マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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※視覚的に不快というか、ぐろい描写があります。


第十三章 舞踏会と二人の不死者
五八 黒鉄の悪夢と、式典の正体


「舞踏会、か……」

 

 モモンガは、自らを仰ぎ見ていたマーレのキラキラした瞳を思い出し、骨しかない頭を軽く振る。

 これまでは、NPCたちの過分な期待は、NPCたちの過分な働きによって満たされてきた。

 だが、モモンガは本来慎重な性格だ。今回もそうなるのではないか、などと楽観的に考えていたわけではない。

 

 それでも、舞踏会についてマーレの前で自信ある態度を示したのは、単に間が悪かったからである。

 なぜ自分は、デミウルゴスも居る場でマーレの話を聞いてしまったのか。

 デミウルゴスの眼鏡越しの瞳もキラキラと輝いていた。その瞳は宝石でできてるから当たり前なのだが、普段の五割増しで輝いていた気がする。

 

――「さすがはモモンガ様。既にしもべの人間を正妃とさせて皇帝に首輪を付けてあったとは、何という神算鬼謀」

――「あのクレマンティーヌがこんな所でも役に立つなんて、す、すごいです」

 

 モモンガが予め潜入を命じておいたクレマンティーヌは、皇帝の正妃となることが明かされた。

 魔導王モモンガの名を出して接触したときには、既に帝国はモモンガの手中にあったも同然だ。

 そんな不思議な事態を前に、感動を隠すことができなかったデミウルゴスとマーレ。

 しかし、モモンガとしてはクレマンティーヌはマーレの教育に悪いから遠ざけただけであり、騎士たちは帝国を敵に回したくないのでどこかの魔獣のせいにして、慌てて送り届けさせただけなのだ。

 

 もちろん、モモンガにはデミウルゴスやマーレを失望させるようなことを言える勇気など無い。

 むしろ、全ては自らの掌の上の出来事であるように振る舞うことで、当然ながらその結果である舞踏会への対処も考えなければならなくなる。

 

 その場で気軽にデミウルゴスに話を振ってみると、なんとダンスの知識は持っていなかった。

 二人を下がらせた後、一流の執事のような作法を見せるセバスに期待したが、そちらも駄目。

 駄目元で、セバスにダンスの知識のある者を探させてはいるのだが。――期待はできない。

 

 モモンガは頭を抱えて部屋の中を転げまわりたいような気持ちになってきた。

 試しに少し転げまわってみたが、何も事態は改善しない。

 

「やばいな……デミウルゴスも、セバスも駄目か。予想外の事態の好転に気が緩んだと思えば、このざまだ……」

 

 

 当初、事態の好転に気を良くしたモモンガは、ダンスなどどうにでもなるという態度をとっていた。

 所詮は他人事である。自分が直面していれば精神的重圧を感じただろうが、今回は使者として出る者たちのために指導役でも用意してやればよい。

 人間の女(クレマンティーヌ)を使って不健全で爛れた性生活をしていたマーレに、上品な社交を学んでもらえれば教育という点でも良いのではないかとさえ考えた。

 紳士とか淑女とかいう、上流階級のアレである。昔の仲間ペロロンチーノなどが語っていた変態紳士(いまどきのしんし)とは違う。

 モモンガは子供に習い事をさせる親のような気持ちになって、そういう部分への期待が細かなリスクを塗りつぶしてしまった。

 

 もちろん、帝国と付き合っていくならいずれは自分も呼ばれることもあるかもしれない。友好関係を築くなら幾度も誘いを断るわけにもいかない。

 モモンガは社会に出た後は勉強しないタイプの社会人だったが、期限さえ迫ってさえいなければ趣味のような気持ちで入っていくことはできる。

 だから、適当に指導者を探し、良い機会なので後で自分ものんびりと訓練をしておけば、などという前向きな気持ちにさえなっていた。

 

 しかし、甘かった。

 

 セバスの牧場や山狩りで獲得したというシャルティア所有の人間(おもちゃ)の中にも、ダンスができる者は居なかった。

 ナザリック地下大墳墓の付近の人間には文明など無いに等しいので仕方のないことだ。

 人間の獲得は初耳で、シャルティアは汚部屋が露見したような顔をしていた。だが、幼さを残した少女しか居なかったことでペロロンチーノの趣味を思い出し、酷いことをしているふうでもないので大目に見ることにした。――所在地の情報の拡散を防ぐため、デミウルゴスに乞われて墳墓周辺の山狩りとその始末を一任したのはモモンガ自身だからだ。

 踏み込んだタイミングが奇跡的に良かっただけかもしれないが、モモンガは着せ替え人形遊びのようなものだと思うことにした。

 

 

 ともかく、このままダンスができる者が見つからなければ、せっかく皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)“救出”という不測の事態を活かしてバハルス帝国との対等な交渉に成功した魔導王モモンガの立場もいきなり丸潰れである。

 それより辛いのは、守護者たちの期待を裏切ることだろう。神算鬼謀の果てに迎えた赤っ恥で部下の信頼を裏切ってしまえば、これまで綱渡りのようにして保ってきた支配者としての面目まで丸潰れとなる。

 使者がデミウルゴス御一行様なら「ここからは、お前にもわかるだろう」などと思わせぶりなことを言って責任転嫁しておけばどうにかしてくれそうな気もするが、マーレのような子供にそんなことをすれば人間性――アンデッドにそんなものはないが――や支配者としての資質を疑われるかもしれない。

 

 とはいえ、ダンスの知識のある者など、誰もいないのではないか。

 モモンガ自身、必死に記憶を辿ってすべてのNPCの設定を思い出し、次にNPCの創造主たちのことを思い返しても、全く心当たりがない。

 ダンスができそうな設定を持つ者も、そういう設定をNPCに与えそうな者も、居ない。

 

 そうやってモモンガがベッドの上で悶えていると、この寝室に向けて慌てて走ってくる者がある。

 

「ある方が、ダンスの件でお話があるとのことで――」

 

 舞い込んだ吉報に、モモンガの眼窩に光が戻った。

 

 

 

 

 

 セバスと、ユリ、シズ、エントマといった戦闘メイドたちが半包囲する、その真ん中で。

 

「あの……やぁろぉ……。あれを、ちょろまかしたって……」

 

 モモンガは見てしまった。

 希少金属、星の揺らぎを湛えた銀スターシルバーでできたゴキブリの、その装甲の継ぎ目から漏れる輝きを。

 

 それは、体長三十センチのゴキブリの貴族“恐怖公”に与えられたゴキブリとしては巨大な騎獣、シルバーゴーレム・コックローチ。

 巨大なゴキブリの完璧な造形に嫌悪感を覚えないのは、その素材感のためか、単にアンデッドになったことによる精神の変容のせいか。

 そんな取るに足らない興味で視線を固定したところ、見つけてしまったのだ。スターシルバーのコーティングに隠された、その名状しがたい輝きを。

 ゴキブリ型ゴーレムの素材として使用されてしまった、神器級武器の素材となりうるような超希少金属の存在を。

 

 素行の悪かったギルドの仲間にしてゴーレム職人(クラフター)“るし★ふぁー”の甚大な無駄遣いに対し、モモンガがしばらく憤怒に燃えてみたり。

 その白銀のゴキブリが素材の力で七〇ものレベルを誇ると聞き、自分より強いことに衝撃を受けた戦闘メイド数名が卒倒しそうになってみたり。

 

 そんなことがありつつも、今対応しなくてはならない問題への処方箋を持っているのは、騎獣に乗ってやってきた恐怖公の方なのだ。

 

「我輩、モモンガ様がお求めのダンスの心得がございますゆえ、取り急ぎシルバーに乗って全力で馳せ参じました」

 

 ゴキブリがやたら突破力のあるゴキブリに乗って走ってきた。

 もちろんゴキブリはここナザリックでもゴキブリである。モモンガの命令でもなければ、本来の居住区域である黒棺の外への立ち入りを全力で拒まれてしまっている存在だ。

 数人の戦闘メイドたちが集まっているのは、追いかけっこの結果ということなのだろう。

 

 ただ、実際にモモンガが探していたのだから、恐怖公に非は無い。

 非は無いが、ゴキブリにダンスを教わるというのは、人間を辞めた身であるモモンガにとっても言いようのない感情をもたらすものだ。

 

 それしか手段が無いのであれば、そんな感情も飲み込むことができただろう。

 しかし、今回は別にモモンガが出ていくことは必須ではないのだ。

 ならば――今回はそのままマーレたちに頑張ってもらえば良い。

 次以降のためであれば、今回ダンスを覚えた者からでも教わればいいのだ。

 

――これは良い教育にもなるかもしれない。マーレに健全な男女の付き合い方を学ばせるチャンスではなかろうか。

 

 大事なことだから繰り返すが、マーレには変態紳士(いまどきのしんし)ではなく紳士とか淑女とかのまっとうな世界を知ってもらいたい。

 身体の関係ばかりに溺れるのではなく、健やかな付き合い方を覚えてほしいところだ。

 

――そうだ。俺がやりたくないから押し付けるというだけじゃないぞ。教育的配慮だ。

 

「残念だが、恐怖公一人しか居ないのであれば、既に出席が決まっている者たちを優先して教えてもらうしか無いだろうな。その方法については、マーレと打ち合わせてうまくやってほしい」

 

 むしろ、恐怖公しか居なくて良かったと思ったのは秘密だ。

 

 

――サンプルとして、貴族を一人くらい浚わせておけばよかったか。

 

 そんな危険な考えが頭をよぎるが、今さら意味の無い考えだ。

 竜王国との関わりでそうした手段を選んでいたとしても、貧乏性のモモンガでは、情報を吸い出した後はアンデッドの材料として使い切って残ってはいなかっただろう。

 人間とは捨てるところが無い素晴らしい生き物なのだ。

 

 恐怖公とマーレとのあいだでは、踊りを教える際の身体のサイズの問題が議論されている。

 その議論の輪にエントマが加わって恐怖公が怯んだりもしているが、きっとうまくやってくれるだろう。

 

――ん? ……あれは、恐怖公を咥えているのか?

 

 そういうエントマなりのコミュニケーションなのかもしれない。

 仲良くやってもらいたいものだと思いつつ、モモンガは寝室へと戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回ダンスの指導補助を担当するぅ、エントマですぅ」

 

――さすがにモモンガ様のメイドだけあって凄く綺麗だけど……表情が動かなくて、少し冷たい感じ。

 

 それでも、まさにモモンガの嗜好ど真ん中と思えるような小柄な身体と滲み出る何とも言えない危険な雰囲気は、エンリから見ればモモンガの深い寵愛を予想させるものだ。

 しかし戦闘メイドというのは、美しいばかりでなく恐ろしい存在である。

 人当たりの良いルプスレギナでさえ、笑いながらクレマンティーヌのはらわたをぶちまけていたくらいだ。

 下っ端のエンリとしては、直立不動で迎えるしかない。

 

「え、エンリです。よろしくお願いしますっ!」

 

 エンリのパートナーは、マーレだ。

 皇帝の侍従より、「男性より少女を好むという話も伺っております。そちらの美しいお嬢様と踊られる形でも構いませんので」などと歪んだ形で気を遣われてしまったが、訂正の意思を伝えようか迷っているうちにンフィーレアが寝込んでしまった。

 エンリとしては、マーレと踊るのはまんざらでもなかったりもするのだ。

 

「よろしくぅ。エンリって少し細いけど肉質が締まっててぇ……じゅるぅ」

 

「あ、あのひと……なんか怖いんだけど」

 

「大丈夫です。エントマは今回の指導では身体を提供する協力者でしかないので」

 

 何を言っているのかわからないが、大丈夫らしい。

 

 視線をマーレからエントマに移せば、反対を向いてしゃがみ込み、頭部に何やら黒々とした兜のようなものを装着している。

 代わりに何か頭くらいの大きさのモノを取り外したようにも見えたが。

 

――ダンスって兜被らなきゃいけないほど危ないものなのかな。

 

 意外感はあるが、筋力や身体のキレが恐ろしく向上した自覚のあるエンリにとってはたいしたことではない。

 

「ええと、私はどうす……れ……ば――」

 

 その時、エントマが振り向いた。

 正確には、エントマだったものが振り向いた。

 美しくも可憐な、小柄な戦闘メイドのエントマ。

 その顔もまた、黒々とした兜のようなもので覆われていた。

 

 その兜は、動いていた。

 

 蠢いていた――わさりわさりと。

 

 美しくも可憐なその顔の代わりに、メイド服の襟元から生えていたのは。

 

 毛羽だった六本の手足が蠢く、体長三〇センチ大のゴキブリの裏側(お腹側)だった。

 

「ひぃ……ぃぁ……ぃぁ……」

 

 言葉を失うエンリに対し、そこに居るゴキブリは礼儀正しく一礼する。

 

「我輩が、モモンガ様よりダンスの指導を仰せつかった恐怖公である」

 

 脂で黒光りする腹部が不自然に折り曲げられると、節々にできる隙間から黄色やクリーム色の見えてはいけないものがチラチラとのぞいてしまう。

 

「――――!!!!」

 

 そこまでで、エンリは意識を手放した。

 

 

 

「倒れちゃったぁ。ちょっと味見していいですかぁ?」

 

「……これは、食べては駄目な人間です」

 

「それじゃ、代わりに恐怖公を一口だけ――」

 

「わ、我輩には使命がありますぞ!!」

 

 きつい冗談を口にするエントマは、慣れない仮面よりずっと下にある口に口唇虫という蟲を隠していて、そこからかわいらしい声で普通に喋ることができる。

 全身が幾多の蟲で構成されているエントマにとって、頭部とはそれほど重要な意味を持つパーツではない。

 今回は、普段美しい少女の顔として乗っかっている仮面蟲を恐怖公そのものに取り替えただけなのだ。

 蟲たちと感覚を共有し融合あるいは支配する能力を持つエントマは、今回、恐怖公がダンスを教える際の人間サイズの身体を務めるという役目を担っていた。

 

「とりあえず、やりましょう。エンリには身体で覚えてもらおうと思います」

 

 マーレは死の宝珠を取り出しながら、今回の手段を実験したときにエントマから大きく距離を取った他の戦闘メイドたちのことを思い出した。

 しかし――。

 

「我が名は死の宝珠! 魔導王モモンガ様の忠実なる臣下でございます!」

 

「我輩は恐怖公。改めて、我輩がダンスの何たるかを教えて差し上げよう」

 

 幸いなことに、この二人はすぐに意気投合した。

 妙な波長の合い方を見てマーレの方が少し距離を取り、エントマは双方一口ずつかじってやりたい衝動を耐える。

 

「かつて我に魂を捧げし者の中には貴族もおりましたが、不思議と我に関わる人間は社交に難のある者ばかり。その者も舞踏会は苦手で時流に合ったダンスができぬとコンプレックスを抱えていたようで、さらにその記憶も薄れゆくばかり。やはり習わねば難しいところです」

 

「なるほど、人間の国の時流など我輩にはわかりかねるが、一度こちらの型を見ておけば教えることはできよう」

 

 そんなわけで、型を見ておかなければならないことになった。

 もちろん、ここでマーレが使うのは、クレマンティーヌだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロクシー、様。突然のお願いですみま――申し訳ありません。場所はこちらです」

 

 クレマンティーヌは後宮の主のように語られる存在を迎えて、しおらしい寵姫を演じる。

 もちろん、マーレの命令を遂行するためである。機嫌を損ねるわけにはいかない。

 

「クレマンティーヌ様は今や陛下の寵愛を最も受けておられるお方。私などに様付けなどおやめください。それに、後宮での生活については何でも相談に乗ると最初に申し上げたはずです」

 

「いやいや、本来はロクシー様こそ最も多くお部屋に陛下をお迎えしているとか――」

 

 誰が上かをはっきりさせることは、クレマンティーヌのいた世界でも重要なことだった。

 漆黒聖典では槍の演武一つでクレマンティーヌを屈服させた男が更なる上位者に馬の小便で顔を洗わされていたように、寵姫の世界でも上位の相手の前では慎ましさを見せなければ大変なことになるはずだ。

 特に、皇帝のアブノーマルな嗜好を満たしているであろう、特殊な寵姫が相手ならなおさらだ。

 同じ嗜好の対象となる寵姫として、彼女より上の存在になど決してなりたくはないのだから。

 

「いいえ。私などただ陛下にお会いしているだけで、世継ぎなどもありえませんし、寵愛を受けているとはとても言えませんから。

 

「あの……もしかして、陛下のご来訪は、あまり喜ばしくは……」

 

 意外なまでに冷めた反応を見て、上位者へ向けた視線は同じ境遇の仲間を見るものに近づく。

 

「ええ、正直なところ、その通りです。……周囲を見なくても問題ありませんよ。陛下にも常々申し上げていますし、それをわかっていて来ているのですから」

 

「そのような関係……つらくはないのですか」

 

 つらくても、やめてもらっては非常に困るのだが。

 

「別に、何でもありません。私には私の役割があるというだけなので」

 

 不思議なことに、ロクシーの表情は一種の誇りさえ感じさせるものだった。

 だが、クレマンティーヌの中には、それを納得できる思考回路もある。

 クレマンティーヌにはクレマンティーヌの特殊性癖があるように、ロクシーにはロクシーの何かがあるのだろう。

 矛盾するようではあるが、皇帝を好ましく思うかどうかと、その行為を好ましく思うかどうかもまた別問題であり。

 

 そんな会話を経て、目的の部屋に辿り着く。

 潮時だ。これ以上この問題に踏み込むのは無礼というべきだろう。

 

「では、ロクシー様。ご指導をお願いします」

 

 用件は、ダンスの特訓である。

 次に講師が来るまで間があるため、皇帝から困りごとの相談先とされていたロクシーに相談したら本人の協力が得られることになった。

 もちろん、実際にはマーレが連れてきたダンスの指導者に帝国風のダンスの型を見せるのが目的なのだが。

 

 当然ながら、恐怖公とも、恐怖公と合体したエントマとも直接に引き合わせるわけにはいかない。

 場所が後宮なので、エンリ(死の宝珠)さえも入れるわけにいかないくらいだ。

 そのため、恐怖公の目となり耳となることができる眷族たちを大量に潜ませた部屋で、クレマンティーヌがダンスの特訓を行うことになった。

 何事も完璧主義の恐怖公は、床や壁の隙間、物陰など、あらゆる場所に大量の眷族たちを潜ませた。

 

 ただし、無数にいる眷族は、異常に体が強く硬い以外は普通のゴキブリだ。

 少しくらいやられても多くは残るので大丈夫。恐怖公の眷族たちが詰めている黒棺の設計思想も、そういうものだったりする。

 

「……この部屋、駄目です。メイドたちを呼んだ方が良いような不穏な気配があります。それも沢山」

 

「じ、時間が無いので、どうか特訓の後でお願いします」

 

 実は恐怖公の眷族たちには、見たまま以下の隠蔽能力しかない。

 それは、恐怖公自体の創造主より、むしろ白銀の騎獣を与えた者の仕業かもしれない。

 彼らが人の目に止まることはその存在意義であるという考えでもあったのか。

 あるいは、転移罠としての黒棺の威力向上を願って、あえて隠蔽性能を落とした者でもいたのか。

「薄暗いダンジョンの中でありながら、ひとたび灯りを向ければ、まるで明るい部屋の中で出会ったときのような明確なGの衝撃!」

 そんな売り文句が実際にあったかどうかはともかく。

 黒棺ではどうせ逃げ場がないから、襲われて初めてGに気付くより、壁にびっしりと張り付いて潜んでいる段階で気付いた方が心に与える負荷は大きくなる。――そんな仕様のままこの世界に来てしまったのだ。

 

 ともかく、寵姫二人は不気味な空気の中でダンスの特訓を続けた。

 皇城に詰めるプロフェッショナルであるメイドたちは、わざわざ呼ばずとも集まってきた。

 部屋の外から不気味な気配を窺って、掃除用具で武装して集結して。

 

 

 そして、特訓の終了とともに、黒鉄(くろがね)の悪夢と呼ばれた夜が始まる。

 

 

 宮殿じゅうを走り回って逃げる黒鉄の蟲(ゴキブリ)たちは通常の害虫を装って無抵抗ながら、メイドの箒が直撃したくらいでは動きさえ止めず。

 さほど時を置かずに増援が呼ばれ、剣が抜かれ、魔法が飛び交う。たいした実力では無いが、後宮でも女の衛兵くらいは詰めているのだ。

 それでも、驚くべき正確さで非戦闘員の多い安全な場所を目指す黒鉄の蟲(ゴキブリ)たちの暴走は止まらず、宮殿の各所で悲鳴の交響曲が奏でられた。

 ロクシーは失神したメイドの手から長い箒を取って勇敢に戦い、最強戦力のはずのクレマンティーヌは蟲が苦手なふりをして縮こまっていた。

 

 

 クレマンティーヌはこの一件で、マーレの不都合な秘密を握ったつもりになっていたのだが――。

 

「えっと、今夜のことは、ぼくもあなたも、何も知りません。いいですね?」

 

「は、ハひ……」

 

 その瞳の奥にたゆたう闇が手招きしているような気がして、余計な記憶は早めに忘れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、幻術で隠れたエントマが恐怖公に映像を見せる形をとって事なきを得たり。

 皇城と周辺地域で帝国騎士団一個師団を動員した前代未聞の規模での清掃活動が行われ、恐怖公の眷族に少なからぬ犠牲が出たり。

 様々な角度から一度に見られないことでクレマンティーヌが特訓の回数をこなす羽目になったり。

 そんな隠れた努力が皇帝に伝わってクレマンティーヌが舞踏会に参加する可能性が生まれ、さらなる特訓を積む羽目になったり。

 エンリ(死の宝珠)とマーレがダンスの練習をする姿を見て、ンフィーレアが静かに涙を流したり。

 

 そんな平穏な日々を経て、帝国最大の慶事の日がやってくる。

 

 

 

 皇妃が元冒険者――そんな衝撃的な情報は、とりあえず伏せられた。

 ただし、伏せられていながら、帝都に滞在する全てのアダマンタイト級冒険者チームに招待状が送られた。

 ある者は、帝国貴族らに配慮して口止めしつつも冒険者組合に悪く思われないようバランスを取ったものだと分析した。

 またある者は、きな臭い『漆黒』が来賓となっていることから、それに対する抑止力としてタダ働きさせる魂胆だと考えた。

 しかしその実態は、いずれとも違う。マーレを通してフールーダに実現してもらったモモンガの我が儘である。

 

――何もかも部下任せではなく、たまには自分の目で見てチェックしないとな。

 

 そういうことにしているが、本音としては、子供の発表会を見に行く親のような心境になっていた。

 ダンスを習うという面倒を押し付けた罪悪感もないわけではないが、守護者たちに対する大切な友人の子供を見守るような愛情もまた本物なのである。

 もちろん、貴族でも来賓でもない冒険者たちはダンスに参加する必要は無い。立食くらいは戴けるが、パーティを仰ぎ見る安心な立場だ。

 

――もしエンリの方が率先して教育に悪いことをしていたら遠ざけなければならない。これは親心みたいなものだ。

 

 実際、招待状は思ったより早くに届いた。

 フールーダの側もまんざらではなく、現れる冒険者の中にマーレの関係者が混じっているなら魔道の深淵を語り合える者がいるかもしれないと考え、一も二も無く快諾したのであった。

 このことが別の不都合な招待客を呼び込んでしまうのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 舞踏会を前にしたモモンは、高度な幻術で正体を隠蔽するアイテムを二つ用意していた。

 全身鎧の兜は脱がねばならないかもしれない。いくら人間が相手とはいえ、帝国の総力を結集したセキュリティに護られた中へ踏み込むのには不安があったからだ。

 

 イビルアイの分は万一の備えとして一緒に持ってきただけで、今回は留守番をさせるつもりでいたが、本人が強硬についていくことを主張したのでモモンが折れた。

 今の彼女はモモンに迷惑をかけないよう変装し、“キーノ”という人間の冒険者として再出発して新たなプレートも保有している。公の場に出るのは遠慮するかと思っていたが、既にそういう理由もなくなっていたのだ。

 

――これが終わったら、少し彼女とも話をしなきゃいけないな。

 

 イビルアイは義理堅い性格らしく、助けた恩を強く感じたことでモモンの近くをひとときも離れずその役に立とうとしている。都合の悪いときはナーベやソリュシアが相手をして引き離してくれるが、今回ばかりはそれが上手くいかなかったようだ。

 今回は『ザ・ダークウォリアー』を含む他の冒険者と揉めないようマーレから『漆黒』の仲間たちに伝えさせておく。

 敵対したクレマンティーヌは現在『漆黒』から外れているが――。

 

――まさか皇帝の正妃になる日に率先して戦おうとか、ないよな。トラブルを起こさず上手く潜入するよう言ってあるし。

 

 そもそも、こちらはアダマンタイト級冒険者だ。よほどの大義名分が無い限り、喧嘩を売ったら不自然に思われるはずだ。

 変装も幻術もあるので、まず大丈夫だろう。

 あとはイビルアイの方だが――。

 

「皇妃……クレマンティーヌ、だと?」

 

――あ、書いてあったか。

 

 アダマンタイト級冒険者モモンとしては、毎度毎度翻訳の眼鏡を使っていては恥ずかしいので招待状の文面までチェックしてはいられないのだ。

 

「う、うむ、よくある名前のような気もするが、皇妃になるような貴族令嬢に心当たりでもあるのか?」

 

「い、いや、まさか……。あいつが貴族なはずもないし、関係ないですよね」

 

 とっさに誤魔化したが、会場でイビルアイに会わせたくなかった人物はクレマンティーヌだけではない。

 こうなったら、秘密にしておくより逆に情報を少し明かして予防線を張っておくべきだろう。

 

「そういえば、色々と噂には聞いているかもしれないが、今回は例の『漆黒』が来賓として呼ばれている。招待を受けることにしたのは、奴らの監視も理由なのだ」

 

「『漆黒』が……では、あの噂も……」

 

 詳細は話を聞くたびにバラバラだが、(ドラゴン)で帝都に乗り付けたという噂はモモンやイビルアイの耳にも届いている。

 

「だから、何が起こるかわからない。しかし我々は招待客でしかない。彼らが何らかの暴挙に出た場合は全力で抑え込むつもりだが、こちらから仕掛けるわけにはいかない」

 

「――モモンさん、やはり自分を抑えられない残念な子は置いていかれた方が」

 

 イビルアイの表情を見てソリュシアが横から挑発し、ナーベがふふんと鼻で笑う。

 

「決して邪魔はしません。何があってもモモン様の許可が無い限り手出しはしないので、私も連れて行ってください!」

 

 最近、こういう流れでは縋り付くように素直に言うことをきいてくれる。これがイビルアイの操縦法らしい。

 どうも恩義を感じさせすぎたのか、忠実さをナーベやソリュシアと競うようなところがあるのだ。

 時間が無いので、適当に礼装になるコートを買って会場へ向かった。

 事前に用意が無いのは、見物はしたくてもダンスはしないというモモンガの固い決意の表れである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇城の大広間の一つでは沢山の生花が並んで準備が進められ、付近の控室では純白のクレマンティーヌが眉間にしわをよせていた。

 

「陛下……ドレスが重苦しいのですが」

 

 そう言いながらも、不自然に豪華で重みのあるそのドレスはクレマンティーヌが細かく注文を付け、最低限の動きやすさを確保したものだ。

 ドレスとしては目的外の注文で、革鎧に冒険者プレートを固定できるようにするくらい不自然なもの。

 普通ならそういう我が儘に不機嫌になる職人が、晴れやかな顔をしていたのが不気味だった。

 そういえば、側仕えやメイドも、法国でいえば洗礼直前の子供に向けるような暖かい視線を向けてくる。

 

「動きやすくする工夫はしたそうだから、別に良いじゃないか」

 

 素っ気ない返答をするジルクニフだけが、帝国でクレマンティーヌにそういう視線を向けてこない唯一の存在だが、どうも何かを隠している雰囲気だ。

 ただ、いくら問い詰めてもさすがは為政者の中の為政者、はぐらかすのが上手い。

 護衛の切り札であるクレマンティーヌにまで情報を隠すのは下策だと思うが、寵姫程度では漏らせない国家機密もあるのかもしれない。

 とりあえず、今日は余計なことを考えず寵姫の仮面を被った護衛としての役割を全うするしかないだろう。

 

「これだけ着膨れるとさすがに動きは鈍りますって。死にたくなかったらあまり離れない方がいいですよ」

 

「そうだな。しばらくしたら、式典を取り仕切る司祭からも似たようなことを言われることだろう」

 

「……はい?」

 

 何か、自分の知らない上流社会の常識があるのかもしれない。

 ドレスの裾を持ちながら笑いを堪える側仕えに苛立つクレマンティーヌであった。

 そして――。

 

 

 

「――死が二人を分かつまで離れることなく、ともに愛し慈しみ――」

 

 

 

 似たようなことを、司祭から言われた。

 

――結、婚?

 

 素行の悪いクレマンティーヌでも、漆黒聖典に入りたての頃などは大人しく他の隊員の結婚式に参列したこともある。

 司祭がいったん言葉を切って新婦の側にだけ「貞節を守ることを」誓わせる所まで法国で聞いたものと似ているこの台詞にも、もちろん覚えがある。

 

「……誓い……ます」

 

 こそこそと指示される通り、答える。

 漆黒聖典の隊員が子孫を増やすことは人類にとって重要であり、男性隊員の一夫多妻はよくあることだ。

 そして、バハルス帝国の皇帝ともなれば、やはり一夫多妻は当然のこと。

 数多くいる寵姫ひとりひとりにこのような式典を行うのは無駄遣いとしか思えないが、口先だけお付き合いするのに特に躊躇は無い。

 

 だが、問題は“貞節”か。

 

 それが普通の男女の間のものならば、守るのはそう難しくはないのだが。

 ジルクニフがクレマンティーヌを迎えた特殊な目的を考えれば、マーレにされたことがあるような行為も“不貞”になるのかもしれない。

 下腹部をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた、あの暗い森の中での行為――。

 

「……うっぷ」

 

 かつての拷問を思い出して若干の吐き気を催すと、気付いた参列者たちが一斉に青ざめる。

 

――いや、世継ぎを産むとかそーいう担当じゃないし、時期があわないでしょーが。……そこの奴、泣くな。泣きたいのはこっちなのに。

 

 そんなことを考えながら、やたらと大仰な式典に流されていく。

 

 

 そして、寵姫全員で使いまわしているにしては妙に輝きの強すぎる指輪やらティアラやらを与えられ。

 クレマンティーヌが、自身が正妃となったことを理解した頃には、式典はほぼ終わりに近づいていた。

 

 宴に向けた僅かな休憩時間に説明を求めたクレマンティーヌに対し、ジルクニフは涼しい顔でただ一言。

 

「身分や待遇はどうでもいいと聞いたので、面倒な説明は省かせてもらった」

 

 そのポーカーフェイスからは、このことがジルクニフの意思によるものか、マーレらの暗躍によるものかはわからない。

 ただ、メイドも側仕えも事情を知っているようで、微笑ましいものを見るような目を向けてくる。

 それが、やたらと苛立つのだ。

 クレマンティーヌは誰も殺さずに堪える自分を褒めてやりたいと思いつつ、力を抜いて身支度を手伝う者たちに身を任せた。




●あの人の重要性

 結局、ナザリック地下大墳墓において、ダンス指南役アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト(web版)がいかに重要な存在であったかを思い知るようなお話です。
 尻尾とか諸々の心躍る部分は横に置くとしても、あの子を確保せずに舞踏会ルートに向かうと練習の絵面が酷い事になるという……。
 あの子は是が非でもナザリックで調きょ――げふんげふん、確保しておくべき存在だったのです。

 もちろん、エントマちゃんに恨みは無いですよ。
 一応活躍シーンですし、頭におやつの親玉を載せて踊るだけですから、おそらく恐怖公の方が精神的につらいと思います。


●ロクシーは何で役割を具体的に言わないのか

 正妃に限らず他の寵姫に対して「お前の子供は私が育てる」なんて喧嘩売ってるようなものなので。
 それは皇帝の口から言うべき事柄と考えそうなものです。

 ……今後とも、話の中では「言わない」ということを大切にしていきたいものです。

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