マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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五〇 墳墓に薔薇がやってきた

「モモンさ――ん、このような事態となった以上、当初の予定通り北へ向かうということでよろしいでしょうか」

 

 モモンの太い腕に抱かれ、新たな英雄譚(サーガ)に酔いしれていたイビルアイは、モモンの仲間ナーベの声で現実に戻される。

 

「……そうだな。大侵攻は我々が解決したわけではないし、王都に立ち寄るべきではないだろう」

 

「ただ、これよりその近郊を通過しますので、そちらの大蚊(ガガンボ)は地面に落とされることをお勧めしますが」

 

「ん? あっ……ああ、これは失礼をしたな。こういう扱いでなければ、あのマーレに付け込まれて面倒だと考えたのだ」

 

 モモンはイビルアイをそっと下ろし、自らのマントを外して差し出す。

 

――やはり、私は助けられたのだな。

 

 モモンのマントを羽織らせてもらったイビルアイは、舞い上がる気持ちを必死に抑えながら問う。

 

「あの……なぜ、吸血鬼の私を助けてくださったのですか」

 

「吸血鬼でも、冒険者として人の役に立っていたことはわかっているからな――」

 

 そして、モモンは吸血鬼と知りながら同行させた『蒼の薔薇』の仲間たちの方に邪悪な意図があるものと考えている。

 もしイビルアイが邪悪な吸血鬼として仲間たちを従えていたのであれば、たとえ正体が知れていても仲間の中に眷属を含め、支配を確実なものとするはず――そんなモモンの理屈には、まるで冒険者として過去に強大な吸血鬼と対峙し、その習性を知っているかのような真実味があった。

 

――知っているからこそ、安易に敵対せず、安易に信用しない。私が守ってやりたいと思っていた真っ直ぐで無防備な所もある『蒼の薔薇』の仲間たちとは、対極の存在なのかもしれないな。

 

 仲間が疑われたことは悲しいが、モモンへの不思議な感情については、何やら胸にストンと落ちるものがある。イビルアイは、自身の浮ついた気持ちの正体を理解する。

 少女のまま成長を止めた小さな手を、少女のままの胸元に合わせ、イビルアイは自分自身と向き合う。

 二百年以上前、少女のまま自身の時を止めてしまったイビルアイは――。

 

――守りたいのではなく、守られたかったのか、私は。こんな身体で長い時を生きていながら、心まで成長を止めていたのかもしれないな。

 

 しかし、モモンはイビルアイを守ってくれる仲間というわけではない。『蒼の薔薇』に対しては、イビルアイを利用する“悪”の側の存在と認識している。

 それでも、話のわからない相手でもなければ、『漆黒』のようにイビルアイや『蒼の薔薇』に敵意を持っている相手でもない。

 イビルアイは、モモンに、『ザ・ダークウォリアー』に縋るしかないのだ。

 

「なぜ、あれほどの相手を敵に回してまで、私を……」

 

「お前が吸血鬼である以上は状況的に『蒼の薔薇』は信用できないが、私は元々あの『漆黒』の方を危険な存在だと考えているのでな――」

 

 モモンは、突如現れ非常識なほど短期間でアダマンタイト級まで駆け上がった『漆黒』について不自然さを感じ、色々と調べていたらしい。

 

――やはり、モモン様は私の騎士だ。曇りなき(まなこ)を持っている。

 

「どうか、私の話を――『蒼の薔薇』の仲間としての私の話を聞いてもらえないでしょうか」

 

「もちろん、聞かせてもらうつもりだ。お前と『蒼の薔薇』との繋がりも、それ以前のこともな」

 

 モモンは、情報屋を通して『漆黒』と『蒼の薔薇』の戦いの詳細を知ったという。その上で、先の戦いでクレマンティーヌを圧倒したイビルアイと、そのクレマンティーヌに劣るはずの『蒼の薔薇』の実力差が大きいことを確信し、イビルアイと『蒼の薔薇』の関係について大きな疑問を持っている。

 イビルアイは語らざるをえない。『蒼の薔薇』との関わりの全てを。

 そして、塗り替えなければならない。『漆黒』によって語られた、十三英雄を貶める偽りの歴史を。

 

 イビルアイが覚悟を決めると、先にモモンの声がかかる。

 

「――だが、その前にこの場から逃れるべきだろう。遠方から魔法が飛んでこないとも限らん。ナーベ、頼む」

 

 モモンは、マーレの遠距離からの攻撃魔法に警戒している。

 防戦一方だったとはいえ、戦士のモモンが倒しきれなかったマーレは魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。甘く見ることはできない。

 ナーベが手を差し伸べる。移動手段は《飛行(フライ)》なのだろう。

 

「はい、モモンさ――ん。お手を」

 

「わ、私も《飛行(フライ)》なら使えます! 二人で支えた方が――」

 

「チッ……。モモンさ――ん、このような吸血鬼、信用なさるのですか?」

 

「そう言うなナーベよ。この場から早く離れた方がいいので、ここは二人に頼むとしよう。少し遠いが、北の国境寄りの小さな町で宿をとるつもりだ」

 

 イビルアイはモモンの大きな手を取り、少しだけ顔が熱くなるのを感じつつ夜風を受けて空を行く。

 他方の手を取るナーベの不機嫌な顔を見ると、自分にも少しだけチャンスがあるような気がしてくる。

 モモンはイビルアイを守る騎士なのだ。『蒼の薔薇』のことも、話せばわかってくれるはず。そう信じるしかない。

 

「本気の殺し合いになれば、我々だけでは『漆黒』には勝てない」

 

 夜空を飛びながら、ぽつりとモモンが言う。

 

「そんなことは――」

 

「気付かなかったのか? 向こうに足手まといを守ろうという意思が無ければ、あの闇妖精(ダークエルフ)の魔法で形勢は簡単に逆転したはずだ」

 

「そ、それは……」

 

 魔法という言葉を聞き、イビルアイは同時に別のことも考える。

 先の戦いでは姿が無かったが、『漆黒』には複数の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を自在に操るエンリもいる。あらゆる魔法を無効化するそれで守られればイビルアイとナーベの魔法は通用せず、モモンは最強の存在でも戦士でしかない。空を飛ばれたら一方的に魔法を打たれ放題になるということだ。

 そこで飛んでくるのが、モモンが物理戦闘で倒しきれない魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーレの魔法となれば、勝機はほとんど見えない。

 

「でなければ、私はあの女戦士を殺していた。もちろん回復や支援に回っていた二人も、自由にさせておく理由は無いだろう。お前もそれをわかっていて女戦士の相手をしてくれていたのではなかったのか?」

 

 確かに、当初のモモンの戦闘には歯がゆさを感じる部分もあった。復讐心に支配されたイビルアイには、そういう感じ方しかできなかったのだ。

 仲間たちの恨みを込めて、クレマンティーヌを痛めつけてやりたかった。ただそれだけだ。

 イビルアイは、そんな視野の狭い自分が恥ずかしくなる。

 

「はい……一応は」

「無理でしょう。モモンさ――んの意図を察して行動できるのは私だけです」

 

 ナーベの勝ち誇ったような、見下すような表情が視界に入るが、今のイビルアイはモモンとの間で他の女に対抗できるほどの地位には無い。僅かにゆらめいた嫉妬の炎はまたたく間に鎮火してしまう。

 むしろ、当初はモモンの揺るぎないパートナーのように思えた美女のそんな露骨な表情を見て、自分にも入り込める余地があるのではないかと思えてくる。あれは約束された地位にある女の顔ではない。そう思うとモモンとの関係にも晴れやかな希望が出てきて、元の嫉妬に代わってイビルアイの心を占めていく。

 

――私の方は、まだ出会ったばかりなのだ。私より強いばかりか、優れた洞察力や視野の広さを持つ……こんな男に二度と会えるはずがない。未来を作るのだ。

 

 イビルアイは、この男を逃せば、この先数百年、いや数千年先まで満足できる男には出会えないような気がしていた。

 一気に膨れ上がろうとする気持ちを言葉へ替えることもできずにいると、モモンが静かに口を開く。

 

「イビルアイよ。お前が庇う『蒼の薔薇』だが――」

 

 びくりと震える。イビルアイの存在しないはずの心臓が跳ねる。

 

「マーレによって人質とされぬよう、外向きにはああいう立場でいなければならないが、確実に邪悪な者たちだと決めつけているわけではない」

 

「信じて、いただけるのでしょうか?」

 

 イビルアイの心は、モモンに縋ることしかできない。

 

「それには根拠が必要だ。……例えば、もし、お前が騙されていたのでなければ――『蒼の薔薇』が邪な意図を持ってお前と共に旅をしていたのではなければ、その背後にはより強き者が居るのではないかと思うのだ」

 

「それは、どういう……」

 

「より強く、正しき者の導きがあればこそ、普通の人間にも自分たちより遥かに強い吸血鬼を仲間として受け入れることができるかもしれない。そう思うのだ」

 

「…………」

 

 イビルアイは言葉を飲み込む。確かに、古き盟友たちの保証が無ければ、吸血鬼であるイビルアイが『蒼の薔薇』に加入できたかはわからない。

 

「つまりその場合、私があの『漆黒』と戦う際に力になってくれる者がいるのではないか。そういうことを期待してしまうと、お前だけでなくその仲間まで丸ごと信じたくもなってしまう」

 

 兜の中の表情は見えないが、冷静に敵との戦いを見据えて行動しているモモンの中に、イビルアイへの期待が見えたような気がする。

 信じたいし、信じてみたい――そういう種類の期待かもしれない。

 その期待を裏切ることは、イビルアイにはできない。

 

「モモン様、あの『漆黒』の話はでたらめですが、私には十三英雄の時代からの盟友がいます――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 老婆は笑いながら、報酬の先払い分は一人の仲間だという。

 

「これはお前たちを助けるなんて話じゃなく、れっきとした依頼じゃよ。だいたい、わしが復帰したところで、あの娘がなすすべもなく潰された相手に手出しできるものか」

 

「でも、リグリットの“古き友”なら――」

 

「あれでも対処しかねるから、こんな婆が働かされておるんじゃ」

 

「そんな……だって、その方は世界でも最強の存在で、魔神と戦った時のまま年老いたりも――」

 

「相手は魔神どころではないわ。あやつも実力をはかりきれず警戒しておるし、例の闇妖精(ダークエルフ)の力は最悪、欲王並みを想定する必要があるかもしれん」

 

「それじゃ、イビルアイはもう……」

 

「早まるでない。百年の揺り返しならば、一人だけではあるまい。そして、あやつも世界を巡って、既に目星をつけておる」

 

 老婆――リグリットの依頼は、味方を増やすための交渉役だ。それに先立ってリグリットの知る過去と、伝え聞く伝承が語られる。

 

 かつて、六大神は苦境に陥った人間たちと出会った。そしてそれを助け、人類の守護者たるスレイン法国の基礎を築いた。

 八欲王が出会ったのは、覇道を突き進む亜人の王や、世界の頂点に立つ竜王たちだ。そしてそれらと争い、ついには世界を手中に収めかけた。

 十三英雄のリーダーも同類だが、彼は冒険者たちと出会った。そして共に旅を続け、数多の魔神を倒して十三英雄として名を遺した。

 同時期のミノタウロスの『口だけの賢者』のように、食人を行う種族でありながら食料扱いの人間種を奴隷に引き上げた者もいる。

 

 リグリットは、百年の節目に現れる強大な存在が総じて人間的な側面を持っていて、その運命や選択はこの世界の存在との出会いにも大きく左右されているのではないかと考えている。十三英雄のリーダーが最後の戦いの後に蘇生を拒んだのも、戦いの中で殺した相手が内面においてはさほど差の無い、同類の存在だと思えたからこそなのだ。

 本当の邪悪を滅ぼしたのであれば、相手が人間であろうと同郷であろうと、自らの人生の残りを放棄することには繋がらないだろう。

 

「だから、強大な存在に(すが)るなら、わしら辺りがちょうど良いのだ」

 

 向かうは亜人の領域の奥深く。アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のほかに、そこまで到達できる者は多くない。

 しかし、イビルアイを欠いた『蒼の薔薇』程度の存在であれば、強大な存在に危機感を与えることは考えにくい。

 そして、大切な仲間と冒険者の地位を一度に失った『蒼の薔薇』には、他にできることはなかった。

 

 

 

 

 

「あー、確かにこれはとんでもないモノが居そうな遺跡だな」

「ええ。でも、こういう未知の領域に踏み込んでこそ冒険者って感じがするわ」

 

 山あいの丘陵地に隠された、墳墓の体裁を持つ遺跡。目的地はリグリットから伝えられた通りのものだったが、その威容は世界中を冒険した『蒼の薔薇』にとっても衝撃的なものだ。

 その驚きは、周囲が見晴らしの良い山間の丘陵地で古い都市跡など文明の痕跡が全く無かったこと、そして遺跡が丘陵の起伏と点在する小さな森林に巧妙に隠され、丘陵の一つから下を見下ろして初めてその存在と巨大さが認識できることによるものだ。

 

「冒険者登録を剥奪された後の方が冒険者らしいという不思議」

「他に仕事があったらこんな人外の領域奥深くまで来ない」

 

 ティアとティナは軽口を叩きながらも、どこか納得のいかない表情で周囲を観察している。

 

「そうね。ラナーの仕事ができなくなったのが申し訳ないけれど」

「今の俺たちが出入りしたら姫さんの立場が悪くなるからな。リーダーが悔やむことじゃない」

 

「中を荒らしてはならんぞ。相手の怒りを買っては元も子もないからな」

 

 少し遅れて登ってきたのはリグリットだ。そこまで体力が衰えているわけではないが、絶えず魔法で周囲に気を配っていた。

 

「でも、最近来た奴らなんだろ? この遺跡はどう見ても数百年は前からあるし、居座ってるだけなんじゃねえか?」

「むしろ私たちでここの宝物を探し出して、手土産にするのもいいんじゃないかしら」

 

 ガガーランとラキュースは遺跡に強い興味を持つが、リグリットの関心はその主に向けられている。

 

「海上都市の近海の漁師などは『触らぬ神に祟りなし』とよく言っておる。世界には、我らが触れてはならぬものもあるのじゃよ」

 

「同意。ここは手を付けるべきじゃない」

「遺跡を隠している林が不自然すぎる」

 

 ティナは鳥や虫の巣や樹皮に張り付いた虫の繭跡に着目する。中身のある新しいものはあるのに、風化しかけた古いものの痕跡が全く残されていないのが不気味だという。

 そして、ティアは樹木や下草の病害に注目していた。健康なものと病害に侵されたものは適度にあるが、病害に侵され時間の経ったような部分が見当たらないことを指摘する。

 

「ふーん、俺から見ると自然な感じだけどなぁ。この樹なんて、たまに葉っぱに木の実ができる所まで故郷にあったのと一緒だ。葉っぱにつくやつは味が薄いけど、種が柔らかくて食べやすいんだ」

 

 ガガーランは手近な低木に触れると、葉の上にくっついた丸い木の実状のものをむしり取って口に持っていく。

 

「ちょ、それは!!」

「ガガーラン、待つべき!」

 

「んん、この安っぽい味、懐かしいな。果肉は薄味だがぷちぷちと潰れる柔らかい種にコクがあってガキの頃好きだったんだが……。ん? どうした?」

 

「いや……何でもない」

「全て王国民の貧しさが悪い」

 

 ティアとティナはガガーランから目を背ける。

 重税にあえぐリ・エスティーゼ王国の寒村の子供にとっては、木の実は立派なおやつなのだ。

 実のところ、葉の上にできるのは木の実で無いことの方が多いのだが。

 

「なんか美味しそう。これもそうよね?」

 

「リーダー、ちょっと――」

「それ、果実に見えるけど実は虫こぶって言って……」

 

 食べてしまったガガーランに聞こえないよう、植物に稀に作られる寄生幼虫の揺り籠についてラキュースに説明するティアとティナ。

 

「どうした? ラキュースは喰わないのか?」

 

「あ、うん、種ごとって苦手なの思い出したの。それより! こんなことしてる場合じゃないわ。急ぎましょう!」

 

 

 

 

 

 『蒼の薔薇』は、遺跡の地表部で居住が可能そうな建物が無いか捜索した後、中央にある大霊廟の前に来ていた。

 周囲には、今にも動き出しそうな巨大な戦士像が四体。さらに四方には遠巻きに小霊廟が配置されている。

 

 探索であれば四方を囲う小霊廟を調べて財宝や罠などの質を見るべきで、ここが“敵”の拠点ならば魔法的な仕掛けを警戒して戦士像を破壊することも考えられる。

 しかし、訪問の目的は拠点の主との交渉だ。正面から呼びかけるしかない。

 

「どなたか、いませんかーっ!」

 

 ラキュースが張りのある声で、次にガガーランが太い声で呼びかけるが、反応は無い。

 

「――ダメだな。眠ってたりすることもあるんじゃないか?」

「中で響いてるだけ」

「リグリット、あの石碑は何?」

 

 ティナが指さすのは、戦士像の足元の石碑だ。

 

「ふむ……この世界の言語には見えん。2.0という数字しかわからんな」

 

「リグリットの知らないような時代の遺跡ってこと?」

 

「でも、古くからあったにしては色々とおかしい」

 

「そうじゃな。違う世界のものかもしれん」

 

「返事も無いし、わからないならせめて扉のある所まで進もうぜ」

 

 一行は大霊廟への階段を昇り、内部の広間へと入っていく。

 

「死の臭いがする」

「ただの遺跡ではない。これは、いる」

「カッツェ平野と同じね」

 

 腐敗臭でも打ち捨てられた墓所のものでもない、アンデッド特有の臭いが漂う中、『蒼の薔薇』は歩みを止めない。こうした墳墓の遺跡であれば、アンデッドとの遭遇はやむを得ないことだからだ。

 生命を憎むアンデッドは生ある全ての者にとって危険な存在で、手なずけることは難しい。もちろんリグリットのような死霊系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)という例外もあるが、そうでなくとも宝物を守るような目的で配置することはあり、多くは捨て石だ。遭遇したら倒してしまっても、遺跡を荒らしさえしなければ問題は無い。五人はそう考えていた。

 

 広間には無数の石の台が並び、その先に下り階段がある。その先には開かれた扉があり、臭いもそちらから流れてきている。

 

「進みましょう」

 

 ラキュースが先導し、階段下へ。その先にあるのは――玄室なのだろう。立派な装飾を施された扉が行く手を塞ぐ。

 閉まっている扉を開けることには抵抗があり、幾度か呼びかけを続ける。

 

「む……土の掘り返されるような音が沢山」

「入口の外から不穏な気配」

 

「土って、ここ墳墓よね」

「おいおい、不味いんじゃないか?」

 

 少し遠目から、カチャカチャ、ガチャガチャと骨の鳴るような音が次第に増え、コツコツ、ガッガッという足音も大量に重なって波のように押し寄せてくる。

 

「今から広間に出ても囲まれる。狭い階段で迎えるんじゃ」

 

 狭いといっても、大霊廟の階段は前衛三人でようやくカバーできる程度の幅はある。囲まれるよりマシという程度で、相手が高所な分の不利もある。

 墓地が一斉にめくれあがるような土の音、そして幾重にも重なった骨の鳴る音と足音が大霊廟の中に不気味に響く。

 

「待って。量だけかもしれないし、広間に雪崩れ込んできたところで一気に浄化すれば数を減らせるかも!」

 

「よし、階段の上で俺がフォローするから、危なくなったら後ろへ滑り込んでくれ」

 

 ラキュースはガガーランを伴って階段を駆け上がる。

 濁流のように大霊廟に雪崩れ込む骨の音は、スケルトン種の大軍だ。普通に見かける亜種も含めて、『蒼の薔薇』であれば数百体単位で襲われたとしても対処は容易な相手のはずだ。そもそも濁流のように襲い来るような状況ならば相手は低級の存在と決まっている。

 そこへ先制攻撃を行うのは、身動きが取れないところへ強敵が現れる可能性を恐れてのことだ。低級のモンスターの大軍が“敵”でなく“罠”として作用する場合、先制して数を減らすことが罠自体を無効化する最良の方法となる。それは熟練の冒険者としては当然の対応なのだ。

 

 ラキュースは階段の半ばより詠唱を始め、遭遇する一瞬で神官として浄化を行うつもりだ。タイミングを合わせ、すぐにガガーランの陰に隠れる。強敵が混じっている可能性も考えての万全の態勢だ。

 広間に視線が通った瞬間、ラキュースは魔法を発動する。同時に、濁流のように迫るスケルトンの姿に大きな違和感を覚えながら。

 

「《不死者浄化(ターン・アンデッド)》! ――そんなっ……、《魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)》《浄化の炎(ペイゲイション・フレイム)》!!」

 

 雰囲気が、そして武装が違う。濁流のように部屋を埋め尽くしつつある大量のスケルトンは、その全てが立派な装備を身に着け、そこには魔力の輝きさえ有していた。

 そんなスケルトンの中で、広間全体を覆いつくすラキュースの《不死者浄化(ターン・アンデッド)》で倒れる者は無かった。

 恐怖の中で至近のものへ放った二撃目は今のラキュースが使える最高の浄化手段だが、浄化の炎の及ぶ狭い範囲にしか効果を及ぼさない。一体が軽く傷つき、一体が膝をつき、中心で焼かれた一体が崩れ落ちる。

 

「ラキュース、下がれっ!」

 

 ガガーランがラキュースを押しのけるようにカバーに入るが、間に合うタイミングではない。

 しかし、ラキュースは攻撃を受けない。広間に雪崩れ込んできた重武装のスケルトンたちは、階段の手前で停止し、整列していく。

 階段の左右には、ラキュースが浄化を行う以前から、停止していたものも居た。

 

「なんだよ、こいつらは……」

 

骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の亜種ね。私の広範囲浄化で一体もやれなかったから、少なくとも紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)より強いと思う」

 

紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)でもこの数ならお手上げ」

「リグリット、ここは何なの?」

 

「知らん。ただ、ここには味方につけねば世界が終わるような存在が――」

 

 リグリットが言葉を紡ぐのを待たず、重い音を立てて玄室の扉が開く。

 

 

 

「侵入者の皆さまが全滅される前に、ご挨拶に参りました」

 

 静かな、そして平坦な女の声。

 扉の前に居たリグリットは反射的にその場を飛び退き、階段上へ向かおうとしていたティナとティアがカバーに入る。

 

「メイ……ド?」

「……あ、圧倒的」

 

 全体を見るティナに、その胸元を注視するティア。その視線の先にいるのは、扉を開いた女がただ一人だ。冒険者としての『蒼の薔薇』とすれば、その玄室側に活路を見出せる状況になる。

 しかし、その女のあり得ないほどの美しさと、不思議な装いが敵対行動を躊躇させた。

 豊かな胸を覆う奇怪なメイド服のような装いに、全く似つかわしくない武骨なガントレット。メイド服といっても、布のように見えるそれには金属の輝きがある。

 女はその指を軽く滑らすようにして、女一人では開けられそうに無いような重々しい扉を軽々と開ききった。

 

「わ、わしらには敵意は無い。交渉に来たのじゃ!」

 

「先ほど、墳墓の衛兵に攻撃をなさいましたが」

 

 女は、能面のように感情の無い顔で静かに言う。

 完全武装の五人を前にして警戒の色が全く無いどころか、見下し、蔑むような雰囲気さえある。

 

「それは、武器を持ったスケルトンが大挙して襲ってきたから!」

 

「抜き身の武器を持った方のご訪問があれば、衛兵を集結させて現地のサンプルを……失礼しました……当方の安全を確保する前提で応対することになっていたのですが。そこへ一方的に攻撃を加えたのはあなた方ではありませんか」

 

「そんな!! あの時は凄い勢いで……」

 

 見回せば、衛兵と呼ばれた骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の集団は上階の広間を埋め尽くし、整然と隊列を維持している。『蒼の薔薇』に手出しをした事実は、無い。

 ラキュースは抗議しながらも、壁を背にじりじりと階段を下りる。

 戦いの態勢を整える『蒼の薔薇』を嘲笑うかのように、メイド服の女は棒立ちのまま言葉を継ぐ。

 

「動きや装備を見ていただければ、統制の無い部隊ではないことはおわかりいただけると思いますが」

 

「装備ったって、アンデッドだろ――」

「降伏するっ!!」

 

 ガガーランを遮って、リグリットは腹の底から大きな声を出してその場へ座り込む。

 

「――そちらの衛兵を攻撃したのは我々の不手際と認めよう。わしも死霊を操る術の心得があるから、ここまで屈強な衛兵たちを大量に準備する大変さは理解しておるつもりじゃ」

 

 リグリットはメイド服の女の口の端に小さな笑みの形を見て、小さく安堵の溜息をつく。

 神官でもあるラキュースは納得のいかない表情でリグリットの顔を覗き込む。

 

「リグリット?」

「おい、婆さん!」

「わしらはここの主と交渉するために来た。敵対行為と見なされたのなら、降伏した上で話を聞いてもらうしかあるまい」

 

 『蒼の薔薇』の面々はその場で武器を収める。

 

「……わかりました。侵入者であっても、捕虜ならばボ……コホン……私はそれが何者かを主人にお伝えせねばならない立場にあります」

 

 女は、武器を預けようとするリグリットを手で制する。

 

「既に降伏の意思は承りました。武器(そんなもの)は誤差の範囲なので、持っていて結構です。……それでは、まずは自己紹介を――」

 

 女はユリ・アルファと名乗った。

 その身分を『七姉妹』(プレイアデス)の副リーダーと称するが、『七姉妹』(プレイアデス)というのはここを拠点とする組織の名ではなく、侵入者を掃討する権限を与えられている一部のしもべたちを指す呼び名のようだ。

 組織の名については明かされない。あらゆる情報の開示は「至高の御方のご判断次第」ということらしい。

 

 だが、その後の待遇は悪くない。『蒼の薔薇』は拘束をされるどころか、衛兵たちに周囲を固められることもなかった。

 ただ、ユリのどこまでも不遜な態度やその所作に滲む優越感は誰もが露骨に過ぎると感じられるもので、一度は冒険者の頂点に立った『蒼の薔薇』としてはその高慢さが相当に鼻についた。苛立ちを隠そうとしないガガーランはもちろん、普段は温厚なラキュースさえも時折ユリへの嫌悪感を滲ませる。

 

「同じように美しくても、心が外見と正反対の人って駄目ね。同じ空気を吸っているだけで気分が重くなる」

 

 ユリの先導で墳墓の中を進みながら、後方のラキュースが聞こえないよう小声でぼやく。立場上気軽に会えなくなってしまった絶世の美女である王宮の友人(ラナー)と比べているのは皆わかっていることで、しかめ面のガガーランも無言でうなずく。

 しんと静まり返った墳墓の通路を、完全武装の『蒼の薔薇』は進む。旅慣れた五人の足音と違って静寂の中でひときわ目立つのが、ユリのハイヒールが立てる音だ。

 骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の大軍勢を支配下に置くとはいえ、ごついガントレットの他はメイド服にハイヒール。そんなユリに見下された『蒼の薔薇』は、ガガーランを中心に苛立ちをくすぶらせていった。

 

 ユリが案内したのは、湿った石壁の通路を進んだ先の横道だ。慎重に、ユリが歩いた所を選んで進む『蒼の薔薇』の足元に、急に大きな魔法陣が現れる。

 全員が光に包まれ、気付けば景色は一変していた。

 

 そこは、松明の陰影が揺らぐ薄暗い通路の途中。その通路は雰囲気に反してスケールが大きく、幅も高さも相当なものだ。

 陰鬱な墳墓にふさわしい湿った石壁ではなく、堅牢な作りの構造物の内部なのだろう。

 流れる空気も、墳墓の内部というより、半分屋外のように過ごしやすいものに変わっている。

 通路の先には巨大な格子戸が落とされ、白い魔法的な照明とともに爽やかな風が洩れてきている。薄暗い反対側には幾つも扉があるが――。

 

「この辺りで、しばらくお待ちいただきます」

 

「そっちの扉の方じゃねえのか?」

「牢などでないだけ良かろう」

 

 椅子も何もない通路に文句を漏らすガガーランを宥めるように、リグリットが座り込む。

 ティアは格子戸の光の向こうを見通すように目を細める。

 

「ここは――闘技場?」

 

「だとしたら、帝国のものよりスケールが大きい」

「そんな……ここ、墳墓の中よね? どうしてこんなものが……」

 

 見上げれば、竜や巨人も通れそうな天井高だ。

 

「墓地にメイドって時点でセンスおかしいし、わかるわけねぇだろ」

 

 軽口を叩いたガガーランはその直後に小さく震え、ユリから一歩離れて身構える。

 

 ガガーランを身構えさせたのは、底冷えするような殺気だ。ユリの瞳が、その苛烈な輝きがガガーランに向けられる。

 『蒼の薔薇』の全員がその殺気に晒され、辺りの温度が一段下がったかのように錯覚する。

 

「私ユリ・アルファは無礼な侵入者への対応を任されておりますが、残念ながら侵入者を殺さないよう申し付けられております」

 

「あ? それが何だよ」

 

「わかりませんか? 無礼な方を殺さない程度に痛めつけるところまでは許されているのです」

 

「だったら、武器を取り上げておくべきだったな」

「ガガーラン、ちょっと」

「待ってくれ。我々は降伏したのじゃ。戦うつもりは無い」

 

 喧嘩を買う姿勢のガガーランをラキュースが抑え、リグリットが間に入ろうとする。しかし――。

 

「降伏は了解しておりますし、私は弱者を一方的に嬲るような真似は好みません。皆様の交渉という目的に支障のないよう、正々堂々と試合の形式を取ってお仕置きさせていただきたいと考えます。勇気があるなら武器をお取りください」

 

「試合か……いいねぇ。婆さんも、交渉とは別に俺が勝手にやるんだからいいだろ。……ほら、お前も早く武器を取ってこいよ」

 

「私は、これで充分です。――そちらは全員で来られても構いませんよ」

 

 ユリは武骨なガントレットに包まれた両の拳を打ち合わせてから、格子戸と逆の方へゆっくりと歩き出す。

 闘技場への格子戸は開かず、広い通路でやりあうつもりなのだろう。

 

「正々堂々と、なんだろ。サシで相手してやるよ」

 

 ガガーランは仲間たちから離れてユリと対峙し、広い通路を大きく使って間合いを取る。

 




●マーレのカモフラージュ

 亜人の領域ということで原作と違い平地ではない前提なので、山あいにふさわしい偽装として地面のアップダウンだけでなく山の高所からの視界を遮る森林を加えています。


●正々堂々

 カルマが善方向なので、侮辱されたら決闘したりもします。命令の許す範囲であれば。

●早く進めたい気持ちもあるのですが

 ナザリックがどういう集団であるかを考えると、どうしても事あるごとに現地勢と小さな衝突を繰り返させずにはいられません。

●木の実の罠

 ぐぐらない方がいいです。どうしても画像検索するなら「虫こぶ 薔薇」にすると、上の方の結果が少しマシかも。

●虫の罠

 ナーベ→イビルアイ的な理由から平たいとか貧乳とかいう響きを持つ昆虫名を探していて「ヒラムシ」というのを見つけたのですが、念のためぐぐった結果、今回の用途では無理でした。自然界って凄い。※腐っている御婦人向けの模様
 というわけで、二度目もガガンボ(「大蚊」なのに吸血しないやつ)。

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