武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 理由なんて、なんだっていいんだ。

 ただ、君が立ち上がった、その事実だけで、十分なんだ。




第一五話 誰が為の勇気

「うむ、よく寝た」

 

 

 目覚めと同時に、彼はそう独り言ちる。

 

 起床直後にも関わらず、その瞳はばっちり潤っていて、二度寝の気配は微塵もなく。ほとんど坊主同然にまで刈りそろえられた短髪に寝癖は当然含まれず、その寝巻き、どころか寝具にも僅かの乱れも見受けられない。

 

 床に着いたときと寸分違わぬコンディション、端からしてみれば、寝返りも打たないというのは健康面的に危ないのではないか、と思うようなスタイル。

 

 しかし彼はせっかく完璧であったその状態を自ら台無しにするように跳ね起きると、床に落ちる「掛け布団的なもの」には目もくれずに、大股で窓際へ寄り。

 

 

「はあっ!」

 

 

 上部のシャーってなるやつが壊れかねない力と勢いでもって、一息に両開きのカーテンを全開にする。ちなみに彼はここひと月で既に三回は壊していた。

 

 両手を大きく広げたそのままの姿勢で、彼は太陽の光を浴びる。体内時計がリセットされ、また新たな一日が始まるのだ。

 

 清々しい、理想的な寝起きの状況、であった。

 

 

 それが昼過ぎでなければ、の話だが。

 

 

 既に陽は高く昇りきり、下降へと転じた後。早朝のひんやりとした空気はどこにもなく、熱気を帯びた風が人々の声を運んでくる。

 

 一応、彼の弁明を肩代わりするならば、前日の寝付きが異様に悪かったからだ、と述べておく。皆様方にもやけに眠れない日が、たまにはあるだろう、つまりはそういうことだ。

 とはいっても、別に酒を飲み過ぎたとか、花粉症だとか、エアコンが壊れたときに限って熱帯夜とか、寝る前にブルーライトを浴び過ぎたとかではない。

 

 彼は窓を半開きにして、部屋を出、耳をすます。

 

「……むう」

 

 何も、聞こえない。遠くから雑踏やら何やらは耳に入ってくるが、この本拠(ホーム)、というか家、の内部からは、他の何者の存在も、感じられはしなかった。

 

 ゆっくりと、一つ一つの個室を回り、扉を開く。前日には空っぽだったそこに、今日も誰も居ないことを確認しながら、彼はリビング、日本でいうところの居間に行き着く。

 もしも帰って来ているなら、それぞれの自室か、それともリビングか。出来れば、その姿をこの目で捉えたかった。

 

 出来れば、そこにいてほしかった。

 

「…………まだ、か」

 

 六人掛けのテーブルには、誰も着いておらず、どこにも人影は、ない。

 

 つい数日前に、幼い少女の意を汲み、迷宮へと赴いた二人は、予定の日付を五日過ぎた今でも、まだ帰還していなかった。

 二日前に届け出はした、捜索部隊にも出てもらっている、しかし吉報が届かなければそれも無意味だ。

 

 難しい依頼だった。それこそ、彼らが容易に死んでしまうことも考えられるほどの。まだまだ貧弱な自分たちが請け負っていいとは、とても言えないようなそれを、彼らは自ら進んで引き受け、そしてこのような事態に相成っている。

 

 後悔がなかったわけではない。困窮している弱者に手は差し伸べるもの、という己のポリシーを曲げてでも止めるべきだったかもしれない、と、考えないわけではない。

 

 だが、信じていないわけでもない。

 

 その身に宿る『神の力(アルカナム)』と繋がっている『神の恩恵(ファルナ)』を通じて、彼らがまだ生存していることが、確かに感じられる。戦っていることが分かる。抗っていることが、伝わってくる。

 

 

「おれは、知っているぞ……。おまえたちの心が、その信念が、揺らぐことのない強さを持っている、そのことを。そして」

 

 

 たった一人で、空いている席に腰掛ける。

 

 

 もの寂しいテーブルの上には、二枚の紙があった。

 

 

 つい一週間前に出掛けていった眷属たちが、確かにここにいた、その存在証明が、そこにはあった。

 

 

【ウルスラグナ・ファミリア】主神、ウルスラグナは、彼らの【ステイタス】を記したその紙を手に取り、再び、独り言ちる。

 

 

 

「そして、正義は、必ず勝つということを」

 

 

 

 

 

 アルベルティーヌ・セブラン

 

 Lv.1

 

 力:E 412 → 418 耐久:F 356 → 361 器用:B 725 → 732 敏捷:A 852 → 859 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》

 

 【恩義応返(ヘーローイス・バーシウム)

 

 ・親近者の成長補助

 ・親密性により効果向上

 

 

 

 

 

 パンテオン・アブソリュート

 

 Lv.2

 

 力:C 648 → 664 耐久:D 532 → 547 器用:E 489 → D 501 敏捷:C 655 → 674 魔力:B 753 → 778

 

 再生:I

 

 《魔法》

 

【*】

 

 ・連続詠唱魔法

 ・風属性

 ・詠唱式に依り効果変化

 

 ・詠唱式第一段階

 【集え、循環せし無限の生命】

 

 【ウェントュス・】

 

 ・【吹き抜け】【トルレンス】

 ・【包み込め】【レーニス】

 ・【荒れ狂え】【ウェルテクス】

 

 ・詠唱式第二段階

 【永久より来れ刹那の栄光

  揺籃に抱かれ眠る大海を

  静寂に包まれ黙する大地を

  彼方に座する無数の星々を

  解き放つ烏有の輝き】

 

 【ヴェントゥス・】

 

 ・【貫け】【プロケッロースス】

 ・【凪げ】【マラキア】

 ・【爆ぜろ】【テンペスタース】

 

 ・詠唱式第三段階

 【其は在りて其に非ず

  其は非ずして其と成る

  其は成りて其に還らず

  其は還らずして其を示す

  其は己を示し其に在るを得る

  望めば叶わず、道は閉ざされん

  鼓動の尽きる時、唯魂魄のみが救いを得ん

  天蓋を巡りて世界を綴り

  白紙の讃歌を地平に刻む】

 

 ・【叫べ】【インペテュス・ウェンティー】

 

 

 

【フロンス・ペルクッソル】

 

 ・完全相殺魔法

 ・詠唱式

 【恒久たる数多の奇跡は自らを窶し輝きを棄て去る

  如何なる希望が此の破滅を阻む防人と成らんや

  無き力を嘆け、無き理を呪え、我は嘲嗤わん

  遠き彼方へ堕ち、冥府に名を連ねよ】

 

 

 

【イニティウム・フィーニス】

 

 ・転生魔法

 ・詠唱式

 【希望を懐き魔を払う双の腕

  地を蹴り運命を曳く対の脚

  絶望を打ち砕く高潔なる魂

  未来を見据え同胞を導く勇姿は

  潰えず絶えず崩れず滅びず

  挫けず諦めず、幾度でも蘇る

  連綿なる命脈を紡ぎし英霊

  今ここに再び立つ】

 

 《スキル》

 

勇気祝杯(ブレイブオブヒーロー)

 

 ・危機的状況に応じる能力解放

 ・同状況の人物に効果伝播可能

 ・起動式【勇気ある者に祝福を】

 

 

永劫咆哮(イモータル・スピリット)

 

 ・生命と精神力の等価交換

 ・任意発動可能

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始直後。

 

 

『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)!」

 

 地の底、血の獄において、彼の声が俺の鼓膜を叩くのと、俺の身体がワケの分からない不思議な感覚に包まれるのはほぼ同時だった。

 

 魔法かスキルか、どちらかは判らない、しかしこれが何らかのバフの類だということは直感的に理解できる。

 

 それは飽くまでゲームの中のもの、どこか別世界の話だ、という認識が今ここで覆り、俺という存在は更に深い所でこの世界に溶けていく。

 

「ふっ!」

 

 押し出す形の蹴りで、斬り捨てたばかりのキラーアントの胴体を退け、その足を大きな踏み込みとし、一閃。

 

『……!』

 

 鋭い風切り音と共に、こちらに迫ってきていたウォーシャドウの上半身と下半身が離れる。

 

 他に、右方から、キラーアントが四体、フロッグ・シューターが一、コボルトが二、その下にダンジョン・リザードが一いて、フロッグ・シューターが二、ウォーシャドウが一、で折り返し、キラーアントが二、その足元にニードルラビットが一、ゴブリンが一、ウォーシャドウが二、コボルトが一、その後ろのごちゃごちゃした大群はカウントしない。空間的に半月状に相手取る全てのモンスターが、俺の担当だ。

 

 一歩下がり、予想通り伸びてきたウォーシャドウの腕を斬り上げ、返す刀で接近してきたキラーアントの頭部をかち割る。本来もっと手こずるはずの硬殻は、豆腐のように刃を受け入れた。

 

 まだ余裕が少し。刃が俺の腰の高さを通過しようかという段階で腰を捻り、晴嵐の軌道を変える。

 

 飛び掛かってきたコボルトの胴を薙ぎながら素早く引き寄せ、後続のコボルトと、身動きが取れないでいたフロッグ・シューターの魔石を一挙に狙い。

 

 突く。

 

『ギャアアアァァァァァ……』

 

 強く踏み込むその足を、地面に這い蹲っているダンジョン・リザードの頭に撃ち下ろすことも忘れない。潰せはしないが止められはする。

 

 灰に返せば刀の消耗及び斬れ味低下も比較的防げる上、動きを制限されにくくなる、積極的に狙いにいこう。

 

 右に寄った分左手側が押されている、斜め左後方へ二歩、キラーアントの鉤爪をいなし、前進。すれ違いざまに二体、どちらの魔石もあっさり砕く。

 

 視界の端に、ちらりと後方の様子が窺える。

 

 俺たちの陣形は楕円に近い。長軸端で俺とパンテオンがなるべく広範囲の敵を相手に暴れ、単軸端のアルベルティーヌさん、イネフさんの負担をなるべく減らし、トルドとカテリーナさんを守護するための作戦行動。

 その布陣の性質より、俺とパンテオンにはかなりの負荷がかかる。自分から引き受けておいてなんだが、Lv.2のパンテオンと比べ、俺には相当厳しいはず、だった。

 

 

 それが、この状況は一体どうなっている。

 

 

 悪いわけではない、むしろ俺のレベルを考慮すると出来すぎなくらいだ。じわじわと戦線が狭まり俺達の陣地が削られていくが、それは最初から予想できたことなのでセーフで。

 

 無論、パンテオンの援護であることは疑うべくもない。というかこれを素で出来るならば俺はレベルの概念を超越した天才か何かだろう。いやそうだったらよかったんだけど。

 

 具体的に何が変わったかというと、身体感覚と思考がクリアになっている。それはちょうど彼が叫んだところの「勇者の勇気(ブレイブオブヒーロー)」が備わった感じだ。

 

 いつもよりずっと、手足が動く。頭が回る。周囲が見える。

 

「よっ!」

 

 振り下ろされるキラーアントの腕を半身になるだけでやり過ごし、ゴブリンの腹部に爪先での蹴りを入れながら、上から飛んできたコボルトの顔面に晴嵐を差し入れ、突き出されたウォーシャドウの指を払い除けたその腕で鏡のような円盤(ウォーシャドウの顔)をぶち破る。

 

 意識して気を張り詰めていなくとも、多数の敵の一挙手一投足が認識出来る。次々に来る攻撃は、ほとんどが俺に届かず無駄に空を切るだけ。

 

 強い奴は、これを地で行うのだ、流石としか言いようがない。

 今更だが、俺はこれをパンテオンの力なしでやろうとしていたのか、と思うと、ちょっとぞっとしてしまう。

 

 先ほどの生肉防衛戦での物量にすら二人がかりで押し負けていたのに、それを遥かに超える数を、背後の心配をしなくていいとはいえ一人でなんとか抑え込むなど、現状の最高状態だったとしてもほぼ不可能に近い、としか。

 たった四ヶ月程度の経験に、あとどれだけ継ぎ足せばここまで達せるのか。その果てしない間を埋めている力が如何に有能か。

 

 

 言うなれば、「主人公補正」でも受けているような。

 

 

 でも、まだ足りない。

 

 まだなんとかなっているとはいったものの、押され続けていることに変わりはなく、現状を打開する、とまではいかなくとも、敵の進撃を食い止める、押し返すくらいはしないと、ジリ貧で圧殺されるだけだ。

 

 予想以上に、敵の数が多い。精精これくらいだろうという俺達の想像を遥かに超えた大軍勢を前に、こちらの戦力はたったの四人。数の暴力は次第に、しかし確実に戦況を傾け続けている。

 きっと、いや、絶対に、「このまま」ではシーヴさんたちが来るまで保たない。それに、ただ生き残ればいいという単純な状況でもない、死に瀕し地に伏している仲間を護りながらの戦闘のため、難易度は段違いだ。

 

 俺自身が、もっと強く成らなければいけない。

 

 しかし、どうやって?

 

 パンテオンのバフを受け、考えうる限り最高のパフォーマンスを維持しているだけでも驚異的なのに、これ以上の出力が出せるかといえば、まあ無理だ。

 

『グォォォオオ!』

 

 俺の肩を食い千切らんとするコボルトの、大きく開いた口に晴嵐を差し入れ、斬り上げ。そこから円軌道を描き、背後をすり抜けようとしていたコボルトの上半身を真っ二つに割る。即座に横移動、キラーアントの進軍を止めに入る。

 

 ただでさえ大変なのに、モンスターも個体によって行動に差があることが、更に状況をより複雑に、より難しくしていた。

 俺を無視してより空間的に余裕がある方へと流れていく奴らを斬りに行けば、俺を殺そうと突撃してくる奴らの対処が後回しになり、退がらざるを得なくなる。かといって正面から向かってくる奴らばかりを相手していれば容易く決壊する、結局後手後手に回りながらモグラたたきのようなことを繰り返すしか現状、手は無い。

 多分パンテオン側は押されるどころか押し返していそうだが、それでも他三方向ものフォローは難しいだろう。

 

 頭は回るんだ、コンディションは最高なんだ。じゃあ、一体、後は何が足りないというんだ?

 

 

 ほんの少し、思案の海に足を浸け、たことで、次に対処すべき相手から視線が切れる。

 

 

 それだけで、致命的な、遅延が発生する。

 

 

「がっ!」

 

 

 即座に、即頭部に鈍い衝撃。次いで脚を尖ったものが掠めて行き、鋭い痛みを生む。

 

 視界が揺れ、意識が遠のく。

 

 胸元が切り裂かれ、胸部装甲に鋭い爪が走り、不快な音を響かせる。脇腹が浅く裂かれ、煩わしい熱を持つ。

 

 しまった油断した。すぐに立て直せ。

 

「……っ!」

 

 噛み千切らない程度の強さで舌に歯を押し付け、血が出るまで削る。もう口内は鉄の味に占拠されていたのでどれだけ血が出ているのかはわからないが、ぼんやりとしていた思考が鮮烈な痛みと共に現実に復帰した、遅い。

 

 力任せに身体を捻って群がってくるモンスターを振り払いつつ、大きく薙ぎながら後退する。

 

 

 やはりこれではダメだ。

 

 いくらモンスターを斬り裂いても、何体叩き潰しても、どれだけぶっ殺しても。形勢は逆転しない。

 

 当たり前だ、こっちは何も変わらないのに、敵の勢力は増す一方。迎撃速度を引き上げなければ、このまま押し切られてしまう。

 

 考えろ。この一瞬で崩れかけた戦線を戻さないと敗北する。考えろ。

 

 俺に出来ることは少ない、しかし普段から、こういう場合を妄想して対策を考えていなかったわけでも、ない。伊達に想像上異世界転生していたわけではないのだ。それはこっちに来てからも同じで。

 

 変えるのは俺の能力じゃない、ていうか任意で覚醒とかできるならとっくにやっている。

 先も考えた様に、出力の面ではこれが限界。この戦い方ではこれ以上は望めない、それなら。まず変えるのは、戦法。

 ぶっつけ本番で慣れていないことをするのは本来自殺行為に他ならないが、『勇気祝杯』で強化されている今なら、なんとかなるかもしれない。

 

 いや、なんとかしなければならない。

 

 トルドを助けた時に受けた妙な感覚、あれに寄せたいという気持ちもあるが、まだ判然とはしないものに頼るより。

 

 敵の数は圧倒的、必要なのは対応の早さ。ここで必要なのは。

 

 

 

「……手数!」

 

 

 

 

 

 紅色の華よ、晴れの日の嵐に舞い踊れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢をみた。

 

 

 

 とても温かく、優しい夢を。思わず涙が零れるような、昔の夢を、みた、気がした。

 

 でも、いつも、目覚めと共に愛しい夢は没収され、膨大な記憶の中に、ばらばらに封印されてしまう。私の中に残るのは、夢をみた、ただその自覚だけ。

 

 しっかりと器を作っている筈なのに、重ねた手の平から水が無くなっていくように。虚しい喪失感以外の全てが、溶けて消えてゆく。留めておこうと試みれば試みるほど、私の手は質量を失っていって。止める術は、何処にもない。

 

 

 そんな非道いことをするのなら、いっそのこと、夢などみさせないでほしい。どうせ打ち砕くのなら、淡い期待など抱かせないでほしい。

 

 辛いだけだ。苦しいだけだ。こうして遺された私達にとっては、煩わしいだけなのだ。

 

 もう二度と戻ってくることのないあの日々を思い出す度に、私の心は穿たれ、穴だらけになってゆく。痛ましい血も流れきって、もう何も残っていない私を、空っぽの私を、これ以上どうしようというのか。

 

 こんなまやかしは、要らない。こんな幻想は、必要ない。どんな偽物も、真実でないなら、意味など宿りはしない。私はそんなものは欲しくない。

 

 

 嗚呼、早く、覚めさせて。

 

 

 

 どうしようもない痛みを伴う現実に、救いのない世界に、早く、引き戻して――

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、そこは地獄だった。

 

 

 その情景は、瞼が勝手に落ちる前と、殆ど変わりはない。高い天井や壁、無駄に広い地平のあちこちに、緑玉かと見紛う巨大水晶が散りばめられたこの空間は、今や完全に異形に席巻されている。

 

 無数の化け物の怒号が重なり合い、不快な不協和音が空気を揺らす。鉄の匂いが強く鼻腔を突く。

 

『ギシャァァァァ!』

 

 全方位、何処を向いても怪物だらけ。通常時ならば決して有り得ない、凄まじい数の人外が蠢く様を、それ以外にどう形容すれば良いのか、学のない私は相応しい語彙を持たない。

 

 如何に足掻こうが結末に待つのは死。しかし、まるで希望の無い窮地に、先程と異なる点が、一つだけあった。

 

「はぁぁっ!」

 

 押し寄せるモンスターを、豪快に殴り飛ばす旅装の青年。機敏に切り裂く女性。大剣で打ち倒す同僚。幾度も交錯しながら刀で斬り伏せていく青年。

 

 見慣れない同業者たちが、猛烈な理不尽を前に、必死に抗っていた。

 助けが、来てくれたのか。私達なんかに。こんな死地に。

 

 手が血で濡れるのを気にせず、キラーアントに押し倒された時に後頭部を強く打ったのだろう、痛む頭に顔をしかめながら上半身を起こす。

 

 すぐ側に、全身傷だらけの青年が横たわっていた。私が殺される直前に飛び込んできてくれたように記憶する彼は、何処かで見覚えがあるような気がする。周囲に楕円を描いて散開、各個で迎撃を行っている、同僚以外の三人も同様。

 確か、徒手空拳の青年と女性は、前回の『大量発生(イレギュラー)』の際に出会った記憶が無くもない。満身創痍の青年と刀使いの青年は、その時に顔を見たりでもしたのだろうか。

 

 いや、何でもいい。まだ、私は生きている。死なないでいるだけで僥倖だ。

 

 しかし、そう安心できるものでもなく。

 

 四人も、壮烈に戦ってはいるものの、やはり状況は芳しいとは言えず、恐らくLv.2に達しているであろう、マントを翻し拳を振るう青年を除き、三方はじわじわと後退を続けている。

 腕の一振り毎に途轍もない衝撃をぶちかまし、周囲のモンスター諸共に弾き飛ばす様な戦闘スタイルでさえ、押し留めるのが精一杯なのだ、何故か一向に動きの質が落ちない刀使いも、対応する敵が比較的少ない同僚も、女性も、彼に比べればまだまだ及ばない、なんとか崩れないではいるものの、それが精一杯。

 

 対して、幾ら葬ろうとも、モンスターは次々に食料庫(パントリー)に押し入って、彼らが減らした分をすぐに補充してしまう。『大量発生』は、終わっていない。

 このモンスターの「海」の真っ只中に居ては、脱出は不可能。となると、彼らの目的は、恐らく耐久。救出部隊が駆けつけるまで、持ち堪えるつもりだ。この絶望的な物量差を前にして。

 

 信じられない。正気とは思えない。けれど、彼らはこうなることが分かっていて尚、ここへ来てくれたのだ。あの人たちのようなお人好しが、他にもいたなんて。じんわりと、視界が滲む。

 だが、ただ護られている立場から傍観するだけ、というのも憚られる、私も何か、何かしなくては、と、立ち上がろうとする、も。

 

「……あ、れ」

 

 ぐらり。どさり。世界が傾ぐ。

 

 目が、まわる。

 

 地震ではない、平衡感覚が狂っているのだ。尻餅をつきながら、歪む景色に酔う。

 

 地面に叩き付けられた時に、脳が揺らされたのか。症状を自覚すると、途端にそれまで息を潜めていた眩暈と吐き気が襲い掛かってきて、もう、上半身を起こしていることすら難しい。

 

 ここに来る途中でバックパックは失くした、ポーチの中に入っていたポーションも全て割れ、不規則に広がる赤色に吸われている。

 動けない。身体に蓄積していたダメージが次第に、思い出したように手足を重くしていく。

 

「う、うぅ……っ」

 

 食料庫に充満する、灰に還らなかった遺骸が生み出す生臭い死臭が、吐き気を催す。

 

 肉を裂き骨を断つ音が、打撃が何かを打ち砕く音が、刃物が大気に擦れる音が、モンスターの断末魔が、血肉が地面に飛び散る音が、痛みに歯を食い縛る音が、四方八方から飛び込んでくる。私の鼓膜に伝わってくる。

 

 

 何をしている。周囲で、必死に戦っている人達がいるのに。私は何をしているんだ。

 

 

 どう考えてもこのままでは戦線は崩壊する。私如きが与したところで高が知れているだろう、それでも無いよりはマシな筈。戦況を見れば、独りずつ各方面を塞き止める、など、長続きするわけがない。それに、少しずつではあるもののモンスターの勢いが増してきている、瓦解はそう遠くない。

 

 そもそも、こんな状況を作り出せたこと自体が奇跡のようなものだ。多分同僚の魔法が炸裂した結果だと推測出来るけれど、あれは一度限りの起死回生を狙う技であって、その後、となると。

 この不利な形勢をひっくり返す何かがなければ、呑み込まれるのも、時間の問題だ。

 

 なのに、何も出来ない自分が、とても惨めで。悔しくて。せめて彼らの勇姿を目に焼き付けようと、視線を巡らせる。

 

「ぐっ……畜生が!」

 

 利き手が上手く動かなくなったのか、遠心力を駆使しながら片手で大剣を振り回す同僚は、撃破より被弾の割合が高くなっていて、まるで余裕がなく、詠唱をする暇も見い出せていない。

 

 敵はそう強いわけじゃない、それでも、息もつかせない波状攻撃となれば話は別になる。

 

 威力の高い攻撃技を持たないらしいナイフ使いの女性が、相性的には一番分が悪い。数多の暴力を躱し、受け流し、懐に潜り込んで的確に魔石(きゅうしょ)を破砕していく様は鮮やかだ、でも明らかに処理速度が敵増援に遅れをとっている。退路もなく、敵に連続して相対しなければならないこの戦場では、対少数、対人戦では役に立つだろう敏捷性の利点が殺されてしまうのが致命的だ。

 

 そして、何より厳しく見えるのが、素手の青年とほぼ同じだけの数を相手取る和装の青年。

 

 一人だけ、あまりに不相応すぎる戦いを強いられている彼は、動きもそう鋭くなく、武器の扱いに特に長けているわけでもないように思える、しかしその立ち回りからだろうか、奇跡的な均衡を保ちつつ、敵の進軍を尽く防()()()()

 

 ぼんやりと、より辛い方面に当たっている二人の周囲に、類似した残光のようなものが確認できる。魔法か、スキルか何かの産物のようだ、そのお陰かもしれない。

 どちらにせよ、それが偶然を積み重ねた上に成り立っている現状だということには変わりはない。着実に損害も増えている、安定しているように感じられるけれど、その実最も危険で、立て直しが効かないのは間違いなく彼――

 

 

「がっ!」

 

 

 息が詰まった。

 

 刀使いの青年の側頭部に、キラーアントの脚が直撃した。もう少しズレていれば表皮が裂かれ頭蓋に被害が及んでいたかもしれない。

 

 ふらつく彼に、容赦ない追撃が降り注ぐ。和装はもう被服の役割を果たしておらず、これもぼろぼろのレザーアーマーと局所プロテクターが露出している。

 

 

 嗚呼、もう駄目なのか――

 

 

「手数っ!」

 

 

 突如として、刀使いの青年は、薄刃の一刀を片手持ちに切り替え、()()()()()()()()()()()()()引き抜きつつ、眼前のコボルトの顎を打ち抜いた。

 

 もともと、刀は両手持ちの武器だと聞いたことがある。切れ味が良く、鋭い斬撃を繰り出す為には諸手でもって太刀筋を安定させる必要があり、一般の両手剣等とは違い、雑に叩き切ることは出来ない、と。

 

 しかも、刀はその刃が届く範囲が極めて狭く、防御に傾倒したもので、極東でも攻勢には専ら槍等が用いられる、とも。

 

 要するに、その使い方は、異端。

 

 

 けれど。

 

 

「うお、らぁ!」

 

 ウォーシャドウの上段突きを、上体を沈み込ませることで躱し、膝を使い反動を付けて斜め上へ斬り上げ、ウォーシャドウと、すぐ隣にいたコボルトを斬殺。遅れてきたもう一振りで、()()()()、残った死体を撥ねる。

 

 今度は返す刀、斬れない方でゴブリンの頭部をかち割り、もう一振りは軌道を同じくせず、正面のフロッグ・シューターを袈裟斬りにした。

 

 彼の動きは止まらない。

 

 流れるように、斬れない方の遠心力に任せてその場でターン、斬れる方でコボルトを切り上げつつ、半回転して戻ってきた斬れない方でキラーアントの頚椎を狙って叩き折る。

 

 敵に背を向けたその体勢から、斬れる方を身体に引き付けて止め、真横に一歩。肘を伸ばしきりながら、すぐ傍を抜けようとしていたニードルラビットに斬撃を浴びせ、勢いに乗せて背後のウォーシャドウ、キラーアント、コボルトをまとめて薙ぎ斬った。

 

 怯むモンスターたちの頭部を的確に狙い、斬れない方で打ち込みつつ、サイドステップ、他の敵にも素早く対応しに行く。

 

 時折左右の刀を持ち替えながら、斬る、打つ、突く、叩く。振り回す速度に身を任せ、刀に振り回されているように戦うその姿は、踊っているかの様で。

 どうして片手持ちの刀でそう滑らかに切断することが出来るのかはわからない、しかし、咄嗟の二刀流のお陰で敵の進撃速度が目に見えて抑えられている。手数を増やすことで、上手く対応が出来ている。

 

 

 それでも。

 

 

 まだ足りない。完全に押し留めるには至っていない、寄せる波を打ち払うには届かない。

 

 彼の奮闘を感じたのか、他三方の動きも一時的に向上しているように聞こえてくる。

 疲労も溜まってきているだろう、救出部隊はまだ来ない、モンスターの「波」はまだ止まない。でも彼らはまだ、諦めない。

 

「うっ……ぐ……」

 

「!」

 

 背後から呻き声が聞こえ、振り返ると、気を失っていた青年が、上体を起こそうとしていた。

 

 流血こそ殆ど止まってはいるものの、数え切れないほどの傷跡は目を背けたくなるほどに痛ましく、それでも尚起き上がろうとするその姿は恐怖すら覚えさせる。

 

「だ……駄目です、その怪我、では……」

「状況、は?」

 

 私に訊きながら、彼は素早く周囲に目を向け、現状把握に努めようとする。再度、戦おうと志す。

 

 外傷は少ないながら立ち上がれない自分と、許容量を振り切る苦痛に耐えながらも毅然と闘志を見せる彼の違いは一体、何なのだろうか。

 彼のその姿勢に、同じ【ファミリア】の人間が、重なって視える。

 

 どうしたら、私もそっち側へ行けるのだろうか。

 

「なんとか、保っ、ていますが……、依然として……厳しいまま、です」

 

 そう、等と言ったのか、彼の口元が僅かに動く。体力も残っていないのは明白なのに、彼の目は強い意志を湛えて止まない。

 

 どうやら右脚が折れているようで、半分無駄だと判ってはいるらしいけれど、彼は苦い顔をしつつ、二本のナイフを鞘ごとベルトで巻き付け、無理やり添木に仕立てようとする。

 何処から、そんな気力が湧いてくるのか。こういう人種に限界はないのか。

 

 思わずその横顔を見詰めていると、不意に――実際はそういきなりでもないだろうけれど――一際大きな破砕音が轟き。

 

 

「みんな! 聞いて!」

『!』

 

 

 唯一、この圧倒的不利を覆す可能性を秘めた勇者、の声は。騒がしいでは収まらない戦場においても、不思議とよく通った。

 

 

 

()()()()() 魔法を使う、少しでいいから援護をお願い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクが冒険者に成ろうと思ったのは、どうしてだったっけ。

 

 

 

 確か、なんの変化もない農耕生活に飽きてしまったから、だったように覚えている。

 

 定期的に訪れる行商人から、村の外のことを教えてもらって、偶然村を通りがかった冒険者たちが、やけに格好よく見えて。

 別に、特別頭がよかったとか、運動が得意だった、というわけではなかった。ただ、他の子より少しだけ、知らないものへの好奇心が強かった気はする。

 

 だから、なのかもしれない。

 

 冒険者という、ボクらから掛け離れた存在を知ってしまえば。それまでと全く違う世界が、村の外にあることを知ってしまえば。

 

 そこからは、止まらなかった。

 

 毎日、代わり映えのしない作業の繰り返しだけをするみんなが奇妙に思えた。毎年、全く同じことをひたすら続けるみんなが気持ち悪くなった。自分とは別の何かに見えた。

 なんで、「他」を知ろうとしないのか。なんで、「それ以上」を望もうとしないのか。なんで、「それ以外」を拒絶するのか。幼いボクには、もっと刺激的なものを識ったボクには、理解ができなかったんだ。

 

 ヘリヤ様は言っていた。安定とは停滞だと。いつだって、革新が、変化が、異端があったからこそ、人類は発展してこれたんだと。

 

 でも、()()()人々は、ボクの村の大半は。それらから目を逸らし、今を優先する。

 今さえ良ければ。その考え方もわからないわけじゃあない、普通が大多数でなければ特殊は生まれない。その結果、問題にぶち当たってから慌て始めるのもご愛嬌みたいなものだ。

 

 そう考えると、冒険者という人種はこの世界にとって異端で。そう思うと、ボクという人間は、その村の中には、もう、どこにも居なかった。

 周囲の反対を押し切って、恐ろしいものから逃げるみたいに、自分を探し求めるみたいに迷宮都市(オラリオ)に出てきたボクを、ヘリヤ様は快く拾ってくれた。ヒメナやヨシフ、シーヴさんたちはボクを仲間として迎えてくれた。

 

 ここでの生活は、ただただ、楽しかった。

 

 

 

 冒険者とは。

 

 

 

 生命を賭して、富を、名誉をひたすら求める。それは、戦争で戦果を挙げるのとは少し違う。

 

 全部、自分で決めて、自分で考えて、自分で行動して、自分の意志で戦って、自分のために死ぬ。全滅は指揮官のせいじゃない、その事態を招いた自分自身のせいになる。

 

 詰まるところ、全てが自己責任。何にも縛られず、何にも支えられない、何にも保障されない、不安定極まりない危険な職業。()()()人からは、そう見える、らしい。

 

 

 ボクからしてみれば、それは『自由』。

 

 

 ある意味の自由を手に入れるためには、それなりに何かを失う必要がある。そこで失うものによって、得られる自由というものには違いが生じる。ヘリヤ様にはそう教わった。ヒメナがそう解してくれた。

 

 家族だとか、村だとか、地域とか、国とか、そこの規則とか法律とか。そういう社会的なものに縛られ、制限されることで、大きい意味での『自由』を失い、その中での安全な『自由』を手にするも一つ。

 

 それらのしがらみを一切合切捨て去って、広い世界の中で、頼れるものは何も無く、自分を自分たらしめるものはそれこそ自分だけ、そんな『自由』を手にするも一つ。

 

 

 ボクが、そして多分、ボクらが、欲しくなったのは後者だった。

 

 実際には【ファミリア】があるわけなんだけど、それを差し引いても、ボクらにとっての『自由』は、冒険者としての人生にちゃんとあった。

 

 それは、ボクらに不安を抱かせない。

 

 それに、ボクらは恐怖を感じない。

 

 それが与えてくれるのは、清々しい爽快感。生きているという確かな実感。生命の輝きによってボクらの世界は彩られ、財産や名声が装飾として付随する。

 

 

 ボクにとっての『本物』は、生まれ育った農村の外側にあった。何もかもが、きらきらと綺麗に輝いていた。

 

 

 冒険者としてダンジョンにもぐって、モンスターと戦うのも。

 

【ヘリヤ・ファミリア】としてオラリオの外に出て、貿易の仕事をするのも。

 

 何もかもが初めて見るものだらけで、初めて聴く音だらけで、初めて嗅ぐ匂いだらけで、初めて食べる食材だらけで、初めて感じるモノばかりで。

 

 

 そう、楽しくて仕方なかったんだ。

 

 

 

 最初の『大量発生(アレ)』が、起こるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……ぐ……」

 

 全身が、とにかく痛い。節々は軋んで嫌な音を立てるし、筋肉は思い通りに動かない。それに、信じられないほど身体が重く、息が苦しい。

 

 上半身を起こすと、ツカサとパンテオン、アルベルティーヌさんにイネフさんが、膨大な数のモンスターと戦っている姿が確認できた。

「だ……ダメです、そのケガ、では……」

「状況、は?」

 

 なんとなくわかってはいるが、反射的にそう問いかける。カテリーナさんは、起きてはいるものの、四つ這いでいるのがやっとのようで、腕がか弱く震えている。

 ひとまずは、助けられたようだ。ボクが飛び込んだのは無駄じゃなかった、それだけで、幾らか救われる気がした。

 でも、これから、ちゃんと生還できなければ意味がない。この場にはシーヴさんもヨシフもいないのだ、ボクが頑張らなければ、きっとあの二人も報われない。

 

 身体のどこもかしこも、動かすたびに激痛が走り、頑張って気を張っていないと、意識を手放してしまいそうになる。

 

 普段なら、こんなずたぼろになるまで戦わないし、きっと起き上がれもしなかった。でも、今回は、今回だけは、別だ。

 

 周りを見回し、自分でも状況を確認する。

 

 戦闘不能になったボクの代わりに、イネフさんが即席のパーティメンバーとして戦っている、けれど。事前に決めておいた、ボクが入る予定だった位置では、ツカサが紅緒と晴嵐を用い、二刀流で奮戦している。だが圧倒的に劣勢だ。そしてパンテオンだけは優勢、アルベルティーヌさんとイネフさんも劣勢。決して、好ましい戦況にはない。

 四人がかりで、特にパンテオンとツカサが目覚ましい活躍で、蹴散らしているというのに、ゆっくりと、だが確実に、圧されている。ボクはよくこんなところに独りで突っ込んだもんだなと思う。

 

 いや、でも。改めて、この数は明らかにおかしい。

 この類の『大量発生』は、階層移動という点で特殊だとされているはずだ、だから食料庫が避難場所として勧められているし、だからイネフさんとカテリーナさんも、退避先にここを選んだんだろう。

 

 なのに。これは何なんだ。また例外なのか、仕様が変わったのか。こうまでして、ボク達冒険者を殺したいのか、迷宮ってやつは。

 行きどころのない怒りが込み上げてくる、けど、いまそんなことに頭を使っていても意味がない。考えるんだ、どうしたらいいかを。ボクは今何をしたらいいのかを。

 

 

 あの日、どうすべきだったのかを。

 

 

「なんとか、保っ、ていますが……、依然として……厳しいまま、です」

「そう、ですか」

 

 口の中で篭った返事は、カテリーナさんに届いていたんだろうか。そのときのボクの思考は、もう別の方向へ突き進んでいた。

 まず脚をなんとかしなければならない。どうせ立てないだろうけど、いざという時に痛くて動けない、じゃあ話にならないし、せめて固定くらいはしたい、んだけど。

 添え木になりそうなものはあまりダンジョンには落ちていないし、そこらに散らばった骨にちょうどいいものもなさそうだし、双月を鞘ごとベルトで巻き付けて補強する、が関の山か。

 

 痛い、骨折ってのは成人でも思わず叫んでしまうほど痛いというけれど、初めてでもない、泣き言を言っている暇もない。

 

 

 もう、間違えるわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年と半年ほど前、【ヘリヤ・ファミリア】に、ベッテ・レイグラーフ、【カーラ・ファミリア】に、リリー・ヴェーレ、という名の冒険者が、まだ所属していた頃のことだ。

 

 

 

 初めての『大量発生』が起こったその日は、ボクらもダンジョンにもぐっていた。パーティはボクとヨシフとシーヴさんと、ベッテとリリー。そのとき、シーヴさんはLv.2だった。

 

 当時の発生階層は九。そこから上下二階層以内、十一から七までの階層のうち、生存者がいたのは九層のみで、他の冒険者は軒並みモンスターの「波」に押し潰された、とされている。

 だがそれは、「救助された」生存者の話。当然、自力で脱出してきた冒険者もいる、そうでなければ異変は異変として認知されていないだろう。そしてボクも、最初の『大量発生』を経験した一人で。

 

 ボクらはちょうど、八階層を進んでいた。帰り道だったんだ。いつもより早めに帰ろう、と言い出したのはシーヴさんだった。彼女はボクらより感覚が鋭いから、多分、何か嫌なものを感じていたんだと思う。

 

 ボクとヨシフは、愚かにも彼女の意見に反対した。その日はやけにエンカウントが少なくて収穫も乏しかったし、体力は十分すぎるほど余っていて、何よりボクらは麻痺していた。戦い足りなかった、もっと戦いたかったんだ。

 

 シーヴさんとベッテとリリー、対してボクとヨシフという形で意見は真っ二つに割れた。

 

 結局、年長者に従うということで、渋々帰還することにした、けれど。

 

 

 

 もう、その時には、何もかもが、遅すぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな! 聞いて!」

 

 一段と大きな音を立ててモンスターを撃破し、食料庫じゅうの注意をかき集めてから発されたパンテオンの声が、化け物たちの叫びに負けずにボクらの耳に飛び込んできた。

 

 戦っている最中の他の三人も、きっと肌で感じ取っている。彼の次の言葉に、この戦場を左右する重みがかかっているだろうことを。

 

「溜まった! 魔法を使う、少しでいいから援護をお願い!」

 

 果たして、溜まった、とは、魔力のこと、なんだろうか。魔力、いわば精神力って、戦闘中に溜まっていくようなものだっただろうか?

 いや、いまはどうでもいい。彼が魔法を使ってこの状況をなんとかしようとしていることが解れば、それだけでいい。

 

 並行詠唱なんて高等技術を持っているならば話は別だが、普通は無理だ。するともちろん詠唱中は無防備になる、攻撃を受ければ魔力暴発(イグニス・ファトゥス)も起こしかねない。そのため、大半の魔法の発動には援護もとい護衛が不可欠なのだ。

 でも、今ボクらは食料庫のほぼ中央部で、全方位から囲まれている形、パンテオンを護るとなれば。

 

()()()()()()()! 三人で対処します!」

「「了解!」」

 

 すぐに、楕円が小さくなる。手を伸ばせば、バックステップで集まってきた仲間達の背中に触れられる距離、直径は、約三M(メドル)

 

 この手が失敗に終われば、即ゲームオーバー、全滅の領域。非常に危険な綱渡りが、始まる。

 しかしあのままでも勝機はない、出来るならどこかで賭けに出る必要があった、それがいまだというだけの話だ。それに、最初からボクらが細い綱の上にいることなんてわかりきっている。

 

 ボクらのすぐ側に立ったパンテオン・アブソリュートと、目が合う。真っ直ぐな瞳が、希望に満ちて輝いていた。

 

 

 信じてくれ、と、訴えていた。

 

 

「【集え、循環せし無限の生命】――!」

 

 

 言葉と共に。彼は、目を瞑る。

 

 何があっても詠唱に集中するという意思表示、彼を護る三人への絶対的信頼。彼は全てを賭けて、彼の勝負へと踏み込む。

 

 ボクらが、信じないわけ、ないだろう。

 

 詠唱が始まった、これから先は失敗の許されない、極限の時間。分水嶺、ってやつ、だっけ。

 ここから数十秒間の攻防の行方がどこに着地するかで、この戦闘の結末が大きく、変わる。

 

 ボクも、ボクに出来る支援をしなければならない。

 

「イネフさん、アルベルティーヌさん!」

 

 負傷の激しいイネフさんに、湾曲したプレストプレートの裏に保存しておいたポーションを。得物の疲労がひどいアルベルティーヌさんには、ボクの双月、下弦ノ弐を。それぞれ放って渡す。

 

 突然の敵の後退に少し戸惑ったのか、幸運にもモンスターの足並みが、数秒だけ乱れ、揃わない。

 何匹かは三人を追って飛び掛ってくるが、まだ大挙して押し寄せては来ない。

 

 嵐の前の静けさ、例えるならそんな感じだ。

 

 ボクらがさっきより小さくまとまっている分、モンスターの「波」はより密度を増し、苛烈に襲いかかってくるだろう。

 

 この瞬間以降に、補給のタイミングはない。

 

「助かる、ありがとよ!」「お借りします!」

 

 大丈夫、こんな時のための秘蔵のお高いポーションだし、シーヴさんが打ったボクの愛刀だ、きっと、しっかり仕事をしてくれる。

 

 それでもやっぱり、自分が戦えないというのは、どうにもしがたい歯がゆさと情けなさが付きまとう。

 まぶたが、重い。身体全体が、加速度的に重量を増して、ボクの意思を地に縫い付けようとする。眠くないのに意識が落ちそうになるのは、流石に初めてだ。

 

 でも、ここで倒れているわけにも、いかない。その主体のない悪意を跳ね除けて、上半身を起こす。顔を上げる。前を向く。

 

『グルォォォォォッ!』

 

「パンテオン! 頼むぞ!」

 

 堰を切ったように、大量のモンスターが、自分たちのセーフティエリアからボクらを取り除こうと、一斉に動き出す。

 

 正念場、ってやつだ。

 念のために、意識が途切れ途切れになっているカテリーナさんの身体を引き寄せる。いざという時には、ボクの身を盾にしなければならないだろう。

 

 

「――【永久より来れ刹那の栄光】!」

 

 

 パンテオンの周囲に、どこからともなく風が吹き、彼の身体を包み込む。

 

 爽やかな風だ、新鮮な空気を運ぶ、清らかで透き通った、気持ちの良い風だ。

 

 希望に満ちた空気の流れは、ゆっくりと、ボクらの目の前に、集まっていく。

 

 

 一方、彼の詠唱を無事に完遂させるための戦闘は、既に熱を帯び、激しく火花を散らしていた。

 

 アルベルティーヌさんが、飛んできたフロッグ・シューターの舌を下弦ノ弐の刃で受け止め、二つに割ききって眉間を貫くと同時に、真横からのウォーシャドウの腕を掻い潜って、顔面に掌底。怯んだところにナイフが駆け付ける。

 

 彼女の戦闘スタイルはボクのように二本持ちではなく、空けた片手で敵の攻撃を滑らかに受け流し、ナイフで急所を突きにいく、というもの。

 

 縦軌道のコボルトの爪に横から手を当て、少しズラして体勢を崩させ、胸を突く。僅かな力で敵を操る、美しい戦い方。それでいて素早く、ナイフの持ち手は高速で入れ替わり、動きが流動的で掴めない。殺すための、というよりは、護身術に近いものに見える。

 

 

 イネフさんが、大剣を豪快に振り回し、横に並んだコボルト、ゴブリン、ウォーシャドウ、を一刀のもとに斬り捨て、魔石が砕けていなかった死体を雑に、しかし突撃体勢に入っていたニードルラビットに向けて蹴り飛ばす。

 

 一撃で範囲内の敵をまとめて薙ぎ払う、ある意味で場を整えながらのその戦い方は、こうした敵の密度が高い特殊な場合において、非常に有効であると言えるだろう。

 

 斜め方向への振り下ろしにより、また、キラーアント、フロッグ・シューター、ゴブリン、ダンジョン・リザードが一息で死に絶える。確かに有効、だが、その戦法の性質上、屍が灰になりにくいのと、取りこぼしが出やすいのが難点か。

 

 

 ツカサが、迫るキラーアントの喉元に晴嵐を差し入れ掻き斬り、地を這うダンジョン・リザードの脳天に紅緒を突き刺し、たかと思えば、直ぐに晴嵐はコボルトを上下に真っ二つに断ち、紅緒はゴブリンの頭蓋をかち割る。

 

 彼が二本の刀を同時に扱っているところを、いや、刀という武器が二刀流に用いられるのを、少なくともボクは初めて見る。

 

 両方で斬る、というのは、相当に難しいはずだ。だが彼は紅緒での斬撃を捨て、打撃武器として使っている。使えている。一つ一つの威力は落ちるが、その分手数は増えている、動きもいつもより数段上で、まるで別人のようだ。

 

 

 それだけを、目の前のことを捉えるだけだと頼もしい仲間たちのお陰で安泰、にも思えてしまうかもしれない、が。

 

 小さくまとまることにより、一度に対面するモンスターの数は少なくはなった、だがそれにより、目の前の一体一体を的確に、かつ高速で捌くことが最低条件にもなった、気を抜けば終わりなのは、変わらない。

 

 そもそもこんな場合を、誰が想定出来るのか。彼らの戦法は飽くまで普通のもの、どこまで通用するかすら、わからない。

 

 

「――【揺籃に抱かれ眠る大海を】」

 

 

 彼の、突き出された両腕に、風が巻きついていく。その滑らかな動きは、見えないはずなのに、まるでボクにも見えるかのような錯覚が起きる。

 

 あまり魔法という存在に通じていないボクでも、彼が放とうとしているものがいかに凄まじいものなのかがわかってしまう。

 

 それだけ高度な魔法なんだ、きっと魔力制御も難しいはずで。疲弊していて集中力も落ちているだろうに、彼は必死に詠唱式を紡ぐ。

 

 探索帰りで相当に体力が削られているはずなのに。大量のモンスターに襲われ、深刻なダメージを負っているはずなのに。彼女はナイフを操る。彼は大剣を振るう。

 

 まだ余裕があったとはいえ、対多の作戦を何回も繰り返して、ここまで来るのに積極的に前に出て戦っているのに、それでも彼は懸命に刀を握る。

 

 彼らは、あの日のボクとは違う。自ら未来を切り拓こうとしている、シーヴさん的に言うならば、どうしようもない現実に抗い、力づくで捻じ曲げようとしている。

 

 

 

 あの日のボクに足りなかったものが、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ボクらが異変に気付いたのは、帰途についてから、だった。

 

 

 モンスターが、まるで()()()()()()()()()()()()()、退却するボクらを追いかける形で襲いかかってくる。それも一度や二度ではなく、正規ルートに近付いていくほど頻度は高くなっていく。

 

 どちらかというと聡いベッテと慎重なリリーは、引き返して食料庫に居座ろう、という提案をした。それなら上に行こうとするモンスターたちをやり過ごせるし、何が起こっているかわからない現状、明らかにモンスターが集まっているだろう正規ルートは危険だ、という旨のものだった。

 

 だが、それは同時にこの異常の「原因」に近付いていく、ということでもあったし、むしろこれから何が起こるかわからないからこそ、早く脱出した方がいいのではないか、というボクらの見解が、彼女らの意見を押し退けた。除けて、しまった。

 どちらが正解だったのか、それは誰にも分かりはしない。正解なんて、その時にはもう、なかったのかも知れない。

 

 

 結果、ボクらは「波」に呑み込まれた。

 

 

 正規ルートに流れていたのは、ボクが前回、ツカサと共に突入しようとしたときのもの、と同じくらいの「波」。

 

 しかし、そこにボクらが分け行って、苦戦しながらある程度進んでいたところで。突如、()()()()()()()()()()()()()()()()。後続が、より下の階層から来た個体が、一気に追い付いてきたんだ。

 

 何もかも取り込んで破壊していく濁流に対して、ボクは、何も出来なかった。

 秩序なんかない。自分がどんな体勢で、どの方向を向いているかもわからない。上下左右、どっちが地面で天井なのか、区別がつかない。目も開けていられない、呼吸すらままならない。

 四方八方、三百六十度、まったくそんなもんじゃない、その時の世界の全ては、ただ純粋な暴力だけ。

 死にものぐるいで、とにかく両手両足を力の限り振り回し、押し潰されまいと抵抗した。でも、常に全身に衝撃が叩き込まれ続ける状態で、意識を保つことは不可能で。

 

 

 ふっ、と。

 

 

 全身から力が抜けて、思考が緩慢になって。何も感じられなくなって、闇に包まれたとき。ボクは死を覚悟した。

 

 

 

 

 

 次に、ボクの目が覚めたとき。

 

 そこは、【エイル・ファミリア】の、病室の一つ、だった。

 

 

 その病室には、ベッドが四つ、あった。

 

 

 

 そこには、ボクと、気を失っているヨシフと、一際傷だらけのシーヴさんがいた。

 

 

 

 

 ボクと、ヨシフと、シーヴさん、()()()、生を享受していた。

 

 

 

 

 

 本来はそこにいるはずの、ついさっきまで横にいたはずの、ここにいなければならない存在、が。その空間には、決定的に欠けていた。致命的に抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 生命の数が、足りなかった。

 

 

 

 

 

 

 唯一、気が確かなままに帰還した彼女は、ボクに何も言わなかった。

 

 責任の一端どころか、ほぼ全てを担うボクらに、何も言っては、くれなかった。

 

 

 その日からだ。

 

 その日から、シーヴさんはダンジョンを忌み嫌い、極力避けるようになった。

 

 その日から、ヨシフはモンスターに相対出来なくなった。ダンジョンに入れなくなった。

 

 

 

 その日から、ボクは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【静寂に包まれ黙する大地を】」

 

 

 踊る二本の刀が、小刀(ナイフ)が、大剣が、次々に迫り来る異形を切り伏せていく。

 

 彼らは、形のない暴力を、防ぎきれない理不尽を、豪雨のように降り注ぐ絶望を、死にものぐるいで耐えている。ボクらに被害が及ばないように、一身に引き受け続けている。

 

 鋭利な鉤爪が、俊敏な黒い指が、獰猛な牙が、尖鋭な角が、その防具を砕き、その肌を割き、命を貫かんとして、彼らに襲いかかる。

 

 鬼気迫るものを感じさせる死闘を繰り広げる彼らを目にして、ボクも、何かしなければ、という思いに駆られるのは必然だった。

 

 詠唱を遮らせないよう、周囲から何かが飛んでこないかどうか警戒するために視線をやや上の方に向けると、ふと気付く。

 今現在目線が低いボクからでも見える位置にある、食料庫(ここ)の出入口。そこから流れ込んでくるモンスターの「波」が、止まっている。

 ボクらが入ってきた最も高いところ、から、わりと低めのところ、まで。まだちらほらと入ってくるものもいるが、確認できる範囲内において、『大量発生』の大きなうねりが、収まったこと、が、見てとれる。

 

 

 光が、差した。

 

 

 通常(といってもそうそう起こるものでもない)は、原因を調査し、それを取り除かれることで収束する。

 

 だが、この類の『大量発生』は、持続性がない。放っておいても数時間も経たないうちに、「波」が収まるのだ。もちろん、その後に残るモンスターの集団を片付けないといけないが。

 形を成した暴力そのものは、それゆえに、自身を構成する要素も撃滅し、やがて自壊する。モンスターの「波」が地上まで続かないのはそういうわけがある。

 

 あと、もう少し。

 

 この耐久戦を潜り抜け、パンテオンの魔法により形勢の逆転に成功すれば。シーヴさんたち救出部隊が来る前に、食料庫での安全が確保できれば。

 

 

 生還に、大きく近付く――

 

 

「――【彼方に座する無数の星々を】」

 

 

 ――はず、なのに。

 

 

「ぐうっ!」

 

 ウォーシャドウが、横薙ぎの大剣が通り過ぎた、その下から腕を伸ばし。反応が遅れたイネフさんの脇腹を抉った。

 

 血が、吹き出る。そのままにしておくわけにはいかない、だがポーションも、もうない。彼は片手で傷口を抑え、片手で大剣を持つことを余儀なくされる。

 

 

「――っ!」

 

 キラーアントが、ちょうどコボルトの魔石を突いたナイフを握る手、が一瞬だけ止まるのを見計らい、細い二の腕に、鉤爪を振り下ろし。アルベルティーヌさんの腕の太さの半分ほどまでを掻き切った。

 

 腕が、だらん、と、下がる。彼女は慌ててもう片手で下弦ノ弐を掴む、が、片手が動かせない状態では、彼女が得意とする戦法が使えない。

 

 

 そんな、ここまできて。

 

 

 限界、が。

 

 一定の間隔をもって離れ、戦っていた先ほどまでと違い、この近距離では片手で大剣を振り回せない。片手を動かせない状態、ナイフを持つ片手だけでは、満足に敵の攻撃を捌けない。

 

 そして、こちらの迎撃の手が緩まれば。

 

「く、そがっ!」

 

 当然、モンスターたちは、彼らを押し退け、踏み潰し、ボクら全員を蹂躙せんと、進撃する。

 

 イネフさんが胸部に衝撃を受け、倒れる。彼に向かい、ウォーシャドウがその腕を振り上げる。

 

 アルベルティーヌさんが、鋭い爪に引き倒される。コボルトの牙が、ナイフと鍔迫り合いを演じる。

 

 

 彼らの横を通り過ぎ、ボクらに狙いを定め、速攻で接近してきたキラーアントが、ゴブリンが、ダンジョン・リザードが。

 

 

「まだ、」

 

 

 ――二本の刀により、灰へと還る。

 

 

「だ、ッ!」

 

 

 自分の持ち場を捨ててこちらに駆け寄り、ボクらに迫るモンスターの魔石を瞬時に砕いたツカサは、それまでの攻防でも見なかったほどの速さで、紅緒と晴嵐を()()()

 

『ギャアァァァ……』

 

 晴嵐が、牙でナイフを押し止め、その爪でもってアルベルティーヌさんを食い千切ろうとしていたコボルトの頭部に突き刺さる。

 

『…………!』

 

 紅緒が、大剣を持つ手を足で踏んで抑え、鋭い刃物のような指でもってイネフさんを刺し殺そうとしていたウォーシャドウの顔面、円盤に激突し、砕く。

 

 

「――【解き放つ烏有の輝き】!」

 

 

 だが、そこまでだ。

 

 

 ツカサは残った最後の一振り、渡鴉に手を掛けるも。それを抜く際に、紅緒や晴嵐のときと比べて、ほんの少し、動きが乱れる。

 

 

 彼がそれを差しているのは左ではなく、右。バランスを考えてのことだった、が、とっさの状況では、その僅かな誤差が命取りに、なる。

 

 本当に少しだけ、対応が遅れたツカサに、モンスターが殺到する。まだ動ける奴から先に仕留めると言わんばかりに、迎撃体勢が整わない彼に向かっていく。

 

 イネフさんとアルベルティーヌさんは、なんとか、四肢を力の限り動かし、覆い被さってくるモンスターたちを跳ね除けようともがいている。ちょうどあの日の、ボクのように。

 

 

 ここまできて、無意味に終わってしまうのか。

 

 あの日味わった悔しさをなお抱いて。今度はここにいる彼らも道連れに、立ち上がれもしないで。結局誰も救えないまま、死ぬのか、ボクは。

 

 

 そんなこと。

 

 

 

 そんなの、認められるわけ、ないだろうが。

 

 

 

 

 ボクも、戦うんだ。

 

 

 言葉もなく、ボクに抱えられるままだったカテリーナさんを、そっと地に寝かせる。

 

 動けないなんて言っている場合じゃない。この状況を打開するために、ボクも、武器を。

 

 

 ナイフを。

 

 

 双月、上弦ノ弐はベルトで縛ってある、取り出せない。いつも使っているそれではなく、切り札の一振りを。

 

 一本だけ残った、僕の最後の武器、明月。ナイフと呼ぶには少々大きいそれを、腰の後ろの鞘から引き抜きつつ、ボクとカテリーナさん、パンテオンに近付いてきていたゴブリンの胴体を、魔石ごと、斬る。膝立ちでも、何とかなるもんだ。

 

 今のボクに出来ることは、跳んでの捨て身の特攻だけ。それも片脚のため、飛距離にも期待できないときた。

 それで、何を、すればいい。

 

 ボクらに寄ってくるモンスターたちを倒すか。

 イネフさんか、アルベルティーヌさんを救出するか。

 

 いや。

 

 ここからあと数秒、持ち堪えるためには。()()()()()が生き残る可能性が最もある選択肢は。

 

 ツカサだ。

 

 比較的動けているツカサを助ければ、周りのモンスターを排除すれば。まだ、なんとかなるかもしれない。

 

 彼の元へ跳ぶべく、膝立ちの状態から、折れていない方の片脚を、立てる。

 

 踏ん張る。

 

 折れていない脚も、やはり相当にダメージを負っている、動かすだけでみしみしと軋む、でも。

 

 片足が折れていても、関係ない。どれだけ傷を負っていようが、腕がまともに動かせなかろうが、まったく問題ない。

 

 ただ、この刃が届けば、それでいい。

 

 この一回だけでいいから、これで粉々に砕けてもいいから。限界を超える出力を、出してくれ。

 

 歯を食い縛る。止めどなく沸き起こる痛みは、限界を迎え、落ちかかっている意識を保つ、いい気付け薬だ。

 

 膝に、腿に、足首に、脹脛に。ありったけの力を、込める。

 

 前傾になり、ボク自信が弾丸と化して飛び出す、その直前に。

 

 

 もう動けないらしいカテリーナさんの唇が、僅かに動く。

 

 

 阿鼻叫喚のこの空間では、彼女が何を言っているのかは、聞き取れない。でも、その何かは、確かにボクに、勇気を与えてくれた、気がした。

 

 

 

 

 

 明月に、ボクの腕に、脚に、全身に。輝く光の粒子が、まとわりつく。

 

 

 

 

 

 ボクは、心のどこかで、この日を待ち望んでいた。

 

 ボクは、ずっと、この日のために、ダンジョンにもぐっていた。

 

 ボクは、救われたかった。ずっとずっと、助けて欲しかった。シーヴさんに、お前が悪いんだと、お前らのせいだ、と。罵って欲しかった。

 

 

 でも、彼女はそうしなかった。

 

 

 ボクを救うために。ボクを助けるために。ボクらを、生かすために。

 

 でも、それだけじゃ、ボクは救われなかった。

 

 ボクは、『大量発生』を求めて、ダンジョンにもぐった。でも、意地の悪い運命ってやつは、ボクを『大量発生』に巡り合わせてはくれなかった。

 

 ツカサと『大量発生』に遭ったとき、正直ボクは、心底嬉しかった。それと同時に、恐ろしくなった。今度は彼を失って、またボクだけが生き残ってしまうんじゃないかと、思ってしまった。

 

 だから、パンテオンとアルベルティーヌさんに助けられたとき、ボクは安心すると同時に、言いようのない悔しさを、抱いた。

 

 

 

 次こそは失敗しないと、誓った。

 

 

 

 

 そして、今回。

 

 

 ツカサとパンテオンが、イネフさんとカテリーナさんを感知してくれて。彼らを助けに行くと、行きたいと言ってくれて。

 

 すごく、嬉しかった。

 嬉しく、なってしまったんだ。

 

 シーヴさんを説得するとき。ボクがツカサに与したときに口にした「夢見が悪くなる」は、イネフさんとカテリーナさんを見殺しにする罪悪感からくるものでは、なかった。

 

 ボクがモンスターの海に一切の躊躇なく飛び降りたのは、そこに沈んでいた、イネフさんとカテリーナさんを助けるため、ではなかった。

 

 

 ボクは、もっと奥にいる、ベッテとリリーを助けるために、飛び降りたんだ。

 

 

 ボクは、ボク自身を救うために、戦っていたんだ。

 

 

 それは、今も、変わらない。自分を助けるために、あの日の、モンスターの「波」に囚われて苦しんでいる自分を、助けるために、ここにいる。必死に自分と戦っている。

 

 別れる時のシーヴさんは、ボクがそう思っていたことを、理解していただろう。ボクが何を考えて、自らこんなところに行きたいと言ったのか、きっと解っていただろう。

 

 そして。彼女が分かっているのを分かっていて、ボクは彼女の気持ちを利用した。

 

 そのときの気持ちに嘘はない。確かにボクは、誰よりも自分のことを考えていた、あの場の誰よりも『麻痺』していた。

 

 

 でも。

 

 

 ボクらを護って戦う彼らを見て、気付いた。ボクらを護ってくれたシーヴさんの姿を思い浮かべて、気付けた。

 

 

 自分だけじゃ、駄目なんだ。ベッテとリリーを助けるだけじゃ、駄目なんだ。

 

 

 ツカサも、パンテオンも、アルベルティーヌさんも、イネフさんも、カテリーナさんも。シーヴさんも、ヨシフも。ヘリヤ様も、カーラ様、エイル様、ブリュンヒルデ様、ウルスラグナ様、ワクナ様も。その【ファミリア】のみんなも。

 

 

 

 ボクは、全員を救うために、戦うんだ。

 

 

 

 全員が救われて初めて、ボクは過去と決別できる。そんな気がするんだ。

 

 

 これは、お別れだ。ベッテと、リリーへの、そしてボクへの。

 

 

 これは、未来への、最初の前進。

 

 

 全てを受け入れて、終わらせて。新しく歩き出すための、一番初めの、小さくて大きな一歩。

 

 

 

 片脚で、でも全力で。ボクは、地面を蹴る。

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 

 

 明月が、ツカサに群がるモンスターたちを斬り裂き、彼の姿を照らす。

 

 弱々しい光かもしれない。だがそれは、ボクらを、彼を、きっと導いてくれる、柔らかな救済の光芒だ。

 

 彼の両眼が、驚きに見開かれて。

 

「――おおおおおッ!」

 

 自由になった渡鴉が、虚空を駆け、漆黒の軌跡を残しながら、怪物達を両断していく。

 

 ツカサは、大きく踏み出しながら、勢いそのまま地面に激突しようとしていたボクの身体を受け止めた。

 

 流れるような動作で、彼はボクをパンテオンの方へ緩やかに転がし、一歩で追い越す。

 

 

 後は、頼んだ。

 

 

 

「――【爆ぜろ】」

 

 

 

 消えゆく意識の中で、ボクの目は確かに、信じられない速度で躍動する、彼の姿を捉えていた。

 

 大きく、長い踏み込みでパンテオンの真横にまで到達し、彼の背後に迫るウォーシャドウとゴブリンを薙ぎ斬る。

 

 ()()()()()()()()()()()()()重心移動、無謀にも思えるほどの勢いで、イネフさんの周辺のモンスターの群れに突っ込み、舞うように一回転。

 

 鮮やかに。円状の空白が出来上がる。落ちていた紅緒をこちらへ放り、気を失っているイネフさんを片手で掴み、()()()()()。そして、加速。

 

 ボクらのすぐそばを走り抜けながら、イネフさんを置き去り、接近していたキラーアントとニードルラビットを斬り捨てる。

 

 またも、突貫。モンスターの「波」に渡鴉をねじ込み、無理やりに切り開く。

 

 今度は晴嵐を回収、素早く納刀し、抵抗を続けていたアルベルティーヌさんを片手で抱き抱え、こちらに向かって、跳躍。

 

 彼が滑り込んでくるのと、ボクの気が遠くなるのと、パンテオンの詠唱が終わるのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

「【ヴェントゥス・テンペスタース】!」

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 全てを変える一撃が、放たれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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