マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●死の宝珠って誰?

 アニメ一期で豪華CGスケリトル・ドラゴンを操って戦った、あのカジットさんを操っていたアイテムです
 この話ではマーレの部下になり、何かと便利な協力者エンリを無理矢理働かせる便利アイテムとして使われていました

●最も短時間で読めるあらすじ的なものは

 この章の最初の話
「 六二 宣戦と、カルネ村出兵 」
 に用意してあります。



六五 破軍の大魔法と死の挟撃

 リ・エスティーゼ王国軍は、地平を越えるかつてない規模で広大な布陣を敷いた。最前線は若干散開気味で、後ろに行くに従って露骨に広く散開した。

 

「なるほど! 騎士どもが立ち往生した場所場所で、我らの数の優位を生かした局地的な包囲が完成するということですな!」

 

 三十万という史上最大級の数の暴力は蛮勇を生む。自派閥以外の貴族たちにもそう言って指示してもらえたのは非常に結構なことだが、レエブン侯もこの案を準備した軍師も、帝国騎士など眼中には無かった。

 むしろ、騎士の突撃に対しては脆弱に過ぎる陣形だ。散在する急ごしらえの馬防柵(バリケード)も帝国騎士の突撃を防ぐのに到底十分とは言えない。

 しかし、帝国騎士を視野に入れた詭弁じみた説明を綿密に準備したこともあって、どうにか受け入れさせることができたのだ。

 

「これで魔導王モモンガとやらが大した魔法を撃たなければ、私は王国史に残る愚将となるのだろうな」

 

「名より命ですよ、侯爵」

 

「お前に爵位でも得させておけば、私が被ることもなかったのだが」

 

「余計な仕事も責任も増えるのは嫌ですよ。そんなことができるなら王国戦士長でも推薦しておけばよかったんです。そうすれば王派閥から縁談を押し付けられて、今頃は家庭を持って少しは先の事を考えてくれたんじゃないですか」

 

「そんなの、まさかあそこまで考え無しだとは思わないじゃないか。あんなことになるなんてわかってたら無理にでも推薦してたさ」

 

 レエブン侯はカルネ村出兵の顛末を思い出す。

 

 結局、ガゼフの返答がとどめとなった。もはや竜の尾を踏み抜きに行く愚かな選択は覆しようがなく。

 レエブン侯は逆に、帝国へカルネ村出兵の情報がスムーズに流れるよう仕向けたのだ。

 

 すなわち、五千の兵が誘い出された『漆黒』を討ち取るならばそれでよし。

 五千の兵が敗れるならば、そのような脅威がカッツェ平野へ襲来しなかったことでよしとしようという考えだ。

 

「……仮定の話はともかく、できることをしましょう。――まずは、撤退の段取りの確認です」

 

 信頼する軍師の声で現実に戻る。もちろん最後の部分は耳打ちに近い小声となり――二人は三十万の大軍勢の敗走を前提にした打ち合わせを始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、マーレは多忙ながら充実していた。

 

 開戦当日、マーレはバハルス帝国への滞在経験を買われ、至高の御方たる魔導王モモンガの従者を務めることになった。

 その時点で全てを後回しにして従者に専念することも考えたが、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)で飛び立ったエンリの話が至高の御方の耳に入り、放っておいてよいのか、という旨の優しいお言葉を戴いた。

 部下を使う立場では、部下のけあというものがとても大切であるらしい。

 幸い、開戦の予定まではまだ少し時間があった。マーレは後始末のためだとして、エンリより連絡を受けた後、少しだけ時間を貰うことにした。

 

 

 マーレには集団転移魔法があるため、部下の回収は一瞬で済んだ。

 あとは、この僅かな時間で自身の仕事を進めなければならない。

 

 マーレは姿を消してもう一つの戦場――一方的な虐殺と敗走の場――へと降り立つと、最も豪華な装いの男を手早く捕えて魔法で作った避難所へと放り込む。

 男の前に自らの姿を見せたのは、協力者(ラナー)から聞いていた装備品に印される王族の証を確認してからのことだ。

 急な予定変更だが、王よりむしろこの男の方がマーレの仕掛けには適していると聞いているため問題ない。

 

「な、な何者だ!? ……闇妖精(ダークエルフ)? 貴様、私の軍をどこへやった!!」

 

「えっと、これは安全な場所を作る魔法です。助かりたくはなかったですか?」

 

「……ふん。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が恩でも着せようというのか。生意気なガキめ」

 

 男はマーレの顔を覗き込むと、下卑た笑みをうかべる。

 

「――そうだな。恩賞は考えてやらんでもないが、まず名を名乗るがいい」

 

「あの、使えそうなら助けますが、そうでなければ殺します」

 

 おそらくは、凡庸な人間なら誰でも使えるようになるはずだが。

 

「お、お前は私が誰か知ってて言っているのか!? リ・エスティーゼ王国第一王子、バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライフ・ヴァイセルフだぞ!」

 

「はい。ですから、その、魔導王モモンガ様のために働いてもらおうと思うんです」

 

「ま、魔導王だと!! ――そうか! 捕虜か人質にするという意味だな? ならば、我が身への扱いに気を付けることだ。他国の王族への野蛮な扱いは魔導国とやらの品位を疑わせることになるぞ」

 

 マーレは溜息をひとつついて、手にした黒い宝珠を押し付ける。

 

――中身は、要らないかな。

 

 中身も従わせた方がいいか迷っていたが、協力者(ラナー)の言っていた通り状況判断能力に欠けるものと判断した。マーレが人間を使うための新しいアイデアに賛同し協力を約束してくれた恐怖公には後で謝っておかなければならない。

 この人間については、外側だけで充分だ。

 

「――これを持っていてください」

 

「何だこの石は! こんな――ぅがはっ!!」

 

 男は身体を大きくびくつかせて――静かに跪いた。。

 

 バルブロ(死の宝珠)は醜く歪んだ表情をきりりと引き締め、臣下の礼をとる。

 

「……マーレ様。聞いていた体と違うのですが、よろしいのでしょうか」

 

「予定が変わりました。えっと、王は死にます」

 

「それは、いったい……」

 

「モモンガ様が大きな魔法を使うんです」

 

「それは素晴らしい!!……なれば、この新たな我が身が王となるのでしょうか」

 

「それで、かんたんな仕事をしてもらいます」

 

「なるほど、魔導王陛下に弓引く愚かなリ・エスティーゼ王国を永遠の死の国へと変えればよろしいのですね!」

 

「えっと、そこまでしては困ります――」

 

 最近丸くなってきたような気がしていたが、やはり死の宝珠は死の宝珠でしかなかった。

 滅ぼすだけなら魔法で殲滅して回れば良いだけだ。一日あれば王都はなくなるし、主要な街を壊滅させるだけならマーレだけでも一週間もかからないだろう。

 マーレは念のため王都でするべきことを説明しておく。彼の仕事は、魔導国に逆らう愚かな王としてふるまい、滅びることだ。至高の御方に心からの忠誠を誓うしもべには辛い仕事かもしれないが、やり遂げてもらわなくてはならない。

 

「――ですから、適当な所で方向転換し、王国へ逃げ帰ってください。護衛のしもべは用意してありますが、さりげなく」

 

 バルブロ(死の宝珠)の影に複数体の何かが飛び込み、ざわざわと蠢く。

 

「ありがとうございます。この身体では帰還もおぼつかないと思っておりましたが、お見通しでしたか。ただ、自然にふるまえばカッツェ平野に接近せざるをえません。許されるならば、魔導王陛下の魔法の素晴らしき死の気配を感じられる位置まで来てから任地へ向かいたいのですが」

 

「それは、えっと、気持ちはわかりますけど、少しだけですよ。くれぐれも死なないようにしてください」

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 至高の御方の大魔法に興味があるのは、しもべとして当たり前のことだ。少し頬が緩み、言葉も甘くなってしまう。

 マーレはこれからその大魔法の発動に立ち会うことができるのだ。

 

「では、念のため目撃者を消してから、戻りますね」

 

 マーレは一足先に魔法の避難所から出るが、王子を守っていた一団は王子の突然の消失に虚を突かれたのか、全て不死の軍勢に飲み込まれてしまっていた。

 

――もうすぐ、モモンガ様の凄い魔法を見られる。急がないと。

 

 自身の仕事の仕掛けも大切だが、至高の御方の従者という名誉ある役割を疎かにするわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 マーレは速やかに従者の仕事へ戻り、無事、至高の御方の大魔法の発動に立ち会うことができた。

 

 まず、贄が捧げられた。数万の人間たちが静寂の中で整然と倒れ伏す姿は美しく、下等な人間であっても至高の御方から死を賜るとここまで美しく死ねるのかと驚かされるほどだ。

 そして、生贄に応えて戦場に生まれ落ちた黒い仔山羊たちが五体、ゆらゆらと蠢いていた。

 仔山羊といってもそれは鳴き声だけで、姿は何本もの黒い触手を生やした肉塊だ。五本ある脚だけは山羊に似ているだろうか。

 

「五体も召喚できたとは、これは間違いなく最高記録だ。本当に凄いことだ。あの時から、これを使ってみたくて仕方が無かったのだよ」

 

 至高の御方の喜びはマーレの喜びでもある。マーレの心は温かい幸せな感情で満たされた。

 あの時というのは、始原の魔法を知るための竜王国での戦争だろうか。

 敵を侮るつもりはないが、やはり至高の御方の魔法の素晴らしさに比べたら爆発するだけの魔法など問題にならないとマーレは思う。

 

「おめでとうございます!! 流石はモモンガ様!」

 

 マーレは素直な賞賛を向ける。

 都市で魔法を放っても殺せるのはせいぜい数千。それが、人間の戦争に介入することによって容易に十倍以上になるのだ。

 超位魔法の素晴らしさへの感動もあるが、広範囲殲滅の手段を与えられ創造されたマーレとしては、素晴らしい学びの場を与えられているということも忘れてはならないのだろう。

 

「ありがとう。マーレ」

 

 この場にいる守護者が他の誰でもなくマーレ自身であることが、とにかく誇らしかった。

 

「お、おめでとうございます」

 

 ニンブルという帝国の騎士も、感涙に声を詰まらせながら賞賛していた。

 そして、仔山羊たちは人の形をした肉片を踏みつぶしながら前進する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国軍本隊は、大きく散開した前例のない陣形のまま敗走していた。

 味方に邪魔されず、ひたすら逃げやすい陣形であったことも大きいが、それ以上に、縮こまって恐怖に震えたところで身を寄せ合う安心感が得られないという状況が速やかな敗走を“成功”させつつあった。

 

 魔導王モモンガの恐るべき大魔法により、王国軍左翼八万は一瞬にして壊滅した。

 その後、散開隊形の本体へ雪崩れ込んできた名状しがたい五体の巨大な魔物によって、王国軍全体が潰走する。

 左翼同様に密集隊形をとっていた右翼が逃げ遅れ、大部分がその贄となることで中央の生き残りは安全を確保した――はずだった。

 しかし、その右翼もまるで砂糖が紅茶に溶けるように、巨大な魔物の進行速度を緩めることすらできず速やかに蹂躙され尽くしてしまう。

 王国軍本隊は、それぞれが何もわからないままただ悲鳴の聞こえる方から逃げ、エ・ランテルへ必死に向かうしかない。

 ここまでの地獄絵図を想定したわけではないが、レエブン侯が撤退を“予定”して配置した国王や侯自身の部隊は当初、敗走まで至らない秩序ある撤退を成功させ、かなり安全な位置まで逃れることができていた

 

「お前の策通り、無理にでも散開隊形をとらせていなかったら今頃全滅だったな」

 

「偶然です。あれは竜王国で行使されたという闇妖精(ダークエルフ)の大魔法への対策ですし、帝国騎士相手なら下策ですから」

 突破力のある帝国騎士相手に散開陣形というのは無謀の極みだが、一当たりすらせずに潰走した今となっては自勢力の犠牲を最小限にする良策として機能することになった。

 右翼が囮か捨て石のようになってしまったが、これは右翼両翼の指揮官がレエブン侯に従わず通常通りの用兵としたせいだ。彼らは散開しきった本隊を餌として奥深くまで浸食するであろう帝国騎士の横っ面を叩くと称し、騎士を相手にそれなりに理にかなった陣形をとっていたにすぎない。

 

 必要な人間の戻りが遅いばかりかあらゆる事態が裏目に出たことで癇癪を起していたレエブン侯は、それでもどうにか立ち直り、自らが抜擢した平民出身の軍師と多くの打ち合わせ時間を取って戦いに備えていた。

 軍師は、その類まれなる軍事的発想力だけでなく、未知の事象への対応力にも優れていたようだ。

 もちろん、完全な未知であれば神でもないかぎりは対処できないが、平民の彼が貴族社会について色々と不足する情報を補いながら大貴族に仕えるように、レエブン侯の収集した情報を与えられ断片を知った上で未知の力に備えた結果なのだろう。

 

 それでも、悲鳴が近づくにつれ状況は悪化する。撤退は敗走へ、敗走は潰走へと変容する。

 そんな時、前方右――北西より全速で接近する部隊がレエブン侯の視界に入る。

 

「あれは――バルブロ王子の別動隊か」

 

「レエブン侯! 南へ迂回してください! 様子がおかしい!」

 

 子飼いの精鋭から警告の声があがる。

 方向転換しつつ見れば、十数名の兵をその十倍以上の軍勢が追っている。いずれも王国兵のようだが――。

 

「助けてくれ!! アンデッドの大群だ!!」

 

 声をあげた兵たちが軍勢に呑まれる直前、その動きが緩んだ。

 

「ひぃぃいいぃぃ」

 

 兵たちは軍勢を回避しつつあったレエブン侯の部隊へ駆け込んでくる。

 その時、軍勢は何かに操られているかのように不自然に方向を転換し、潮が引くように離れていった。

 

「おい! あいつらは何だ!」

 

 部下が問うと、兵たちは怯え混じりに「血塗れの魔女の呪いだ……」「エンリに殺された奴らがアンデッドに……」などと真相を語りだす。

 事情を聞けば、アンデッドが大発生したのは敗勢が濃厚になった後のことらしい。敵には魔物もいたが、五千の軍勢はほとんどエンリとクレマンティーヌと呼ばれる女戦士の二人のみによって蹂躙された。いずれも戦場を一方的な虐殺の場に変える恐るべき戦士で、過半を殺した後でエンリがそれらをアンデッドの軍勢に変えてしまったという。

 複数の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を操るとは聞いていたが、まさか一軍を屠ってアンデッドに変えるとは想定外だ。

 

「クレマンティーヌ――確か蒼の薔薇との戦いを一人で支えた王国戦士長にも匹敵する戦士だと言っていたな。エンリは骨の竜の操作に徹していたと聞いているが……」

 

「侯爵、帝国の新たな皇妃がどうかしたのですか?」

 

「ああ、それもクレマンティーヌとかいったな。確か、どこの馬の骨ともわからん田舎者だ……と……」

 

「……侯爵?」

 

――()()女戦士クレマンティーヌは帝国の皇妃その人だ。

 

 レエブン侯は直感的に、その荒唐無稽とも思える事実を確信した。

 

「皇妃は『漆黒』のクレマンティーヌだ! 帝国は同盟関係などではなく、例の魔導国から『漆黒』を通じて相当な圧力を受けている!」

 

「ならば、離間でも考えますか」

 

「帝国単体では制御しえないから現状があるのだ。あれほどの化け物魔法詠唱者(マジック・キャスター)、人の世界にいてよいはずがない! ……もはや王国だ帝国だと言っている場合ではないぞ。不快だが、ブルムラシュー侯が生きていたら取り込まねばならんか」

 

 ブルムラシュー侯は王国六大貴族のうち帝国と結んでいる裏切り者であり、レエブン侯はその動きを把握して泳がせている。帝国と極秘裏に交渉するなら、そのルートを使わざるを得ないだろう。

 

――裏切りの屑など関わりたくもないが、もはや国の枠組みにとらわれている場合ではない。化け物どもへの対策を考えなければ人類は滅ぶ。

 

「侯爵の仰る通り、帝国が魔導国とやらを恐れているのは間違いないでしょう。しかし、王国への裏切りととられかねない行動は危険ではありませんか」

 

「王国で軍事力を持つ貴族や王子のうち、私の行動を見透かせる者などいると思うか?」

 

「いえ……可能性があるとしても、せいぜい第二王子くらいでしょうか。もちろん影響力の無い方を含めるなら、第三王女もですが」

 

「ラナー様には知恵をお借りしたくらいだが、ともかくザナック様には理解を得た方がいいかもしれんな。そもそも私とて我が家の安泰が第一で、危険を背負うつもりはない。しかし、あんな化け物を使う連中に帝国と王国が各個に潰されるとなれば別だ」

 

「皇妃の件が確かなら、既に皇帝は喉元に剣をつきつけられているようなものでしょうね」

 

「しかし、皇妃なら政治には干渉できても、諜報までは監視できまい。あとは法国との連携だが」

 

「――レエブン侯!! 陛下の本隊から救援要請が!!」

 

 駆け込んできた腹心の一人が王国の危機を伝える。

 

「奴らの狙いは陛下か!! ならば、軍を再編して救援に向かわねばなるまい」

 

 国王の護りには、王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフがついている。

 だが、レエブン侯のガゼフへの信頼は失われたままだ。

 『漆黒』の脅威を知るはずのガゼフは、まるで破滅願望に囚われたかのように会議で『漆黒』を敵に回す愚行を支持し、それがこの致命的なタイミングでアンデッドの軍勢と遭遇することに繋がった。レエブン侯としてはお望み通りの結果をどんな顔で受け止めているのか見物してやりたい気もするが、それでも彼には王を護ってもらわねばならない。ここで友軍の支援があれば、彼とて破滅願望を再燃させることはできないだろうと考えている。

 

 しかし、脅威はアンデッドの軍勢だけではない。遠かった断末魔のうち一束が聞き分けられる程度まで近づいている。

 

「軍のまとめ役はお任せください! 侯は一刻も早くエ・ランテルの城壁内へ撤退し、アンデッドと化け物への警戒を!」

 

「任せる! 私の名前であれば好きに使え。ガゼフが王を守れそうなら、一当たりして撤退でも構わん」

 

 軍師は最小限の編成で本隊への救援へ向かう。

 大部分は散開したまま秩序ある撤退を続けさせた方が、化け物を下手に引き寄せないだろうという判断だ。

 

 レエブン侯は撤退を開始するが、王の軍勢を溶かすように侵食するアンデッドの軍勢を何度も視野に入れた。

 あの死地から味方がどれくらい戻ってこられるか――そんなことを考えて立ち止まった僅かな時間が、追跡者との距離を詰めてしまう。

 その時、一帯に名状しがたい化け物の鳴き声が響き、馬がぶるりと震える。

 

“メェェェェェエエエエエエ!!”

 

 声は、まだ遠い。それでもレエブン侯は化け物を探す勇気も出ず、ただ馬の腹を蹴るが――動かない。

 

「動け! 糞! 訓練したことが裏目に出るか!」

 

 怯え切った軍馬は命令を受け付けず、ただ逃げないという訓練のみに立ち返ってしまった。

 動かぬ馬の背の上で、レエブン侯は遠く王の部隊を見つける。

 

 その姿は、まさに肉の波に呑まれるが如くだった。

 

 アンデッドの軍勢は、陸から空から、そして地中からも王だけに迫った。

 奮戦する戦士長ガゼフ・ストロノーフはアンデッドを次々と肉塊に変えていくが、全方位より迫る肉の脅威を退けきれるはずがない。十のアンデッドを蹴散らせばその肉塊から三十のアンデッドが生まれ、その全てが襲い掛かっていくのだ。

 ほどなく二人は肉の奔流に呑まれていき――。

 

“メェェェェェエエエエエエ!!”

 

 馬はびくりと震え、その場に佇んだままさらに身を縮めた。

 

「失礼! 《獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)》!」

 

 子飼いの冒険者チームの神官が対恐怖の魔法を使い、レエブン侯の馬は平静を取り戻す。

 

「レエブン侯! 退路を先導するよう命じられました!」

 

 元オリハルコン級のチームはラナーに預けたままになっており、彼らは普段あの軍師の護衛に回していた元金級のチームだ。

 

 レエブン侯は頷くが、状況を確認せずにはいられない。

 王の方を一瞥すれば、その姿は判別できないが、ガゼフが先ほどを上回る速さと大きな動きでアンデッドを始末している。あれは庇うべき主を亡くした者の動きかもしれない。救援に入った味方は、既に総崩れとなっている。

 

 レエブン侯は激戦の中心から周辺へと視線を滑らせ――一瞬だけ目を合わせてしまった。

 

――バルブロ王子!?

 

 カルネ村近郊より敗走してきたはずのバルブロは、王の本陣から少し離れた場所に居た。父王の窮地に救援に入るでも逃げるでもなく、ただ仁王立ちになってその最期を見守っていた。

 

――殿下は今回が初陣のはず。少々剣を習ったくらいで、あそこまで落ち着いていられるだろうか。

 

 レエブン侯は驚きを隠せない。バルブロという男を侮っていたかもしれない。

 

「少しだけ時間を貰う。私を守れ!」

 

 バルブロは敗軍の将だ。五千もの兵を率いておきながら血塗れの魔女エンリに敗れ、さらに自軍をアンデッドにされてしまった。

 エンリの恐ろしさを知るレエブン侯からすれば、誰が率いても同じことになったとしか思えない。しかし、何も知らない指揮官の立場であれば、たった二人か三人に一軍が敗れたというのはあまりに悲惨な状況だ。

 普通の王族ならぶざまに逃げ出すか、気が狂うか、先の無い突撃を敢行するか――いずれにしても、あのような不気味なまでの自信に満ちた態度を取っていられることはありえない。

 

「王子!! ――バルブロ殿下!!」

 

 レエブン侯は回復した馬を操り、バルブロに駆け寄る。

 

「無礼者! 邪魔だ!」

 

 涙も流さず憎しみの念を送り付けるかのようにアンデッドの軍勢を睨みつけるバルブロは、レエブン侯など眼中にないようだ。

 

「で、殿下! 私です! 早く逃げましょう!!」

 

「むむ――そうか、レエブン侯といったな。貴様は王が――父が死のうという時に子に逃げろというのか!」

 

 レエブン侯は強い違和感を感じる。レエブン侯はバルブロよりザナックの継承を支持してはいるが、王族に顔を忘れられるほど疎遠にしているわけではない。弟を推す者への嫌味にしては、堂々とし過ぎていた。

 だが、今はそれどころではない。

 

「しかし、我々ではどうしようもありません。一刻も早くこの場を離れなければ!」

 

「このような結果を招いた者の責任として、私には見届ける義務がある。侯爵は逃げたくば一人で逃げるがよい」

 

「……忠告はしましたぞ!!」

 

 レエブン侯は一礼し、部下とともにエ・ランテルの方向へ駆け出した。

 

――ただ一度の敗戦でとんでもない大物になったかと思えば、ただおかしくなっていただけか。……あるいは、たとえ本物だとしても、この地獄から生還しなければ何の意味もないのだ。

 

 死地が人を成長させる――軍事において何より損耗を嫌うレエブン侯としては好ましくない言葉だが、そういうことを真っ向から否定するわけではない。まるで人物が変わってしまったかのようなバルブロにも、そういうことが起こったのだと素直に理解できた。

 しかし、そんな経験を積んだ人材を喰らい尽くし、帰さないのが死地というものだ。そこを逃れる意思が無ければ、どのような成長も意味を残すことはないだろう。

 

 エ・ランテルの城門が見えてくる頃には、レエブン侯の頭の中からバルブロの存在は消えていた。見逃してはならない違和感とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一騎当千――それを敵に回すことが、これほど絶望的なこととは思わなかった。

 

 バルブロ(死の宝珠)は、数刻前のバルブロと五千の王国軍の悪夢をまさに反対側で追体験することになった。

 ガゼフ・ストロノーフの武技によって食屍鬼(グール)動死体(ゾンビ)は十単位で吹き飛び、王とガゼフを圧し潰すように飛び込んだ集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)は背後から急降下した貴重な骨の竜(スケリトル・ドラゴン)とともに両断されて左右へ散った。魔法の剣は物理攻撃が通用しないはずの死霊(レイス)さえも容易に切り裂いてしまう。

 全方位から波状攻撃をかけ、その全てを斬り散らされる。

 千に届こうかというアンデッドを投入した段階でレエブン侯の残した援軍も戦士団も壊滅状態となり、敵は実質的に王国戦士長ただ一人。

 だが、そこからが宝珠にとって悪夢の始まりだった。

 投入したアンデッドが千五百を超えても、王を守りながら奮戦するガゼフに対し打つ手が何も無い。だが、それでも――。

 

――王はここで死なねばならない。それが死の支配者たる魔導王陛下の御意思なのだ。

 

 バルブロ(死の宝珠)には大切な任務があるが、死の支配者たる魔導王モモンガへの敬意と崇拝はそれより上位にある。

 死の支配者が死を予定した者――あのランポッサⅢ世が生きているというのは、あってはならないことだ。

 直属の主マーレは単に王が死ぬで()()()から予定を変更したのかもしれないが、死の支配者の偉大な魔法により死を賜るはずであった者が生きているという事実は変わらない。

 非常識に広々と散開して間延びした陣形が死ぬはずの王を救った。それは偶然の産物かもしれないが、死の支配者から逃れる偶然などあってはならない。死を撒き散らすべく何者かに創造された宝珠としては、全てを賭けてでも正しき死の運命を与えなければならないのだ。

 そして、この身体――王子バルブロの記憶でさえ、肉親の情はあれども、父王の死は来るべき自らの明るい未来への入り口として認識されている。

 

 偉大なる死の支配者に死を予定され、血を継いだ息子にさえ死を望まれる者が、生きていて良いはずがない。

 もはや宝珠は、止まらない。

 

――ならば、あれは何か。

 

――死の執行者たるべき(宝珠)の手に余る、あの一騎当千の獣は何か。

 

 バルブロ(死の宝珠)は次々とアンデッドを生み出しながら、ガゼフ一人が構成する悪夢のような鉄壁の守りに苦しんだ。

 かつての自身ならば、そのまま全てのアンデッドを彼一人の前に散らせることになったかもしれない。

 

 しかし、死の宝珠は既に一騎当千の戦いを経験している。それは蹂躙する側でありながら、回復役のミコヒメを守る戦いでもあった。

 ガゼフは強い。だが、あの時の自らと同じことができるわけではないのだ。

 死の宝珠は、次の波状攻撃に全てを賭ける。

 一騎当千の戦いを経て、視野は広がっている。宝珠も成長している。

 

――これが止められれば、ランポッサに直接魔法を撃つ。任務は果たせぬが、運命は正さねばならぬ!

 

 王子の姿であっても、王を攻撃すれば即座にガゼフに討たれるだろう。

 ガゼフの装備には嫌な感じがする。宝珠を拾わせても、これまでの人間のように支配することができるとは限らない。

 そんな不安さえも、今の宝珠を止めることはできない。

 

 空からは残る骨の竜(スケリトル・ドラゴン)二体を投入し、ありったけの骨の禿鷲(ボーン・ヴァルチャー)と、陽動として死霊(レイス)も一体向かわせる。

 地上では大量の食屍鬼(グール)黄光の屍(ワイト)を混ぜ、さらに足元から百足状の骸骨(スケルトン・センチュピート)に隙を突かせる。

 さらに集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)がタイミングを一瞬遅らせて突っ込む。

 

 それら膨大な戦力の過半が斬り伏せられた時、地中を行かせた残る全てのレイスたちがランポッサの枯れ木のような足を掴み、這い上がり、老いた魂を抉り潰した。

 

 老人は、声もなく静かに崩れ落ちる。

 

 守る者を失ったガゼフは咆哮し、血の涙を流し、驚異的なスピードで周囲のアンデッドを駆逐していく。

 レイスたちも不思議な剣に斬られて消滅し――程なく、アンデッドの軍勢は壊滅した。

 

――我の、いや、運命の勝利だ。

 

 バルブロ(死の宝珠)は正しき死への抵抗を凌駕してランポッサ三世に与えることができた正しき運命を心から誇り、後の事など全く考えてはいなかった。

 ただ運命を正したことを誇り、枯れた老人の死を噛みしめ――。

 

 気が付けば、ガゼフと戦士団の生き残りに囲まれていた。

 ここでようやく事の重大さを思い出す。

 マーレのしもべとしての任務を果たせず、その主である死の支配者を失望させるなど、あってはならないことだ。

 

「バルブロ殿下!!」「殿下! なぜお逃げにならないのですか!」「このような場所で、一体何を!」

 

「――決まっておろう。王の死を見届けていたのだ」

 

 胸を張って答えるが、その誇りはバルブロではなく死の宝珠としての誇り。

 つまり、演技を忘れたのだ。バルブロ(死の宝珠)は自身の失態に気付き、言葉を失う。

 

 戦士団がざわつく。バルブロの記憶を辿れば、あまり友好的ではない者たちだ。

 自らが招いた敵襲を押し付け、父王の死を待っていた王子が相手となれば、暗い感情が見え隠れするのも仕方のないことだろう。

 まして、バルブロの立場では王の崩御は継承に繋がる。それを望んでいたと思われても仕方がない処がある。

 そういう邪推で済めば良いのだが――。

 

「バルブロ殿下は、我らの戦いをずっと注視しておられた!!」

 

 ガゼフだ。王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、強い感情と決意の篭もった瞳で射抜くようにバルブロ(死の宝珠)を見つめながら、大きな震える声でそう言った。

 

――そうか、気付かれていたか。我も懸命だったのだから、当然のことだな。

 

 バルブロ(死の宝珠)は終わりの時が来たのを理解し、胸を張ってガゼフに向き直る。

 万策は尽きた。

 屈強に育ったエンリの身体ならともかく、今の(バルブロの)身体ではどうにもならない。

 かといって、いまさら周囲の雑魚を幾人片付けようと意味が無い。

 

「ふん、ガゼフよ。言いにくいなら我の口から言うてやろう。……我は、ただ見ていただけではない。我が軍勢が王の命を奪ったのだ!!」

 

 開き直るバルブロ(死の宝珠)を前に、ガゼフは緩慢な動きで王家に伝わる宝剣を抜き、無言のまま大地に突き立てる。

 

「……ほう、これは我に自ら始末をつけろということか」

 

 宝剣を振るった所で勝てる相手ではない。バルブロ(死の宝珠)は自嘲の笑みすら浮かべる。

 そしてガゼフが動き、宝珠が終わりを覚悟したその時――。

 

 ガゼフが跪き、地に頭をつける。

 

「国王陛下の、殿下の御父上の死の責任は、この王国戦士長ガゼフ・ストロノーフにあります!! 私が殿下を死地に追いやり、陛下を殺めた災厄を招き寄せたのです!!」

 

――は!?

 

 綺麗な、土下座だった。

 バルブロ(死の宝珠)のみならず、戦士団の部下たちも皆呆気に取られている。

 

「殿下の手でご処断ください。私はあのエンリを、『漆黒』の力を知っておりました。にもかかわらず殿下を死地へと送り込むカルネ村出兵に賛同し、このような結末を招く大きな災いを呼び寄せ、そして陛下を守り切ることもできなかった。陛下より受けた恩義も返せぬまま、ぶざまに生き延びたのです!」

 

「待て……。貴様は王を守って戦ったが、我は見ていただけではないか……」

 

「失礼ながら、我らの足手まといにならぬよう忸怩たる思いで耐えていたのは承知しております! 全軍の指揮官たるレエブン侯が戦場を逃れ、残した援軍が壊滅しても、殿下は護衛すら付けずに残られました。そして、ひと時もその場を離れず目を血走らせて王の最後をご覧になられていました!」

 

 先刻まで目を血走らせてアンデッドを操り王を殺しにかかっていたバルブロ(死の宝珠)は、その言葉に脱力した。

 

「ゆ、許す。……生きるのだ、ガゼフよ」

 

 安堵のあまり、柄でもない言葉が出てくる。

 だが、ここからは私情を捨てて任務のことを考えるべきだろう。

 

「しかし、私は――」

 

「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフに命ずる! 我、バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフを王城まで送り届け、その即位の日まで我が身を護衛せよ!」

 

「……はっ! かしこまりました!」

 

 バルブロ(死の宝珠)はガゼフの戦士団とともに戦場を離脱した。

 膨大な死体の残るこの地に後ろ髪引かれる思いは強いが、死の支配者の所有物に手を出すことは許されない。

 旅路は長い。バルブロの記憶を掘り起こしながら、王国での動き方を考えなければならない。

 




●乱暴な理屈

モモンガ「魔法撃つよ。仔山羊がでてきていっぱい殺すやつ」
一同「素晴らしい! みんな死ぬね!」
マーレ「死ぬみたいです」
宝珠「死の支配者が死を予定したのだから死ぃぬぅのぉだぁぁぁ死ねぇぇ」

●バルブロでごめんなさい

 マーレの協力者というわけではない依り代なんて大事にされませんのでご安心ください。
 ただ、ラナーからの低い評価のおかげで、バルブロは幸運にも黒い世界にご招待されずに済んだようです。

●本当はもっとマーレ視点で……

 延々と戦争の進行を追いながらナザリック脳百パーセントの純粋な感性を出して……と思ったんですが、ただでさえ展開が遅いので頑張って話を進めないといけないみたいです。

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