、流石にそれは虫の良い話だった。大防御に守られたミクバは、無傷だった。

 

「小僧ぉ……どこまでも……俺の邪魔をしたいらしいなぁ……」

 

 まさに、食事を邪魔された野獣の如き忿怒の形相だった。怒り心頭。振り向いたミクバの眼は、リュウを射殺す勢いであった。

 

(う……修業無しだったら、確実に足が竦んでたな……)

 

 リュウはさっきから心の中でナギ達に感謝しっぱなしだ。これからはもっと真面目に修行に打ち込もうと嫌でも思わされる。尤も、これからを実現するには、この防御しながら攻撃してくる反則野郎を何とかしなければならないわけだが。

 

(……)

 

 大戦斧を握り、ゆっくりと近付いてくるミクバ。大防御を打ち破るには、それを強引に打ち破るだけの圧倒的な攻撃力が必要だ。レイ、ガーランド、リュウの三人には、それだけの力は残念ながらなさそうだ。ではどうするか。答えは一つ、即ち、変身だ。

 

「死ね! 小僧ぉ!」

(みだれうち……!)

 

 大防御のままがむしゃらに斧を振るうミクバ。屋敷が半壊しようとお構い無しだ。そして、ミクバの攻撃はリュウに集中していた。これでは意識を自分の中に集中させる時間が取れない。棒立ちになったら、そのままあの世行きだ。かわし続けるしかない。

 

「くそっ!」

 

 ミクバの攻撃は執拗だった。怒りに我を忘れているのか休まる時がないのだ。思わず悪態を突くリュウ。少しでいい。時間が稼げれば。何度目か分からないみだれうちをかわしきったその時、リュウの足がカクンと折れた。瞬動の使い過ぎだ。ダメージと精神的プレッシャーにより生じてしまった一瞬の隙。ミクバは腕を振り上げた。斧が迫る。ダメだ、かわしきれない。リュウが覚悟したその時。

 

 ミクバの動きが、止まった。

 

「! ガ、ガーランドさん!?」

 

 ガーランドだ。ガーランドが己が武器である斧を投げ捨て、自由になった両腕で、後ろからミクバの斧を持つ腕を抑え付けていた。

 

「貴様ぁ、何の真似だ!」

「ぐっ……」

 

 ミクバにとって、不可解な行動だった。何故切りつけて来ない。この小僧を助けた所で何になる。無意味だ。そして何より、目障りだ。ミクバは、腕に力を込めた。しかし、断固としてガーランドは離れない。

 

「ガーランドさん! 何を!」

「リ、リュウよ……何か、策があるのだろう。長くは持たん、早く……!」

 

 ガーランドは、ミクバの攻撃を避け続けるリュウの目から、光が失われていない事に気がついていた。あれは、まだ何かを狙っている目だ。既に反撃する力のない自分が役立つには、これしかない。ガーランドは、リュウに賭けたのだ。振りほどこうとするミクバに食いついて離れない。ミクバは反対の腕を振り上げた。拳を握り、リュウへ振り下ろす。片腕使えなくとも、これで終わりだ。そう思った。だが、ミクバは忘れていた。もう一人、そこには居たことを。振り上げた拳も、何かに纏わり付かれたように動かなくなった。

 

「愉快だねぇ。俺も一口乗ったぜ、おっさん……!」

 

 レイだ。レイもガーランド同様、武器を捨てて全力でミクバの腕を抑えている。ほんのニ、三日前にあったばかりの妙な子供を、レイもガーランドも何故か信じていた。リュウが見ている何かに縋るしかないと、二人は何処かで理解していたのかもしれない。

 

「こ、この……死にぞこないどもがぁ!!」

「ぐっ!」「うぁっ!」

 

 鬱陶しい。何だこいつらは。ミクバは暴れた。たかだか小僧一匹をワザワザ庇う。それが何になるというのか。何と馬鹿でマヌケな連中だ。振り解こうとする度、二人にダメージが蓄積する。だが、二人は懸命に食らいつく。そして、その行いは無駄にはならなかった。

 

 ドンとリュウの足元から火柱の如きオーラが噴き上げた。

 

「!?」

 

 リュウは火柱の中で、この時間を稼いでくれた二人に目をやった。ありがとう。後は俺がやります、と。

 

「でぇぇやぁぁぁぁあ!!」

 

 激しい閃光が起き、オーラが弾け飛ぶ。ミクバは思わず目を細めた。何だこれは、まさかとは思うが、こいつらはこれが狙いだったのか。だが、だからどうした。今の現象が一体なんだと……そこまで考え、ミクバは言葉に詰まった。白髪、背中の突起、鋭い手甲、真っ赤な目。何よりリュウの面影の欠片もない、半人半龍の姿がそこにあった。

 

「まさか……小僧貴様も……!」

「リュウ、お前……」

 

 ミクバが巨体に変わったように。レイがワータイガーに変身したように。リュウもまた、その姿を変える力の持ち主だったのだ。そして、彼らと決定的に違うのは、その力。

 

「レイさん、ガーランドさん。離れてて下さい。……危ないから」

 

 レイとガーランドは、言葉の意味を即座に理解した。自分達の役割はここまでだと。ミクバから離れ、距離を取る。ミクバは、リュウを凝視していた。さっきまでとは別人。いや、別種族かと思わせる威圧感が放たれている。禍々しいまでの気迫はあっさりとミクバを飲み込み、放たれる雰囲気は瞬く間に場を支配していく。リュウは真っ直ぐにミクバを睨み、そしてゆっくりと指を差した。

 

「……覚悟は、いい?」

「!? 小僧が……図に乗るなぁ!!」

 

 明らかな挑発。今の今までここまでコケにされた記憶はミクバにはない。怒りに支配されたまま斧を振り上げたその刹那……リュウの体ごと体重を乗せた肘が、ミクバの無防備な腹を穿(うが)った。

 

「ご……か……ぁ……!?」

「……」

 

 血走った目が見開かれる。ポタポタと口から垂れる胃液。鎧を、大防御を、筋肉を内臓を貫き通すドラゴナイズドフォームの一撃。何だ。馬鹿な。今何をされた? ミクバは考えが纏まらない。一歩、ニ歩、後ずさる。そこでようやく、自分は今打撃を貰ったのだと理解した。リュウは攻撃の手を緩めない。

 

「……っ!」

「ぐぶ……っ!?」

 

 ミクバの顔の高さに飛び上がったリュウは、顔面を力任せに殴り付けた。頬骨が砕けて脳が揺れ、巨体が浮く。ミクバの四分の一以下程度の大きさしかないリュウが、力だけでミクバを吹き飛ばしたのだ。仰向けに倒れ込むミクバは、首から上が無くなった様な錯覚を覚えた。あり得ない。何だこの力は。大防御などまるで意味が無い。

 

「……」「……」

 

 レイとガーランドは、呆然とその光景を見ていた。たった二発で、あの苦戦したミクバを地に這い蹲らせている。立ち、見下ろすリュウと倒れるミクバ。今、目の前に居る両者の間には、途轍もなく高い壁が聳えている様に思えた。圧倒的なまでの力の差。そうとしか言えない。それ以外にその場を表す言葉はなかった。

 

「お、おのれ……おのれぇ……!!」

 

 負けるはずがない。この俺が。こんなクソ餓鬼に。ダメージによりブルブルと震える足で立ち上がり、ミクバは渾身の力を込めて、大戦斧をリュウに振り下ろした。

 

「死ね! 小僧ぉぉぉっ!」

「……」

 

 リュウは避けない。避けようともしていない。レイとガーランドの背に冷や汗が吹き出る。何をしている、避けろと声に出そうとする。リュウはスッと、左手を上にあげた。

 

「んっ!」

 

 ズシン。リュウの足が床を砕きめり込む。リュウは、斧を片手で受け止めていた。小細工は無い。ミクバがいくら力を入れようとも、斧はピクリとも動かない。あれ程苦しんだミクバのパワーを、パワーでねじ伏せる。リュウは見せつけたのだ。その差を。

 

「!? バ、バカな……」

 

 ミクバは、唖然とした。力負けしていると言うのか。この俺が。信じられない。信じたくない。

 

「んオッ!」

「がふっっ!?」

 

 飛び上がる勢いのまま、リュウの蹴り上げがミクバの顎の骨を砕く。顔が跳ね上げられ、巨体ごとサッカーボールのように弾ける。鈍い声を上げ再び倒れるミクバの体は、プライドは、ボロボロだった。

 

「ぐ……ぁ……」

 

 それでもしぶとく、ヨロヨロと立ち上がる。脚がふらつく。視界が揺れる。ミクバは、生きてきた中でこれ程の力の差を感じたことは一度もなかった。他の生物は全て自分以下であり、自分に(なぶ)られる存在でしかなかったのだ。しかし今、目の前に居る存在からは、自分が明らかにそれ以下のモノであると骨の髄まで理解させられた。強者が弱者の生殺与奪を握る。今まで自分がしてきた事を、される側に回る。それは初めて感じる震えだった。怒りではない。恐怖からくる震え。今度は自分が嬲られる番だという感覚。リュウが迫る。強者が、来る。動かない。いや、動けない。かわせるイメージなど微塵も見えない。最後のあがきさえ、ミクバは出来なかった。

 

「ヴィールヒ!」

 

 龍の力を込めた爪が一閃され、ミクバの巨体を袈裟懸けに斬り裂いた。

 

「ぐぉああぁッ!?」

 

 膝を付き血に塗れ、ミクバは沈む。徐々に巨体が縮んでいく。気が付けば、ミクバは元の男の姿に戻っていた。勝負、ありだ。

 

「……ふう」

 

 リュウは変身を解いた。もうコイツは戦闘不能だ。これ以上する気にはなれない。ここから先は、自分の仕事ではないのだ。

 

「……」

 

 リュウは自分の手を見つめた。修行のせいか、今まで以上に鬼神のような威力をドラゴナイズドフォームは発揮した。ミクバを歯牙にも掛けなかった。正直、驚いた。始めから変身していれば、苦労はしなかっただろう。だが何故だろう。心の何処かに、この力に頼りたくない自分が居る。リュウはまだ、その理由がわからなかった。まぁ今はいい。それより、目的を果たすべき人が、どうするのか気になる。

 

「レイさん」

「あ……ああ」

 

 レイとガーランドは、リュウから声を掛けられるまでずっと固まっていた。ケタ違いの強さだった。今のリュウは本当にリュウだったのか。夢でも見ている様な気さえしてくる。だが、実際にミクバはもう戦闘不能だ。

 

「コイツの処遇、どうしますか?」

 

 リュウはそう言うと、一歩引いた。レイに最後の処置を委ね、それを見守るつもりだった。

 

「……」

 

 レイは、しばらく目を閉じて何事か考えると、しっかりとミクバを見据えて、一歩踏み出した。

 

「ひ……ひぃ……」

「……」

 

 ナイフを、傷が比較的浅い右手に持つ。また一歩、近付く。

 

「お、俺を殺す気か貴様!? ば、馬鹿な真似はよせ!」

「……」

 

 氷よりも冷たい視線を向ける。ナイフを持つ手が僅かに震える。また、一歩近付く。

 

「……」

 

 リュウは、人を殺したくはない。人を殺す場面も出来れば見たくないと思っている。だが、レイの復讐を否定する気はなかった。本当に殺されたことはないが、自分がもし誰かに理不尽な理由で大事な人を殺されたとしたら、自分はきっとその犯人を恨むだろう。人殺しはいけないとか、死んだ者はそんな事望んじゃいないとか、そういう事を言う気持ちもよくわかる。だが復讐する気持ちもわかるのだ。復讐とは言わば、自分へのケジメのようなものだ。盗賊の真似事をしても、レイは人を殺さなかった。これから自分がどのような事をしようとしているかなど、百も承知なのだろう。自分がレイと同じ立場なら同じ事をするだろうと思うと、リュウは目の前の行為を否定する気も咎める気も起きなかった。

 

「……」

「ひ……か、考え直せ! お、俺を殺してどうなると言うんだ!」

 

 また一歩。レイは距離を縮めた。ミクバにさっきまでの威圧感は最早無く、そこにはただ怯えるだけの普通の男がいるに過ぎない。

 

「……」

「お、俺はこの辺り一帯の大地主だぞ! 俺を殺せば、貴様は一生逃げ続ける羽目になるんだ! そ、それでもいいのか!?」

 

 助けてくれと言えないのは、最後の最後に残ったプライドなのか。それは苦し紛れの抵抗だ。ミクバは遠回しな命乞いをしている。しかしレイには届かない。

 

「……関係ねぇよ」

 

 また、一歩。

 

「ひっ……く、来るな! 来るんじゃない!!」

 

 レイの歩みは止まらない。リュウも止めるつもりはない。ガーランドも、黙認している。

 

 一歩。もう、ミクバは目前だった。手を延ばせば届く。レイは、そこで止まった。

 

「俺ぁ、よ。この一年、空っぽだった。てめぇに復讐することだけを糧に生きてきた。そのためなら多少の犠牲も構わねぇと盗賊なんかもした。全てこの……この時の……ためだ!」

 

 余りに強く握り締めていたのだろう。ナイフを持つ手から血が滴り落ちた。目を見開き、レイはナイフを振りかぶる。しっかりと、眼下で無様に這い蹲る、ミクバの姿をその目に焼き付けながら。

 

「死ねよ」

「や、止め…………!!」

 

 それがミクバの最後の言葉。飛び散った返り血が、レイの頬を赤く染め上げる。ミクバの手から力が抜け、ゴロンと床に横たわる。終わった。俺が、この手で……。レイのナイフは、ミクバの心臓を深く深く貫いていた。

 

 

 

 

 その後、リュウ達はバケモノを倒した証拠として、ミクバの持っていた巨大な斧を拝借し、兵士達が帰ってくる前に屋敷を後にした。薄らと明けてくる空は、リュウ達の間に燻る暗い空気を晴らす事はなく、リュウ達は一言も話さず、無言で街へ戻るのだった。

 

 日が真上の辺りに来た頃、リュウとガーランドはババデルに会い、バケモノを倒した事と盗賊も片付けた事を報告した。証拠として持って帰った斧をババデルの使いの者がバケモノの持ち物だと証言し、盗賊の方はレイが商人から強奪した幾つかの道具を持って来た事で納得してもらった。元々レイは目的を達したら、奪った品は全て返すつもりだったそうだ。とにかく、それで晴れてリュウとガーランドは、報酬のニ万ドラクマを貰うのだった。

 

 リュウはそれをガーランドと半分ずつにしようと提案したが、ガーランドは

 

「それはお前のものだ。お前が居なければ、俺はただ盗賊を退治するだけだっただろうからな」

 

 と言い張り、二千ドラクマだけしか受け取りはしないのだった。散々交渉したが頑なに断るガーランドにリュウは折れ、ありがたく残りの一万八千ドラクマを頂戴した。ババデルには「紅き翼」をしつこい位に宣伝しておいたので、名を売るという目的も一応達成されただろう。その事についてはリュウはご満悦であった。そして色々と雑多な作業が済んだ頃、リュウとボッシュ、ガーランドはレイの隠れ家へと来ていた。レイはここにはもう用は無いとばかりに、荷物を纏めている。

 

「お前は、これからどうするんだ?」

 

 ガーランドがレイに訪ねる。最大の目的を達したレイは、何処か憑き物が落ちた様な表情をしている。

 

「……そうだな。旅に出ようと思う。ここにゃあもう用はねぇし。下手すっと俺ぁ、本当のお尋ね者だ」

「そうか」

 

 色々あったが、なんだかんだで、この二人が仲良くなっていて少し嬉しいリュウである。

 

「おっさんはどうするんだ?」

「俺は修行の旅の途中だ。この依頼も終えた。俺もまた修行の旅に戻るだけだ」

「そうかい。なら、途中までついてってもいいか? アテが出来るまでで構わねぇ」

「……好きにしろ」

「愉快だねぇ……んじゃまぁ、よろしく頼まぁ」

 

 レイはそう言って手を差し出した。色んな意味が込められた握手だ。ガーランドはフンと照れ隠しと取れなくもない言葉を発すると、その手に応えた。

 

「うん。いやーこれで一応一件落着ってやつですねー」

「相棒よぅ、俺っち忘れて帰ろうとした事、忘れねぇからな」

 

 実は屋敷から帰るとき、うっかりボッシュを置き去りにしそうになったリュウである。そのことは未だにボッシュにねちねち言われている。

 

「リュウよぉ、お前には世話んなったな」

「そうだな、お前のおかげで、自分の弱さと世の中の広さも知った。感謝している」

「いやあの……なんか恥ずかしいんですけど」

 

 リュウは、大した事はしていないと思っている。今回は何とかなったが、危ない場面も結構あった。改めて、自分の甘さを痛感している所だ。なのに真正面から誉められるとなると、慣れてないから正直、やめて欲しい。

 

「お前確か紅き翼(アラルブラ)所属って言ってたよな。もしかして、お前みたいなのがわんさかいるのかそのチーム」

「あー、まぁそうですね……変身はしないけど、俺より変なのが四人ほど居ますよ」

 

 今頃みんなはどうしているのだろう。こうして噂をしているのだから、一人くらいはクシャミでもしてるかもしれない。

 

「は、愉快だねぇ。お前みたいなのが四人もかよ……」

「紅き翼か。覚えておこう」

 

 レイとガーランドは何処か呆れた様子である。何かそれってちょっと失礼なんじゃね? と思うリュウだがまぁいっかと思い直した。

 

「あ、もし何かあったら是非ご連絡を。お二人からなら無料でお受けしますよ?」

 

 そう言うと、レイとガーランドは笑った。リュウは結構真面目に言ったのだが、冗談だと受け取られたようだ。そうしていると、時間が来たことをボッシュに告げられる。寄り合いのバスが到着する頃だ。それに乗って、ここを離れるのだ。

 

「さて、それじゃ、俺はそろそろ戻ろうと思います。お二人ともお元気で。またいつかどこかで」

「おめぇら無茶すんじゃねぇぞ! 達者でなぁ!」

「愉快だねぇ。お前らもな」

「次に会う時を楽しみにしているぞ」

 

 こうして、リュウとボッシュは二人に別れを告げ、一路メガロメセンブリアを目指すのだった。

 

 

 

続く


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