炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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最終話:炎の吐息と紅き翼

「人間を、なめんじゃねえぇぇえーーッ!!」

 

 “千の呪文の男(サウザンドマスター)”ナギ・スプリングフィールドの放った雷槍の一撃が、“始まりの魔法使い”を……さらにはその居城、“墓守り人の宮殿”を貫いた。轟音と共に宮殿が大きく揺れる。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 光の渦が取り巻く宮殿の最奥部で、ナギは瓦礫を背もたれにして寄りかかる。

 

 ……長かった。

 

 些細な諍いを発端とし、互いへの不信が爆発した古き民と新しき民。いつしか両者の争いは世界を巻き込む大戦争へと発展してしまった。それを何とか治めようと思い立ったあの日。新たな仲間との出会い。お尋ね者として世界から追われた日々。裏に潜む組織との戦い。それらの苦労もようやく、あと少しで終わる。

 

「……姫子ちゃんを……探さねぇと……」

 

 “完全なる世界(コズモエンテレケイア)”。ナギ達“紅き翼(アラルブラ)”が戦っていた、この戦争の黒幕。そして彼らが取り行おうとしていた魔法世界の終焉。それを成し得る鍵となっていたのがナギの言う“姫子ちゃん”だ。彼女の真の名はアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。ウェスペルタティア王国が誇る“黄昏の姫御子”であり、完全魔法無効化能力の持ち主。彼女を取り戻さなければ、この戦いは終わらない。

 

「……っ!」

 

 ボロボロの身体に鞭を打ち、立ち上がるナギ。

 次の瞬間、その眼は驚愕に見開かれた。

 

「何だ……これは……!?」

 

 気が付くと、ナギの目の前に不可思議な黒い球体が浮いていた。遠いのか近いのか、距離感が曖昧でその大小すらよく分からない。だが、一言で言えばそれは“悪”であった。この世に存在するあらゆる悪意を超越した圧倒的存在感。それは、今まで戦ってきた“完全なる世界”とは明らかに毛色の違う何かだった。

 

「くそ……!」

 

 ナギは顔を強張らせた。悪意に満ちたその球体を一目見て、間違いなく敵であると確信した。たった今全ての元凶を撃破したばかりだというのに。まさかその直後に、さらなる敵が現れるとは流石に予想外だった。

 

「へっ……いいぜ。こうなったら……とことんやってやるよ……」

 

 誰ともなくナギは呟く。皆の努力を無駄にする訳には行かない。せっかく掴みかけた平和だ。このくらいの事で諦めてたまるか。ナギは気力を振り絞り、搾りかすのような僅かな魔力で全身を強化する。だがそこで傍と気付いた。

 

「……!?」

 

 何かがおかしい。その黒い球体から、もう一つ別の力が感じ取れた。その力は魔力でも気でもない。球体が放つ悪意を塗り変えるように、内側から膨れ上がっている。その、過去に感じた事のある力に、ナギの記憶が呼び覚まされた。

 

「!! まさか……!」

 

 ……もう、何年も前になる。かつて自分達紅き翼には、今は居ない一人の少年が仲間に居た。最初は一般人だったが、彼の不思議な力に目を付けたナギ自身がスカウトし、一員に加えたのだ。戦が始まるよりも前、彼は彼の仲間達を元に戻すべく宿敵の元に赴き、そのまま行方知れずとなった。忘れもしない。今感じるこの力は、その彼の力に酷似している。

 

 刹那、黒い球体から真上に向け、強烈な光が溢れ出た。

 

「……くっ……!!」

 

 あまりの光量に直視できず、手で遮りながら目を細めるナギ。それは空を越え、大気圏を軽々と突破し、幾多の星々を砕き銀河さえもを貫き行く光の大河であった。やがて光が収まると、そこにあった筈の黒い球体は跡形も無く消え去っていた。

 

「今のは……いや、それより……!」

 

 ナギは周囲を見渡した。周りには宮殿の残骸が多数浮遊している。濃厚な魔力に浸るその中にあって、ナギは先程はなかった力の揺らぎを一つの瓦礫の上に感じ取った。霞み掛かっていて見え辛いが、何かが倒れているようなシルエットが見える。

 

 ナギは、脇目も振らずにその瓦礫へと飛び移った。

 

「!!」

 

 そこには、一人の少年が倒れていた。いや、果たしてソレを“少年”と言っていいかはわからない。髪は白く、角の様な物体が頭に見受けられ、顔には謎の文様が浮き出ている。身体はと言えば肩甲骨の辺りから赤い突起物が生えていて、両手足には赤い甲殻の様な物が付いている。少なくとも、“人間”には見えない。その明らかな人外の姿を、ナギは信じられない物を見る様な目で見ていた。

 

「リ……リュウ……? ……おい……リュウ!!」

 

 ナギはその人外の名を呼びながら、必死に揺さぶった。数年前に別れて以来、ずっと探していた。戦争が始まってからも彼の仲間達が眠る城には定期的に訪ね、そして変化がない事に落胆していた。その探し人が……かつての自分の仲間が今、目の前に居るのだ。

 

「……う……」

「リュウ!!」

 

 ナギの必死の呼びかけにより、その人外……リュウは、薄らと目を開けた。

 

「……?」

 

 リュウは、目の前に居る自分を揺り起こす人物が誰なのか、よく分からなかった。記憶が無くなったという訳ではない。ただ何だか随分ナギに似てる人が居るなぁと、寝起きの様な頭でぼんやりと思った。そして徐々に意識が覚醒しだして。

 

「あ…………俺は……ミリア……は……ッ!?」

 

 リュウはすぐに、その場から起きあがろうとした。だが出来なかった。全身に鋭い痛みが襲ってきたからだ。

 

「うあ……ッ!」

 

 立ち上がろうと手足に力を込めるだけで、ビリビリと電撃が走った様になる。満身創痍。アジーンの力を限界まで引き出した後遺症だ。何とかゆっくり上半身を起こすと、自分の腕を、足を、まじまじと見た。

 

「……」

「おい」

 

 完全に気を失っていたのに、身体はドラゴナイズドフォームのまま。これはつまり、浸食され尽くしたという事だろう。もうこの化け物の姿が、自分の“基本の姿”になってしまったのだ。試しに元に戻れと念じてみても、やはり戻る気配は全くない。

 

「……」

「……おい!」

 

 ……それは、まぁ別に良いかとリュウは思った。周囲にミリアの気配は感じられない。という事は、ミリアに恐らくは致命的なダメージを与えられたのだろう。つまり自分の我儘は達成できた。それと引き換えであるのなら、後悔は無い。けれどそうだとするなら、一つ疑問が残る。何故、この身体に今もこうして“自分”が存続しているのかという事だ。

 

「……」

「…………おい!!」

 

 約束を違えるつもりはない。そんな都合の良い話を期待する気も無い。リュウはもう、“そうなる”運命を受け入れている。今のこれがアジーンの情けから来るロスタイムだとでも言うのなら、潔くそんなもんはいらねぇと突っ撥ねてやろう。そう心に決めてもう一度、あの自分とアジーンだけの空間に行こうと目を閉じた所で……

 

 ゴスッと思いっきり、リュウは誰かに頭を殴られた。

 

「!?」

「おうこらリュウてめぇ! さっきから無視してんじゃねーよこの野郎!!」

 

 そこには、頭に怒りマークを浮かべた赤毛の青年が目を吊り上げて立っていた。思わず殴られた箇所をさすろうとするが腕が痛くて動かない。リュウはその殴ってきた犯人の姿をじっと見て、改めて驚いた。

 

「……? ……もしかして……ナギ……?」

「あぁん!? てめこの数年で俺の顔忘れたとか言うんじゃねーだろーな!?」

 

 この傲岸不遜な物言い。間違いなく、ナギ・スプリングフィールドであるとリュウは確信した。そして思い出した。あのミリアの造り出した空間は、外と時間の流れを変えられていた事を。魔法世界では、既に何年もの月日が流れていたのだ。

 

「お前! 今までどこに……っていや、それよりも何で今……ってああちくしょう! 言いたい事があり過ぎんだよこの馬鹿!」

「……ごめん」

「謝ってんじゃねーよ!」

「……ごめん」

 

 血を流して傷だらけのまま捲くし立てるナギ。だがそこに浮かんでいるのはくしゃくしゃの笑顔だ。リュウと再開した事で、当時の気持ちを思い出したのか実年齢より若干幼くも見える。少し前まで世界の崩壊を止めようと奮闘していた最強の魔法使いとは、とても思えない顔だった。そしてやっと今自分がどういう場所に居るのかに思考が移ったリュウは、周りをキョロキョロと見渡してからナギに問いかけた。

 

「ここは……?」

「……。墓守り人の宮殿。ウェスペルタティア王国の首都、オスティアの最探部だ」

 

 ミリアと戦った、あのエデンがあった場所は、ちょうどこの真下だった筈。恐らく、あの戦いの影響でここに来てしまったのだろう。リュウが何とか現状を理解したところで、ナギは立ち上がった。

 

「お前の事はホンットに色々聞きてぇけど……今は後だ。それより、急がなけりゃならねぇ事がある」

 

 長年行方不明だったリュウと会えた事は嬉しいが、今の目的を見失っては元も子もない。アスナ姫を探し出し、魔法世界の終焉を止める。それがナギ達にとって、今やらなければならない最優先事項。キッ、と鋭く先を見据えるナギを見て、リュウは……

 

「何か……ナギ随分でっかくなったね……」

「お前な……」

 

 ……そんなちょっと間の抜けた感想を口にした。リュウからすると、ナギと最後に会ってから一週間も経っていない。その筈なのに、ナギはもうリュウよりずっと背が高くなり、大人びているのだ。浦島太郎はこういう気持ちだったのだろうかと、心に若干の余裕を取り戻したリュウである。

 

「とにかく、あっちに行けばアル達が居る。俺は姫子ちゃんを探しに行くから、お前はみんなと合流して……」

 

 しかし、そのナギの言葉は最後まで言えなかった。突如として、大気を振わせる魔力の波動が辺りに渦巻いたのだ。同時にナギが向かおうとした方向に謎の光の玉が発生し、それは急速に拡大し始める。世界最強である筈の“千の呪文の男(サウザンドマスター)”は、顔色を変えた。

 

「!? ……あいつら、もう儀式を終えてやがったのか!!」

 

 ナギは咄嗟にアルとのパクティオーカードを取り出し、額に当てた。

 

「何ですって!? 儀式を!? では、このままでは……ッ!」

 

 そこは墓守り人の宮殿の外壁部分。紅き翼が“始まりの魔法使い”の攻撃を受け、半壊状態となった場所。アルはナギからの念話を受けて、この異常事態が何であるのかを理解していた。

 

「おいおい何だよこの光球は!? ドンドンでかくなってるぞ!!」

 

 いつの間にか紅き翼の一員になっていた流離の傭兵剣士、ジャック・ラカン。その横には寝かせられたサムライマスター、青山詠春。両者共大怪我を負い、ラカンに至っては両腕が消失している。魔法世界最強の戦闘集団“紅き翼”の彼らをもってしても、発動してしまった魔法世界を無に帰す“始まりと終わりの魔法”に対しては、最早打てる手段はなかった。

 

「こうなってしまっては、我々に出来る事は何も……っ」

 

 アルは、もう自分達ではどうしようもないという事を悟ってしまっていた。だから、そんな柄にもない言葉が口を突いて出てしまったのだ。しかし、そんなアルのセリフはその先へ続く事はなく。

 

「諦めるなアルビレオ・イマ! この愚か者が!」

 

 凛とした女性の声が紅き翼全員の耳に届いた。ウェスペルタティア王国の若き女王、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアだ。紅き翼の支援者である彼女が、メガロメセンブリアの国際戦略艦隊、さらにはヘラス帝国軍北方艦隊を引き連れてこの場に現れたのだ。魔法世界消滅の危機に、戦争を起こす程にいがみ合っていた両陣営は手を取り合い、対処する事になったのである。

 

「全艦艇光球を取り囲み抑え込め!」

 

 アリカ女王の号令を受け、多数の戦艦が三次元的な幾何学模様のように光球を取り囲み、乗り込んでいる魔導兵団が次々と反転封印術式を展開していく。統率の取れた動きは広がろうとしていた光球……魔法世界を無へと還す“始まりと終わりの魔法”を、完璧に包囲した。

 

「は……流石姫さんだぜ……」

 

 ナギは、これで終わったと思った。世界中のみんなの力で、この未曾有の危機を何とか乗り越えられそうだ。光球を抑えてしまえば、もう世界の崩壊は来ない。アスナ姫に関しても何とかなる。これで、無事に魔法世界は救われる。心の底から安堵し手近な岩に身を預け、それならとリュウの方に振り向こうとして――――

 

 

『ハハハハはははハハ!!』

 

 

 耳障りな女性の声が、宮殿全域に轟いた。それが天からの祝福の声でない事は、その場に居る誰もが即座に理解した。そしてそれは、リュウにとっては聞きたくない、聞こえる筈のない女性の声であった。声の出所は、探さずともリュウにはわかる。魔力と、悪意に満ちたそこへと目を向ける。そこは今まさに封印されようとしている光球の、直上。血に塗れ、目を覆いたくなるような姿の……女神ミリアが、そこに居た。

 

「あいつは……確か……!」

 

 ナギは思い出す。かつて一度だけ敵対した彼女の事を。名をミリアという、リュウの宿敵。リュウの仲間を水晶の柱に閉じ込めた元凶。ナギは悟った。彼女のあのボロボロの姿。そして突如として現れたリュウ。あの黒い球体。つまり、リュウは行方不明だったのではなく、今までずっと戦っていたのだと。

 

『龍の民よ! 貴様の守ろうとした物は今、無に帰す!』

 

 光球の真上に位置するミリアは、かなりの距離があるはずのリュウだけを血走った目に捉えてそう吐き捨てた。さらに血だらけの両腕を周囲に向け、波紋のように広がる波動を飛ばす。その瞬間、光球を取り囲んでいた反転封印術式の陣が……一斉に、掻き消えた。

 

「馬鹿な!? 何が起こった!?」

 

 アリカは、そのあり得ない現象に声を荒げた。自分にとって文字通り苦汁の決断であったはずの封印が。魔法世界存続の為の希望が、いきなり消えてしまったのだ。原因と思われる、光球の上の謎の女性が誰なのかもわからない。予想だにしていない事態だった。そして、すぐに思考を切り替えた。今、自分達に出来る事は何であるのか。

 

「陛下!」

「……。全艦艇に通達…………封印術式再装填! 急げ!」

「!? しかし……!!」

「それしか、妾達に出来る手立てはない!」

 

 傍らに居る紅き翼の一員、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグはすぐにアリカの意図を理解した。そして即、無線機に向かって声を張り上げる。恐らくあの謎の女を何とかしない限り、再装填しようと術式は意味を成さないだろう。だがアリカは信じたのだ。きっとナギが……あそこに居る紅き翼が、あの女性を何とかする筈だと。女王として、人として、最後まで諦めるわけにはいかない。

 

「なんて事……しやがる……」

 

 ナギは、再び広がり行く光球の前に立ち尽くしていた。止める方法は一つ。ミリアの手から出ているあの波動を止めさせる。それで恐らく反転術式は機能するようになるだろう。そう、たったそれだけだ。

 

「くっ……」

 

 しかし、それが難しいという事はナギ自身が一番良くわかっていた。“始まりの魔法使い”ごと宮殿を貫く雷槍を放った時点で、もうほとんど魔力は空っぽに近かったのだ。あそこまで飛んでいって殴るだけの力は残っていない。ましてや相手は“あの”女神だ。いくら最強無敵の“千の呪文の男(サウザンドマスター)”と嘯いても、やはり限界はある。

 

「……諦めて……たまるか……」

 

 それでも、ナギはミリアの元へ向かおうとした。ほとんど魔力が使えないから、浮いてる残骸に飛び乗りつつ近付いていくしかない。時間的に間に合わなかろうが、最後まで諦めない。何故ならそれが、それこそが、人間だからだ。

 

「……」

 

 リュウは、“これ”が自分の役割であると今、悟った。

 “これ”は、自分がやらなければならない事であると。

 きっと自分は“このため”に、今こうしてここに居るのだと。

 リュウは、全身に響く苦痛に耐えて両の足で立ち上がり、先の方に居るボロボロの友人に向けて、声を掛けた。

 

「ナギ!」

「!」

「さい……。取り敢えず……会えて、良かった!」

「……こんな時に、何を…………!?」

 

 最後に、と言いかけて、リュウはそれを止める。ナギは、そのリュウの声にとても気になる妙な気配を感じ、振り向いた。そこには自分に向けて、とても優しく微笑むリュウの姿があった。

 

(アジーン、あと少しだけ……頼む……!)

 

 リュウは自らの内側、アジーンに向けてそう声を掛けた。さっきは潔くなんて言ったが、今はまだ“自分”があるうちで良かったと思う。アジーンに全てを返す前にナギに会えて、本当に良かったと思う。それに今からやる事は、やはり最後まで自分の意思で行いたいから。

 

(……?)

 

 リュウは、微かに違和感を覚えた。いくら自分の中に問いかけても、アジーンが答えてくれない。……いや、違う。アジーンが“居ない”のだ。そう言えばドラゴナイズドフォームであるのに、自分が消えていくという不安感すらも全く無くなっている。これは一体、どういう事なのだろう。思考の海に浸りそうになったが、直面している事態を思い直してリュウは、通い慣れた己の内に意識を向けた。

 

【フレイム】炎

【プロテクト】防御

 

 やはり相当消耗しているのだろう。たった二つの竜因子(ジーン)しか、扱えそうもない。だが今は、それで十分だ。血走った目を向けてくるミリアに、リュウは覚悟を決めた視線を返す。そしてその姿を見て、ナギは気付いた。リュウが何をしようとしているのか。

 

「ま、待て……リュ……」

「でぇやぁぁぁぁ!!」

 

 リュウの咆哮が轟き、宮殿に雷光が迸る。直撃を受けたその僅か一瞬で、半人半龍だったリュウは人の心を持つ、一頭のドラゴンへと変わった。

 

「!!」

 

 ナギは、その変化の仕方が記憶の中にあるそれとは違うように思えた。以前のリュウは、雷を受けた後に黒い球体が発生していた筈。所が、今の竜変身にはそれがなかった。

 

≪……≫

 

 赤い鱗に身を包むドラゴンと化したリュウは、ミリアに目標を定め宙を舞う。リュウは、己に起きた変化に気付いていた。変身が苦にならない。むしろ、この姿が異常に馴染んでいるように感じられる。どこまでも“自分”の手足であると、何故か確信できる。

 

≪……≫

 

 薄らと、そんな気はしていた。あの時、アジーンは“託す”と言った。“さらば”とも言った。その言葉の意味が今、わかった。リュウがアジーンに侵食されていたように、あの時にアジーンは…………リュウの意思によって逆に侵食され、そして、消えたのだ。つまりリュウは、もうどんな姿になろうと完全に“リュウ”のまま。

 

≪……≫

 

 アジーンは、リュウの中に消えた。でも、何となく彼は満足していたようにリュウには思えた。むしろ最初からアジーンは、己の消滅を望んでいたのではないか。そんな気さえしてくる。それがリュウの勝手な思い込みなのか、リュウに混じったアジーンの残滓なのかは定かではない。

 

『来るか! 邪魔はさせぬぞ! 龍の民!!』

 

 向かってくるリュウに、ミリアは爬虫類のような獰猛な笑みを浮かべた。それと同時に、ミリアの周囲に浮かび上がる幾つもの魔力の塊。如何に衰弱していようと、ミリアは一片たりとも容赦はしない。浮遊する宮殿の残骸を容易く粉砕する魔力塊が、リュウに向けて放たれる。

 

≪!≫

 

 咆哮を上げるリュウ。体内の器官から炎の力を搾り出し、口から吐き出すドラゴンブレス。灼熱の火炎が迫り来る魔力塊を抱き込み、相殺する。

 

≪オオオオオッ!≫

『おのれ……ッ!』

 

 再び放たれる魔力の塊。底が見え始めている女神の魔力と尽きる事のない悪意を込められたそれが、雨霰の如くリュウへと降り注ぐ。とてもドラゴンブレスの範囲だけで相殺しきれる量ではない。

 

≪グ……ウウ……ッ!≫

 

 しかしリュウは、それを避けない。撃ち漏らした魔力塊により角が砕け、翼を負傷し、尾が半ばから千切れ飛びようとも、リュウは避けない。その目に真っ直ぐミリアを捕えて離さない。避けていては近づけないのだから。今は0.1秒すらも惜しいのだから。

 

「……」

 

 ナギは、その光景に魅入っていた。不謹慎なのはわかっている。援護すら出来ないくらいに空っぽの自分の魔力が恨めしいとさえ思う。しかし、その傷だらけのドラゴンが光に向かって舞う光景が、とても美しく見えた。それは紛れもなく、人の意思の輝きであるように見えた。絶対にこの目に焼き付けておかなければならないと、何故かナギはそう思った。

 

≪あと……少し……!≫

『小賢しいッ!』

≪!!≫

 

 それは、ブレスが途切れた一瞬の隙だった。ドラゴンブレスを吐く為に、力を蓄えねばならないほんの僅かなインターバル。その瞬間を狙い済ましたかのように……ミリアは、一際巨大な魔力塊をリュウ目掛けて発射した。

 

『終わりだ! 滅びよ龍の民!!』

 

 リュウは目を閉じなかった。まるで時間が止まったように、周りがスローモーションで見えた。頭が必死に打開策を練っているのだろう。だが、それで何か策が浮かぶかと言えば、答えはNOだった。直撃する。そう思った。だから、このタイミングで何か小さな物体が自分の背中に落ちてきて貼り付いた事には、気付かなかった。そして――――

 

≪!?≫

『何だと!?』

 

 ――――ドラゴンを貫くはずだった魔力塊は、リュウの前に突如現れた小さな魔法障壁が、相打つように弾き飛ばした。一体、何が起きた。わからないリュウの脳裏に、突然声が聞こえてくる。

 

≪よう、相棒≫

≪!!≫

 

 落ちてきたモノの正体は、リュウの相棒である不死身のフェレットだ。目の前に張られた障壁は、ボッシュが全魔力を使って張った一発限りの障壁。その一度だけで、もうボッシュは魔法の射手一発すら撃てない。リュウも、これには流石に驚いた。何でボッシュがここに居るのか。城のみんなはどうなっているのか。とにかく、聞きたい事があり過ぎる。

 

≪ボッシュ、何で……≫

≪さぁなぁ……ただ何となく、ここに来りゃ相棒に会えるような気がしてよ≫

 

 こう見えてボッシュも、一応は紅き翼の一員である。当然のようにナギ達の最終決戦に付いて来ていた。スイマー城と仲間達の事は、城の主と化しているディースとその従者的立場のマスター、そして妖精達がしっかりと守っておくから安心して行ってこいと、ボッシュの小さな背中を押したのだ。

 

 そしてボッシュは、偶然はるか上空にある戦艦の一隻に乗り込んでいた。そこから下方にリュウの姿を確認するなり、迷わずそこから飛び降りたのだった。

 

≪あいつらの事なら心配すんな。生憎あの水晶を取り除くのは無理だったが……その代わり、女神の魔力が途切れさえすりゃ、すぐに復活するようになってる≫

≪……≫

 

 一つ、リュウの懸念事項が減った。仲間が無事であり、その確実な復活の目処が立った事で、僅かに力が湧いてくる。さらなる集中力を持ってリュウは迫り来る魔力塊をドラゴンブレスで相殺し、ミリアへと近付いていく。

 

≪わかった。ボッシュ、色々ありがとう。後は何とかするから、俺から離れて≫

≪……≫

 

 だがボッシュは、そんなリュウの言葉を無視した。

 

≪? ボッシュ……?≫

≪そいつぁ無理な相談だな。俺っちは、相棒と一緒だ≫

 

 ボッシュは、リュウがこれからどうするのかわかっていた。わかっていてなお、リュウに付いていく事に決めた。久しぶりに会っても相変わらず、リュウは無茶が好きなようだ。かといって、それを止めろなんて事は言わない。相棒が決めたっていうなら、別にいい。ただ自分が居るべき場所は、やっぱり相棒の肩の上なんだとボッシュは思った。

 

≪何で……≫

≪理由か? ……そんなもんは特にねぇな。……でもそうだな。敢えて言うなら……≫

≪……≫

≪俺っちは……相棒の、相棒だからよ≫

 

 リュウは、それ以上何かを言う気にはなれなかった。たださっきは素直に言えた癖に、今は何故か口に出すのが恥ずかしくなったので、心の中で「ありがとう」とこの小さな相棒に呟いた。

 

≪じゃあ……いくよ≫

≪おうよ≫

 

 沸いてくるのは魔力じゃない。龍の力でもない。

 それは言わば“リュウの力”。

 リュウ自身の、心が生み出す力。

 数多の砲撃を掻い潜り、ミリアへと向かう一頭のドラゴン。

 

 ――――羽ばたかせるは紅き翼。

 ――――撃ち貫くは炎の吐息。

 

 その場の誰もが、息を呑む光景だった。ドラゴンの正体を知る者も、そうでない者も。ドラゴンが、魔法世界を守る為にあの謎の女性と戦っている事だけは、わかった。

 

 そして……ついにミリアの真正面へとドラゴンは到達した。

 

『……っ!』

≪……≫

 

 交わされる視線と視線。悪意と残りの魔力ほとんど全てを込めて、ミリアが鋭利な刃と化した魔力を超高速で解き放つ。それをドラゴンは、僅かに軸を逸らして致命傷のみを避けるようにかわした。刃はドラゴンの肩を抉り、片翼を根元から吹き飛ばす。

 

 間髪入れずドラゴンはその腕を伸ばし……ミリアを、捕えた。すぐにそこから動かそうとするが……抵抗するミリアは、その場から離れようとはしない。ミリアにとっても、ここは最後の一線だからだ。ならばとリュウは残る龍の力を全開にし、ミリアが周囲に向けていた波動を相殺する。

 

『何をする……この汚らわしい手を離せ! 龍の民がぁあ!!』

≪……!≫

 

 もがくミリア。掴むリュウ。いくら力を込めても、ミリアをそこから動かせない。であるならミリアの波動を直接相殺している今しか、もうチャンスはない。リュウはありったけの音量で、その空域全体に響くように叫んだ。

 

≪早く! このまま、あの封印を!!≫

 

 いきなり頭に聞こえてきた年端も行かない少年の声に、誰もが驚きを隠せなかった。今の声はあのドラゴンなのか。あの女性との関係は何なのか。どうすればいいのか。メガロ国際艦隊旗艦艦長も、北方艦隊の一隻に乗り込んでいるヘラスの姫君も、理解が追いつかない。だが只一人……アリカだけは、それがドラゴンのもたらしてくれた世界を救う最後のチャンスである事を理解していた。

 

「今じゃ! 封印術式再展開!」

「……!」

「どうした! 今しかないのだ! 早く!!」

「再装填まで、あと三十秒……かかります……!」

「!! ……く…………!!」

 

 アリカと、そしてその傍らに居るガトウは、神にも祈る気持ちで光球を見ていた。ガトウは、響いた声からあのドラゴンの正体に気が付いている。だが敢えてその事を口にはしない。ドラゴンの決意が、伝わったからだ。ただ、残り三十秒を耐えてくれと、拳を握り締めていた。

 

 光球を取り囲む戦艦上、徐々にではあるが展開する魔導兵団の手に、魔力の光が戻りつつある。ミリアは、ようやくリュウが何をしようとしているのかに気が付いた。

 

『まさか!? 血迷ったか! やめろ! 龍の民!!』

≪……≫

 

 ミリアの残り僅かな魔力で生成された弾丸が、リュウへと殺到する。強固なはずのドラゴンの鱗を容易く傷つける猛攻に晒されて、しかしリュウはミリアを離さない。波動を相殺する手を緩めない。これしか世界を守り……そして、過去から続く因縁を断ち切る方法はないと、確信していた。

 

 リュウの中には、女神の元に赴く決意をした日の、ディースとアルの話から辿りついたとある説があった。女神の力が増したから、それに対しバランスを取るように同じうつろわざるものである“リュウ”が生まれた、というアルの言った仮説。何となく、それは真実なのだろうとリュウは思う。

 

 ではもし、今ここで女神の命を完全に断ち、自分だけが生き残ったら?

 

 ……その時はきっと、いつしか再び女神が生まれ、現れるのだろう。強い光があれば、影もまた濃く現れるように。そう、自分(リュウ)が存在する限り。自分と女神は、コインの裏表なのだから。そして再び争いが生まれ、決して途切れる事のない闘争の歴史が永遠に続く。ならば、どうするべきか。

 

『離せ……離せえええ!!』

≪お前も……俺と……っ!≫

 

 リュウの出した結論。

 それは自分も消え、女神も消える事。

 

 そうすれば、この世界に延々と続く不毛な争いも無くなる。龍の民が龍の民である限りは、決して辿り着く事のなかった答え。“それ”こそが。きっと今、こうしてここに呼ばれた“自分”の役割なんだと、リュウは思った。

 

『おのれぇぇぇぇぇ……!』

 

 力の限り暴れるミリア。リュウの目的はわかった。ここに居ては封印に巻き込まれるだろう。だが、その場から動く事だけは断固としてしなかった。それは己の負けを認める事だからだ。今ここでリュウを倒す事が出来れば、周囲の術式を消し、リュウの守りたかった物全てに終わりを与える事が出来るのだから。

 

 ミリアも諦めてはいない。それがわかっているからこそ、リュウはその場で、全力で抑えつけていた。だが真の力を開放したカイザーブレスをまともに受けたミリアは、やはり相当に消耗していた。如何に魔力を飛ばそうと、リュウの、ドラゴンの強力な握力から……逃れられない。

 

『……神よ! いらっしゃるならお教え下さい! 私は……あの強大な力をどうすればよかったのです! あの龍の民を! どうすれば……!』

 

 ミリアは抵抗の最中、無意識に空を“見上げ”、神の名を叫んだ。人を愛し、しかし人を信じようとしなかった女神の慟哭が、虚しく空域に木霊する。

 

「ええい、まだか! まだなのか!!」

「もう間もなくです! 残り十秒!!」

 

 周囲の魔導兵団から感じる魔力が次第に大きくなる。

 きっともう、猶予は僅かしかない。

 誰もが固唾を呑んで見守る中。

 リュウはその僅かな時間を……掛け替えのない友人と、大事な仲間に送る事にした。

 

≪ナギ!≫

「!!」

 

 10……9……

 

≪俺の仲間の事、もう少しだけ、お願い……≫

「何言ってんだよ……何言ってんだよ! リュウ!!」

 

 ナギは、本心を言えば止めたかった。やめさせたかった。

 けれど、出来なかった。

 そうするしかないという事を、理解してしまっていたから。

 

 8……7……

 

≪他のみんなとも、色々、話したかったけど……≫

 

 6……5……

 

≪ちょっと……時間、ないから……≫

 

 4……3……

 

≪だから……≫

 

 2……1……

 

 最後に選んだ言葉は、リュウの、本当に本当に心の底からの言葉。

 その場に居る大勢の人間と、遠い地に未だ眠り続けている仲間達みんなへ。

 きっと。必ず。そんな願いの全てを、そのたった一言に込めて――――

 

 

≪……またね≫

 

 

「――――術式再展開!」

 

 瞬間、リュウとミリアごと大規模反転封印術式が再度放たれた。魔法世界に終焉を与えるはずの“始まりと終わりの魔法”は……全てを滅ぼす光球は今度こそ、光の彼方に放逐されていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……全てが終わった後には、何も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 光も。

 

 

 

 女神も。

 

 

 

 そして、リュウも。


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