武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 心同士は触れ合うことが出来ない。

 どれだけ近付いたって、そこには身体という絶対的な隔たりが、存在しているから。





第六話 近付く距離、離れる心

 

 

 拍手の海で、渦中の少女だけが浮かび上がる。

 

 まるで、スポットライトがそこだけ照らし出しているかのように、その姿は俺の目に強調されて映った。

 湧き上がる歓声を、さも当たり前だとでも言うように静かに佇む彼女は、女神にも劣らない澄んだ空気を纏っている。

 

「怪我はありませんでしたか?」

 

 原作登場キャラクター、リューさんこと『疾風』のリュー・リオン。Lv.4の第二級冒険者。

 

 そう問いかけてくる彼女は、全てが完璧であった。

 凛とした立ち振る舞い、切れ長の、空色を帯びる眼を含めこの世のものとは思えないほど整った顔立ち、女性が揃って思い浮かべるようなプロポーション、風に靡きさらさら流れる髪、空を裂きよく響く声。

 もう、存在感からして違う。こういう人が物語に登場するような人種なのか。この人に比べれば、俺なんかその辺のモブと何ら変わりない。

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

 なんとか返事をするので精一杯だ。

 確か原作時では二十一歳だったので、いまは十六歳か。そして、まだ【アストレア・ファミリア】が潰される前、ギルドのブラックリストに載る前のリューさん、ということになる。

 

 リューさんが所属している【アストレア・ファミリア】は、オラリオ内の治安維持を目的とした運営を行っている、いわゆる正義の【ファミリア】だ。

【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】という二大【ファミリア】が実質解散してから約十年。その当初こそ治安の乱れようも凄まじかったという。いきなりトップがいなくなったことにより、一気にパワーバランスが崩れ、大混乱に陥ったのである。新興の【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】が台頭してきても、治安の回復には長い年月を要した。

 

 いまはそれほど荒れてはいないものの、やはりならず者はいなくなることはなく、ダンジョンを管理しているギルドが名義上オラリオの管理も請け負ってはいるが、『恩恵』を授かっていない一般人では、冒険者相手には限界があるのが実情。

 そこで【アストレア・ファミリア】などが代わりに街を治める仕事を買って出ているということだ。

 

 五年後には【ガネーシャ・ファミリア】が『オラリオの憲兵』とも呼ばれているし、きっとそういう仕事をしているのは【アストレア・ファミリア】だけではないはずだが、オラリオ全域となるとなかなか厳しく、増え続ける犯罪者に手を焼いているらしい。

 また、その活動方針ゆえに、そういった【ファミリア】には敵が多い。

 原作の流れに沿うなら、【アストレア・ファミリア】は敵対【ファミリア】に潰され、リューさんが主神アストレアを逃がして、その敵対【ファミリア】の団員を皆殺しにし、力尽きたところをシルさん及び「豊饒の女主人」に拾われる、という道を辿ることになる。

 

 その結末と、原作での活躍まで知り得ている俺がここで彼女に出会ったのは、果たして偶然か、否か。

 

「そちらの方も、大丈夫でしたか? ……いや、助けは要らなかったかもしれませんね」

「えっ?」

 

 後ろ手を縛られた暴漢二人を立ち上がらせ、半ば引きずって歩いてきて、俺の背後に目をやりリューさんは苦笑した。

 額縁がない絵画のようなその美しさに見惚れてしまうが、その言葉の真意を図りかね、背後、シーヴさんの方に振り返る。

 

「ぐ、ぅうぇえぇぇ、放し、でぐれえぇぇええっ」

「『疾風のリオン』。放しても?」

「十分です」

 

 

 シーヴさんの細腕が、一回りも二回りも大きい体躯を持つ男の襟を掴んで持ち上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御協力、ありがとうございました。それでは、後は私共が責任を持って引き継がせていただきます。オズワルドさん、お願いします」

「任せてください」

 

 手首を縛られた先ほどの三人組は、より筋肉質で大きな男性職員に連行されていった。

 野次馬が報せたのか、俺たちがギルドホールに入るなり、ノエルさんと大男さんが駆け寄ってきたので、引き渡しはスムーズに行われた。

 

 どうやら、シーヴさんをナンパしてきた三人は、ギルド周辺で犯罪を繰り返すような奴らだったらしい。

 話によると、ダンジョン帰りの初心者や一般人を狙った金銭の強奪や恐喝などをしていたとか。犯人にLv.2が混ざっているらしく、なかなか捕まらなくて困っていたそうだ。今回は気が大きくなっていたのだろう、ナンパして捕まるとは情けない。

 

「災難でしたね」

「ええ、まあ。でも、あの二人がいたので」

「確かに、正義の『疾風』に乱神の『槌を振るう狼(ファベル・ルプス)』がいれば大抵の冒険者は敵いませんね」

「『槌を振るう狼(ファベル・ルプス)』……?」

「御存知ないのですか? シーヴ・エードルント様の二つ名ですよ」

 

 二つ名。Lv.2以上の上級冒険者に付けられるそれはいわば強者の証。

 

 そりゃ、そうだ。あんなに重い荷物を軽々と背負っていたのだから。あの扱いづらい高そうな刀を使っているのだから。心の何処かで、シーヴさんは強くないと思い込んでいたらしい。

 まさか、結構な人に教えを請いていたのか、俺は。 改めてヒルダさんが整えてくれた環境の良さに気付き感謝が止まらない。

 

「知らなかったです……」

「エードルント様とダンジョンに御行きになったのではないのですか?」

「いや、シーヴさんが戦うところは見ていないので」

 

「……見なくていいし、知らなくて、いい」

「へ?」

 

 知らないうちに、リューさんと会話していたはずのシーヴさんが俺とノエルさんのすぐそばに立っていた。

 煩わしそうに、シーヴさんは眉を顰める。

 

「別に、武勇で名声を得たいわけじゃない。だから、知らなくていい」

 

 このオラリオにおいて、武勇を轟かすのは大抵の冒険者の目標である。その簡単な指標がLv.であり、皆Lv.5以上……一級冒険者を夢見てダンジョンにもぐるのだ。

 もちろん、鍛治師(スミス)となって名匠として名を馳せたり、薬師や商人になり財を築き上げる人もいる。

 シーヴさんは、後者なのか、それともあまり騒がれたり表舞台に立つことが好きではない人、なのだろうか。

 

 事情を知らないノエルさんは不思議そうな顔をし、共感できるらしいリューさんはほんの少しだけ頷く。俺は……わかる気はする。表彰されたくて勉強するわけじゃない、という感じに似ているかもしれない。

 

「す、すみません」

「謝らなくていい。それより……早く行こう」

 

 居心地悪そうに、シーヴさんは身体を寄せてくる。貴女もそういうの気にしないタイプだったんですか。

 気が付くと、俺たちを中心に、ちょっとした人垣ができていた。さっきのこともあり、リューさんとシーヴさんが一緒にいるのを珍しがっているように感じる。

 その流れから俺まで注目されるのが居心地悪い。俺は無名なんです。

 

「では、これで失礼します」

「あ、お疲れ様です」

「有難う御座いました」

 

 用を済ませたリューさんは、いつの間にか合流していたらしいパルゥムの少女と共に去ってゆく。彼女らを避けるように人混みが割れる様は、実力とその知名度を如実に表していた。

 ギャンブルの勝ち方を教えた人、だっただろうか。彼女はいま存在している。この時は、まだ【アストレア・ファミリア】は生きている。なるべく干渉はなしでいこうと決めていても、やはり心は揺らいでしまう。

 

 でも。ここで彼女らに出会ってしまったということは、原作からズレてきてしまっている、ということでもあるのかもしれない。もし、そうなら、俺はどうするべきなのか――

 

「……ほら、行くよ」

 

 リューさんたちの背が見えなくなるまで突っ立っていた俺は、シーヴさんに手を取られ、やっと我に返る。

 

「ナツガハラ様、エードルント様、有難う御座いました。いつでもいらっしゃってください」

「はい、ノエルさん、また」

 

 リューさんがいなくなったことで、次第に散ってゆく人波を掻き分けながら進む。

 

 俺の手首をつかむシーヴさんの手は、不自然なほど強い力がこもっていて、その足取りも速い。

 魔石換金窓口に向かう彼女は、初めて見る必死さをわずかに滲ませていた。

 そんなに嫌だったのか。これから、目立たないように気を付けないと。

 

「ちょっとシーヴさん、速いですって」

「速くして。急ぐの」

 

 力強くも柔らかな指が手首に食い込んでやんわり痛いんです。嬉しいですが痛いんです。

 

 換金中も異様なほどそわそわしていたシーヴさんは、何かから逃げようと慌てているようにも見えた。

 いったい何が、彼女をそこまで……、と戸惑っていると。

 

 ぐう、と不意に大きな音が鳴る。

 

「……お腹空いた」

 

 

 ああ、そういうことだったんですか……。

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

「第四十八回、『箱庭』会議ぃー!」

 

『『『イェーイ!』』』

 

 元気な掛け声に、三柱の陽気な返事が揃う。

 

 そこには、ブリュンヒルデを新たなメンバーとする、「戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟」の面々の大半が揃っていた。

 

 ここは『箱庭』、陽だまりの広場。洒落たティーセットが乗っているテーブル、これまたセンスのいいイス。夏ヶ原司とここにいる神々の交渉の場でもあったこの木漏れ日が作り出す自然の空間は、彼女らのお気に入りだ。

 

 普段から交流はあるものの、やはり友神同士顔を突き合わせて話をしたくなるときがある。

 それなら『神の宴』で、でも良いのではないか、と思うのだが、やはり半公式の場か、完全プライベートな場かどちらか選ぶとしたらまあ後者になる。

 しかし、情報はそこまで隠しあっていないし、実際に話す内容など高が知れていて、ただの世間話の域を出ない。

 開催欲求は高いけれど必要度は低い。彼女たちにしてみればなければならないものなのだろうが、周りの者は思案顔だ。なので彼女らの眷族(こども)たちは親しみを込めてこう呼ぶ。

 

 そう、「女神会(じょしかい)」と。

 

「いやー、一回言ってみたかったの、これ」

「初参加でいつもの感じを出すなんてヒルダもなかなかやるじゃねえか」

「ちょっと練習してた」

「今のを?」

「今のを、だよ。暇だったし」

「おーい働けうちの従業員ー」

 

 基本的に、集まって話すだけ。眷族自慢したり、愚痴ったり、調子はどう? 的なものでもなんでもありだ。

 憩いの場である『箱庭』で他に何をする、という話でもあるが。休憩するための場所では競い合って憩うのが彼女らのマナーというものである。

 

 眷族たちも一緒になって楽しめるような話をして感覚を養ったり、時には下界の民が理解できないような話題を飛び交わしたりして、【ヘリヤ・ファミリア】が取り寄せた紅茶やお茶請けをその腹に収めてゆくだけの作業。

 しかし、一般人にとっては麗しき女神たちが集う神聖な会議に見えるのだろう。

 

「そういやこの前、うちのシーヴがヒルダんとこ邪魔したらしいな。飯美味かったって言ってたぞ」

「あら、ヒルダちゃん料理できるようになったの?」

「ま、まあね。ホラ、うちは一人しかいないし、やっぱり疲れて帰ってきた子にはあったかい手料理を食べさせて労ってあげたいと思ったの」

「おお、それは殊勝な心掛けだね。……一体誰に習ったんだい?」

「……うちの子(ツカサくん)です」

「ダメじゃねえか!」

「そういうのは陰で努力しといて、指に巻いた大量の絆創膏で健気アピールするもんなんだよ! 怪我してなくてもね!」

「それうちのロザリーもやってたわね」

「ほらぁ! そういうのが効果的なんだって、やっぱりさぁ!」

「えぇ、そ、そんなこと言われたって、私そんなつもりなんて」

「お前にはあざとさが足りないんだよ」

「カーラには言われたくないんだけど……」

「あたしはそういうキャラじゃないしいいんだよ。巷でなんて言われてるか知ってんだろ? 乱神だぞ乱神。可愛さとかとはかけ離れた位置にいんの」

「うーん、だからこそカーラちゃんのギャップ萌えとかいいと思うんだけれどねえ」

「おーいいねいいねそれいいね。例えばどんな感じにいくんだい?」

「こう、お淑やかにして、一人称はわたくしで、控えめなドレスなんか着て……とか、どうかしら」

「ぶふっ、それめちゃくちゃ見てみたいんだけど」

「それギャップとか関係なく別人じゃねえか」

「今度宴あったらそれでいってみないかい? もちろんわざとでいいからさ」

「ヤだよそんなん」

「そう言わないでさー、ちょっとでいいんだちょっとで」

「その言葉を使う奴は絶対ちょっとで済ませねえだろうが」

 

 盛り上がってゆく女神たちから意識は離れ。

 でもやっぱり、ヘリヤの言うとおりにしておけばよかったのかもしれない。ブリュンヒルデはそんなことをぼんやりと考える。

 

 やっとこさ見つけた一人目だ。愛想を尽かされてはたまったものではない。そのために、自分にできることをできる限りしよう、という気ではいる。

 

 しかし。してあげられるようなことがない。

 ヘリヤのところの最初の子は商学を学びたいと、まあ楽して金を稼ぎたいという希望があった。カーラのところの子は服飾、エイルのところは医学。それぞれに望むところがあってそれぞれ【ファミリア】に入団したのだ。

 定番ではあるが武勇、名声。強くなりたいだとか有名になりたいだとか、果ては出会いを求めてだとか。何かしらを求めてオラリオに来たのが冒険者なのだ。

 

 ツカサにはそれがない。

 

 武器を手にダンジョンに挑む冒険者ではある。でも彼には目的がない。欲がないというわけではないのだろうが、そうであっても彼にとっての原動力となるものが見当たらないのだ。

 強い武器を欲しがるわけでもなし、特に仲間を欲しがるわけでもなし。彼はただ生きることだけを所望する。

 こう言ってはなんだが、ダンジョンにもぐる冒険者という職業は、死ぬ時は本当に一瞬で死んでしまうものなのだ。そんな危険な職につく理由として、そんな返答は、あり得ない。

 

 では何故、彼はダンジョンにもぐるのか。

 

「おい、ヒルダ聞いてっか」

「えっ、なっ、なに?」

 

 中途半端に思考に浸かっていたブリュンヒルデは呼び声に応じ、慌てて現実に回帰する。

 

「いやさ、キミのところの子(ツカサくん)の話なんだけどね?」

「成長も早くて、いろんなことをすぐ吸収できる子なのよね。ちょっと羨ましいわ」

「確かに、あいつがいい素材なのは認めるところだ」

「そうなの? ツカサくん才能あるんだ……」

 

 評価はツカサに対してだが、彼の主神としてそれなりに誇らしい気持ちにもなる。

 彼と運命的な出会いを果たしたのは自分で、彼を育てているのも自分なのだ。自分の子を褒められて嬉しくないわけがない。

 

 この、神々のセーフティゾーンである『箱庭』で、という出会いは少々どころでなく特異である。いまだに何故彼が入ってこれたのかはよくわからないが、その件からも実は彼の特殊性は窺い知れていた。

 

「才能っつーかさ、もともとの知識が深いとか、理解が早いとかそんな感じだよな」

「高い教養を身につけている、が根底にあるよね。オルたんやヒメとかとは違うタイプの頭の良さだ」

「態度や振る舞いからも、それなりの礼儀正しさを求められる社会で育てられてきたとか、地位のある家柄だったとか、そんな雰囲気がするのよね」

「特殊なところから来たって言ってたし、やっぱり隠し事は出身地のことなんだろうね」

「ヒルダはそこら辺、訊いてみたのか?」

「あ、いや……訊けてない」

 

 彼女らは知る由もないが、夏ヶ原司の評価されている能力に該当するものは、現代日本の教育の賜物である。

 理解力、記憶力、順応性、当然の礼儀。ツカサにとって求められて当たり前であったそれらは、この世界ではそれなりに持て囃されるものだ。

 

 戦術理解度が高い、状況把握が早い、即時判断が的確であることで有名なのは【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナ。遥かにある力量差は置いておいて、こと性質においてはツカサも同じようなタイプであると言えよう。

 

「でも、ツカサくんは普段暇な時とかにギルドとか貸本屋とかから借りてきた小難しい資料や本を読んでるけど、謙遜に嘘はなかったよ」

「っつーことは、やっぱりヤツの故郷の教育機関が発達してるってことだよな。かなり進んでんだろそこ」

「だねー。ちょっと調べたいな」

「無理矢理は駄目よ? これまで知られていなかったのだもの、何かしら大きな力が働いていることはほぼ間違いないでしょうし」

「それは、わかってるけどー」

「下手に暴いたりしちゃいけねえのはわかるけどよ、変に隠されてる方が嫌な気分になンだよな」

「ヒルダはさ、その辺どう思ってるんだい?」

「私は……」

 

 彼が何故、ここへ来たのか。何故、ダンジョンにもぐるのか。彼は一体誰なのか。

 

 面と向かってそれらを訊く勇気は、ブリュンヒルデにはまだない。

 

「私は、ツカサくんが話してくれるまで、話したいと思ってくれるまで待つよ」

 

 実は訊いてもそれほど問題はないのかもしれない。ただちょっと知られたくないだけなのかもしれない。知られたくない情報だとしても、家族同然になったのだから、教えてほしいという気持ちも、もちろんある。

 

 それでも、崩れてしまう方が、怖い。

 

 お互い傷つくのを恐れた。心が離れてしまうのを避けたかった。不安で不安で仕方なかった。

 

 でも。だからこそ。彼がどこの誰であろうとも。

 

「話したいと思われるような、そんないい主神(かぞく)になれるように頑張るの」

 

 思ったより真面目で、しっかりした答えが返ってきたことに、三柱は何も言わず、女神の慈愛をもって微笑んだ。もうブリュンヒルデは、ちゃんとした女神でいる。眷族を見つけられなくて泣きそうになっていた彼女ではない。

 

「そうか。ヒルダもちょっと頼もしくなってきたな」

「友神としても仲間としても嬉しく思うね」

「もちろん私たちも協力しないわけにはいかないわ」

「み、みんな……」

 

 不意に感じた友情にブリュンヒルデの心は強く打たれた。自分にはツカサくんの他にも、こんなに優しくて頼れる関係がある。目尻に涙が溜まってしまうではないか。

 

「じゃあまずはヒルダちゃんの魅力アップからよね。あざとさはヒルダちゃんには似合わないし、やっぱり純朴な可愛さ推しでいきましょうか」

「ぅえ⁉」

「そうだな。まずは好かれることからだからな」

「ついでにカーラもイメチェンしようよー」

「だからなんであたしを巻き込もうとしてくンだよ!」

 

 

 ああ、やっぱりいつものみんなだ。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

「はい、それじゃあ【ステイタス】の更新を始めるよー」

「よろしくお願いしまーす」

 

 ぴと、ぺたぺた。背を滑らかに踊る指の感触には、まだ慣れない。

 というか、ベッドにうつ伏せになっているときに腰の辺りに美少女に跨られている体勢など慣れる気がしない。椅子に座って後ろからならまだ緊張は和らぐだろうが、でもやっぱりどっちの方が嬉しいかと問われれば断然こっちの方がいいですはい。

 

「もうすぐトルドくん帰ってくるんだって?」

「予定では明日ですね」

「探索が楽になるねー」

「そうですね。みなさんもちょこちょこ手伝ってはくれるんですけど、如何せん連携がうまくいかなくて」

「それぞれのお店もあるからねえ。ごめんね、新しい入団希望者見つけられなくて……」

「ヒルダさんは悪くないですって」

「でもさあ……」

 

 もう既に、俺がオラリオに来てから、優に一月以上が経過していた。

 仲のいい【ファミリア】の主神及びメンバーたちとはほぼ顔見知り以上になったし、ギルドではノエルさん以外の人からでもスムーズに資料を借し出してもらえるようになった。近所さんたちと仲良くなったりもした。

 

 しかし、一向に事件性のある物事に出くわさない。

 最近の特筆すべきことなんて、この前のリューさんとの遭遇くらいなものだ。それも二週間以上前の出来事なのだけれど。

 西のメインストリートに赴き、「豊饒の女主人」を覗いてみたが、知っている人は見当たらなかった。この時のシルさんなんかは十三なので、当然といえば当然だ。

 他にも、後の【ヘスティア・ファミリア】の本拠となる廃教会を探してみたりしたが、土地勘もないので見つからなかった。

 原作との接点は今のところリューさんのみ。

 それは喜ばしいことなのか、避けるべきだったのかはわからない。他に何かがないと、判断のしようがないのが現状だ。例の大量発生も、全然起きないし。

 

「ん、終わり」

「ありがとうございます」

「はいこれ、今回の【ステイタス】ね」

 

 ベッドの縁に座り直し、ヒルダさんから俺の【ステイタス】が書かれたメモを受け取る。

 もう共通語(コイネー)ではなく、神聖文字(ヒエログリフ)での記述だ。【ステイタス】は定型だし数字メインなので、もうそっちでも読めるようになってしまった。

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:H 124→127 耐久:H 138→143 器用:H 170→178 敏捷:H 101→105 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

「うーむ……」

 

 優秀な冒険者が、半月という時間幅(スパン)で達する妥当なラインがH。なら普通の冒険者は一月でだいたいH前半、というところ。

 

 要するに、中の上くらい。

 

 ヒルダさんが、身体が接触することを気にせずにメモを覗き込んでくる。俺の背中に書いてあることと変わらないですよ。

 

「最近、「器用」がぐんぐん伸びるね」

「毎日武器交換してるからだと思います。ありがたいっちゃありがたいんですけど」

「けど?」

「戦闘でまともに使えるのが大抵その日の半分以上過ぎてからなんで、それまでがキツくて」

 

 武器の使い方はわかっても、使いこなすまでには時間がかかる。振れても敵に当てて倒すのとは全く違うのだ。

 もちろんそんなことをしていたら格好の的で。序盤は楽勝なはずの奴らからダメージを喰らいまくってしまう。そのお陰で耐久が上がるんだけど。逃げ回って敏捷も上がるんだけど。……あれ、案外理に適った修行とかですかこれ。

 

「あれ、紅緒は? いつも持って行ってはいるんでしょ?」

「万が一のために身につけてるだけで、使ってはいけないことになってるんです。紅緒が無くても戦えないといけないってシーヴさんが」

「正論、だねえ」

「なんですよねえ」

 

 意外にも、オラリオでの冒険者ライフは順調だ。

 ブリュンヒルデ様改めヒルダさんともそれなりに仲良くなれているし、ダンジョンの探索だってそこそこうまくいっている。

 

 ただ、時々感じる、現世とのギャップが、少しだけ胸を締めつける。

 

「まあ、死ぬのはもちろん、怪我もなるべくしないでね? ダンジョンに行かせたくなくなっちゃうから」

「努力はします」

「いっつもそればっかりじゃない。もうちょっとさ、なにか確約してよ」

「……死にませんよ。ヒルダさんを残しては死にません。ヒルダさんを一人にするほど甲斐性なしじゃありません」

 

 何言ってるんだ俺。何か勘違いして浮かれてはいないか。恥ずかしい。

 いつも、恥ずかしい言葉を言うときにはベル君を参考にさせてもらっている。だからといって恥ずかしさが緩和されるわけじゃないけど。

 

 一瞬だけヒルダさんは驚いた顔をし、すぐにふにゃっと笑む。ああ、この笑顔だけはダメだ。グッときてしまうではないか。

 

「ふふっ、ありがと。それくらい聞けたら十分かな」

「俺が喰らった小っ恥ずかしさの分くらいの効果はありましたか?」

「あったあった。私も結構恥ずかしいから、そろそろ退散しちゃうね」

 

 終始にこにこしながら、ヒルダさんはご機嫌で俺の部屋を出て行く。

 

「おやすみー」

「おやすみなさい」

 

 やっぱり、一つ屋根の下に美少女と暮らすのはとてつも無く精神力を使う。

 敬うべき神様なのには変わりないのだが、俺はまだ神威を感じ取れないし、何より寝巻きのヒルダさんは破壊力が高すぎる。

 

 何か対策を講じなければ、と思いながら、柔らかなベッドに倒れこむ。全体が低反発まくらみたいな感じで、ゆっくり身体が沈む。

 

 

 疲れた。

 

 

 やっと慣れてきた、知らない世界、知らない土地、知らない街、知らないルール、知らない人たち。

 

 最初は遠いところへ旅行にきた気分でいて、次にホームステイしている妄想を膨らませ、VRMMORPGででも遊んでいる感覚になってなんとか()()()()()()()()()()

 

 それでも、どうしても、現世のことを、思い出す。

 

 食事をしているとき。街を歩く人たちを見るとき。ダンジョンにもぐっているとき。ヒルダさんと接するとき。こうして一人でいるとき。いつも、消えることはない。

 

 

 俺は、そんなに強い人間じゃない。

 

 そりゃあ、異世界転生やトリップの妄想は幾度と無く繰り返したし、来たときこそ反射的に帰りたいと思ったものの、それからは多少なりともわくわくしていたのは確かだ。不安から目を逸らすため、以上のものがそこにはあった。

 

 ブリュンヒルデと契約し、【ファミリア】に入ったのだって、諦めより期待の方が多く混ざっていたからだ。

 

 こうしてオラリオでの生活に慣れたのも、この世界で生きていこうという意思が伴っていたからだ。

 

 それでも。どうしても、涙は零れる。

 

 

 だって理不尽だ。だって不条理だ。だって無茶苦茶だ。

 

 いくら前向きに捉え、希望で心を満たしても、現実には戻れないのではないかという思いが上書きされてゆく。どうしようもないほど空っぽになる。

 

 現世との、絶望的な距離。どうやって埋めたらいいのか、そもそもどうすれば近づけるのかすらわからない、絶対的な隔たり。

 

 溢れ出る希望を閉じ込めておこうと、瞼が閉じられる。固く、強く押し付けられているのに、隙間から止め処なく流れてゆく。

 

「っぐ……ぐうぅぅっ」

 

 脳裏に浮かぶのは、現世の記憶。何度も思い出されることですっかり定着してしまった、強力な記憶。

 

 

 自分の家、自分の部屋。妹の部屋、両親の部屋。リビング、和室、キッチン、風呂場、洗面所、手洗い。近所の家々、大きなマンション、古いアパート、近くの小学校、ちょっと遠くの中学校、駄菓子屋、スーパー、コンビニ、広い公園、狭い公園。バスから見る景色、電車から見る景色、高校の四階から見る景色、体育館の壇上から見える景色。音楽ホール、総合病院、市民プール、郊外のショッピングモール、国道沿いの大型書店、ファミレス、近場の私立大学。父方、母方の祖父母の家、親戚の家、田舎の町並み。修学旅行で行った古都、南の島、試される大地、幻想的な街、広大な海、壮大な草原、切り立った山々。テレビで見た綺麗な風景、世界遺産、外国の街、深海の世界、遥か上空、月、太陽、銀河系、天の川。家族の顔、友人たちの顔、教師たちの顔、近所の人たちの顔、朝よく見る人たちの顔、コンビニでいつもいるバイトの顔、アニメキャラの顔。読んでいた漫画、小説、観たことのあるアニメ、映画、ドラマ、やったことのあるゲームに聞いたことのある音楽。いままでの勉強、人間関係、使った金の行方。毎日の生活、小学生のころのこと、中学生のころのこと、高校生のころのこと、浪人生のころのこと。俺が今まで生きてきたすべて。

 

 

 忘れちゃいけないものが、主張してくる。

 

 俺に、どうしろっていうんだ。帰る方法も、手段も理論もなにもかもわからない、俺に。

 

「うっ、……あぁああぁあぁぁああぁぁぁっ」

 

 

 俺はこの世界で生きていくと決めたのに。ヒルダさんと生きていくと約束したのに。一人にしないと言ったのに。

 

 

 嗚咽が漏れる。

 

 

 枕が濡れる。

 

 

 肩が震える。

 

 

 

 

 くそ、ちくしょう。なんで、帰りたくなるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 ブリュンヒルデは、音を立てず扉に寄りかかったまま、拳を握り締め、唇を噛んだ。

 

 微かに届く、小さな声を、ブリュンヒルデの耳は取り逃がさない。

 

 気付いてはいた。多分、女神たちはみんな。でも、どうすることもできない。

 

「……………………っ」

 

 悔しくても、悲しくても、どんなに惨めでも。

 

 

 いまの私では、彼の力になることはできない。

 

 

 

 

 

 ああ、なんで私はこんなにも無力なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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