マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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マーレと愉快な仲間たちのお話は、しばらくお待ちください。












第九章 オーバーロードと新世界(四五~マーレ再登場)
幕間一 オーバーロードと新世界


 

 時は物語の始まりの頃か、それ以前か。

 ナザリック地下大墳墓。その一室で、墳墓の支配者モモンガは一つのマジックアイテムと格闘していた。

 

 覗き込むその中へ映し出されるのは、見渡す限りの草原。

 草が風になびいて、雲が流れる。これは動画だ。

 

 モモンガは目の前の動画へ――それを映し出す鏡へ向けて手を動かす。その動きに従って、動画の中の風景が右へ左へと揺らいでいく。

 これで、周辺の捜索は上手くいっている。上手くできているつもりだ。

 

――ゲームの世界が現実になって、その中でレトロゲームのような操作をしなければならないってのも不思議なものだ。

 

 

 

 あの日は――正確にはつい前日のことだが――モモンガにとって楽しい日々の終わりとなるはずだった。

 ()()()世界における西暦二一三八年、かつてのDMMO-RPG(脳内ナノコンピューター網と専用コンソールを接続して仮想世界を楽しむ体感型オンラインゲーム)の雄、『ユグドラシル』はひっそりとサービス終了の日を迎えた。

 現実世界は徹底した格差社会だ。自然環境も破壊し尽され、こうしたゲーム類を除けば庶民にはろくな娯楽も無い。さらに、現実におけるモモンガ――その名を鈴木悟という――は世界の大多数を占める貧困層の人間であり、この時代の会社員は同僚と暖かな関係を築けるほど甘い就業環境に無い場合がほとんどだ。

 モモンガの場合も、自然と交友関係はユグドラシル内のものに限られた。大切な仲間たちが居る場所で給料もボーナスも多くを突っ込んで必死に楽しみ、ゲーム内では有力ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長としての地位を得た。そんな強い思い入れのある世界が終わる日――その日に、異変は起こった。

 サービス終了の延期かと考えた。システム関連の不具合も疑った。しかし、NPCの自発的な会話や行動は不具合では説明の付かない範囲に及ぶ。そのNPCに本来の仕様を越えて与えた命令によって確認させたギルド拠点の周辺地理も激変しており、モモンガはユグドラシルの世界とは違う、どこかの異世界に転移してしまったのだと知ることになる。

 

 

 

 そして、まずは安全なギルド拠点、ナザリック地下大墳墓の内部からこの鏡――遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で周辺を観察している。

 これは遠くを見ることができるゲーム内のアイテムだが、鏡という形状であるせいか、ゲームの時のようにウィンドウがでることもなく、得られる視野は鏡の中へ映し出されることになる。操作もゲームシステム上のものとは違っているので試行錯誤が必要だ。

 モモンガは感覚的に学び取った画面のスクロール方法に従って、鏡へ向けた腕を動かし続ける。

 しかし、映し出されるのが何事もない草原の風景ばかりだと、どうも不安になってしまう。

 

 モモンガは横目で傍に控える人物を窺う。こちらへ来てから一貫して落ち着き払った姿を見せるこの男が少しでも焦れているようなら、他の守護者たちを待たせるのも限界かもしれないと考えて。 

 

「――モモンガ様、どうかなさいましたか」

 

「い、いや、なんでもない。もう直ぐだ」

 

 誰も急かしているわけではないとわかってはいても、傍らに控えるセバスの鋭い眼光に気圧されてしまう。

 ギルドが不明な場所に転移したかのような状況に加えて、守護者の一人が行方不明という状況――守護者たちがそう認識しているので、自身の関与については言い出せなかった――にあっては、全ての守護者も絶対の忠誠を誓いながらも、どこか棘のある神経質な雰囲気であるように感じられてしまう。

 その中でセバスを傍に置いたのは、最も落ち着きがあるように見えたからだ。

 ただ、見れば見るほど、かつてのギルドメンバー、たっち・みーを思い出してしまう。仲間想いで真っ直ぐな性格だが、切羽詰まった状況になると口数が減り、それゆえに誤解されることも多かった男だ。セバスはたっち・みーが設定を作ったキャラクターなので、色々と似ているのも無理はない。

 モモンガはそれをわかっていながら、それでもセバスの雰囲気を少し怖いと感じてしまう。実際にたっち・みーは怒らせると怖い所があった。行方のわからない守護者の仲間をすぐに探しに行かない事を決めたモモンガの判断もあって、今のセバスも怒っているのではないかと不安になってしまう。

 

――あれは、アルベドに続いてちょっと設定を弄ったのがいけなかったのか、途中で時間切れみたいになったのが悪いのかな。

 

 とはいえ、モモンガはそれほど心配はしていない。設定を弄ったといっても、ギルドから去ったままいなくなってしまうような設定にしたわけではない。同じく設定を弄ったアルベドの変化を見れば、行方の知れない守護者ともいずれ会えるような気がするのだ。

 問題はむしろ、他の守護者たちかもしれない。これ以上心配させないよう早急にギルドの所在地や状況を調べ、安心させてやりたいところだ。

 

 しかし、状況は停滞している。二次遭難を避けるための遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)だが、操作さえろくに把握できず、単純な画面スクロールしかできていない。そのことを感づかれないよう振る舞っているが、セバスはわかっていて黙ってくれているのだろう。

 そんな状況で、それでも怒っているのではないかと心配するのは良いことではない。セバスとも、たっち・みーとの関係くらい馴染んでいたらまた違ってくるのかもしれないが、今はまだそこまで慣れていない。

 

 モモンガは若干の焦りを反映して腕を大きく動かし、それまでと違う操作方法を知る。

 

「おっ、これは!」

 

 似た動きで違う角度、違う方向。試す切り口さえわかれば、様々な操作が見えてくる。

 やはり難航していたことをわかっていたらしく、セバスも拍手と称賛を送ってくれる。それを受け入れながら、モモンガは優しく見守ってくれていた部下を恐れていた自分を少しだけ恥じる。

 光が見えれば、走りださずにはいられない。まして、大切なギルドを守るためのことだ。そろそろ休息をというセバスの提案を退け、モモンガはひたすら操作を続ける。

 

 やがて、建物と知的生物を同時に発見することに成功する。

 

 ナザリック地下大墳墓から南へ数キロ、やや立派な建物と多くの粗末な建物が同居する牧歌的な集落。

 それは激しく逃げ惑う知的生物――人間たちの背景としてのみ認識される。

 

「祭り――ではないか」

 

 朝早くに大勢が慌ただしく走る姿は不自然極まりない。時間が昼過ぎで、追う側が被り物や作り物だったなら祭りとも思えたかもしれない。

 

「はい。これは違います」

 

 セバスの声は硬い。鏡の中へ鋭い視線を送っている。

 

 鏡の向こうでは、質素な服を着た村人と(おぼ)しき人々に、武装した牛頭人(ミノタウロス)が襲い掛かっている。その武器には血がついているが、今は武器で脅して生け捕りにしようとしているようだ。

 それは、捕食者と被捕食者の関係なのだろう。村人たちは逃げ惑い、牛頭人(ミノタウロス)は舌なめずりをして追い回す。

 

「ちっ!」

 

 モモンガは舌打ちとともに光景を変えようとする。亜人の食い物になる村など情報源になりはしない。もし、より情報を得ていたら踏み込む価値を見出したかもしれないが、今のこの状態ではそうする価値を感じない。

 

――今の俺がアンデッドだからか? 人間を助けようと思えない。正義の味方であろうとも思わないが、これは、あまりにも……。

 

 牛頭人(ミノタウロス)に囚われた村人の一人と目が合う。――いや、合った気がしただけかもしれない。この鏡による監視を知り得るはずがない。

 

「どう、致しますか?」

 

 不意にかけられるセバスの言葉。モモンガは当然、見捨てると答えたはずだ。助けに行く価値も利益も無い。

 しかし、わざわざ問いかけてきたセバスの背後に感じたのは、かつてのたっち・みーの姿。

 

――誰かが困っていたら助けるのは当たり前、だったかな。

 

 誤解されやすい所もあるたっち・みーと親しくなれたのは、モモンガがかつてたっち・みーに助けられたからだ。陳腐な言葉だが、ゲームの中の異形種狩りに苦しめられた自分を救ってくれた言葉。それを思い出してしまえば、助けに行かないわけにはいかない。

 

――恩は返します。……いずれにせよ、外の世界の脅威がどれほどかは調べなくてはならないし。

 

 映像の中では、逃げる途中で転倒した少女の足に牛頭人(ミノタウロス)の太い腕が迫っている。

 

「セバス、ナザリックの警備レベルを最大限にせよ。私は彼らを助けに行くとしよう」

 

 命令の伝達役としてセバスを残し、前衛として完全武装のアルベドを、後詰として隠密行動の得意なしもべを複数送り込むよう命じる。

 

 

転移門(ゲート)》 

 

 

 距離無限、転移失敗率ゼロの魔法によって、モモンガは映像の向こうへ踏み出す。

 眼前に広がるのは、映像の中の光景だ。

 

 少女の細い足首を掴み上げる牛頭人(ミノタウロス)に対し、モモンガは躊躇なく魔法を発動させる。

 

心臓掌握(グラスプ・ハート)

 

 初手に選んだのは第九位階の即死魔法。抵抗されても朦朧状態にさせることができるため、その場合は《転移門(ゲート)》への撤退の時間も稼いでくれることになる。敵の力がわからない場合の、モモンガにとっての定石の一つだ。

 魔法が発動すると、モモンガの手の中で柔らかいものが潰れる感触が得られ、牛頭人(ミノタウロス)が少女を手放し、自由になった少女に続いて無言で地面へ崩れ落ちる。

 牛頭人(ミノタウロス)の死骸はゲーム時代と違って圧倒的な存在感を残していたが、その存在自体が非現実的なものであることもあり、それほど気にはならない。それより少し高い所から落ちた少女を気にするが、こちらは無事なようだ。

 少女の顔を覗き込むと、明らかな怯えの色がある。助けに来たモモンガに見せるべき表情では無いが、まだ脅威が去っていないということなのだろう。気が付けば他の村人を追っていた別の牛頭人(ミノタウロス)が接近してきている。

 

「せっかく来たんだ、実験させてもらうとするか。――《龍雷(ドラゴン・ライトニング)》」

 

 次は第五位階の攻撃魔法を、あえて特殊技術(スキル)での強化無しで放つが、牛頭人(ミノタウロス)は白い電撃を纏って輝き、焼け焦げた死骸となって地面に転がる。

 

「弱い……この程度でも一撃か……」

 

 一撃で終わっては実力を見ることもかなわない。幸い、まだ牛頭人(ミノタウロス)は残っているため、モモンガは特殊技術(スキル)の中位アンデッド作成によって死の騎士(デス・ナイト)を生み出す。これはどんな攻撃でも一度は耐えるという防御に秀でた盾役だが、その分攻撃力は先程の《龍雷(ドラゴン・ライトニング)》にも大きく劣るため、敵の実力を見定めるのにもちょうど良い。

 

――えーと、そこから生えてくるのか?

 

 黒い(もや)が心臓を握りつぶされた牛頭人(ミノタウロス)を覆うと、その死骸に溶け込む。死骸がゆらりと立ち上がると、牛頭の口からゴボリと粘液状の黒い液体を吐き出し、それが牛頭人(ミノタウロス)の姿を覆っていき、形を歪めていく。

 数秒後、闇がスルリと去った所へ残ったのは、モモンガも知っている、ゲームだった頃の死の騎士(デス・ナイト)の姿。獰猛で暴力的な、まさに死霊の騎士と呼ぶべき存在だ。

 

――これの原材料は人間ではなく少し大きな亜人だったのか? そんな設定無かったと思うけど、体格的には合うのか。

 

 ゲームの頃のビジュアルと同様、兜の中の顔が腐り落ちていてよくわからないこともそんな考えの支えになる。しかし、今するべきことは設定を思い出すことではない。

 

「この村を襲っている牛頭人(ミノタウロス)を殺せ」

 

「オオオァァァアアアアアアア――!!」

 

 咆哮、そして疾走。

 モモンガはなすすべもなくその背を見送り、ユグドラシルと違う世界であることを思い知る。

 ゲーム時代なら周辺に付き従い、牛頭人(ミノタウロス)を迎撃することになる。しかし――。

 

「盾役なんだけど、まあ、動けるなら行くよなぁ……命令したの俺だけど」

 

 モモンガは口の中で失敗を振り返る。NPCが自由に動く以上、特殊技術(スキル)で喚び出したアンデッドが命令通り無制限に動くのも当然のことだ。

 

――ここは盾役としてもう一体作っておくか。次は死体無しで試してみようかな。

 

 そう考えた所で、《転移門(ゲート)》から漆黒の全身甲冑を纏う細身の戦士が現れる。

 

「準備に時間がかかり、申し訳ございません」

 

 その声はアルベドのもの。防御系最強の戦士として、ナザリックのNPCの中でもこの上無いほど優秀な盾役だ。

 

「いや、ちょうど良いタイミングだったな」

 

「ありがとうございます。それで……そこの下等生物の処分はどうなさいますか? お手を汚さぬよう、私にお任せいただくのがよろしいかと」

 

「……セバスから何を聞いてきたのだ」

 

 組織において引き継ぎは大切なものだ。モモンガは少し呆れつつアルベドにここへ来た目的を告げ、少女の方へ向き直る。

 恐ろしい目にあった直後だけに、少女にも怯えの色が濃厚だ。掴み上げられた時か下へ落ちた時かわからないが、膝が腫れ上がっていて歩けそうにない。

 

「ひっ……」

 

「待て、私は敵ではない。お前たちを助けに来たのだ」

 

 モモンガは、肘で地面を擦りながら後ずさりする少女をなだめる。

 

「……ご主人様の、お味方なのでしょうか」

 

「ご主人様? よくわからないが、お前たちの味方のつもりだ」

 

 少女の怯えの感情の緩みを見て、モモンガは下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を差し出す。

 

「怪我をしているな。これは薬だ、飲むといい」

 

「この色は? それにお薬をいただくには、あの、私はまだ準備ができておりませんが……」

 

「準、備?」

「温情によって薬を下賜されながら受け取らないとは、この下等生物風情が――」

 

「待て。武器を下げろ。何か誤解があるようだ」 

 

 モモンガは少女と意思疎通が上手くいっていないことに困惑するが、今はそれよりアルベドが危険だ。振り上げた武器は下ろさせたが、それでも濃厚な殺意が滲み出している。

 

「何を言いたいのかわからないが、これは治癒の薬だ。まずは飲め。それから話を聞かせてもらおう」

 

「治癒? ……私は、召されるのではないのですか」

 

 少女に押し付けるように渡すと、一瞬の躊躇の後で一気に飲み干し、そして治癒の効き目に戸惑いを見せる。

 

「さて、準備とは、召されるとは何のことか教えてもらえるかな」

 

「は、はいっ。お薬をいただいて我が身を捧げるには、その、まだ充分に育っておりませんので――」

 

 モモンガは少女をまじまじと見る。歳の頃は十二、三といったところか、確かに幼い。

 それより、ご主人様とは何者か。こんな少女がそういう目的で囲われるとはどういうことなのか。

 

――こっちの世界も、甘くはないってことか。

 

 生き残っていれば向こうの一番大きな建物に立て籠もっているはずだという「ご主人様」には騒動が終わってから会ってみるとして、モモンガは少女が魔法というものの存在を知っているかどうかだけを確認しておく。人目のある所で魔法を使っても問題の無い世界かどうかは今後の行動を決める要素だ。

 

「魔法――見たことはありませんが、長老からそういうものがあると聞いたことがあります」

 

「そうか、なら問題ないか。私は魔法を使える者、魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

 

 モモンガは少女に護りの魔法を与えると、その場に留まるよう言い置いて、死の騎士(デス・ナイト)の向かった方へ歩きだす。

 周辺に敵影は無く、記憶にある村の全体像から見ても襲撃の危険は少ない。少女に関してはこれで充分だろう。

 

「あ、あの、助けてくださってありがとうございます!」

 

 モモンガは片手を上げるだけで声に応える。本当の意味で少女が助かるには「ご主人様」とやらがどうにかならないといけないのだろうが、そこまでしてやる義理も無く、どうなるかはわからない。これ以上の会話を切り上げるのは、情が移らないようにするためだ。

 ただ、現実の存在として見る牛頭人(ミノタウロス)は凶暴かつ醜悪で、確かにあれに捕まるくらいなら同じ人間に支配されていた方がマシに思えるのかもしれない。

 

――しかし、俺の方が怖くないってことか。うん、助けたしな。当たり前だよな。

 

 モモンガは自身の骨の手を見て今の自分が骨だけの姿だということを思い出すが、牛頭人(ミノタウロス)よりはマシなのだろうと自分を納得させる。

 

――それにしても、この姿の割には怯えが少なかったな。牛頭人(ミノタウロス)の素行が悪いだけで、ユグドラシルみたいに結構色々といるのかもしれないが……一応隠すだけ隠しておくか。

 

 モモンガはアイテムボックスから適当なガントレットと仮面を取り出す。装備品として一般的なガントレットはいくらでもあるが、マスクというのはそう多いものではない。必然的に十二枚も所有しているアイテムへ行き当たる。

 その名は『嫉妬マスク』。クリスマスイブの夜に一定時間ゲームを遊んでいると手に入る、あてつけのようなアイテムだ。ユグドラシルの歴史が十二年間であることから、その枚数はそのままモモンガの歴史でもある。効果は、プレイヤーの心に染み渡る諸々の感情を除き、特に無い。

 

 

 

 

 

「オオオァァァアアアアアアア――!!」

 

 咆哮が空気を震わせる。

 体格では互角に見える死の騎士(デス・ナイト)牛頭人(ミノタウロス)だが、その戦いは一方的だ。牛頭人(ミノタウロス)の側も数体で囲んで戦棍(メイス)戦斧(バトルアックス)で攻撃しているが、ダメージが通っている様子は無い。

 一体の牛頭人(ミノタウロス)が三メートルほど軽々と吹き飛び、のろのろと起き上がる。これは巨大な盾による攻撃だ。死の騎士(デス・ナイト)の側は弄んでいるだけなのか――そう思った瞬間、それまでに無い素早い動きで背を向けて走り出した別の牛頭人(ミノタウロス)に迫り、その腹をフランベルジュで貫く。

 

 与えた命令は「殺せ」だ。だから逃げる者は殺す。期限は定めていない。だから逃げない者は弄ぶ。

 モモンガは召喚者として、なんとなく死の騎士(デス・ナイト)の行動が理解できた。ゲーム時代とは違う、圧倒的な自由度だ。

 

――ゲームではないから当たり前なのだろうが、牛頭人(ミノタウロス)といっても皆、顔立ちや装備が少しずつ違うのだな。

 

 殺戮を眺めていても何ともないのは、死んでいるのが牛頭人(ミノタウロス)ばかりだからかもしれない。牛頭人(ミノタウロス)たちは、人間を全て生け捕りにしようとしていたようだ。村人の幾人かは木製の粗末な檻のある馬車に詰め込まれていて、そうでない者は逃げ出そうとすることもなく呆然と座り込んで戦況を眺めている。

 

「お、おれを逃がすために立ちふさがった者には金をやるぞ!!」

 

 そんな声を聞いて、モモンガは気付く。凶暴に見える牛頭人(ミノタウロス)であってもこの世界では知的生物であって、世界を知るために役立つかもしれないということを。

 

死の騎士(デス・ナイト)よ、そこまでだ。残りは生け捕りにする。あとは逃さないようにしておけ』

 

 モモンガは思念で命令を下す。死の騎士(デス・ナイト)に殺された牛頭人(ミノタウロス)従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となって起き上がり他の牛頭人(ミノタウロス)を襲っていたので、これも片付けさせておく。

 生き残った牛頭人(ミノタウロス)たちは、死の騎士(デス・ナイト)によって人間たちに代わって檻の中へ移動させておく。村人の見ていない所で幾人か情報源としてナザリックに送っておくつもりだ。死の騎士(デス・ナイト)に方法を伝えずに拘束を命じると牛頭人(ミノタウロス)たちの両足の腱を切り始めたので、途中で止めさせて彼らが用意していた縄で縛らせた。

 

――これは設定通りに残忍なのか、あるいは召喚者の俺が牛頭人(ミノタウロス)どもを所詮モンスターと考えているせいかもしれないな。……やらせてみれば意外と手先も器用じゃないか。

 

 簡単な結び方で、力任せに外れないよう締めているだけだが、死の騎士(デス・ナイト)のいかつい姿とその作業が似合わないため、それだけでも器用に頑張っているように見えてくる。

 

 

 

「さて、君たちはもう安全だ。私はこの村が襲われているのを見て助けに来た者だ」

 

 馬車の檻の扉を開け、解放した村人たちに告げる。仮面の怪しい男を前にしても、村人たちは先程の少女と違って心から安堵の表情を浮かべている。

 

――仮面の効果は抜群だが、どうも警戒心がなさすぎるような気もするな。……おや?

 

 厳しい世界に育ったモモンガは、無償の善意ほど怪しいものは無いことをよく知っている。ここでは怪しまれないよう助けたことについて報酬を要求するつもりだったが、村人の反応をうかがううちにその必要を感じなくなった。それでも、文明レベルの割に栄養状態の良い村人たちの姿を見れば、ここで現地通貨などを得ておくことも悪くないと思えてくる。

 そこで所在なさげに周囲を見回すと、村人たちの中で一人だけ老いた男が沈痛な表情で俯いている。他は全て若者と子供ばかりであることから、少女の言っていた長老なのだろう。

 

「どうした? 危険はもう去っただろう。身内でも亡くしたのか?」

 

「……お答えしたいのですが、ここでは他の者たちが混乱します。よろしければ、ついてきて戴けませんか?」

 

 長老が大きな建物を指し示す。例の「ご主人様」とやらが居る場所だ。少女の話からあまり良い感情は無いが、立場のある相手なら得られる情報の価値も高くなるのは間違いない。

 

「あの建物で話を聞けるということか。それなら、先へ行っていてくれないか。私はさきほど助けた少女をここへ連れてきてから向かうとしよう」

 

――あの少女には素顔を見られているしな。さて、魔法による記憶操作だが……この世界ではどう作用するものか。

 

 

 

 

 

 長老が入っていった家は村の広場からすぐのところにあり、掘っ建て小屋のような村の殆どの建物に比べて堅牢な作りだった。しかし、襲撃で破られたのか扉は破壊され、中へ入ると屋外とは違って壁や調度品に血飛沫が飛散している。視線を動かすと、広い土間の隅に一体の死体が――。

 

「これは、牛頭人(ミノタウロス)……撃退したのか」

 

「しかし、多勢に無勢でした。私たちの主の亡骸はこちらです」

 

 現れた長老により、奥の部屋へ案内される。そこではさらに増えた血飛沫が、殺し合いがあったことを物語っている。部屋の左には真新しい傷のついたテーブルと数脚の椅子が、右には暖炉があり、暖炉の前に二つの死体が寝かされている。非力な人間により運ばれたのを物語るように、床には少し引きずった跡も見える。

 

「これが主とは……人間では無いのか?」

 

「はい。我々の主はこちらのビーストマン様でした。もちろん人間ではなく、人間の視点で言えば亜人という存在と聞いております」

 

 長老が言うには、この村の人間たちは全てこの家に住んでいたビーストマン夫婦の庇護下にあり、その死亡を伝えればビーストマンから知識を授かっている長老以外の人々には深刻な混乱が起きるという。

 ビーストマン夫婦二人分の遺体を見た後、長老が椅子に残っていた血糊をボロ布で拭き取って着座を勧めるので座る。

 

「亜人……人間はその庇護下にあるというのか」

 

 化け物に従うと考えれば理解しづらいかもしれないが、牛頭人(ミノタウロス)のような危険な種族が襲ってくるような世界なら、より強い異形種に従うのも悪い選択ではないのかもしれない。モモンガは異形種ギルドを率いていたこともあり、後者の考えが通用するならこの世界も案外暮らしやすいかもしれないと思えてくる。

 

「庇護と呼べる状況かどうかはわかりません。牛頭人(ミノタウロス)の王国では、人間は潰されれば食料となることもありますが、命の尽きる最期の時まで鞭打って働かされると聞いております。また、トロールの国では赤子が好まれるため、人間は繋がれたままの繁殖となり潰されるのも早いそうです」

 

「それで、彼らは牛頭人(ミノタウロス)やトロールと違って温厚なのか?」

 

「はい、ビーストマン様の国では肉付きの程良いものが好まれます。特にこの牧場では高級な畜肉を産出する伝統があるため、腹いっぱい食事を与えられて行動の制約も少なく、主様に召される時まで幸せに生きることができます」

 

――おいおい、亜人だらけか。それにどこも悲惨じゃないか。

 

「そ、それなら、体力も十分にあるのだろう。今は皆で逃げ出すチャンスということになるな」

 

 長老は怪訝な顔をする。お前は何を言っているのだ、という雰囲気だ。

 

「私たちは自分の力で生きていくことができません。別のビーストマン様が主に収まってくださるのを待つしか無いでしょう」

 

「それでは、最後は喰われてしまうではないか」

 

「何を当たり前のことを仰っているのでしょうか」

 

「は?」

 

 話が通じているようで通じていないような不安感に、苛立ちが混じってくる。

 

「私たちはここでたくさん食事をいただいて、子供をたくさん作って、天寿として主様に召される、そういう存在です」

 

「……人間とは、皆そのように生きているのか?」

 

「他の牧場では、ここまで豊かでないと聞いておりますが、牛頭人(ミノタウロス)やトロールの国よりは幸せであると聞いております」

 

 ここは甘い世界ではない。それがわかっていても、モモンガは問わずにはいられない。 

 

「じ、自由な人間というのは存在しないのか? ビーストマンの支配に抵抗して、自由を求めるということはないのか?」

 

「辺境へ逃れてそこで増えた野生の人間も居ると聞きますが、狩猟を楽しむビーストマン様もおりますので、戯れに腕や足をもがれて不具となる者も多いそうです。かつては捕らえられた子供が牧場へ来ることもありましたが、皆が野生に戻りたくないと申しておりました。痩せた土地で飢えや魔物と戦いながら狩りに怯える野生の生活になど何の価値がありましょうか?」

 

 モモンガは愕然とする。

 頭をウォーハンマーで殴られたような衝撃だ。種族特性である精神の沈静化がそれを抑え、そのあとに来るのは静かで深い嫌悪感。

 

 モモンガとて、元の世界でそれほど幸せだったわけでも、幸せを勝ち取るために戦っていたわけでもない。

 モモンガの居た世界でも、企業に所属しない人間のありようは、まさに長老の言う「野生」も同然だった。それどころか、企業に所属する道を選んだとしても安らかな暮らしが保証されるというわけではない。職を失うか一定の年齢になればささやかな予防医療も制限の厳しい健康保険も全て切られ、ガスマスクやゴーグルでも防ぎきれない環境汚染のツケを払って幾多の病魔に蝕まれる苦痛にまみれた死が迫るのみだ。その恐怖から逃れるには、無事な臓器が残っているうちにそれらを対価として尊厳ある最期を買わねばならない。それさえ受け入れれば安らかな――。

 

 これは、同族嫌悪のようなものかもしれない。

 

 仲間たちの中には、パンとサーカス――食べていく上で最低限の給与と、現実逃避が可能な娯楽――で誤魔化されていた現実に目を向ける者もあったが、モモンガはずっと目を背けていた。それは直視してもどうにもならないことだからだ。

 そんな日々でも、モモンガにはユグドラシルがあった。そこには仲間が居て、皆で作り上げたギルドがあった。

 

――それでも、楽しかった。楽しかったんだ。

 

 モモンガはすぐに長老に反論できなかった。抗いようのない運命に抗うことを、当たり前のこととして他人に求められるような生き方をしていたわけではない。

 この時は、アンデッドの身体になったことで得られた精神の沈静化作用がありがたかった。そして沈静化の後は、種族が変わったことで人間に親しみをほとんど感じなくなった心の変化に注目し、そこへ長老に反論しなかったことの原因を求めた。

 

 モモンガは唾棄すべき現実を半ば受け入れつつ、この世界の人間という存在から一歩距離を置くことになる。

 

「……わかった。お前たちのことについては、少し考えさせてくれ」

 

 この時、モモンガは苦々しい感情を声に宿した自覚はある。傍らのアルベドがモモンガを心配するほどに、それは明らかだった。

 

「モモンガ様、幸い、ナザリックには人間を食料とするしもべもおります。この下等生物どもは言わば戦利品、そのままそうしたしもべたちの食料として持ち帰っては――」

 

「アルベドよ、少し黙れ」

 

 骸骨の表情は変わらないが、モモンガの声は苛立ちを露わにしたものだ。

 

「――は、はいっ! 申し訳ございません!」

 

「……いや、すまない。アルベドよ、お前に苛立っているわけではないのだ」

 

 アルベドの言葉は受け入れられないが、モモンガを心配しての言葉には違いない。それはすなわち、支配者としての威厳を保つため、早く方針を決め指示を与えなくてはならないということだ。

 

「も、勿体なきお言葉! 苛立ちの原因が何であれ、守護者統括としてそやつらに――」

 

「アルベドよ。いったん外へ出て《転移門(ゲート)》を開く。お前は捕らえた牛頭人(ミノタウロス)の半数を連れてナザリックへ戻り、守護者統括の任に戻れ」

 

「申し訳ございません。私に粗相があったのなら罰をお与えください。しかし、モモンガ様を守る任務だけはどうか私に」

 

「心配するな。ナザリック地下大墳墓の戦力を全て把握している私が、盾役として最も信頼しているのがお前だ。しかし、脅威の無いことが確認できた今、見知らぬ土地に来てしまったナザリックの護りこそが最大の仕事と知れ。捕虜どもはそのために役立てよ」

 

「かしこまりました! しかし、そうなると護衛の者は――」

 

 モモンガはアルベドの答えを待たず、《伝言(メッセージ)》でセバスとアウラを呼び出す。

 セバスはアルベドと同様に優秀な戦士だが、モモンガは護衛の必要を感じていない。ただ、長老や人間たちから話を聞いて目の前の問題を考えるにあたっては、人間を戦利品と言い放ったアルベドでなくセバスを傍へ置くべきと考えたのだ。

 アウラについては牛頭人(ミノタウロス)の残り半数を逃がす際に追跡させ、配下の魔獣とともに偵察を任せる旨を伝えておく。アウラは優秀なビーストテイマーであり、単身でなく飛行能力や隠密能力を持つ魔獣を中心に連れてくることになるだろう。

 

――たっちさん、俺、どうすればいいんでしょう。

 














異世界に転移したら、ディストピアでした。
この牧場の特殊性については、次回に詳しく。

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