武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 誰、一人として。




第一六話 小さき弱者に祝福を

 現在、迷宮内で発生している『大量発生(イレギュラー)』には、通常のものと、幾つかの差異が存在している。

 

 まず、周期的である、という点。

 一般的に『大量発生』と称される現象は、何らかの原因があってモンスターが異常発生する事態を指す。それも頻度は高くなく、裏を返せば原因を取り除くことで鎮圧することが出来る。

 しかし、最近になって起こり始めた『大量発生』は単発性ではなく、たった何ヶ月かの間を置くだけで、()()()()()()()

 

 また、その原因が判然としない、という点。

 生存者に聴取しても、冒険者依頼(クエスト)を受けた制圧部隊が調査を行っても、謎の『大量発生』の実態は、最初の発生から約二年、実に七回目を記録しても、なお明らかにはなっていない。

 しかも、起こるのは決まって十六階層以上。特に中層付近が多く、有望な若手が巻き添えになる確率が高いために、ここ最近ではそもそも冒険者志望の絶対数が減少傾向にすらある。

 

 極め付けは、モンスターが大幅な階層移動を行う、という点。

 普通ならば階層を跨ぐとしても精々が二階層、のはずが、軽々と四、五階層を飛び越えて、モンスターたちは進軍する。

 

 どこにこんなにいたんだ、とも思える程の、正規ルートを埋め尽くす圧倒的質量を持った異形の流れは、言い得て妙、正しく『波』で。

 何もかもを呑み込み、砕いて殺す悪夢の濁流は、それこそ下級冒険者などではとても太刀打ち出来るような代物では、ない。

 

 とはいえ、Lv.4にも達する冒険者にかかれば、余程気を抜かない限りは、ただ雑魚が群れているだけにしか、感じられないのだろうが。

 

「死ね」

 

 狼人(ウェアウルフ)の少年の一発の蹴りが、『波』の()()()コボルト、その顔面に炸裂し。

 

 

 爆発。

 

 

『ギャォオオォォォァァァ!』

 

 たった一撃で、暴力の濁流が、真っ二つに割れる。

 

 特段何でもない風に、その勢いを文字通り一蹴した彼は、嬉々として迫り来る後続に向かい、駈け出す。

 

「おらぁッ!」

 

 最早、立場は逆転していた。かなり弱まっていたとはいえ、並の冒険者ではまるで歯が立たないその肉の津波、それを易々と蹴散らしてゆく少年と、何が何だかわからないままに次々殺されてゆく化物たちの図は、悲劇的ですらある。

 

 Lv.1や2のパーティではやり過ごすのも精一杯だろう威力を、唯一人で打ち砕く。更なる力でもって制圧する。それが出来るだけの能力が、彼にはあった。

 

【ロキ・ファミリア】所属、ベート・ローガ。

 齢十三にして、既にLv.4。主に脚を武器に戦う、速さが自慢の若手の狼人。

 

 遠慮なく分け入って行き、破壊の限りを尽くす彼、に対し、彼よりも大きな体躯を持った大量の異形たちは、脇目も振らずに逃げ惑う。

 奥から次々に押し寄せる後続に押され、彼の周囲という処刑台へと登らされる憐れな個体を横目に、彼を避けて速度を増す生き残りは、そして愚かなことに、そこにいたある冒険者に牙を剥き。

 

「もうここまで来ているのですか」

 

 神速の木刀に、木っ端の如く散らされる。

 

 しかしモンスターたちとて、立ち止まるわけにもいかない。いくら前門に虎がいたとしても、後門では文字通り狼が暴れている、彼らとしては、なんとかして突破する以外の道はない、のだが。

 

「帰路が面倒になりそうだ、ここでなるべく減らしておきましょう」

 

 緑色のフード付きのケープを纏ったその人物は、慈悲などは一切抱かず、手当たり次第に殲滅にかかった。

 果敢に、いや無謀にも抗ったものも、壁を這って命からがら逃げ出そうとしたものも、どっちつかずでその足を止めたものも。

 

 その場に流れ込んできた、幸運にも狼の暴虐から逃れたモンスターたちは、一匹残らず、彼女によって葬られる。

 いくらローガが事前にその数を大きく減らしているとしても、元は正規ルートを占めるまでの物量なのだ、当然取り零しも少なくない、はず。にも関わらず、その全てが。瞬く間に排除されてゆく。

 

【アストレア・ファミリア】所属、リュー・リオン。

 まだ十四、それでいて早くも、彼と同じくLv.4。木刀を主武器とする俊敏な強者。

 

 若き二つの新星は、生命を喰らう激流を堰き止めるどころか、押し返し、押し戻しさえしてのける。

 

 荒れ狂う彼の脚に触れただけで。掠っただけで、モンスターが千切れ飛ぶ。弾けて絶命する。周りを巻き込み無惨な最期を遂げる。

 

 何十何百という数が雪崩れ込んで来ようと、この狭い地下を馳け廻る彼女の木刀が、その(ことごと)くを微塵に切り裂く。血肉が舞い踊り、無骨な空間を鮮やかに塗り替える。

 

 迷宮都市の大半の冒険者を震え上がらせる『大量発生』、その『波』を、たった一人で、真正面からぶち壊す。僅か二人で蹂躙する、してしまう。

 出来てしまう。そんなことが出来てしまうまでの絶対的な強さが、そこにあった。その二つの肉体に宿っていた。

 

 まるで、次元が、違う。

 

 少なくとも、自分もそれなりに鍛錬してきたつもりではいた。そもそもレベルアップに辿り着ける人の方が少数、その中で二回もそれを成し遂げだ自分は、このオラリオにおいては上位層に入っていると自負してもいた。

 

 でも。

 

 こんな光景を目撃してしまったら。

 

 自分達が挫折した道程を、自分が完膚なきまでに敗北した理不尽を、いとも容易く踏み潰してゆく彼等を観てしまえば。

 

 嫌でも、わかる。自分が、如何に脆く陳腐な弱者であるか、ということが。

 

 強くなった気でいた。この自分なら、仲間を、【ファミリア】(かぞく)を護ることが出来ると思っていた。

 

 もう一度同じことが起こったときに。また、窮地に陥ったときに。今度こそ、()()()()()()()()、皆で生き延びるために、努力した気でいた。

 

 

 そんなことは、なかった。

 

 

 わたしは、強くなんて、なってなかった。

 

 

「おい、気付いてっか!」

 

 少年の声が、轟く異形たちの悲鳴や断末魔を押しのけ、こちらにまで届く。

 それはわたしではなく、恐らくリオンに向けてのもの。二人の討ち漏らしを撃滅するために後方から付いていっているだけで抜刀すらしていないわたしには、戦闘をする資格すら、ない。

 

「ええ、判っています! 明らかに、()()()()()()()()()()()!」

 

 耳を疑った。

 

 これで、少ない、のか。幅約五M(メドル)、高さ約七、八Mのこの正規ルートに所狭しと詰まっている状態で、まだ。

 恐らく二人は救出、及び制圧部隊経験者。彼等が言うなら間違いはない、のだろうが。ならば、それは一体、どういうこと、なのだろうか。

 最初の『大量発生』の時と、規模的には()()()()()()()()ように思えたけれど。もしも彼等の言う通り、だとしたら。

 

「エードルントさん!」

 

『疾風』を冠する彼女が、モンスターを倒す速度は保ったままで、こちらへ振り返る。

 

 先程、トルド達と別れたときにも感じた空気の流れが、同様に、漂っている、と、感じられる。

 

 

 嫌な、予感がする。

 

 

 あの日、あの時と、似たような。

 

 また、誰かの生命が散ってしまうような、そんな、血の匂いに満ちた、禍々しい、感じだ。

 

「急ぎましょう、討伐より進行を優先します! 行けますか⁉︎」

 

 ――駄目だ。

 

 同じ事を繰り返しては、駄目なんだ。

 

 二年前から、何一つ変わっていないわたしでは。

 

 逃げている、ままでは。

 

「……勿論」

 

 

 

 ベッテと、リリーが、死んでしまったのは、トルドやヨシフの所為では、ない。

 

 

 

 

 悪いのは、わたし、なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 思い切り。紅緒と晴嵐、を投擲し、二本とも狙ったところに着弾したことを視界の端に捉えながら、俺は、右腰に差してあるそれに手を掛ける。

 一瞬だけ、躊躇する、が、背後から押し寄せて来ているだろうモンスターたちに対処しないわけにもいかない。俺一人だけでも、戦うんだ。

 差すには長く、佩くには反りが足りない。極めて扱いにくいそれをなんとか抜きつつ、振り返る。

 

『グルァァァァァァァァッ!』

 

 ぞわり、と。嫌な感覚が、生理的に受け入れ難い悪寒が、全身を巡った。

 

 俺の利き手は右、なので主に使う紅緒と晴嵐は左腰に差している、が、重量バランス的にも、使用頻度からも、渡鴉だけは右腰に差している。普段している動作の鏡写し、しかし左右が逆になるだけで、動きの滑らかさは格段に失われる。

 

 紅緒や晴嵐を抜くときよりも、ほんの数瞬。準備を整えるまでの、極めて短い時間、だけ。それだけの遅れが、生まれた、だけ、でも。

 

 直感的に、でなくとも判る、既に目と鼻の先まで迫ってきていたモンスターに、反撃が、間に合わない。

 

「くっ!」

 

 まず正面からきたコボルトの爪に刃でもって応じ、その腕諸共真っ二つに割り上げる。だが勢いは殺せない、顔面のすぐ横を過ぎていく爪が避けきれず、頰が浅く裂ける。

 

 今度は左右から来るキラーアントとゴブリンの突進に意識を向ける。正面のコボルトに止めを刺している余裕はない。

 

 片手持ちに切り替え、キラーアントの硬殻の隙間から魔石を狙って振り下ろし、空いた手でゴブリンの眼に直接指を突き入れる。

 

『ギイィィィィ……』

 

 運良くキラーアントの体内の魔石に刃が届き、灰の塊が霧散する。眼を抉り、脳にまで入った指が気持ち悪いが、気にしているだけの時間も惜しい。

 

 腕を動かし、斬撃をかます余裕も、そのための間合いも潰されているし、振りが小さい斬りかかりは威力が格段に落ちる。こんなことが続けられるわけがないのは明らかだ。

 

 だが。

 

 間髪を入れずに、次が来る。俺の体勢は整っていない、これは、まずい。

 

 殺しきれなかったコボルトが牙を剥いて飛び掛かってくる、キラーアントの遺灰を掻き分けながらウォーシャドウが突っ込んでくる、頭上ではパープル・モスが毒鱗粉を撒き散らし、足元ではダンジョン・リザードが脚を狙い口を開く、後ろへ回り込んできたゴブリンが視界にちらりと映る、絶命したゴブリンを踏み潰し、キラーアントが鉤爪を振り翳す、密集したモンスターの間からフロッグ・シューターの舌が――

 

 あ。

 

 

 これ。

 

 

 

 駄目だ。

 

 

 

「がふっ!」

 

 まずは、腹部に打撃。多分フロッグ・シューター。痛みに悶える暇もなく、肩から胸にかけて、荒い、鋸のような刃が傷を残していき、腿に何かが刺さる感覚があったと思えば、足首の辺りに何かが食いつく。

 

 後ろに退がろうと思ったものの、脚が文字通り喰い止められていて十中八九転ぶ、逃げられない。

 

 ウォーシャドウの突きはなんとか躱すが、今度は背中に鈍痛、側頭部に衝撃。腕を振り上げコボルトを殴り飛ばし、脚に角を突き刺していたニードルラビットを斬る、が、鋸のような鉤爪が今度は腕を切り、また後ろ腰に何かが叩きつけられる。

 

 

 完全にモンスターに囲まれた、()()()()()()()()()

 

 

 このような圧倒的数的不利戦において、最も陥ってはいけない状態に、陥れられてしまった。

 

「がああっ!」

 

 無理矢理に腕を振り回し、刀を振るおうとする、だが速度がまるでない攻撃は、周囲の異形を打ち倒すには到底、力不足。

 

 どこからでも絶え間なく襲い来る暴力が、俺の感覚を完全に奪う。どこに何を食らっていて、自分がどんな体勢でどのような抵抗をしているか、わからない。

 

 自分の視界が、モンスターで埋め尽くされている世界が、段々と、黒く、染まってゆく。

 

 

 自身が、この生命が、終焉に向かっていることが、わかってしまう。でも、わかっていても、俺はどうすることも、出来ない。

 

 

 

 全てが、スローになる。時間が、途方もなく緩やかに流れるのが、わかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前が真っ暗になる。何も聞こえなくなる、何も感じられなく、なる。

 

 

 何もない空間に、漂っている。

 

 

 地面も天井も、重力も、上下左右の概念もない、無だけが充満する、空虚な世界。

 

 そして、人影が、暗闇に浮かび上がってくる。真っ暗な中で真っ黒なものが見えるはずもないけれど、俺には確かに、そこに誰かがいるのが、わかった。

 

 それは、元の世界の、家族だった。

 

 それは、元の世界の、友達や同級生だった。

 

 それは、元の世界の、知己だった。

 

 それは、この世界の、住人になる。

 

 それは、ノエルさんだった。

 

 それは、ヒルダさんだった。

 

 それは、カーラさん、ヘリヤさん、エイルさんだった。

 

 それは、トルドだった。グスタフさんだった。ジーナちゃんだった。シーヴさんだった。エルネストだった。キッカさんだった。オルタンシアさんだった。ヨシフだった。ナターシャさんだった。リューさんだった。オズワルドさんだった。テアちゃんだった。パンテオンだった。アルベルティーヌさんだった。ロザリーさんだった。カテリーナさんだった。イネフさんだった。ワクナさんだった。モニカちゃんだった。スハイツさんだった。

 

 ああ、これは。ひょっとして、走馬灯ってやつか。

 

 

 走馬灯、ってやつは。記憶を整理する、とかではなく、それまでの記憶から現状の打開策を導き出そうとする脳の危機管理能力に依るものだ、という話を、どこかで読んだことがある。

 でも、それでは。それでも、意味がない。

 今の俺は、もう一人では戻れない、打破の糸口さえ掴めない深みに、深淵に、沈み込んでいる。

 

 何一つ、活路は、現れない。

 

 

 人影が、消える。

 

 

 何も無い、無と俺だけが在る空間に、取り残された。

 

 まだ握り締めていた、その刀に、ゆっくりと、目を向ける。

 結局、お前のことを、まだ何も分かってあげられていないままだ。

 この空間の中でも際立つ、その漆黒の刀身に、触れる。

 

 半太刀、渡鴉。

 

 太刀に準じる長さを誇りながらも、打刀の特徴である先端寄りの反りを持つために、直立状態からの抜刀に難がある。重心がかなり前にあることから、その場で素振りをする、なんてことすらまともに出来ない。

 

 扱いがよくわからないこれは、冒険者用の刀、らしかった。

 では、それを上手く扱えなかった俺は、最期の最後まで、冒険者ではなかった、ということになる。

 何も知らずにこの世界に来て、何かを掴むこともなく、無様に散ってゆく際になっても、俺はまだ、何にもなれていなかった、のか。そう思うと、なんとも遣る瀬が無い。

 

 結局、冒険者って、なんだったんだろう。

 

 危険を伴うことを敢えてすること。成功の見込みの少ないことを無理にやること。「冒険」を辞書で引くと、大体そんなことが書いてあると思う。

 それなら、そういうことをしている人たちを、総称して冒険者と呼ぶのだろうか。いや、俺と一緒に安全圏にもぐっていたトルドや、ダンジョンにもぐらずに魔法も使って鍛冶を営むシーヴさんがいるだろう、それは違う。

 なら、【ファミリア】に入れば、ギルドに登録されれば。それで冒険者、なのだろうか。いや、それこそ違う、都市外の【ファミリア】だってあるんだし、それなら俺が渡鴉を使いこなせているはずだ。

 

 じゃあ、彼らは一体、何だったんだろうか。

 俺は、どうすれば、よかったんだろうか。

 

 多分、きっと、答えは、出ない。

 

 全身から、力が抜けていく。

 

 渡鴉から手を離し、自然に目が閉じるままに任せる。

 

 

 この妙な空間の中にいてなお、意識が薄れていく。

 

 

 

 薄れて、ぼやけて。溶けて、解けて。俺という存在が、無に帰して――

 

 

 

 ――嫌だ。

 

 

 

 こんなところで。

 

 皆を、残してなんて。

 

 ヒルダさんを、遺してなんて。

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。俺はまだ生きていたい、あの笑顔に触れていたい。あの温もりに接していたい。

 

 

 何も無い、何も見えない方へ、でもきっと、光が在る方へ、手を伸ばす。

 

 細切れになる視界を繋ぎ、救いを求めて空を掻く。

 

 巫山戯んな、勝手に何もかも悟ったように気安く手放そうとするんじゃねえ。

 終わらせるのは一瞬だ、楽だ、簡単だ。誰にだってできることだ。

 

 望む何かを手に入れる方が、持ち続ける方が、ずっと難しいし、疲れるし、面倒くさい。

 

 でも、たった一度でもその価値を、その甘美さを、素晴らしさを知ったなら。

 

 

 もう、失う方が、遥かに苦しくなっている。

 

 

 手を伸ばす、手を伸ばす、手を伸ばす。

 

 まだだ、まだ、俺は、俺は――。

 

 

 

 

 

『――――』

 

 

 どこか、とても深いところへ落ちていこうとしていた俺、の腕を。誰かが執った。

 

 ヒルダさん、ではない。数多の傷に覆われた、細くとも力強い手。

 誰だ。俺を、引っ張り上げてくれているのは。

 顔を上げ、その何者かの容貌を窺い見る。

 

 その誰かは、俺が、まだ見たことがない人だった。現世の方の人間ではない、おそらくこっちの世界の誰か。

 でも、同時に、俺は、彼をどこかで見たことがあるような気が、した。

 記憶を探ろうにも類似した人相は思い浮かばない、けれど、何故か、初めての気がしない。

 

 まるで、何かの物語の主人公のような、歴史的な英雄のような、讃えられるべき勇者のような。

 そんな、異様なほど輝かしい雰囲気を纏っている、誰か。

 

 彼に引かれ、俺は、深淵から、引き上げられる。

 もう一度、武器を、渡鴉を、強く握り締める。

 

 

 ――頑張ってくれ。君はまだ、終わっていないよ。

 

 

 

 

 

「――――ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 

 そして。暗闇が、輝く光の粒子を纏った斬撃が(もたら)したような亀裂を生じ。

 

 一気に、崩れ去った。

 

 光に満ちた世界が、緑色に染まった地下空間と、赤色で塗られた地面、俺たちを取り囲む化け物たちが、俺に回帰する。

 俺の後方の敵が、頭上の敵が、一撃の元に散ってゆくのが、わかった。

 とある光景が、とある文章が、俺の頭に浮かぶ。

 

 その、輝く光の粒子は。

 

 その、攻撃は。

 

 紛れもない、原作四巻において主人公のベル・クラネルが習得したスキル、【英雄願望(アルゴノゥト)】に依るものと、同じ。

 

 斬撃を放った本人である、トルドと、目線がかち合う。

 闘志に満ちた、勇気で縁取られた、希望を湛えた、その瞳。その眼は、他にどう形容していいか分からないほどに、()()()()()()

 

 瞬間、俺の頭の中に、怒濤の勢いで、記憶の濁流が流れ込んで、くる。

 

 それは、トルド・フリュクベリの、シーヴ・エードルントの、パンテオン・アブソリュートの、アルベルティーヌ・セブランの、スハイツ・フエンリャーナの、俺がこれまで共闘した人たちの、戦闘の情景。

 戦場を駆け回り、撹乱し、戸惑う敵を手際よく屠っていく、その姿。敵の反撃や対応までも操り、自らの手で運命を捻じ曲げ生き延びる、その姿。剛腕を振るい並み居る敵を薙ぎ倒し、堂々闊歩する、その姿。敵の攻撃を利用し、受け流し、最小の動作で滑らかに、的確に急所を突く、その姿。底の知れない実力の端々を垣間見せ、如何なる敵であっても即殺する、その姿。

 

 それだけでは、ない。

 

 実際に目撃したものだけでなく。原作に綴られている各『冒険者』達の、描写。語られる側の人々の、劇的な戦闘の記録までもが、流入、容積を増してゆく。

 膨大な文量が、この世界と反応し、より緻密に、より厳密な質感を伴って、俺の中で実を結ぶ。それは現世ではただの文章に過ぎないかもしれない、でもこちらの世界においては、紛れもない真実であり、現実。

 

 それは、アイズ・ヴァレンシュタインの。

 

 それは、リリルカ・アーデの。

 

 それは、ベート・ローガの。

 

 それは、ヴェルフ・クロッゾの。

 

 それは、フィン・ディムナの。

 

 それは、リュー・リオンの。

 

 それは、俺が読んだことのある範囲内での、全ての人物の、全ての戦闘。英雄譚に登場する錚々(そうそう)たる者たちの生き様。

 

 

 そして、それは、ベル・クラネル、の。

 

 

 ああ、わかった。

 

 渡鴉、お前が伝えたいことが、わかったよ。

 

 まだ、『冒険者』ってのが何なのかは、わからないけど。けども。

 少なくとも、俺が今、どうすればいいのか、は。ちゃんと、理解出来た。

 待たせてごめんな。

 

 さあ、飛ぼうか。

 

 

「――おおおおおッ!」

 

 

 トルドが空けてくれた、背後の空白を使い、腕を伸ばす。渡鴉を、遠心力を使って、俺を軸に見立てて、円を描くように。

 

 一回転。

 

 足首に噛り付いているダンジョン・リザードの牙が肉を割き、骨を削る。気にしない。とんでもなく痛いけど、そんなことはもう、どうでもいい。

 

 周囲に群がっていたモンスターを、ほぼ全て、まとめてぶった斬る。

 

 それでも食い付いて放さなかった蜥蜴擬きの脳天を突き、俺はその場から、解放された。

 もう、自由だ。その両翼を、力の限り、翻せ。

 俺が担当していた方面の敵は、突然の反撃に怯んで多少足が止まって、いる。こっちはもういい、先に他の人たちの救助を。

 

 パンテオンの方へ一歩。落ちてくるトルドを片手で受け止める。意識が落ちかけているのか、力が抜けていて、重い。

 

 有難う。まだ終わっていないので口には出さないけれど、心中でそう声を掛け、カテリーナさんの横へ、その身体を、転がす。

 

 

 後は、任せろ。

 

 

「――【爆ぜろ】」

 

 先ほどの【ウェルテクス】と【トルレンス】のときも、最後は短い命令形だった。つまり、もう、パンテオンの詠唱が、終わる。

 この状況を打開するには【ウェルテクス】のような広範囲攻撃、だろうから、やっぱりアルベルティーヌさんとイネフさんの救出が最善手。

 

 まだ、パンテオンが掛けてくれた「何か」の効果は残っている、あと数秒もないが、俺に出来る精一杯を今、ここで。

 

 

 まずは。

 

 大きく、長いストライドで。跳ぶようにパンテオンの真横まで踏み込み、イネフさんのいる方向を、確認して。

 

「はっ!」

 

 斜めに振り下ろし、ウォーシャドウとゴブリンを両断。先端寄りの反りのおかげで、正確に振るわなくても斬ることが出来る。

 

 それだけじゃ終わらない。地面に触れそうなほど低空まで達した渡鴉の軌道を、持ち上げると。

 

 下に凸の放物線を描き、大きく浮かび上がった渡鴉は、()()()()()()()()()

 

 重心が随分前にあるために、振ったならばその独特の重量感に釣られてバランスを崩し、前に出てしまうために、素振りすら出来ない。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 渡鴉の、その特徴は。

 それは、俺を動かす為の仕掛け。こいつは、俺がもっと、俺を、俺の動きを、意のままに操る為の武器。

 振るうことに依って、無理矢理に重心を移動させ、本来ならばそこで一旦完結する筈のものを、滑らかに、次に繋げる。動作を止めずに、僅かな時間と時間の隙間を、『渡る』。

 

 大きく、イネフさんのいる方へと渡鴉を振ると、瞬間的に硬直するところだった身体が、その先へと、動き出す。

 

 重心が強引に変更される、普通ならばよろけてしまうかもしれない、でも、俺は、俺の身体は冒険者だ。この程度、なんてことはない。

 強く、強く地を蹴り、モンスターの塊に、勢いよく突っ込む。加速が止んだなら、渡鴉の翼を借りて、もう一度。

 

 倒れているイネフさんにのし掛かっているキラーアントを斬り飛ばし、彼の身体を跨ぐ。押し寄せる敵を一掃するために、腰を捻って。

 

 もう一度、回転斬り。

 

 足元に気を遣わなければならなかったので先ほどのように上手くはいかなかったが、それでも十分、空白が生まれる。

 

 素早く、そこに落ちていた紅緒をパンテオンの方へ放り、気を失っているイネフさんを片手で抱え、渡鴉を振って、前傾、飛び出す。

 

 世界が、遅い。時間の流れが、やけに緩慢だ。でもそれはもう、死の淵にいるからではなく、最高に思考が澄んでいるから。

 

 また、パンテオンの側にイネフさんを置きつつ、すれ違いざまにウォーシャドウ、ニードルラビットを一薙ぎ。紅緒が、彼の足元に突き立つ。

 武器を振り回しながら突撃、とか。文字に起こされると阿呆みたいだが、今だけは、しっかりと意味がある。

 

 犇めく異形たちの僅かな間隙に、その暗闇を思わせる刀身を差し込み、捩り、文字通り『斬り開く』。

 

「……!」

 

 思わず目を背けなくなるほどに、全身隈無くずたずたにされて、血に塗れてなお、アルベルティーヌさんは意識を保っていた。

 

 その気力には舌を捲くが、やはり絶望的な状況に心を折られかけていたのか、虚ろだったその双眸に、しかし、希望が宿る。

 

 悪いが時間がない。今度は晴嵐を急いで納刀し、弁明は後でちゃんとするとして、こちらも片手で小脇に抱き抱える。思ったより、ずっと軽い。

 

 離脱の為に膝に力を入れ、顔を上げると。目的地に佇んでいた一人の青年と、目が会う。

 どうやら、俺は間に合ったようだ。

 彼の口が再び開かれるのと、俺が彼の足元に滑り込んだのは、全く同時であった。

 

 

 

 空気が振動を伝える。

 

 

 

「【ヴェントゥス・テンペスタース】!」

 

 

 

 天に向けて高く掲げられたその手から。何故か可視状態にある空気の流れそのものが巻き付いたその腕から。パンテオン・アブソリュートの、その掌から。

 

 

 虚空を劈く爆発が、()()()()()

 

 

「――ッ⁉︎」

 

 

 アルベルティーヌさんがカテリーナさんを庇い這い蹲るのを受け、慌てて、トルドとイネフさんの身体を抑えて地に伏す。

 

 当然、直下の俺たちにその爆風は指向しない、来るとしても下向きのもの、それでも、半身でも起こしていようものなら即吹き飛ばされてしまうだろう程の暴風が、この広大な食料庫を、蹂躙する。

 

 目も開けていられない、耳を塞ぎたくなる大災害。正に『大嵐』(テンペスタース)

 必死に耐えているので精一杯、とても抗うなど考えられない。絶対的で圧倒的な力の前に、ただただ平伏し、過ぎ去るのを待つだけ。

 爆発が継続しているという意味の分からないこと以外、周囲の状況が何一つ掴めないまま、時間だけが過ぎてゆく。

 

 とんでもない。

 凄まじい、なんだこの力は。あまりにも、()()()()

 

 予想だにしていなかった規模の反撃に、味方であるはずの俺たちまでもが灰塵に帰しそうだ。

 さっきの二種類の風魔法だけでも目を見張る威力を誇っていたというのに、高々詠唱時間が数倍伸びただけで、ここまで性能が向上するものなのか。

 

 それはない、有り得ない。あの短文のみで【英雄願望】の三分(フル)チャージファイアボルトと同等以上の時点で異常なのだ、このレベルの魔法が一般的だなんて荒唐無稽。

 

「ぐっ、うぅぅぅッ」

 

 背に吹き付ける風は、最早衝撃波と何ら変わりがない。背骨が軋む、呼吸がままならない。安全圏で受けている、それだけで痛みを伴うなんて、ぶっ飛んでいる。

 その余波単体ですら十分な攻撃魔法として成り立つだろう、彼の規格外のそれは、まるでこの世界観に合っていない。むしろわざと合わせていないのではないかと思えてくるまでだ。

 

 力を込めた四肢が段々と痺れてくる。十秒にも満たない――いやそれだけ爆風が吹き荒れ続けること自体信じられないのだがーーそれだけの間でも、俺たちには数分にも、長く感じられた。

 

 そろそろ腕が限界だ、というところで。

 ふっ、と。前触れもなく、唐突に爆発が収まる。

 

 間髪入れず、何かが落下する乾いた音。

 静寂が訪れる。漂ってくるのは、生臭い血の匂い、だけ。

 

 上半身を、起こす。

 

 見渡す限り、そこは()()()()()()だった。

 

 元は薄青色の地面や壁や天井も、緑色の光を放っていたはずの水晶たちも。凡ゆる箇所が無造作に絵の具をぶちまけられたかのように、べっとりと、どす黒い血液を、被っている。

 緋色の雨が、降ってくる。天井に着いた命の残滓が絶え間無く滴り落ちて、恨みがましく、俺たちを濡らしてゆく。

 本物の地獄だって、もっと色彩が豊かであろう。そんな感想が浮かんでしまうほどに、食料庫は紅一色に染まり上がっていた。

 

「…………は」

 

 言葉が、出ない。あまりの衝撃に、俺の語彙が追い付かない。

 

 こんな、こんなの。

 

 反則(チート)、だろ。

 

 外伝一巻での、三方が壁のルームでの戦闘。その時のレフィーヤの魔法、の比では、ない。

 高が数十M(メドル)四方の小さな部屋ではないんだ、ここは食料庫(パントリー)、面積でいえばその何倍も、何十倍も。容積でいえばその何百倍、もの広さが、ある、のに。

 そこを埋め尽くすほどいたモンスターを、一掃、したっていうのか? いくらLv.1相当のモンスターだけとはいえ、数えるのも億劫になるような量を?

 何なんだ、パンテオン(あいつ)は。ただ単に超強力な魔法を複数持っているだけ、なのか。到底、それだけだとは思えない、が。

 

『――オオォォォッ!』

 

 俺が思考に嵌まり込んでいると、不意に、静まり返っていた食料庫に、異形の雄叫びが、響き渡った。

 

「⁉︎」

 

 声がした方向へ目を向けると、随分と遠方ではあるが、死んではいなかったらしいコボルトが、その二本の足で立ち上がるのが窺えた。

 それだけではない。流石に数十が精々だろうが、見回すと、そこらから、続々と起き上がる生き残り共が現れる。

 

 殲滅出来たわけではなかった、地面から生えている水晶に隠れて見えなかっただけ、死体に見えていただけ、遠くてよくわからなかっただけ、だったのだ。

 そりゃあ、そうだ。いくら強大な力だとはいえ、一匹残らず殺し尽くすのは至難の業、況してや元からあれだけの数がいたのだ、比例して生存数も多くなる。

 

 まだ、終わっていない。

 

 要救助者二名を救出し、押し寄せる敵を退け、救出部隊が到着するまで持ち堪える。この戦闘は、完了していない。

 

「ナツガハラ……さん!」

 

 俺が(ほう)けている間に、倒れているパンテオンの側まで寄っていたアルベルティーヌさんが、悲痛な面持ちで声を上げる。

 分かっている。俺も解っているし、彼女もまた、判っている。

 パンテオンは精神疲労(マインドダウン)だ、暫くは意識が戻らない。トルドもイネフさんも、カテリーナさんも限界だ、アルベルティーヌさんだって、立ち上がることすら困難なはず。

 

 つまり。

 

「勿論……です。任せ、て、ください」

 

 渡鴉を杖代わりにして、震える脚を無理矢理、地に立たせる。

 

 彼女から、俺の最初の刀、脇差、紅緒を受け取る。

 

 多少ふらつきながらも、戦闘不能の五人を背に、進み出る。

 

 必然的に。消去法でも、優先度でも。

 

 俺以外に、誰がいるっていうんだ。

 

「なるべく討ち漏らさないようにしますが……皆のことは、頼みます」

「申し訳ありません……お願い、します」

 

「はい」

 

 紅緒と、渡鴉を、痛いほどに、握り締める。

 

 

 これが、最終局面。

 

 

 ここを乗り切れば勝ち、耐えられなければ負け。

 

 見渡しがよくなった、真紅の食料庫で。

 

 全方位から迫る敵は数十、しかしいずれも手負い。

 

 対してこちらはたった一人、しかも疲労の蓄積も激しく、弱い。

 

 戦況的にはかなり厳しい、確かに難しい、けれど。

 諦めるわけにはいかないし、するつもりなど、微塵もない。ついでに言えば、負ける気も、ここで死ぬ気も毛頭無い。

 俺の背後には仲間がいる、彼等には彼等の【ファミリア】(かぞく)が在る、その帰りを待ち望む人達が居る。絶対に、断ち切らせてなるものか。

 

 そして、俺にだって。ヒルダさんが、居る。

 

 独りになんてさせるものか。それが例え俺一人の勝手な思い込みだと、しても。

 

 

 

 夏ヶ原司は、何度だって起き上がる。幾度も、幾度でも、立ち上がる。

 

 

 もう一度、あの暖かい場所へ、帰るために。

 

 また、ただいまを言う為に。

 

 

 

 

 この翼が折れることは、決してない。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 コボルトの首を刈り、少しでも進行を遅らせるべく、事切れた身体を蹴って転がし、飛び越えてきたフロッグ・シューターの、無防備な胸部を突いて魔石を砕く。

 

 横合から伸びてきたウォーシャドウの腕を斬り上げ、すぐ側に居たコボルト諸共、袈裟懸けに斬る。八階層出現モンスター程度では、反撃どころか僅かな延命すらも叶わない。

 

 背中は仲間に預け、常に後退しつつ、迫り来る異形の化け物達をひたすらに斬る、斬る、斬る。鈍色の刀身が駆け巡る、絶え間無く血肉が舞い踊る。

 

 斬撃が鋭くなればなるほど刀の斬れ味は落ちにくくなる、Lv.2の技量を以ってすれば、相当数を斬ったとしても性能は保たれたままで、何時までも。

 

「くっそ、殺り辛ぇ……!」

「殺せなくても横に退かせ! 効率優先だ!」

 

 先頭、渋滞を起こしているモンスターを掻き分けながら道を拓く役目の二人の、苦戦する声が聞こえる。

 

 少し早足、くらいの速度で進む流れは、それほど脅威というわけではないが、確実にこちらの体力を削ってくる、あまり長いこと内部に居過ぎるとすり潰されてしまうだろう、長居は無用だ。

 ただ、問題なのは、この流れが何処から始まっていて、何処まで続いているのか、ということで。

 飛び込んでから優に数分が経過している、しかし敵の密度も速度も一向に変わる気配はなく。一体何時まで耐え忍び続けていればいいのかもわからないままで延々と武器を振るう、というのは、精神的にかなり厳しい状況、と言わざるを得ない、が。

 

「シーヴ! まだいける⁉︎」

 

 斜め後方から、若干焦りが混じっている少女の声がわたしの名を、この騒々しい空間に響かせる。

 わたしも経験したことのない異常事態なのだ、彼ら彼女らが動転するのも道理で、それは織り込み済み。

 

「これくらいは問題ない。……それより」

 

 ここまでの量と勢いを相手にするのは流石に初めてだが、殿を務めることも、引きながら戦うことも、これまで幾度もあった。それに、これよりはまだ中層の方が、厳しい。

 こちらに向かって飛びかかってくるニードルラビットを一刀のもとに斬り伏せ、返す刀ですぐ横から出てこようとしたゴブリンを斬り飛ばしつつ、短い言葉を投げる。

 

 この異【ファミリア】間パーティは結成してから日が浅くない、すぐに意を汲んだ発言が返ると信じて。

 

「恐らく、八、七階層間階段付近まで到達していると思われます! あと一、二分以内に階段が目視出来る距離かと!」

 

「聞いたか男共! それくらいは踏ん張りなさい!」

「ったり前だ!」

「右に同じっす!」

 

 リリーが現在地を概算し、ベッテがトルドとヨシフを叱咤する。

 多分このモンスターの行進は、七階層にも続いている、それは殆ど間違いない。いくら倒しても次々に湧いてくるこいつらを殲滅するのは無理があるし、このままもうひと階層を踏破は出来ない。

 

「階段を登り切ったら直ぐに横道へ! 方向は状況を踏まえて随時判断します!」

「了解!」

 

 モンスターたちの進行方向は総じて上階層、その為に、そこらへ分岐している路から、ここ、最短の道程である正規ルートに流入してくる。

 だが、階層の終着点、次の階層への階段付近となれば話は別。モンスターたちがわざわざ遠回りしたり引き返したりすることは恐らくない、よってそこだけはこの流れとは関係が無い、はずだ。

 

 キラーアントの足の付け根を切断して迫るダンジョン・リザードとウォーシャドウを妨害しつつ、隙を突いて眉間に、首に刃を差し込んで殺す。この程度ならば、まだまだ余裕で捌ける。

 

 初めて遭遇する事態ではあったが、安定して対処出来ている、皆の動きもそう悪くない。安全圏に逃げ込み、階層の縁をなぞるように移動して敵を避けつつ脱出。そこまでの筋書きは完成している、()()()()()()()()()()、生還は確実、だが。

 

「やはり、これは『大量発生(イレギュラー)』、なのでしょうか……!」

「……何とも言えない。こういう類のものがあるのかも知れないし、『全く別の何か』の可能性も十分にある」

 

 そもそもの話として、『大量発生』が起こること自体、そうあることではない。況してやこの様な集団移動など、誰が前例を知っているというのか。

 ただ、判るのは、下――九階層方面に、この膨大な量のモンスターを追い立てるような()()がある、ということくらいだ。

 

 一体何があるのか、それとも何も無く、まったくの偶然に過ぎないのか。

 推測から原因を突き止められれば、より良い立ち回りや対処法も採ることも出来るかも知れない。が、確かめる術を持たないわたしたちからすれば、それも無意味な仮定だ。

 究明なら専門の者が後でやればいい、今の目的は飽くまで脱出。言わずとも、その認識は皆に共有されている。

 

 全員で。五体満足で。生還するだけで、いいから。

 

 勢いよく突っ込んでくゴブリンを両断、次いで接近してくる――ような個体、が。

 

 いない。

 

「⁉︎」

 

 時間にして斬撃二回ほど。たった一秒にも満たない、極めて短い、空白が、激流の間隙が、生まれる。

 

 予期されなかったそれは、かつて帳と桐花から聞いた、とある現象を彷彿とさせた。

 

 

 ――「一旦、波が引くのです。水位は下がり、静寂が訪れ。丁度、力を溜めているかの様に、不気味に」

 

 

 それは。

 

「見えたぞ! 階段!」

 

「前方約五十M(メドル)! 渋滞になってる、ヨシフちょっと前出ろ!」

「おうよ!」

 

 追いついてきた後続の先頭にいたコボルトの首を刎ね、その死体を押し退けてきたキラーアントの胴を水平に薙ぐ。刀を片手持ちにし、空いた方でゴブリンの顎を打つ。

 

 ヨシフが、トルドが、何か言っている。頭の隅でその事実を認識してはいるものの、意識されるには至らない。

 本能が、力の限り警報をけたたましく鳴り響かせている。致命的な事態が巻き起こる、と。具体的な『死』が、襲い掛かってくる、と。

 

 

 ――「そんでさ、一気に来るんだよ。どばっ、となんてもんじゃねえぞ、もっとこう、ぐわっ、とさ。ぜーんぶ呑み込んでいくんだ、抗う術なんてねえよ」

 

 

 それ、は。

 

「滅茶苦茶混んでんぞ! どうする⁉︎」

「武器をしまって五人で固まる! 気合いで押し返すわよ!」

「それでいきましょう! 突入しますよ、シーヴさん!」

 

 ウォーシャドウを斜めに斬り上げる、口を開いたゴブリンの頭部を狙い、撫で斬る。手首を返し、頭の上半分が無いゴブリンと、腕を振り上げたコボルトを纏めて断つ。小さく跳び上がり、突進してきたダンジョン・リザードに両脚で体重を乗せた蹴りを放ち、反動で後退、着地と同時に、左右から寄せてきたフロッグ・シューターとコボルトを一振りで葬る。

 

 加速度的に、手数が増えてゆく。攻撃の予備動作を目にすることが多くなる、一度に斬る対象が一匹から二匹になる、刀以外での対処を強いられる、速度を上げざるを得なくなる、段々と、迎撃の間隔が狭くなっていく。

 

「――シーヴ、さん?」

 

 殆どあってないようなインターバルを挟み、目前まで近付いてきた後続、モンスターの群れが。

 

 これまでも十分過ぎるほどの質量であった怪物の『波』が。

 

 

 大きく、大きく。()()()()()

 

 

「『津波』が来る! 振り返って!」

 

「はぁ⁉︎」

「後少しなのに、ついてないっすね……っ!」

 

 我武者羅に得物を振り回すものの、そもそもわたし一人ではさっきまでの『波』すら止められなかったのだ、その勢いを緩めることすら、出来はしない。

 

 比較的広い「正規ルート」。その()()()()()()()()()()()()()()()モンスターの濁流が、あっという間に距離を詰めてきて。

 

「方策に変更無し、ですっ!」

「意地でも生き残るわよ! 皆!」

 

 

 そして、わたしたちは、凄絶な流れに、呑み込まれた。

 

 

「――っ!」

 

 

 一瞬で、世界が暗闇に包まれる。

 

 

 揉みくちゃにされ、方向の感覚どころか、重力の概念が失われる。

 

 最早恐慌に陥っているモンスターたちに敵意や害意は無い、様だが、凡ゆる部位を打撃が襲う、斬撃が走る。

 

 何かが肩に強くぶつかる。

 

 鋭利なものが二の腕を突き刺す。

 

 後ろ腰に硬いものが激しく打ち付けられる。

 

 額に鈍い衝撃、脚に荒い刃物が擦りつけられるような刺激。

 

 瞼の裏に火花が散る、粘性の高い液体が身体のあちこちを舐めるように滑る。

 

 よく、わからない。

 

 全身が熱い。空気が上手く吸い込めない。迷宮の壁の発光は遥か遠く、淡く、細くしか届いて来ない。

 

 痛い、苦しい、辛い。そんな感覚も、次第に遠ざかっていく。薄れて、消えてゆく。何も、失くなってゆく――

 

 

「うあっ、あああああああああっ!」

 

 

 無理にでも、意識を掴んで引き寄せる。

 

 思い切り。苦し紛れに。渾身の力で。必死に。周囲のすべてを跳ね除けるように、四肢を突っ張り、駄々を捏ねる赤子の如く、もがく。

 

 駄目だ、駄目だ、駄目だ。

 抵抗、しなければ。

 多分もう階段には入っている、抜ければまだ脱出の機会は巡る、諦めるな。

 

 でも。わたし一人だけではいけない。

 皆も。皆を助けなければ。皆で揃って帰るんだ。

 リリーと。ベッテと、トルドと、ヨシフと。全員で生きて帰るんだ。

 

 ほんの少し、周囲に空間ができる。どちらが上でどちらが下かを判断し、体制を整える。刀は半ばで折れていた、もう使えないので投げ捨てる。

 

 何処だ、皆は何処に居る。

 五月蝿(うるさ)いなんて言葉では言い表しきれない喧しさ、騒がしさの中ではまともに聴覚は働かない、無論視覚も、嗅覚も。

 

 ただし、それが普通の人間のものならば。

 

 狼人(ウェアウルフ)の発達した五感を最大限に活用し、混沌とした状況ごと、感じる。

 

 言語を介しての理解は余りにも遅い。見ただけで、聴いただけで、嗅いだだけで、直感で受け取った、だけで。

 秩序が欠けている盤面を、正確に把握する。

 止めどない情報が、頭に入ってくる。

 嚙み砕く事無く、飲み込んで己の一部と為す。

 

(そこ……っ!)

 

 予想した方向に、腕を伸ばす。進路上に入ってきたコボルトを殴り除けつつ、主張を押し通し。

 

 掴む。

 

 決してモンスター等のものではない、柔らかく滑らかな手触り。

 生命が宿っていることが分かる、優しい温もりが、仄かな安心感を与えてくれる。

 だがまだ一人目。後三人、頑張れば見つけられる、どうやってわたしに繋ぎとめておくか。二人を抱き抱えつつ二人を持つ、か?

 

 いや、それは後で考えればいい、まずは一人目を引き寄せて確保。細さと、ブレスレットの感触、からいって、これはリ

「――⁉︎」

 

 突如として、宙空に放り出される。

 

 階段が終わり、広い場所に出たのだと理解する。きつく押し込められていた波が、解放されて勢いよく弾けたのだ。

 

 空中で体勢を整えながら落下、横方向に大きく滑りながら、モンスターを蹴散らしつつ着地。幸いにも衝撃はそこまで大きくない。

 少し戸惑ったが、これは好機。敵の密度が小さくなった、勢いの向きに気を付ければ、わたし一人でも何とかなる。仲間を見付け易くなる。

 

 大丈夫だ、まだ間に合う。わたしが、皆を助けるんだ。皆で――

 

 

「……ぇ」

 

 

 意気込み。()()()()()()()()()を視界に入れた瞬間、わたしの世界は時を忘れた。

 

 ……これは。

 

 

 これは、なんだ。

 

 

 わたしが掴んでいるものは。

 

 

 この、肌色をしている細長い物体は。

 

 

 銀色の環状のアクセサリーを着けているものは。

 

 

 何か硬いものの周りを柔らかい肉が覆っている存在は。

 

 

 生臭い真紅の液体を、端から垂らしている、白っぽい塊、は。

 

 

 

 まるで力任せに、乱暴に、肘から先だけを千切られたような、()()()()()()()()()()()()()()()は。

 

 

 

 ……これハ。

 

 いったイ、こレは、ナんなのダ?

 

 

 ワタしは、わタシのあタまハ、コれがなニか、ワかラナい。リかいデキなイ。

 

 

 

 コノマま、アたマがマッしロのまマ、ジカんをオモイダしテ、ワたシモ、オナジよウニーー

 

 

 

 

「っあぁああぁああああぁあぁあああああああぁぁぁぁぁあああああぁああああぁぁぁああぁぁぁぁああああぁあああぁぁぁあああぁあっ!」

 

 

 

 

 何もかモを手放しテしまう寸前、誰かノ絶叫が鼓膜を叩ク。

 

 わタしを、現実へ、引き戻ス。

 

「!」

 

 気付けバ、わたしは手にしていタよくわからないモノを投げ捨て、声の主の方へ大きく一歩、踏み出シ、て。

 

 

 

 ……あれ?

 

 

 

 わたしは、今。何を投げた?

 

 視界の端に、同僚の身体の一部かな、と思われるような何かが、ちらり、とだけ映り、モンスターの波に沈んでゆく。

 

「あ……っ」

 

 

 わたしの中から、何かが失くなってしまう。

 

 

 感じるのは、折れた刀を捨てたときと同じ、多少動きやすくなった身軽さと、僅かばかりの喪失感、そして、わたしに穿たれた空虚を抜けていく、冷たい風の音。

 

 腕を伸ばしかけ、やめる。

 

 

 わたしは何を捨てたのか。もう。わからない。

 

 

 代わりに、大量に群れる異形共を力づくで掻き分け、ぼろぼろの襟を掴み、一息に引き寄せる。

 

 ヨシフ・レザイキンは、側頭部から流血し、意識を完全に失っていて尚、その血に塗れた両手に、何かを握り締めていた。

 確か、元は灰色であったはずの、チョーカーは。ベッテ・レイグラーフが身に付けていたはずのそれは、痛々しいまでの紅に染まり、それでいてまだ、環を保っていて。

 

 がつん、と。とんでもなく固いもので、頭をとんでもなく強く、殴られた気がする。

 

 ついさっき、まで。

 

 ほんの十数秒前まで。皆で一緒に生きて帰ろうと、言っていたじゃあないか。

 

 なんで。

 

 

 なんで、こんな。

 

 

 どうして。こんな、ことに。

 

 

「――ぅあ」

 

 

 何かが、間違っていたのか?

 

 どうすれば、よかったんだ?

 

 それともこれは、悪い夢か何かなのか?

 

 頼むから、そうであってほしい。そうであるなら、早く、早く、覚めてほしい。

 

「――ぁぁぁぁああああっ」

 

 

 お願いします、カーラ様。

 

 

 どうか、わたしに、力を。

 

 この、悪夢を。

 

 終わらせる、力を。

 

 

 荒れ狂う乱神の、加護を。

 

 

「――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 脱力したヨシフを脇に抱えて。

 

 強く、強く、強く。

 

 全身全霊でもって、周囲のモンスターを、弾き飛ばす。

 

 空いている腕を振るい、手当たり次第に蹴り、身体を当て。敵を一切寄せ付けず、人二人分が生きる場所を強引に作り出す。

 

 トルドは、トルドは何処だ。

 化け物一色の中から、ただ一つの存在だけを、感知する。

 集中しろ。限界まで研ぎ澄ませ。その双眸は、その耳は、鼻は、口は、脚は、腕は。この身体は。

 

 何の為にある。

 

 少なくとも、仲間の最期を見届ける為では、ない筈だ。

 眼を凝らす、耳を澄ます、鼻を効かせる。意識を全方位に広げ、支配し、救うべき大切な者を。

 

「見つ、けた……!」

 

 探し出す。

 

 三たび。鮮血を被ったこの穢らわしい腕で、まだ誰一人助けられていない腕で、生命そのものを掴み。

 

 モンスターを跳ね、飛び込んで、胸に抱く。

 もう離さない。この脈動する二つの魂を、二度と失ってたまるものか。

 

 さあ、あとは『波』に逆らい、横道へ逃げ込むだけだ。そうすれば、少なくとも自分を含めこの三人は助かる。

 

 

 ……三人?

 

 わたしたちは、五人パーティ、では、なかったか?

 

 ついさっきまで、五人で固まって、共に脱出を目指し協力していなかったか?

 

 なのに、何故。わたしが抱えている身体は、二つ、だけなのか。

 

 

 視界が滲む。

 

 

 邪魔なモンスターを蹴り、進路を確保する。もう、密度も数も、絶望的な程ではなくなった。あと数歩、数M(メドル)歩くだけで、この地獄から抜け出せる。

 

 脚が、止まりそうになる。

 

 熾烈な頭痛が苛んでくる。

 

 凡ゆるものが白んでいく。

 

 違う。これは裏切りではない。諦めることと同義ではない。見捨てるわけではない。自分たちだけ助かろうとしているわけではない。彼女らが仲間ではなかった、わけがない。

 

 では何故、わたしは今、歩を進めているのか。

 

 それは、それ、は。

 

 

 

 

 

 それは。

 

 

 

 

 

 もう、わたしの眼は、何も映してはいなかった。

 

 それ以降の記憶は、何一つ、無い。

 

 

 次に気が付いたとき、わたしは泣いていた。

 

 

 

 

 

 土や血が付くことも厭わず、痛いくらいに強く、抱き締めていてくれたカーラ様の胸で、わたしは無力を噛み締め、悔み、嘆き、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 地下に降るのは、赤い雨。

 

 噎せ返るような鉄の匂いが漂い、吐き気を催させる。

 闇を照らす源でさえも侵食され、広々とした異形の安寧の地は、元々の色がどの様であったのか、現在の様相からは察することも叶わない。

 

 第四階層、食料庫(パントリー)

 

 永くも、また短くもあった激戦が、間も無く、幕を閉じようとしていた。

 

 数百では利かない数を誇っていたモンスターたちも随分と減り、残すは数十、といったところ。

 

 対して、迎え討つは、たった一人。

 消耗は相当に激しい。少々特殊な状況下での特訓をこなし、それからほぼ休みなく動き続けているのだ、限界などとうに越えている。

 身に付けていた和装は千々にそこらに散り、裂傷まみれのレザーアーマーはもう防具としての役割を果たしてはいない。

 

 それでも。

 

 彼は。

 

【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、ナツガハラ・ツカサは、再び剣鋒を上げる。

 

 上半身を起こし、弱々しい動作で怪我人の応急処置をするアルベルティーヌ・セブランの眼には、彼の両手にある二本の刀が、長さも太さも全く違う歪な二刀流が、あたかも荘厳な一対の翼であるかのように映っていた。

 大きく、美しく、気高く、麗しく、神聖な、純白の双翼。が。優しく、柔らかく、暖かく、愛おしげに、彼を包み込む。

 

 戦乙女(ヴァルキュリヤ)の加護が、実を結ぶ。

 

 彼は、弱い。この場にいる六人のうちでは、異論の余地もなく彼が最弱だと言って何も差し支えはない。同様に、戦闘も上手いとは評し難く、動きもまだまだ稚拙で、立ち回りも初心者のそれと変わりない。

 だが、それ故に、彼は今、一人立ち上がっている。他の仲間たちが総じて力尽きているのに対し、立ち上がれている。

 全力で戦う、それ以外を知らない、から。自分の体力の残量を気にしながら、敵を如何に手際良く、効率良く、楽に倒せるかを考えながら、などという領域には、彼はまだ到達していない。

 その為に、半端に手加減をして、不測の事態に手こずる、ということと無縁でいられた。それはもう、誰にとっても予想外なほど。

 

 だから、彼の女神と噛み合った。

 

 戦乙女ブリュンヒルデ、その名が冠する意は『輝く戦い』。

 勿論、彼女の【神の恩恵(ファルナ)】に何か特別な能力が宿っているわけではない。だからどうにかなる、という話でもない、それだけで強くなれるわけがない、現実はそう甘くはない。

 

 彼女は、ただ祈っただけ。

 

 彼が、生きて帰って来ますように。彼に、輝かしい未来が訪れますように、と。

 信心深い者でさえ、熱心に祈れば救われる。ならば本来祈られる立場にある女神(かのじょ)が祈れば、何が祝福を授けるというのか。彼女は何に祈るのか。

 

 答えは至って単純である。

 彼女自身に、だ。自分の祈りが彼を護るように、自分自身が彼の力になるように、彼女は最も身近な神性(じぶん)に帰依した。

 この世界においては、神の力は抽象せらる。神威が神を神であると認識させることや、美の女神が魅了の力を振り撒くことからも、それは明らかで。

 

 結果、彼女の祈りは、届いていた。

 いつだって()()()()()()()()()彼は。ずっと『輝く戦い(ブリュンヒルデ)』を繰り広げていた小さき弱者は、常に祝福を授かっていたのだ。

 

 それだけではない、本当は、もう一つ。

 

『シャアッ!』

 

 片足を引き摺りながらもその目を血走らせ、殺意を剥き出しにしたコボルトが吼え、加速する。

 

 足元が覚束ないツカサは、待つことはせず、勢いよく、飛び出す。

 

 血液が降るこの状況では、顔を上げて走ることは自らの視界を潰すことに繋がる。下を向き、床に広がる血の海を蹴る足音を、散る飛沫を、捉えるしかない。

 だがそれは、敵にとっても同じこと。互いに体勢を低くしたツカサとコボルトの距離が、あっという間に無くなる。

 

 やはり疲労は色濃く、彼の膝は笑い転げている、そんなことも御構い無しに、ツカサは濡羽色の翼を羽ばたかせ。飛ぶ。

 アルベルティーヌは、彼らが交錯する瞬間、急に速度を増したツカサの身体がふわりと浮かび、コボルトが反応するより速く、その横を通り過ぎるのを、しっかりと観た。

 

『ガァ……?』

 

 紅緒でコボルトを一撃の元に斬り捨てたツカサは、渡鴉を振るい、少々ぬめる地面に足を取られながらも方向転換、また走り出す。

 

 近付いてきていたゴブリンの額に紅緒を突き入れ、頭部を縦に()(さば)く。

 

 戦闘不能の五人の方へ一目散だったダンジョン・リザードの魔石ごと、その胴体を両断。

 

 渡鴉でウォーシャドウの首を切断、その勢いで回転、反転して即、別方面へ駆ける。

 

 たった一人の傍観者であるアルベルティーヌは、悔しさに唇を噛み締め、彼の背を目で追う。

 何故、今。死力を尽くして闘っているのが、自分ではないのか。最もパンテオンの力になれているのが、自分ではないのか。その答えを探して。

 

 対多、特に今回のように敵の数が膨大な時には、自分のようなスタイルは通用し辛く、イネフのような戦い方が有効で。それに先ほどまでツカサはパンテオンの『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)により強化されていた為、余力が少し残っていたから。ということは、彼女も理解していた。

 

 そういったことが識りたいわけでは、ない。

 

 自分には何が足りなくて、彼には何が有ったのか。普段、パンテオンと二人で行動している時の自分と現在の自分が、如何に異なっているのか。

 ふらふらになりながらも、歯を食いしばり、こちらに向かって走ってくる彼の姿を、凝視する。

 

「頭、上っ、失礼し、ます!」

 

 前方の敵を一旦殲滅したツカサは、アルベルティーヌらを跳び越え、逆方面へ刃を向ける。注意を大きく引きつけてはいるものの、それだけでは全方位から迫り来るモンスターを止められはしない。迎撃しきる他に活路は皆無だ。

 

 一際大きな水音を響かせ、着地、接近してきていたコボルトを袈裟に斬り、その直ぐ後ろにいたゴブリンの胸部、魔石を狙って渡鴉を突き刺す。

 

 大股の二歩を経て、紅緒で振り上げられたキラーアントの腕を斬り飛ばし、間髪入れずに渡鴉で止めをさしつつ、また別方向へ、飛ぶ。

 

 ここまできて。極限に達して初めて、ツカサは新たな段階に足を踏み入れていた。いや、ここまで追い詰められた()()()()なのかも知れない。

 

 紅緒でも、斬撃が放てている。

 

 それは、なるべく小さい労力で大きな成果を挙げようとする無意識下の働きに通じるところがあった。打ちつけることに比べ、斬り裂くこと自体は、神経は使うものの力はそこまで必要ではない、効率的だ。

 晴嵐は元々の性質からして、また反りが独特な渡鴉は先端付近のみだが、二刀共、片手斬りを可能としてはいる、ものの。今のツカサには、あまりに重量が違う二本のバランスをとりながら戦えるだけの体力が残ってはいない。限定的ではあるが、今回の紅緒の扱いにおける熟達は、確実に彼を助けている。

 

 しかし。

 

『キシャァッ!』

「ぐっ!」

 

 ゴブリンを斃し振り返るツカサに、キラーアントの鉤爪が強襲する。避けられず、咄嗟に紅緒で受け止め、渡鴉で反撃を試みる、が。

 

 視界の隅から、どす黒い何かが伸びてくる。

 通常時ならばそのウォーシャドウの腕を斬り落とした上で、キラーアントも撃破していただろう。そう、普通の状態だったならば。

 

「う、ぉあっ」

 

 知覚してから反応、動くまで。普段ならば有り得ないラグが、生じる。当然、対応は遅れ、必死で離脱する以外の選択肢が潰された後に、やっとツカサは動き出せる。

 

 ここで勘違いしてはならないのは、揺るがない事実として、彼はまだ弱いままだということだ。片手で紅緒を使えるように成ろうと、女神の加護を受けていようと、彼自身としては何一つ変わってはいない。

 気合だけで強くはなれない。覚悟だけで敗けは覆せない。そんな摩訶不思議なことが起こるのは漫画やら小説やらの非現実だけだ。

 

『……!』

「く、っそ! 影響無し、かよ!」

 

 連続して追撃の腕を伸ばすウォーシャドウの頭部前面、白い円盤は降り頻る禍々しい赤を受け流し、淡い色も付かない。圧倒的、不利。

 しかも手こずればその分だけモンスターは集まって来、他五人の安否にも関わる。またウォーシャドウだけでなく、その背後のキラーアントにも気を使わなければならず、後手後手に回らざるを得なくなる。迅速にこの流れを断ち切らねば、敗北は決定的になってしまう。

 

 現実は、これでもかと言わんばかりにしつこく何度も何度も、高圧的に、絶望を突き付けてくる。

 ここまでだ、膝を折れ、と。もう無理だ、諦めろ、と。

 

 死ね、と。

 

 防御に割く余裕はない、機動力は落ちに落ちていて回避もそうそう上手くはいかない、握力も衰え、敵の守りを砕くことも叶わない。

 ウォーシャドウの攻撃を躱すこともあまり繰り返せないだろう、そのうち脚が縺れ転ぶ。かといって受け流すための立ち回りも同様に難しい、跳ね返すなんて論外だ。

 なんとかしてこの影を倒しても、その後のキラーアントの攻撃をなんとか出来るかといえば厳しい。しかし、このまま後退し続けても勝ちはない。一見、詰んでいるような状況。

 

 では、どうすれば良いのだろうか?

 ツカサは、その答えを持っている。逆に、それしか持っていない、とも言えるが。

 

「……手数、っ!」

 

 紅緒が上昇しつつウォーシャドウの指を弾く。衝撃が腕に伝わり、ツカサは顔を顰める、だが口元には、笑み。

 

 それは、先ほどの策と、完全に同じ言葉。擬似二刀流に移行したときと、同じ表現。

 けれどツカサは既に二刀流、納めている晴嵐を含め三本の刀を持っているとはいえ腕は二本、それ以上の同時使用は、不可能だ。

 

 勿論、それが普通の方法でならば、の話だが。

 

 斬り上げとしての軌道を描く紅緒、に対し、斬り下ろしを警戒したウォーシャドウは防御を試みる、も。

 

 その予想に反し、紅緒は必要以上に高度を上げ。ツカサの腕が、肘が、肩が、伸びきったところで。

 

 ツカサの手を離れ。

 

 

 呆気なく、宙に舞う。

 

 

『……⁉︎』

 

『⁉︎』

 

 眼前のウォーシャドウとキラーアントのみならず、周囲に迫っていた数体のモンスターたちが、そしてアルベルティーヌ・セブランまでもが。反射的に、その放物線を、目で追った。

 

 モンスターにも、当たり前ではあるが、生存本能が存在する。迷宮から生まれ落ちた時より備わっているそれは、己の命を奪わんとする冒険者、及びその武器へ、特に強く表れる。それは、ギルドから大量の資料を借り読んでいたツカサにとっては、既知の事実。

 

 故に、それは不可抗力。

 

 顔と思しき白の円盤を天に向け、無防備な隙を晒した影の化物と、目線を逸らしたことで対象を見失った蟻の化物は。

 

 

 敗北する。

 

 

「……っ!」

 

 残っている渡鴉で、無抵抗のウォーシャドウの胴を斜めに斬り上げ。

 

 膝を折り、体勢を低く。三本目、晴嵐の柄を握る。出来る限り、強く、優しく。

 

 ウォーシャドウの上半身が滑り落ち、キラーアントの視界が開けた時には、もうその懐に、忍び寄っている。

 

「…………は、ぁっ!」

 

 キラーアントの頸が、血の海に沈む。

 

 三本目の刀を使った、囮。流れの中に予想外の不純物を混ぜ込み、気を引きつけさせる、視線を誘導してしまう。無い三本目の手を、有るように見せかける。

 

 晴嵐を納め、落下中の紅緒を掴み、接近してきていたコボルトへ向き直る。

 

 突撃の構えに入っている犬の化物に対し、ツカサはまた、紅緒を放ってみせた。

 

 ただし、先程より緩く、小さく。

 

『グァ⁉︎』

 

 今さっきの攻防を確認していたコボルトは、咄嗟に腕を交差させ、頭部を守りながらツカサへ突っ込む。が、それでは視界は閉ざされていて。

 

 そのまま、一歩、二歩。おぞましい感触を足裏に感じながら組みつこうと前進したコボルトは、しかし予想していた距離を走り抜けても何の手応えもないことに、戦慄する。

 

 騙された。そう思い顔を上げ――

 

「もう遅い」

 

 憐れなモンスターが上体を起こすより、渡鴉が虚空を駆ける方が、ずっと速かった。

 

 背後から魔石ごと斬られたコボルトの断末魔を聞くこともなく、ツカサは別方向へ。紅緒と渡鴉を手に、軋む身体に喝を入れ、前へと、進む。

 

 アルベルティーヌには、まるで彼が、戦っている、というよりかは、踊っている、様にも見えていた。

 冒険者の命綱である武器を放り投げ、舞うかの如く敵の攻撃をひらりと躱し、流れるような動作で鮮やかに葬ってゆくその姿は、何かの芸でも披露しているみたいで。

 

 凶器の舞踊(ジャグリング)でも、しているみたいで。

 

『ガアアアアァァ!』

 

 威嚇しながら迫ってくるコボルトと、その陰に隠れ機会を窺っているフロッグ・シューターへ、ぼろぼろのツカサは立ち向かっていく。

 

 時間経過と共に粘度を増して足を取る血塗れの地面の所為か、もうまともに力が入らないのか、その足取りは重く、血の雨に打たれる背は今にも崩れ落ちそうだ。

 接敵し、攻防が始まる前に。また、ツカサはその手の脇差を天に振り上げる。

 

「お……ぉっ!」

 

 青年の軋む腕を離れ、三たび、紅緒は空を舞う。

 

 朱い光を反照して。紅い雫を反撥して。

 

 滑らかな放物線を描く。

 

『グルォァッ!』

 

 しかし、コボルトもフロッグ・シューターも、紅緒には目もくれず、ツカサへ仕掛けていく。

 

 それは、もう、その場の誰もが予想出来ることに成り下がっている。最初の意図である奇襲性は薄れ、十分に注目を集められるだけの特異性も失われ、ただの奇策でしか、ない。

 

 はずだ。

 

 そう、思ってくれていれば上々。と、ツカサは渡鴉を両手で構え。

 

「だっ、らぁ!」

 

 コボルトを、両断する、が。

 

 アルベルティーヌの視点からは、それはどう考えても悪手でしかなかった。

 動作が大振り過ぎる。これでは少し離れた所で構えている蛙の遠距離攻撃が躱せない。せめて移動込みでの片手振りでなら間に合ったかも知れないのに、何故――

 

「⁉︎」

 

 フロッグ・シューターの舌が発射されるかという間際、困惑するアルベルティーヌの思惑などを裏切り、事もあろうにツカサは踵を返し彼女たちの方へ走り出す。

 

 当然、その舌を打ち出そうとしているフロッグ・シューターに、背を向けて。

 

 同時に、彼女は重い水音を背に受ける。モンスターが至近まで忍び寄っていたのだ、気付かないでいたことにぞっとすると共に、彼の行動にも納得しかけ、心中で否定する。

 また自分たちの頭上を跳び越えようとしているならば、尚更。彼は蛙の攻撃を避けられない。一体、どういうつもりで。

 

『ゲァァ――』

 

 その問いに応えたのは、物言わぬ鋼。

 

 ツカサは、正面のコボルトを見据えていた。アルベルティーヌは、片足で踏み切りを付けるツカサを眺めていた。フロッグ・シューターは、跳び上がる冒険者の背中に狙いを定めていた。

 

 

 要するに、誰も。それの行方を、追っていなかった。

 

 

『――ィァ』

 

 大きな口をぽっかりと開けた蛙の脳天に、紅緒が突き立つ。

 

 派手に囮を使って魅せ、意識させてから今度はその新しい戦法自体をも囮に仕立て上げる。こっちの世界に来てからも止めなかった妄想と、練習の成果。

 ツカサの持つアドバンテージは、現世で得た別質の知識と、膨大な量の創作に触れたこと。それを活かすには、空想を実現出来るだけの努力を積み重ねるしかなかった。

 足を止めるな、手を止めるな、思考を止めるな。それだけが、活路と成り得る。

 

「う、ぉあっ」

 

 コボルトの爪に腕を切り裂かれながらも、手放されなかった渡鴉は肉を断ち、骨を砕く。

 

 しかし、空中姿勢も整わぬまま力任せに振り回したために、翼は想定外の空気を孕み、主の重心を乱し、体勢を崩す。

 

「ぐっ、」

「ナツガハラさん、!」

 

 受け身も取れずに地面に激突し、血の海を転がる。降り注ぐ雨だけで大分色付いていた衣類が、瞬く間にどす黒く染まっていった。

 

 あと、どれくらいだ。何体残っている。早く、立ち上がらなければ。大丈夫だ、まだやれる。立て。ツカサの思考は口を押し開け呟きと化し、暗示を掛ける。

 中途半端に固形化した血液に手足が滑り、起き上がれない。出来うる限り急いで、でも焦ってはいけない。早く速くと急く度に手綱が遠ざかっていく。

 

「ち、っくしょうが……!」

 

 手が白くなるほど強く刀を握り込んでいるのに、他の部位がまるでいうことをきかない。

 

 服が水分を吸ってのしかかってくる。手足は鉄球でも付いてるんじゃないかってくらいに鈍い、頭は濃霧に突っ込んでいるかのように不鮮明。

 雨音の中、足音が段々と大きくなる。警鐘が鳴り響き、身体がかあっと熱くなる。

 

「右っ、来てます!」

 

 片足を立て、踵を地にめりこませ、固定。もう片足で踏み切り、力任せに振り上げ。

 

 腰を捻り、強引に右方、足音からしてゴブリン、に斜め斬り上げをかまし、勢いのまま立ち上がる。

 

 周囲に視線を巡らせるも、掠れかけの視界には確かな情報は映らない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚までもが麻痺し、触覚も狂いだしていて、立っていられているのが不思議なくらいだ。

 

「は、っ……はぁ、っ、ぐっ、はあぁぁっ」

 

 苦しい。全身が痛いし目が回って気持ち悪い。吐きそうだ。

 今にも倒れて死んでしまうのではないか。ぼんやりとそんな考えが浮かぶ。

 

 ぶんぶんと頭を振って眼を瞑り、俯いて集中。最後の一体を屠るまで、諦めるな。

 

「!」

 

 微かな足音を頼りに、飛び出す。

 その数からして二足二体か四足一体、間隔からして四足、大きさからしてダンジョン・リザード。

 

 経験から感覚を引っ張って来、適度なところで逆手に持ち替え振り下ろす、その直前に膝から力が抜け。片膝のような状態で頭部に渡鴉を突き立てる形になる。

 

『ギィィィィ……』

 

 偶然にも上手いこといったが、少しずれていれば足をとられ、そのまま動けなくなっていたかもしれない。とはいえ気を付けるも何も、踏ん張る以外に対処法はなく。ここまでくれば後はもう根性だとか、そういう精神論の世界で。

 垂直に立った渡鴉に体重を預け、一拍。前のめりになった身体を跳ね上げ、引き抜く。

 ふらつきながら、歩き出す。

 

 そのツカサの姿に気を取られていて、自信もかなり疲弊していたこともあったのだろう、アルベルティ―ヌは、至近で起き上がる彼に、気が付かなかった。

 

 極限を迎えている身に、赤い雨は厳しく打ち付ける。彼の意志を挫くが如く、彼の意思を穿つが如く。

 

 生還までの長い道程に、新たに立ち塞がってきたのは、またもや黒い影。

 しかも、他と比べて大したダメージも負っておらず、機敏に動ける体力を残していると見える。

 

『…………』

 

 三ヶ月前、こいつ一体に、肩に大穴を空けてまでしてやっと勝利をもぎ取った時、より、随分と強くなってはいるけれど。軽く三桁に届く数を斃してきたけれど。やはり素早く、鋭い攻撃を繰り出してくるウォーシャドウは、依然として、油断すれば容易に敗けるだろう強敵であることに変わりなくて。

 初対戦時の印象もあるのだろう、どうしても苦手な感覚が拭えない。

 要するにこの状況からして、最も相手にしたくない敵、だった。

 

「っそ、が……」

 

 内心毒づきつつ、ツカサはやたら強く握れている渡鴉を正眼に構え。

 倒れこむような角度をつけて、地面を蹴る。反応勝負では勝てない、先手を取って攻撃させずに完封しなければ、やられる。 

 

「……【弾け飛べ】」

「!?」 

 

 アルベルティ―ヌは、上半身を起こし、片手で負傷した脇腹を抑えながら、もう片腕を水平に突出す彼に、やっと気付く。

 彼はツカサのいる方へ、揺らめく淡い光を纏った掌を向け、言の葉を紡いで式を成す。

 

「ぅぉ、おっ!」

 

 半身になるウォーシャドウ相手に距離を詰めつつ、ツカサは溜めるように上半身を捩じり、斬撃の予備動作と認識させるよう声を上げる。

 

 影は牽制として腕を伸ばす、が。渡鴉の性質として、一回空振って加速、という使い方が出来るツカサにとって、それは格好の獲物でしかない。

 

『……!』

 

 若干振り回されながらも、ウォーシャドウの腕を飛ばし、速度を増す。

 

 そのまま敵の懐に潜り込み。

 斬り伏せる。

 

「――【限外の異形】!」

 

 イネフ・マクレガーの声は、ツカサの耳には届かなかった。

 

 代わりに彼が聞いたのは、黒い足音。

 激しい雨音に掻き消され、ツカサは感知できず、目を逸らしていたアルベルティ―ヌは視認出来ていなかった。

 

 刀を振り切った体勢では、横から来る漆黒の凶器を防ぐのは難しい。

 

「くっ!」

 

 無理矢理身体を捻り、ぎりぎりのところで回避する。直ぐ傍を、ウォーシャドウの腕が、風切り音を鳴らしながら通り過ぎていった。

 

 バランスを崩し、転びそうになるが、一歩後方になんとか踏みとどまり、攻勢に、転じ、ようとして。

 

 力が、抜ける。

 

 膝から崩れ落ち、腕が下がる。

 敵の攻撃に対し、完全に無防備な姿を、晒してしまう。

 

「ん、な……!」

『…………!』

 

 血の雨が頬を打ち、目に入ることも厭わず考えられず、ツカサは、黒い影を、見上げる。

 

 赤く潰れてゆく視界のなかで、どこまでも暗い深淵が、その腕を振り上げ。

 

「【ジャック・オー・ランタン】っ!」

 

 胸部が紫色に光ったかと思えば、唐突に、内側から弾け飛んだ。

 

「……!?」

 

 倒れている仲間たちから離れているツカサには、何が起こったか、まるで理解できなかった。目の前で、いきなりウォーシャドウが爆発したのだ、無理もない。

 そして赤に塗り潰されていた彼の世界は、混乱している一瞬のうちに、暗転する。

 

 

 その場において、傍観役のアルベルティーヌのみが、霞む思考の中で状況を把握していた。

 先ほど、ナツガハラが大声で呼び掛けた時の爆発。恐らくそれと同じ魔法、を、マクレガーが使用した。出力は大きく違うが性質は同系統。

 魔法の詳細はどうでもいい、重要なことは、これでナツガハラは絶体絶命の危機を脱した、ということであって。

 しかし、マクレガーは精神力切れで今度こそ完全に脱落。参戦はおろかこれ以上の援護は期待出来ず、もう立ち上がれる者は他に無い。

 それだけならばまだよかった。

 マクレガーの行動に誤りはなかった。間違いなく最善の判断であった、だが皮肉なことに、それが仇となる。

 

「ナツガハラ、さん……目、は!」

「駄目、です……!」

 

 唯一残った戦力であるナツガハラの、眼が使えなくなった。爆散するウォーシャドウの体液が、天井から降ってくる血が、上を向いていた彼の目に入り、視力を潰してきたのだ。

 直ちに害は無い、後で洗い流せばいい、けれど戦闘を継続するには、余りにも厳しすぎるハンデ。

 視覚に頼らない格闘術など、きっと彼は身につけてはいない、まず確実に、続行は不可能。

 

「指示を!」

 

 不可能、の、はず、なのに。少なくとも彼女は諦観しかけたのに。

 

 それでも。

 

 それでも弱々しい声を張り上げるツカサに、彼女の眼が、いつも頼もしい相方であり恩人であるパンテオンの姿を、重ね合わせる。ぶれて、分かれる。

 

 どちらにせよアルベルティ―ヌに選択肢は与えられておらず、また彼女としても、断るつもりは無く。

 

「右、反転三○度、キラーアント、一……!」

「はい!」

 

 濡鴉の翼は、主の眼を失ってもなお、翻る。

 彼女の声に反応し、迷いなく駆け出すツカサには、一切の疑念が存在していなかった。

 

「対象まで五M……三……一!」

「っ!」

 

 アルベルティ―ヌの支援音声通りに、キラーアントの足音が近付いて、近付いて、遠ざかっていく。

 何度も何度も仕合った敵だ、間合いさえ把握出来るならば、何処に向けて刀を振れば斬れるか斬れないかが、大まかにならわかる。

 

「左九○度、約八M、コボルト!」

 

 怖い、という感覚は感じられなかった。そんな余裕がない、ということもあるだろうが、何よりも、あることを思い出したことが大きいだろう。

 

 地面の滑り気にも慣れ、死骸の位置も覚えている、走行はある程度安定していた。

 それだけで、彼は戦える。

 

「左七○、度、約一二Mに、ゴブリン、続いて、ニードルラビット!」

 

 パンテオン・アブソリュートの魔法が吹き荒れたのちの戦闘では、アルベルティーヌという傍観者はあれど、ツカサはたった一人でモンスターたちと渡り合っていた。

 それは状況的にも必然で、むしろ彼自身望んでその役目を引き受けた節すらあった。他の者が立ち上がってくることに期待を寄せていなかったどころか、望んでいなかった、まである。

 

「背後、約三M、にキラーアント、接近!」

 

 憧れて、いたのだ。

 

 数多の敵を前に、独りで立ち上がる英雄に。単身、勇猛果敢に挑む勇者に。そう、たった今そこに倒れているパンテオンの様な、そんな人間に。

 絶対に成れない理想に、手が届くと思って。追い求める自分が、格好いいと酔って。なまじっか力を得てしまったばかりに、ツカサは、愚かにも、思い上がってしまっていた。

 

「右九、○度、コボルト、約六M!」

「は、ぃ!」

 

 そんなこと。

 

 そんなことは、所詮幻想でしかない、のに。

 

 そんなことは、わかっていた。わかっている、けど。だからこそ。

 

『ゴギャアアアァァァ!』

 

 思えば、迷宮(ダンジョン)にもぐるときは大抵、誰かしらと一緒、だった。

 

 ほんの一時期の間以外は、トルドやシーヴ、グスタフやエルネストにスハイツといった面々と共に探索することが常であった。ベル君の様に一人(ソロ)で挑むことはほぼなく、つまり戦う際には、いつも誰かが、自分より強い(なにがし)が、側にいたわけで。

 現世から移って来た彼としては、命のやり取りにはこの世界の住人以上に過敏にならざるを得ないし、不安を抱かずにはいられない。

 

「左六○、約四、ダンジョン・リザード、キラー、アント、各一!」

 

 何が言いたいかといえば、まあ。

 

 

 怖かった。それに尽きる。

 

 

 だから完全無欠な英傑を思い描いて精神を補強し、万が一の保険として仲間に同行してもらうことで生命の安全を確保しようとした。

 

『ギシャァァァァ!』

 

 それらが無くなったとき。頼れる仲間と別れ、強い仲間が倒れて、自分独りになったときの、絶望感といったらなかった。

 

 何の後ろ盾も無くなって。自分だけならまだしも、他五人もの生死を背負うことになって。

 

 尋常ではない。並の人間には耐えられない。逃避して妄想でもしなければやっていられない。その点では彼も例に漏れてはいなかった。

 

「正面、約二○M、コボルト!」

 

 しかし。その代わりに。

 

 己が一人でも、決して独りではないことに気が付けば。

 

 共に闘ってくれている人がいることを知ったなら。それが判ったのなら。

 

 彼はもう、大丈夫だ。

 

「っあぁっ!」

『ギャウゥッ!』

 

 折れない翼は、何度でも羽ばたき風を起こし、異形の命を吹き散らす。

 

 加護を纏い、血で覆われた地を蹴り、勇ましく翔け回る。

 

 きっと、他の者、特にLv.2以上の実力者が彼を見たとしても、それほどの力を感じることはないだろう、大して強いとも思わないだろう。

 

 だが今は、今この時この場に居る者にとってのみ。極めて短いこの瞬間に限り。彼は、眩い輝きを放って止まない。

 

「左一二○、約八、ウォーシャドウ!」

 

 残るモンスターの数を数え、アルベルティーヌは歓喜と緊張を同時に抱く。

 

 あと、六体。彼の活躍ぶりからいって、それほど厳しい数にも思われない、けれど、気を緩めてはならない、いつだって油断は敗北へ繋がっている。

 パンテオンと共に幾つもの死線を潜り抜けてきた彼女は、()()()()()()側の人間だった。最後の最後まで策を練り手を探し、生き残りに全力を掛けることの重要性を、深く理解出来ていた。

 

 だと、しても。

 

 

 それは、予測不能に近かった。

 

 

「……!」

 

 ぞわり。と。彼女は、全身が粟立つ感覚を覚える。

 

 何かはわからない、しかし、とんでもなく嫌な予感には襲われる。経験則から、それだけは肌で感じ取った。

 無意識のうちに、頭部を守るように、腱が切れていない方の細い腕が、上がる。支えを失い、上半身が重力に従って、血の海へ倒れて行く。

 

 

 直後。

 

 

 彼女の意識を刈り取るには十分すぎる衝撃が、天井から()()()()()

 

 

「が……っ、は!」

 

 その正体は、【ヴェントゥス・テンペスタース】により吹き飛ばされ、食料庫の上面に叩きつけられてもまだ生きていたダンジョン・リザード。それが頃合いを見計らい、強襲してきたのだ。

 

 だが、後頭部への直撃は避けたものの気を失ってしまった彼女はもとより、視界を奪われたツカサも、事態を把握する術を持たなく。

 雨に濡れたグラウンドに豪快に倒れ込むような、そんな音が響いた、手掛かりはそれだけだ。

 

「アルベルティーヌさん⁉︎ だ、いじょう、ぶっ、ですか⁉︎」

 

 息を切らし、ウォーシャドウを斬り殺したツカサは指示を仰ぐべく、彼女の安否を尋ねるべく、必死に声を張り上げる。

 

 その答えが返ってくることはない。しかし、何も無い、それが彼女に()()()()()()ことを如実に表している。

 

 大まかな場所はわかっているのだ、今すぐにでも駆け寄りたい、でも不慮の事故が怖くて不用意に近付けない、助けに行けない。

 ここまで補ってもらっておいて、いざというときに何も出来ない自分の無力さに、嫌気が差す。

 

「くっそ、がぁっ!」

 

 少なくとも、アルベルティーヌさんたちへ、これ以上の追撃を許してはならない。力の限り絶叫し脚を振り下ろし、注目を一身に受ける。

 敵の位置と数は、音により辛うじて判明している、あとは倒すだけだ、なんとかして倒すだけだ。

 

 ……倒し、たとしても。アルベルティーヌさんたちは。トルドやパンテオン、イネフさん、カテリーナさんたちへ迫っている脅威を、どうやって取り除く?

 

 勝利条件が満たされない。それは敗北と同義。

 

 正面、約五、六Mに、恐らくコボルト。それほど速くないため多分手負い。

 

 どうすればいい。目が開かない、もう恐怖はないが迷いが生じる。

 

 コボルトの飛び掛かりのタイミングは、距離はどれくらいだったか。その高さは。どこを優先的に狙ってくるか。思い出せ、的確に対処しろ。

 

 あまり時間はない、あと残っている敵はどんな風に動いているか。アルベルティーヌさんが発した情報は他にないか、受け取り損ねてはいないか。

 

 刀を構え迎え撃つ体勢になるか、まだ起きている人は他にいなかったか、いや交錯して斬り捨てた方がいいか、やはりリスクは承知で側に行けばまだなんとか、ここは避けつつ後手に斬って迅速に動いた方が

 

『ギァォ!』

「づっ!」

 

 鋭い爪の一撃に、肩を深く切り裂かれる。痛覚が麻痺しているのか、痛いというより、じんわりと熱が広がっていく。

 

 駄目だ、思考がまとまらない。

 

 戦闘に集中、したいのに。どうしようもないというのに、仲間の安否が気になって仕方がない、気が散って定まらない。

 

 反射的に渡鴉を振るうも、手応えはなく。

 

 まずい。

 

 全身から、一気に汗が噴き出す。コボルトが至近にいるうえ、あと四体のモンスターも、同時に相手をしなければならなくなる。一体ずつならまだしも、この条件では、厳しすぎる。

 

「うぁあっ、おぁぉっ!」

 

 

 死ぬ。

 

 

 焦りが最高潮に達し、訳も分からず、兎に角刀を振り回す。上に、下に、斜めに、水平に、垂直に。敵を寄せ付けまいと、それはもう、滑稽(こっけい)なほどに。

 

 気圧されたコボルトが一歩、二歩と後ずさり、周囲のモンスターたちも自然と彼の動きに視線を向ける。

 振り回して、振り回して。中途半端な姿勢で扱ったために、重心が乱れ、ふらついて転ぶ。生臭さが鼻を突く、ぬめりがまとわりついてくる。

 

 食料庫の中央では、俄かに戦闘中であるとは信じ難い光景が、展開されていた。

 

 

 結果的に、それは功を奏す。

 

 

 ツカサが取り乱し、モンスターたちが呆気にとられている間に。

 

「……!」

 

 

『勇気祝杯』の効力が、再び現れる。

 

 

 精神力を使い果たし倒れ伏していた筈の青年が、ゆらりと立ち上がる。その頬を苦痛に歪めながらも、その眼に確固とした光を宿し、溢れ出る怒気を背負い、まるで物語の主人公かの様に、復活する。

 

 限界に達していようと関係がない。極限を迎えていようと仔細はない。彼は仲間の危機を見過ごさない、正義は弱きを救い、護り、その身朽ちるまで戦い続ける。

 

 

 パンテオン・アブソリュートは、音も無く地に足を付け、上体を起こし。気絶しているアルベルティーヌと、その(くび)を喰い千切らんとするダンジョン・リザードを視界に入れると。

 

 

「離れ、ろッ!」

 

 目にも留まらぬ速度で接近、蜥蜴(とかげ)の顔面を爪先で捉えつつ、蹴り飛ばす。

 

 憐れなダンジョン・リザードは、断末魔をあげる暇も無く頭部をトマトのように潰されつつ、何十Mもの距離を低空飛行し、地面と擦れ四肢を断裂、臓物をぶちまけながら戦場を彩った。

 

 攻撃の機会を窺っていたコボルト及び四体のモンスターは、身を強張らせ静止する。

 

 補正を受けたツカサが、その隙を逃すわけもなく。

 

「だっ!」

 

 コボルトを、今度こそ袈裟に断つ。

 

 しかし、長くは続かない。一時的に立ち上がったとしても、精神力が枯渇しているのは変わらない。時間制限はパンテオンが倒れるまで、意識を飛ばすまで。

 

 それまでに、あと四体。ここにいる全てを殲滅して初めて、勝利は齎される。

 

 時間制限は、余りにも短い。

 

 やるしかない。

 

 いや。

 

 やってやる。

 

 渡鴉が、飛ぶ。力強い羽ばたきに、黒い羽根が舞う。

 

「んぐッ!」

 

 体を捻り、最も近くにいたキラーアントの元へ、大股で二歩。血を弾き、漆黒の烏は翼を翻す。

 

 最早そこには、余計な思考、その他諸々の雑念は存在していない。生存への本能、帰還への執念、自身の証明、のみ。

 あと、三体。ゴブリンとコボルトと、ウォーシャドウが一体ずつ。近いのはゴブリン、ざっと六から七Mか。

 

 迷いなく、踏み込む。

 

 既に、彼の勇姿を視認している者は誰一人としていない。静観していたアルベルティーヌも、仲間の窮地に際し一時的に復活したパンテオンも、息を切らし走るシーヴも。彼がまだ一人で戦い続けていることを認識している者はない。

 

 ただ、信じている者は、いる。

 

 トルドは彼を頼って渾身の一撃を絞り出した。パンテオンは彼を見込んで祝福を授けた。シーヴは彼に託して単身離脱した。ブリュンヒルデは、彼を信じて送り出した。

 この場にいなくても。見ていなくとも、感じていなくとも。彼の奮闘を信じている者がいる。

 

 それが、彼の力になる。血となり肉となり、彼の限界値を押し上げる。

 パンテオンの『勇気祝杯』は、ただ能力の上乗せを行う、などという単純なものではない。それは対象人物の『最大値』を引き出すスキル、であり。

 そしてその最大値は【ステイタス】を参照するだけではなく。周囲の評価により補正され、変動する。買い被れば上方修正され、見縊れば下方に正される。対象への信頼を、そのまま対象の力に変換する、そんなスキル。

 

 つまり。ツカサはこの様な場を乗り越えられる、と皆が思っているならば、彼はその理想に近付くことが出来る。例えそれが、不可能なことであろうとも。

 

 身体は、動く。

 

「おおぉおぉぉぉぉおおぁっ!」

 

 手応えを感じたならば、視線はやらなくていい。意識はもうゴブリンとウォーシャドウの二体に向いている、振り返るな。

 

 止まらず、突き進め。

 

 この場を突破する力は、宿っている。翼としてその背から広がっている、女神の加護を受け、光り輝いている。

 

 渡鴉を用いて加速。ゴブリンは反射的に腕を上げるが、それより速く、晴嵐が轟いた。

 

『……ガァ?』

 

 次が最後の、一体。

 

 ここでまた、ウォーシャドウ。こいつを斃せば、全部、終わる。シーヴさん達を待たずして、生存が確定する。

 

 脚が、腕が、全身が、軽い。これなら。

 

 

 流れるような足捌きで接近、経験と勘で体勢を低く保ち、黒い短刀の如き攻撃を回避、二振りの刀で、影を、斬り捨て、

 

 

 ようと、して。

 

 

「――っ、あ」

 

 

 その足元に、崩れ落ちる。

 

 

 瞬間、彼は察する。

 

 祝福が、消えて、無くなる。薄れて、溶けてゆく。

 

 支援が尽きた。打つ手はない、覆す術はない。

 

 

 もう、どうしようも、ない。

 

 

 彼程度では、主人公には、遠く及ばなかった、それだけの事実。たったそれだけが、現実と結びつき、彼の首を掻き切る。胸を貫く。生命を、奪う。

 

 届かなかった。応えられなかった、勝てなかった。

 

 何も感じられない、何も思えない、考えられない。

 

 全てを、受け入れる以外に、何が許されているというのか。

 

 手が力を失い、渡鴉を手放す。

 

 

 

 夏ヶ原司は、これから数瞬後に起こるであろう衝撃を、ただ、待った。待つしか、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたのは、ほぼ同時。

 

「「!」」

 

 狼の獣人の並外れた嗅覚で感じ取ったある臭いに反応し、わたしは全力で反転、横道に突っ込んでいく。

 同じく感知したローガが続き、リオンが苦も無く追ってくる。流石はLv.4だ、少しの遅れもない。

 

「……おいおい、なんだこりゃあ。俺たちでもしねえぞ、ここまで……」

 

 最大手、【ロキ・ファミリア】の構成員である彼が言うことにより、異常性が増して強くなる。思わず足が先を急ぐ。

 

 急がなければ。

 

 これは、どうなっているのだ。

 

「何か、あったのですか?」

「お、おお……」

 

 リオンが、わたしを横目に、ローガに尋ねる。それはこの道中では初めてのこと。

 これまで不機嫌を隠さず、話しかけるなという雰囲気を(かも)していた彼が、動揺から年相応じみた挙動をしているということもあるだろうが、それ以上に、多分、わたしが酷い顔をしているから、だろう。

 

「……血の、臭いだ」

「血液、ですか? 要救助者の……では、ないようですが」

 

 血液だろうがその他の物だろうが、わたしは別としてローガが識別出来る理由がない。

 

 それは、誰もが知る()()()()()()()

 

 ただし。

 

「何十じゃ利かねえ、()()()()()()()()()()()()が、一方向から流れてきやがる」

 

 考えられないほど、濃い、濃すぎる悪臭が漂ってくるのだ。

 しかもそれは、第四階層の食料庫のうちの一つから。ツカサたちが向かっていった方向から考えて、ほぼ間違いない。

 

 これのお陰で一つ余計に間違った方を回らずに済んだ、しかし、不安は限りなく募ってゆく。

 

「それでは、彼らがモンスターを殲滅している、と?」

「いや、まだわかんねえ……おいお前、そいつらのレベルは何つった!?」

 

「……二が一人に、一が五人、の、筈」

「ふざけてんだろ……」

 

 そう、それだけの戦力で、こんな短時間で。数えきれないほどのモンスターを殺し尽くすなど、出来るわけがない。

 Lv.3になってようやく優位を保て、Lv.4で無双が可能になる程度の脅威に対して、彼らが真っ向から挑んで勝てるわけがないのだ。

 

「第三者の介入があったと見るべきでしょうか」

「普通に考えたらそうなるだろうな。今んとこはなんとも言えねえが」

 

 とにかく、行ってみるしかない。

 いままでわたしに配慮していたのだろう二人が、速度を上げる。が、ここで置いていかれるわけにはいかない、意地でも前を走る。

 

 わたしのスキルが効果を増大させる、力が漲る、身体が軽くなる。

 

 先ほどまでとは打って変わって、不自然なほどモンスターがいない道を駆け抜ける。

 これは「波」が止んだからか、ここら一帯の個体が全て近隣の食料庫に流れ込んだのか。いや、そんなことはどうでもいい。

 

 少しでも、速く。早く、彼らのもとへ。

 

 間に合うんだ。今度は、間に合わなければならないんだ。

 

 

 わたしは、もう、あのころのわたしではない。

 

 

 夥しい量の血が集まっている食料庫、に、飛び込む。

 

「……!」

「こ、れは……」

「すげえな、おい」

 

 広がっていたのは、()()()()()()

 

 どこまでも赤く紅く、朱い、地獄。

 

 わたしの足は、止まらなかった。

 

 足を踏み入れた瞬間から、わたしの眼は仲間を捉えている、まだ戦っているツカサと立っているアブソリュート、倒れている四人。

 見逃すものか。

 

 悪臭や足場の悪さ、は、わたしが立ち止まる原因にならない、少しでも立ちすくむ理由にならない。

 

 わたしの中で鼓動する【孤高狼王(ウルリーケ)】が、わたしに力をくれる。

 

 ツカサがコボルトを断ずる、眼を瞑っているのが見える、彼が明らかに限界を迎えているのがわかる。

 わたしが守れなかったモノを、彼が護っている。

 

 彼は雄叫びを上げながら、ゴブリンを斬る。

 

 

 もう。

 

 間に合わない、なんて。

 

 

 彼が、ウォーシャドウの懐に飛び込み。

 糸が切れたように、力なく、崩れ落ちる。

 

 

 そんなことは、許さない。

 

 

 正蛇が、漆黒の影を斬り裂いた。

 

 この瞬間を、一撃を、待ち望んでいたんだ。

 

 

 わたしは。

 

 

 最後まで戦い抜き、ぼろぼろになった彼を、抱きしめる。

 

「……?」

 

 困惑するツカサを、そっと、でも強く、強く、胸に抱く。

 

 

「ありがとう……ありが、とう」

 

 

 わたしは、ずっと。

 

 

 

 ずっと、この温もりを感じたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、赤い雨は、止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ○

 

 

 

 

 

 

 

 バベル内は、冒険者でごった返していた。

 探索に出ようとして入り口で足止めを食らった者、『大量発生』の討伐及び救出部隊として編成され、出撃を待っている者、騒ぎを聞きつけて野次馬根性を燃やし集まってきた者、迷宮内に居るであろう者たちの身を案じ駆けつけてきた者。

 当然その中には、黒髪碧眼の美少女、もとい神の姿もあった。

 

「……ツカサ、くん……」

 

 端正な顔立ちを曇らせ、眷族を想う彼女を、ノエルは不思議そうに見詰めていた。

 経験が浅いノエルは、神と接した経験が乏しく、対して知識は豊富である。そのためこの可憐な女神の行動が少し興味深いものに思われたのだ。

 

 この世界に顕現している神々の基本的なスタンスは不干渉。飽くまで楽しげな出来事を近くで見ていたいというくらいの動機しか持ち合わせておらず、眷族に関してはそこまで入れ込むことはあまりない、と聞いている。

 

 理由は単純だろう、生きている時間が違うからだ。

 超越存在(デウスデア)である彼等は、基本的に歳をとらない。普通の人間とほぼ変わらない身体を持っていても、基本的にいつまでもそこに存在し続けることが出来、老衰することがない。聞けば何百、何千と生き永らえている柱もあるそうな。

 故に、愛着も弱くなる。必ず別れることになる相手に愛情を注ぐのも、いなくなることがわかっている相手と過ごすのも、そう簡単ではないだろう。

 

 そんなことを考えていたが、そういえば彼女は降臨から長くはなく、半年も経っていないらしい。

 新米の神、ならばそういうこともあるのかも、と思ったが、しかし期間が短い分、そこまで愛着が湧くものなのだろうか、とも。

 

 いや、ギルド窓口受付嬢には、分からない世界の話、なのか。

 

 

 ギルドで即席救助隊を見送り、追って現場に到着してから数時間。何回かに分けて部隊が投入されてはいるが、まだ帰還してきたところは無く、内情は不明のまま。

 

 一般の者に許された境界線の最前で、神ブリュンヒルデは一歩も動いていない。

 視線は変わらず大穴の方向へ向けられており、ナツガハラ氏が出てくるまで、決して動かないという雰囲気をひっしと感じられる。

 

 誰にも触れられず、声すら掛けられない静謐な神威を纏う彼女には、ノエルですら近付けない。

 

 少し休んだ方がいい、と提言しようとは思うのだが。

 

「やめとけ。言っても聞かねえだろうよ」

「ですが……」

 

 神カーラに止められる。彼女も眷族を送り出している身として、通ずるところがあるのだろう。

 だがどことなく、焦燥や恐怖は窺えない。それはキャリアが長いからか、それとも。

 

「大丈夫だ、もうすぐ戻ってくる。うちのシーヴが行ったんだ、心配はいらねえ」

「随分……信頼していらっしゃるのですね」

 

「当たり前だろ。神が自分の眷族(こども)を信じるのに、理由なんてない」

 

 そういうものなんだよ。と、彼女は退屈そうに答える。

 

 神は、力の一端である【神の恩恵】を通じて繋がっている相手の存在を感じ取れるというらしい、が。多分それとは違う、別物のなにかが、彼ら彼女らの中には確かにあるのだ。

 その証拠に。とでも言うように、神カーラは神ブリュンヒルデに向けていた目線を大穴へ移す。

 

「ほらな」

「!」

 

 彼女の動作がきっかけであったかのように。

 

 

 血まみれの集団が、多くの冒険者に囲まれながら、階段を上り、帰還した。

 

 

 銀色のブーツを履いた、不貞腐れている狼人の少年、緑色が鮮やかなエルフの少女、と和服の狼人の女性、その人に肩を借りている全身真っ赤な青年。

 後続には、大量の血を浴びたと思われる、計五人の人々が救出要員達に背負われ、抱えられている。

 

 扱いを見るに、誰一人、死亡してはいない。

 

「……っ!」

 

 碧い瞳が揺れ、黒い髪が翻る。

 

 弾かれたように、神ブリュンヒルデは飛び出していく。

 

 規制線を引いていたギルド職員たちの脇をすり抜けるも、彼らが止めることはない。

 

「ヒ、ルダ……さん……?」

 

 ナツガハラ氏が、主神の気配を感じ、顔を上げる。

 全てを察したエードルント氏が、そっと彼から離れ、神ブリュンヒルデと入れ違うように、こちらへ歩いてきた。

 

 

「ツカサ、くんっ!」

 

 

 彼らは、お互いに腕を伸ばし合い。

 

 

「おかえり……おかえり!」

 

 

 ひしと、抱き合う。

 

 

 

 そしてもう一組の【ファミリア】では。

 

「只今、戻りました」

「お疲れ。よく頑張った」

 

 腕を組み満足げな顔をする神カーラに、ぎこちない笑みを浮かべたエードルント氏が(うやうや)しい礼をする。

 

「もう、大丈夫か?」

「! ……はい」

 

「そうか。よかった」

 

 敬愛する神に髪を撫でられ、シーヴ・エードルントは、こんどこそ朗らかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その家は、端的に表現すると、『異常』であった。

 

 まず、建っている場所がおかしい。

 見た者が百人いたならばまず百人が「どうしてあんな場所に」と言うだろう断崖絶壁の中腹、大きく抉れたところに、それはぽつんと佇んでいる。

 まあ、そもそも()()を眼にすることが出来る人間は、かなり限られているのだが。

 

 二つ目に、外観もおかしい。

 正面は普通のログハウス然としているのに、右から見れば煉瓦造り、左から見れば白い石造り、と、随分とあべこべなものになっている。

 しかもちゃんと接合されているので、非常に不可解な建築に違いない。

 

 そしてやはりというべきか、当然内装もおかしい。

 本来は灰色だったのだろう壁は、地がどんなものかわからなくなるほどに、文字や幾何学的な模様でびっしりと埋め尽くされており、奇妙、としか言いようがなく。

 家具にも統一性は皆無で、暖炉があり、カーペットが敷いてあるかと思えばそこには炬燵と座椅子、ハンモックにシャンデリアにちゃぶ台、と、なんでもありの様相だ。

 

 そんな住居に住んでいる、者は、また、帰ってくるような者は、一体どんな人物なのかというと。

 

「帰りました」

 

 手入れなどろくにされていないのにどこかワイルドさを感じさせる、適度に伸びた頭髪。常に不愉快そうに歪めている顔はそれでも格好よく、鋭い眼光はそれに磨きをかける。年齢は二十後半、といったところの、青年。

 かなりくたびれて色あせている、いかにも旅人が着ていそうなローブを羽織っているが、汚れやほつれなどは一か所たりとも見受けられない。腰に帯びている西洋剣も同様に、年季を感じさせる見た目に反し、その実相当な切れ味を誇るであろうことは、誰が見ても明らか。

 

「あー、やっとかえってきたー」

「おう、ご苦労だったな」

 

 対して出迎えるのは、間延びした言葉を放つ大柄な女性と、きびきびした口調の小柄な男性。

 女性は研究者が身に着けるような白衣をだらしなく着て大きなソファに寝転がっていて、男性は燕尾服でロッキングチェアに腰掛けていた。

 

 青年はどうやらデフォルトらしいその表情を変えず男性の元へ歩いていくと、彼の眼前で()()()

 

「そんな態度を採らなくても良いと、いつも言っているというのに。いつまでも変わらんな、()()()()

「いえ、もうこれは一種の習慣のようなものですので」

「うっそだぁ~。どうせひくにひけなくなってるだけでしょぉー?」

「黙れ。てめえは静かに責務を全うしてろ」

「ずっとやってるも~ん。あんたがいないあいだにのこりもぜんぶさがしといたんだよ?」

「じゃあ今は何やってんだ」

「きゅうけーい☆」

「…………」

 

 無言で、【ホルス・ファミリア】現団長、スハイツ・フエンリャーナは拳を握り締めた。

 しかし、簡単に怒りをまき散らすほど彼は愚かでもなく、小物でもない。

 

「先に、【ステイタス】の更新でもしておくか。何らかの変化があったかも知れんしな」

「恐らくそんなことはないと思いますが……いえ、お願い致します」

 

 スハイツはローブや諸々の衣服を脱ぎ、上半身を晒す。

 数えきれないほどの傷が刻まれているその屈強な背は、彼が相当な猛者であることを物語っている。

 

 小さく切って神血(イコル)を滲ませた神ホルスの指先が、彼の背に触れ、『神聖文字(ヒエログリフ)』を浮かび上がらせる。

 

「久々のオラリオはどうだった? 何か新しい刺激は得られたか?」

「残念ながら。最強と謳われている【フレイヤ・ファミリア】のオッタルも、大したことはありませんでした」

 

「お~? ほんとかぁー?」

「本当だ。あの人にはともかく、オレにすら及ばん」

「ふむ、では今回も、オラリオ主体の策は採用出来そうにないな」

「ですね。まあ、心配ありません。次は、オレが必ず仕留めますので」

 

「期待しているぞ。……終わりだ。ほれ結果」

 

 ホルスがスハイツに手渡した紙には、『神聖文字』のみが書き連ねてあった。

 

 

 

 スハイツ・フエンリャーナ

 

 Lv.7

 

 力:A 876 → 877 耐久:C 689 器用:B 722 → 723 敏捷:B 753 → 754 魔力:S 909 → 910

 

 狩人:C 対異常:G 剣士:B 拳打:C 魔導:D 精癒:E

 

《魔法》

 

【ベリューレン・エルデ】

 

 ・付与魔法

 ・土属性

 ・固体への主導的干渉

 

 

【ベリューレン・ヴィント】

 

 ・付与魔法

 ・風属性

 ・気体への主導的干渉

 

 

【ベリューレン・ヴァッサー】

 

 ・付与魔法

 ・水属性

 ・液体への主導的干渉

 

 

 《スキル》

 

王権玉座(ホルス・ベフデティ)

 

 ・能動的行動に依る環境変化の自動修正

 ・環境に依る影響の無効化

 

 

陽光動地(ハロエリス)

 

 ・太陽下条件達成時のみ発動

 ・『力』と『耐久』のアビリティ極限補正

 

 

月下咆哮(アルエリス)

 

 ・月下条件達成時のみ発動

 ・『器用』と『敏捷』のアビリティ極限補正

 

 

 

「やはり、大した影響は得られませんでしたね」

 

「可哀想な奴よのう。伸び代を使い切り好敵手もおらん孤独。それほど悲しいこともあるまいて」

 

「! てめえは……!」

「久しぶりじゃの。そうでもないか?」

 

 この場において、誰もが気付かなかった。

 いつの間にか。そんな副詞が相応しい。

 

 現世でいうところの東南アジア風のハンモック。そこに、小さな子供かと思うほどの体躯の少女が、腰掛けていた。

 童顔に、これまた小さな着物。外見だけなら非常に愛くるしい美少女、いや美幼女、だ。

 

「わー、おひさだー。おらりおにいたんじゃないの~?」

「ついさっきまで居たがの。ちょいとひとっ跳びよ」

「ほんとー? すご~い!」

 

「おい」

 

「だとしてもいきなりは現れないで頂きたい……」

「すまんすまん。次からは予告して来るとしよう」

 

「おい! なんでそいつと慣れ合ってんだよ! そいつは……!」

 

 大柄な女性と小柄な男性が少女に柔らかく対応する一方、スハイツだけが敵意を剥き出しにする。

 語気を荒くしたスハイツが立ち上がり、少女に詰め寄、ろうとして。

 

「わしが、なんじゃ?」

「っ!」

 

 逆に。ずい、と。距離を潰されて、出鼻を挫かれてしまう。

 その細くか弱そうな外見とは裏腹に、彼女は信じられないほどの存在感を纏い威圧をこれでもかと放ち始める。

 

 彼が言葉を呑み込んでしまうのを受け、男性は申し訳なさそうに苦笑いし、女性はにやりと口角を上げた。

 

「やめなよぉ~。『えんげん』さんはなにもわるくないじゃん?」

「んなことはわかってんだよ! それでも……!」

 

「おお、やけに騒がしいと思えばスハイツ貴様、帰っていたなら早く言わんか!」

 

 空気が張り詰め、今にも弾けそうになったところで、狙っていたかのように見事に水を差したのは、家の奥から歩いてきた胴着姿の女性。

 玉の汗を額に浮かべ、頬が上気していることから何かしら訓練のようなことを行っていたことは明らかで。

 そう考えるとただ純粋に偶然であった確率が高くなる。空気は必然的に緩む。

 

 ある意味、ここでこの話題が遮られて助かるのは、スハイツであった。

 

「軽く三ヶ月ぶりか⁉ ウルフもローズも出払っていて退屈していたのだ、手合せをしてもらおう、さあ準備してくれ!」

「まあ待てレミィ。その交渉は報告を聞いてからだ」

「う、うむ。すまなかった、主神」

 

 息巻いていた彼女は、神ホルスの言葉に素直に従い引き下がる。

 

 そして後には、なんとも言えない微妙な空気だけが残される。小さな少女だけが不敵に笑みを零した。

 

 遣る瀬を失ったスハイツは、一層険しくなった顔を取り繕おうとすることもなく、再び口を開く。

 

「……今回の遠征の成果、ですが。正直なところ、芳しくはありません」

「それは、『候補者』と接触出来なかった、ということか?」

「いえ、そうではなく」

 

 彼は一旦発言を切ると、眉間に皺を寄せて少女をちらりと見てからホルスに向き直る。

 言いづらいわけではなかった、理由は単に。

 

「今回の対象であった『ナツガハラツカサ』が、クソ雑魚であった為です」

 

 ムカついた、からであった。

 

「冒険者になったようですが【ステイタス】も別段変わった所は無く、固有能力も『武器』も持ち合わせていませんでした。間違いなく歴代総合で最弱だと断言出来るかと」

 

「えぇ~? そうだったの~?」

「ああそうだ。身体(フィジカル)精神(メンタル)もゴミ。一般冒険者と比べても遜色ねえ。とんだはずれくじだった、丸三ヶ月を無駄にした気分だ」

 

 吐き捨てるようにまくしたてた彼は、暇そうに足をぶらぶらしていた少女に矛先を向ける。

 

「てめえが「あいつが一番重要度が高い」って言ったんだろうが、なんだあの小物は!? あんなやつをてめえは大切に見守ってんのか!? バカなのかよオイ!」

「まあそうかっかするでない。寿命が縮まるぞ? それと「あやつ」じゃ」

「んなことはどうでもいい! てめえが推した理由を言え理由を! ったく、あんな取るに足らねえ奴にあの人の加護が付いてるのかと思うとムカつくぞ……!」

 

 

――これは、神とその眷族たちが確かに残した歴史、その一部を切り取ったものである。

 

 

「んーでもそれはたしかにいやだなあ~。ラーラもしりたいかも~」

「そうだな。『候補者』に個性が無いことなど考え難いだろう。私も気になるぞ」

 

「グレンデス嬢の云うとおり、個性……と表現してよいのか曖昧なものを、あやつはもっておる。それが、とても面白いものでの。しかしそれは必ずしも強さに繋がる代物ではないうえ、お主らが掲げる『黒竜討伐』にも役立たんかもしれん」

「じゃあなんで……!」

 

 

――そしてまたこれは、世界の根幹を成す基盤の、僅かな歪み。から派生して生まれた、一つの不条理へ立ち向かってゆく者たちの記録でも、ある。

 

 

「未知、だったからじゃ」

「はあ?」

 

「この世界から最も遠く、近い世界からの渡航者。不確定は予想外を生む。それは言い換えれば、可能性に満ち溢れているともとれる。故にわしはあやつの保護をしておる」

「冗談だろ? あんなやつが、何を持ってるっていうんだ?」

 

「未来を」

「……ほう? そんな、神々(われわれ)の如き力を、有していると?」

「力、ではない」

 

 

 

――これは、もしかしたら「あった」かもしれない物語。

 

 

 

 

「ナツガハラツカサは、この世界の結末を、知っておる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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