マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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第十一章 超位と始原
五二 楽しみだ。ああ、楽しみだ


 リグリットらに見送りを付けた後、モモンガはマーレの引き連れる『漆黒』への対応を考える。

 『漆黒』はマーレの転移でモモンら『ザ・ダークウォリアー』から逃れ、しばらく追尾の無いことを念入りに確認してからこちらへ向かうことになっている。

 これは、もちろん時間稼ぎだ。モモンとして必要なことを済ませてナザリックへ戻り、少しだけ支配者らしい態度の復習をして心を落ち着けるくらいの時間を確保するつもりだった。

 その時間的余裕を予定ごと吹き飛ばしてくれたのが、この侵入者騒動だ。

 『蒼の薔薇』自体はたいした存在ではないが、それを見守る者があるのではないか。周辺を監視する者がいるのではないか。そうした疑心暗鬼に囚われ、複数の守護者に大量のしもべたちを動員して周辺の哨戒を行うこととなった。

 そこで何者かを発見することができれば、予定通りに事を進められたかもしれない。

 しかし、徹底した捜索の末、周囲に怪しい者は一切発見できなかった。ユグドラシルであれば、何者も存在しないと確定したも同然だ。

 それでも、現地には武技のようなユグドラシルに存在しない技術もあるため、本当に何者も居ないということを証明することにはならない。

 結局、モモンガと『漆黒』との会見は、場所を移して行われることになる。

 

「このあたりに仮の要塞を築いて、ナザリックのダミーの一つにしようと思うのだが」

 

 モモンガは、適当に決めた候補地をミノタウロスの王国の管理を任せているデミウルゴスに示す。

 西に人間の国があると聞いた後、なんとなく遠目にそれを眺めた山を隔てて亜人領域側にある、最辺境の村の郊外。

 王国の西側全体を一望できる標高の高い場所に、カルデラの小さな湖と温泉の湧く僅かな盆地があったのを覚えていた。

 

「さすがはモモンガ様! 数ある候補地からこの地をお選びになるとは、何という慧眼!」

 

「デ、デミウルゴス……何やら気付いたか」

 

「人間の国の位置を知った直後、偵察を送られるのではなく遠方より自らの目で確かめたのは、ここまでお考えの上だったのですね」

 

「ま、まあ、そういうことだ」

 

――デミウルゴスの中ではどうなっているんだろう。温泉くらいでここまで喜ぶとは考えにくいが……。後で、他の守護者がいる時に説明してもらおう。

 

 

 考えられる限りの護衛を付けて現地へ飛んだモモンガは、すぐに全力の《要塞創造(クリエイト・フォートレス)》の魔法で巨大な漆黒の塔を作り出す。デミウルゴスの勧めもあってギルド武器まで持ち出し強化したその巨塔の姿は、ナザリック地下大墳墓には遠く及ばないもののアインズ・ウール・ゴウンの前線基地として恥ずかしくないものだ。

 このままでも使えるが、後にデミウルゴスと共に王国を支配するコキュートスがミノタウロスたちを使って周辺を整地し、周辺に建造物を築いていくことになった。先制攻撃と隠蔽で亜人社会からアンタッチャブルな存在のままのナザリックと違い、こちらはマーレの属する拠点として表舞台へ出していく。

 モモンガはギルド武器を仕舞いにナザリックと塔を往復する。

 

――なんだか、思ったよりデカいな。

 

 元の標高が高いとはいえ背後の山の稜線を突き抜ける巨塔の威容は遠めに見てもなかなかのもので、近隣どころか少し遠方のミノタウロスたちを大いに威圧しそうだ。

 もちろん、この世界ではミノタウロスに限ってはコキュートスらが威圧しまくっているので、あまり問題にはならない。

 

 そもそも、亜人を相手にする際の拠点はコキュートスを置いているミノタウロスの王城で、王国の支配者として接することになっている。

 ナザリック地下大墳墓は、先ほどより『蒼の薔薇』の背後にいる者に友好的な“アインズ・ウール・ゴウン”の拠点となった。

 ならばこの場所は、『蒼の薔薇』やスレイン法国と敵対するマーレと、その背後にいる存在――モモンガの拠点ということになる。

 マーレのしもべたちをここへ迎えることがきっかけにはなったが、『蒼の薔薇』の背後の者が接近を図ってきた以上、いずれやらねばならないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の塔の執務室に通されたクレマンティーヌは、酷く怯えていた。

 イビルアイを奪われたのは、マーレとクレマンティーヌの両名の失態ということになっているからだ。

 

――現地人(エンリ)から見れば油断ならない危険な人物ということだが、怯えきった野良猫のようになっているな。マーレが脅かしすぎたのか?

 

 モモンガは自身の骸骨の顔に触れ、仮面を外していることを思い出す。

 外向きにはアインズ・ウール・ゴウンが嫉妬マスクの男となった以上、現地勢力に恐れられるマーレの主人モモンガは素顔で良いような気がしたのだ。既に嫉妬マスクを見せたエンリに対しては、魔法で記憶を改変すれば良い。

 マーレの性教育(セーキョーイク)の問題については、エンリから聞いたのでもう充分だ。このクレマンティーヌも嬲られたとか犯されたとか大変な被害者ではあるようだが、元は敵対していた者だということで必要以上に甘い顔をする必要は無いだろう。

 

――シャルティアの所の眷族と同じようなものだよな。性教育が上手くいけば待遇もよくなるはずだけど……何か生々しいというか……。

 

 エンリと違ってクレマンティーヌは戦利品なので、単なるマーレの所有物と考えることに躊躇は少ない。

 しかし、モモンとして会ったクレマンティーヌの姿との激しい落差と、戦士として不自然にも思えるほど露出度の高い格好は気がかりだ。

 

 弱肉強食の論理に支配されたクレマンティーヌは、圧倒的強者の前では極めて卑屈であるらしい。女としてマーレに仕えているように見えるエンリと違って、クレマンティーヌの扱いはエンリから聞く限りでも悲惨なものだ。

 さらに、装備品もろくに力のあるものでもないのに、やたらと露出度が高い。プレイヤーが選ぶアバターではあるまいし、現実に命を賭けて戦う女戦士が選んだものとは考えにくい。

 その部分はエンリの話には無かったが、おそらくそういう部分もマーレの欲望をいつでも満たせるように強制されていたのだろう。だからこそ、次にマーレに囚われた弱者であるイビルアイを自分の次の慰みものと考え、あのような恰好を強いたのだ。

 アンデッドとなったモモンガには性欲などは無いが、人間だった頃の感覚は残っている。露出度の高い恰好で怯えるクレマンティーヌを見ていると、まるで自分が悪いことをしているような気がしてしまう。――マーレは、そういうのが好みなのだろうか。

 

 モモンガは小さく溜息をつく。喧嘩を売って捕らえられたという目の前の女に甘い顔をするつもりはないが、やはりこれでは子供への悪影響は否めないように思う。

 少し話をしてから考えようにも、こう縮こまっていられたらどうにもならない。

 

――失敗したな。次から別の仮面を被ろう。嫉妬マスクのデザインも十二年間で随分と変わったしな。

 

 アンデッドになって性欲などは消えたのに、全マスクをコンプリートしたことを思い出す時の何とも言えない気持ちだけは健在なのがモモンガには少し不満だ。

 それはともかく、いちいち記憶を消して話をやりなおすのは面倒なので、ここは優しく声をかけてみる。

 

「別に取って食おうというわけではないのだ。そこから外の景色でも見て落ち着くがよい」

 

 土下座の姿勢で床にへばりついているクレマンティーヌに、その後ろにある窓を指し示す。

 

「ここはなかなか見晴らしの良い場所でな。この拠点は作ったばかりなのだが、なかなかに気に入っている」

 

 クレマンティーヌはゆらりと立ち上がり、一瞬顔を上げて紫の瞳をびくつかせると、一礼して窓へ振り向く。

 

――そういえば、湖が見えて綺麗なのはこっちの窓だったか。まあ山の景色でも心を落ち着けるには充分か。

 

「作ッたって……こんな……」

 

「ああ。魔法で作った塔だから、小さいだろう」

 

 まるで逃げ道を求めるかのように、窓枠に手をかけ遠くを眺めるクレマンティーヌ。

 優しく声をかけているつもりだが、耳が言葉をとらえるたびにびくりびくりと身体を震わせる。

 外を眺めたまま、深呼吸。

 そしてクレマンティーヌは何かに気付いたかのようにこちらを振り返り、跪く。

 

「こ、このようなものを作っては、周辺から攻撃されるのではありませんか?」

 

「撃退すればよかろう。既にミノタウロスの王国は我々の支配下にある」

 

「では、帝国も併呑するのでしょうか」

 

 モモンガは、怯えの光が篭もっていたクレマンティーヌの瞳に別の色が灯ったような気がした。

 

――て、帝国って、竜王国に援軍を送ってきた人間の国の一つで、中枢の人間にマーレが会っていたはずだが……。どういうことだ?

 

 よくわからないが、マーレのしもべに対し主の主として弱みを見せるわけにはいかない場面だ。

 

「いずれ、そういうこともあるかもしれないな」

 

「て、帝国を圧迫するのであれば、私でも何か役に立てることがあると思います。失態を取り返したく……」

 

 いきなり圧迫とか言われても困るのだが、とりあえず話を合わせる。

 

「ふむ……それで、お前は何ができるのかね」

 

 クレマンティーヌの話によれば、西の窓からは国境の山々を越え、帝国の穀倉地帯が一望できるとのこと。

 逆に、この塔も人間の領域であるバハルス帝国側からは丸見えなのだ。

 これまでは厚い山脈に隔てられていたが、突如山並みから顔を出した人工物の衝撃は大きい。放っておいても帝国は驚き戸惑い、偵察や何らかの行動に出る可能性が非常に高い。

 

 つまり、クレマンティーヌの言う「周辺」には、山の向こうのバハルス帝国も含まれていたのだ。

 そして、帝国から元漆黒聖典としての実績を買われて誘われているクレマンティーヌなら、マーレと通じているフールーダの口添えもあれば帝国の中枢に入り込むのも難しくはない。もちろん、竜王国に駐留する援軍を連れ帰る際にするべきことがあれば、何でもするということだ。

 

――あー、せっかくだから少しでも立派なものを作ろうとギルド武器まで持ち出したのがまずかったか。でもなぁ……喜んでいたデミウルゴスもこのことも織り込み済みだろうし、今さら他へ作り直すとか、言えないし。

 

 何より、今さらデミウルゴスの前で温泉と景色が目当てだったなどと言えるわけがない。

 それどころか、この立地に賛同したデミウルゴスの意図を聞かないままでは帝国への対処にも迷うところだ。

 

「そうだな。名目上でも援軍の指揮官だったか。それならば最後までするべきことをしなければなるまい」

 

 戦略的なことはあとでデミウルゴスに相談するまで棚上げだ。

 そうなると、モモンガに残された懸案は、マーレのこと。すなわち、性教育上の問題。

 マーレが始めたことを後押しする形ならば、一時的にクレマンティーヌを引き離しても、所有物を取り上げたことにはならないような気がするのだ。

 

「――そして、帝都へ戻ったらそのまま帝国へ潜り込んでおけ。帝国の処分は、追って知らせよう」

 

「か、畏まりマしたっ!」

 

 床に打ち付けるんじゃないかという勢いで頭を下げるクレマンティーヌ。少し嬉しそうな、ほっとしたような雰囲気もあるので、やはりマーレの性欲を受け止めるのは大変なことだったのかもしれない。モモンガは自分の判断が正しかったと考える。

 

 退出を促しかけたところで、モモンガはクレマンティーヌの服装の件にも一歩踏み込む。

 

「……潜入の間の服装だが、援軍を率いていたときのような白い落ち着いたもので通したまえ」

 

「そ、それは……」

 

 びくりと肩を震わせるクレマンティーヌの表情には、明らかに困惑の色が見える。

 

――よほどマーレから強く言われてるのか。まあ、あの酷い拷問が効いてるんだろうけど。

 

 モモンガはこの女に気を遣うつもりはないが、これはマーレのためだ。マーレの保護者として、お節介をしなければならない。

 

「任務に必要な恰好をするだけのことだ。マーレの主である私が命じるのだから、問題なかろう?」

 

「は……はい」

 

 帝国との関わりで『漆黒』の一員としてマーレが出ていくこともありうるので、《そういう》位置づけだった女に露出度の高い恰好を続けられたら教育上困るのだ。

 もちろん、マーレからこの女を後宮的に奪うというわけではない。いずれは第三階層におけるヴァンパイア・ブライドたちのような扱いになるのもやむなしとは思っているが、性教育を考える少しのあいだだけでも格好を改めてもらうつもりだ。帝国への潜入などは、方便でしかなかった。

 

 部屋を出ていくクレマンティーヌは少し肩を落として元気がないように見えたが、早熟なマーレの性のはけ口という役割から解放されて脱力しているのかもしれない。まともな服に着替えればきっと元気になるはずだ。

 それで、元気にならないというのなら――。

 

――爆発すればいいのに。あんな子供の頃から……ちくしょう。

 

 しかし、口に出すことはできない。子供相手に嫉妬心を露わにするのは恥ずかしいし、ナザリックの守護者の忠誠心では理由も聞かずに本当に自爆しかねないからだ。

 

――とにかく、性教育だな。上司と部下より、もう少し近い距離で話せる場を作れればいいのだが。

 

 

 

 

 

 次に仮面を付けて会ったンフィーレアからは、しっかりと情報の裏付けを取ることができた。やはり人間相手は仮面を被った方が無難なのだろう。もちろん、アインズ・ウール・ゴウンの名を使った時とは最もデザインの違う嫉妬マスクだ。

 『漆黒』について色々と聞くと、これまでマーレやエンリから聞いた部分以外に、エンリとクレマンティーヌはなるべく引き離した方が良いという話になる。

 もちろん、その理由までは口にしないのだが、それは仕方のないことだ。ンフィーレアはどう見てもモモンガと同類で、異性経験は皆無のように見える。そんなンフィーレアから見てもマーレは小さな子供に過ぎず、そんな子供の性的な行動をわざわざ咎めるのはまるで嫉妬しているようで格好悪いような気がするのだろう。

 だから、モモンガはこれに共感し、勇気づけられ、そして勝手にこういう思いを正当化する。

 このンフィーレアは、一歩引いた冷静な立場からマーレをめぐる三角関係を心配してくれた。そういうことになる。

 

――いくら子供でも、ハーレムってのはよくないよな。

 

 モモンガとしては、格好悪い感情はあくまでマーレの健全な成長を願ってのことだという大義名分の後ろに隠しておきたい。だから、意見の近いンフィーレアからは勇気をもらった形だ。

 

「エンリは、長く厳しい世界で生きてきたクレマンティーヌと違って普通の感覚を持った女の子なんです。だから――」

 

 そんな、友人を大切に思う気持ちがモモンガには心地よい。

 

「うむ。クレマンティーヌにはしばらく別の仕事があるので、安心してほしい」

 

「そうなんですか! あ、ありがとうございます」

 

 モモンガの判断は、間違っていなかったのだろう。

 目の前の男も、仲間としてマーレのことを心配してくれている。エンリの方がマーレに良いだろうと考えてくれているのだ。

 エンリもマーレに色々なことを強いられて歪んだ部分があるかもしれないが、一度に何もかも切り離すわけにはいかない。今はそのままで良いのだろう。

 

 その後は、ポーションの話になる。

 マーレがこの男の身内に何となくポーションを見せてしまったのは、ユグドラシルとの繋がりを示す失態だったのだろう。

 モモンガは最下級のポーションへの強い情熱に若干戸惑いながらも、その情熱を見て安心することができた。

 実のところ、当初エンリに話を聞いた時は誰も彼もマーレとそういう関係であるように言われていたことで、そこで話に出なかったこの男のことも疑っていたのだ。

 マーレは見た目は可憐な少女であるが、中身はケダモノの如く容赦も節操も無い。それでも、モモンガとて一人の男である。どんな事情であっても、友人から預かっている可愛い子供に手を出すのが男であれば絶対に容赦はしないつもりだった。成長して恋愛適齢期に相手を見つけるのは――少し寂しいが――仕方ないにしても、小さい子供のうちは守らなければならないのだ。

 ンフィーレアは知らないあいだに拾った命を慈しむかのように、貰ったポーションを大事そうに抱え込んで忠誠を誓った。

 

 

 

 スレイン法国の巫女姫については、法国の情報源として治療を試みることにした。強力な癒し手であるメイド長のペストーニャに預け、額冠を外した後の発狂に対処させる。

 表向きは、クレマンティーヌが詳しくない神殿側の事情を知るためで、それはスレイン法国全体の考え方を知ることにも繋がってくる。そういう建前ではあるが――。

 

――忠誠心を利用して玩具を取り上げる形になるのが可哀想だが……いずれ大人になったらわかってくれるだろう。

 

 あくまでモモンガは、マーレの健全な成長を第一に考えていた。

 良かれと思って少しだけ設定を弄ったら、人格など変えていないはずなのに家を出て、悪いことを覚えてきてしまった。

 だから、マーレの気持ちを尊重しながらも、少しずつ良い方向へ修正していかなければならない。

 そんな大切な仲間の子供のような存在を慈しむ気持ちは、この世界の存在へ向ける些細な情とは比べ物にならない。

 モモンガにとっては、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』こそが、かつての仲間たちと、仲間たちの残したものこそが全てなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦勝に浮かれる竜王国の中枢では、いつもの二人が眉間にしわを寄せてスレイン法国からの親書を広げていた。

 

『先般の貴国による“大侵攻”の完全なる撃退について、スレイン法国は人類の守り手としてこれを歓迎する。

 しかしながら、禍々しき破滅の竜王の力によってこれをなした竜王国に対し、同じ力によって神都を引き裂かれて間もない法国として、現時点で派遣しうる援軍は存在しない。

 願わくは、再び強大な力が貴国を、そして人類を護られるために振るわれんことを』

 

「こんなものが戦勝祝賀の親書と言えるのか」

 

「援助ではありませんが、祝儀として少なからぬ金銭も送ってきましたから、そうなんでしょうな」

 

 法国の不興を買うことは予測の範囲内だが、こうまで明確に切り捨てられてしまうとは思わない。

 

――この街で神都みたいな事が起こったら――

 

 クレマンティーヌの脅しの言葉はあったが、あの『漆黒』にそのような力があるなどと、正面から信じていたわけではない。別のアダマンタイト級冒険者チームを一蹴したという話だけでも(すが)るには充分なのであって、それ以上の力の有無など考えても意味がなかったからだ。

 だが、ビーストマンの軍勢は、現実にそのようにして壊滅した。

 そして、東の渓谷の大地に残された傷痕は驚くべき規模で広がっており、その跡地は伝え聞くスレイン法国神都の被害地域の状況と変わらない。当然、それはスレイン法国の諜報員も確認しているはずだ。

 

「しかし、これではまるで絶縁状と手切れ金のような……」

 

「実際に、そうなんでしょうな」

 

「ええい、これでは次があったら終わりではないか! 帝国の援軍は呼び戻せないのか?」

 

「敵もあれだけの数が壊滅したんですから、普通に考えればしばらくは来ないと思いますがね。でも、どうも嫌な予感がしていたんで、実は私の方から駐留の延長をお願いして、きっぱり断られた後だったりします」

 

 この大臣はするべきことをする男だ。いつの間にかクローゼットの中身を足丸出しの服だけに入れ替えるなど小賢しいところもあるが、先回りしての行動には信頼できる部分もある。

 

「帝国軍はともかく、あの『漆黒』やクレマンティーヌの方なら、金を積めば動くんじゃないか?」

 

「それが、断って撤退を急がせたのがそのクレマンティーヌなんですよ。あと、『漆黒』の他の者たちはあの日の翌朝から行方がわかりません」

 

「な、何だと!」

 

「だから、嫌な感じがするんです。『クリスタルティア』も『ザ・ダークウォリアー』も戻りませんし、せっかく風の噂で少女性愛者(ロリコンレズ)だとわかった『漆黒』のエンリまで消えてしまった。せっかくの幼い玉体を差し出す相手が誰も居ないのでは、いざというときどうにもなりませんよ」

 

「そうやって私の身体を切り札みたいに言うな!」

 

 しっかり人の身体が使えるかどうかまで調べている。そんな小賢しいところが気に入らないのだが。

 

「良いではありませんか。百万の国民を磨り潰して戦うようなろくでもない自爆の切り札でしかない現実に目を向けるより、誰も死なない分よほど健全です」

 

 こう言えば何でも許されると思っている。もはや不敬を通り越して、身も蓋もない。

 女王はぷいと顔を背け、部屋へ戻る。大臣と顔を突き合わせていても、状況は何も変わらないのだ。

 

 この二人のもとへ東の渓谷から流れる川の異変が伝えられるのは、数週ほど後のことだ。

 その後まもなく、渓谷は以前のものより幾分みすぼらしい恰好のビーストマンの軍勢で埋め尽くされることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――いない。いるはずがない。

 

 モモンガは魔法陣を展開しながら、周囲を警戒する。

 ビーストマンの国の首都に、プレイヤーはいない。既に綿密な調査が済んでいるし、派手な収奪に軍事行動を起こして何のリアクションも無かったのだから、当たり前のことだ。

 それでも、無防備となる超位魔法の発動に際しては周囲に注意を払わずにはいられない。護衛もこれまでになく多数だが、それでも相当に数を抑えている。本来の作戦よりも人数をかけてしまっては本末転倒だからだ。

 

――急ぐものでもないし、囮になっておくか。

 

 大規模戦であれば、敵の超位魔法には即座の反撃が基本だ。モモンガは今回そのような戦闘を想定していないが、ビーストマンの街にプレイヤーがいればそうは思わないに違いない。

 もちろん、モモンガは魔法陣を展開したままになる長い発動時間を短縮する手段も備えている。だが、それも限りある課金アイテムによるもので、もはや補充も不可能なものだ。

 ここは、超位魔法を知るようなユグドラシルの存在が出てくればそれも良しと考え、面倒でもじっくりと発動を待つほかない。

 

 それでも、この魔法によってナザリックの総力をかけなければならない作戦の手間がそれなりに圧縮できるはずなのだ。

 そして、ゲーム中では大規模とはいえ数値の変化をもたらすだけだった魔法だが、名前だけは結構立派なものなのだ。ゲームが現実となったこの世界では果たしてどのような結果を出すことになるのか――。

 

「楽しみだ。ああ、楽しみだ」

 

 ユグドラシルの頃は、この魔法は超位にしては地味と言われ、取得者がほとんど居なかった。ロールプレイ重視で浪漫溢れるキャラ作成(ビルド)にこだわったモモンガだからこそ習得し、さらにその存在を覚えているのだ。普通のプレイヤーであれば、何かの間違いで習得しても、システムウィンドウで習得魔法を確認できないこの世界では存在自体を忘れてしまっているかもしれない。その程度のものだ。

 効果は未知数だが、必要な効果が出なければ、あらためて予定していた作戦行動を規模を縮小して実行し、それを補えば良い。

 

 一つの国が存亡の危機に陥り、結果として多くの生命が失われるだろうというのに、モモンガは何の憐憫も感じない。

 この世界は、弱肉強食なのだ。

 特にビーストマンという種族については、モモンガはそれを強く認識している。自分――ひいてはナザリック地下大墳墓の利益になるのならば、細かいことを考える必要は無い。この世界で最初に出会った牧場のありようなどが頭にちらつくと、モモンガはそれ以上を考えたくもなくなる。

 

――せめて、アルベドやデミウルゴスを軽く驚かすくらいの効果があればいいか。

 

 最近は二人の提案を丸呑みにするようなことも増えている。

 マーレ帰還後に智者二人が想定していた大規模な作戦を後押しして、少しでも結果を出すことができれば、支配者としての責任も果たせるというものだ。

 

 このあたりは見晴らしが良く、遠目に魔法陣を見て逃げる者も少なからず出てきている。

 モモンガを囲う不死の軍勢は必ずしも大軍ではないが、その姿があるといっても無駄に挑みかかってくる者が全くいないのは意外なことだ。

 むしろ、逃亡者が増えすぎかもしれない。ビーストマンの視力が優れているのはわかるが、たかが中級アンデッドでおびえすぎではなかろうか。

 あまりビーストマンを散らしてしまわないよう、魔法を撃ったら即座に撤収した方が良いかもしれない。

 

――死の騎士(デス・ナイト)だけじゃ絵面が地味だから三十体くらい魂喰らい(ソウルイーター)に乗っけただけなのに……。

 

 こんなものは、近場のビーストマンが無闇に襲ってきて無駄死にしなければいいかな、という程度の気分で持ってきた間に合わせの肉盾だ。騎獣の方が強いというチグハグさから、そのうちミノタウロスの王国で荷車でも引かせようかと思う程度の存在でしかない。

 それなのに、視認できた者はほとんど逃走しているのではないかと思えるような過敏な反応だ。モモンガは少々面食らいつつ、大き目の集団は確保(テイム)しておくようアウラに指示を与えておく。

 

「よし、そろそろかな」

 

 もはやモモンガの意識の中に現実のビーストマンたちの姿は無い。ゲーマーがアップデート後の新要素を期待するかのように、モモンガはこの世界に来て初めて見る超位魔法のエフェクトを素直に楽しみにしていた。この国の数十万の亜人の命運など、まともに考えてはいなかった。

 

 

 

 そして――ようやく超位魔法が発動する。 

 

 

 

黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)

 

 

 

 空が、二つに割れた。

 その裂け目から漏れ出るのは、赤茶色の雲のようなもの。

 それはまたたく間に広がり、空の全てを覆い尽くしていく。

 降り注いでいた陽光は僅かに赤く、そして次第に薄暗くなり、この国の首都は夕暮れよりも暗い正午を迎えることになった。

 

 それは、実際には雲などではない。数億、いや数百億はあるのだろうか。雲のように群れる赤茶色の粒子はその一つ一つが蠢き、黒の斑点のある黄色と、半透明の赤の二組の翅をせわしなく震わせて自らの力で飛行していた。

 赤茶色のものたちは、出陣の用意のととのえられた馬のように黒ずんだ(あぶみ)を背負い、頭には兜のような真鍮色の輝きを持つ――飛蝗(トビバッタ)の群れだ。その翅の音は馬に引かれ戦場に急ぐ戦車の響きにも似ていて、うなるような羽音の群れが空から街を圧し潰していく。

 

 彼らは地上へ降り立ち、一昼夜の間、あらゆるものを貪り続けた。

 災いが過ぎ去るまで、ビーストマンたちはただ混乱し、嘆き、あるいは怯えて暮らした。

 

 それが過ぎ去ってしまえば、晴れやかな日差しが戻り、何もかもあっさりと元通りになったかのように見える。

 しかし、そこにいたビーストマン十数万。

 それらが生きていくための物資は、飛蝗(トビバッタ)より大きい家畜を除いて全て――失われた。




●蝗害(コウガイ)

イナゴ(蝗)とも読む字ですが、飢饉を起こすようなやつは大抵は飛蝗(トビバッタ・ワタリバッタ)だそうで。
おまけに大発生すると栄養がスカスカになって食べるところが無くなるとか。

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