武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 もし。君が何も選ばなければ、君は間違うことはない。君は躓くことはない。

 だがもし、君が何かを選んだなら。





第一四話 英雄の選択は。

 横道から、何体かのキラーアントが這い出てきて。

 

 事務的にパンテオンに殴り殺される。

 

 

 別の通路から、ウォーシャドウが一体歩いてきて。

 

 無言のシーヴさんに斬り殺される。

 

 

 

 現在、ダンジョン、第五階層。

 

 俺たち五人は、パンテオンとアルベルティーヌさんの証言より、徒歩での移動を止め、疾走に切り替えて進んでいた。下ではなく、上へ。

 

 Lv.3のシーヴさんと、Lv.2のパンテオンを軸、というか先鋒に据え、一刻も早く脱出を目指す。残念ながらLv.1の俺はお荷物だ。

 

「六階以降のモンスターが増えてきたっすね。これはもう確定、っすか」

「それ以前に、エンカウント率が異様に高くなってきた。まあ、まず間違いないな」

 

 もうすぐ四階層に着くというのに、出てくるのはキラーアントやウォーシャドウ、フロッグ・シューターなど、二層以上も下から出現するモンスターばかり。

 それに、上へ上へと進んでいる俺たちに対して、正面からくるモンスターはほぼおらず、ほとんどは()()()()()()()()()()()()、正規ルートに合流するような形で鉢合わせている。

 

 他にも、『大量発生(イレギュラー)』をもっと意識していれば、如何にもそれだというような兆候が見受けられていたかもしれない。……もっとも、俺たちは変なことをしていた所為で気付くことが出来なかっただろうが。

 

「……なんとか、なりそうだな」

「そうっすね。今回は無事に帰れそうっす。……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 普段の倍以上の人数がいるというのに、俺たちはやけに静かでいた。

 俺とトルドが時折喋る以外に、五人のうちで会話はない。実際、その必要もないけれど、俺たちはなんとなく義務感に駆られ、口を開いている。

 臨戦態勢でいるために、というわけ、だけではなく。ただ、空気が悪かった。

 

 原因、というか、発端というか。出処は、パンテオンとシーヴさん、と言えなくもない。

 

 正規ルートを逆走することから必然的に、道中、幾組かのパーティと遭遇し、主に彼が警告を発してはいるものの。

 

「下に行くんですか?」

「そうだけど、何か用か、(あん)ちゃん」

「『大量発生(イレギュラー)』が起こっている可能性が高いんです。できれば僕たちと引き返す方向に……」

「あぁ⁉︎ 何言ってんだ、俺たちに指図しようってのか⁉︎」

「いえ、決してそういうわけではなくて」

「なら俺たちの勝手だろうが。あんまり人のことに口出すもんじゃねぇぞ」

「口出しとかじゃなくて、ただ、モンスターの出現頻度と構成割合がいつもと違うことくらい、あなたも分かるはずでしょう?」

「ふん、知らんなあ。あんまり見くびってんじゃねえぞ、オレはLv.2だぞ、お前らみてぇな弱くて臆病な雑魚とは違ぇんだよ」

 

 残念ながら、まともに聞こうとする者はほとんどいない。ここら辺にも、犠牲者が減らない原因があるような気がする。

 

 無知というものは、やはり罪であるもので。

 忠告を聞き流し、傾向を無視し。本当に『大量発生』が起こっているのなら、自ら死地に向かうのと何ら変わりない愚行を冒すことになる、という危険性を微塵も考慮しない無謀な彼らに、わざわざ警告してやる義理もないだろうとは思うけれど。

 

 しかし、パンテオン・アブソリュートという冒険者は、そういう人々に対しても迷いなく救いの手を差し伸べるような、この業界では珍しい人種であった。

 

「……行きましょう」

 

 中年の冒険者集団とすれ違い、しばらくの沈黙の後に、何も言わず立ち尽くす彼に、同【ファミリア】のアルベルティーヌさんが声をかける。

 

 きっと、今回のことだけではないのだろう。どこぞのヒーローのような正義感に満ち溢れた性格で、彼が今まで同じようなことを何度も繰り返していただろうことは想像に難くない。その大半が失敗に終わることも、結果として彼らが損を被ることも。

 彼の行動は、倫理的に間違っているはずがない。けれど、冒険者としては致命的なまでに、パンテオン・アブソリュートは真っ直ぐだった。

 それで俺たちは前回助けられたし、別段非難されるようなことでもない。しかし、何度も言うが、ここはダンジョンなのだ。そんな綺麗事が罷り通るほど易しい場所、でならよかった、のだが。

 

「……うん、みんなも、ごめん。次はもっと上手く――」

 

「アブソリュート、くん」

 

 残念ながら、そんな考えを持ちながら生きていけるほど、迷宮は甘くない。

 

 全てが自己責任になる世界において、俺たちよりずっと物事に精通している、狼人(ウェアウルフ)の先達の視線が、彼に突き刺さる。

 

「もう、いい。やめて」

 

「やめて、って、その、説得……ですか?」

「そう。時間の無駄。君も、わかってる筈だけど」

 

 まだ眠たそうな半眼に宿るのは、同情と、僅かな侮蔑。

 この場の誰よりも強く、誰よりも長くこの修羅の世界を生き延びてきた彼女の判断は、見解は。それ故に誰よりも正確で、冷静で、それでいて無慈悲。

 

「全員無視して進んだら、今頃は安全圏、のはず。……対して、成果は?」

「……ない、です」

 

 彼の表情が鈍重に曇る。

 

 残念ながら、客観的にも主観的にも、俺たちの脱出行において、パンテオンの行動はマイナスでしかない。もちろん、彼がすることに思うところがないわけではない。多分それは四人とも、同じで。だからこそ半ば黙認していたのだけれど。

 

 やはり、ここで異を唱えたのはシーヴさんだった。

 

「でも、僕は、ただ、無闇に人が死んでいくのが、耐えられ、なくて」

「……ちょっと、意味がわからない」

 

 いつになく厳しい態度で、パンテオンに相対する彼女は、あからさまに彼の所業を否定する。

 

「死ぬことに、無闇も何もない。自分の力を過信して、他人の力を見誤って。そんな人たちが淘汰されていくのが自然。この世界の摂理。違う?」

「違い……ません、でも、僕は……」

 

 どちらかといえば、一般大衆からしてみたら賞賛されるべきはパンテオンの方だ。愚かな者を愚かだとして切り捨てるシーヴさんより、そんなものは関係なしに救済の手を差し伸べるパンテオンの方が、より支持を得る考え方なのは間違いないだろう。

 

 だが、それは自らが切り捨てられたくないという心理に起因する。しかもその事実に気付きにくく、実はどちらもエゴイズムに依って成される選択、だということが度々無視される、というおまけまで付いていると、最早手に負えるものではない。

 それが、例え実現不可能な綺麗事であっても、人は安易な理想に縋り付く。残酷な現実から目を逸らしたくて、自ら盲目になる。

 

 君も、そうなっているんじゃないの?

 

 見た目は変わらない、しかし帯びた感情の鋭さがまるで違う半眼が、そう、問いかけていた。

 

「死ぬ人なんて、みんな、そんなもの。所詮それまでだった、ってこと。ここで生き永らえたとしても、どうせ次はない」

 

「……ずいぶん、厳しいんですね」

「別に。普通」

 

 そう言って、もう他に用はないと示すように、シーヴさんは再び前を向く。

 

 繰り返すが、ここはダンジョン、生と死が混在する空間だ。地上の常識など通じないし、ましてや別の状況下での例を挙げたところで意味は皆無。

 自己責任が基本となる迷宮(ここ)で、如何に人助けに精を出そうとも、わざわざ仁義を通そうとする者もまともにいなければただの無駄骨に過ぎず、今現在の俺たちの、生還という目的に対しての障害にしかならない。

 

「……先を、急ぎましょう。エードルントさん、サポートさせて頂けますか」

「……ん」

 

 息が詰まりそうな沈黙を押しのけ、アルベルティーヌさんとシーヴさんが動き出し、次いで俺とトルド、最後尾にパンテオンが続く。

 

 彼は、もう先頭に戻ろうともしなかった。

 黙々とモンスターを斬り裂き道を拓いてゆく狼人が、身内の失態を挽回するべく、とでもいうように奮闘する同僚が、彼を責めることはない。

 

 俺も、わかっていた。

 パンテオンとシーヴさん、どちらも正しくて、ただ相容れないだけなんだと、わかっていた。それはトルドやアルベルティーヌさんも、きっと同じで。

 

 もし、俺がもっと強くて、もっと正義感も人望も話術も魅力もあって、所謂万能系オリジナル主人公並みのチートを有していたとしても。俺はパンテオンのような考え方は出来ない。そんな選択肢は選べない。

 嫌な奴は嫌だし、助けたくなんかならない。嫌いな奴が死んだって、多分、ざまあ、としか思わないんだろう。自分でも、自分が嫌な奴だってのは自覚している、でも、普通の人間ってのは、そういうものなんだと、思う。

 だから、誰にでも分け隔て無く平等に接して、いい奴も悪い奴も、根こそぎ全員救ってしまうような。そんな理想の主人公を求めるんだ。それはこの世界におけるベル君だったり、オリジナルの主人公だったり、人によって違うけれど、時には勧善懲悪を実現するための偶像が求められることもあるけれど。

 

 きっと、そこにある感情は大体一つであると、俺は勝手ながら、そう思っている。

 

「……ごめん」

 

 辛うじて俺とトルドが聞き取れる小ささで、パンテオンが言葉を吐き出す。

 

 何が? などという無粋な返事は投げ掛けない。

 

「まだ、誰かが死ぬようなところなんて、見たこともないのに。おかしいよね、僕」

 

 悔しそうに、しかし自嘲するように(わら)う彼の視線は、真っ直ぐに、前方を駆けるシーヴさんに向けられていて。

 彼女が、パンテオンの独白を聞き取っているかどうかは、わからない。

 

「本当は、わかってるんだ。僕が言ってることが、どれだけおかしなことかなんて。シーヴさんが正しいってことなんて」

 

 彼は、続ける。

 

「でも、どうしても、見過ごせないんだ、僕は。そうしなくちゃいけない気がして。もちろん、それが都合のいい戯言(ざれごと)に過ぎない、ってこともわかってる。実現の可能性なんてほぼないってことも」

 

 続ける。

 

「だいたいいつもそうなんだ。冒険者になってから長くはないんだけどね。アルに窘められて、ウルスラグナ様に呆れられて。結果が伴ったときなんて、ほとんどなかった」

 

 

 前を向き続ける彼の瞳の中に、淡い、しかし力強い火が盛る。

 

 

「それでも。そうしないと。僕の中の何かが、消えて無くなっちゃう気がするんだ。とても大切な、何か、が」

 

 

 そこまで言って、パンテオンは自分のことについてずいぶん語っていると自覚し、ハッとして口を噤む。

 やってしまった、とばかりに彼は気まずそうに頬をかき、茶化そうと。

 

「ま、まあ、僕みたいに自己満足すらなくて、義務感で動くのは、褒められたこと、じゃないだろうけどね」

 

「……別に、いいんじゃねえの」

「え」

 

 そりゃあ、見ず知らずの他人を助けようとして自分や仲間を失ったりしたら、本末転倒もいいところだけど。

 そうでもなければ、しようとしていることに後ろめたさなんかないだろう。そんなものは受け取り手の感じ方の問題であって、パンテオンがどう思うかの話ではない。誰だって、自分が正しいと思うことをする、それだけのことなのだ。

 

 とまあ、偉そうな論は色々と浮かんでくるものの、俺ごときが彼の内面を推し量れるはずもなく。意見を挙げたところで、その純粋な善意への理解が深まる、わけでもなく。

 ならば、伝えることは至極簡潔。

 

「俺は、かっこいいと、思うよ」

 

 きっと、かっこいいと思うからだ。

 

 まさしく、自分に出来ないことをしてもらう理想の存在として、彼らを祭り上げるのだ。

 

 それは時と場合に依り、英雄と称えられたり、勇者と崇められたり、偶然にもとある物語の主人公として、妄想を体現する器として描かれたりするのだろう。

 

 今回はタイミングとシチュエーションがちょっと悪かっただけで。おそらく彼も、その類。

 パンテオン・アブソリュートは、目を見開き、素早く顔を逸らす俺と、小刻みに頷くトルドを見、再び顔を伏せて。

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 まだ小さき理想は、少しだけ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 内心、それなりに気を張ってはいた。

 

「お、オイ、アイズ。今暇か?」

 

「暇なわけないじゃん、巣に帰りな狼男!」

「うっせえバカゾネス! オレはアイズに訊いてんだ、しゃしゃり出てくんじゃねえ!」

「そっちこそ出て来るな! アイズはこれからあたしとフィンの交渉に付いてくんだ、あんたの暇つぶしに付き合わせる暇はないんだよ!」

「嘘付け! 今日フィンが連れてくのはバカゾネス姉妹とラウルのはずだろうが!」

「なんで知ってんのさ!」

「どうだっていいだろ!」

 

 遠征を約一月後に控えたとある日の昼下がり、まだ先のこととはいえ、準備に駆られる団員が俄かに目につくようになる時期。

 

 唐突に張り上げられた二つの声に、周囲の人間はまたかと嘆息し、興味を持たずに各々の日常へ戻ってゆく。

 片や狼人(ウェアウルフ)、片や戦闘狂(アマゾネス)の啀み合いは、今に始まった事ではない。大体誰にでも噛み付く彼に彼女が反駁、反発し、直ぐに口論に発展するのも何時もの調子といったところだ。

 

 しかし、今日に限ってなんでもない風を装って珍しく勇気を振り絞った彼にとっては、普段以上に鬱陶しく感じられることだろう。

 

「大体、何の用でアイズを誘うのさ。このいたいけな美少女を」

迷宮に行く(もぐる)んだよ。他に何もねえ」

「そんなの一人で行けばいいじゃん。わざわざ付き添って貰わなくても、ねえ?」

「誰かを同行させるようにリヴェリ(ババ)アに言われてんだよ、仕方無えじゃねえか」

 

 一人で暴走して、()()()()()()()ように。彼にはそれが条件として言い渡されてあった。

 

 最初はラウル辺りで我慢しようかと思ったものの、前述の通り団長の付き人の役目があり不可。そうなると彼のそもそもの選択肢の少なさが露呈するわけであって。

 

 雑魚を連れていくとなると好きに戦えないし、面倒をみるなど真っ平御免、かといって年上、先輩達に頭を下げて付いてきてもらうのも違う、なによりプライドが許さない。けれど同年代くらいで彼に匹敵する者がそうそういるわけもなく。

 

「っつーことで、アイズが一番ちょうどいいから声掛けたんだっての」

「いや、一見筋が通ってそうに聞こえるけどそれあんたの勝手な都合でしょ。アイズを無理矢理付き合わせるのは違うんじゃない?」

「本人に訊きゃいい話だろ」

 

 正直なところ、彼はこうして何らかの正当な理由でもって彼女を誘い出せることがそれなりに嬉しかったりする。間違っても尻尾を振ったりはしないが。

 

 彼は弱者は嫌いだが強者は好きであった。端的にいうと強さ、そのものが。それは年頃の男子にはよくあることだけれど、彼は特にその傾向が顕著で。

 自分より幼くして早くも自分と同じ次元、Lv.4に到達しているアイズ・ヴァレンシュタインという天才に対しては、年下に追い付かれるのはシャクだが悪い気はせず、むしろ好意を持っているし、この業界に鑑みては尊敬すら抱いている。

 

 強さという絶対的尺度が、そこには在るから。

 

 そして、彼の感情に呼応するように、まだ無垢な金色の双眸が煌めく。

 

「……ダンジョン」

 

「ほら見ろ」

「うー……」

 

 彼女もまた、一人の探求者であることに変わりはない。

 すると同じく、強さに惹かれる性質(たち)を体現するような種族としても、彼らの行動を咎めるワケにもいかず。

 

「ティオネー! もう出るわよ早くしなさーい!」

「あーもう! とにかく、アイズに変なことしたら許さないかんね!」

「誰がするかボケ!」

 

 実姉の声が飛んで来た玄関方面へ、慌てて駆けてゆく彼女の背に怒鳴りつつ、彼は勝ち誇った気分を存分に味わう。

 そも、直近の仕事を与えられていない時点で、つまり訓練し己を高めよ、と言われているのと同じだと解釈することも出来るわけで。なれば、ダンジョンに行く以外に鍛錬の手段もあまりないわけで。

 

「すぐに準備します」

「おう」

 

 逸る気持ちが抑えられない子供のように――実際十一歳なのだから適切である――早足で自室に戻っていく彼女を横目に、どうせそんなにかかりはしないだろうと見当を付け、玄関ホールで待つことにする。

 

 そこには既に五人の冒険者が集まっていた。

 

「ん、ベートも外出かい? リヴェリアが何か条件を付けたって聞いてたけど」

「なんだ、もう付添人が見付かったのか? 暫くは探索に出掛けられないだろうと踏んでの判断だったのだが」

「まぁな。つか俺にだけ言っておいてそっちこそお付きの者は居ねえのかよ」

「大した用事でも無い上、余り仰々しく街を闊歩するのも好きではないのでな。ダンジョンにもぐるわけでもあるまいし」

「団長ー、あたしもダンジョン行きたいんですけどー……。なんでベートやアイズには仕事ないの?」

「アイズはともかくベートじゃ交渉なんて出来るわけないでしょ。私たちがやらなきゃ誰がやるのよ」

「オイてめえ」

「ラウルがいるじゃん」

「俺一人じゃ団長の代わりは荷が重いっすよ……」

「お? 皆揃って何しとるんじゃ?」

「ちょうど出るタイミングが重なっただけだよ、唐突だけど留守を頼むね」

 

 小人族(パルゥム)の男性に、エルフの女性、アマゾネスの少女が二人、人間(ヒューマン)が一人。そこに狼人(ウェアウルフ)の少年とドワーフの男性が集まれば、そこはもう凄まじい空間になる。

 七人で、合計レベルは三十三。ほぼ全員が第一級冒険者であり、名実ともにこの都市の最強格の集団。

 

「あ、アイズ来た。早いなー」

「そういえば、そろそろ次の『大量発生(イレギュラー)』が起こってもおかしくない時期で、何となくそんな感じもするし、気を付けてね」

「今更『大量発生』なんて気を付けるまでもねぇよ。雑魚じゃねえんだ、楽に蹴散らせる」

「慢心はいかんぞ。そうさな、まあ先にギルドにでも寄っていくといいじゃろ」

「面倒くせぇ……」

「ちゃんとガレスの言うこと聞きなよバカ狼。アイズも後でこいつがちゃんとギルドから行ったか教えてね」

「……ん」

「じゃあ、行こうか」

 

 

 彼らも、そう遠くない未来において、この世界の主役となる。それだけの素質が、才能が、ここには集まっている。

 

 

 だが、彼らはまだ、この世界の行く末を、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四階層に辿り着いても、モンスターの出現頻度は上がり続け、常時敵影が確認できるような異常事態と至った。

 

 ここまでくると流石に気付くのか、それとも比較的プライドやレベルが高くない冒険者の割合が大きいからなのか、すれ違うようなパーティはもうない。

 もちろん、引き返してくれているのならいい、のだけれど。

 

 そうではなく、残念ながら()()()()()()()()者も、ちらほらと見受けられるようになってくる。当然だ、初心者御用達の安全圏と謳われていた四階層以上は前回の『大量発生(イレギュラー)』で初めてその侵略の対象となった。まだ警戒度が低くても不思議ではない。

 というか実際、『大量発生』を察知できるのは()()()()()()だけなので、警戒をしていたところでどうしようもない節があるし、せいぜい格上の相手を振り払い逃げる術を身につけておく、くらいしか。

 

「…………っ」

「まだ、慣れないっすか?」

 

 俺たちも一歩間違っていればそうなっていたかもしれない、そんな冒険者たちの無惨な姿を、俺は直視することができない。

 現世で見た人間の死体は、親族の葬式での、綺麗に棺桶に収められたところくらいで。道端に、しかも血塗れで、あまつさえ捕食され欠損しているようなものに、耐性があるわけもなく。

 

 今までもそういった屍を目にすることがなかったわけではない、しかしそれほど間をおかずに幾度も幾度も目撃していれば、考えるなという方が土台無理な話であって。

 小説や漫画などで多少の死亡描写は目にしてきたものの、やはり創作(フィクション)現実(リアル)の間には大きな懸隔がある。

 それに、濃く、強い死臭が鼻を突いて止まない。吐き気を催させるそれらはモンスターたちのそれよりずっと粘り気があって、嫌な感じがして、この光景が現実のものであると、明確に認識させてくる。

 戦争や人死になんかとはほぼ無縁な世の中で生きてきた俺には、この短期間で慣れることは、とてもじゃないが不可能だった。

 

「ちょっと、まだ、無理」

 

 込み上げてきそうなものを抑え、先を急ぐ。

 

 シーヴさんとアルベルティーヌさんはほとんど無反応で、トルドは苦い顔で、幾つもの遺体の横を通り過ぎてゆく。

 みんなは、どれくらいで慣れたのだろうか。いつから内臓をぶちまけ事切れている様子を日常茶飯事だと捉えるようになったのだろうか。そういった常識に染められて、どうして普通に生活が出来ているのだろうか。ただ麻痺しているだけなのか。わからない。

 

 異常、ではないか?

 

 それは、現代日本出身の俺だからこそ抱く疑問なのか、それともこの迷宮という空間自体が狂っているのか。

 どちらにせよ、馴染むには、まだかかりそうだ。

 

「ツカサは、冒険者になってからどれくらい?」

 

 不意に、パンテオンが横に並ぶ。彼は、冒険者だった肉塊一つ一つに、一瞬ながらも目を瞑り祈りを捧げていた。

「えっと、四ヶ月、くらいだ」

「それで、まだ慣れないのか」

 

 顎に手を当て、少し考え込むパンテオン。そんな細かい動作からもイケメンオーラが出るあたり、こんな状況でなかったら小一時間ほど自分の存在意義について考えてしまいそうだ。

 

 同じく、トルドも思考に沈むのを受け、途端に心配というか、不安になる。

 

「やっぱり向いてない、のかな?」

「あ、いや、そんなことはないよ。むしろ逆だ」

 

「逆?」

 

 トルドは五年、シーヴさんは八年。おそらく二人と同等の経験を持っているパンテオンたちに対して、俺は圧倒的にキャリアが短い。

 それだけ長く続けるにはグロテスクでスプラッタなモノへの慣れ及び耐性が必要、だと思ったのだが。

 

「毎日でももぐってるような人は、だいたい一ヶ月か一ヶ月半、遅くても二ヶ月くらいすれば慣れちゃうんすよ」

「慣れ、『ちゃう』とは」

「慣れも行き過ぎると悪影響、ってことっす。早いと危険でもあるんすよ」

「それこそ冒険者になる前から戦闘漬けとか、生まれたときから冒険者で、物心付いたときにはもう剣を握っていた、くらいまでいくと問題はないんだけどね」

「清々しいほどに振り切れてるのは別として。例えばボクみたいな、普通の農民がこの殺伐とした世界に足を踏み入れるとき、そこにはもちろん大きなカルチャーギャップがあるっすよね?」

 

 のどかな農村で畑を耕していた奴が、いきなり剣持って化け物共と殺し合う生活に順応できるか、と言われても想像がつかない。まあ常識的に考えると難しいよね、というのはわかる。

 よほどアレな人格をしているか、相当適応力が高いか、の話、ではないようだが。

 

「多くの人はその違いに戸惑って、混乱して、耐え切れなくなる。無論耐え切れる人が冒険者として生き残っていくわけなんすけど」

 

 俺自身そこまで抵抗を感じていなかったから失念していたが、当然、冒険者に()()()()()()()()()()()()人もいる。

 モンスターにやられトラウマを持ってしまう、などということとは異なり、最初からその違いを受け止め切れず、スタートラインにすら立てなかった人も存在するのだ。

 

「そこから繋がる道はいくつかあるっすけど。大枠で分けると、死ぬか、諦めるか、続けるか、ってとこっすかね」

「続けられる、もんなのか?」

「られる、られない、っていうか。続けざるを得ない、って感じっすね」

「?」

 

 横道への警戒のため、他所を向いたトルドの代わりに、パンテオンが言葉を継ぐ。

 

「耐えきれなくなった心が選ぶのは二つに一つ。折れるか、麻痺するか、だよ」

 

 また、通路の端に追いやられている骸が一つ、俺たちの視界の隅を流れてゆく。

 ここに至るまでの何かが違うもので、もしかしたら俺も、ああなっていたかもしれないと思うと、背筋に冷たいものが滑る。

 

「それで。慣れるのと、麻痺するのは、全くもって別物だけど。感覚的には同じように思えることもあるんだ」

 

 なんとなく、わかる気がする。

 

 何かが「当たり前」だと思うようなことが「慣れ」だとしたなら。「麻痺」は極限状態を描く創作作品において、登場人物が「狂う」のと同じようなもので。自分は正常だと思い込みつつ、確かにズレているような。

 

 どちらにせよ、地獄だ。

 至極平和な日本国で生まれ育った身()()()()

 

「「慣れ」も十分怖いんすけど。どのみち避けなきゃいけないのは、死を恐れなくなることっす」

「ああ……」

 

 やはり、問題はそこに帰着する。

 前にトルドが言っていたように、恐怖を親しい友人のように感じられるようになっても。それは俺たちにとって忌むべきものであることに変わりはないのだ。

 

「だから、多分まだ「慣れ」ても、「麻痺」してもいないだろうツカサは、覚えておいてほしいんすよ。こんなことを言うのは珍しいんすけどね」

 

 俺が、この世界の常識に染められることなくここに立っているのは、果たして幸か不幸か、そして何故なのか。

 

 

 それについて考える時間は、どうやら与えられないようで。

 

「おう――」

 

 返事を返しながら、なんともなしに、横道に目を遣っていた、ところ。

 

 ちょうど、直線が続く通路だったのか、随分と奥の方に、ひしめくモンスターたちが見えて。もう「波」はすぐ近くまで迫ってきている、ということを考えるより前に。

 

 

 

 その更に奥で、()()()()()()()何かが、ちらりと揺れた。

 

 

 

 同時に、パンテオンのその長い耳が、動いて。

 

 

「「待った!」」

 

 

 気付けば、共に叫んでいた。

 

「⁉︎ ど、どうしたっすか⁉︎」

「此の期に及んで、奥へ進もうとする冒険者でも?」

 

 一行の進撃が止まり、トルドとアルベルティーヌさんは驚きながら、シーヴさんは煩わしそうに振り向き無言で駆け寄ってくる。

 

 集合するより早く、パンテオンと視線を交わす。

 

「確証は、ないんですけど」

 

 この、テンプレートな主人公のような人間である冒険者は、柄の悪い奴らも、初対面の人でも、悪人ですらも。誰彼構わず危機に陥っているのなら助けずにはいられない、そんな、純粋な志を持った主役気質の青年で。原作から例えるなら、性格で言えばベル君か。

 

 まあそれは一旦脇に置いておいて。彼がその流儀を貫くのは自由である、しかし、さっきの今で、また同じようなことを言わせるのは得策ではない。

 優しい勇者は、正しく正義であるべきだ。

 

「この、通路の奥に、誰かがいました」

 

「…………」

 

 パンテオンだけでなく、俺まで皆に制止をかけたことで、俺に注目が集まり、シーヴさんの訝しみが一層強くなる。威圧感が半端ないんですけど。

 

「髪しか見えなかった、ですけど」

「遺品を奪ったモンスターとかの見間違いとか、そういう可能性はないっすか」

「いや……」

 

 不思議なことに、俺には妙な自信があった。

 

 あの燃えるような紅色に、起こるべくして起こるであろう何かの前兆を、感じ取っていた。

 

 

「イネフ・マクレガー、さん、だと、思う」

 

 

 特に迷うこともなく、俺はその名を口にする。

 

 それは、竃の女神が治める【ワクナ・ファミリア】所属の、赤髪の青年。前回の『大量発生』の際、共に被災したカテリーナさんの同僚であり、俺からしてみれば、原作四巻登場キャラクター、「ヴェルフ・クロッゾ」に酷似した外見を持つ、この世界にとって異様な存在である人物。

 パンテオンとアルベルティーヌさん、トルドも前回の『大量発生』の時にか、面識はあったらしく、この場の、シーヴさんを除く全員が緊張に包まれる。

 

「本当に、イネフさんが見えたっすか?」

「……正直、わからない。でも、それっぽい感じではあった。多分、イネフさんだ」

 

 もう一度その横道に目を向けるも、既にモンスターの「波」が遠くに見えるだけで。

 

 時間はない。こうしている間にも正規ルートであるこの道が呑み込まれる危険性すらある。

 知り合いかもしれない人がいたかもしれない、ではそうだとして、一体どうするというのか? 一分一秒を争うこの場において、どういった対応を選び、行動するのか、素早く決めなければ。

 俺が、次の言葉を決めかねていると。

 

「僕も、聞いた。一人分じゃない、イネフさんらしき男の人の声と、確か、カテリーナさん、の、声を」

 

 パンテオンから、思わぬ発言が飛び出す。

 

 カテリーナさん、は、同じく【ワクナ・ファミリア】所属の冒険者。原作二巻登場キャラクター、リリルカ・アーデに酷似した外見と、内田真礼さんに酷似した声を持つ、前回の『大量発生』のときの俺たちを助けてくれた女性で。

 見ず知らずならいざ知らず、しかし既知、しかも命の恩人までいるかもしれないとなれば――無論イネフさんだけだったとしても――その可能性が少しでも高まるだけで、意識は一気に傾く。

 ただ、元から俺の中で決まっていた結論を、()()()()()と感じていた行動を。言葉にして表すだけの行為に、何の躊躇が生じようか。

 

 ここで俺が言うべきことなど、最初から一つしかない。

 

 

「……助けよう。もしその二人だけなら、「波」を突破するのは困難なはずだ」

 

 

 俺の中で何かが弾け、全身に広がっていく。

 

 前回の結果より、おそらく二人ともLv.1。俺とトルドが特攻しようとした時より激しいものに、下級冒険者が打ち勝てるとは思えない。

 俺の言葉に、トルド、パンテオン、アルベルティーヌさんの三人は一層、真剣味を強くする。言わずとも同じ見解であることを示してくれる。

 

 

「ツカサ」

 

 

 一人、シーヴさんを、除いて。

 

 眉を顰め、反対の意を表明する彼女は、決して間違っていない。

 己の安全を最優先するのが英断であって常識。他人を助ける、なんてことは余程余裕のある者だけが行えるエゴに過ぎない。ましてや助ける側の人間は相当の困難を強いられる、軽々しく出来ることではないし、してはいけない。

 

 そんな苦難を、シーヴさんはいつも背負ってくれていた。

 俺たちが死なないよう見守り、手助けし、時には直接介入し、俺たちの生命を護ってくれていた。助けてくれていた。彼女が選択するのは、仲間が死なない、仲間を死なせない道だ。

 今だってそうだ。前回とは状況が違う、パンテオンだけではLv.1の俺たち三人がスムーズに脱出までいけるかはわからない。彼女がいたからここまで順調に来られたのだし、このままシーヴさんに頼っていけ

ば楽に帰還することも出来るだろう。

【カーラ・ファミリア】団長として、団員を守る責任がある立場にいることによって、彼女は保護者として弱者を守り続けてきた。

 

 だからこそ、彼女は。人を助けるということが、その生命を背にし盾になるという行為が、どのようなものか、よく知っている。

 

「――それは」

 

 彼女は、俺たちが如何に無茶で無謀なことをしようとしているか、わかっていて。俺たちを想うからこそ、諌めてくれている。

 

「それは、『すべき』こと? それとも、しなければ『ならない』こと? わたしたちの帰還を押してでも?」

 

 何故、ここまできて。彼女はそう、問いかける。

 

 言葉は飾り気がなく、固く、鋭い。でも、しっかりと暖かい。

 

 

「俺は、「助けたい」と、思いました」

 

 

 正直なところ、俺は「すべき」だと考えている。この世界に、俺がここに来たことに、何か関係があるんじゃないか、繋がっているんじゃないか、と。

 

 もちろん、普通に助けたいという気持ちもある。しかし、彼ら、原作キャラによく似た人たちに対しては関わるべきだ、という気持ちの方が強い。

 俺があまりに弱いせいで、立たなかったフラグ、分岐する余地すらなかったルートも、あるのかもしれない。そう思うと、この『出来事(イベント)』を逃してはならない気がするのだ。

 

 だが、今それを正直に告白するわけにもいかない。俺は、まだまだ、この世界について、知らないことが多すぎる。

 となれば、必要となるのは先ほどのような諍いを回避しつつ、確実に救出へ向かうようにする策。誰かが死ぬ展開は有り得ない、俺も、トルドもシーヴさんもパンテオンもアルベルティーヌさんもイネフさんもカテリーナさんも、全員まとめて助かる未来だけが、求めていいものだ。

 

 差し当たって、自分の本心は隠したままで、しかし嘘はつかずに、この場の意思決定を操る方法は。

 

「俺だって、そりゃあ安全に生きて帰りたいですよ。早く地上に出てギルドに報告でもして本拠に戻って風呂入って今日こんなことがあったんですよーってヒルダさんと話でもしながら飯食って寝たいですよ。死にたくないなんて当たり前じゃないですか」

「……………………」

 

「でも、やっぱりそれだけじゃ納得出来なくて、後味が悪くなる俺がいると思うんです」

 

 既に、皆の腹はもう決まっていると、感じ取ることができる。

 そちらを見ずとも分かる、間違いなくパンテオンは助けに行くだろう。シーヴさんに咎められてから逆走する冒険者と出会っていないので、結局、彼は全ての人を救おうと行動を起こしたことになる。そのスタンスが今更揺らぐことはないと、俺でもわかる。なんだかんだ言ってアルベルティーヌさんも彼に付いていくだろう。彼女も、パンテオンと志を同じくしているということが、その節々から読み取れる。ただ、彼の行動力が少しありすぎるだけで。

 

「……すいません、ボクも、同じっす。見知らぬ他人ならまだしも、ボクらを助けてくれた人を見殺しにした、かもしれない、ってだけで、きっと夢見が悪くなる」

 

 そしてトルドはいい奴だ。ましてや前回、俺たちを助けてくれたカテリーナさんに対して、見捨てる等、しようとするはずもない。

 もう定まりつつある、この雰囲気を、使う。

 

「あの流れを逆走して、辿り着けても」

 

 わたしたちじゃあ、戻って来られるかどうか、わからないのに。と。シーヴさんはその憂慮すべき不確定要素に言及する。

 

 上層だとしても、その密度と勢いに呑まれたらLv.3でも厳しいモンスターの「波」。今はまだそれほどの規模でもないが、救出に向かった帰り道に、どれほどまで激しくなっているかは不明で。そんな理不尽に、どうやって立ち向かうつもり? と。

 

「なので」

 

 彼らの優しさをいいように利用するみたいで悪い、シーヴさんの気遣いを踏み躙るようだ、なら逃げ道を探せばいい、誰もが望むところへ導けばいい。

 彼らは救出を、彼女は全員の命の保障を。

 

 

 俺は――。

 

 

「シーヴさんは先に地上に戻って、応援を呼んできてくれませんか。この『大量発生』が上に伝わっているなら、すぐ救出部隊が組まれるはずです。その先導をしてほしい……」

 

 ここでシーヴさんに懇願して、一緒についてきてもらったとしても、怪我人が出るかもしれないパーティを無事に送り届けることは、やはり難しい。

 だからここは、一人でも確実に脱出が出来る彼女に救援要請を委託、俺たちは食料庫(パントリー)で籠城でもして援軍を待つ、という作戦。

 

 決して、考えなしに突撃しようとしているわけではない、ということを、伝えたい。俺たちは「麻痺」していないのだと、訴えたい。その上で、協力を求めたい。

 

「……ん、ですけど、その、お願い、できますか」

 

 勝手なことを言っておいて、偉そうなことを述べておいて。結局シーヴさんの、優しさに縋る形には、なってしまうのだけれど。

 でも、今考え得る限り、俺の貧相な頭脳から導き出せるのはこれくらいだ。

 

 これで、世界(ルート)は変わるのか。これで物語(シナリオ)は進むのか。

 

「…………」

「烏滸がましいことだとは思います、が、非力な私共に、今一度御力添え、頂けませんでしょうか」

「ボクからも、お願い、します」

 

 シーヴさんは渋い顔をしながら、アルベルティーヌさん、パンテオン、トルドを順番に見、溜め息を一つ。

 

「……好きにして」

 

 これ以上の関与はしない、ではなく、引き受けてやるから早く行け、という旨の言葉少なな返答に、胸を撫で下ろすと共に、気を引き締める。

 これから、今までの比ではない、生死を賭けた戦闘へ赴くのだ。引率者も居らず、つまり自分たちだけでなんとかしなければならない、厳しい戦場へ。

 

 その獲物、正蛇を抜き放ち、身を翻しながら、狼の獣人は、ただ一言を残して行く。

 

 

「生き残って」

 

 

「……はい!」

 

 

 彼女が第三階層へと走り出すのと同時に、俺たちも、人影が見えた方角の食料庫へ向けて、全速力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくらシーヴさんが速かろうと、地上、ギルドまでの道のりを往復するとなると、やはり相当の時間がかかるだろう。

 

 その間に【ワクナ・ファミリア】所属と思われる二人を回収しつつこの階層の食料庫へ逃げ込み、文字通り持久戦を行い、さらなる救助が来るのをひたすらに待つ。誰一人欠けることなく、最も望ましい結末を迎える。

 

 そのためには、まず、勢いを増しつつあるモンスターの「波」を押し退け奥へ奥へと進む必要がある。次いでおそらく怪我を負っているだろう二人を庇いながら、開けた場所で敵を迎撃し続けることも。

 冷静に考えてみるとかなりきつい道のり、だが、少なくとも前者はそう難しいことでもない様だった。

 

「ほっ!」

 

 パンテオン・アブソリュートの拳が蛙型の化け物の顔面にめり込み、大きくひしゃげさせて突き飛ばす。

 

 頭部が潰れ、瀕死もいいところの蛙は結構な速度でモンスターの「波」に突っ込み、そのまま多くを巻き込みながら驀進、モーセを彷彿とさせる見事な道を作った。

 

 急いでその空白に体を捻じ込ませ、勇猛な特攻隊長の背中を追う。神話のものとは残念ながら状況が違い、左右から邪悪なる異形が襲いかかってくるのだ、遅れれば即ち死、あるのみ。

 

 蟻の化け物を三分割しながら、腹と肩に微妙に痛いダメージを負いつつ、紛らわすために口を開く。

 

「あと、どんぐらいだ⁉︎」

「ここを突き当たりまで直進したら右、少し行ったら左手に入り口! もう少しっす、頑張れ!」

「それ最後の最後でまるっきり逆流じゃないのか、大丈夫なのかコレ!」

「気合いだよツカサ!」

「解決になってねえけど⁉︎」

 

 十字路に出たところで、俺たちは()()から流れてくる大量のモンスターを受け流しながら進んでいた。

 どうにも数年前に流行った芸人の顔が浮かぶが、そんな場合でもない。受け流すと言っても、向かってくる奴らを斬りながら自分の隙間を確保しているだけのようなものだし、スペースがないので左になんか流せない。

 

 キラーアントの前脚だけを斬り落とし、バランスを崩したところを他の脚ももらっていく。上層では比較的大きいその体躯を転がせば、多少なりとも流れを割ることが出来る。

 

 息はとっくに上がっている、まるで余裕なんてない。

 

 

 脅威は敵の攻撃ではなく、数でもなく。その密度にあった。

 

 比喩でもなんでもなく、地面が見えない。

 

 この描写もどこかの即売会で学んだ覚えがあるが、あっちは相手が人間で、こっちはモンスターだ、気を遣って避けてくれるどころか、排除せんと迫ってくるわけで。

 

 一体を斬る間にも、脚に、腰に、腹に、背に肩に頭に。次々に夥しい量の攻撃が飛んでくる。逆に距離が近すぎるために威力こそ低いものの、まともに食らえば普通に痛い。絶えず身体を動かし、なんとか跳ね除け続ける必要があった。

 ついでにこのパーティは、徒手、刀、ナイフ、格闘術、と、かなり近接系に偏っている構成なので、リーチがない分余計につらい。本来盾のはずの俺が率先して切り込み役になっているほどだ。

 

「空いたよ! こっち敵少ない、急いで!」

 

 一人、大きな十字路を一足先に抜けたパンテオンが周りのモンスターを蹴散らしながら進路を確保してくれる。

 

 先にナイフ派の二人を行かせ、横合から伸びてきたウォーシャドウの腕を斬りとばす。その間にも脚に鈍い衝撃が伝わり、腕に裂傷が走って血が飛び散った。

 

 思うようにいかない。俺が斃す速度を、敵が寄せる速度が上回っている。

 

 

 もっとだ。

 

 これじゃ足りない。

 

 もっと、速く。

 

 

「く、っそ!」

 

 

「ツカサ!」

 

 何体かをまとめて薙ぐ。しかし、その死骸を踏み越え、すぐに次の「波」が迫ってくる。

 

 飛びかかってきたニードルラビットに対して防御しようとするも、トルドの腕に引かれ、体勢を崩しながら脇の通路に文字通り転がり込んだ。

 

「っぐ!」

 

 晴嵐が仲間を傷つけないように気を付けながら何回転か。俺たちはやっと、激しい「波」を抜けた。

 

 俺を追うように路を曲がってこようとするモンスターはパンテオンが寄せ付けない、だが案外にもその数は少なかった。

 

「大丈夫、っすか⁉︎」

「おう、すまん助かった。それより……」

 

 レッグホルスターから幸運にも割れていないポーションを取り出しつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

 そうするだけの、余裕があった。

 

 

 原因不明の『大量発生』によって形成されたと思われる、荒れ狂うモンスターの「波」。それは、食料庫へ続くこの道には、何故か勢いよく押し寄せて来ることがないようだった。

 

「モンスターが少ないっていうか、いない、っすね」

「私達より先行していた一団は、やはり振り返ることもせず、食料庫の方へ向かって行きました。戻って来ないという事は」

 

 食料庫が広いためにまだ流入する容積を残しているのか、()()()()()()()()()()()

 後者の場合は、十中八九、生存者が残っていることの表れとなる。俺が見、パンテオンが聞いたのは、ほぼ間違いなく、人間の存在証明だったということだ。

 

「準備はいい⁉︎ この分だと食料庫までモンスターはいない、一気に突っ込むよ!」

 

 裂けたレザーアーマーの下の傷にポーションを塗り、身体のどこも不具合を起こしていないことを確認し、晴嵐を構える。腹のところにもプロテクターが欲しいな。

 食料庫に進入すれば、もう後戻りはきかない。シーヴさんら救出部隊が突入してくるまで、ひたすら持ち堪えるしかない。相手にする量は、今パンテオンが抑えている分の数倍どころではなく、常に死と隣り合わせの戦闘となる。

 先ほどやっていた生肉防衛戦とは、似てはいるものの危険度は段違いで、セーフティもない。

 

 死が、現実味を帯びて、禍々しい牙を擡げ、俺たちを絡め取ろうと、巣食っている。今更、足が竦みそうにもなる。

 

「はい、行けます」

「いつでも行けるっすよ!」

 

 当然だ、俺はただの一般人だ。まだまだ冒険者になりたてのひよっこだ。そういって本当はすごい血筋を継いでいたり、とんでもない力を秘めていたり、いきなり覚醒したり、実は強キャラでした、なんてことはない。後付け設定は便利だが、誰にでも付くわけではないのだ。

 

 俺は弱い。単純な強さならこの場の三人に敵うはずもない。今だってこれから起こる戦闘を恐れている。死ぬかもしれない、それだけで足が地に縫いとめられてしまいそうだ。

 

 残念ながら俺は、カッコ良く強い、死を恐れず強敵や困難に立ち向えるような、ほんの少しの言葉だけで人の価値観や人生観すら変えてしまえるような、運命をも捻じ曲げ未来を切り拓き世界を救えるような、そんな主人公たちとは違う。

 

 

 それでも。

 

 

「大丈夫だ、行こう!」

 

 

 

 

 

 それでも、俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

         ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 速く。

 

 わたしの前を走る何か、ヒトじゃない何か、を、追い抜きざまに切り捨てる。

 

 早く。

 

 呼吸が乱れ、胸が弾む。全力で走るのなんて、何時ぶり。

 

 

 速く。

 

 

 また、何か、いや、あれはヒト。たくさん。邪魔。飛び越えて先へ。

 

 

 早く。

 

 

 あと少しで、地上、でも、足りない。ギルドまで。行かなきゃ。

 

 

 

 もっと、速く。

 

 

 

 こんなにも、迷宮から出たくないと思ったのは、初めてだ。戻りたくなった、のなんて、初めてだ。

 

 

 

 もっと、もっと早く。

 

 

 

 こんなことで友人、を、仲間、を、失うのはごめんだ。もう、御免、だ。

 

 

 

 

 

 もっと、もっと。もっともっと、はやく。

 

 

 

 

 

 始まりの道を駆け抜け、まだ入ってくる方が多い冒険者たちに奇異の目で見られながら、大穴の階段を三段飛ばしで飛び上がる。バベルを出、中央広場を一目散に走る。広い、走る、走る。北西のメインストリートに入る。何事かと驚く人混みを掻き分け、ギルド、へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ☆

 

 

 

 

 

 

 

 何でもない、いつもの昼下がりだった。

 

 別段差し迫った仕事もなく、対応すべき冒険者の姿も疎ら。窓口受付嬢もこっそりと欠伸を嚙み殺す時間帯。

 大半が休み(オフ)の人達の中、【ロキ・ファミリア】所属のアイズ・ヴァレンシュタインとベート・ローガは、色んな意味で衆目を集めては散らしていた。

 

「――そうですね、今日は『大量発生(イレギュラー)』は起こっていにゃいようです」

「そうか、それだけ確認できりゃいい」

「ですが、『勇者(ブレイバー)』がそう仰っていたにゃらば、やはり警戒すべきにゃのかも知れにゃいですね。前回の発生も三ヶ月ほど前ですし、いつ再発してもおかしくにゃい時期ですし」

「……どうでもいいんだが、その口調はなんとかならねぇのか」

「え、私、にゃにかおかしい所ございましたでしょうか?」

「…………」

 

 彼が率先してギルド受付嬢に話しかけること自体珍しいことだし、相手はマスコット的存在のナターシャだし、二人組で連れはアイズ・ヴァレンシュタインだし。

 

 窓口受付嬢、ノエル・ルミエールは、自分の喋り方の癖に気付かない同僚(先輩)と荒々しいことで知られる大手【ファミリア】の若手のやりとりをはらはらしながら見守っていた。

 ギルドロビーにいる人たちは皆、明らかに彼らの挙動に注目している、しかしまじまじと観察できるほど肝のすわった人物はいないようで。

 そりゃあ、彼だって一般常識くらい身につけているだろうし、あのヴァレン某もいるし、荒事にはならないとわかってはいるのだが。

 彼女はわざとやっているのではないのです、無意識なのです可愛いでしょう、可愛くないですか、とフォローを入れたく「――あの!」なる。

 

「あっ、はい!」

 

 狼と猫の獣人同士の会話に気を取られていたところを、突然の来訪者に引き戻されたノエルは、しかしノータイムで笑顔を作り、応対に入る。

 

「……っ、はっ……、えっと……、っ」

 

「お、落ち着いてください」

 

 走ってきたのだろうか、息を切らし訪ねてきたのは、極上の美少女、いや、女神。

 

 ここで神に応じるのは初めてで、しかも何か急を要しそうな話が飛び込んで来そうで、ノエルの身体は自然と、不自然に強張った。

 艶やかに輝く濡羽色の頭髪も、激しく上下する薄い肩も、羨ましいほど完璧な体型も、子供から大人への移り変わりの最も美しい瞬間を永遠へ切り取ったような容姿も、その中で燦然と煌く天色の瞳も。彼女がこの世の理を超えた『超越存在(デウスデア)』であることを猛烈に主張している。

 

 ノエルはその女神を、最近何かで見たことがあった気がした、しかしそう簡単に出てはこない。

 

 少しして、まだ整わない呼吸で、額には玉の汗を浮かべながらも、女神は再び口を開く。

 

「今日、何か物騒な、物事は起こっていませんか⁉︎ オラリオでも、ダンジョン、でも! 殺人とか、事故とか、『大量発生』とか! これから、起こりそうなこと、とか……!」

「ええと、本日はダンジョン内には、事件性が高い案件も、災害的な事も、報告はありませんね。オラリオ内となると……」

 

 その懸命さたるや。事情を何一つ理解していなくとも切迫感が嫌という程に伝わってくる。

 しかし後方のデスクに置いてある紙に素早く目を通すも、めぼしいものどころか、今日の事物自体がほとんど載っていない。

 朝からここにいても、この時間までには都市全体に関する情報は大して入ってこない。大抵は冒険者たちが帰ってくる夕方から夜にかけて、その日()()()事柄を受け取る形なので、新鮮さにおいてはギルドはそこらの情報屋に劣る。

 

「捜索願が一週間前に一つ、五日前に二つ、二日前に一つ出されており、五日前のものはどちらも本日に解決、一週間前のものは捜索打ち切り、二日前のものは今だ続けられておりますが、他に目ぼしいものは……」

 

 残念ながら、とノエルが口にしようとしたところ、いつの間にか麗しき女神の横に立っていた、緑色のフードの女性がすっと紙束を差し出してくる。

 

「北東の職人通りで派手な喧嘩が一件、南西の方で強盗が二件と南の方で小競り合いが少々。あとはそれほど大きなものはありませんでした」

 

 そこには【アストレア・ファミリア】のエンブレムと、今日起こった物事が列挙、詳細までが克明に記載されていた。

 

 それに、今度は、その凛々しい声と尖った耳、整った容姿を、ノエルは知っていた。

 

「リオン様。情報提供、感謝します」

「いえ、いつもの事ですので」

 

 丁重にそうことわった上で、彼女は困惑ぎみに感じられる女神の眼を覗き込む。

 

「喧嘩の件で槌を食らった職人が重症ですが、総合して直接的な死者はまだ確認出来ていません。何か、トラブルでも?」

「そうなんですけど、そうじゃなくて。何か、起こっていないなら、起こらないならいいけれど、これから何かが起こるかもしれなくて――」

 

 

 ノエルは、ふと、ギルドホールの出入り口に飛び込んで来た誰かに、気が付いた。

 

 

 

『――――!』

 

 

 

 刹那のうちに、空気が明白に切り替わる。何でもなかったはずの一日がそこで終わりを告げ、不確かな『何か』へと、変化する。

 

 女神が、何かを言い切る前に。

 

 その瞬間、何故か、ギルド内外、周辺にいた人物の視線及び注目が、ただ一点に集められた。

 

 五感的には、そこまで特異な光景でもない。

 

 しかし、そこにいた全員は、皆、何かを直感的に、その身に感じ取った。

 

 

 入って来たのは、長い髪をぼさぼさに乱れさせ、血に塗れた和装を身に付け、先ほどのこの女神よりもずっと呼吸を荒げた、一人の狼の獣人、の、女性。

 

 

 たった、一拍。その僅かな空白の後に。

 

 

 

 

 

 誰もが、全てを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 食料庫(パントリー)は、想像以上に地獄絵図だった。

 

 緑色の石英が照らす、巨大な地下空間は、その空間は。本来なら大空洞と称される階層最深部は、確かにあった。俺たちが入ってきた入口もなかなかに高い位置にあったが、異様に高いその天井はさらに上。ここが地下深くであることを思わず忘れてしまうほどの大容量。

 

 そう、そこは確かに広かった。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

 サッカーの公式試合が出来るコートを何面もとれるほどに広いはずのそこは、見渡す限り化け物(モンスター)異形(モンスター)怪物(モンスター)。しかも「波」とは違い、その動きに指向性はなく、個別に動き回っているため、まるで地面そのものが蠢いているような錯覚すら起こさせる。

 

 モンスターハウスなどという表現が生易しく聞こえる大軍勢。絶望が、塊を成していた。

 

「っ、どこだ……⁉︎」

 

 背後からも「波」が押し寄せてきているため、猶予はあまりないが、無策に飛び込むわけにもいかない。

 

 この中にいるはずの生存者を見つけ出さなければ、ここまで来た意味がない。眼下に映る「海」を見渡し遭難者を探す。

 

「所々盛り上がってる辺りがある、多分その内のどれか、っすけど」

「でも、ざっと十ヶ所以上あるぞ!」

 

 人間に群がっているために作られた盛り上がりだけではないだろう、その人間が死者の可能性もあるし、見ていれば、ただモンスターがぶつかり合って一時的に縦に重なっているために成っている所、もあることもわかるし、地面が隆起しているだけの場合も多々あると思われる。

 

 一つ一つ調べる余裕はない。一度飛び降りればもう場所の確認はできないし、何よりこの量のモンスターを掻き分けて進むのは至難の技だ。

 しかし、じっくりと見比べ判断する時間もない。今もきっと、イネフさんとカテリーナさんは死の淵で戦っている。

 

 焦るな。

 

「まるで区別が、付きません……!」

 

 冷静に。

 

「この騒がしさじゃあ、声も聞こえないっ」

 

 素早く。

 

「まずい、もう「波」が来るっす!」

 

 確実に。

 

「っ、こんなの、どうやって――」

 

 ――いや。

 

 俺たちが、今すべきことは、【ワクナ・ファミリア】の二人を()()()()()()()じゃ、ない。

 

 そうだ、闇雲に探しても海難者はそう簡単には見つからない。

 

 逆だ。

 

 例えば現世の映画などで、こういう時に生き残ることができた人物たちは、何をしていた? 「見つけてもらう為に」何をした?

 

 

 息を吸う。仄かに熱を帯びた空気を、肺いっぱいに取り込む。

 

 俺は、あの笛を吹き居場所を報せるシーンが、やけに印象的に、記憶に残っていた。

 

 

 

「助けにっ! 来たぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 

『!』

 

 

 

 大きく吸って、もう一度。

 全力で。

 

 

 

「場所をっ! 教えてくれええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 

 叫ぶ。

 

 大きな食料庫に、これでもかというほど張った俺の声が響き渡り、こちらに気付いたモンスターたちが這い寄ってくる。でも、どのみち時間はないんだ、関係ない。

 三人は一瞬だけ驚いた様子を見せたものの、直ぐに声を出さず、耳を澄まし、目を凝らし、相手側からの返事を、待つ。

 

 四方八方から襲い来る凄まじい喧騒の中、俺たちはただ無音の世界にいた。

 

 暫しの静寂を、経て。

 

 

『――――ッ!』

 

 

 聞こえてきたのは、イネフ・マクレガーさんと思われる男の声、そして。

 

 中央付近のモンスターの塊が、この空間の全ての音を無理矢理に掻き消すほどの破裂音を轟かせ、勢いよく爆散した。

 

 

「見つ、けた……!」

 

 

 鼓膜が破れるかと思うほど激しい空気の振動をまともに受けてなお、瞬間、動けたのはトルド・フリュクベリただ一人だった。

 

 音もなく飛び降り、直下の敵を()()()進む。

 

 俺たちも、モンスターたちも。突如巻き起こった爆音に面食らい、硬直する。そんな中、彼だけが固まるモンスターたちを踏み付け、因幡の白兎の如く、疾走していく。

 

 爆心地は血肉が降り注ぐ空白地帯となっており、精神力(マインド)を使い切ったのか、倒れゆくイネフさんと、キラーアントに組み敷かれ、今にも首を掻き切られそうなカテリーナさんの姿が、覗けた。

 

 

「【集え、循環せし無限の生命】!」

 

 

 数瞬遅れて、パンテオンが飛び降りる。その拳は光の粒子を帯び、逆巻く風を纏い、武器と成る。

 

 あの時の、魔法か?

 

「俺も――」

「駄目です!」

 

 続こうとするも、アルベルティーヌさんに腕を掴まれ仰け反った。はっとして下を見下ろすと、既にモンスターたちは動き出している。

 

『グギャアァァァァァァァァァァァ!』

 

 奴らの意識が完全にこちらに向いている今、飛び降りれば恰好の餌食となってしまう。

 

「――【荒れ狂え】!」

 

 Lv.2であるパンテオン以外は。

 

 

「【ウェントゥス・ウェルテクス】!」

 

 

 地面、及びそれを埋め尽くすモンスターたちの頭上で、パンテオンの拳から、風――圧縮された空気の奔流――が、放たれる。

 

『――――!』

 

 彼がした動作は、腕を振るう、ただそれだけ。

 

 しかし確かに魔法が込められたその一撃は、想像を遥かに超える威力を内包した暴風を、撒き散らした。

 文字通り着地狩りを行おうと待ち構えていたモンスターたちは、逆に彼の腕の振りが放つ殺人的な風圧を食らうことになり、圧し潰され、身体を抉られ、四肢をもぎとられ、ただの肉塊になり吹き飛ばされる。

 そこにいた数十体の生物は、一体残らず惨殺され、その血肉すらも強風に運ばれ、存在の痕跡からして跡形もなく消し去られる。

 

 時間にして僅か数秒にも満たない虐殺が引いて、残されたのは地面が描く曲面のみ。パワーキャラのパフォーマンスとしてよく使われる、地面クレーターによく似た更地を、俺は初めて見た。

 

 

 圧倒的。だった。

 

 

「行きますよ!」

 

 アルベルティーヌさんと共に、パンテオンが作った半径十M(メドル)ほどのスペースへと、飛び降りる。

 

 落ちながら、もう一度【ワクナ・ファミリア】の二人がいる方へ目を遣ると、トルドが、イネフさんを脇に抱えながら、カテリーナさんを押さえつけていたキラーアントの魔石を砕くところだった。

 

 彼が先行したお陰でぎりぎり間に合った形だが、人二人分の体重を肩代わりしながら、両手を塞がれた状態で、全方位から襲い掛かってくるモンスターを撃滅するのは不可能だ。絶体絶命な状況に変わりはない、早く駆けつけなければ、トルドまでやられてしまう。

 しかし、有効な手段を持たない俺は、パンテオンが道を切り拓く様をただ見ているだけしか出来ない。

 

 自分の無力が、改めて、心の底から恨めしい。

 

「【集え、循環せし無限の生命】!」

 

 俺たちが着地する前に、パンテオンはもう一度、詠唱を始める。

 だがその魔法では効果範囲が不確定だろう、先のは地面に打ったからある程度抑えられていたものの、トルドたちの方へ放てば、彼らまで巻き込んでしまう可能性もあるのではないか?

 

「――【吹き抜け】」

 

 なんて、俺の浅はかな考えは即座に打ち砕かれる。

 

 

「【ウェントュス・トルレンス】!」

 

 

 今度は真っ直ぐ水平に突き出された正拳突きから、確固とした指向性を持った突風が、彼の腕の延長直線上のモンスターを、まとめて吹き飛ばす。

 

 本来同系統同士のはずの風が突風となって空気すら引き裂き突き進むそれは、まるで災害。

 

 しっかりとトルドたちがいる地点の直近を通り、空間ごと向こう側の壁まで圧し退けたその魔法が残したのは、先ほどよりずっと大きな、直径五Mほどの「道」と、壁の真っ赤な染み。

 

「ついてきて!」

 

 特に何かを交わすこともなく。晴嵐を抜刀し、振り返らず走るパンテオンの後を付いていく。

 

 

 次元が、違う。

 

 

 なんだこれは。魔法って、こんなにすごいものなのか。奥義、切り札、最終兵器、などでもなく、なんでもない風に連発していいものなのか。あれだけの短い詠唱だけで、たった数秒に満たない僅かな時間で。ここまでの威力が出るものなのか。

 

 いや、さすがにそれはない。

 どう考えても、今の一撃は、ベル君が黒ゴライアス戦で放った三分(フルチャージ)ファイアボルトと同等か、それ以上。飽くまでアニメの演出上のものしか知り得ていないが、実際にあの規模ならば、確実に上回っている。

 たまたまエルフだろうパンテオンの魔法が強いだけなのか、本当は原作五巻の戦いの方がずっと熾烈なのか、はたまた。

 

 この優しき勇者が、「主人公格」、であるとか。

 

 一体、なんだっていうんだ。

 いや、気にしても仕方がない。

 気持ちを切り替えて、引き締めていこう。もとから割と締まってるけど、千切れない範囲のぎりぎりまで。

 

 

 食料庫の地面を埋め尽くして、気持ち悪いくらいいたモンスターたちは、パンテオンの魔法二回で五分の一程度が灰と化して、真夏の市民プールに匹敵されるまでには密度を縮小させている。

 とはいえ、現在進行形でまだまだモンスターは侵入してきている、彼の魔法が如何に強力だとしても、楽観的になれる状況でもない。

 俺たちを呑み込みにかかる有象無象を斬り捨て、圧倒的劣勢に立たされているだろうトルドの元まで、急ぐ。

 

 いつになくやけに遠く感じる、第四階層食料庫中央部付近が、今回の最後の戦場だ。勝利条件は、シーヴさん率いる救出部隊到着までここにいる計六人の生存を保つこと。

 

「はっ!」

 

 パンテオンがウォーシャドウとキラーアントを立て続けに殴って押し退け、最後の壁を砕く。

 

 そこは、モンスターが取り囲む、人工のリングだった。何故か一気に迫っては来ないのは、先ほどの大爆発を警戒している、からか。

 色は赤。鮮やかなものではない、どす黒い、生理的嫌悪を催すような赤。それが様々な肉片と協力して地面にいびつな円を描いている様は、不快を通り越していっそ滑稽にも感じられる。

 

 先の爆発に依って形成された半径約十二、三Mほどもあるだろうその空間に、俺たちは勢いよく突入、悪臭に顔を顰めながら、見回すと。

 

 俺たちが捜し求めていた二つの身体は、ちょうど中央付近の紅に跳ねて飛沫を散らした。

 

 そして。

 

「……!」

 

 もう死の淵に瀕しているだろう二人を文字どおり負担しながら孤軍奮闘していた勇敢なる闘士は。

 

 片脚を踏み潰されながら力無く地に伏しており。

 

 その胸部に、鋭い鉤爪が、振り、降ろさ

 

 

「――あ”ぁッ!」

 

 

 気付けば、薄い刃が、昆虫類特有の節足を、六本全て斬り飛ばしていた。

 

 踏み込みは特段大きく。振り切った後の体勢は極端に前傾。残心もなく、次の動きへのイメージは皆無。刀の使い手としては落第もいいところ。

 七、八Mほどあった距離をどう縮めたのかもわからないし、晴嵐をどう振るったのかも記憶にない、こんなに型が崩れて何故ちゃんと斬れたのか、それは晴嵐の性能か。しかし兎に角、疑問は次々と湧き出で積もる、けれど。

 

 

 不思議と、俺の中で、何かがかっちりと噛み合った気が、した。

 

 

「はぁっ!」

 

 全ての脚を失くし、何も出来ず倒れてくるキラーアントを、その硬殻を、パンテオンの右脚のボレーが弾き飛ばす。相変わらず一挙手一投足が豪快だ。

 

 素早くトルドの状態を確認、乗られていた右脚の何ヶ所かに骨折、左脚の大腿部に大きな裂傷。右腕に浅い切り傷が複数、左腕には上腕二頭筋辺りに尖った何かが突き刺さっていて、後頭部からは流血、肩と脇腹に鋭い刺突跡、打撲やらは数え切れない。

 でも、生きている。ちゃんと呼吸は繰り返されている。気絶しているだけだ。

 

「ツカサ」

「大丈夫だ」

 

 俺がパンテオンに返した言葉は、何に対してのものなのか、俺自身わからなかった。

 

 そう言わなければいけないと思った。

 

 

 頭を揺らさないように気を付けてトルドを担ぎ、趣味の悪いリングの中央へ退却する。モンスターたちの包囲が、狭まってきている。

 完全に気を失っているカテリーナさん、とにかく怪我が酷いトルドに対し、イネフさんは主に精神力切れだけだったようで、彼は既に立ち上がり、大剣を携え己の意思を示していた。

 

 言葉など必要ない。俺たちは一度だけ視線を交錯させ、目的を共有する。

 

 俺、パンテオン、アルベルティーヌさん、イネフさんの計四人で、トルド、カテリーナさんを護りつつモンスターを迎撃、しばらく持ち堪える。

 

 しかし、ここで一つの問題が生じる、はずだった。

 道中、トルドを含む四人で話し合って決めた陣形はいわゆる楕円。Lv.2のパンテオンとLv.1でも経験豊富なトルドを長軸端に、防御主体の俺とアルベルティーヌさんを短軸端に、被害者二名を中央に。インファイト中心の二人が広範囲で暴れ、俺たちが残りを殲滅する、そういう作戦になっていた。

 だが現時点でトルドは戦闘不能、消耗しているイネフさんが代わりに四人目となっているような臨時のパーティで、同じことが出来るかと言えば、難しい。

 かといってパンテオン一人に任せきって三人で防衛、というのも彼の負担が大きすぎるし、何よりさっきの生肉防衛戦での経験から、長時間の耐久性に不安が残る。

 

 何度も繰り返し逆説を用いるが、ここで再び、しかし。しかしだ。

 

 飽くまでその問題は、生じる()()だった。というより、トルドが飛び出していった時から、もうどうするかは、俺の中で決まっていた。

 

「お、俺が、や」

 ぐっ。

 

 俺がやる、と言いたかったのだが。こんな短いフレーズで二回も噛むとかどうなってんだ。

 

 そうだよ緊張してんだ。怯えてんだ、恐れてんだ怖がってんだ。死ぬのが嫌なんだ。でもこれは俺が、俺自身が決めたことなんだ、今、こいつらとここにいるのは他でもない俺の意思なんだ。

 

 

 俺がパンテオンと対になって戦う。

 

 トルドをカテリーナさんの側に横たえ、間髪入れずに真後ろへ加速、振り返りざまにウォーシャドウを斬り捨てる。

 

 止める、もしくは異を唱える者はいなかった。

 そうするしかないのもわかる、俺では不安だろう、それもわかる、俺だって不安だ。冒険者始めて四ヶ月ちょっと、経験も少ない俺なんかに任せて大丈夫なのか、とは俺でも思う。

 俺の過失は即座に全員に還元され、死でもって償われることになるだろう、失敗は許されない。

 

「お願いします」

「すまん、頼んだ」

 

 そんなことはわかっている。ダンジョンにもぐる以上、失敗など元から許されていない。シーヴさんからちゃんと教わった。彼女の教えはしっかり俺の胸に刻まれている。

 

 ならば、俺がするべきことは。

 

 

 生き残ること、他の仲間を守ること、敗北の未来を力づくで捩じ曲げること。

 

 

 ちょうどいい位置にいたゴブリンを「海」の方へ蹴り、その足で大きく踏み込み、右薙ぎ。横並びだったフロッグ・シューター、コボルト、コボルト、ウォーシャドウ、をまとめて葬る。

 

 五人から一足先に離れ、俺は俺だけのリングの上に立つ。

 

 もう戻れない、戻らない。

 

「任せたよ、ツカサ!」

 

 後方から、パンテオンの声が飛んでくる。振り返らない。

 

 眼前には数百じゃあきかない絶望的物量のモンスターの「海」。俺を、俺たちを呑み込もうと押し寄せてくるそれと、対峙する。

 

 腕が震える。脚が震える。最大限気を張っていないとすぐに崩れ落ちてしまいそうだ。

 俺はトルドほど強くない、トルドの代わりは務められない。俺はパンテオンほど強くない、自力で他人を助けられない。俺は弱い。

 

 キラーアントの鉤爪を、腰を低く落とすだけで避け、上げる動作で斬り上げる。そこから方向転換しつつもう一体のキラーアントに袈裟斬り、しかし硬殻に阻まれる。

 

「ッ!」

 

 身体が強張る。全ての動作が停止し、思考すらも凍り付く――

 

「【勇気ある者に祝福を】!」

 

 パンテオンの声が、俺の身体を包む。比喩でもなんでもなく、その言葉から力を受けた俺の腕は勝手に動き出し、晴嵐はそのまま硬殻を斬り裂いた。

 

 正気に戻れ。大丈夫だ。思い出せ。

 魔法か、スキルか。どっちでもいい。まだ発動していなくとも、俺が対象でなくとも、それだけで俺は俺を強く持てる。

 

 転生でもトリップでも、少なくとも何か特有の能力やらを貰えないことに、随分と戸惑ったものだ。そういったものを活用して活躍するのではないのか、と。チートじゃなくてもいいから、何かが欲しかったものだ。こうして援護してもらわなければ多分すぐに死ぬであろう俺には、あまりに厳しい仕打ちだと嘆いたりもした。

 

 

 でも。そんなものは、必要なかった。

 

 

 共に戦う仲間がいる、約束を交わした友人がいる、身を案じてくれる人がいる、俺の帰りを待ってくれる女神(ひと)がいる。

 

 それだけで、俺には充分だった。世界の片隅で一人生きてきた俺には、十分すぎた。

 

 俺は、選ばれし者、とか、世界の危機を救うために派遣された者、とか、大層な使命とか運命とかを背負っているような奴では、ないのかもしれない。こうして必死に戦うことも、意味のないことなのかも知れない。

 

 素晴らしい物語に出てくるような登場人物でも、きっとない。俺は聡明な勇者でも、高名な魔術師でもないし、剛健な傑物でもなければ、凛々しく気高い剣士でも、俊敏で獰猛な狼でも、強さをひた求める戦闘狂でも、ましてやあの無垢で純粋な兎でも、ない。

 

 

 でも、それでも。

 

 いや。

 それがどうした。

 

 格好悪くても、弱くても。無様でも、泥臭くても。

 

 

 それでも。

 

 

『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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