マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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四九 がんばれ、ももんさま

 夜の大渓谷で、モモンとクレマンティーヌが睨み合う。

 イビルアイは――迷っていた。

 

「ふん、ビーストマンにやられて行方をくらました程度の奴が、このクレマンティーヌ様に喧嘩を売るわけ?」

 

「くっ、モモンさ――ん、このカマドウ――」

 

「ナーベ! 黙っていろ。――さて、クレマンティーヌと言ったか。私はただビーストマンの策にはまり、別働隊を深追いしすぎたに過ぎない。『漆黒』の手下に過ぎんお前程度では相手にならんと思うが」

 

「言ってくれるねぇ。いいよ、殺し合おうよ。隣の女もやるならたぶん先に殺しちゃうけど、どうする?」

 

 クレマンティーヌにも迷いが見える。

 イビルアイを甘く見ているとはいえ、アダマンタイト級冒険者チームとあわせて相手にできるとは思っていないのだろう。

 何より、こういう問題が起こった際、必ずマーレが来るという確信までは無いのか――。

 

「……この地では人が死にすぎた。非道な行いを改め、その少女を大人しく引き渡すなら、お前たちは見逃そうと思ったのだがな」

 

「見逃す見逃さないとか、喧嘩売られたこっちの台詞なんだけど?」

 

 言葉は勇ましくとも、クレマンティーヌは距離を詰めない。

 

「――ここは、私だけで相手をしてやろう。どこからでもかかってくるがいい」

 

 モモンの存在感が膨れ上がり、要塞どころか巨大な城塞のように感じられる。かなりの実力者なのだろう。

 クレマンティーヌは静かに身を屈め、前傾姿勢で地面に片手を突く独特の構えを取る。

 

――人類のために戦う『ダークウォリアー』のモモンか。クレマンティーヌを殺し、この戦士の仕業とするなら好機だが……。

 

 イビルアイはモモンを味方と思ってはいない。むしろ、こんな所で安い報酬にもかかわらずビーストマンと戦い続けた冒険者となれば、法国の人間のように異形に厳しい考え方を持っている可能性が高いだろう。もし、一部の噂にあったように女王を愛するような嗜好の者だとしても、さすがにアンデッドは討伐対象に違いない。

 せいぜい、クレマンティーヌらと敵対してくれれば逃亡の機会になるという程度の認識だ。

 それでも、マーレが来た時に叛意を見せれば、蒼の薔薇の仲間たちが危ない。逃亡するなら、その証拠は消さなければならない。

 この状況を活かすとしたら、モモンとクレマンティーヌの戦いの最中にマーレが戻らなければこの場の全員を殺すことまで視野に入ってくる。そこでマーレが戻ればモモンに罪を着せ、それでも戻らなければようやく体内に埋め込まれたものへの対処を考えるなり、逃亡の準備をすることができる。

 

――いや、事情を知らないとはいえ、私を助けようという戦士に対し何を考えているのだ。

 

 イビルアイは自身の思考の醜さに顔をしかめる。

 しかし、万一モモンが最後まで味方をしてくれたとしても、ともにマーレと対峙するのは無謀というものだ。同格のアダマンタイト級冒険者の協力を得たからといって、底の知れない強大な力を持つマーレを相手に勝算があるとも思えない。

 それに――。

 

「待ってください! そいつは邪悪な吸血鬼なんです!!」

 

 ここで叫んだのはンフィーレアだ。

 やはり、こうなるのだ。吸血鬼であることを隠すアイテムや仮面を失った状況では、そもそも味方など得られるわけがない。

 クレマンティーヌと未知数とはいえアダマンタイト級冒険者チーム『ザ・ダークウォリアー』を相手にすれば、勝てないとまでは思わないが、マーレが戻るか連絡が付くまでの時間を容易に稼がれてしまうだろう。

 

「わ、私は確かに人間ではないが、元はアダマンタイト級冒険者で――」

 

 人間ではない――その言葉に反応したのか、モモンは不機嫌そうな溜息をつく。

 

「イビルアイ。そういう名を持つ吸血鬼の話なら私も聞き及んでいる」

 

「――!!」

 

 モモンの言葉に、イビルアイの止まっているはずの心臓が、跳ねた。

 言葉を継がなければならないのに、出てこない。

 

「イビルアイは、この邪悪な吸血鬼『国堕とし』がアダマンタイト級冒険者チームを引き連れていた時の名前です!」

 

 本当に先に殺しておくべきなのは、このンフィーレアなのかもしれない。

 

「ふむ、『蒼の薔薇』と『国堕とし』は『漆黒』が討伐したと聞いているが、それを、なぜ君たちが連れているのか――」

 

 

 

 

 

 モモンはンフィーレアと名乗る男から『漆黒』による『蒼の薔薇』討伐についての詳しい話を聞く。話は『蒼の薔薇』から、二百年前の『十三英雄』まで広がっていく。

 

「デタラメだ! 私が邪悪だというなら倒せばいいだろう。私の仲間たちまで貶めるな!」

 

「……イビルアイよ。私は一応、双方の話を聞くつもりでいるのだが」

 

 モモンはイビルアイの抗議を制しつつ、ンフィーレアの話を促していく。後でマーレの主モモンガとしてなら幾らでも聞ける話だが、冒険者モモンとしての立場を考えれば話を遮るのは不自然だからだ。

 もし、イビルアイが吸血鬼であることを否定してくれれば、奴隷商人の戯れ言と決めつけてしまうこともできたのだが、当のイビルアイが自分で人間ではないなどと言い出してしまえばどうにもならない。

 

 ただ、この話の内容にはさすがに驚きを隠せない。王国の英雄『蒼の薔薇』どころか、過去の英雄『十三英雄』までもが、壮大なマッチポンプの一部なのだ。

 ンフィーレアはその中心が『国堕とし』ことイビルアイだと考えているようだが、モモンガはそうは思わない。

 

――完全にプレイヤーのやり口だな。マーレに仕掛けてこなかったとはいえ、また死んでいるなどと考えるのは都合が良すぎるというものだろう。

 

 もちろん、ンフィーレアの話はあくまで現時点から見た、想像の域を出ないものだ。

 真実には、安全な場所からでは手が届かない。

 だからこそ、モモンの姿でここへ来たのだ。

 

「『漆黒』の立場は理解した。確かに『蒼の薔薇』は悪だ。冒険者の身でありながら『国堕とし』と組み、その身分を隠して王宮へ伴うなどとんでもないことだ」

 

「ま、待ってください!! 私の話は――」

 

「ああ、お前は人間のため、あるいは正義のために戦っていたとでも言うのだろう? 討伐以前の『蒼の薔薇』としての名声は聞き及んでいるからな。そういうのは改めてこの場で聞く必要は無いと判断した」

 

「なっ……!!」

 

 イビルアイはその顔を絶望に染める。

 

「ところで、『蒼の薔薇』やその手下に、吸血鬼化していたものや魅了状態にあったものは居たのかね」

 

「そんなもの、いるわけが――」

「……全員、自分の意思でこの吸血鬼に味方しているように見えました」

 

「そうか――君たちは、そんな者たちの罪を不問としてしまったのか!」

 

 直感的には拘束の仕方が気に入らないというだけで充分だと思っていたモモンガは、ここでようやく難癖を補強できる部分へと到達した。

 この世界はアンデッドには厳しいのだ。

 

「は、はい。功績も多い冒険者なので、吸血鬼さえ居なければ――」

 

「甘い!!」

 

 モモンは一喝する。

 

――この男が話に入ってこなかったらスッキリ終わっていたのになあ。面倒なことになったから、モモンの正体は明かさないことにするか。

 

「さて、イビルアイよ。実際のところ、お前は『蒼の薔薇』を従えていたわけではあるまい」

 

「あいつらは、大切な仲間です!」

 

「……私は、そうは思わない。お前は騙されていたのだ」

 

 モモンは、イビルアイとも視線を合わせず、自身の意見を押し付ける。

 外した視線が幾度も月明かりに照らされた素肌へと吸い込まれるのは、仕方のないことかもしれない。

 

「――吸血鬼を純粋に仲間として扱う人間など居るはずがなかろう。しかし、お前は『蒼の薔薇』を仲間と信じ込んでいる。私の立場であれば、今はそう考えるしかあるまい」

 

 イビルアイは吸血鬼だ。人間としてそういう視線を向けていないと思ってもらうしかあるまい。

 実際は、裸体へ向けた視線よりも『漆黒』から見たモモンの立場が問題になるから、こういう回りくどいことを言っているわけだが。

 

「……今は?」

 

 イビルアイの目に僅かな輝きが戻る。

 

「そうだ。お前は私が連れていく。話を聞かせてもらって、信じられるようなら――」

 

「ちょっと待とうよ。そういう勝手は困るんだよねー」

「その吸血鬼は、私たち『漆黒』が邪悪なものと判断して、責任を持って捕らえています!」

 

 クレマンティーヌが前へ出て、ンフィーレアも抗議する。

 

「亜人との戦いの中で、我々の側は常に戦力が足りない状況だ。この吸血鬼の内心はどうあれ、『蒼の薔薇』の頃のように戦力として活かせるのなら、活かすべきだろう? 殺すのでも仲間にするのでもない半端な状態で連れ回す『漆黒』には委ねられん」

 

「そんなこと、神殿が許さないのでは?」

 

「その神殿はビーストマンの大侵攻の時、何かしてくれたのかね?」

 

 理屈の通らないことを言っているのはわかっている。正体を明かさないことにした以上、丁寧に理屈を通さなくて良いのだ。

 視界の端で、イビルアイが目を丸くしているのを確認する。怪しまれてさえいなければ問題ない。

 吸血鬼と明かされ、本人も否定してくれないのでは、友好的に接するのは難しい。せめて中立的にふるまうしかない状況だ。 

 

「あのさ、こっちにも立場ってものがあるんだよ。そんなもん、ハイそうですかって聞けるわけないでしょーが」

 

「『漆黒』については情報屋から少し聞いていてな。――お前は奴隷なのだろう? 主人に申し訳が立つよう、軽く相手をしてやろうか」

 

 このクレマンティーヌだけが相手なら、これだけで十分なのだ。

 あとは剣で語れば良い。

 モモンは軽く手を上げ、後ろのナーベに合図する。

 

「……予定通り――――様のもとへ。はい、――――お願いします」

 

 ナーベは小声で何やら呟く。《伝言(メッセージ)》だろう。

 準備は万端だ。

 

「へー、吸血鬼だってわかってるくせに、裸の小娘の姿を見て助けたくなるとか、竜王国名物のロリコンってやつ?」

 

 あとは剣で、語ってほしかった。

 モモンとしても、全裸の少女に首輪を付けて連れ回す提案をしたような女にそういうことを言われるのは心外なのだ。

 マッチポンプというのはする側は気楽でも、される側は気分が悪いものなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「<不落要塞>――ぐぅっ!!」

 

 武器を受けられた直後のモモンの蹴りで、クレマンティーヌが転げ飛ぶ。

 

――武技というのは凄いな。レベル差は三倍近いだろうに、軽く受けるだけで強打を完全に止めてしまうのか。

 

 今のモモンは、戦士化の魔法により一〇〇レベルの戦士となっている。むしろ武器は受けてもらった方が殺してしまう心配が無くなるので、あえて速度を落として受けさせている。受けてもらわないと殺してしまう斬撃なので、クレマンティーヌの方は必死なようだが。

 このクレマンティーヌの<不落要塞>はセラブレイトの“不惑幼妻(ふわくようさい)”のように誤解を招く発音ではなかったが、三日三晩続いた戦いの気疲れを思い起こさせるものだ。実力的にもクレマンティーヌはセラブレイトを上回っており、三三レベル相当の元の状態で来ていたら色々と不都合な状況を招いただろう。

 だが、一〇〇レベルの状態で怪しまれず手加減するというのもまた面倒なものだ。

 マーレから息があればどうでもいいと聞いてはいても、モモンガとしては大事な仲間のしもべに重傷を負わせるのも気が進まない。

 

――あ、しまった。あれ足折れてるな。

 

 どうにか立ち上がったクレマンティーヌが引きずる足は、膝が二つあるかのように余計な所で曲がっていた。

 すかさず目に包帯を巻いた少女が治癒魔法を使い、モモンガを安心させる。

 同時にその裸同然の薄絹姿を見て、マーレの性教育について余計に心配したりもするのだが。

 

――さて、そろそろのはずだが。

 

 痛覚は無いが、モモンは来るとわかっている攻撃に対し少し身体を強張らせる。

 

「戦士モモン、上です!!」

 

 声を張り上げるのは、戦況を見守っていたイビルアイだ。

 この状況で逃げていないということは、よほどマーレの脅しが効いていたということだろう。

 

――言われたら、避けなきゃいけないじゃないか!

 

 上空から奇襲をかけてくるのは、転移してきたマーレだ。

 あえて問題が無い程度の攻撃を受けて、軽く反撃する――そんな段取りになっているのだが。

 マーレの攻撃手段は、魔法だった。

 

大致死(グレーターリーサル)

 

 マーレの両手から禍々しい負の力がほとばしり、モモンを襲う。

 

――ちょ、それは問題がなさすぎて、逆にバレるだろ!!

 

 これは本来は攻撃魔法だが、モモンガの同類(アンデッド)にとっては回復魔法(ごほうび)なのだ。

 当然、アンデッドであるイビルアイもその力の性質に気づかないはずがない。

 モモンは大きく身を翻し、横っ飛びに魔法を避けようとする。

 この魔法が回避不能なのはわかっているが、それでもモモンは鎧の肩で大地を削る。

 

 モモンが立ち上がる間、マーレは心配そうに見ているだけだ。

 

――俺じゃなくて演技の心配をしてくれ、頼むから。

 

 この状況は、モモンの側から整えていくしかない。

 

「ざ、残念だったな。私の装備の負の力に対する護りが、お前の魔力を上回ったようだ」

 

「あの、あなたは何者なのでしょうか。『漆黒』に敵対するものなら、ぼくは容赦しません」

 

――容赦しかしてないよな? えーと、ここでマーレの名は、出していいんだったか? 確認しておけばよかったな。一応慎重にいくか。 

 

「私はモモン。お前は『漆黒』のエンリか? この吸血鬼の扱いを見て、勝手ながらこちらで保護させてもらうことにした」

 

「そ、それをぼくは黙って見過ごさなければならないのですか?」

 

 モモンガは開いた口――顎骨が塞がらなくなる。全身鎧のフルフェイス兜に感謝せざるをえないところだ。

 新世界で一人でアインズ・ウール・ゴウンのために結果を出してくれたマーレなら、完璧にこなしてくれると思っていただけに、衝撃は大きい。

 

――NPCの忠誠心を考えれば、先に命じたことを優先しモモンの姿での言葉を受け取らないとか、ある程度しっかりと言い含めておくべきだったか。

 

 そもそも、この件を提案したのはデミウルゴスなのだが、そのデミウルゴスはマーレがモモンガの深謀遠慮の担い手として一人旅をしてきたと考えている。モモンガは守護者間の和を考えて、あえてデミウルゴスの認識を変えずにいたが、それがデミウルゴスのマーレへの過大評価に繋がっていたのだろう。

 さらに、提案ではモモンに扮するのはパンドラズ・アクターということになっていた。たかが現地の存在をどうにかするのにモモンガの手を煩わせるわけにはいかないというのは、守護者としては当たり前の考え方には違いない。

 

 しかし、モモンガは提案を勝手に修正して、自ら実行した。マーレほど表へ出るつもりはないが、冒険者に未練が無いわけではない。モモンをパンドラズ・アクターに取られたくはないのだ。

 だから、修正したことによる影響は自ら背負わなければならない。

 マーレもパンドラズ・アクター扮するモモンが相手であれば、攻撃や発言に遠慮も無くもっとうまくやれたことだろう。

 

「た、ただ見過ごせなどと都合の良いことは考えていない。実際に戦って、私の力を見せることでそうさせるつもりだ」

 

「つまり、その、ぼくたちは敵同士という道しかないんですか?」

 

 マーレの方も、指示を待ちながらも合わせてくれている。

 イビルアイの反応が気になるが、強者であるマーレと対峙するモモンが今振り返るわけにはいかない。

 

「ああ、そういうことだ。どこからでもかかってくるがいい」

 

 モモンは、マーレを迎え入れるかのように巨大な剣を構えた両手を広げる。

 

「わ、わかりました。そういうご(めぃ)――つもりなら、戦おうと思います」

 

「人類の戦力を減らすつもりはないが、殺さない程度に痛めつけてやるとしよう」

 

「で、では……行きます!!」

 

 マーレの姿が一瞬消え、至近から黒い杖による剛撃が振るわれる。

 風を切る音をたてての大振りは、一〇〇レベルの戦士となったモモンにとっては緩慢な動きだが、周囲の者たちにとっては恐るべき速度となる。

 

 夜の渓谷に、鈍く重い音が響きわたる。

 受けるモモンは、大剣(グレートソード)二本がかりだ。元のモモンの装備より良いものに替えてきていなければ、間違いなく二本とも粉砕されていただろう。

 マーレの力が抜けたところで、モモンは受けた剣を振るって杖ごとマーレを弾き飛ばす。

 

 

 

 

 

 イビルアイは、モモンの意図する救いの道を最初はうっすらと、そして次第にはっきりと理解するに至っていた。

 エ・ランテルで起こったことを伝え聞いた冒険者であれば、元々見知った仲でもない限り公然と『蒼の薔薇』を支持することなどありえないことだ。だから、現時点でモモンが『蒼の薔薇』に否定的な態度を取るのは当然のことと納得するしかない。

 それでも、『漆黒』のイビルアイへの扱いに納得がいかず、吸血鬼だと知りながらも救出しようとしてくれる――『蒼の薔薇』の関係者でもなければ、それ以上は望みようのない状況だ。

 

 だが、アダマンタイト級冒険者が一チーム味方になったところで、イビルアイや『蒼の薔薇』の状況が好転するとも思えない。

 クレマンティーヌを圧倒するモモンに護られ、僅かに希望を見出しながらも、絶望から這い出せるとまでは思えなかった。

 

 そこへ、マーレの出現で絶望はさらに深まる。

 さらに、アンデッドとしてマーレの魔法の圧倒的な負の力に魅入られ、イビルアイは自身を見失いかけた。

 マーレとモモン、敵対しているはずの二人が交わす言葉がまるで身内同士の情報のやりとりであるかのように聞こえるほど、目の前の現実から意識が離れかけていた。

 

 そんな状況でも、イビルアイは二人の激突を見届けた。

 モモンならどうにかしてくれるかもしれない。そんな根拠のない、予感というより願望に近い感覚従ったまでだ。

 だが、実際に戦えることがわかれば、そんな願望よりも先のものが見えてくる。

 

――確かにただ者ではない。確実に私より強いが、それでも魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーレの近接攻撃を二つの武器でどうにか受け止めただけだ。

 

 イビルアイは、マーレに対抗しうる存在が各個に撃破されることを恐れる。

 

「戦士モモン、そいつは危険です!! 過去二百年のどんな魔神よりも強い! ここはいったん逃れて――」

 

「そうか。ならば私は、過去五百年のあらゆる存在を凌駕しよう」

 

 モモンはイビルアイを後ろに隠すような位置取りまで戻る。

 その背に庇われ、イビルアイは心の底から湧き上がる安心感に包まれた。

 

――そうか。さっき、この二人が同じ側に立っているように錯覚したのは、ともに私など及ぶべくもない遥かな高みに存在しているからか。

 

 高いレベルで実力の拮抗した者同士なら、敵同士であっても格下には理解できない共感のようなものがあるのだろう。

 イビルアイは、一瞬でも疑念を持った自身の愚かさを恥じずにはいられない。

 かつての十三英雄に対しても、対立関係が存在しないのに恐れを抱いて距離を取るような者たちが存在した。強者と弱者の間にはそうした壁があるものなのだ。

 そして、今のイビルアイは間違いなく、弱者の側の存在でしかない

 

――せめて、モモン……様に、護ってもらえるに足る存在でいなければ。

 

 イビルアイが見守る先で、今度はモモンの方が仕掛ける。

 無数の剣の煌めきは、イビルアイには目で追うことさえできない速度で場所を変え、ただ連撃の音ばかりを無秩序に撒き散らす。

 マーレの杖や、時には腕で弾かれる大剣(グレートソード)。しかし、その圧倒的な剣閃の速度は確実にマーレを追い詰めていく。

 

「すごい……」

 

 イビルアイは、あらゆる賛辞を超える存在を前に、言葉を飾ることさえできない。

 自身を守るのは、過去二百年のどんな戦士をも超える存在だ。おそらく、過去五百年でもそれは変わらないのだろう。

 戦士モモンは、間違いなく今後数百年にわたって吟遊詩人(バード)に詠われるべき存在だろう。

 それに護られているのが――全てを失い、哀れにも裸身を晒す自分なのだ。

 

 イビルアイは、捨てたはずの女としての感情――恥じらいが蘇るのを感じる。

 それは、衣服を奪われた際に感じた屈辱とは全く別の感情だ。

 兜の中からのモモンの視線の行く先はわからない。しかし、それを意識することで、イビルアイの夜風に晒される股間から分厚い首輪をかけられた首筋まで走り抜けるものがある。

 至近で炸裂した負の力の余韻をも消し去って身体の芯を貫くのは、それと対極の、熱くほとばしる何かだろう。

 イビルアイは小さく震え、下腹部に手をあてる。

 やはり、そこには体温など感じられない。それでも、この熱さは気のせいではないはずだ。

 

 そのまま股間へと下がろうとする手を、他方の手が押しとどめる。

 偉大な戦士モモンに対し、その視線を疑うような態度を取るのは冒涜のような気がするのだ。

 イビルアイは顔を真っ赤に染めて、両の手を持ち上げる。

 その手は祈りの形をつくって、胸元に収まった。

 

「……がんばれ、ももんさま」

 

 冷たい両手に心の熱を帯びさせて、イビルアイは願う。

 偉大な戦士モモンの、勝利を。

 

 小さなマーレがモモンの攻撃を杖で受け止め、そのまま吹き飛ぶ。

 しかし、モモンはそれを追わない。

 

「ナーベ、あの戦士を抑えてくれ」

 

「はい、モモンさ――ん」

 

 見れば、モモンの死角を求めて移動するクレマンティーヌの姿。

 イビルアイとともに格違いの戦いに圧倒されていたクレマンティーヌだが、マーレの奴隷として役に立たねばならないとでも考えたのだろう。

 

 

「わ、私があいつを抑えます!! お仲間はモモン様のフォローを!」

 

「は? このガガン――」

「そのようにしろ、ナーベ」

 

 見れば、同じく呆然としていたはずのンフィーレアも、マーレに防御魔法をかけている。そういう支援は見知った仲間の方が良いだろう。

 イビルアイの声には舌打ち交じりで不機嫌な反応をしていたような気もするが、実際にナーベと呼ばれた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿を見ると、それは幻聴だとしか思えない。

 それは、その姿があまりに美しかったからだ。南方系の濡れたような黒髪に、端正な顔立ち。息を飲むほどの美を前に、イビルアイは溜息しか出ない。

 竜王国の王都で評判だった『ザ・ダークウォリアー』の女たち――『美姫』と『令嬢』のうち、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は前者の方だと聞いている。よくもそんなこっ恥ずかしい二つ名を、などと内心小馬鹿にしていたものだが、これではそれ以外に表現のしようがないというものだ。

 

「じっとしていてくれ――ふん!」

 

 モモンが剣を軽く振るうと、イビルアイの拘束具が全てごとり、ごとりと落ちる。

 

「先にこうすべきだった……か。……イ、イビルアイよ、大丈夫か?」

 

「は、はいっ!!」

 

 あっさりと拘束から解放され、完全な全裸となったイビルアイはその顔をより濃い朱に染める。

 しかし、高潔な戦士モモンの前でわざわざ身体を隠すことことはためらわれた。

 今のモモンは、イビルアイを護る騎士のような存在だ。

 どんな英雄譚(サーガ)であっても、自身を護って戦う騎士に対し下卑た疑いをかけるような振る舞いをするような、愚かな姫などいるわけがない。

 まして、モモンはナーベという美しい仲間を伴っている。イビルアイの未発達な身体など、関心を持ってもらえるかも怪しいものだ。

 何より、イビルアイとモモンとの繋がりは、助け助けられる騎士と姫のようではあっても、この場限りの関係でしかない。そこで無作法をしてしまえば、何も残らなくなってしまう。

 

 かつて小馬鹿にしていた吟遊詩人(バード)たちの英雄譚(サーガ)だけが、今のイビルアイの行動の指針となっていた。

 

 イビルアイは、萎縮してしまいそうになる身体を精一杯に伸ばして、戦いに赴く。

 衣類も武器も、自然に裸身を隠せるものなど何もないし、モモンの前で隠すような姿勢も取るべきではないのだ。

 自分の態度によって高潔なモモンを汚すような真似はできない。するべきではない。

 

 存在しないはずの鼓動が激しく感じられる。体温も無いはずなのに、顔から全身に熱が回るような不思議な感覚に惑わされる。

 モモンを信じていないわけではない。見られているとは思わない。

 しかし、モモンの前で――自身を護る騎士の前で隠すことなく裸身を晒していると思うと、色々なものがこみ上げてくる。

 

――数百年ぶりに少女らしい想いを抱いた相手に、一糸まとわぬ姿を見られている。……既に人ではないことも知られてしまっているのだが、それでも。

 

 イビルアイにとって自身の不死の身体は、もはや屍蝋か何かでできた取るに足らないものと割り切れなくなっている。

 そんな苛立ちの原因を作った女こそが、今倒すべき相手だ。 

 

 遠巻きにモモンの隙を伺っていたクレマンティーヌの前に、全裸のイビルアイが現れる。

 

「おんやー? もしかして、やる気なのかなー」

 

「クレマンティーヌよ、お前の相手は私だ!」

 

「――へえ、本当に逆らうんだ」

 

「お前たちをここで潰せれば問題はない。よくも私や仲間たちを苛めてくれたじゃないか、この変態女め」

 

「んふふ、変態とか、てめーの格好思い出してから言えば?」

 

 イビルアイは顔を歪め、手で大事な所を隠す。この時モモンは後方で戦っているので問題はない。

 ……別にわざわざ見せたいというわけではないのだが。

 

「お、お前の仕業だろうがっ!! ……とにかく、マーレが相手でなければ負ける気はしない。この場で逆に苛められるという経験を味わわせてから殺してやるぞ。感謝しろ」

 

 イビルアイは距離を詰められる前から《飛行(フライ)》を使っている。モモンの仲間ナーベも同様なので、この戦いにはクレマンティーヌの付け入る隙は無い。

 

 

 

 戦いは一方的なものとなった。

 クレマンティーヌは幾度も地に這い、回復魔法を受け、そして地に這った。

 死に直結するような攻撃はマーレが防いで助けることもあったが、そのマーレもすぐにモモンの斬撃に弾き飛ばされる。

 逆にイビルアイがマーレの攻撃を受けるような隙は、モモンが一切与えていなかったのだろう。警戒していたが、不自然なほど攻撃が来なかった。

 

 イビルアイはマーレが来る前のモモンの行動に倣い、支援と回復に回っているンフィーレアと巫女姫の二人には攻撃を加えなかった。

 モモンの信頼を完全に得ているわけではない状況を考え、恨みがあって向こうからも敵意をぶつけてくるクレマンティーヌに集中した。それができるほどの力の差があった。

 

「クソがぁっ! 降りてこいよ化け物!」

 

「断る。得意のスッと行ってドスとやらで、空でも飛んでみたらどうだ?」

 

 返答もせず大きく跳躍するクレマンティーヌの軌道は読めている。イビルアイはそこから軽く身をかわし――。

 

水晶防壁(クリスタル・ウォール)》――《結晶散弾(シャード・バックショット)》!

 

「畜生――ぅぐがはぁっ!!」

 

 水晶の壁に阻まれたクレマンティーヌは、空中で水晶の礫に滅多打ちにされる。

 その身体より先に地面に落ちるのが、跳躍しながら投擲され壁に阻まれたスティレットだ。身をかわすだけでは貫かれていたのだろうが、実力だけでなく戦いの駆け引きでもイビルアイは後れをとるつもりはない。

 

――苦しまずに逝けると思うなよ!

 

 クレマンティーヌはタフで、特に敏捷性に優れている。魔法で一方的に攻撃することはできても、致命傷は防がれる。勝ち急いだところで簡単に仕留めきれる相手ではない。

 それでも、モモンもイビルアイも優勢なのだ。押して押して押し続ければ、いつか力尽きるのは間違いない。ならば、その過程は仲間の無念を晴らす絶好の機会と考えれば良いことだ。

 

 戦いは、モモンとイビルアイの側が圧倒的に有利なまま終局へ至る。

 

「全員できるだけ近くへ! 集団転移で逃げます」

 

 何度も地を転げ、土埃を纏って距離を取ったマーレが指示を出す。

 後衛の二人だけでなく、クレマンティーヌも速やかに従う。

 だが、この場でマーレに従属すべき者はその三人だけではない。

 

「――イビルアイ、遊んでいないでこちらへ来てください」

 

「くっ……私は……」

 

 マーレはイビルアイとクレマンティーヌの戦いをまるで気にしていない。

 それどころか、脅しの言葉さえ必要無いのだ。それはイビルアイもわかっている。

 モモンは強いが、戦士だ。ここで終わらせられないのなら、マーレに逆らい続けることはできない。

 重い一歩を踏み出す。モモンのもとへ残れば自分は助かるが、仲間たちは――。

 

「勘違いをするなよ、イビルアイ」

 

 イビルアイの視界が黒いものに覆われる。闇に溶け込む全身鎧の巨躯――モモンだ。

 月明りを遮る闇の戦士は、大剣(グレートソード)を持ったままの鎧の豪腕でイビルアイの小さな腰を掻き抱く。

 

「お前は選択肢を持たず、ただ私に囚われるだけだ。――自分の意思でないのだから、人質は意味をなさない。わかるな?」

 

 モモンはイビルアイを片腕で抱き上げながら、最後は耳元へ小声で囁く。

 鎧の腕が素肌を冷やし、冷たい兜が耳の先に触れると、イビルアイは自身の状況を自覚してぶるりと震える。

 

――なんだ! なんなんだこれは! 高潔な騎士に助けられ、そして一糸まとわぬ姿でその騎士に囚われるのか。順序やら何やらが色々とおかしいような気がするが、この胸の高まりの前ではそんなものはどうでもいい!! ……もしかしたら、そんな英雄譚(サーガ)もどこかにあるのかもしれないしな。

 

 縦に抱っこされた形になったイビルアイは、吟遊詩人(バード)たちの言葉にもっと真摯に耳を傾けておけば良かったと思う。

 抱き返すには体格差がありすぎ、どう反応して良いかわからないのだ。そのまま肩に担ぎ上げられていないことだけが救いかもしれない。

 そんなイビルアイとモモンの前に、硬い表情のマーレが進み出る。

 

「あの、ぼくはそいつの仲間の『蒼の薔薇』の人間たちをいつでも転移して殺しに行くことができます」

 

 これがイビルアイを支配してきたマーレという存在だ。

 ちょっと明日買い物に行くような軽い調子で脅しをかけてきて、それを軽く実現させる力も持っている。

 しかし、そのマーレを相手に終始有利な戦いを続けていたモモンが動じることはない。

 

「私はこいつが『蒼の薔薇』に騙されて使われていたと考えている。仮にお前がそいつらを殺しても、この吸血鬼を取り返した時に使える人質を失うだけで、私は痛くも痒くも無いのだよ」

 

「そ、そうなんですか」

 

「だから、こいつを取り返したければいつでもこのモモンに、いや、我々『ザ・ダークウォリアー』に挑むがいい」

 

「わかりました。――えっと、今日のところは退きます」

 

 そして――驚くほどあっけなく、『漆黒』の者たちはその場から消える。

 先ほどの遥かな高みでの戦いが無ければ、イビルアイもあまりにあっさりとしたマーレの引き際を不審に思ったかもしれない。

 しかし、モモンとマーレの間では、必要なことは全て戦いの中で語られたと見るべきだろう。

 魔神や神人をも軽く凌駕するような異次元の戦いを繰り広げた者たちを、イビルアイも容易に理解できるとは思わない。

 

 夜の渓谷には、アダマンタイト級冒険者チーム『ザ・ダークウォリアー』のモモンとナーベ、そして囚われの身のイビルアイだけが残った。




●がんばれ、ももんさま。

 がんばれ、ももんさま。

●そんな英雄譚(サーガ)

 どこにもありません(無設定)。

●『令嬢』

 盗賊にしては華やかで偉そう、というイメージから。
 『美姫』ナーベに『令嬢』ソリュシアを伴う……WEB版の帝国散歩ともども、羨ましいものです。

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