マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●いったん開戦前に戻ります

 時系列通りにこの話を挟んでしまうとラナーの所業とカルネ村出兵の件の繋がりがぼやけてしまうので、カルネ村出兵を先に書いてこういう順番になりました。無辜の民を踏み台にしてこそラナーかなと。


六四 マーレの暗躍/夜になったら本気出そ

 それは、まだ開戦前のある日のこと。

 マーレは少し悩んでいた。

 

 友好国となったバハルス帝国は、至高の御方の深謀遠慮によってほぼ無傷で魔導国の手中に収まる見込みであるらしい。

 皇帝はナザリックの忠実な下僕であるクレマンティーヌを唯一の正妃として迎え、近々開戦する隣国リ・エスティーゼ王国との戦争に勝利した暁にはエ・ランテルを差し出すことを約束した。トブの大森林を領有する魔導国への配慮だというが、その領有を発表したことはない。クレマンティーヌから聞いたのだろう。

 

 どのような策がここまでの譲歩を引き出したのかは、智謀に優れたデミウルゴスでもアルベドでも完全には理解できないというが、いずれもその事実を間違いないものとして認識している。

 両名は理解の及ばないことに心を痛めているが、マーレとしては自分たち守護者程度では至高の御方の智謀に遠く及ばないのは仕方のないことだと思うのだ。

 

 しかし、このことでマーレの仕事はより困難なものとなった。

 これまでの考え方――慎重に調査して、危険な存在が確認できなければ力押し――では不十分だとわかったからだ。

 

 計画の修正は、黙々と行うべきだ。至高の御方の心を煩わせて良いものではない。

 なぜなら、いまだ人間の国々の制圧に関して具体的な指示がないのは、マーレへの信頼によるものだからだ。

 このことを指摘してくれたデミウルゴスは既に至高の御方の信頼に応え、コキュートスとともに早期にミノタウロスの王国を制圧している。

 それは戦いを伴うものではあったが、それは強き者が支配者となる亜人社会に合わせた最低限のもので、基本的にはミノタウロスの王国の組織を破壊することなく支配することに成功している。

 人間が相手では戦い以外の方法も必要となって困難は増すだろうが、マーレも信頼に応えなければならない。

 

 今では、マーレは人間の国々の制圧が本来自分に与えられた仕事だと思うようになっている。

 マーレ自身や姉のアウラはマーレの孤立を偶発的な事件だと考えていたし、至高の御方もマーレとの再会を素直に喜んでくれたが、ナザリック屈指の智者であるアルベドやデミウルゴスはこれを至高の御方の御意思によるものと確信している。始原の魔法との遭遇とその分析などは普通に調査を命じられていたら難しかっただろうし、ビーストマンの大侵攻における奇跡的とも思える再会の運命さえも至高の御方の掌の上の出来事なのだと言われれば全ての事態の説明がついてしまう。

 であれば、人間という種族をアインズ・ウール・ゴウンに服従させること自体が、本来はマーレに与えられた仕事であるように思えてくるのだ。

 

 しかしながら、バハルス帝国は既にマーレの手を離れており。

 最も危険なスレイン法国については、マーレの報告を受けて警戒を強めた至高の御方の命令により全ての守護者に手出しが禁じられている。こちらは時間をかけて情報を収集した後、総力をかけて滅ぼすことになるだろう。

 よって、残る主要な人間の国々はリ・エスティーゼ王国と、遥か西の聖王国くらいしかない。

 そして聖王国の付近にはデミウルゴスが“加工場”を作る許可を得ている。詳しい話は聞いていないが、竜王国近辺でまとまった量の良質な皮革が手に入ってスクロールの生産の目途が立ったものの、素材を安定供給できる地域は限られているのだそうだ。

 

 そうなると、リ・エスティーゼ王国こそマーレが制圧しなければならない領域ということになる。

 手つかずに等しい領域ではあるが、情報は集まっている。侮るつもりはないが、どう考えてもたいした勢力ではない。

 あのガゼフ・ストロノーフが国で一番の実力者であり、人間に嫌悪されるアンデッドであるイビルアイが王宮に出入りできる程度の脇の甘さを供えた国――バハルス帝国よりよほど容易に制圧できる勢力だ。

 であれば、やはり力押しで蹂躙するのではなく、至高の御方の御意思に倣ってバハルス帝国同様なるべく無傷で手中に収めなければならない。

 この戦場における混乱こそ、目的を果たすのに最善の機会であったはずだが――。

 

 

 

「私はこの度の戦争で超位魔法《黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)》を使うつもりだ」

 

 

 

 至高の御方が究極の魔法の使用を明言した時、マーレはアルベド、デミウルゴスらとともに絶賛した。

 至高の御方が魔導王モモンガとして脆弱な人間たちの前にその存在を明らかにしたのだから、惰弱な人間たちはすぐにでもひれ伏すべきだ。

 そうならないのは、先に人間の地を踏んだ自身の非であるような気さえしてしまう。

 だから、至高の御方の偉大さをわかりやすく伝える超位魔法の力が振るわれるのは、歓迎すべきことでしかない。

 

 しかし、マーレの計画は再度の修正を強いられる。

 

――これから死ぬ人間は使えないか。

 

 リ・エスティーゼ王国より従軍した者は、ことごとく死ぬ。それは確定事項だ。

 マーレとしては、至高の御方が死を定めた者をわざわざ助けてもらおうとは思わない。

 もちろん、そのことで計画が好転するならお願いするかもしれないが、こちらで計画を修正してどうにかなる範囲なら至高の御方の手をわずらわせるべきではないだろう。

 

――国王が死んだらどうすればいいんだろう……。あの協力者(ラナー)を確保して、もう少し話をするしかないかな。

 

 新たな協力者(ラナー)は仮病を理由にして帝国領内に留まっている。勝手に戻ることはないかもしれないが、帝国に囚われれば少し面倒なことになりそうだ。

 色々な手段を考えたが、至高の御方の手中に収まりつつある帝国に勝手な手出しはよくないだろう。

 申し訳なく思いつつも、マーレはクレマンティーヌを使う許可を求めることにした。

 

 

 

「なるほど。その協力者(ラナー)についてはデミウルゴスも高く評価していたし、確保するのもいいかもしれないな。それにしても、わざわざ許可まで求めなくてもクレマンティーヌは元々はマーレの部下なのだし、ナザリックのためになるなら好きに使って構わなかったんだが」

 

「えっと、あの、あまりクレマンティーヌに深く関わらないようにとアルベドさんから伝えられていたので、何か重要な任務を与えているのかもって思ったんです」

 

「い、いや、重要と言う程でもないが、性きょ――まあ色々とな。そんなことより、あれはマーレから見ればどのように扱ってもいい部下かもしれないが、今や友好国の皇帝の妻となったのだ。だからもう以前のような――コホン、ともかく、今後は夫婦関係を尊重してやることだ」

 

「尊重、ですか。えっと、それは――」

 

「わからなければ、アルベドかデミウルゴスにでも聞くといい」

 

 夫婦というのは人間のつがいのことだ。そんなものを尊重と言われてもマーレにはどうすればいいか想像もつかないが、至高の御方をわずらわせるより守護者の仲間に聞いた方が良いだろう。

 

 

 

 そんな時、デミウルゴスは嫌な顔ひとつせず、適切な答えへと導いてくれる。

 

「いいかい、マーレ。夫婦関係を尊重というのは色々な意味がある言い方だけれど、私たち守護者は常にモモンガ様の意図を推し量った上で意味を考えなくてはならない」

 

「はい」

 

 マーレは優しく諭してくれる仲間の厚情に感謝しつつ、真剣な顔で頷く。

 

「――そのクレマンティーヌについては、マーレの部下として認めてくださっているのにアルベドを通して関わらないよう指示もしていた。これは、夫婦の時間を作らせたかったと考えるのが自然だろう」

 

「えっと、時間を作るのは何のためですか?」

 

「それは、早く交配させて帝国の後継者を作らせたいのだろうね。そうなれば、次の皇帝は我々のしもべの子ということになる。他にも様々な手を打たれているとは思うが、モモンガ様はそういう支配の形をお考えなのだろう」

 

「なるほど。それなら、えっと、早く子供を作るように話しておいた方がいいですか」

 

「そうだね。モモンガ様は私たちの考えなどお見通しだろうから、マーレが思うように行動してみるといい」

 

 マーレのするべきことは、決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは纏わりつく不安を振り払うように、与えられた自室の安楽椅子で伸びをする。

 

 来るべきものが来た。

 唐突に皇帝の正妃という地位を与えられたのは間違いなくモモンガ――魔導王の後押しによるものだろう。

 ならば、地位に伴う責任を果たさなければならない。それを十分に果たせていないと判断したからこその、追加の命令なのだろう。

 

 マーレから与えられた新たな命令は二つ。

 

・早く子供を作ること

・帝国が領内に留まる王国第三王女ラナーを確保した場合、魔導国へ引き渡すこと

 

 この命令は、ようやく自身の地位を受け入れ始めたクレマンティーヌにとっては一大事だ。

 

「子供って……。今の私って、帝国の内部に潜入する命令を受けた結果、どーしてかここまで来てしまっただけなんですけど――」

 軍に入れると思って謁見したら寵姫になった。そういう理不尽な流れを理由も理解しきらないまま説明した。

 自分でも何を言っているのかわからなかったが――その返答はさらに斜め上だ。

 

「何を言っているんですか? モモンガ様のご命令に従った結果そうなったのなら、それがモモンガ様のご意思に決まってるじゃないですか」

 

「は? あのわけわかんない皇帝の好みとか特殊性癖とか、(ドラゴン)で脅したら何故か結婚式になることとか、何から何まで全部読み切っていたと? それじゃモモンガ様ってその智謀まで神の領域にあるってことなんじゃ……」

 

「そうですよ?」

 

 疑問を持つことさえ理解できず小首をかしげるマーレの態度は、そのことが幼子でも知る世界の摂理であるかのように感じさせた。

――ありえない。普通に考えればありえないけど……。

 

 モモンガは絶対的な力を持つマーレの主であり、間違いなくこの世の絶対者にも等しい存在だ。

 クレマンティーヌは知っている。この世界では、強者は弱者の前で取り繕う必要は無い。

 弱者の前では地が出るし、それが許されるものだ。クレマンティーヌは弱者をいたぶるのが大好きだし、あのすかした漆黒聖典最強の番外席次でさえ隊長をぼこった時に馬の小便で顔を洗わせる所まで徹底的にやっていた。聖職者ぶっている一部聖典の隊員も、任務中には敵や捕虜になるエルフや亜人に対して悪口雑言のオンパレードだ。

 ならば、絶対者であるモモンガが取り繕うべき相手などこの世界には存在しない。マーレの言うことは、まごうことなき真実と考えるしかないだろう。

 

――それなら、疑念を持ったような動きをするだけでもやばい。命令通りやって、先の事はもうモモンガ様の思う通りの道筋になるだけって割り切るしかない。

 

「……わかりました。では、するべきことを教えてください」

 

 クレマンティーヌは、ただ命令を受け入れることにした。

 

 魔導国と帝国の関係のため、何より子作りを急がなければならない。マーレの口ぶりから、優先度が高いのはそちらだ。

 ラナーについては、マーレ自身が必要としているという。

 『黄金』と呼ばれ美貌で知られる姫を求める理由はきっとろくでもないものだろうが、クレマンティーヌの知ったことではない。そんなことより、この二つの命令が同時に来たことが問題なのだ。

 

――せっかく出せる情報出して媚び売ってんのに、圧力かけたら関係が変わっちゃうんだけど。

 

 皇帝ジルクニフと正妃クレマンティーヌの関係は、既に成婚直後から幾らか変わり始めていた。

 クレマンティーヌは元々は帝国内部に入り込むつもりで帝都に来ていた。とはいえ、寵姫でも驚いたのに正妃にされるなど夢にも思っていなかった。そんな状況で、一国の皇帝をたばかっていられるほど賢くはない自覚もある。そして、バレなければ何をしても問題ないという考え方も健在だ。

 だから、自身の目的まで明かす所ことはできないにしても、『漆黒』と自身の位置づけについては幾らか喋ってしまっている。魔導国の圧迫外交の現状を伝え聞くに至って、それくらい卑屈にならなければ今の立場が維持できないと考えたのだ。

 そのため、以後は出来る限り夫となった皇帝の側に立ち、魔導国への対処についても様々な相談を受けて来た。トブの大森林が支配地であることを教えたことで将来のエ・ランテル割譲などというとんでもない流れを引き出してしまったが、街の人間にはご愁傷様という以上の感情はない。こちらも必死なのだ。

 もちろん、皇帝が自身に求めていた虚像から少しずつ離れていることは自覚している。それでも皇帝の方がやたらと前向きで、エ・ランテル割譲などは魔導国の脅威を法国に認識させる良い機会などと言っているくらいだ。おかげで、クレマンティーヌもかつての“義の人”というイメージの延長上に指先だけ引っかけてぶらさがっていられる。

 ともかく、命令は帝国の中枢に潜伏すること。今の身分で帝都に留まりさえすれば問題ないと思っていた。

 だが、新たな命令はそう簡単ではない。世継ぎを作ることと、ラナーに関する圧力をかけることは、それだけで矛盾する。

 

――うん。後で考えよう。訓練でも行ってこよ! 何人かボコればいいアイデアが出るはず!

 

 クレマンティーヌは辛い現実より楽しい気晴らしの場へ足を向ける。

 ラナーのことは後で考えれば良い。帝国が捕えなければ帝国領を出た所で確保する予定になっているということで、そうなれば問題はないのだ。

 この訓練が終わったら、護衛の立場を活かして皇帝の側に仕えながら対処を考えればいい。

 

 クレマンティーヌは乱雑に詰まれた木箱を満たす大量のポーションのうち三本ほど取って、いつもの訓練場へ向かう。

 

――それにしても疲労回復用って、どんだけヤらせる気なのよコレ。

 

 マーレが「適当に用意したので使ってください」と置いていったものだ。あのンフィーレアが帝都で開いたバレアレ薬品店のものなので問題はないだろうが、紫がかった微妙な色のものが多く混じっているので試作品なのかもしれない。一応そこらの騎士を痛めつけてから試してみるつもりだ。

 正妃になった時に将軍格待遇となったことで新入り虐めを蹴散らす楽しみは失われたが、この地位なら中堅以上の実力者を特別な訓練だとして引きずっていくことができる。それでいて、地位に伴う仕事は全くと言っていいほど存在しない。クレマンティーヌが魔導国と繋がりの深い『漆黒』の一員であったことから具体的な権限や役職を与えるわけにはいかないのだろう。

 このことは、同じく帝国で軍務に就いて日が浅い実力者ブレイン・アングラウスが嫌々将軍としての研修を受けて様々な権限を与えられているのとは好対照だ。そのブレインからは余計な仕事がないことを羨まれていて、クレマンティーヌも責任のない立場を気に入っていたのだが――権限が無いということは、今回は皇帝に直接頼むしかないということだ。

 

――後宮でなら話聞いてくれるし、夜になってから話すしかないかな。

 

 もう一つの任務――夫婦生活に差し障っても困るというのが、悩みどころだった。

 

 

 

 

 

 訓練を終えたクレマンティーヌが上機嫌で皇帝の護衛に向かうと、珍しく冷静さを欠いたジルクニフの声が聞こえる。

 

「すぐに突っ返せ! 宣戦が済んでいようと知るか! 馬車にでも詰め込んで、エ・ランテルの付近からは商人にでも運ばせればいいだろう!」

 

「しかし……敵国の姫とはいえ、王族にそのような扱いはどうなんでしょう……」

 

「いらん! 扱いに困るなら勝手に捕えた奴が考えれば――いや、取り乱して済まない。ラナーについてはこういう場合の外交の前例を調べ、王国まで一刻も早く丁重に送り届けさせよ」

 

 状況は夜まで待ってくれなかった。

 クレマンティーヌは心の中で頭を抱えつつ、ノックもせずに部屋の中へ飛び込む。礼儀などあったものではない。

 

「陛下! それは少しお待ちください」

 

「クレマンティーヌか。言いたいことがあるなら部屋で聞こう。ここでの立場はあくまで直属近衛――私の護衛だということを忘れないでくれ」

 

 それはわかっているが、魔導王の命令は絶対なのだ。

 とっさの事で何も理屈が思いつかないが、命令には何があろうと従わなければならない。

 幸い、部屋の中にいるのは皇帝の他、この件の報告に訪れたバジウッドだけだ。無茶を言っても正妃の専横などと騒ぎ立てるタイプではない。

 

「陛下。ただ一度だけわがままをお聞き入れいただきたく。どうかラナー王女を王国へ返すのはおやめください」

 

 クレマンティーヌは跪き柄でもなく弱弱しく懇願するが、ジルクニフは目を背けたままだ。

 

「情報局の方では掴んでいた。あの女は、体調不良などというふざけた理由でダラダラしていたんだ。帰ろうと思えばすぐにでも帰れたはずだろう。私は――帝国はあの女の思い通りに行動するわけにはいかん」

 

 その言葉には苦手意識を越えて嫌悪感のようなものまで染み出している。これでは皇妃の顔でどう懇願しても結論は変わらないだろう。

 クレマンティーヌは小さく溜息をつき、静かに立ち上がる。自分はそれほど器用な人間ではないから、腹をくくるしかないところだ。

 意識の端でバジウッドの位置を確認しつつ、一転して低く冷たい声を出す。

 

「それならば、私は護衛として陛下を守るためにお伝えしたいことがあります。魔導国はエ・ランテルの獲得後を見据え、王国民に人気のあるラナー王女の身柄を必要としています。御身の安全のため、ご配慮いただきますよう」

 

 どうせ自身の後釜(マーレのおもちゃ)か何かだろうと想像していたが、その場で考えたにしてはマシな理屈かもしれない。

 しかし、この場でこれを言うのは間違いなく悪手だ。ジルクニフは不快感をあらわにする。

 

「クレマンティーヌよ。お前が魔導国の影響下にあることくらいはわかっているが、部下の前でそのようなことを言われて素直に聞けるとでも思っているのか」

 

「面倒なのは嫌いだと言ったはずです、陛下。それに力の及ぶ限り陛下をお守りするという約束は今でも変わらないんでね。バジちゃんが邪魔で生き残るための正しい選択ができないというなら、私が消してあげてもいいですよ」

 

 肉食獣の笑みを向けられ、バジウッドは鼻白む。

 

「勘弁してくださいよ。夫婦喧嘩は犬も食わねえって言うでしょう。お二人の間に割って入るほど野暮じゃないし、私は何も聞いてませんぜ」

 

「へえ、意外とプライドとか無いんだね」

 

「陛下がやりあえって言ったら、まあ命を懸けるのが仕事なんでやりますがね。命じられもしないのに無駄死にするのは陛下の嫌いな国家の損失ってやつでしょう」

 

 視線を向けられたジルクニフは、大きく息を吐いて椅子に腰かける。

 

「その通りだ、バジウッド。お前も……そしてクレマンティーヌも我が帝国の貴重な戦力だからな。たかが敵国の女狐一匹のために失うつもりはない」

 

 クレマンティーヌは安堵し、その場でジルクニフに跪く。

 ここでジルクニフに突っ張られてしまえば、潜伏の任務が台無しになるところだった。

 

「ご理解いただけたよーで恐縮です。陛下」

 

「戦力であり続けてほしいとは思っているが、今さら臣下の礼など白々しいな。お前の忠誠心は魔導国にあるのだろう?」

 

「忠誠心? 何ですかそれは。私はまだ死にたくはないし、アンデッドにもされたくないだけです」

 

「しかし、ここは帝都アーウィンタールの皇城だ。帝国で最も安全な場所だぞ。そこで皇妃の地位にありながら公然と魔導王の利益を代弁するというのは――」

 

「今の生活も結構気に入っているんでね、その帝国が無くなってしまうのは惜しいんですよ。それとも、夫を殺されたい妻なんていない、とでも言えばご満足ですか?」

 

 ふと思いついた言葉だが、最初からそう言えば良かった、と今さら後悔してしまう。

 目の前の人物は強者でこそないが、知力、胆力、地位の全てを兼ね備えた人類では最高クラスの男性で、多少の異常性癖の気配を差し引いても決して悪い相手とは思えない。

 皇妃など柄でもないが、もう少し女としての可愛げのある考え方を持たなけば任務に支障があるかもしれない。

 あのエンリのように、反吐が出るほど裏表の激しい女になれたらどれほど楽だろうか――。

 

 そんな思考とは裏腹に、クレマンティーヌは皇帝に媚びるタイミングを掴めないまま魔導国の脅威を説き続ける。

 

「――魔導国が我々の力ではどうにもならない相手だということはわかっている。だが、お前は他国の民のためにあの法国すら裏切ったではないか。それが、なぜ奴らには忠誠心を持ち続けているのだ」

 

 ここで、あの“義の人クレマンティーヌ”の虚像が邪魔をする。

 カルネ村の救出だけは、皇帝がクレマンティーヌに拘りを持った理由の根幹であるように思えたので否定しないでおいたのだ。

 演技を諦めたクレマンティーヌは、自身を屈服させた拷問の一端まで話してしまう。

 

「帝国では、高位階の回復魔法をふんだんに使った拷問ってありますか? 何度も何度も私の内臓をぐちゃぐちゃに混ぜたり蟲に喰わせたりした悪魔が、その気になればいつでも転移魔法で飛んで来るんです。それで一生逆らえなくなってるのが忠誠心だっていうなら、きっと私のそれは永遠に魔導国にあるんでしょうね」

 

「……余計なことを話させてしまったな。いざという時は我が身を優先して構わない。四騎士の中にもそういう契約で仕えている者はいるのだ」

 

 知っている。いざという時どころか、最初から魔導国に自身を売り込むかのようにクレマンティーヌに実力をアピールしに来た四騎士のレイナース・ロックブルズのことだろう。

 もちろん、下っ端のクレマンティーヌは戦力をスカウトする立場ではないし、その自身に軽くで一蹴されるような者を連れて行く意味もない。

 

「さすがに、あの女よりは帝国に骨を埋めたい気持ちでいるつもりです。ともかく、こう見えて打たれ強いんで、陛下の特殊性癖だって遠慮は要りませんよ」

 

――きっとマーレやエンリよりずっとマシですから。

 

 余計な一言は、どうにか口に出さずに飲み込むことができた。色恋からは遠ざかっていたので気にしたことがなかったが、故郷の法国にも複数の妻を娶る男性は存在し、彼らが妻一人の場合と変わらず独占欲を持つということを知識としては知っている。皇帝ジルクニフの伴侶として結果を出すためには、そういう細やかな配慮も必要となってくるのだろう。

 それ以上に余計な一言を口にしている件については、クレマンティーヌは全く気にしていなかった。

 

「と、特殊性癖とは何を言っているのだ」

 

「おっと、部下の方の前でする話じゃーなかったですね。申し訳ございません。その罰は今夜にでもお与えください」

 

 クレマンティーヌの知る限り自分が嫁ぐ以前からジルクニフの暴力的な特殊性癖を受け止めている特殊な愛妾はロクシーだけのようだが、彼女は自ら子作りや寵愛を戴くことを目的とした存在ではないと公言している上、それは四騎士や地位の高い者たちにも知れ渡っているはずだ。

 具体的にどうこうと噂されているわけではないが、あれは種類の違う寵姫だと皆が認識しているのは感じ取れる。

 つまり公然の事実ということだが、それでも皇帝の反応を見れば、後宮に押しとどめておくべき話題であったらしい。

 

「――だから、何をっ」

 

「では、当面の危機も脱したようなんでお部屋でお待ちしています」

 

 公然の秘密であっても秘密は秘密。胆力に優れた絶対君主であっても、こういう部分は繊細なものかのかもしれない。

 クレマンティーヌは乱暴に誤魔化して引き下がり、後宮で必要な準備を済ませることにする。

 

――あー、やっちゃったかな。

 

 一つ目の仕事を終えた気の緩みで、皇帝を余計に不機嫌にさせてしまった。

 ただでさえ魔導国の話が多く出た日は皇帝の積極性が損なわれるというのに、この失態は手痛い。

 だが、少なくともラナーの件は口出しをせざるを得なかった。だから、割り切って考えるしかない。

 苛立ちが残っているなら、クレマンティーヌの身体にでもぶつけてもらえば良いのだ。

 どんな行為が待っているとしても、ポーションはいくらでもある。アンデッドにされるより辛いことなど無いはずだ。

 

――夜になったら本気出そ。

 

 まだ夜までは時間がある。クレマンティーヌは、相談事は何でも聞いてくれるというロクシーの部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 その晩、ジルクニフはクレマンティーヌの読み通り、まずロクシーのもとを訪れた。

 

 クレマンティーヌが現れるまで、後宮でジルクニフに歯に衣着せぬ物言いができたのは寵姫たちをまとめるロクシーだけだ。

 ならば、寵姫たちはジルクニフの行為が“特殊”なものであっても、何も言えなかったに違いない。

 そして、ロクシー自身も、ジルクニフは子供を作ってくれば何でも良いという考え方を持っていて、寵姫たちに皇帝の嗜好や都合にあわせるよう指導していたこともある。

 

 だから、恥をしのんで聞かなければならない。

 皇帝の行為について、寵姫たちから何か聞いていないか。どのあたりが“特殊”なのであろうかと。

 言いにくい話なので口の滑りを良くするため昼のクレマンティーヌとラナーの件をひとしきり愚痴った後、遠慮がちに聞いてみたのだが――。

 

「くだらないことを考えていないで、とっとと子供を作ってきてください。昔から男性の行為に細かく注文をつけると子宝に恵まれにくくなるといいますから、そういうことはバハルス帝国皇帝たる陛下の心配するべきことではありませんよ。クレマンティーヌからも早く陛下を寄越すようお願いされているんですから」

 

 だいたい言われることは予想できていたのだが、昼の件を聞いたばかりなのにクレマンティーヌの部屋へと促すのは無神経ではなかろうか。

 

「さっきの話を聞いていなかったのか? お前はあの魔導国の思い通りになる正妃に子を産ませたいのか」

 

「お言葉ですが陛下、産ませないでおいたら何か状況が好転する一手でもあるのですか?」

 

「…………探しては、いるのだがな」

 

 痛いところを突いてくる。

 魔導国の戦力はまだ全くと言っていいほどわからないが、その王が貸し与えたという帝都を震撼させた巨大な(ドラゴン)は人間より遥かに長寿だ。その背に乗って使いを務めた『漆黒』もまだ若く、皇城を一瞬で崩壊させる力を持つという闇妖精(ダークエルフ)に至っては最低五百年以上は生きるだろう。

 ジルクニフが生きている間は――その子供や孫の一生分を含めても――状況が好転する要素は無い。冷静に考えれば、クレマンティーヌを退けたとしても他の干渉が待っているだけだろう。

 

「今日、ちょうど話をする機会があったのでそのあたりも聞いてみたのですが、今のところ子供ができた後についての指示はなく、彼女自身も子育てにはまったく関心が無いそうです。どうせ魔導国の顔色を見続けなければならないのなら、あちらが慢心しているうちに私の手で後継者を育てた方がマシではありませんか」

 

 ジルクニフは舌打ちをしそうになる。

 これはこういう女だった。

 あのラナーの不気味さを伝えても、「嫌でも子供作ってみろよ」という言い分しか出てこない。

 人を作るのは教育で育てるのは自分だから、才能のある組み合わせならば問題ない――そういう考えなのだ。

 

「私の気分はどうあれ、お前に任せれば教育の方は問題ないということだな」

 

「ええ、クレマンティーヌが最優先ですが、余力があれば他にも身籠ってない娘はいますからね」

 

 ジルクニフは顔をしかめ、追い立てられるように部屋を出る。

 

 

 

 

 

 とりあえず直接文句も言いたいし、聞きたいこともある。

 そんなつもりで訪れたクレマンティーヌの部屋だが――。

 

「何だ、その毒々しい紫の薬は。いまさら私をどうかしようとでもいうのか」

 

 ジルクニフはテーブルの上に並ぶものを見咎める。

 

「これはポーションです。実は指示が来たのはラナーの件だけじゃなく、世継ぎを急ぐようせっつかれてるんですよ」

 

 クレマンティーヌは猫のような動きでするりと懐に入ってくる。

 短い金髪が目の前で揺れ、ふわりと女の匂いが漂う。

 

「昼間の罰を与えようって雰囲気じゃなさそうですね。とりあえず始めましょーか」

 

「罰というのは――んむ」

 

 濡れた唇が押し付けられ、その間からぬらりと舌が入り込んでくる。

 細い腕が頭の後ろに回り、ジルクニフは自らの体重を失ったかのようにたやすく抱き寄せられた。

 クレマンティーヌは皇帝の舌を捉えるが、決して手慣れた動きではない。半端に吐息を漏らしながらどうしていいか迷い、口内を撫で、押しつける。そんな脈絡のない動きが繰り返される。

 だが、そんな積極性には物珍しさを感じ、ジルクニフは何事かと思いつつも受け入れる。普段はふてぶてしく振る舞っていても行為となれば常に受け身で、時に小鹿のように怯えたふうでもあった女と同一人物とは思えない動きだ。

 

「――ぷは。一人作ったら陛下の好きなようにして構いませんから、しばらくお付き合いくださいね」

 

「う、うむ。しばらくとは、いつまでだ?」

 

 豹変したクレマンティーヌに気圧されながら、問う。

 帝国最強の戦士に絡みつかれた状態では、たとえ逃れようとしても意味が無いのだが。

 

「とりあえず今夜は朝までか、ソレがなくなるまで、ですかね」

 

 寝床で組み敷かれると、もはや身をよじることもできない。

 自由になる首を少し動かせば、床に積まれた木箱が視界に入った。その中身は全てテーブルの上に並ぶ薬瓶と同じものだ。

 

 

 

 結局、ジルクニフは朝になって公務が始まる直前まで部屋を出ることができなかった。

 一向に減らないポーションの山を見ながら、こういう使い方をロクシーに知られることだけは避けよう、クレマンティーヌには口止めをしておこうと心に決めた。

 次代の皇帝を作るのも皇帝の役目ではあるが、ものには限度というものがある。すべての寵姫の部屋にこれが常備されてはたまらないからだ。




●そろそろ

ハゲそう



















エンディングのラナーに乾杯

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