刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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我慢できなかった。
反省はしている。


第1話 マナト

 叫び声を聞く。

 木々の合間を通り抜け、耳朶を揺さぶる不快な()。聞き慣れたものだ。この地に住まうケダモノ共の咆哮。

 しかし、ケダモノとてもその行動様式には一定の合理がある。このような山の只中で無意味に吼え声を上げるとは思えぬ。

 獣は己の縄張りを侵犯した外敵に対して敵意を以て吼える。ケダモノたるゴブリン、コボルド、知性に勝るオークとてその例外ではない。

 つまり、あれは攻撃の意。相対した“敵”に対する殺意の宣言。

 ケダモノ共にとっての“敵”、それは――人間。

 

「……」

 

 距離は然程のものでもない。徒歩で五分。早駆けで一分と掛からん。

 逡巡もなく、森の奥へと足を向けた。鬱蒼とした木々の先、今なお荒廃瓦解の一途を辿る置き捨てられた人の街、ダムロー旧市街。

 木の根を蹴り、枯葉を散らし、土中から突出した岩を越える。ミノタウロスの皮革を加工した安全靴は道とも言えぬ獣道をものともせず踏み荒らした。

 木々を追い越す度、声は大きくなっていく。原始的であり野蛮な、それでいて純粋な殺意。肌に馴染むひりつく(・・・・)空気。

 草叢が途切れがちになると、レンガ造りの馬車道に差し掛かる。

 威嚇の声だけではない。息遣い。それは荒く、恐れに満ちた喘鳴。そして、間違いようもないこの香。鉄錆よりも生々しく芳醇なそれは、血の匂い。

 左手はいつからか、そっと腰に帯びたそれの鞘を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いける、と思った。

 それが一番の勘違いだった。

 

 ここへ来てからもう三週間と少し経つ。最初に暗闇で目が覚めた瞬間から苦労の連続で、ようやくそこそこ戦えるようになったのがここ一週間くらい。ぎりぎり食うには困らないでいられたけど換えの下着も買えない切なさったらなかった。それに戦えて多少稼ぎが入るって言っても、それは連続する苦労がまた延長するってことでしかない。

 これから先、想像し辛い、けどしなきゃいけない未来を思うと『不安だ』とか『めんどくさい』とか、そういう感情がもやもやした感触になって腹の下の方に溜まっていく。

 そのもやもやはハルヒロを落ち着かなくさせた。今のままでいいのか。これからどうなるのか。減る一方の財布の中身。いつまでも買えない団章。とっくに見習いから抜け出した同期達……あいつやレンジと自分を比較対象にするなんて、妄想でだってしようとは思わないけど。

 焦って、いたんだと思う。

 きっとハルヒロだけじゃなく、パーティ全員が。

 あのマナトでさえ。

 

 マナト。

 

 冷静で、頭がよくて、皆に優しい、ハルヒロ達にとって文句なしのリーダーで。

 いつも的確な作戦を立ててくれて、いざ戦闘になればモグゾーと同じくらい優秀な盾役(タンク)にもなってくれる。ちょっとやそっと怪我したって神官のマナトがすぐに治してくれる。

 マナトが居てくれたからこれまでやってこれた。マナトが居てくれればこの先だってやっていける。

 そう信じて疑わなかった。マナトに頼り切ってる自分に、自分達にこれっぽっちも疑問を持たなかった。本当に、馬鹿みたいに。

 馬鹿だろ、大馬鹿だ。クソ馬鹿野郎じゃんか。これじゃランタ並だ。

 頼り切って、もたれかかって、調子こいて。

 

 その結果がこれだ。

 

「へ」

 

 間抜けな声だった。それが自分のものだってことが信じられないくらい。

 でも、目の前のそれを見たらきっとハルヒロだけじゃなく、ぽあぽあしたユメなんて特に、こんな声が出ると思う。

 偶然だった。

 モグゾー並にでかいホブゴブリンとそれを従えていた鎖帷子を着た鎧兜のゴブリン。調子こいて挑んで、戦闘なんて呼べないぐちゃぐちゃのまま死に物狂いで逃げようとした、今。まさに今その時だ。

 偶然、ハルヒロはパーティの最後尾だった。

 マナトがホブゴブリンに強打(スマッシュ)を当てて、皆が逃げるだけの時間を稼いでいた。

 だのにハルヒロはマナトのことを気にして逃げるのにまごついた。

 殿、なんて言うと聞こえはいいけど、要は逃げ遅れだ。ハルヒロはその意味で運が悪かったし――運が良かった。

 ハルヒロからはマナトの背中が斜め前に見えている。

 白い神官服を着たマナトの背中が。

 マナトの背中に。

 吸い込まれるように。

 すとん、と銀色が突き刺さった。

 

「ぐっ……!」

 

 妙に濁った声がした。今度は自分じゃなかった。

 ただ、それがマナトの声だとはやっぱり思えなかった。

 それでもマナトは走っている。ふらついた足を前に、傾きかけた体を正面に向けて、皆を追う。

 白い背中で銀色が光ってる。反りのあるナイフ。ゴブリンが投げたんだ。

 白い背中で銀色が光ってる。銀色、その根元から、今度は赤が滲んできた。滲んで、なんて最初の一瞬までだ。そこからはもう、それこそ溢れてくる。止め処なく。

 白い背中が、真っ赤に染まっていく。強烈なコントラストで眩暈がする。

 

「マナ、ト……?」

「だい、じょうぶ」

「――大丈夫なわけ、ないだろっ!?」

 

 何故か怒鳴っていた。腹を立てるような場面じゃないのに。

 でも、怒鳴りたくもなる。だって今こうしてマナトが一歩進む度、赤の面積がどんどん広がっていくのだ。本当に、全身赤くなるまで広がり続けるんじゃないか。そんな風に思えた。

 

「走って! づっ、ハルヒロ、後ろに……!」

「マナト止まれ! 走っちゃダメだ!」

 

 マナトの言葉なんてほとんど聞き取れなかった。

 けど、背後から迫ってくるその足音だけははっきりと聞き取れた。

 

「ヌゥガアアアアア!!」

 

 次に響いた雄叫びは、ハルヒロの後頭部に叩きつけられた。

 振り向くまでもない。少し首を回らせるだけで、至近距離、棍棒を振り上げて、当たる、避ける?無理、頭潰され、死――――

 

「………………え?」

 

 覚悟した壮絶な痛みは一向に訪れない。

 ハルヒロは咄嗟に閉じていた目を開けた。そこには変わらず白い石畳がある。知らず下を向いていたらしい。

 続いてハルヒロは自身の頭に触れる。ぬるりとした血も、裂けた皮膚も、砕けた頭骨にも触れることはなかった。

 なんで。

 そのことに安堵するよりも疑問の方が先に浮かぶ自分が可笑しかった。

 だってあのタイミング、あの角度、あの恐怖感。普通死ぬって。死ぬしかないって。

 じゃあ、なんで自分は生きているのだろう。

 その答えは、ちゃんとハルヒロの目の前にあった。

 ホブゴブリンは棍棒を持っていた。鉄の塊をそのまま鍛えて作ったかのような棘付きの棍棒。雑な造りで、太くて、いかにも重そうで、痛そうな(・・・・)鈍器。それが今、ハルヒロの傍らに突き立っていた。比重が寄っている棒の先端が石畳の表面を抉って地面にめり込んでいる。

 

「ギッギャアアアアアアアアガガガガガガガガガガガッッッ!?!?」

 

 不意の絶叫にハルヒロは前を見た。ホブゴブリンが凄まじい声で叫んだのだ。

 違和感。

 再度棍棒に目をやる。棒のグリップに当たる部分に土気色の手がぶら下がっている。手、ゴブリンの手だ。手だけが棍棒を握ったまま切り離されていた。

 切られた腕を抑えて滅多矢鱈にゴブリンは叫んだ。当たり前だ。痛いとかすごい量の血が出てるとかそういう(・・・・)のとは違う。

 ハルヒロははっきりとゴブリンのその“喪失感”を理解した。在って当然のもの。なくてはならないもの。それが失われたことの、身体が凍りつくみたいな恐怖。ハルヒロの背筋にも氷柱が差し込まれるような怖気が走った。

 

「……っ!」

 

 ――だのに、“そいつ”はひどくゆっくりと立ち上がる。

 一体いつから。いや、最初からそこに居たんだ。ホブゴブリンがハルヒロの頭をぶっ潰そうとしたその瞬間に。そいつは横合いから、容赦なくゴブリンの腕を叩き斬った。

 ゴブリンも、目撃したハルヒロでさえこんなにびびってるっていうのに、そいつの挙措は落ち着き払っていて、揺らぎも震えも一切無い。

 そいつの印象は『やけに黒っぽい』だった。

 黒い背中。レザーのジャケットが風に靡く。ズボンは黒だか緑だか茶色だか、とにかくたくさんの色味が混交して淀んで、結果として仕方なく黒になっちまったみたいな、やっぱり黒。ブーツは濃い茶色らしかったが、泥だの土だのに汚れてこれも黒っぽい。

 でも、着ているものの黒さなんて見た目だけだ。もっと綺麗な、それこそ漆黒って表現が似合う黒い装備をした奴がオルタナには五万と居る。

 そいつの黒さの源泉はきっとそこ(・・)じゃない。上手くは言えない。まるで滲み出すようにそいつは黒いのだ。雰囲気? 瘴気? 気迫とか? やっぱり分からない。わからないけど。

 それ(・・)が何より、ハルヒロはおそろしかった。

 

「ハ」

「ガァァアアアッアアアア゛アアアアアアッ!!」

 

 ハルヒロが口を開きかけた瞬間、ホブが吼えた。地面が震えてるんじゃないかって声量にハルヒロの心臓が跳ねる。

 それは怒り、憎しみ、恨み辛み、悲しい怖い、黒々とした感情の塊を吐き出すような咆哮。

 そいつは小揺るぎともしない。そよ風を浴びるみたいに悠然と。

 笑って見せた。

 腰が落ちる。黒い陰影が動く。

 黒い人型は唯一黒以外の色彩を手にしていた。頂点に昇った陽の光をそれは鮮烈に反射する。

 刃。片刃だ。反りのある細身の刀身。楕円形の鍔。等間隔に、模様を描いて巻かれた柄糸――刀。

 刀を、左から右へ、横薙ぎに、払う。無造作とさえ思えた。

 同時にゴブリンの咆哮が止む。スイッチを切ったようにぴたりと。

 ゴブリンの喉から滝のように血が溢れ出した。ぼたぼたと白い石畳を汚す。そのまま膝から倒れそうになるゴブリンの巨体がひどくゆっくりに見えた。

 そう、倒れようとしていた。寸前にその死体を、あろうことかそいつは蹴り飛ばした。ホブゴブリンはモグゾー並にでかい。いや幅と厚みだけならモグゾーの二倍はある。鉄のぶっとい棍棒を振り回せる膂力を見れば、そいつの身体が筋肉の塊だってことも分かる。それをボールみたいに、五メートルばかり吹っ飛ばした。

 なんでそこまで。

 その疑問は比較的すぐ氷解する。

 空気を裂くような音が断続的に響く。ホブゴブリンの死体の後ろから。

 鎧兜のゴブリンだ。そいつが手にした小さな弓? から矢を放っている。

 あれはダメだ。ハルヒロはあの弓矢の威力をその身でたっぷりと味わった。威力は勿論だけど何より恐いのは、その正確さ。朽ちた壁だの柱だの障害物を挟んで十メートルは離れていたハルヒロに二発、鎧ゴブリンは一矢も外さなかったのだ。

 

「死体を使って……」

 

 矢を防いでるのか。

 思わず口をついてそんな言葉が出た。けれど、ハルヒロはすぐ我に帰る。

 残酷だなんて、今まさに殺されそうになってる癖に、自分は何を思ってるんだろう。

 ホブゴブリンの盾を目眩ましに利用して、黒い奴は駆けた。まるで滑るような動きで極端に足音がしない。そして何より速い。恐ろしく速い。

 刀は脇に構えたまま一気に鎧ゴブリンに接近する。

 だが、なんとゴブリンは矢を番え終えていた。ユメの矢継ぎの様子しか見たことがないハルヒロには凄まじい早業のように思えた。最初に発見した時の印象を思い出す。やっぱりこいつら、普通のゴブリンじゃない。かなり戦い慣れてる。少なくともハルヒロ達よりも遥かに。

 ゴブリンは弓を急いで黒い影に向ける。かなり焦っている。ゴブリンもそいつが恐いんだ。

 ゴブリンが弓の引鉄(・・)を引く。

 刃に光が反射する。

 

「……」

 

 何をしたのか、あまりに一瞬過ぎてハルヒロには分からなかった。だからこれは見たことというより、後になって記憶を思い起こす作業に似ている。

 黒いそいつはゴブリンの指が弓を引くより一拍早く刀を振っていた。動き始めは確かにそいつが速かったのだ。それでもゴブリンの矢は先にそいつに刺さったと思う。距離があったし、ゴブリンは指を動かすだけで事足りた。なにより人間が発射された矢より速く動ける訳ないんだから。

 あの矢を至近距離で受けたら、まず間違いなく死ぬ。射られた本人が言うのだから説得力も増すだろう。

 でも結果は違った。ハルヒロのそんな予想なんて掠りもしなかった。

 黒い背中は相変わらずそこにあって、静かに佇んでいる。足元には鎧ゴブリン。仰向けに倒れたゴブリンの喉笛にそいつは刀を突き立てていた。

 

「そうか」

 

 遅れに遅れて、ようやくハルヒロは理解した。

 あいつはゴブリンの身体じゃなく、突き出されたゴブリンの手首(・・・・・・・・・・・・・)を斬ったんだ。

 間合から遠く一撃で仕留められるか保証できない胴体ではなく、弓を向けたことでより近接した手首を切り裂いた。それに手首を切られてちゃ引鉄なんて引けないよな。

 

「こわ……」

 

 そんな判断をあの一瞬でできることに、ではない。

 黒いそいつの、殺すことへの無慈悲さ、無遠慮さ――その手際の良さが恐かった。

 そうしてあいつは振り返った。やや癖のある黒髪が揺れる。顔立ちは精悍というか男っぽい。ハルヒロやランタより確実に大人びていて、たぶん印象はレンジに近い。

 近い、けど違う。決して似ている訳じゃない。特に目が。

 その黒い目がハルヒロに向けられた。

 そのまますたすたと迷いなく近付いてくる。

 

「え、ハ」

 

 いつからか尻餅を着いていたらしい。おろおろと這うようにハルヒロは後ずさる。ひどく見っとも無い格好だった。

 でも仕方ないじゃんか。あんな殺しの場面見せられて、次は我が身って勘違いもするって。

 ハルヒロの心中など無視してそいつは容赦なく歩み寄ってくる。

 そしてとうとう間合。おそらくは既に刀の刃圏。

 ハルヒロは本気で死ぬと思った。本日二度目の死の実感だ。

 

「ハ、ハバキ……!」

 

 何故か口を吐いて出てきたのは、そいつの名前。

 あの塔の地下で目覚めた十三人の内の一人。

 ハバキ。

 義勇兵団の事務所に行く道すがら、兵団事務所でブリちゃんの話を聞いた後、皆が一通り自己紹介したり名乗りあったりする中でもあいつだけはほとんど一言も喋らなかった。そんな態度だからレンジは無理矢理に名前を聞き出してたっけ。傍でそれを聞いていたハルヒロは一方的に知っているだけだ。

 そのハバキは、びびりまくるハルヒロの横を素通りしていった。

 

「へ」

 

 素っ頓狂な声が漏れた。

 てっきり殺されるものとハルヒロは確信していた。実際かなり失礼な話である。

 振り返ると、ハバキはマナトの傍に屈んでいた。

 マナト。

 そうだ。マナト。怪我。背中にナイフ――!

 

「マナト……!」

「マナトくん!?」

 

 ハルヒロがマナトに駆け寄るより先に、シホルがマナトに飛び付いていた。

 見ると後ろにはランタやユメ、モグゾーもいる。ハルヒロとマナトが逃げ遅れたことに気付いて引き返して来たのだろう。

 地面に跪いたシホルはひどく取り乱した様子でマナトの名前を呼び続けた。

 マナトの背中はもうほとんどが真っ赤だ。真っ白だった神官服は見る影もない。

 

「おいおいおいおい! なんだよこれ、この、おい!!」

「マナトくん!? マナトくん!」

「あ、う……」

 

 ランタが叫ぶ。おい、ばっかりだったけどなんとなく言いたいことは分かる気がする。

 どうすれば。やばい。血が出て。めちゃくちゃ出てる。

 

「そうだ、治癒っマナト、魔法で!」

「魔法……」

「やめろ」

 

 マナトが額に手をやろうとするとハバキがそれを制した。

 

「動くな。傷口が広がるぞ」

「だって、だから! 傷を魔法で……!」

「ごめん……もう、魔法……づっ、あ、つかえ、な……」

「え」

 

 途切れ途切れにマナトは言った。とんでもなく絶望的なこと言った、よな。

 魔法が使えない。思わずハルヒロはシホルを見た。

 シホルの表情は凍っていた。きっとハルヒロも同じような顔をしていた筈だ。

 

「瞑想、すれば」

「んな暇あるか!!?」

「どど、どうすればいいん……なぁどうすれば……」

 

 ユメが誰に言うでもなくうわ言のように呟いた。

 マナトの顔色が悪い。土気色だ。

 脂汗が浮いてる。

 呼吸も浅い。弱い。

 

「ナ、ナイフ、ナイフ抜いて、楽な姿勢に。仰向けで息しやすいように」

「そ、そうか! 抑えてろ。俺が――」

 

 名案のように思えた。

 ランタが駆け寄ってナイフに触れようとする。

 

「触るな!」

「ひっ」

 

 よく通る、突き刺さるような声がランタの動きを封殺した。

 引き攣るようなその悲鳴が誰のだったかは分からない。シホルか、まあランタだろう。

 ただその瞬間、全員がその場で飛び上がった。ハルヒロはその上心臓が口から飛び出るかと思った。

 当のハバキ以外は。

 

「抜いたらこいつは確実に死ぬぞ」

 

 ハバキはさっきからじっとマナトの背中を見ている。そうだ、傷口を診ている。

 

「ハバキ! たのむから、マナトを、マナトを……!」

「適当な布を寄越せ。それから縄だ」

 

 ハバキはハルヒロを無視して言った。

 ハルヒロが呆然とする間に、ユメが自分のマントを裂いて渡していた。

 縄、縄は簡易テントを張るのに使ってるのがあった筈だ。背負い袋から取り出してハバキに渡す。

 ハバキはユメから受け取った布切れをマナトの背中、ナイフの周りに円形になるよう押し当てた。そしてその上から縄を、布を固定するように巻き付けていく。

 

「身体を支えろ」

「は、はい!」

「手伝う」

 

 恐々とマナトに触れるシホルの後ろからモグゾーが身を乗り出した。マナトの身体を軽々と支える。マナトは、ぐったりとしていた。力なく投げ出された手足が人形めいていて、ぞっとした。

 ハバキは、マナトの右肩から左脇、左肩から右脇と、傷口を中心に×印を描くみたいに縄を巻き付け、強く縛った。止血の意味は勿論、徹底的にナイフが傷口から動かないようにしているんだ。

 

「声を掛け続けろ。今意識が落ちたら二度と起きねぇぞ」

「っ! マナト!」

「マナトくん!」

「マナトぉ! 寝るんじゃねぇ! 絶対に寝るんじゃあねぇぞこら!! 俺の許しもなく寝るとかありえねぇぞコンチクショウ!! ああ!?」

 

 ランタのうざ過ぎるがなり声が今は、今だけは有り難かった。こんな声を耳元で聞かされ続けて眠るなんて絶対無理だ。

 でも、それでも、マナトの目は半分以上光がない。俺達を見ていない。

 まるでそれは硝子玉みたいで。

 

「行くなマナト!! 俺、俺ら、お前がいないと、ダメだって、マナト、死んじゃダメだ!」

 

 ハルヒロは泣いた。恥も外聞もなく泣き喚いていた。

 シホルも泣いていた。口元を両手で覆って、さめざめと涙を流し続けた。

 ユメも呆然と涙を流している。なにもかも分からないって、色のない顔で。

 ランタは喚き散らしている。ひたすら、声が裏返って喉も擦れてもう何を言ってるのかも分からない。でも決して止めなかった。

 モグゾーは黙っていた。ただただ真剣な顔で、マナトの身体を壊れ物を扱うみたいに慎重に丁寧に持ち上げて、ハバキの背中に背負わせた。

 

「これを食わせろ。歯に乗せて、無理矢理噛み潰せ」

「う、うんっ」

 

 モグゾーはハバキから小さな木の実みたいなものを受け取って、それをマナトの口に入れた。マナトの頭を押さえて、顎の下に手を入れる。

 カリッ、という小気味いい音がした。

 

「げはっ!」

「マナト!?」

 

 マナトは口からさっきの木の実を吐き出した。何度も咽ては嘔吐(えず)きを繰り返す。

 

気付け(・・・)だ。鬼のように苦いだろう」

「がはっ、ぶ、はっ、おぇっ」

「気絶する度に食わせてやる」

「うぇっ、はっ……はは、それ、は、かんべん、して……ほしぃ……な」

「なら、絶対に眠らねぇことだ」

 

 ハバキはそう言うとマナトの身体を背負いなおす。マナトは痛そうに身を捩ったが、それは意識がはっきりしている証拠だった。

 ハバキは振り返って、俺達を見回した。

 

「ルミアリスの神殿にこいつを届ける。お前らはそこのゴブリンから装備を剥ぎ取っておけ」

「は、なに、言って」

「なにがってなこどんかしてんだほらぁ!!」

 

 ハルヒロを遮ってランタがカスカスな声で何か言った。まったく格好付かない。てか格好悪い。

 けれどそれは概ね、ハルヒロが言いたかったことと同じだったように思う。

 装備を? 剥ぎ取っておけ? この状況で。マナトがそんな風になってるっていうのに。

 

「なんだよ、それ……!」

「治療代は」

「え」

「こいつの治療代を払うのは誰だ。傷が治ったとして、しばらくは戦うどころか満足に動くこともできまい。それまでこいつを養うのは誰だ。その為の金を誰が稼ぐ」

 

 かっとなりかけたハルヒロにハバキは淡々と問いかけた。責めるような口調でもない。事実だけをハバキは問いかけてきてる。

 ハルヒロ達は答えない。けれど答えは知っていた。解りきっていた。

 

「お前達だろう」

 

 それを、そんな当たり前のことをハバキの口から言わせたことが、ハルヒロは悔しかった。

 ハルヒロの心中など、やはりハバキは頓着しない。ハルヒロ達が何か言う前にさっさと踵を返している。

 

「――――」

 

 最後、ハバキが何か呟いたような気がした。

 けれどハルヒロがそれを聞き返すような暇もなく、ハバキは走り出していた。

 もう背中すら見えない(・・・・・・・・・・)

 

「へ?」

 

 頭が理解しようにもハバキの姿は既にない。

 ただ、旧市街のとある場所でハルヒロ達とゴブリンの死体だけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マナトが目を覚ましたのは、ハルヒロ達がオルタナに戻ってからさらに二日後のことだった。

 

 

 

 

 

 


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