刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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第3話 理不尽

 

 

 

「終わりか」

 

 無色の声が降ってきた。蹲って湿った地面を眺めているハルヒロの頭上から。

 声“色”なんて時折表現するけど、ハバキの声には感情らしい色なんて微塵もなくて。

 ひたすら鋭くて、恐い。

 恐る恐るハルヒロは周囲を見渡した。

 ハバキの足の向こうにユメがいる。その場に尻餅を突いたまま呆然としているようだ。

 左側を見てみる。ランタが仰向けに倒れていた。ぐったりとしていて動く気配はない。

 反対側にモグゾーがいる。バスターソードを杖代わりに立ち上がろうとして――失敗した。片膝を付いたまま結局モグゾーは動かなくなった。

 ハルヒロの後ろにはシホルがいる。きっとユメと同じように座り込んでハバキを見上げてるんじゃないだろうか。

 

「どうする」

 

 責めるようでも、急かすようでもない。ああ、親しみさえ篭っていたかもしれない。友達と遊びに出掛けて、さあこれからどうしようか、なんて尋ねられたみたいだ。

 静かにハバキは問いかけてくる。ハルヒロの目を真っ直ぐ見詰めて、答えをいつまでも待っている。

 

「考えろ。考え続けろ……でなけりゃ」

 

 暗闇の中でなお黒い陰影が、動く。

 すらり、と身も凍るような金属音。ハルヒロは見上げる。本当は見たくない。でも、身体は持ち主の意向なんか無視してでもそれを確認せずにはいられない。危険を、危険、危険を確かめる。

 自身を傷付けるもの、壊すもの、殺すもの。

 月光に赤らむ白刃。

 ハバキが、刀を、抜いた。

 

「死ぬぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 付いて来い。

 そう言ったハバキに義勇兵団宿舎を連れ出されて、ハルヒロ達はオルタナの街を歩く。夜も深まって、街はすっかり喧騒に溢れている。昼間に商いしていた雑貨屋や服飾店、鍛冶師に大工なんかは既に店仕舞いして、今は飲食店、特に飲み屋が主役を張る時間だ。

 どこの店からも笑い声が聞こえる。悲鳴のような歓声が上がり、怒鳴り声のような野太い音頭が響く。今が楽しくて仕方ない。そんな空気。

 今、ここにある全部がハルヒロ達とは別世界の出来事のように遠い。

 足取りはひたすら重かった。身体の疲労より、これまでずっと落ち着く暇もなく揺れ動かした心の酷使が、ハルヒロには辛かった。

 ハルヒロに付いて来る他の四人も、きっと疲れ切っている。

 誰も何も喋らない。ハバキの後を葬式の帰り道みたいに打ち沈んで、ただ歩いた。マナトは死んだ訳じゃないのに。

 それが少しだけ可笑しい。少しも笑えはしなかったけど。

 

「おい、バカヒロ」

「なんだよボケタ」

 

 ハルヒロの背中をランタが突いた。こいつは普通に人を呼ぶこともできないのだろうか。できないのだろう。

 

「のこのこ付いて行きやがって。これが罠だったらどうすんだバカヒロ」

「罠って……ハバキが俺達を嵌めて何の得があるんだよ」

「あるんだろうよ。何かしらの隠された魂胆がよ。それを見抜くのがおめぇの役目だろうがバカ」

「はあ? なんだよ、それ」

「なんだよもそれもねぇだろが。ハバキの言うことハイハイ聞いて犬みたいに後追いかけてんのはお前だろ。俺らはそれに仕方なく付いて来てやってんの。そして先導するからには責任ってもんがあんだろうよ。お解りか? ハルバカヒロ」

「ちょっと待てよ。何で俺が」

 

 何で俺が責任負わなきゃ――――

 

「っ……」

 

 咄嗟に、口に出しそうになった言葉をハルヒロは呑み込んだ。そうして、チラと前を歩く広い背中を盗み見る。

 繁華街を抜けてもハバキは変わらず歩みを止めない。真っ直ぐ、迷いない足取りで進んでいく。

 ランタとのやり取りは聞かれなかったらしい。小さく安堵に溜息を吐いた。

 いや……なんでハバキの顔色窺ってんだよ。自分で自分にツッコミを入れた。

 負い目、なのだろうか。

 貸し借りという意味なら大きな借りがハルヒロ達にはある。金銭的にも、心情的にも。

 命も。

 大き過ぎる。それはそれは凄まじい借り。返せる当てなんてものも今のところ皆無だった。

 だからハバキの言葉には重みが宿る。ハルヒロ達にとって抗えない強制力で。

 

「……あれ」

 

 もしかしなくても、自分達は今物凄い危険な状況じゃないか。

 今更過ぎる危機感の発露は、やはり何の意味もなく。

 花園通りを抜けてシェリーの酒場を通り過ぎ、閑散とした市場を後にする。

 そうこうする間に気付けば辿り着いていた。オルタナを原野と森林から隔てる長大な外壁、その数少ない出入り口の一つである上げ橋が目の前にある。ハルヒロ達にとってもお馴染みの集合場所、北門だった。

 

「ここ……」

「出るぞ」

 

 ハルヒロが何か言う間もなく、ハバキは門番に団章を見せて外へ出ようとしていた。

 基本的に、ハルヒロ達は日の出ている間しかオルタナの外へ出ない。わざわざ足元も覚束ない夜闇に出掛けてモンスターを狩るメリットが無いからだ。というより、そんなことはやりたくてもできない。

 真っ暗闇の中から突然襲い掛かってくるゴブリンを想像して、ハルヒロはぞっとした。

 上げ橋を渡って、濠に沿って少し歩けばそこは森の入り口だ。案の定と言うか、月明かりさえ木々に遮られた森の中は墨で染めたような隙間ない闇。

 まさかこの中に入ると言うのだろうか。控えめに言って遠慮したい。有体に言うと絶対嫌だ。

 

「お、おいこら! てめぇどこまで歩かせる気だよ! 大海原みたいに広大な心を持つランタ様でも限度ってもんがあんだぞ!」

 

 逆にここまでよく大人しく付いてきたものだとハルヒロは思った。

 ランタが若干裏返った声でハバキに抗議する。流石にうろたえたのだろう。

 ハバキはランタに振り返る。真正面から見据えられてランタは見るからにびびっていた。

 

「いや、その、大海原は言い過ぎました。湖くらい? いや池くらいで……水溜りでもいいっす」

「や、謝るとこそこじゃないだろ」

「そう恐がるな。森には入りゃしねぇよ」

「よ、よかったぁ。ユメてっきりこのまま森の中まで連れてかれるぅ思とった……」

 

 ハバキの言葉にユメは脱力して息を吐いた。

 

「別に、どこでも構わなかった。宿舎は手狭。街中では得物を満足に扱えない。となれば、街の外へ出るのが早い」

「?」

 

 どういう、意味だろう。

 得物を? 扱う? 手狭ではダメ?

 

「……」

 

 何故だか無性に落ち着かない。ハルヒロの心臓はどんどん速度を増して鼓動を刻む。背中にひどく冷たい汗を掻いた。

 凄まじく不穏な単語が列挙されている。

 

「い、意味わかんねぇこと言ってんじゃ……」

「意味?」

 

 この上まだ凄もうとするランタがいっそ憐れに思えてきた。

 そしてハバキが首を傾げただけで黙ってしまう始末。

 まあ、無理もなかった。だって、なんか、さっきから。様子が変だ。自分達も、この場に漂っている空気も。

 どうしてか分からない。でも、はっきりとハルヒロは思う。

 ハバキが恐くて仕方ない。

 

「意味……意味か。そうだな。こうした方が、解り易いか?」

 

 こう(・・)、の時点でハバキは動いていた。ゆっくりとした動作だったから、ハルヒロにも、たぶん後ろにいた四人にも十分に見て取れたに違いない。誰一人反応はできなかったけど。

 ハバキは手に持っていた刀の鞘先をハルヒロの顔の真ん中に差し向けていた。

 

「……へ? え?」

「金を出せ。殺すぞ」

 

 鼻先に黒いものがある。ざらついた質感、漆塗りの黒。

 武器の良し悪しなんてハルヒロにはてんで区別が付かない。けれど、ハバキのそれはなんとなく高そうに見えたし、同時にひどく使い込まれているということが分かった。漆が完全に光沢を失う程度に。

 

「ハルくん……!?」

「ハ、ハルヒロくん!?」

「っ……!」

 

 ユメとモグゾーが自分を呼んでいる。ひどく切羽詰った声だ。小さく上がった悲鳴はシホルだろう。

 そんなことを暢気にハルヒロは考える。状況を理解できない。頭は機能不全を起こしている。もう十秒だけ時間が欲しい。そうすればすぐに慌てふためき出すから。

 

「と、とととうとお本性表しやがったなぁ!!」

 

 めちゃくちゃ上擦った声を出しながらランタは剣を抜いた。ハルヒロの隣からちょっとだけ前に出て、カタカタ揺れる切先をハバキに向けている。

 

「じょ、上等じゃねぇか。そっちがやる気だってんならこっちだって容赦しねぇからな……!」

 

 ハバキが鼻先から刀を下ろす。ランタのへっぴり腰な啖呵に怯んで、ということでは万に一つ、億に一つもないだろう。

 とはいえ、ハルヒロは堪らず大きく息を吐き出した。いつの間にか呼吸を止めていたらしい。まったく気付いていなかった。

 そして、ハバキはそのままハルヒロ達に背を向ける。

 

「え?」

「は?」

 

 異口同音にハルヒロとランタが素っ頓狂な声を上げる。ハバキの行動の意味を判じかねた。もしかして、見逃された、とか……?

 そんなハルヒロの期待は、ものの一瞬で打ち砕かれる。

 しばらく歩き続け、七、八メートルは離れたあたりでハバキはゆったりとこちらに振り返った。口元に歪んだ薄笑いを浮かべて。

 

「なんだ。まだ来ねぇのか」

 

 そう、ハルヒロ達を嘲った。

 あれは嘲笑だ。それ以外の何にも見えない。あるいはお手本にしたいくらいに綺麗な。

 武器は鞘に仕舞い、わざわざ背中を見せて、あまつさえゆったりとした足取りで、これ以上ないってぐらいの“隙”を与えてやったのに。

 なんて愚鈍で臆病な奴らだ。

 そう言外に罵られた、ような気がした。

 

「容赦しねぇんだろう? ()っ」

 

 挑発だ。それもかなり見え透いた。悪く言えば幼稚な。正直ハルヒロはどうとも思わなかった。未だ見習いからの脱出は叶わず、そうして執拗にゴブリンばかりを狩るハルヒロ達をからかう義勇兵は少なくない。情けない話であるが、その手の輩に慣れているといえば慣れていた。少なくともそれに関して(・・・・・・)ハルヒロが腹を立てることはない。

 もし今、ハルヒロが苛立っているとしたら、それはきっと――――

 しかし、いっかなハルヒロが事なかれ主義を標榜しているからとてパーティ全員がそうである訳もなく。

 特にこのバカに対して単純な煽りは効果覿面だった。

 

「ん、だ、とぉぉおおおおおお!?」

「よせバカッ、ランタ……!」

「舐めてんじゃねぇ!! 言われなくてもやってやるよ!!」

 

 剣を手にランタが駆け出す。案の定だ。

 ハルヒロの言葉なんて全く聞きやしない。いつも通りだ。

 でも違うだろ。そうじゃないだろ。アホランタ。分かってんのか。お前が今、剣を向けてる相手。

 ゴブリンじゃないんだ。まして穴鼠でもなきゃ案山子でもない。

 ――人間なんだぞ? 俺達と同じ。

 

憎悪斬(ヘイトレッド)ォ!!」

 

 ランタは剣を振り被った。暗黒騎士の基礎スキル、上段からの斬撃――ではなく。

 大きく剣を振り上げた姿勢から、跳んだ。

 空中で両足を揃えて勢いそのままハバキへ――ハバキが、半歩前に。

 

「と見せ掛けてのドロップキッぐごはぁっ!?」

 

 宣言通り、ランタのドロップキックは綺麗な軌道でハバキ目掛けて飛んで行った。しかし、蹴り足はハバキを素通りしている。

 何故。

 ランタが跳び上がる瞬間にハバキは半歩前に進み出ていた。つまり狙いを定めた位置には既にハバキは居らず、蹴り足は敢え無く空を蹴る。

 その上。

 ハバキはランタの、とりわけ首が、通過する空間に左手を置いていた(・・・・・)。緩く開かれた掌目掛け、ランタの首が綺麗に収まり――

 

「ぐげあっ、お、あ゛がぁあ……!?」

「ランタ!」

「ランタくん!?」

 

 全体重が首を圧迫したのだ。身に付けた軽装甲と手に持ったままの剣の重量を加味しても相当な重みである。人の頚ってそんなものに耐えられるのか?

 一瞬、本気で死んだと思った。しかしランタは地面に蹲って盛大に悶え続けている。少なくとも今すぐに死にそうな気配はない。

 

(手加減、された……?)

 

 その可能性はある。そもそも、ハバキにハルヒロ達を殺す気が本当にあるのかも、何故こんな“茶番”染みた真似をするのかも分からない。

 何か意図がある筈だ。何か。

 ハバキは刀を振った。同時にランタの呻き声もぴたりと止んだ。

 ランタの頬の辺りに鞘の切先が添えられていた。

 

「その剣は飾りか。手前(てめぇ)らが手に持ってるそれは何をする道具だ」

「ぃ……ぁ……」

舐めてんじゃねぇ(・・・・・・・・)ぞ、ガキが」

 

 腹の底に響くような低音域。ハバキの声には物理的な破壊力が備わっているようだ。

 前言撤回。ハルヒロは即座に考えを改めた。

 膝が笑う。背筋に痺れるような寒気を感じる。歯の根が合わない。

 本気だ。何がどのようにどの程度なのかは依然としてハルヒロの理解の範疇外だったけれど、ハバキは、本気だ。

 

「なんでぇな……なんで……」

 

 ユメの呆然とした声が、むしろハルヒロを現実に引き戻した。

 現実。目の前の光景。

 ハバキが刀を逆手に持ち、足元に蹲るランタへ向ける。後頭部よりやや深く、首に狙いを定めるように。

 刺す気だ。刺突の構え。刀身は依然鞘に収められたまま。

 だから何だ。要は細い鉄の棒で突かれるということだ。頭。文句なく急所。

 待っているのは、死。

 瞭然の、終わり。

 こんなにも、呆気なく。

 

「ぬぅうおおおあああああ!!」

 

 凄まじい咆哮がハルヒロを横切っていった。モグゾー。

 バスターソードを振り上げながらモグゾーがハバキ目掛けて突っ込んでいく。ランタのような小細工はない。

 全力の突貫。でなければランタは死ぬ。確実に殺される。モグゾーに躊躇うことは許されなかった。

 そう見えた(・・・・・)

 逆手のままハバキはモグゾーに応じた。

 ギンッ、と金属音が響く。刀と大剣がぶつかり合った。

 違う。モグゾーが振り下ろしたバスターソードは地面に突き刺さっていた。

 

「ふぬ!?」

 

 ハバキは大剣の腹を打って軌道を逸らしたんだ。重量の差は歴然なのだからまともに打ち合わなかったのは理解できる。だからこそ、あんな細身の武器で、どうして軌道を逸らすなんてことができるのか。

 ハルヒロには到底理解できなかった。

 

「ふんごぉぉお!!」

 

 モグゾーはソードを引き抜いて再びハバキに斬りかかる。

 突き横薙ぎ打ち下ろす度、躱され往なされ打ち落とされる。

 モグゾーはその装備と体格もあって俊敏ではない。しかし、ここ最近の剣捌きの熟達具合には目を見張るものがあった。

 それでもなお、ハバキはそれを容易くあしらってしまう。

 

「ふんっ、ぬうっ……ごあ!!」

「……」

 

 その手応えの無さは、辛抱強いモグゾーであっても耐え難いものであったらしい。

 大上段、大振りの一撃。一目でその威力の凄まじさを理解できる。同時にそれは、隠しきれない大きな隙を生んだ。

 ハバキの身が沈む。深く。右脚から一歩地面を抉るような踏み込み。身体ごとモグゾーに肉薄する。ぶつかる。

 それが狙い。ハバキは右の肩口からモグゾーの胴体へ体当たりをかましたのだ。

 

「ぐお!?」

 

 あろうことか、その一当てでモグゾーが吹き飛んだ。

 モグゾーとハバキの身長は概ね同じに見える。しかし身幅は圧倒的にモグゾーが勝っている。体重差がある筈だろ。なのに、なんで。

 疑問に頭が支配されかけ、ハルヒロははっとした。呆けてただ仲間が戦っている様を眺め続ける自分を、現状をようやく思い出す。

 

「モグゾー……!」

 

 敢えて大声を上げながらハバキに走り寄る。ハバキなら、大の字に倒れこんだモグゾーに止めを刺そうとする筈。

 そんなことはさせない。

 注意を、少しでもこちらに。

 盾役(タンク)を守る為に盗賊(シーフ)が前に出る。これじゃあまるっきりあべこべだな。そんな暢気なことを考えた。

 腰からダガーを引き抜く。今更この小さな武器の頼りなさに泣けてくる。

 ハバキはモグゾーを置いてこちらを向いてくれた。

 ダガーを突き出す。順手持ち。とりあえずの、攻撃。牽制? そう、ハバキの出方を見る為に。時間を稼げばモグゾーが立て直せる。それまで。

 そんな浅はかなハルヒロの考えをハバキは見透かしていたのだろう。

 突き出したダガーに刀が添えられる(・・・・・)。上から押さえつけるように、捻って、くるりと、ハルヒロから見て左へ――手の中からダガーが消えた。

 

「あっ!?」

 

 一瞬取り落としたかと思った。そうじゃない。払い落とされた。

 やばい。丸腰。

 眼前には、刀を持ったハバキ。

 黒い気配を自ら発しながらこちらを見やる二つの双眸。鈍い眼光。

 嘘だろ。なんだこれ。やば過ぎだろ。なんだよ。なんでこいつが同期なんだよ。レンジよりやばいって。恐い、怖いこわいコワイコワイコワイ。

 刀の切先が、天頂を、赤い月を差す。

 

憤慨突(アンガー)ァァアッ!!」

 

 クソ喧しい声が響き渡る。ハバキの背後から。

 ランタだ。剣を真っ直ぐ突き出して間合の遥か外側から一気に接近しての刺突。

 助かった。タイミングはむかつくぐらいばっちりだ。

 ランタの剣がハバキの背中に刺さって右の胸から飛び出した――錯覚だった。

 ハバキは振り返りもせず、ランタの剣を躱した。脇の下を潜らせるように迎え入れ、そのまま挟んで固定している。ランタの腕ごとがっちりと捕まえる恐ろしさ。

 

「どぅえっ!?」

「その踏み込みの良さだけは一丁前だ」

 

 口の端を吊り上げるようにして笑うハバキはひたすらおっかない。

 間近で、しかも両腕を捕られて身動きできない今のランタの恐怖はどれ程のものだろう。

 ハバキはその状態からランタに肘打ちを入れた。額に一撃。その拍子に思わず仰け反らせた顎に一撃。

 まともに食らって無事で済む筈がない。もんどりうってランタは倒れた。

 ハバキは冷徹だった。丸腰のハルヒロを無視して、迷わずランタに追撃を加えようとする。足取りは散歩でもしているように軽い。

 そのハバキとランタの間に、何かが素早く躍り出た。一つ結びにした髪が空中を泳ぐ。ユメだ。

 

「うぅなぁ!」

 

 いつもの気の抜けるような声音じゃない。それは必死な叫び。

 いつもの柔和なユメじゃない。悲痛な表情(カオ)で、涙を堪えるみたいに。

 手には剣鉈。しかし、その刀身には布が巻かれている。斬りたくない、傷付けたくない、でもやらなきゃいけない。そんなユメの葛藤が分かるような気がした。

 斜め下方から掬い上げるような軌道。斜め十字。狩人(レンジャー)の剣鉈術の基礎スキル。

 けれど、それすらまるで予期していたかのようにハバキは躱す。片足だけを後退させて、剣鉈の斬線に合わせて上体を傾ける。必要最小限。ハルヒロ達ならあんな際どい躱し方はまずやらない。反射神経と身体が追いつかないというのも一つの理由ではあるが、何を置いてもまず恐いからだ。武器の脅威なんか間近で感じたくはない。

 ああ、そんな泣き言が許される“世界”じゃない。分かってる。分かってるけど。

 

「っ!」

 

 ハルヒロは駆け出した。ハバキの背中目掛けて全力疾走する。

 ユメはまだハバキに食らい付いている。追い縋ってる。そしてハバキは今ユメを見ている。

 先程ハルヒロと相対していた時とは違う。ハルヒロは武器を落とされ、ハバキにはその瞬間から(・・・・・・)行動の自由があった。つまり、ランタの突撃はその実、まったく隙を突いてなどいなかったのだ。

 でも、今なら。

 現在進行形でユメを相手取っている今ならば。

 チラと確認したところ、ハルヒロのダガーは三メートルほど離れた地面に突き刺さったまま。丸腰に変わりはない。だが組み付いて動きを封じるだけなら武器など要らない。この五体全部を使ってハバキを、止める。

 三メートル。黒い背中越しに、懸命に鉈を振るうユメが見えた。それをまるで子供扱いするみたいにハバキはあしらっている。まだ、ハルヒロには気付いていない。

 二メートル。改めて、ハバキの体躯の大きさを実感した。痩せて見えたのは単なる勘違いだ。体も手脚も明らかに筋肉質で、ただただ極限に絞られたそれをハルヒロが細いと誤認しただけだった。硬質な背中は依然こちらを向いたまま。気付いてない。気付くな。振り向くな。

 一メートル。皮革のジャケットの縫い目まで見える。近い。とんでもなく。手を伸ばしたら届く。伸ばす。恐い。まだ振り向かない。このまま。理想は両腕の下から手を入れて羽交い絞めにする。もう少し。密着しなければ。恐過ぎ。ハバキは、こっちに気付いた? 分からない。今更止まれるか。早く、速く。

 伸ばした手が――空を掻いた。

 

「なっ」

「ふにゅあ?? ハルくん??」

 

 ハバキが、消えた。

 ハルヒロの視界から完全に消失した。そうとしか思えなかった。

 代わりに目の前にユメのぽかんとした顔がある。涙の跡が目尻に残っていた。

 ユメにしてみれば、ハバキが消えたと思ったら目の前にはハルヒロがいたのだから、それはもう何を言ってるのか分からねぇと思うしもっと恐ろしいものの片鱗を味わったりしてるのかもしれない。

 

「――――ぁ」

 

 まったくの偶然だった。ハルヒロが己の頭上を見たのは。

 予感も気配も覚えはしなかった。ただ、視線がユメからその上に動いたというだけのこと。

 でも、そこに、いた。

 

「――――ハ」

 

 月が見えないな。頭に先行したのはそんな疑問。

 回答。黒い影が空を覆っているから。

 黒い影――ハバキが空を飛んでいた。悪魔のような光景。いっそ翼が無いことの方が不思議だった。それはあまりに異常で異様で、泣き出さなかった自分は偉いと思う。

 実際は一秒にも満たない滞空時間だった。それでもハルヒロには、まるでハバキが重力を無視しているかのように見えた。

 身体を捻り、錐揉みするように半回転しつつ後方宙返りを決めて、ハバキはこちらを向いた状態でユメの背後に着地した。

 ハルヒロの接近に気付いていたハバキは、捕まえられる寸前にその場で跳躍、前方のユメを跳び越えてその背後に移った。

 言ってしまうとそういうことらしい。それが一連の流れ。単純な話だった。

 ふざけんな。

 

「ユメ……!!」

「え?」

 

 きょとんとした目がハルヒロを見返す。ユメはすぐ後ろに立つハバキに気付いていない。

 着地の瞬間、足音すら立てなかったのだ。この、バケモノは。

 鞘に収まった刀をハバキは振り上げた。無造作、ではないのだろう。素人に毛が生えただけのハルヒロにそう見えるだけで。

 ハバキはユメの肩を叩いた。とん、という擬音が頭の中に響くが、実際には音すら立っていない。それくらいに弱く、本当にただ肩を小突いただけだ。

 

「っ!」

 

 でも、その意味は伝わった。ユメの身体がびくりと震える。

 ユメはぼんやりしてるように見えて、実はそんなに鈍くない。ゴブリンを相手取っている時も自分の役割を見極めてから動ける目聡さがある。

 ユメは今、この瞬間死んだのだ。ハバキに自分の肩口から背中をばっさりと斬られて。

 それを悟った。自分の死を、容赦なく実感させられた。

 

「……っ……っ」

「ユメ……」

 

 糸の切れた人形のようにユメはその場に膝からくずおれた。両手で口を押さえ、嗚咽を堪えている。その恐怖の強さがハルヒロにはよく分かった。だってハルヒロは既に今日、死の恐怖の実体験を済ませている。

 ハバキがハルヒロに近寄ってくる。もう片は付いたと、そういう意味なのだろう。

 そして『次はお前だ』ともハバキの目が語っていた。

 

「おぉぉぉぉおぉおおおおおおおっっっ!!」

 

 震撼した。空気が地面が。

 モグゾー裂帛の気合が轟く。

 バスターソードを頭上に掲げ、全力死力の突撃。その疾走する様はまるで闘牛だった。

 胴体は無防備を晒したまま。先の二の舞? 違う。ハバキの反撃などモグゾーは考慮に入れていない。あれは反撃を受けてでもそのまま押し切るつもりだ。捨て身。

 

「示現か……!」

 

 ハバキが何事か呟いた。その顔には笑み。でも、それは、今まで見てきたものとはまるきり質が違った。凄惨。壮絶。浮かんでいる感情は間違えようもない、喜悦。

 なんで、そんな顔できるんだ。

憤怒の一撃(レイジブロー)。どうも斬り。いつからか、その変わった掛け声から仲間内で付けた通称だ。だが、名前のコミカルさほどあれの実際の威力は優しくない。尚且つ今のモグゾーから繰り出される剣が普通である筈がない。ハルヒロは確信していた。今のモグゾーはとんでもなく強い。

 そんな鬼気滾らせた暴れ牛を前にして、なんで笑う。どうして笑える。

 その狂った笑みを湛えるハバキは、刀を地面に突き刺した。

 

 ――――――――――――は?

 

「どぅうもぉおぉぉおぉおおおおぉおおおおっっっっっ!!」

 

 気合一喝。どうも斬りは炸裂した。

 これ以上ないタイミング。これ以上ない剣筋。ハルヒロでさえ、その一撃が決して避けることの叶わないものだと悟った。理解できた。

 だっていうのに、ハバキは、刀を手放した。丸腰だ。ハルヒロと同じ。

 死んだろ。

 死ぬだろ。

 なんでそんなことをしたのか分からない。分かりたくない。普通、普遍、中庸に慣れ親しみ、今や憧れてさえいるハルヒロには到底理解できない。

 武器を置いて、ハバキの両手は自由になった。

 だから、そう(・・)したのだろう。

 

「……お、あ……」

 

 剣の腹を両側から掌で挟み込んで斬撃を止める技。ハルヒロでも知っている。誰しも聞いたことくらいある。真剣白刃取り。そんな名前の“フィクションの産物”くらい。

 モグゾーは自分の握るバスターソードを食い入るように見詰めている。無理もない。その光景には現実感というやつが無かった。

 ハバキの両手が剣を受け止めていた。

 

「悪くない……悪くないぞ、モグゾー……!」

 

 嬉しそうにそう言って、突然ハバキは剣を横に傾けた。ハバキとモグゾー顔を付き合わすような格好になる。

 呆然とするモグゾーにハバキは容赦なく頭突きを食らわせた。

 

「ぐもっ……!?」

 

 くぐもった声を漏らしてモグゾーは仰け反った。額を押さえながら二歩三歩と後退して、遂には転倒する。額当ては何の意味もなかったらしい。

 

「…………」

 

 仲間達は皆倒れていた。

 五体無事でいるのはハルヒロとシホルだけだ。

 シホル。どうしているのか。気になってハルヒロは後ろを盗み見た。

 シホルは座り込んでいた。帽子を掴んで頭に押し付けるように強く引っ張っている。小刻みに震えているのが分かる。茫然自失だった。

 動くことができるのは、ハルヒロだけだった。

 どう、する。

 

「どうする」

 

 気付けば眼前にハバキがいる。いつ近寄られたのだろう。それすら覚えていない。

 責めるようでも、急かすようでもない、それは静かな問いかけだった。

 

「考えろ」

 

 考えなきゃならない。何を? この状況をどうにかする方法を。

 でも、どうやって。何をどうすれば状況が好転するっていうのだろう。この、どうしようもない今。

 モグゾーは勝てなかった。力の勝負で負けてしまった。

 ユメはもう動けない。肉体的には無傷でも、心がめげて(・・・)しまっていた。

 ランタはそもそも倒れたまま動く気配がない。生きてる、よな。

 シホルは無理だ。そもそも初めから戦えるような状態じゃない。今日一日、ショックなことが多すぎた。心の許容限界なんてとうに超えている。

 いや、でも、それは。

 

「……俺だって……」

 

 同じだ。ハルヒロだって、混乱して、不安で、死ぬほど恐い思いをした。実際ゴブリンに殺され掛けたのだ。

 なのに、今、ハルヒロは矢面に立たされている。バケモノの目前(キルゾーン)に置かれ、この上まだ急き立てられる。

 嫌だ。何もかも放り出したい。逃げ出したい。宿舎の藁のベッドでさえ恋しい。寝床に包まってひたすら眠りたい。嫌だ。もう嫌だ。こんなことは、こんな思い(・・)は嫌だ。

 そしてハバキは刀を抜いていた。

 考えることはおろか、一瞬呼吸すら忘れた。

 

「考え続けろ。思考を手放すのは死ぬ時だけだ」

「っ、っ、死……?」

「ああ、そうだ」

「なん、で」

 

 思わずそんなことを呟いた。それが何に対しての『なんで』なのか、ハルヒロにも判然としない。

 

「それは本来、お前達がやらなければならない“コト”だからだ。“ソレ”が他人に任せて良いものではないからだ」

「……ねぇよ……」

手前(てめぇ)の命を他人に委ねるな。ましてその、命の使い途を手前らぁ手前で考えようともしねぇ」

「わ、かんねぇよ……!」

 

 頭の中がぐちゃぐちゃしていく。考えろとハバキは言う。考えたくないとハルヒロは駄々をこねる。

 苛立つ。ハルヒロはどうしようもなく怒っていた。

 ああでも、心のどこかはそれに気付いてる。ハバキの言葉はハルヒロの痛い場所を容赦なく貫いてくる。

 

「考えろ。考え続けろ……マナトがそうして来たように」

 

 分かってる。分かってるよ。そんなこと。

 ハルヒロ達がマナトに負わせてきたもの。

 マナトは、六人分の命を背負ってたんだ。

 ダムローの旧市街を歩き回ってる時も、ゴブリンを見付けて戦いを挑もうとしている時も。マナトはパーティ全員の命の采配を握らされてた。

 どうすれば安全に、誰も死なずに。

 そんな思いで頭を一杯にしながら。

 恐いよ。自分の指図一つで、仲間の生死が決まるなんて。

 マナトが神官になった理由も、そこにあるような気がする。怪我を治すことができればそれだけ死は遠ざかる。そういう安心感が欲しかったんじゃないか。

 マナトがモグゾーと並んで盾役(タンク)を買って出たのもそんな意味に思えてくる。

 でも、だからって、自分が死に掛けてちゃ意味ないじゃんか。他人の怪我ばっか気にして、自分の傷は置き去りかよ。

 その理由を作ったのは。

 

「俺達だよ……俺達の所為だよ……でもさ……でもなぁ!」

 

 なんでそんなこと、お前に、お前なんかに言われなきゃなんないんだよ。

 同じパーティでもない。グリムガルに来たその日、ハルヒロ達もマナトも置いて一人で勝手にどっか行ったお前に。

 勝手で結構。そんだけべらぼうに強けりゃどうとでも好きに生きられる。そもそも引き止める権利も、義理も筋合いもハルヒロ達にある訳ないんだから。

 無いんだよ。そんなもの。

 無いのに、今更なんだよ。

 

「だったら、最初から助けてくれよっ!! 今更戻ってきて、なにもかも掻っ攫う(・・・・)みたいに助けて、それで今度は殺すとかっ、意味分かんねぇよぉ!!」

 

 目蓋が熱い。半分閉じた目の奥から熱さが溢れてくる。

 情けない声だった。喉がしゃくるものだから、震えた妙な声だった。

 皆の視線を感じる。ランタもユメもモグゾーもシホルも、全員がハルヒロを、ハバキを見ていた。

 

「何も、考えずに、調子乗ってたのが悪かったのか。マナトに全部……押し付けてたのが悪かったのか……!?」

 

 それとも両方?

 だからハルヒロ達は殺されなきゃならないって、そう言ってるのか? ハバキは。

 そんなことを。

 

「命は一人が一つ抱えるものだ。他人に委ねることも預けることもできやしない」

 

 言いたいんじゃない。分かってるよ。ハバキ。

 

「重いだろう」

 

 ハバキが跪いてハルヒロと向き合った。互いの視線が交差する。自分は相変わらず眠そうな目をしてるんだろうか。

 ハバキは刀を地面に突き刺した。ハルヒロの目の前に、銀色の刃が屹立する。それは何の為の道具だ。ハバキの問い。今なら答えられる。

 命を奪う物。突き立て、斬り付けた相手を殺す為の物。

 俺達は、そんなものを手にしていた。何度と無くそれで事を為してきた。

 

「分かっていれば命なんて重いもの、他人任せにしようなんざ思わねぇだろ。意地でも手前で考えようとする。使い途も……護り方もな」

 

 そんな当たり前なこと。

 ハルヒロ達も、きっとマナトも、すっかり忘れていたんだ。そんな余裕も暇もなかったって大声で言いたいけど、それでも考えなきゃいけなかった。一つきりのソレを落としてからじゃ、なにもかも遅い。

 一人一人が自分の命の責任を負っている。

 

「お前らには、その自覚が少しばかり足りなかった。それだけだ」

 

 それだけ。

 軽やかにそう言って、ハバキは笑った。微かな、笑みかどうかも分かり難い僅かな変化だったけど。今度の笑顔は少しも恐くなかった。

 ハルヒロの目から、また涙が流れた。するとハバキはハルヒロの髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。

 

「悪かったな」

「ぇ……」

 

 ハバキはそれきり何も言ってはくれなかった。

 ただ、乱暴に頭を撫でられる感触が、暖かくて……懐かしくて。

 涙はしばらく止まりそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 




完全なる弱いもの虐めである。
ハバキ最低だな!

アニメ版の入浴シーンで、風呂場が思ったより豪華で沐浴(?)状態だった。
もっと桶にお湯溜めて手拭で擦るみたいなの想像してた。
でもシホルのおっぱいがさいこうだったのでどうでもいいとおもいましたまる

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