炎の吐息と紅き翼   作:ゆっけ’

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9:Pure Again

「あぐ……ぅっ……!?」

 

 暗闇にリュウの呻き声が響く。ミリアは佇んだまま、その場から動いていない。

 

「な……に…………が……」

 

 ……見えなかった。ドラゴナイズドと化したリュウの目にすら捉えられぬ、何か。あり得ない速度を持ったその何かが、リュウの身体を容易く貫いたのだ。両腕。両足。さらには脇腹。貫かれた傷は決して大きくない。が、小さくもない。途端に格部位から夥しい血が流れ出す。

 

「……」

 

 痛みを堪え、ミリアを睨みつけるリュウ。ミリアは、そんなリュウを虫けらか何かのように見下ろしていた。一片の慈悲すらも、その眼差しには感じられない。腕らしき部分の羽を飛ばした。または何かの魔法を使った。今のは、そういった何らかの前動作が必要な攻撃では、断じてない。

 

 少なくともリュウは、ミリアの挙動や魔力の動きには細心の注意を払っていたのだ。回復力がはるかに増しているおかげで、身体は動く。だが自然治癒を待つ時間的猶予など、ある訳がない。次に来る“何か”を避けられなければ、それでもう自分は戦闘不能。即ち、死だ。

 

「最早、お前は一時たりとも生かしてはおかぬ」

「……っ!」

 

 ミリアの気配が僅かに荒くなる。リュウは痛みを押して、何をされたのか見極めるべく全身の感覚を研ぎ澄ませた。間髪入れず、再び“何か”がリュウへ向けて発射される。そしてリュウは、それが何であるのかをしっかりと目に焼き付けた。

 

「……っ!」

 

 ミリアの上半身と尾の境目。腹部に当たる箇所。リュウの居る位置からでは、やや下方に見えるそこから、凄まじい速度で無数の触手……としか表現できない“何か”が飛び出していた。まるで自分の腹を自分で裂き、内部の臓腑を用いているようにすら見えてしまう。神々しく妖艶なミリアの姿からは想像も付かない、おぞましい攻撃。それがリュウの身体を貫いた“何か”の正体だった。

 

「か……っ……!」

 

 見えてはいた。ギリギリで飛んでくる軌道も見切った。しかしその事と避けられるかどうかは、また別の問題だった。リュウが避けようと動いた方向に、触手らしき物体は瞬時に反応したのだ。喰らい付くようにリュウの身体を追随し、触手は再び……リュウの四肢と腹の中央を、同時に貫いた。咄嗟の防御すらも間に合わなかったが、目を狙った二本だけは、頬の深い切り傷と引き換えにかろうじて避けていた。

 

「ご……ぅ……!」

 

 血が滴る。全身の力が、開いた穴から抜け落ちていくような感覚に襲われる。だが周囲の宇宙のような暗闇は、倒れる事さえ許してくれない。リュウは、心の奥底に「今回もきっと何とかなるのではないか」と軽く思っていた部分が微かにあった。それはなまじ今までどうにかなっていた事により、生じてしまっていた小さな小さな慢心であった。

 

「……」

 

 無論、甘かった。甘過ぎた。その甘過ぎる自惚れの代償が、これだ。幾多の敵を撃破してきた切り札のドラゴナイズドフォームでさえ、全く歯が立たない。ダメージもそうだが、手も足も出ないという事実の衝撃の方が遥かに大きい。目前に迫る威圧感がそのまま死の実感となり、リュウを苛む。

 

「さようなら。龍の民」

 

 既に満身創痍のリュウに向け、ミリアは別れを宣告する。

 

「……ぐっ……!」

 

 ……これが、力の差という奴だ。気合や根性、精神論如きでは覆す事など叶わない、絶望的な隔たりという物だ。勝てる気が全くしない。先程の選択を、リュウは思わず後悔しそうにさえなる。そして自分はこのまま、何も出来ないまま終わるのか。

 

 ……嫌だ。

 

 リュウは歯を食いしばった。抗うと決めた。戦うと決めた。このままで終わっていい筈がない。この傷は罰だ。心の奥に、甘い考えを持っていた事への罰。だから、受け入れよう。そして、これ以上はさせない。リュウは決意を秘めた眼差しで、目の前に居る神を睨んだ。

 

「……っ!」

 

 それに……と、リュウは思う。何を恐れる事がある。仲間達が犠牲になったあの悪夢の痛さに比べたら、これくらいのダメージ、痛くも痒くもない。こんな程度で泣き言は言わない。言えない。リュウは、自分とミリアとの圧倒的な差を見せ付けられた事で。いとも容易く追い詰められてしまった事で…………逆に、覚悟を決めた。

 

「ザムディン……ハルフィール……!」

 

 ……使う。あの力を。星を傷付け、世界を滅ぼせるあの力を。どんな手を使ってでも、勝たなければ意味がない。制御は……してみせる。己の持つ最大の武器たる“知識”と今持てる全ての札を使って、あの力をきっと、支配下に置く……!

 

「ラグレイア……サイフィス……!」

 

 ドラゴナイズドへの変身と同時に、リュウに同化していた四枚のカード。四つの光がリュウの頭上を飛び交い、煌びやかな龍達が召喚される。ドラゴナイズドのリュウから発せられる龍の力を喰らい、四体の龍がそこに顕現した。

 

「……愚かな。そのような眷属に縋り付こうと、お前の運命は変わらぬ」

 

 ミリアは、一目で見破った。今リュウが召喚した龍達の力は、全部足した所で自分には遠く及ばないと。そして、それは純然たる事実だった。

 

「……」

 

 ミリアの言う通り、例えリュウと召喚した龍達が一斉に攻撃しても、良くてミリアに多少の傷を負わせる程度しか出来ない。そして防御という意味でも、あの触手のような攻撃を耐える程の耐久力も彼らにはない。つまり、戦局は変わらない。しかし召喚したリュウの目的は、その事とは別の所にある。

 

「……無理言って……ごめん」

≪今更何を言う≫

≪そうよ。私達とあなたの仲じゃない≫

≪こんな所でくたばんないでよ! あんたにはこれからも色んな場所に連れてって貰うんだからね!≫

≪ま、手伝ってやるから頑張れ≫

 

 快く、リュウの“策”に協力を申し出る四体の龍達。心の中で彼らに礼を述べると、リュウは体内の奥深くへと意識を巡らせた。そこである一つの竜因子(ジーン)を呼び覚まし、準備を整える。謝ったのは、もしもこの策で下手をしたら、彼らはもう二度と表に出てこられなくなるからだ。だがそれでも構わないと、彼らは言ってくれた。

 

「いくよ……!」

≪うむ≫

≪ええ≫

≪まかせて!≫

≪仕方ねぇな≫

 

【フュージョン】融合

 

「うおおおおおお!」

 

 【フュージョン】のジーン。本来は仲間の力を借り、その仲間に準拠した姿のドラゴンに形態を変化させるジーンである。だが今、リュウはその力を内ではなく大きく外に向けた。リュウから噴き出た光により、四体の龍は四色の光の玉と化して、リュウの中へと吸い込まれていく。一時的に竜召喚の力を全て自分に……文字通り“融合”させるのだ。さらに続けてリュウは二つ、体内のジーンを目覚めさせる。

 

【ライト】光

【トランス】覚醒

 

 単体で大きな力を持つこの二つのジーンも、今は触媒に過ぎない。四体の龍達と同様に、“リュウ”の意識を守る為のガードの役割を果たす。そしてリュウは、恐るべき“あの力”を目覚めさせるべく、意識をさらなる深層へと送り……

 

「うぐ……うああああ……!」

 

 リュウの意識を蝕む“あの力”。【フュージョン】と【ライト】【トランス】の使用は、この最凶の竜変身の制御の為だ。“リュウ”がソレに負ける確率を少しでも下げる為の策。あの悪夢の様に、リュウ自身が覆い尽くされないように抑え込むための策である。そしてリュウは意識を保ったまま、最も深い場所に眠るその最凶のジーンと、向き合った。

 

「い……く……ぞ……!」

「……!」

 

 リュウに危険な気配を感じ取ったミリアが、即座にその腹から触手を一斉に差し向ける。

……が、僅かな時間差で遅い。リュウから溢れ出した禍々しい力が周囲を取り巻き、その光に触れた箇所から、触手は無残に砕けていく。深層意識で、リュウはその最凶のジーンに触れて……

 

【アンフィニ】無限

 

「でえぇぇぇぇやああああ!!」

 

 叫びと呼応し、暗闇に響き渡る紫苑の雷光。リュウを包み込む漆黒の球体。あの悪夢で、世界を滅ぼす悪鬼と化した最凶の力【アンフィニ】。それを、リュウは使った。他のどの力でも、ミリアには恐らく通用しない。この力だけが、唯一の対抗手段。強烈に割り込もうとする“アイツ”の意識を抑え込み、リュウは……竜へと変わる。

 

 グ ウ ウ オ オ オ オ オ オ ! !

 

 咆哮。黒い球体が砕け散り、ソレがその全貌を現す。巨大な翼から光の羽を伸ばし、薄緑色の強固な外皮。真っ赤な二本の角を携え、その眼に灯すは理性の光。今のミリアにさえ匹敵するその巨体は、かつてあの悪夢で暴れた“暴君”などではない。リュウの強い意志の炎を全身に宿す姿はそう……“皇帝(カイザー)”。

 

 ここに全てを統べる最強の竜、“カイザードラゴン”が、降臨した。

 

≪……≫

 

 カイザードラゴンと化したリュウは、翼から吹き出る光を操り自らをミリアよりも高い位置へと上昇させた。自分が上位、ミリアは下位。絶対的強者に勝つという強い決意が、意識せずその行動を取らせたのだ。そして巨大な翼を左右に広げ、全身に満ち溢れる魔力と龍の力を口腔部へと集約させる。これまでのどの竜とも比較にならない、超絶的なエネルギーが竜の顎に収束していく。

 

「……」

 

 ミリアは、カイザードラゴンを見ていない。何故なら、神は“見上げる”などという行為をしないからだ。神が行って良いのは、“見下す”という行為のみだからだ。そう。神たる自分の上に立とうとするなど、不敬の極み。ああ何と汚らわしい。忌々しい。どこまでも薄汚い……龍の民如きが。

 

 ――――万死に値する。

 

「ォォォォォ……」

 

 龍の民は、この世にあってはならない。その細胞の一欠片すらも残さない。次の瞬間、ミリアの上半身が、開いた。……“開いた”のだ。顔から胸にかけてが、まるでそれ自体が巨大な口であるかのように。深い暗黒を覗かせる様に、“開いた”。そしてそこに、この世の全てを凌駕する魔力の光が集っていく。

 

≪これを……喰らえぇぇぇぇ!≫

 

 一際強烈なカイザードラゴンの咆哮と共に、ついに極限まで溜め込んだ力がミリアに向けて解き放たれた。龍の力と魔力を超々高密度で圧縮した最強のブレス攻撃、“カイザーブレス”。それはまさしく光の大河。如何なる生物をも超越した、全ドラゴンの頂点に立つ純粋な破壊の奔流が、神へと迫る。

 

「永遠に……消え去るがいい! 龍の民!」

 

 対するミリアの深淵なる“口”から放たれる、莫大な魔力の塊。触れたものの悉くを消滅させる、神の怒りを体現させた光の大渦。それは生きとし生けるものを絶望の淵に落とし込む、“破滅の光”。

 

 ――――両者が放たれたのは、同時。

 

≪うおおああああッ!≫

「……!!」

 

 衝突する光と光。せめぎ合う力と力。互いが互いを喰らい尽くし、貪欲なまでに呑み込もうとする。もしもここが外界であったなら、余波で地表が蒸発し、巻き添えで幾つかの大陸が消し飛んでも何らおかしくないだろう。両者は拮抗を見せたがしかし、それも長くは続かない。

 

 ……徐々に。僅かずつだが、上から放たれている光が押し気味になっていく。均衡が崩れだし、下へと向かう勢いが増していく。下へ。即ち、カイザーブレスだ。それはリュウの“策”により抑えられていた【アンフィニ】の力が、ジーンの拘束をも超えてリュウへの侵食を再開しだした事の証しだ。力を使えば使うほど、加速度的に威力は増す。……同時に、“リュウ”もまた、少しずつ失われていく。

 

≪うお……おおおおお!≫

「……っ!」

 

 一気に勝負を付けようとするリュウの気迫と共に、光の大河はさらに膨れ上がる。上からの圧力に押し負けるように、破滅の光はカイザーブレスに押されていき……遂にブレスは、ミリアの体をもその奔流の中に飲み込んた。

 

≪…………≫

 

 ブレスが止む。光が消え、どうなったのかが竜の瞳に映し出される。そこには、“ミリアだったモノ”が……かろうじて原形を留めた状態で、浮いていた。

 

≪か……勝っ……た……? 勝てた……?≫

 

 頭の部分は吹き飛び、上半身と下半身が薄皮一枚で繋がっている。翼となっていた腕も、長大な尾も力なく垂れ下がり、臓腑らしきものが所々に見えている。それは神の末路としては、あまりにも惨たらしい有様であった。

 

≪……≫

 

 倒せた。……はずなのに、リュウは妙な胸騒ぎを感じていた。一気呵成過ぎて、実感が沸かないだけなのだろうか。確かに両の瞳に映る光景は、ミリアを、神を打倒せしめたという紛れもない証拠である。だが……呆気ない。あまりにも呆気なさ過ぎる。ミリアの残骸からは、もう先程のような威圧感を全く感じないのに。それでもまだ、何かが起こるような。そんな疑問がリュウの頭から離れない。

 

 そしてそのリュウの予感は、的中した。……無残な肉塊と化していた筈のミリアの上半身が、ドクンと蠢いたのだ。

 

『……腐っても、やはり龍の民……か』

≪……!≫

 

 どこからともなく暗闇に響き渡る、ミリアの声。

 

『お前を称えよう。そしてやはり、長い時を掛けて封印を解いた私の判断は、正しかった』

≪な、何…………あれ……は……≫

 

 リュウの目が……カイザードラゴンの両の眼が、ミリアの残骸のすぐ横に浮かび上がる奇妙なモノを捕えた。それは宙をゆらゆらと漂う、人魂のような謎の物体。そしてそれを一目見たリュウは……もう一度カイザーブレスを放つべく、力を集中させだした。

 

≪オオオオオ……!≫

 

 何だかわからないが、一つ確実に言える事がある。“ソレ”は、敵だという事だ。漂う物体から放たれる“悪意”は、先程まで感じていたミリアの魔力と同規模か、それ以上。その、最早“悪意”と呼んでいいかすらわからない何かの矛先が、全て自分に向けられているのだ。

 

『これを取り込む事など、二度とない。ない筈だったのだ。……お前さえ現れなければ』

 

 出所がわからないミリアの声は、既にあの慈愛に満ちた女性の声ではなくなっている。漂う魂の様な物体は徐々にドス黒く変色していき……やがて、闇よりも暗い色をした何かに変わった。

 

『おぞましき我が心よ。……私は、お前を受け入れよう』

 

 ……ソレの正体は、心。

 ミリアが、かつて一度捨てた筈の悪しき心。

 

 龍の民という旧来の怨敵を滅ぼして以後、自身の持つ力の半分を使い身体から追い出した筈の心。二度とこの世に蘇る筈のなかった女神の……“邪心”。リュウの存在を察知してから、彼女がすぐに動かなかった理由。保険。それが、これだ。

 

 “万が一”。

 

 その為だけに。絶対に負けない為に。ミリアはその、己の心の封印を解いていたのだ。魔法世界の魔力が集中するこの地の奥に。幾重もの厳重な封印を施されていた筈のそれを。

 

 い ぃ ぃ ぃ ひ ぃ あ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ! 

 

≪!?≫

 

 邪心が、吼えた。耳にするだけで魂を削ぎ落とされてしまいそうな、悪想念の雄叫び。リュウは直感した。あれは、駄目だ。この世に解き放ってはならないものだ。この世の全ての生物の、真なる天敵であると断言できる。そしてそれ程の物が、あのミリアと一つになってしまったら……

 

『唾棄すべき我が半身よ。再び、我が元へ。今一度……龍の民を、滅すため……』

 

 ミリアの残骸が、その腕が動き、邪心を、誘う様にその手に乗せた。ゆっくりと、邪心はミリアの残骸に取り込まれていき――――

 

『お……おお……おおおおおオオオ』

 

 ミリアの身体が、再生されていく。いや違う。形が変わっていく。ミリアの邪心は封印されてもなお、魔法世界に住む全ての人々の悪意を、少しずつ少しずつ吸収していた。数え切れないほどの悪意を取り込んだ邪心は、ミリアと分離した当初よりはるかに邪悪となっていたのだ。それは今のミリアを持ってしても、その在り方を、反転させてしまうほどに。

 

『オオオ……オオオオオオ……』

 

 邪心を取り込んだミリアが変わる。尾が縮み脚が生え、翼が生え変わり、甲殻が生まれる。それは黒い、とても黒い異形の姿であった。

 

≪な……≫

 

 リュウは戦慄した。そのミリアの姿に。言うなれば、真逆。女神の逆。即ち、それはリュウと同じドラゴンの姿だった。カイザードラゴンと瓜二つと言っても過言ではない。違いはその色と、周囲に撒き散らす圧倒的な悪意。そして、力。龍の民を滅ぼしたいがあまりに、捨てたはずの邪心を再び取り込んだ女神は……皮肉にも、ミリア自身が最も忌み嫌う龍の民と同じ姿へと変わったのだ。

 

≪ウオオオオ!!≫

 

 先程とは正反対に、今度はリュウが先制のカイザーブレスを放つ。完全に変化しきる前に、今度こそ決定打を浴びせる為に。放たれた光の大河が、再びミリアの身体を飲み込んで……

 

『我は……神は、死なぬ!』

≪……!≫

 

 ……止まった。放たれた筈のカイザーブレスが。ミリアの直前で止まっている。カイザーブレスと全く同じ……いや、それ以上の黒い光を、ミリアがブレスとして放ち、リュウのブレスを押し戻しているのだ。

 

≪お……おおおおお……!!≫

 

 負けじと、リュウはさらに力を込める。しかし、先程のようには行かない。黒いドラゴンのブレスの勢いは、留まる事を知らずに増していく。その威力の増加速度は、リュウの記憶と身体を蝕む侵食の速度よりも……速い。

 

≪く、お……おおお…………!≫

 

 カイザーブレスが、徐々に押し戻される。

 とてつもなく強い力で。

 いや、そんな筈はない。

 負けられない。

 ここまで来て、負けてたまるか。

 押し返して……。

 押し返……し……

 

≪う……おお……うおあああああ!!≫

 

 リュウは……最強のはずのカイザードラゴンは、自らの放ったブレスと黒いドラゴンのブレスの光の中に飲み込まれ…………消滅した。

 

「…………」

 

 もう、そこにドラゴンの姿はない。代わりにあるのは、体から力の抜け切った青い髪の少年一人。ぽつんと。まるで物言わぬ人形のように、そこに漂っていた。

 

「…………」

 

 ……意識は、ある。だがリュウは、もう動く事さえ出来なかった。竜変身は解けてしまった。魔力も龍の力も、ほとんどをカイザーに費やしてしまった。竜召喚も、もう使えない。かろうじて使える小手先の魔法や技で、どうにかなるような相手ではない。

 

 ――――万策、尽きた。

 

「ち……く……しょ…………」

 

 恨み節すら満足に言えない。あのミリアのブレスが直撃したのに未だ命があるのは、何とか抵抗した事の結果だろうか。だがそれももう、風前の灯火というやつだ。まだリュウにしぶとく息がある事に、黒いドラゴンと化したミリアは気付き……

 

『ふ……はははははは!!』

 

 ……笑った。

 

『龍の民! 私に逆らった事を……神に逆らった事を、そこで後悔するがいい!』

 

 邪心を取り込み邪神と化したミリアは、リュウをただ殺すだけで済ませる気はなかった。リュウの希望を、光を奪い、絶望の淵に突き落とした上で、永遠に近い苦痛を与え続けた挙句、八つ裂きにする。それが、この愚かな存在に相応しい最後だと決めた。

 

『活目せよ! お前の希望は! 世界は! 間もなく朽ち果てる! 全ての命と共に!』

 

 ミリアは翼をはためかせると、周囲の空間に膨大な魔力を解き放った。背後に、魔法世界全土の風景らしき映像が浮かび上がる。

 

「……」

 

 今、ミリアは何をしたのか。リュウにはすぐにわかった。ミリアの背後に浮かぶ、外の景色を映し出しているのであろう映像。それがまるで早送りの様に高速で、日の入りと日の出が繰り返されている。

 

 ……ミリアは、この空間と外とを隔絶し、“時間”の流れを変えたのだ。

 

 それが何を意味しているのか。この空間に居るうつろわざるもの、リュウとミリア。この二人のみが時の影響を受けず、魔法世界は時間が加速し……そして最後は“完全なる世界”の計画により、全ての古き民が、命が消滅し、無に帰す。

 

 ミリアは、その一部始終をリュウに見せつけるつもりだった。何も出来ず、誰も救えず、無力感に打ちひしがれる龍の民を見たいがために。絶望に染まるリュウの顔を見たいがために。

 

「……」

 

 そして、そのミリアの意図を理解したリュウは――――

 

「あ……は……あはは……」

 

 ――――笑った。

 

「あは……ははは……」

『つまらぬ……壊れたか』

「……。違……う……ね」

『!』

「お前……の、思う通り……には……きっと……いか……ない」

 

 リュウは、笑っていた。信じているからこそ、笑った。それは絶対に起きないと、一笑に伏したのだ。ミリアの欲する崩壊は来ない。魔法世界の危機は回避される。完全なる世界の野望も阻止される。何故なら、ナギ達が……“紅き翼”が、そこには居るのだから。

 

「……世界は……消えない……そして、俺も……」

『……』

「“お前に”……は……殺され……ない……!」

 

 もう力は残っていない。

 竜召喚も使い果たし、策も尽きた。

 正直、諦めかけた。でも、思い出した。

 自分も、ナギ達の一員である事を。

 仲間達の、リーダーである事を。

 だから、諦めちゃいけない。

 そしてまだ、一つだけある。いや、あった。

 残された、たった一つの手段が。

 

『……』

 

 リュウの言葉を受けて、邪神ミリアは考えを変えた。今すぐに、リュウをこの世から消す事に決めた。

 

『……こざかしい……どこまでも神に逆らおうとするなんて……全く嘆かわしい……』

 

 黒いドラゴンの顎が開かれ、リュウへと向けられる。文字通り、塵も残らない神の裁きを龍の民に与える為に。それで、長きに渡る因縁も終わる。

 

「……」

 

 リュウは、ドラゴンズ・ティアから“それ”を取り出した。“それ”は切り札ではない。奥の手でもない。言ってみればそれは、“最後の手段”だ。だがもう、これを使うしか手は残されていない。

 

「……」

 

 リュウの手に、金色に輝く果実が乗っている。かつて神皇フォウルから渡された神の果実、“アンブローシア”だ。龍という存在が持つ力を爆発的に活性化させる効果を秘めたそれを、リュウが使えばどうなるか。きっと後戻りはできない。自分は、完全に失われるだろう。それでも、リュウはそれを使うと決めた。

 

 何故か?

 

 もしここで自分が負けたら、邪神と化したミリアは即、ナギ達と仲間達、そしてこの世界そのものすらも砕きに行くだろう。龍の民の痕跡一切をこの世から消す為に。それを止めたい。それが紅き翼の一員で、炎の吐息のリーダーたる自分の役目。

 

「……」

 

 それは嘘偽りのない本音である。

 でも……違う。それだけじゃない。

 リュウは気付いた。

 本当にしたいのは、それよりももっと単純で、もっと根本的な事であると。

 

 龍の民を、遠い過去から続く因縁を消し去ろうと力を溜めるミリアの前で、リュウは全ての力を振り絞り……その禁断の果実を、齧った。瞬間視界が暗転し、リュウは自らの潜在意識へと招かれた。

 

 

***

 

 

 ――――――――良いのだな

 

 そこは真っ暗な、潜在意識の底。先程までいた暗闇とはまた違う、“アイツ”と、自分だけの世界。

 

「……」

 

 リュウは“アイツ”の問いに応えないまま、自分の右腕を見た。【アンフィニ】を使った後遺症か、それともアンブローシアを使った影響か。右手は指先から徐々に闇へと溶けだしている。もうこれは、止められない。代わりに、正面にドラゴンの右腕が現れ始めている。自分が“アイツ”に取って代わられるという、浸食の証しだ。

 

 ――――――――お前に代わり、我が女神と戦おう

 

 右手も右足も、既に消えた左腕と左足同様闇に溶けて無くなっていく。“リュウ”が消え、アイツに成り替わる。わかっていてやった事だ。その事への後悔は無い。そう後悔なんて、あるわけない。だから、これから口にするのは、後悔の言葉じゃ、ない。

 

「……頼みが、ある」

 

 アイツは、静かに聴いている。

 

「俺は多分、もうすぐ、消える」

 

 みんなを助けたい。それもある。だがそれだけじゃない。これは我が儘だ。人間の我が儘だ。こんな都合の良い頼みを、この半身が聞いてくれるとは思えない。言わなくても、この考え自体とっくに筒抜けの筈だ。だがそれでも、リュウは気付いたその望みを、言葉にせずにはいられない。

 

「もうすぐ、この体も、力も、預かってた物、全部、返すよ。……でも」

 

 爆発的に龍という存在を活性化させ、“リュウ”が失われ完全な竜になるという神の果実。フォウルはアンブローシアをリュウに渡した時、こう言った。“人で居る事に飽いたら使え”と。ならば、リュウは飽いたのか? いや、違う。逆だ。リュウは人だから、どこまでも人であるから、アンブローシアを使ったのだ。半身に力を借りなければならない脆弱な自分だけれど、それでも。

 

「……頼む、今だけ……今、この時だけで……いい……から……!」

 

 リュウの四肢が闇に消え去り、胴体と頭だけがそこに残る。

 だがリュウは、リュウの瞳は、決して衰える事のない、強き意思と、願いを込めて。

 

 

「オマエの……全てをっ! 俺によこせ! アジーン!」

 

 

 力への渇望。

 リュウは欲した。

 自分の意思で、戦いたいと。

 自らの手で、人の誇りを守りたいと。

 記憶が消える。自分が消える。

 全ての事実を受け入れて、それは最後に残った人の意地。

 

 ミリアは人を愛している。

 けれども、ミリアは人を信じてはいなかった。

 人は全て自分の管理の元、加護の下に居れば良いと言い切った。

 悔しいじゃないか。人間を見下されて、そのままだなんて。

 龍の民? 女神? 因縁? そんなものは、関係ない。

 たから、リュウは欲した。力を。

 神を名乗り、人を見下す大馬鹿野郎を打ち倒す為の……力を。

 

「……」

 

 腕があれば、リュウはそれを伸ばしただろう。足があれば、リュウは歩み寄っただろう。消え行く“リュウ”は、自らが消えるその最後の瞬間まで、力強い眼差しを止める事はない。アジーンは……ユンナによって意図せず生み出された“龍の力の集合意識(管理システム)”は、その惨めな姿のリュウから自分と同等か、もしくはそれ以上の何かを感じ取っていた。そう。それこそが、何よりも強い人の意思。

 

「……」

 

 残る部位は顔だけ。

 口が、鼻が、眼が。

 今まさに闇に食われるその間際。

 

 ……浸食が、止まった。

 

 ――――――――いいだろう

 

 アジーンは応えた。リュウの願いに。人の意地に。リュウの失われた筈の身体が、暗闇に復元されていく。同時にアジーンの全身もまた、闇に浮かび上がる。リュウは、しっかりとアジーンと向き合った。僅かずつ、彼の意識が自分の方に流れ込んでくる。すると周囲の闇に、次第に光が差し込みだす。アジーンが支配していた空間の支配権を、リュウが握ったのだ。闇が、光で満たされていく。

 

 ――――――――我を、喰らうがいい

 

 かつてリュウは初めてドラゴナイズドに目覚めた時、アジーンに喰われた。正確に言えば取り込まれた。それはリュウの意思が脆弱だったからだ。アジーンが、その脆弱な意思の代わりを勤めようとしたのだ。それがかつての暴走の原因だ。そして、今行われるのはその逆の行為。即ちリュウが、アジーンの意思をも凌駕するという証し。

 

 ――――――――お前に、託そう。さらばだ。小さき、友よ

 

 そう声が聞こえたのを最後に、アジーンはリュウと一つになって――――

 

***

 

「うおおおあああああああ!!」

『!!』

 

 リュウの咆哮が、ミリアの空間に響いた。アンブローシアの効果により、全身の傷がみるみるうちに癒えていく。急速に膨れ上がる龍の力。再び、リュウは立ち上がる力を得た。

 

「あ……ぐ……う……ああああああ!!」

 

 強大なアジーンの力が流れ込み、自分を見失いそうになる。

 記憶が消え、心が壊されそうになる。

 それでもリュウは、忘れかけた何かを、壊れそうな心を……

 

 リュウはソレを……“絶対に離さない”。

 

 離すもんか。離してたまるか。

 リュウから溢れだした光が周囲を照らし、ミリアの支配する暗闇を白に塗り替えていく。

 

【ライト】光

【トランス】覚醒

【アンフィニ】無限

 

「があああああ!!」

 

 星の生誕の如き雷光がリュウを包み、極大の球が浮かび上がる。甲高い音と共に生成された球は内側から破壊され、中から何かが飛び出した。

 

 それは竜。

 

 皇帝の名に相応しき金色の竜であった。黄金色に光輝くカイザードラゴンと化したリュウは、再びミリアを眼下に捕えたのだ。

 

≪これが……俺の、“最後の力”……!!≫

 

 今のリュウを、人間たらしめているもの。それはリュウ自身の意思である。例えその身が化け物になろうとも、流れる血の色が赤でなくなろうとも、その身に宿るリュウの意思が人間であろうとする限り、リュウは、人間なのだ。

 

『……』

 

 邪神と化したミリアは、撒き散らす悪意をさらに上回る怒気を噴出していた。我が手によって殺される名誉を拒否しただけでは飽き足らず、あろうことか再び神たる私を見下ろすとは。

 

 ……許さない。

 ……許されない。

 

 こんな畜生にも劣る下劣な龍の民は、最早一秒たりともその存在を認めない。絶対に。絶対にだ。

 

『……いいでしょう。……私があなたを……殺して殺して殺して殺して殺してコロシテあげましょう。そして殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺し……!!』

 

 邪神ミリアは、リュウと同じ高さへと上昇した。

 あらゆる悪意を込めた瞳で、金色の龍を射抜く。

 二体の龍が、その顎を開く。

 互いの譲れぬ物を賭け、力が、魔力が、龍の力が集い、そして――――

 

 ――――放たれた。

 

≪オオオオオオオオ!!≫

『アアアアアアアア!!』

 

 金色のカイザーブレスと暗黒のカイザーブレス。

 三度激突する二つの威力は押しもせず、引きもしない。

 互いの力は……互角。

 

≪……駄目だ……これじゃ……っ!≫

 

 リュウは、決して負けていない。

 撃ち合えている。

 だがそれだけだ。

 負けない。が、勝てない。

 互角では駄目なのだ。

 

≪ぐ……!≫

 

 今放っているのは、間違いなく全身全霊を込めた全力だ。

 なのに、打ち勝てない。

 ここまでしても、駄目だというのか。

 リュウの心情が拮抗を揺るがし、少しずつ、押され出す。

 

 ――――――――何故、全力を出さぬ

≪!?≫

 

 突然、アジーンの声がリュウの頭に響いた。

 

 ――――――――お前は、我を欲した筈だ

≪……!≫

 

 その通りだ。

 リュウはアジーンを欲した。

 その結果が、今のこの力の筈だ。

 それでも、互角でしかないのだ。

 

 ――――――――我が力は、全て託した

 

 リュウは、アジーンが何を言おうとしているかわからない。

 【アンフィニ】の力なら、今は完全に制御出来ている。

 それだけでは、ないのか。

 

 ――――――――枷を、外せ。我のした事を思い出せ

 

 枷?

 一体何の事か。

 アジーンがした事。

 それは意識への侵食。

 記憶の消去。

 それらが、枷?

 

 ――――――――外せばお前は、負けぬ

≪ぐ……!≫

『消え去るが良い!! 龍の民ぃぃぃ!!』

 

 ミリアのブレスが肥大化し、リュウのブレスを押し戻していく。

 足りない。力が。どうすればいい。どうすればいいんだ。

 リュウは必死に考える。

 アジーンは記憶を消す。

 それはつまり記憶の中に、アジーンにとっての枷が存在する……?

 

≪!≫

 

 アジーンが……龍の力の集合意識が、リュウの心に語りかける。

 “ソレ”に上限など、ないのだと。

 そしてリュウは、理解した。

 “枷”とは、何であったのかを。

 

≪わかった……わかった! アジーン!!≫

 

 リュウの、アジーンの、真の力を押し込めていたその“枷”は……

 ……ついに、外れた。

 

 

【フレイム】炎

【アイス】氷

【サンダー】雷

 

≪これが……≫

『……!』

 

 突然、カイザーブレスの威力が増し始めた。

 メキメキとカイザードラゴンの姿さえもが、さらに進化していく。

 

【ダーク】闇

【ライト】光

【パワー】力

 

『何だ……この……力……!?』

≪これが……!≫

 

 カイザーブレスの勢いは増し続け、ミリアのブレスを拮抗状態へと押し戻していく。

 

 ……リュウは、組み合わせる事が出来るジーンには、限界があると思っていた。思い込んでいた。何故なら、“知識”としてそう覚えていたからだ。きっとそれ以上は使えないのだと、自分自身で決めつけていた。

 

【プロテクト】防御

【マジカル】魔力強化

【リバース】反転

 

『……ば……馬鹿な……!』

≪う……おお……おおお……!!≫

 

 しかし、それは間違いだった。ジーンの組み合わせに、限度はない。つまりリュウが最大の武器だと思っていた“記憶”こそが。知っているという“知識”こそが。アジーンの真の力を抑えつけている、最大の“枷”であったのだ。

 

【シャープ】特徴強化

【グロース】能力強化

【ワンダー】巨大化

 

 “全ての力を同時に使う”。

 それこそが、アジーンの真の力なのだ。

 無限に膨れ上がる黄金の光。

 進化を続ける黄金色の竜。

 カイザーブレスの勢いは、最早ミリアを……完全に、上回った。

 

≪お前は……ヒト()に、負けるんだ……ミリア!≫

『ほざけ! 薄汚い龍の民がァァァァ!』

 

 黒いブレスが、ミリアの力が、最後の抵抗を見せる。だがそれも、無限に膨れ上がる龍の力の前に、組み伏せられていく。力を求め、自らを龍の民と同じ姿にまでしたミリアが、それを上回る力で抑えつけられているのだ。

 

≪お前は……人間を、見下しているだけだ……!≫

『な、なんだと……!』

 

【トランス】覚醒

【???】謎

【ミューテーション】変異

 

 カイザーブレスの威力が、加速度的に増していく。

 周囲の闇に、無数の亀裂が走る。

 

≪お前に見下されるほど、人は……愚かじゃない……!≫

『こ……この私が……こんな……こんな…………!!』

 

【フュージョン】融合

【イグニス】火飛竜

【アクエリアス】水飛竜

 

 ミリアの身体が、崩れていく。

 底が見えぬと思われた悪意と魔力に身体が耐えられず、限界を超え始めたのだ。

 

≪お前の、加護を受けなければならないほど、人は……弱くなんかない……!≫

『あ……ありえぬ……この私が……神が……!』

 

【エアリアル】風騎竜

【ガイア】地巨竜

【エラー】不明

 

 最早、リュウの前に敵は居ない。

 例えそれが、神であろうと。

 

≪だから……!!≫

『こ……こんな……こん……なぁぁぁぁぁ』

 

【アンフィニ】無限

 

人間(俺達)を……舐めるなァァァァ!!≫

『あ……ああああああああああああああ!!』

 

 

 神すら凌ぐ威力と化したカイザーブレスが、

 空間を、黒い龍を、ミリアの全てを撃ち砕いて――――

 

 

 

 ――――そして……光が、満ちた。


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