武器と魔法と、世界とキミと。   作:菱河一色

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 何時だって、人は擦れ違う。





第一一話 サポーターのち、デート?

 

「やあ、いらっしゃい。今日は何をお求めに?」

 

 

【エイル・ファミリア】本拠、医院併設の薬局。特に名前はないらしい。

 なにやら計算をしていたらしいヨシフは、手動扉を押し開いて入ってきたのが俺だとわかると、わかりやすい営業スマイルを浮かべた。

 

「二○○○と一五○○のポーションを二つずつ、あと解毒薬を一つ」

「はい、ちょうど一○○○○ヴァリスになります。こんな朝早くから、元気だね」

「そっちこそ、こんな時間じゃ客も来ないだろ」

「案外来るものだよ。探索前に急にポーションを買いたくなった冒険者とかね」

 

 現在時刻、推定、午前四時過ぎ。まだ日は顔を見せていない、街はまだ眠っている時間帯だ。

 こんな早朝から開いている店舗はあまりない。集客率も悪いし、強盗に入られる危険性も高いからだ。栄えている街ほど、治安も悪くなりがちなのはどこの世界も同じか。

 

 しかし病院は話が別だ。どこでも夜間に急患は発生するもので、そのときに受け入れてくれるかどうか、というのは評判に直結する。勿論、経営的な観点からだけでなく、苦しんでいる人を少しでも多く助けたいというのが本音、とヨシフは語る。

 薬局の方もその理念を持ち合わせてはいるが、日中と違い、やはり利用客は専ら冒険者だ。用途は、そう、今の俺のような感じ。

 

「最近は、七階層あたりに?」

「まあな」

 

 四本の試験管もどきと、極細のビーカーもどきがカウンターに乗せられる。

 ポーションは懐の余裕が出来次第、より高価なものを買い求めているが、解毒薬も一緒に購入するようになったのは最近から。

 七階層付近には、パープル・モスという毒鱗粉を撒き散らすいやらしいモンスターが出現するために、その辺りを主に探索する場合は、解毒薬があった方が安心、というか半分必須である。そこから俺がその近辺に行くことを悟ったのだろう。

 

「トルドがいなくて大丈夫なのか?」

 

 一月ほど前から、【ヘリヤ・ファミリア】の交易のため、俺のいつものパーティメンバー、トルドは都市外に出ている。

 今回も新しい武器を依頼してあるので楽しみではあるが、ダンジョンには基本的にトルドと組んでもぐっている俺にとっては相当の痛手だ。

 

 二人のときでさえ安全圏――四階層くらいまでだ――だけを探索しているというのに、たった一人のときに敢えて新しい階層に挑む、というのは道理が通っていないし、十分に強い人ならまだしも、そんなに強くもない俺の場合はただの自殺行為と大差ない。

 

 普通なら、だが。

 

「めちゃくちゃ強いサポーターと、期間限定だけど契約できてな。あいつがいない間に頑張って強くなって驚かせちゃおう作戦実施中だ」

「なるほどね。でも、フリーで強いサポーター? なんかワケありな感じがするけど……」

「正面からモンスターと相対できないんだとよ。本当かどうかはさて置き、気にはしてるけどまあ実害はないし、口出し無用かな、って」

 

 幾つかの硬貨と引き換えに、毒々しいまでに鮮やかな色合いをした薬液を手に入れる。初めて飲むときはかなり躊躇したものだ。

 

 実際、ポーションってどんな原理でできているのか不思議でならない。

 流血を堰き止め、即座に傷口を塞ぎ、痛みを和らげ生命力を高める。骨が折れようと、皮膚が焼けただれようと、四肢が潰れようと、引きちぎれようとも、多分、治す。だからといって実験してみようとは露ほども思わないけれど。

 死に至る損傷であっても、その効き目と早さには差があれど治癒させ確実に復帰させる。これを見るたびに、つくづくファンタジーというものを思い知らされる。

 

 これが現世にあったらどんなに便利か、なんて仮定は無意味だ。どうせ戦場とか救急医療の現場くらいでしか使われまい。こんな世界で、俺たちのような奴らがいるからこそ、需要があるのだ。

 

「ま、何かあったら遅いし、気をつけなよ。ブリュンヒルデ様や担当アドバイザーさんほどではないにしても、相談に乗るくらいはできるからさ。こっちとしてもお得意様を失うのは痛いしね」

「おう、その時は頼む」

 

 購入したポーション類を、脚に着けてあるホルスターに収納する。大きさ的にこれで限界だ、探索が厳しくなるなら代わりを考えなければ。

 もっと大きなものを買うか、より高性能なポーションに乗り換えるか、いっそのこと両脚に着けてみるとか。動きが悪くなるからそれは無しか。

 

 スハイツさんとの契約が切れればまた、バックパックを装備しての探索になる。そう考えると、改めてサポーターのその有用性が浮き彫りになってくる。荷物の心配をしなくていい、というのは思った以上に楽なのだ。

 

「そういえば、ヨシフも、もぐったりするのか? 大体ここにいるけどさ」

 

 戦乙女(ヴァルキュリヤ)、エイル自身医学に通じているだけあって、ここ【エイル・ファミリア】は基本的には商業、というよりは医療系の【ファミリア】である。

 所属する団員は医師か医師志望、婦長クラスの看護師がほとんどで、運営する人員の割合が、団員より一般市民の方が高いという珍しい【ファミリア】で、都市外から医学を学ぶために留学してくる者までいるという。実はそこで都市外の国、市町村と交友関係を結び、【ヘリヤ・ファミリア】に仲介し……と、同盟ぐるみで中々強かに生き残りを図っているらしい。それはまた違う話だが。

 

 このような深夜、早朝の営業ではそれなりのリスクも伴うため、今カウンターにいるヨシフ・レザイキンは少なくとも強盗相手に戦えるほどの実力は備えているのでは、と思った次第、だ。

 

「いや、昔はもぐってたんだけどね。二年と少し前かな、例の大量発生(イレギュラー)に遭ったのがトラウマになって、もう戦えないんだ」

 

 それでもトルドはほとんど一人でもぐり続けていたんだけどね。ちょっと情けないや。と、ヨシフは自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「その、すまん」

「別にそんなつもりはないから気にしないでいいよ。同じような症状の治療の時に地味に役立つし、こういう時間の窓口対応をするのは少なくとも戦えるやつがやる方が安心だろ?」

 

 ヨシフの表情に悲壮感はない。

 治せないわけではないだろう。そういう心の傷の治療も行っている【エイル・ファミリア】で、ヨシフは敢えて治さないことを選択している、のか。

 

「だからさ。トルドに新しい仲間ができたって聞いたとき、嬉しかったんだ。自分勝手かも知れないけど、ね」

「あいつは、そういう考え方はしないだろ」

「僕もそう思う。感情を自己完結できたことが嬉しかったんだ、多分」

 

 きっと、トルドはヨシフを責めるようなことはしない。けれどヨシフはそれで苦しんでいた。関わり合いとは面倒なものなのだ。

 

 そう考えると、あの時のサービスは、そのつもり、だったのだろうか。主神エイルも彼の感情を理解した上で、感謝の意を、俺に伝わらないようにしながら彼の傷を癒そうとしていた、のだろうか。憶測が過ぎているかな。

 

「でも、うちには僕の他にももぐってる人がいるし、僕もまたもぐりたくなる時が来るかもしれないから、さ。その時は、是非とも頼むよ」

「もちろんだ」

 

 なら、その時が来るまで、研鑽を積み実力をつけるのが、俺とトルドの役目だ。

 

 

 薬局を後にし、バベルの足元、中央広場へ足を向ける。

 最初に出会ったところで、今日もスハイツさんが待っているだろう。そういえばあの人は毎日何時くらいから待っているのだろうか。行けばいつもいるけれども。

 

 思えば、現世に比べて随分と関係性が増えた気がする。

 

 もともとそんなに知り合いも多くなかったし、浪人中はまともな話をする機会もなかった。そこから考えれば飛躍的な変化だと言えるだろう。

 

 現世では煩わしかったり、面倒だったりしたから避けていた、でも。

 

 

 

 今は、少しだけ、心地良いと感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一振り。

 

 大仰な構えも、無駄な動作もいらない。

 

 ただ、確実に切り裂く一閃があれば、それだけで十分だ。

 

『ギッ⁉︎』

 

 踏み込んだ刹那、赤みがかった刀身が煌めく。

 

 最期の鳴き声を発した巨大な蟻型の頭部が、音もなく胴体から離れ落ちてゆく。

 

 見届けている余裕はないし、その気もない。

 

 即座に次の動作へ入り、敵の追随を許す時間も作らず、戦闘を続行する。

 

 俺に戦闘継続能力はあまりない。するならば速攻、できれば一撃が望ましい。贅沢なのは承知の上だ。

 

「!」

 

 真横から、何かが高速で飛んでくる。

 

 たったいま出来上がった死骸を押しのけ、もう二匹の『キラーアント』が押し寄せる。

 

 それだけじゃない、いつの間にか『ニードルラビット』まで足元に迫ってきている。

 

 一見すれば、少しでも対応が遅れたら被弾が避けられない、少々危機的状況。身体は竦み、四肢は勝手に動き出そうとする。

 

 大丈夫だ、思考を紡げ。

 

 手首を捻り、紅緒を縦回転。頭部を狙っていた『フロッグシューター』の舌を斬り飛ばす。

 

 続けて持ち上がった刃を、重力に従い振り下ろし、ニードルラビットを脳天から一刀両断する。

 

 型としては推奨されないが、冒険者の技量的に片手だけでも安定させられないこともなく。無理に空けた方の手で晴嵐を鞘から抜き、少し前方の()()()()()

 

 抜重にも慣れて、滑らかにこなせるようになってきた。腰を落とした体制から、キラーアントに向けて鋭い斬り上げを放つ。鋭いは当社比だが。

 

『シ、ャ――』

 

 威嚇などさせてもやらない。先ほどとほぼ同じ軌道を描き、ほぼ同じ切断面を作った。

 

 しかしそれでは、すぐ横で鉤爪を振り上げるもう一体のキラーアントへの攻撃が間に合わない。角度的にも、重量的にも、技量的にも、俺の腕ではこれが限界だ。

 

 力任せに反撃することはできる。しかし硬殻に阻まれ致命傷は与えられないうえ、向こうが先手を取る以上、賢い選択とは言えない。

 

 だからといって、諦めるわけにもいかない。

 別に、無理にこの場面を選ばなくてもよかった。一旦引いて各個撃破する方法でも全然よかったけれど、敢えてこうした。

 本来なら俺程度の能力値で、このモンスターたちを相手にして、安全に切り抜けるのは少々難しい。だが今の俺は、足元を気にしなくてもいいし、更に言えば相当なことがない限り死ぬ確率も極めて低い。

 

 

 この境遇で、挑戦しなくてどうする。

 

【ステイタス】で劣るくらいで怖気付いているなんて勿体無い。弱いなら弱いなりにもがくまでだ。

 

 強くなりたいなら力をつけ、技を磨き、心を鍛えるのみ。

 

 

 斜め上方に振り切った紅緒を、握り締める手の握力を一息に抜き、()()()

 

 呆気なく、俺の愛刀は宙を舞った。

 

 そして、片足を踏み込み重心を強引に下げ、地面に刺しておいた晴嵐を掴み。

 

「うお、らぁ!」

 

 居合の要領で、引き抜きつつそのまま振り抜き、鉤爪を持つ腕を斬り落とす。

 

 これなら、刀身への負荷を抑えつつ素早い抜刀術もどきの攻撃ができる。現世でこんなことが可能なのかは知らない。

 

 前脚を失くして平衡感覚を上手く保てなくなったキラーアントの、硬殻の隙間に晴嵐を差し入れ魔石を破砕し、また晴嵐を地面に突き立て次へ。

 

 素早く方向転換し、最後に残ったフロッグシューターへ駆ける。

 

 落ちる寸前の紅緒を掴み、身体に引き寄せてから、疾る勢いを乗せて、全力の刺突。

 

『ィ、アッ』

 

 鼻先から頭蓋を突き破り、反対側へ出た刃を即座に上方へ平行移動、脳をやって確実に絶命させる。どうにも生理的嫌悪を催す死体になってしまうが、何より楽なのだ。

 

 

 これでひとまず、襲いかかってきたモンスターは全滅させたことになる。スハイツさんはというと、既に骸を一ヶ所に集めており、解体を始めていた。早い。

 

 キラーアント三体、ニードルラビット一体、フロッグシューター一体。戦闘終了後もしばらくは気を抜かず、周囲を警戒する。

 近辺から音がしなくても、気配がなくても、モンスターはどこからともなく現れる。いくらスハイツさんが強くとも、解体中に襲撃されるのは面倒なはずだ。

 

 

 現在、第七階層。

 三週間より以前には、実質四階層までしか到達できていなかった俺にしてみれば、飛躍もいいところだ。ベル君なんかはスキルの恩恵もあって難なく進出するけれど、現実的に考えればとんでもない速度だということが改めてよくわかる。

 

 俺は強くはない。見栄から、少なくとも今は、と付け加えておくが、覆りにくい事実だということに変わりはない。

 現に、先の攻防においては晴嵐をちょうどいい位置に立てなければキラーアントへの斬撃は成らなかっただろう。そうなれば形勢不利からスハイツさんの助太刀が入っていたところだ。

 

 ここらの階層に出るモンスターたちを相手にするのも段々と慣れてきているとは思うのだが、如何せん俺の【ステイタス】が足りない。スハイツさんともぐるようになって、伸び率がかなり良くなったことを考慮しても、正直まだまだとしか。

 だから全力で頑張っている、けれど、三回のうち一回くらいは実際負ける。スハイツさんがいなければ何百回天に召されているかわからない。

 

「終わりましたよ。ここで少し休息(レスト)をとりましょうか」

「あ、はい」

 

 モンスターから魔石を剥ぎ取ったスハイツさんは、銀色のシート――花見に使うようなやつだ――を広げ、腰を下ろす。なかなか綺麗好きな人なのだ。

 

 差しっぱなしの晴嵐を回収して、俺も敷物の上で脚を休める。大体三時間に一度、激しい戦闘ばかりの日は一時間に一度、くらいの頻度で俺たちは休息をとっている。スハイツさんは多分なんともないだろうし、スペックで劣る俺のために。

 情けないが、ここは気遣いをありがたく受け取っておくのが礼儀というものだ。

 

 生臭い血液と脳漿がべっとりと付いている紅緒と、血と細かな砂が付着している晴嵐を、丁寧に専用の布で拭って手入れをする。

 斬れ味が落ちても、とにかく力任せに振るえば斬れる、と言ったら語弊がありそうだが、とにかくどれだけ斬ってもある程度の力を出せる西洋剣と違い、刀は血を浴びせればすぐに斬れなくなってしまう。まあ、一流の料理人が、包丁に脂が付かないように刺身を切ることができる例からして、それも使い手の腕次第でどうとでもなるんだろうけど。

 しかし特に技術が秀でているわけでもない俺は、こまめに手入れをしておかないとほんの二、三回の戦闘をするだけでなまくらにしてしまう。今度シーヴさんあたりに師事してもらいたい。

 

「さっきの武器入れ替え、面白い動きですね」

「どうやっても敏捷値が足りてないので、ああでもしないと一気に捌き切れないんですよ」

 

 ヒットアンドアウェイなどの戦闘スタイルにすれば対応はまた違うのだろうが、何度も接近と離脱を繰り返すとそれだけ敵に突っ込む恐怖を味わうので、なるべく一回の交錯で済ませてしまいたい、というささやかな傲慢がある。

 だから戦闘継続能力の伸びが悪いわけだけど、早めに終わらせた方がいいとは思うのだ。効率万歳。

 

「なるほど、そこであの方法ですか。でも、刀身が傷みやすくなりませんか?」

「そうなんですけど、抜刀術を使うよりかはまだ磨耗が少ないと思って、見て見ぬ振りを……」

 

 いいアイデアかもしれないが、地面に刀を突き刺すという行為にはやはり抵抗感を禁じ得ないのも事実。

 それに、今回は薄い晴嵐の方を使ったので内心はおっかなびっくりだった。さすがにこれくらいで折れてはくれないと信じているけど。

 

 現世で読んだことのあるライトノベルに、何本もの剣を地面に刺しておいて、幾つもの得物を高速で使い分ける、という戦法があった。ファンタジーの中の話だが、この世界だってファンタジーなのだ、実現は可能、そういう希望的観測のもとにおいて再構築された戦術、のつもりだ。相違点はより動き回るところ。

 思いついたのはつい最近で、実戦で試すのは初めてだったけれど、とりあえずうまくいってよかった。まだまだ改善の余地は見受けられる、これからモノにしていけばいいだろう。

 

 なんて考えは、どうやら、かなり非効率的かつ非現実的らしかった。

 

「じゃあ、上に放り投げる方を重視するのはどうでしょうか」

「投げる方……ですか?」

 

 俺としては、到達点がたまたま振り上げた形だっただけで、最初から意図して放ったわけではなかった。横方向や下方ならそのまま落とすだけだっただろう。

 

 しかし、その偶然の対応を、スハイツさんは指摘する。

 

「地面に突き立てることを、空中に置くことで代替するんです。それなら負担も少なくなるのでは?」

「お手玉、いや、ジャグリング……みたいな感じですか」

「そうですね、ただ、それと比べるには難易度が違いすぎます、けど」

 

 一旦切られる言葉に、俺は無意識に期待してしまっていた。今まで戦闘面では特筆すべきものもなく、無難でいた俺に、何かがあるのかも知れない、などと。

 

 想像してみる。そんな特殊な戦闘スタイルをとり戦う俺を。相当難しいだろう、複雑で難解な動きを難なくこなす、俺を。

 

 実行するのに必要なのは、俺と、敵の動きの予想、滞空時間と回転角の計算、机上の理論を実現させるだけの能力。ちょっと尻込みしてしまいそうに、なるけれど。でも。

 

「ナツガハラさんが意識していなくても、先ほどの動きができたというのなら、見込みがあるものかと思いますよ」

「……そう、ですね。やってみます」

 

 その言葉は甘美だった。

 

 中学、高校、大学の各受験で敗戦を重ね、それでも努力を続けてきて、結局実ったかどうかを確認できずにこの世界に飛ばされてきた俺にとって、成功というものは、どうしても欲しくて、どうしようもなく手が届かないもの。

 しかし、手にすることが出来るのなら。俺にも出来ることがあるのなら。

 

 休息もそこそこに立ち上がり、早速鞘に収めたままの晴嵐を何度か真上に投擲し、その感触を確かめる。

 

 もしこれが出来るようになれば、単純に手数が増えることに加えて、敵の意識を分散させたり誘導したりと、戦況をコントロールできる技能が身についたことと同義だろう。

 

 

 できることがあるのなら、俺はやってみたい。

 

 

 

 少しでも、強くなりたい。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 夏ヶ原司は、気付かなかった。

 

 言葉を安直に信じ込み、その気になって練習に打ち込む彼に、向けられた視線に。

 

 可哀想な物を見るような、見下すではなく、ただ残念だというような、そんな憐れみを込めた、彼の冷めた眼差しに。

 

 

 

『生存者』スハイツ・フエンリャーナの溜息は、司の鼓膜に届く前に、空気に融けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃、ツカサくんがどうも熱心だ。

 

 風呂上がりに、リビングのテーブルに着き、髪を乾かしながらうむむと唸る。

 

 ただやる気を見せているのならいい。真剣に、真面目に活動しているならそれに越したことはない。

 

 しかし、彼のそれは少々()()()()()()()ように思われてならない。いや、確かにやり過ぎだ。

 

 まだ空が白んでもいない時間に起きだして、朝食を私の分まで作って出て行き、夜が深まる時間に、ときには日付が変わる頃に帰還する。最近の彼の一日はそんな感じで、睡眠を除いてほとんどの時間が探索に充てられている。

 一時期は、彼が担当する日も、私が半ば無理やり朝食を作っていたのだけれど。今ではまるきり逆、どころか私が起きたら彼は既に本拠を出ていて、テーブルの上に保温具を被せられた食事が用意されている、という朝の方が圧倒的に多くなった。

 

 当然、朝に顔を合わせる機会が減れば、交わす言葉自体も少なくなる。

 三日に一回くらいの【ステイタス】更新をするときか、何か別の用事があって早めに切り上げてきたとき以外で、会話らしい会話をした記憶はない。

 

 眷族が一人だけ、という探索系零細【ファミリア】では割とよくあることなのかも知れない。普通なら気にすることでもないのかも知れない、けれど。

 オラリオでの生活にも慣れてきて、探索も軌道に乗り始めて。調子が上がってきているのはわかる。偶然にも強い人とパーティを組めて気合が入るのも、今の状態が恵まれていることも、それが期間限定だからと張り切る気持ちも、【神の恩恵(ファルナ)】で繋がっているのだ、十二分に伝わってはいる。

 

 でも。

 

 この傾向は、良くない気がする。

 

 単純に身体への負担が大きい。いくらポーションがあるからといっても、あれも薬液の一種であり、常飲はいただけないし、頼りすぎは厳禁だ。寝不足や精神的な疲労は回復できないことからも、きちんとした休息は必要不可欠。

 

 それに、ツカサくんの中には精神面での懸念事項が依然として居座ったままだ。私の見立てだと現実逃避からなる二つ目の人格の形成、なんて可能性を考えてはいるけれど、今その方面の知識は皆無に等しく、詳しいことは何もわからない。一回エイルに診てもらった方がいいだろうか。

 

 ともあれ、不安定な状態で、危険が蔓延るダンジョンに通い続けるのは見過ごせない。「もしも」は何時でも起こり得るし、起きてからでは遅いのだ。

 

 あと、地味に寂しいし。

 折角の【ファミリア】なのだ、もう少し一緒にいてくれてもいいではないか。私も容姿は悪くないし、料理も出来るようになってきた。不満があるなら遠慮なく言ってほしい……ではなく。

 とにかく、あと一週間ちょっとくらいとはいえ、目に見えて疲労が蓄積してきている彼を放っておくことはできない。

 

 しかし、優しく言っても、なんだかんだ彼の言葉に丸め込まれてしまい、その場が有耶無耶にされることも少なくないので、対策を練らねば。

 

 例えば、どんなものが有効になるだろう。

 

 いつもより厳しめな語調で?

 

 普段とは違い、わかりやすく怒っている様子で?

 

 逆に涙に訴えるのもありか、うーむ、効くのだろうか?

 

 ……いや、策などいらぬ。今日こそ、がつん、と。言ってくれよう。

 私だって威厳ある神の端くれなのだ。なんかこう、後光的なものを幻視させるくらいはできてもおかしくない。それをなんとか出して、抗えない空気を作りつつ諭すように。

 それならうまく行きそうだ。そうと決まれば早速後光の練習を――

 

「ただいま帰りましたー」

「おっ、おかえりっ⁉︎」

 

 駄目だ、間に合わない。そもそも後光の出し方なんて知らないし。

 

 時計を確認するも、まだ午後九時過ぎ。今日の探索はなかなか順調に進んだらしい、喜ばしいけれども恨めしい、なんで今。

 玄関に通じる扉を開き、ツカサくんが居間に進撃してくる。時間はない、恐らく帰りがけに食事は済ませてきているはず、湯浴みからの即寝コンボが決まってしまう前に大事なお話をしなければ。

 

 今からお風呂作る作戦、は却下。私がお風呂上がりなのは明らかだ。お湯ももったいないので当然捨てていない。

 

 寝る前に【ステイタス】更新しよう作戦、も却下。昨日もしたし、彼は恥ずかしがって連日で更新しようとしない。私が不器用なばっかりに。

 

「風呂、いただきますねー」

「えっ、あっ、うん! まだあったかいと思うから早めに入っちゃって!」

 

 反射的に返事をしてしまって、しまった、と後悔する。なに促しているのだ。ここは留めておくところだろうに。

 

 早く、速く引き止めなければ、でもどうやって? なんて言う? どうすれば彼を休む気にさせられる?

 思考が定まらない、頭の中で同じ問いがぐるんぐるん回っている。なんとか、なんとかしなければ。

 ああ、もうツカサくんが脱衣所に消えていってしまう。

 

 迷っている暇はない。突撃だ。作戦なんてない。行き当たりばったりだ。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 勢いよく扉を開け放つと、存外大きな音が出た。少し強かったかな。

 

 ツカサくんはプロテクターを外して、レザーアーマーを上半身だけ脱いだ半裸できょとんとしていた、手は腰に当てられているし、危ないところだった。

 数瞬の後、「はっ、あっ⁉︎」などと狼狽え始めるけれど無視する。こっちは割と真剣なのだよ。

 

 えっと、何を言えば。

 

 要するにダンジョンに行かないようにするには、何らかの不調、あるいは用事ができればいいわけだ。それも一日丸々使うような、長時間の。

 でも、そんな急を要する要件は特に……そういえば前の『箱庭』会議で、こんな感じの話題が出ていたような。

 男の子に効果的な色々、とかの話でエイルを中心に盛り上がっていたっけ。もっとしっかり聞いておくんだった。

 

 なんとかその場の記憶を引っ張り出し、捏ねくり回してアイデアを練ると、一つのワードが引っかかる。この間僅かに約二秒。

 

 そうだ。

 

 

 

「で、デート! デートしようっ! ツカサくん!」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……………………え?」

 

 それは、俺が生きてきた一九年間で、間違いなく最高の、渾身の「え?」だった。

 

 あまりの衝撃に、腰のあたりで掴んでいたレザーアーマーから手が離れる。ちゃんと下半身は着ているので全裸になることはなかったが、そんなことを考えている余裕は皆無。

 

 自慢じゃないが、俺は現世で異性から想いを寄せられたこと――つまり、告白されたり、恋人がいたり、なんてことは一度たりともなかった。本当に自慢じゃないな。

 中高とサッカー部に所属していても、勉強と部活をうまく両立しても、髪型とか気にしてみても、意味は全くなかった。そのおかげで浪人期間中頑張れたのだが、それは置いておくとして。

 

 改めて、俺が脱衣所で脱衣していた所に突撃してきた、とんでもなく見目麗しい女神の双眸と相見える。

 

 若干の必死さと、人の思い描く理想に限りなく近い各パーツ、淡い桜色でもって真剣な表情を形作るその所業は、正に神の奇跡。ていうかこの(ひと)風呂上がりか。破壊力が三割増しだ。

 

 浮いた話題など一切なかった、端から見れば非常に硬派で真面目なヤツだっただろう俺に。

 

 この現実離れした美しさと、現存する言葉では到底語り尽くせないほどの純真さ、無垢さ、儚さを兼ね備えた超越存在(デウスデア)は、なんと言った?

 

 僅かな間があって、熱が引いたのか、自分が言ったことを反芻でもしたのか、朱に染めた頬に手のひらを当てる愛らしい仕草に、否が応でも期待が高まってしまう。

 

 頼むから聞き間違いだったなどといわないでくれ、この耳が刺激として捉え、俺の脳に伝わった通りであってくれ。

 そうでなければ、俺はきっと勘違いで舞い上がった分だけの高度を命綱なしでダイブし、結果無惨な死を遂げてしまう。

 

 祈りが届いたかどうか。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、を地で行く彼女が口を開き。

 

 

「や、その、デートじゃ、なくて……」

 

 

 俺は死んだ。

 

 

 愚かにも天上目掛けて飛び上がった俺は、無様に墜ちてゆく。無理だったのだ、無謀だったのだ。その報いを受けて、圧潰して臓物をぶち撒けるのがお似合いなのだ――。

 

 

「服を、ね? そう服。『神の宴』に行こうかと思って、それで、着ていく服を一緒に選んでくれないかなあ、って。だめ、かな?」

 

 転落死寸前で、救いの手が差し伸べられる。ここが生き延びられるかの瀬戸際だ。

 

 是非もないお誘いを、断るはずもなく。縋らせてもらいます。でも服を買いに行くとかデートじゃないですか? デートじゃないですか。

 身長差からなる自然な上目遣いに内心悶えながらもヘドバンさながらに激しく首を縦に振って意思表示をする。

 

「いつにします?」

「あー、なるべく早くがいいけど、ツカサくんの都合がつく日でいいよ」

 

「じゃあ、念のため訊きますけど次の『神の宴』はいつですか?」

「え、えっと、うーん、み、三日後?」

「三日後⁉︎ もう直前もいいところじゃないですか、すぐ行きましょう。明日スハイツさんに伝えるので明後日にでも。それでも前日は厳しい気がするので、それより前が良かったら悔しいですが俺抜きで……」

「それくらい大丈夫だよ。それに、私はツカサくんに選んで欲しいんだよ? きみがいなくちゃ意味がないの」

 

 なんだそれは。反則じゃあないのか。

 

 そんなことを言われては、例え行くつもりがなくても「行きます」としか答えられないではないか。端から行かない選択肢などないが。

 

「明後日なら行けるんだよね?」

「行きます」

「わかった。それじゃ明後日、朝から付き合ってもらうから、しっかり覚えてお……ぃ、て」

 

 唐突に、彼女の全ての動作が停止し、言葉が切れてしまう。

 

「ヒルダさん?」

 

 呼びかけると、鮮やかな紅から健康的な肌色に戻っていたその頬が、再び、しかし先ほどより急速に火照ってゆく。

 固定されたままの目線の先を追えば、俺の胸部あたり。そういえばまだ上半身裸だった、肌寒くなってきたような。まさか――

 

「そ、それじゃっ! 引き留めてごめんね!」

 

 入ってきたときに勝るとも劣らない勢いで引き戸を閉め、出て行くヒルダさん。

 

 まさか、俺が半裸だから、恥ずかしがって逃げるように去っていった、のか? なんというか、今更なのに?

 いつも【ステイタス】を更新するときも上は脱ぐ。だから半裸程度見慣れているとは思ったのだが……。だいたいうつ伏せだから正面に免疫がない、とか。そのまま座ってたりもするんだけどな。

 

 あれか、水着は良くて下着は駄目理論か。いや、ちょっと違う気もする。でも多分シチュエーション的なものだろう。

 

 何にせよ、初心すぎないか、ヒルダさん。可愛い、可愛いんだけども、あんまりそういうことをしてくれると耐性がない俺にはきついというか。

 そう考えると、ベル君は相当強い鋼の自制心を持った少年なんだなあ、と思う。朝起きたら女神が上に乗っかっている、なんて想像しただけでもやばい。何がやばいって、とにかくやばい。

 同じ寝床、でなくとも、同じ部屋で寝起きするような環境でなくてよかったと、ヘリヤさんに心からの感謝を送る。

 

「へっくしっ」

 

 身体が冷えた、もう風呂に入ろう。

 

 レザーアーマー諸々を脱いで、風呂場へ続く扉を開き、湯を汲もうと、浴槽の蓋を持ち上げた、ところで今度は俺の動きが停止する。

 

 

 ……あ、湯船……。ヒルダさんが、浸かった、後、だ。

 

 

 ああもう、意識しないようにしてたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がすっかりのぼせてから出ると、ヒルダさんは既に就寝した後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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