武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 さあ、覚悟はいいか?

 一度目の絶望との邂逅は、もうすぐだ。





第七話 迷宮は牙を剥く

 

 

 よくは、眠れなかった。

 

 

 

 赤く腫れてしまった顔を、冷たい水で冷やす。こんな涙の跡を、ヒルダさんに見せるわけにはいかない。

 

 早い時間では、いかにいつも騒がしいオラリオといえども、静寂に包まれている。

 耳鳴りがするほど静かな朝。まるで、この世界に生きているのが俺一人であるかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 しかし、水を止めたところで、リビング、いやキッチンの方から、なにやら物音がしていることに気付いた。

 泥棒、強盗? ……違う、何かを切る音、何かを焼く音、何かを、作る音。

 

「……ヒルダさん」

「あ、おはようツカサくん。もうすぐ朝ご飯できるから待っててね」

 

 普段着にエプロンをつけた主神が料理をしていた。

 しかも、扱っている食材や、漂ってくる匂いからして、極東の食事。俺にとっては故郷の食事、和食。

 

 瞬時に悟る。昨日の夜のことを、知られてしまったと。無様な様子を晒してしまったうえで、この(ひと)に気遣わせてしまったと。

 

「今日の朝は俺の担当のはずです」

「知ってるよ。偶々早く起きちゃって手持ち無沙汰だから作ってるの。駄目だった?」

「……いえ、すみません」

「ツカサくんが謝ることはないよ。こうしてダンジョンに赴く眷族(こども)の英気を養ってあげるのも私たちの仕事だから。テーブルに座ってて」

 

 そんな言い方をされては、断ることもできない。

 大人しくテーブルにつき、調理を続けるヒルダさんをぼんやりと眺める。その背中を、俺より一回りも二回りも小さなその背中を、後頭部、高めの位置で結われた髪を、ぱたぱたと忙しなく動き回る細い脚を。

 

 懐かしい、感じがする。

 

 いつも、朝飯を用意してくれていた母親の後ろ姿が思い出される。現世では、俺にとっては当たり前で、いつも通りだった光景。今となってはもう二度と見られないかもしれない光景。

 

 どうにも、重なる。どうしても、重ならない。

 

 異世界転生などした数々の主人公たちも、俺のように悩み苦しんだのだろうか。孤独を嘆き悲しんだのだろうか。誰かの背に涙したのだろうか。

 

 ああ、ダメだなあ、俺。

 

 こうして言外に、心配してくれている人もいるというのに。

 

 ヒルダさんがいるのに。

 

 俺は一人ではないというのに。

 

 こんなところで、挫折してる場合じゃ、ないだろ。

 

 ヒルダさんは訊かないでいてくれた。問い質さないでいてくれた。何も言わずただ労ってくれた。

 こんなに優しい主神を、悲しませるわけにはいかない。その優しさに、報いなければならない。

 勝手に、心に決めさせてもらいます。

 

 

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべる女神と食べる朝食は、温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「忘れ物はない? 新しい武器の代引き料金は?」

「ここに」

 

 ほぼ空っぽで軽いバックパックとは対照的に、ずっしりと重い財布は胸部のプレストプレートの内側に格納してある。だいたい、一五○○○ヴァリス。

 

 駆け出しの冒険者がソロで稼げる一日分がだいたい二○○○ヴァリス。俺はもう一月は優に経つが、武器の件で毎日それくらいのままだ。トルドと二人でもぐっていたときの方が高給だったくらい。

 それでも、質素に暮らしていればそれなりに貯まるのだ。

 シーヴさん及び【カーラ・ファミリア】から試用武器を貸し出してもらっているのも大きい。

 自分で選んでおいて何だけど、多く武器を持つということはそれだけ装備に金をかけるということでもあって。もちろん成り立ての俺にはそんな財産はない。今回トルドから買うのが二つ目だ。白のナイフは別として。

 

「よーし、じゃあ出かけよう」

 

 ダンジョンに行く日も行かない日も、朝にはヒルダさんを【ヘリヤ・ファミリア】の「最果ての放浪者」まで送って行くのが日課になっている。

 別に過保護にならなくても、神に不貞を働くような輩がそうそう居るわけではない。それでも、俺にとっては彼女に対して過保護にならざるを得ないのだ。

 

 この世界の一般人は彼女らから滲み出る神威(ふんいき)を感じとって、あ、神様だ、と気付けるらしいのだが、生憎別世界出身の俺にはそれが出来ない。見た目で判断するしかない。つまり俺から見ればヒルダさんも人間の美少女にしか見えないというわけだ。

 神々は皆絶世の美男美女であるため、綺麗な人がいたらだいたい神様だと思うようにしている。

 他にも、俺と同じような感覚の人がいるかもしれない。そう思うと付き添わずにはいられないのだ。

 

 まだちらほらとしか人が出てきていないオラリオの住宅街は、静かなものだった。

 石畳の道は多少でこぼこしてはいるものの、全体的に整備されていて綺麗。隙間に靴の先が入ってしまうことなどもなさそうだ。

 

「あら、お早う御座います」

 

「あ、おはようございます」

「おはようございます。フューゲルさんも早いですね?」

 

 少し歩くと、道に出ていたご近所さんと出会う。小さな娘さんが一人いる三人家族のフューゲル家だ。割とよく会うし、ヒルダさんともよく井戸端会議的な集まりをしているのをよく見る。俺はお察しだ。精々早めに挨拶をしてヒルダさんの後ろに侍っているしかない。

 

 世界の中心、迷宮都市オラリオといえども、冒険者と【ファミリア】だけの街というわけではない。

 当然人口の大半は一般人で占められており、そうした市民の働きがなければ都市の経済は回らない。飽くまで「冒険者」というのは職業の一つに過ぎないのである。

 

「うちの夫が朝早いもので、少し見送りに。ブリュンヒルデ様たちも今から御仕事に参られるのですか?」

「はい。今日はちょっと早めに起きてしまったので」

「そうなのですか。この頃、早朝や深夜帯の犯罪率が上がってきているらしいので、どうか御気を付けてくださいね」

「もちろんです。最近物騒な事件が増えてますよねえ。私も一人で出歩かせてもらえなくて」

 

 ちらりとこちらに目を遣るヒルダさん。俺は間違っていないはずですよ。少々窮屈でも安全が確保される方が優先です。

 

 幸いなことにここら辺ではまだ殺人やら強盗やらの話は聞かない。より賑やかで冒険者密度が高いところで起きる傾向があるようだ。

 

 ヒルダさんとフューゲル夫人が会話に花を咲かせているので、微妙な立場の俺は黙って行方を見守るしかない。何故女性同士の会話は長いのだろうか。これが俺とトルドだったら「この頃事件多いらしいっすよ」「そうなのか。気をつけなきゃな」くらいで終わりそうなのに。

 

 そんな感じに視線をあちらこちらに飛ばしていたところ、フューゲルさんの右後ろから俺の方をじっと見つめてきていた少女と目が合う。

 確か、テア。テア・フューゲルちゃんだ。小学校低学年くらいに見える。

 

「おにーさんも、ぼうけんしゃなんだよね?」

「そうだよ。俺も冒険者の端くれだ」

 

 テアちゃんとは会う度に話をして、それなりに懐かれている……と、思う。彼女からしてみると、俺は近所の大きなおにーさん、みたいな感じ、だろうか。

 

 近所付き合いは意外なほど重要だ。特に俺たちのように住宅街のど真ん中に本拠を構えている場合は。まあ普通の一軒家なのだが。

 やはり、住みづらくなるのは困る。オラリオは広いが、面積は無限ではない。悪評は一度広まれば、取り返しのつかないことになりかねないのだ。

 しかし俺はトークスキルに恵まれていない。そのため大人同士の付き合いは主にヒルダさん、その間の子供たちの相手は俺、という図式ができている。いかに話下手であっても、子供の話を聞くくらいはできる。

 

「ぼうけんしゃは、だんじょんにもぐるんだよね」

「うん。ダンジョンにもぐってモンスターを倒してくるのが仕事みたいなものさ」

「でも、だんじょんももんすたーも、きけんだっておとーさんがいってたよ」

「確かに危険だけど、やり甲斐があるからやってるんだよ。ダンジョンには色んなものが詰まってるんだ」

「だんじょんって、おもしろいの?」

「うーん、面白くは、ないかなあ。テアちゃんの言うとおり、危ないことの方が多いよ。死と隣り合わせの職業でもあるからね」

 

「おにーさんも、しんじゃうの?」

 

 一瞬だけ、ヒルダさんの挙動が止まる。

 

 冒険者は、常に死の危険に晒され続ける職業。テアちゃんの「おにーさんも」という発言からは、一般人の、冒険者に対する認識がよくわかる。

 多分、冒険者になりたくない人には決して理解出来ないのだと思う。冒険者の、動機なんて。

 

「死なないよ。おにーさんは死なない」

 

 強く頷き、テアちゃんを安心させられるよう努めてみる。ヒルダさんにも、俺の思いは伝わっているだろうか。

 不安そうな表情をしていたテアちゃんは、わずかに口角を上げた。

 

「しなないでね、おにーさん」

「おうともよ」

 

 できる限りなるべく爽やかな笑みを見せる。爽やかかどうかはその人次第だけど。

 

 もうすぐ、ヒルダさんたちの話も終わりそうだ。

 

「それじゃあ、そろそろ御暇します」

「私も、この子の朝御飯を用意しなければならなかったんでした。御話できて楽しかったです。それではまた。ほら、テアも御挨拶しなさい」

 

 フューゲル夫人は右側に振り返り、テアちゃんに挨拶を促す。テアちゃんはヒルダさんに姿を見せ、きちんとお辞儀をする。

 

「またね、テアちゃん」

「うん。おねーさんもまたね」

 

 実に微笑ましかった。

 

 帰ってゆく親子に手を振った後、にわかに活気を帯び始めた道を歩く。

 段々と日陰がなくなっていく街。ゆっくりと温度を上げる空気。周りから飛んでくる数多もの足音は、歩けば歩くほど増えてゆく。

 目的地に辿り着くまで、俺とヒルダさんはお互いに無言だった。でも、それは心地よい沈黙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン内部、第四階層。

 

 薄青色が眩しい。いつ来ても時間の感覚が狂いそうになる。俺的にダンジョンには時計が必須だ。

 だいたいこの階層までのモンスターの魔石は小爪サイズで、魔石の欠片とも称される。その分モンスターも弱い。要するに、初心者向けエリア、ということだ。

 なんとかここまでは今の俺一人でもクリアできる。つい先日踏破したばかりだ。

 

 しかし、これ以降下へ進むと、ダンジョンは一変する。

 内部の色は薄緑になり、構造も難化、七階層で初出の『キラーアント』を筆頭とした、初心者殺しとも呼べる、厄介なモンスターが一気に増える。

 何より特筆すべきはモンスターの出現間隔(インターバル)が短くなることだ。四階層までと同じ感覚でいるとまず痛い目に遭う。戦闘中、気が付けば囲まれていた、なども十分にあり得る話だ。

 

 冒険者の最初の難関。それが五〜七階層であると言える。ちょうど自信がついてきた頃に突然訪れる桁違いの脅威に、調子に乗った駆け出したちは挫かれてしまう。

 その辺に、「冒険者は冒険してはいけない」という言葉の真意があるように思える。

 己の力を過信してはならない。地道な積み重ねを軽視してはならない。駆け足で進んではならない。驕った者から屠られてゆく、それがダンジョンだ。

 そのため、まず一〜四階層でダンジョンに慣れること。準備を万端にすること。あらゆる力を蓄えることが必要になる。

 

 俺はまだ五階層に挑戦できない。トルドと共に行ったことはあったけど、その時に、正直まだまだ通用しないことはよくわかってしまった。

 それに、今回は約一月弱、ダンジョンにもぐっていなかったトルドの軽いリハビリと、俺の新武器の件もあって、この階層が適切だと判断した。

 

「どうっすか? ここまでの戦闘を見る限り結構使えてるみたいっすけど」

「これは比較的取り回しやすいからな。シーヴさんのとかと比べたら全然、簡単だ」

 

 刃に付着した血を、一振りで払う。片手でも振るえるほど、その武器は軽かった。

 

晴嵐(はるあらし)』。 紅緒を打った刀工の別作品の、刀。俺の正式な二刀目だ。

 

 それほど特徴のある外見ではないものの、特長は顕著である。

 

 刀を振る時に聞こえることがある「刃鳴り」。ヒュー、だとか、ピュッ、という音だ。空気抵抗の関係で、より薄い刀を、より速く鋭く振れば振るほど、高く短い音が出るようになっている。

 普通の刀を用いて刃鳴りをきれいに出すことは、相当な熟練者でも困難とされる。そのため刃鳴りを出せる使い手は、それだけで強さを証明できることになる。

 

 そして、刀身に「()」という溝を入れることがある。これは、強度を損なわずに重量を調節するためのものだが、入れることによって空気抵抗が増し、結果的に刃鳴りが出やすくなる。樋を入れることにより、初めて鳴りやすい刀が生まれるのだ。

 しかし、空気抵抗が増す、ということはつまり、振る速度は当然落ちるわけで。

 つまり、樋が入っている刀はよく鳴るが、あまり実戦的ではない、ということになる。

 

 では晴嵐の長所とは何か。

 

 それは、樋がなくとも刃鳴りが出やすく軽い、という点である。トルドが聞いた話によれば、春の嵐の如く、また、晴れの日の嵐の如く、空を駆けその音を響かせる、らしい。

 

 通常の刀よりも刀身を()()することによって、軽量化、切れ味の向上を実現している、職人技が光る一刀であった。そんなの聞いたこともないが、この世界の固有技術に素材の特性だろう、多分。

 お一つ一二○○○ヴァリス。まあ性能は駆け出しが持つにしては高めなので、充分良心的な方だろう。

 

「でも、この明らかに薄い刀身を見てると、折れないかすごく心配になってくるな」

「確かに、ボクのナイフとかと比べると半分くらいの厚さっすね。硬いものに対しては腰が引けそうっす」

「これでキラーアントの装甲を……ダメだ折れる想像しかできん」

 

 往々にして、個性が強く、尖っているものは扱いづらいものだ。この晴嵐も、聞く限りは強度面も通常のものと遜色ないらしいが、どうしても不安になる。

 まあキラーアントなどとエンカウントするのは七階層からだ。それまでに経験値を溜めて上手く使えるようになればいいだろう。

 

 そこらに倒れ伏すモンスターたちから魔石を回収し終わると、それを待っていたかのように、近くの壁に亀裂が走る。

 

「次の獲物が来たみたいっすね」

「ああ。また返り討ちにしてやろう」

「じゃあこれまでと同じく、ツカサくんが斬り込んでボクが援護及び討ち漏らしの殲滅、でいこうっす」

「ごめんな。トルドの方がずっと強いのに、俺が戦闘してばっかで」

「全然。むしろツカサくんには早く育って欲しいっすから。ボクも、いつも一緒にもぐれる人が増えて嬉しいんすよ。……ほら、来るっす!」

 

 びきり、びきり。

 

 亀裂が大きくなる。俺たちは一旦退がり、体勢を整え戦闘に備える。

 

 壁が破られ、ばらばらと、ダンジョンの破片が地面に落ちる。

 

 ダンジョンとは、迷宮であり、モンスターを生み出す母胎でもある。その構造で迷わせるだけでなく、モンスターを自らけしかけ殺しにくるのだ。

 迷宮の壁を壊し出てくるモンスターたちは、既に戦える状態で生まれてくる。成長の時間など必要としない。すぐにでも俺たちを葬るためだけに、この世に存在を成すのだ。

 

 モンスターたちの足が、地に着く。

 ゴブリンが二体、コボルトが三体、ダンジョン・リザードが二体。少々、多い。

 でも、今の俺たちなら苦もなく撃破できる。

 

 

「行くぞっ!」

 

「応、っす!」

 

 晴嵐を抜刀したまま、モンスターたちに向かって駆け出す。抜刀術など使って、鞘と擦れさせるわけにもいかない。居合は封印だな。

 

 真っ直ぐ、高速で突っ込んでゆく。敵に迎撃体勢を整えさせず、一方的に先制攻撃をぶち込むための瞬間的加速。

 

 反応が速かったのはダンジョン・リザード。二体とも、塊になっていたモンスターたちから一早く離脱し、壁に飛びつく。

 

 頭上から奇襲でもしてくるつもりなのか。でも、姿が視認できれば怖くはない。

 

「ふ、っ!」

 

『⁉︎』

 

 攻撃範囲、ぎりぎりのところで、それまで以上の速度の刺突を繰り出す。鋭い切っ先は、ゴブリンの喉元を簡単に刺し貫いた。

 

 後ろからトルドが追いついてくる。

 

 ダンジョン・リザードへの警戒はもう低めでいい。先にこの五体の小型を始末する。

 

 ゴブリンの喉に突き刺さった刃を横に倒す。肉が無理にかき混ぜられる音と感触。ちょっと気分が悪くなりそうだ。

 

『ガッ、ギャァァァッ!』

 

 苦悶の咆哮はいつもより小さめだ。だが俺は、わざわざ痛めつけるために抉ったのではない。

 

 軸足に重心を集中させ、上半身を回転。横薙ぎにゴブリン二体にコボルト一体を両断する。

 

「次ッ!」

 

 正面から直角に横を向いた体勢そのままから、今度は逆方向へ、反動を用いて身体を捻じり、先ほど踏み込んだものと逆の足を前に出し。

 

 力強く、斜めに斬り下ろす。ヒュッ、という風を切る刃鳴りが起こる。豆腐でも切っているかのように、刃がすっとゴブリンの肉体を通り過ぎた。

 

 あと一体。

 

 ここで、最後に残ったコボルトが飛びかかってくる。

 

 刀は敵の攻撃を受け止めるためにも使えるが、晴嵐の特性上あまり盾にはしたくない。

 

 バックステップで安全に後退する。横目でトルドの方を確認すると、壁を這いまわるダンジョン・リザードの一体を切り伏せたようだ。

 

『グルァァァァッ!』

 

 威嚇をしているつもりか、コボルトは吠えながら着地、そして再び飛びかかる体勢を整えて。

 

「遅い」

 

 その自らの足でではなく、素早く距離を詰めた俺の蹴り上げによって身体を浮かび上がらせる。

 

 格好の、的だ。

 

 空中において無防備になったコボルトは、一息に繰り出される唐竹割りを躱すことができない。

 

 少しだが、手応え。

 

『ギャ、ァッ⁉︎』

 

 勢い余って魔石を斬ってしまう。正中線をしっかり切り裂けたということなので、そう悪いことでもないけれど。

 

 空中で灰に還ってゆくコボルト。これで残りはダンジョン・リザード一体のみ。

 

 晴嵐を持ち上げつつ、辺りに視線を巡らせる。しかし、トルドもダンジョン・リザードも、周りには見当たらない。

 

「ツカサ! 上だ!」

 

「!」

 

 顔を上に向けると、ちょうど天井からダンジョン・リザードが降下してくるところだった。ヤツの攻撃範囲は広い、迎撃する。でも晴嵐は身体の前で構えている、間に合うか?

 

 瞬間、視界をトルドが横切る。

 

 どうやら壁を蹴って俺の頭上を跳び越えたらしい。いよいよ戦闘がファンタジーじみてきた。

 

 ダンジョン・リザードと交錯するトルド。しかし空中では致命傷を与えるには至らなかったようで、手足を何本か切り落とすだけに留まる。

 

 だが、それで十分。一瞬でも落下速度が低下し、俺の構えが間に合えばそれでいい。

 

 上段に構え、タイミングをしっかり測って、ただ振り降ろす。

 

「は、ッ!」

 

 一閃。

 

『ギ、ァァァ……』

 

 ダンジョン・リザードの身体は真っ二つになった。ちゃんと斬ると同時に後退し、返り血を浴びるのを避けるのも忘れない。

 これで、残っているモンスターはいない。戦闘は終了――

 

「向こうの角のところ、新手っす! 数は一体、種類は……「フロッグ・シューター」!」

 

 まだ、終わってはいなかった。

 

 フロッグ・シューターは第六階層付近に出現するモンスターだ。しかし、モンスターは、産まれ落ちた階層の上下二階層ほどは移動することがある、と聞いたことがある。

 気が付けば、俺たちは五階層への道にほどなく近いところまで来ていた。六階層のモンスターと鉢合わせることは珍しくても、決してないとは言えない領域に足を踏み入れていたのだ。

 

「ここはボクが行く! ツカサは他の道からの奇襲を警戒して! こいつだけとは限らない!」

「了解!」

 

 俺は、まだフロッグ・シューターやウォーシャドウといったモンスターたちと戦ったことがない。ここはトルドに任せるしかない。

 周囲に気を配り、他のモンスターが出てこないかどうかに集中する。トルドなら楽勝だとは思うが、挟み撃ちなどの不利な状況になる可能性を消すのに越したことはない。

 近くの通路を覗き込んだとき、女性の悲鳴とモンスターの声が聞こえてきた。そう遠くない位置で戦闘が行われている。トルドが勝利したら、そっちに向かうべきか。

 

 

 

『…………』

 

 

「!」

 

 

 トルドの方に振り向こうとした刹那、背後から殺気を感じ、通路に転がり込む。

 

 

 しまった、他の通路から出てきたモンスターに気付かなかったんだ。トルドと分断されてしまった、早くこいつを倒して合流しなければ――

 

 

 

 

 

「なっ……!」

 

 俺に襲いかかってきたモンスター、その姿を捉え戦慄する。

 

「ツカサ⁉︎ どうした⁉︎」

 

 突如姿を消した俺に、トルドが大声で呼びかけてくる。反響具合や大きさからいって、まだ動いてはいないようだ。

 

「問題ない! こっちもモンスターが出ただけだ! すぐ倒して戻る!」

 

 駆け付けてくるのではなく、大きな声で問うてきたということは、トルドの相手がフロッグ・シューター一体だけではなかったということ。

 全滅させたら、こちらに援軍に来てはくれるだろうが、それをあまり頼りにするわけにもいかない。俺だけで、この戦局を乗り越えなければならない。

 

 目の前の敵を、俺はしっかり知っている。

 

 そいつは、約一六○C(セルチ)ほどの、漆黒で、人の形に近い体躯を持つ『影』。黒く染まっていないところは、十字状の頭部の前面中心にはめ込まれた円形のパーツのみ。

 

 

 

 六階層出現モンスター、『ウォーシャドウ』。

 

 

 

 原作でベル君が苦戦した、鋭利な三本の『指』と、純粋に高い戦闘能力を備えた手強い相手。

 

 一瞬で、臨戦態勢に入り、集中する。

 

 俺が、まだ戦ったことのない強敵。新米がぶち当たる壁とも呼べるこのモンスターを、俺が、ここで、一人で倒す。倒さなければならない。そうしなければトルドと合流できない、なによりこいつが逃がしてくれないだろう。

 

 戦闘は、音もなく再開される。

 

『…………』

 

「⁉︎ くっ!」

 

 先手はウォーシャドウ。

 

 予備動作なしで、その異様に長い腕を伸ばして、ナイフのような三指を突き出してくる。

 

 俺の顔面を狙っていた一撃を、首と身体を一度に捻りなんとか躱す。ヒュゥ、と風を切る音が耳元で聞こえた。

 

 速い。そして鋭い。それだけでわかる、いままで戦ってきたモンスターたちとは一線を画す存在だということが。

 

 約二倍の期間を経ているとはいえ、こいつらと初めて戦ったときのベル君に、俺は【ステイタス】上で敏捷以外が優っている、などという慢心は捨て去れ。

 

 続いてウォーシャドウは、俺に一歩近づき、足元から掬い上げるような切り上げを放ってきた。

 

 俺の胴を切り裂く軌道を描くだろう斬撃を、晴嵐の刃で受け止めに行く。少々心配だったが、しっかり耐えてくれた。

 

 そのまま指を押し返し、今度は俺がウォーシャドウの胴を狙い斬り上げを放とうとするが。

 

「くそっ!」

 

 逆からウォーシャドウの指が迫ってきていた、間違いなくヤツの攻撃の方が先に届く。

 

 晴嵐は間に合わない。如何に速く振るえるといっても、それは俺の技量に懸かっている。わかっている、確かに敏捷が足りない。

 

 咄嗟に膝を落とし、後ろに転がる。後転なんて体育のマット運動以来だ。

 

 即座に膝立ちで晴嵐を横薙ぎに振るい、牽制をして急いで立ち上がる。しかし、その牽制は意味を成していなかった。

 

 

『…………』

 

 

 

 ウォーシャドウは、待っていた。俺が立ち上がるのを、俺が再び向かってくるのを、俺とまた刃を交えることを。その場から一歩も動かずに。

 

 ダメだ、俺は舐めていた。

 

 もとより、「早くこいつを倒して」行こうと考えること自体が、慢心ではなかったか。こいつにも俺は楽に勝てると確信してはいなかったか。何の苦もなく切り抜けられると思い込んではいなかったか。

 

 今はただ、こいつと戦うことだけに、集中しろ。でないと、殺される。

 

 だが、どうする。このウォーシャドウに速さで敵わない以上、晴嵐の長所の一つである振りの速度が活かせないことになる。仮に紅緒に替えたところで、晴嵐よりも遅い斬撃で太刀打ちできるとも思えない。

 

 やはり、ここは晴嵐。綺麗に勝とうなどというこだわりは生ゴミにでも出しておけ。泥臭くても血塗れでも、意地でも勝つ。その意気さえあれば十分だ。

 

「すまんな、見苦しい戦いをして。でも、ここからは全力で行かせてもらう」

 

『…………!』

 

 モンスターに言葉が通じるとは思えない。しかし、ウォーシャドウは俺が晴嵐を構えると同時に、その腕をゆっくりと持ち上げ、「構え」をとった。

 

 二者は同時に走り出す。もともとそうなかった距離がものの数瞬もなく縮まり、消える。

 

 まず、刺突。晴嵐の切っ先と、ウォーシャドウの指が交錯する。

 

 俺が繰り出した、胸、その中の魔石を狙った全力の刺突をウォーシャドウは難なく避ける。しかし、その反動で、同じく胸を狙っていたウォーシャドウの指も到達点を変える。

 

 

 肩を刺し貫く軌道に乗っていたその指を、俺は()()()()()()

 

 

 俺のプロテクターが小さかったこともあり、そのぎりぎりを深々と、俺の身体を突き破っていく指。その感覚は、おぞましくも冷たい。

 

 痛みは、それほどない。恐らく興奮によって痛覚が一時的に鈍っているのだろう。この状態のうちに、勝負を決めなければならない。

 

『……⁉︎』

 

 まさか、これまでの経緯より、俺が避けるだろうと予想でもしたのか、ウォーシャドウは動揺を見せた。知性と学習能力が高い個体のようだが、今回はそれが隙になる。

 

 肩関節は怖くて動かせない。肘だけを使って、貫かれている方の手でウォーシャドウの腕を捕まえ、晴嵐の刃を押し当てる。

 

 真っ黒な腕が切断される。綺麗な切断面から、どろりとした漆黒の液体が溢れ出す。

 

 突然の手痛い反撃にたじろいだウォーシャドウは、後退し俺から大きく距離をとった。

 

「言ったろ、全力で行くって」

 

 刺さったままだったウォーシャドウの腕を引き抜き、今まさに隻腕となった敵を強く睨め付ける。

 

 しかし、俺の方も、大きな血管が破れたらしく、傷口からの出血がひどい。これは、短期決戦で終わらせ、早くポーションで治療を施さないといけないだろう。

 

 お互いに片腕のみ、しかも早い勝利を条件としたこの対峙は、一見ウォーシャドウ有利に感じる。だが、ここで晴嵐の利点が活きてくる。

 

 バランスと使いやすさ、万能性を強みとする紅緒とは違う、より軽さに特化した晴嵐。

 ただ薄いだけじゃない。ただ切れ味を増しただけじゃない。ただ速く振るえるわけではない。そのためだけの軽さではない。

 晴嵐の軽さ。重心のバランスからなる安定感。刃の薄さ。それは「片手でもある程度扱える刀」であるということ。この規格外は、当てて、押すだけで、斬れる。この状態でもしっかり武器の務めを果たす。

 

 しかも、片腕が使えなくなっただけの俺に対し、ウォーシャドウは腕そのものを失ったために、バランス感覚を失う。

 

 もう、この俺はさっきの俺ではない。

 

 ゆっくりと、余裕そうに、一歩、一歩、近付いていく。ここで、決める。気迫でも出ていたのか、ウォーシャドウが途端に焦り出す。

 

『…………! …………!』

 

 体勢を崩しながらも、俺を近付かせまいと慌てて残っている腕を振り回し威嚇するその姿は、恐らく、こいつに遭遇した直後の俺と同じ。

「防御」に傾倒し、「攻撃」をした分受けるダメージのリスクを恐れ、結局中途半端に攻めきれなくなる。

 格下相手には十分通じるだろう。堅守だって悪いものではない。しかし、格上に挑む際には、それを受け入れ、かつその危険を上手く捌くことが必要になる。

 

 縦横無尽に飛び回る指をかいくぐり、レザーアーマーを浅く切り裂かれながらも、ウォーシャドウの懐に潜り込み。

 

 

 

 迷いなき一閃。

 

 

 

「ありがとう。お前のおかげで大切なことに気付いたよ」

 

 ウォーシャドウのもう一本の腕が、その胴体が、地に落ちる。魔石も斬れたのか、少ししか間を置かずして灰となり崩れていった。

 

 

 

 勝った。

 

 

 

 これが、冒険。

 

 ベル君がミノタウロスに立ち向かったときとは比べものにならないくらい小さな冒険。しかし、俺にとっては確かな成果だ。

 

 ただ無鉄砲に向かっていくのではない。ただ危険を顧みず突っ込んでいくのではない。全てを理解したうえで、天秤に掛けたうえで、己の勝利を十分に確信し勝負に出る。それが冒険なんだ。

 

 

 

 

 

 黒い刺客をなんとか撃破した後、急いでポーションを傷口にぶっ掛け、手持ちの布で縛って圧迫止血を試みながら応急処置を施す。

 

 こんな状態でトルドの元へ向かっても、彼の負担を増やしてしまうだけだ。ダンジョンでは全てが自己責任となる。

 またすぐ戦闘になっても大丈夫なように、軽く、しかしきっちり準備を整えてから通路に飛び出す。

 

「トルド! 大丈夫か!」

「それはこっちのセリフだよ!」

 

 一体のフロッグ・シューターと戦っていたトルドの周りには、なお二体のフロッグ・シューターと、一体のウォーシャドウ、三体のダンジョン・リザード。

 六体ものモンスターに囲まれていても、トルドは危なげなく一体ずつ倒してゆく。それだけならまだ、また上がってきたモンスターと運悪く交戦しているという状況であっただろう。

 

 しかし、その足元には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なんだ、その数は。上層でそんなに連続してモンスターとエンカウントするものなのか?

 

 ――いや、違う。これは。

 

「これは例の『大量発生(イレギュラー)』だ! これから更に増える、ツカサ、逃げるぞ!」

「五階層から上は被害に遭わないんじゃなかったのかよ!」

「わからない、でもこの数は間違いなく例のやつだ。ボクも一度だけ遭ったことがある、この感じは覚えてるよ」

 

 トルドは比較的スピードがあるウォーシャドウの魔石を突いて倒しつつ、駆け寄ってくる。

 

 先ほどまでトルドが戦闘を行っていた場所には、更にモンスターが押し寄せてきている。数は、十じゃきかない。

 あのすぐ先は五階層への階段だ。トルドがなんとか食い止めていたモンスターの波が、堤防を失い暴走する。一気に、ここ四階層に流れ込んでくる。

 

 思えば、ウォーシャドウとの戦闘の直前に聞こえた悲鳴、あれも今回の大量発生の被害者だったのかも知れない。

 

 しかし、モンスターたちは俺たちを追うわけでもなく、ほとんどは目もくれずにばらばらの方向へ散ってゆく。

 それでも、その数の多さからいって、俺たちと同じ道を選んだ奴らだけでも、通路をいっぱいにするほどの規模がある。はっきり言って、異常だ。

 

 地下で起こる、肉の津波。呑み込まれたら死、あるのみの絶望。

 

 かなりの速度で迫ってくるモンスターたちに、追いつかれるわけにはいかない。

 

「まずい、既にモンスターの方が先を走っている」

「走っている? どういうことだ? 大量発生って、ただモンスターが多く出現するだけじゃないのか?」

 

 並走するも、トルドの足を引っ張っているだろう速度しか出せない俺の脚力が恨めしい。

 ウォーシャドウにやられた傷が痛むが、弱音を吐いている場合でもない。肩を庇いながら、出来るだけ速く走る。

 

 トルドの、本来は戦闘中だけのはずの口調が続いているということは、まだ気を抜いてはいけないということだ。そんなことは、これまで一度もなかった。否応にも緊張が高まる。

 

「最近、定期的に起こる大量発生は、それまでに稀に起こっていたものとは全く違うんだ。前も話したと思うけど、モンスターたちが階層を跨ぐんだ。普通は、動いたとしても一つか二つの階層を上下するだけ、だろ?」

「あ、ああ。それくらいだって聞いた」

「でも、この時だけは違う。この大量発生のときだけは、モンスターたちがそれ以上の移動をする。本来十階層から出現するはずのオークが、六階層まで上ってきたりするんだ。ただ大量に発生するんじゃなく、他の階層へ大量に移動する。それがいま起こっている大量発生なんだ」

 

 発生階層から、上下のいくつかの階層へ、途中の階層のモンスターを巻き込んでの大移動。道中の冒険者を軒並み呑み込み無残に噛み砕いてゆく、生きた津波と化し、ただただ蹂躙する。

 

 広いルームに陣取り迎撃戦を行っても、階層の隅に逃げても、結局数の暴力で押し潰されて死ぬ。

 しかも、調査のための上級冒険者パーティが発生階層に到達したりすると収まりやすくなるらしいが、わかっているのはそれだけで、原因は釈然としないらしい。そんなの、手に負えないじゃないか。

 

 原作で定義される「大量発生」とは、まるで違う。

 

 そして、トルドが呟いた「先を走っている」という言葉。それはつまり。

 

「つまり、今俺たちは……」

「多分だけど、モンスターの波の真っ只中にいる。発生階層がわからないからどこまで行くのかは不明だけど、このままでいればほぼ間違いなく呑み込まれて死ぬよ」

 

「それじゃあ、どうすりゃいいんだ⁉︎」

「……正規ルートを通らず、なるべく三階層に近いところまで行けば、あるいは」

 

 正規ルートとは、次の階層にスムーズに移動するために定められたものだ。そのため基本的に、最短経路が正規ルートとなる。

 よって、ほとんどの場合、その道を通ればその階層を最も早く横断できる、ということになる、なってしまう。

 

 それは、どういうことになるかというと。

 当然、その道を通ってきたモンスターの波の方が確実に速い。通路はだいたい七、八M(メドル)くらいの幅があるのだが、それでも正規ルートは()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という絶望的な予想が成り立つ。

 

「モンスターの流れは、多分三階層まで届く。でも、発生地点から遠ざかれば遠ざかるほど、その勢いは落ちてモンスターの密度も小さくなる。突破できる可能性も出てくる」

「なるべく薄いところから抜け出ようってことか」

「でも、必ずそうできるわけでもない。限界まで行っても、足りないかもしれないけど……」

「それが一番可能性あるんだろ。それでいこう」

 

 どのみち、俺一人だけでは生き残れるはずもない。

 むしろ、俺を置いていけば少しは生き残ることができる可能性が高くなるだろうに、こうして共に行動してくれているトルドに、異を唱えるわけもなかった。

 

「……わかった。こっちだ」

 

 四階層の地図は頭に入っているのか、トルドは迷いなく、これまでの方向とは違った曲がり角を曲がる。

 

 やはり下の階層からモンスターが流れてきているのか、そこらにもちらほらと下層のモンスターが見受けられる。

 フロッグ・シューターやウォーシャドウなどが当たり前のように闊歩している四階層など、怖くて歩けない。となると、やはり討伐部隊が組まれるのだろうが、もう何度も行われていることだし、運が良ければその討伐部隊に助けてもらえる可能性もある、とのことだった。

 

「そういえばこれから三階層に向かうってことだけどさ、それまではどこに向かってたんだ?」

「ああ、さっきまでは食料庫(パントリー)に行こうとしてたんだ」

 

 トルドは、難なくフロッグ・シューターとダンジョン・リザードを屠りながら語る。

 

 これまで、この大量発生において生存者は少ない。この頃は、先程のような前兆がある場合がほとんどであって、むしろ大量発生に出くわす前に脱出できている冒険者の方が多くなってきているらしいので、事情はちょっと異なるが。

 とにかく、初回のときを例外として、毎回多少の生存者が出ている。それは実力者であったり、大所帯だからであったりするのだが、彼らが生き延びた場所として、階層の端である食料庫が最も報告が多いそうだ。

 階層全体がモンスターに支配されていても、ほんの少しはマシであるため、討伐部隊も生き残りを捜索する際、まず食料庫から確認に行く、ということなのでそこを一番に考えていたらしい。

 

「でも、ボクたちはLv.1だし、たった二人だ。正直言って望みはかなり薄いと思っていたんだけどね」

「まあ、厳しそうだよな」

「それに、ボクがさっき通路で抑えてたモンスターの勢いが、そこまでじゃなかったのもある。あれなら、三階層近くになれば相当、速度も下がるし数も少なくなるはず。そう考えると、上に向かう方がいいんじゃないか、とね」

 

 横道から飛び出してきたウォーシャドウを、トルドは一突きで葬る。

 

 段々、モンスターが飛び出してくる頻度が上がってきている気がする。時折、その横道を覗き込むと、遠くにだが大量のモンスターを捉えられるので、もうそんなに猶予はないようだ。

 

 

 

 しかし。ひとまずは、俺たちの勝ちだ。

 

 二人して、足を止める。

 三階層にほど近い、正規ルートに合流するところの横道から、その目的の通路を窺う。

 

 

「こんなに大量のモンスター、見たことないぞ……」

「まだ、少ない方だと思うけど……やっぱり、凄まじい数だね……」

 

 

 

 正規ルートは、モンスターに占領されていた。

 

 

 

 モンスターたちの進軍速度は徒歩で追い越せる程度だが、その数が圧倒的だ。比喩でもなんでもなく、()()()()()()()()()()()ひしめいている。

 

 それに、五階層の近くで遭遇したモンスターたちは、それなりに急いで、まるで何かから逃げているかのように走ってきていた。

 しかし、対してこの三階層付近の奴らは、やはり俺たちに目もくれないものの、切迫した雰囲気はないように思える。発生地点から離れてきたから勢いが削がれているだけなのか、それとも。

 

「後ろからも来てるし、怖気付いてる時間もないね。中に入れば、ボクたちが敵の数を減らして逃げ切るのが先か、ボクたちの体力が削り切られるのが先か、の厳しい戦いになる。準備はいいかい?」

「……おう、大丈夫だ」

 

 とにかく、このモンスターの海を掻き分け進み、脱出することができれば俺たちの勝ちだ。

 

 紅緒ではなく、晴嵐を抜き放ち、構える。

 

 こんなところで死ぬわけにはいかない、意地でも生きて帰る。ヒルダさんに気を遣わせておいて、自分で勝手に誓っておいて、無様な最期は許されない。

 

 

 長く長く、息を吐き。

 

 

 大きく大きく、空気を吸い込んだ。

 

 

「んじゃ、行こうや」

「うん。行こう」

 

 

 

 そして、目の前のモンスターの海に飛び込もうと、踏み出そうと、した、その瞬間に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モンスターたちが、宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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