マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前々回までのあらすじ

 『蒼の薔薇』を討伐し、捕らえた吸血鬼イビルアイに轡をかませて魔獣登録した『漆黒』
 凱旋の後、宿へ訪れた『フォーサイト』は皇帝の命で『義の人クレマンティーヌ』を迎えに来ていた。
 「血塗れの魔女などいない。クレマンティーヌは正義の戦士」という皇帝の呼び出しを受け、『漆黒』は帝都へ。
「下手な演技はいい」ジルクニフは『義の人クレマンティーヌ』に語り掛ける
 帝国と心中したくないクレマンティーヌは、フールーダとブレインに挟まれた状態でマーレたちの元へ戻る

●前回のあらすじ

 エンリとマーレを襲う刺客はマーレにより一人を除いて爆散し、マーレはイビルアイとともに一人残した刺客を連れて何処かへ転移する。
 血塗れの裏通りに残ったエンリに声をかけたのは、『フォーサイト』を伴って現れたワーカーのエルヤー・ウズルス。
 その告白は大胆で情熱的で、それでいて唐突で変態的なものだった。
 「奴隷を共有して愉しみたい」そんな言葉を聞いてしまったクレマンティーヌはエルヤーに戦いを挑み、これを蹂躙する。
 「私たちにはもう関わらないでください」それがエンリの精一杯だ。


四二 いったい何を見ていたんだか

 ジルクニフの広大な後宮に居室を持つロクシーは、いつものようにベッドでなく丸テーブルを囲む椅子の一つに腰かけて皇帝の相手をしていた。淡々としたその態度には気負いも無ければ媚びも無い。

 

「陛下、私にはあのクレマンティーヌの浮かべる笑みが、義の人や忠義などとは程遠いものに見えたのですが」

 

「正直なところ、私にもそうとしか思えなかった。本当に見事な演技だ。精神防御のアイテムを持っていなければ魔法的な力で騙されているのを疑うところだ」

 

「私も陛下の様子を見てそういう可能性を考えたほどですが、そういうものをお持ちなら違うのでしょう。……で、いったい何を見てあれを演技だと?」

 

 ジルクニフの表情は変わらない。ロクシーの露骨な皮肉をそれとわかった上で受け流せるほどの確信があるからだ。

 ロクシーもその事に気付いて問いを発したのだろう。彼女には相応の知恵はあるが、その手元には情報が揃っていない。

 

「計算高い者ならば、法国を裏切って王国などに味方することは絶対に無い。たとえ法国で納得のいかない事があったとしても、私の誘いを断る理由も無いはずだ。王国戦士長やエ・ランテル都市長の出せる謝礼も知れていよう」

 

「義の人でも計算高い者でも無いとしたら?」

 

「ふむ。例えば、ただ戦いを好むような者――そんな者なら法国にあってもいくらでも戦いの場はあろう。村を助けるなどという切っ掛けで法国と対立するのは不自然だ。あるいは欲深き者――ならば羽振りが良いのは王国の犯罪組織を束ねる八本指だろうが、そこでも強力な戦力が加わったという話は無いのだ。王国に仕官せず、私の誘いに応じもしないのでは、そういう線もあるまい」

 

 ジルクニフは様々な可能性を潰してみせる。

 

「それでも、陛下はパラダイン様とアングラウス様を同行させましたが」

 

「エンリの正体も気にならないわけではない。謁見までに『蒼の薔薇』にも通用する死霊系魔法の使い手という情報が入っていたが、これは王国の関係者としても少々過剰戦力で、じいも気になっているらしい。本当に実力があるようなら、まとめて勧誘することも考えよう」

 

 そのためにブレイン・アングラウスまで付けてじいを送った。帝国の最大戦力である二人ならば何が起こっても問題は無いはずとジルクニフは考える。

 

「結局、状況を知るがゆえの判断ということなのですね」

 

「そういうことだ。あの女も、背後にいる王国の関係者も、私の裏をかけるような者であるとは考えにくい。『蒼の薔薇』の件もあり、『漆黒』があの厄介な黄金の姫と通じている可能性も無いからな」

 

「……もし、かの黄金の姫が陛下が仰るような恐ろしい方で、そうする目的さえあるなら、同じように高潔な賢人であるようふるまうことも容易なのでしょうね」

 

 微笑むロクシーを前に、ジルクニフは顔をしかめる。

 

「手厳しいな、まあロクシーの判断はそうなるか。可能なら召し抱えるという方針は変わらないが、ここでは心にとめておこう」

 

「ここではということは、後宮での話ということでしょうか。それならば、せめて今のうちに幾人かと子供を作ってきていただけませんか? 陛下は落ち込んでも執務はこなしますが、こちらでは随分と後を引きますから」

 

「……落ち込むことが前提か。まだ召し抱えることもできていないのだが」

 

 ロクシーは扉の方を一瞥し、腰の重い皇帝に退出を促す。

 

「人生も一夜も短いものです。先を見通して布石を打つのも陛下の得意とするところではありませんか」

 

 ジルクニフは大きなため息をつきながらも、今日のところはロクシーに従っておくことにする。

 いずれにせよ、フールーダを送ったことで既に道筋は出来ている。

 クレマンティーヌが期待通りの人物であるなら法国出身の彼女の心に響くように帝国の度量を示さねばならないし、それは義の人の方が演技であるという不本意な想定においても決して帝国の不利益となるものではない。もはやできることは、待つことだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は再び、血肉が散らばってむせ返るような臭いの漂う帝都の路地裏。

 エンリの危機はまだ終わっていなかった。

 

「陛下に代わって、エンリ・エモットを見定めに来た」

 

 クレマンティーヌとともに来たのは、本物のフールーダ・パラダイン。人類最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。

 エルヤーを嬲りものにしたことで上機嫌なクレマンティーヌが軽く詫びてくる。

 

「すみません、エンリ様とかに会えば納得するみたいなんで一緒に来ちゃいました。時間切れの時のアレよりはマシかなと思って……」

 

 その判断にはエンリも異論は無い。――異論は無いのだが、いきなりこんな大物と会って平然としては居られない。

 

 どう考えてもこんな所に現れるはずのない人物だが、同行したクレマンティーヌだけでなく、『フォーサイト』の魔法詠唱者(マジック・キャスター)で知り合いらしいアルシェまで本物として扱っているので間違いは無いのだろう。護衛のように佇むのがクレマンティーヌと互角の戦いをしたブレイン・アングラウスというのも物々しい。

 黙ってエンリを射抜くような視線を向けてきてから、フールーダは軽く息を吐く。

 

「すまないが、探知防御の効果を持つ装備を外してもらえないだろうか」

 

 フールーダの言っていることはよくわからない。敵意は無いようなので、クレマンティーヌの前ということで余裕のある態度を装いつつ、求められるままに指輪などを外して装備品の鑑定魔法とやらも受け入れるが、何やら納得できない様子だ。エ・ランテルでのラケシルの時と同様、ガゼフから預かった指輪には驚きを見せていたが、それでも満足はしない。エンリの許可を得て指輪を付けたアルシェをフールーダが凝視し、ゆっくりと首を振る。

 エンリの方をちらちらと見ながら、フールーダが元弟子らしいアルシェと勝手に何やら話し合っている。見るといっても、視線が合うわけではないのが不気味だ。エンリの身体のラインを念入りに確かめるような、落ち着かない視線に晒される。

 そして、そのアルシェが近づいてくる。歳は近く幼い雰囲気もあるが、フールーダと同じような視線を向けてくるのが少し怖い。

 

「この服の下に何か装備品を付けている?」

「あ、いや、その……何も……」

 

 エンリは少し赤面する。黒い法服の異常なまでの着心地の良さで忘れていたが、エンリは下に何も着ていない。血染みだらけの肌着など村へ置いてきてしまっている。法服だけとはいえ、外套の内側のゆったりとしたズボンとシャツは肌着より着心地が良く、生地も厚く安心感があるためそれで充分だったのだ。

 

「上から触れて確かめても良い?」

「えっ……あ、ハイ」

 

 アルシェの無遠慮な手が外套の中へ伸びる。上というのはシャツやズボンの上ということなのだろう。

 

「……っふ……く」

 

 鎖骨から手を滑らせ、胸を横から軽く持ち上げるように触られ、脇から背中へ回る。エンリは変な声が出かかるのを抑える。

 たまらずアルシェの顔を見返せば、普段通りの冷淡な表情のままだ。

 

「あぅ……あの、いったい何を……」

「装備品が無いかを調べている」

 

 言われてみれば、そういう触り方なのかもしれない。

 フールーダ・パラダインは帝国の重鎮だ。そんな相手と話をするのに、武器などを隠し持っていないか調べられるのは仕方のないことなのだろう。

 だが、これは武器どころか、薄い服や下着、あるいはペンダントなどのアクセサリー一つまでも見逃さないような調べ方だ。

 法服のズボンの上から腰を撫でられ、太腿から脚の付け根にもアルシェの細い手が滑り込み、そしてすぐに引っ込められる。

「――ひぅっ」

「やっぱり、下着……」

 小さな声でそう呟いたアルシェから一瞥されると、エンリの顔は一気に熱を持ち、耳まで真っ赤に染まる。この上品な雰囲気を持つ少女が少し眉をひそめてエンリへ向けるのは、何か違う世界のいかがわしいものを見るような、そんな視線だ。肌着を着ていないのはとっくにわかっているだろうに、この段階でそういう反応になるのがエンリには理解できない。

 アルシェは少しの躊躇の後、元の無表情に戻ってエンリの脚に触れていく。

 

 色々あってエンリ自身の買い物まではできなかったが、エ・ランテルでミコヒメの外套を探した時、そこそこの店であれば当たり前のように下着を売っていた。

 もちろん、普通の村娘であっても手製の服の質がよくないこともあって、着心地のために肌着くらいは着るものだ。本来なら生活レベルも服の質もずっとそのままだから、エンリもそういう感覚のままで不都合など何もないはずだった。生地がしっかりしている上に肌触りがあまりにも良かった今の服では必要を感じていなかった。しかし、質の良い服を売る店でも下着は必ずそろえているのだから、今着ているような立派な法服を着て下着を付けないのはおかしいことなのかもしれない。

 

――でも水洗いだけで綺麗になるんだから、旅をするならこれだけの方が絶対ラクだし。

 

 エンリが言い訳を考えている間、エンリの身体検査を終えたアルシェが三歩ほど余計にエンリから距離を取ってフールーダに向き直る。その距離感が少しつらい。 

 

「装備品はなさそう。でも先生、そんなはずはありません」 

 

「ふむ、それなら死霊系の使い手はエンリ・エモットでは無かったとか――」

 

「いえ、私がこの目で確かに()()。あの時はきちんと()()()いました!」

 

 アルシェがフールーダに反論する。よくわからないが、下着の有無の話だったら嫌なのでエンリは注意深く会話を聞き取る。

 

「それなら……うむ、旅の疲れもあろうし、陛下の大切な客人の連れでもある。今日は城の方で浴場でも用意させるとしようか」

 

「よ、浴場って!?」

 

「体を洗ったり、湯につかって寛ぐ場所のことですよ」

 

 横からクレマンティーヌが教えてくれるが、それくらい物語などで知識くらいはある。身を清める場所だ。ただ、それは王族や貴族以外は無縁のもののはずだ。

 

「大丈夫、私が一緒に行って使い方を教える」

 

 距離はとられたままだが、それでも無遠慮に体を触ってきたアルシェに言われるとエンリは身の危険を感じてしまう。このアルシェは何をしたいのか。エルヤーの告白の時の、汚物を見るような目は何だったのか。

 以前から、このアルシェは無表情に見えてたまに目つきが怖かった。一緒に帝都へ向かうことになった当初は、エンリの全てを見通そうとするような不思議な視線を浴びせてきていた。帝都に着くころはそういう視線もなくなっていたが、下着をつけていないことを知られたことでアルシェのそういう感情を刺激してしまったのかもしれない。

 ワーカーというのは普通に冒険者としてやっていけないドロップアウト組――エンリはエルヤーへの敬意を根拠にそんな言葉を心の中で否定していたが、エルヤーの正体がアレであった以上、このアルシェにも見た目からは想像がつかないような問題があっても不思議ではない。

 

「――あとで、案内するから」

 

「い、嫌っ……普通に、宿に泊まります」

 

 女同士ということに抵抗する気持ちはいつの間にかどこかへ行ってしまっているが、それは相手がマーレだからであって誰でもいいというわけではない。

 

「ふむ、手の内を見せたくないということなら――ふおぉっ!!」

 

「マーレ!!」

 

 窮地に陥ったエンリの前に現れたのは、マーレだ。イビルアイも連れているが、捕らえた襲撃者の姿は無い。傍らには宿に残してきたはずのミコヒメの姿もある。

 

「エンリ、ちょっと上手くいきませんでした。襲撃者の拠点らしい場所にも手がかりは無く、それ以上口を割らないまま死なれてしまって、蘇生も駄目みたいです」

 

 マーレの方はいつも通りだが、当然ながら周囲は転移魔法での出現に戸惑っている。特に二人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の様子がおかしい。

 

「せ……先生」

「転移、それも集団転移か。アルシェよ、()()()()?」

「いえ、全く。……吸血鬼の方なら、先生の一つ下です」

 

「そうだな。私にもそれしか()()()いない。……マーレ殿と言うのか。私の名はフールーダ・パラダイン。少し、話をさせてもらえないだろうか。探知防御――いいや、今はそんなことはいい。まずはその魔法について教えていただきたい!」

 

「フールーダさんですか。えっと、あの、ぼくの方も色々と聞きたいことがあります――」

 

 こうして、人類最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はマーレに縋り付くことになる。

 

 その熱意は、異常とも思えたあのエ・ランテルの魔術師組合長のものにも全く劣らない。面倒がって距離を取ろうとするマーレもフールーダの正体を知ると最低限の情報を開示した上で情報収集を依頼し、フールーダの側は皇帝の意思を確認することもなく独断で協力を惜しまない態勢だ。マーレの探し求める先にマーレ以上の力を持つ魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居るという話が決め手となったらしい。

 

 エンリとしては、真っ先に不穏な浴場行きをお断りした上、あとはこの場の後始末だけをお願いして、積もる話はマーレと宿で待つンフィーレアに任せることにした。無責任な気もするが、魔法の話題を振られて答えられないと身代わりの件がクレマンティーヌにバレてしまいかねないからだ。最近はクレマンティーヌにも馴染んで、時にはエンリが弱いことがバレても大丈夫なような雰囲気を感じることさえあったが、エンリはエルヤーとの件でそれが間違いだったと思い知った。

 

 同行していたブレインによって表通りで治安を維持する騎士たちが呼び出されると、フールーダの命令ひとつで何ら事情を聴くこともなく血塗れの裏通りの後始末を請け負ってしまう。

 

――国の騎士って、それでいいの?

 

 『フォーサイト』もアルシェ経由で口止めされ、裏通りでの事件は終わったものとなった。エルヤーは既に立ち去っているが、ヘッケランによると彼はプライドが高いので敗れた以上は何も口外することは無いだろうということだ。

 後始末というのは死体などのことを言ったつもりで殺害のもみ消しのように対処されたのは心外だったが、マーレとフールーダの間に問題が起こらないようびくびくしていたエンリはその部分に口出しする余裕も無かった。ただ、人数と雰囲気を伝えたところ、刺客を送ってきたのが『イジャニーヤ』という組織で、撃退した戦力規模からこれ以上の襲撃は考えにくいということを聞くことができたので、一応は安心することができた。

 エンリはフールーダたちを宿へ案内し、そのまま状況をンフィーレアに委ねた。クレマンティーヌはブレインと打ち解けて、宿へ戻ると気楽に二人で酒など飲んでいた。

 

 

 

 翌日、エンリは下着を買うため、宿から逃げるように街へ出た。

 もちろん問題は山積で、この日もフールーダが宿まで来ることになっているが、ンフィーレアが対応してくれることになっている。ンフィーレアは昨日も頑張ってくれたのだが、そのためにはンフィーレアの居ない所で起こったことを説明しなければならなかった。説明しながら、気が付けばエンリは涙目になっていた。酷い顔をしていたらしい。そこで何かを察してくれたようで、この日は一日ゆっくりするように言われたのだ。

 

 幸い、滞在した宿は冒険者以上に他人の詮索を避けるワーカーたちの常宿で、エ・ランテルでの冒険者の宿ほどには奇異の視線を集めることはなかった。同じワーカーのエルヤーとはトラブルになったが、『フォーサイト』のヘッケランによれば彼はそれほど人望があるわけではないようだ。数日前にそれを聞いても絶対に信じることはできなかったが、今なら納得できる。

 そのヘッケランとはまだ距離を感じるが、クレマンティーヌとエルヤーが衝突したことで幾らか態度が軟化したような気もする。危険な妖精族を連れている中では貴重なまともそうな人なのでもう少し仲良くなりたいのだが、じっくり話をするのはあの感じの悪い半森妖精(ハーフエルフ)の居ない時の方が良いだろう。

 

 宿に滞在する他のワーカーとの関係も問題のあるものではなかった。強者のように扱われるのは話が回っているということだろうが、エルヤーの人望が偲ばれる。ただでさえ危険な森妖精(エルフ)を三人も連れていて、さらに公然と奴隷で……そういうことをして楽しむと口にするような性格では仕方がないのだろう。

 『フォーサイト』のアルシェに下着の話をするのは少々身の危険を感じるので、朝食の時間帯に同じワーカーと思われる妙齢の女性を見つけて下着を売っている店を聞いた。少しこちらを怖がっていたのが心外だったが、親切に教えてくれたので一安心だ。帝都なので色々あると言われたので、似合いそうな所を教えてもらうことにした。

 

 この日はイビルアイを連れていないので心置きなく大通りを通れる。おかげで道順通りスムーズに到着することができた店だが、入ってみればどうも何かが違う。

 店内には一面の、黒、黒、黒。確かにエンリは黒衣に身を包んではいるが、黒さの質が違う。そして売り物たちは黒さ以上に皆どこかがおかしい。値段は決して安くないのに身体を覆う面積が不条理に狭く、やたらと黒くて艶のあるものが多かった。

 素材を見ると、革が多い。身体を守る丈夫さが売りの革製品を狭い面積で使うというのは、何を考えてのことだろう。あのクレマンティーヌの装備のように、俊敏な戦士であれば身を護るのは狭い範囲で良いとでもいうのだろうか。そのクレマンティーヌは人類最強の戦士だなどと自称することがあるが、この店の非常に狭い面積しか護ってくれない不思議な革の防具を見る限り、俊敏さではまだまだ上には上がいるのかもしれない。

 

――何かが違う。私は下着を買いにきたはずなのに。

 

 素材面積の多いものを探せば、貴婦人が付けるようなコルセットを伸ばして下半身下着まで繋げたようなものもあるが、充分な面積の割に見ていて全く安心感を感じない。なぜか小脇に陳列してある黒革の鞭との関連はわからないが、あわせて見ると表現しようのない不安感を感じる。全く関係のない武器を置いているのは、この攻撃的な雰囲気を誇張するためなのかもしれない。

 さらにその奥の方の片隅では、イビルアイの拘束具のようなものさえ並んでいた。あの不思議と落ち着かない気分になる人間用の轡まである。

 

――うわ、本当に人間用なんだ。

 

 エンリは後ずさりから回れ右をして、そのまま黙って店を出る。途中までは都会に馴染もうと頑張って受け入れようとする気持ちもあったが、例の轡まで並んでいたことでさすがに自身の許容範囲を超えてしまった。

 

――イグヴァルジさんみたいな、上級者のためのお店だ。きっとそうだ。

 

 エンリは街中で妙齢の女性を捕まえて道を聞くことにして、三人目でようやく下着を売る店を教えてもらうことができた。

 一人目はエンリの姿を見ただけで無言で逃げた。二人目は服装を念入りに見た上で選んで「あなたが下着を買うような店を教えてほしい」と聞いたら気味悪がって逃げた。三人目は実は道を教えるふりをしたスリだったが、エンリの外套ごと金貨袋を切ろうとしてナイフの刃が立たなかったところを捕まえて、詰め所に突き出す代わりにようやく道を聞くことができた。結局、都会の同性と普通にコミュニケーションが取れなかったという事実は、少しだけエンリの心を傷つけた。

 しかし、スリから聞いた服屋の下着売り場はエンリの服装に見合う普通の高級店らしく、まるで宝石箱のように綺麗だった。スリの女はそこで買い物をしたことがあるわけではないが、店から出る客を狙うことがあるという。

 

 エンリは気分を良くして、旅立つ時に一枚も持って出られなかった肌着を新たに買い揃えただけでなく、街の裕福な女性が使うという下半身下着にも挑戦した。価格は高く見栄えも良いが、もちろん着心地は法衣には及ばない。それでも、今では下着をつけること自体が重要なことのように思えてきている。下着を何もつけていないとわかって眉をひそめるアルシェの表情もはっきりと覚えているし、下半身に触れた段階でそうなったことも無視できない。店員の態度とあわせて考えれば、エンリの法服くらいのものを着るなら下もつけるものなのかもしれない。

 もちろん、この法服を着るような金持ちの使うものを揃えるなど贅沢な発想だということはわかっている。

 それでも、エンリにとってアルシェの行為と態度は気がかりだ。一度そういうことを気にすると、アルシェどころかフールーダまで()()だの()()()だのと言っていたことも何か関係があるように思えてきて、普通には見えない部分の身だしなみの必要性を痛感させるのだ。

 これはエンリの女の勘でしかないが、あの二人にはきっと常人には見えない何かが見えている。少なくもエンリはそう確信している。

 

――二人揃って、いったい何を見ていたんだか。

 

 人生初の下半身下着は、何か股に引っかかるような不思議な感触だ。イマイチ歩きづらいのだが、慣れるべきなのだろう。これは下着が悪いのではなく、エンリの服の方が快適すぎるのだ。店員の反応を見ても、エンリの服の質ならその下に下着を付けているのが当たり前のようだから、少々出費は嵩むがやむをえない。

 ついでに、たまにンフィーレアがくれる「薬草採集袋の底に敷くような、水分の吸収が良い布切れ」の固定もだいぶラクになる。どうもあれはカルネ村に立ち寄った時のネムの手回しらしいので、ンフィーレアは理由をわかって用意しているわけではないのかもしれないが、薬草採取と無縁なクレマンティーヌも率先して手を出すので定期的な問題について余計なことを考えずに済んで助かっている。

 

 

 

「たぶん、一度僕らも謁見することになるよ」

 

 買い物を済ませて気分よく戻ってきたエンリに、少し憔悴したンフィーレアがそんなとんでもないことを言ってきた。

 この日も宿にフールーダが現れてンフィーレアらと話をしていった。ブレインはクレマンティーヌを誘って模擬戦をせがんだらしい。ミコヒメが居るといっても、怪我をすれば痛いのに何を考えているのだろうか。残されてマーレとフールーダに挟まれたンフィーレアの苦労が偲ばれるが、クレマンティーヌが居た方が余計に苦労する部分もあるので居ないなら居ないで良いのだろう。

 ともかく、その一言でエンリは眠れぬ夜を過ごすことになる。クレマンティーヌでも大丈夫なのだから、という慰めの言葉もあったが、皇帝にとってはクレマンティーヌは最高の戦力で、エンリはどうでもいい有象無象でしかない。そう思うと、昼間の刺客さえも皇帝のさしがねではないかと思えてくる。

 

 エンリは寝つきは良い方だ。村で血塗れの魔女のように扱われマーレにその身を許そうとした夜も、襲撃してきたクレマンティーヌがマーレに四肢をもぎ取られるのを目の当たりにして宿へ避難した夜も、マーレがイビルアイを捕らえて蒼の薔薇との敵対が確定的になった夜も、どんな時でも布団へ入って目を閉じればどうにか眠りの世界へ逃げ出すことができた。

 それが、この日は全く違った。エルヤーとの最悪の再会も悪いが、何より悪いのは謁見だ。ただの村娘が、皇帝の前に引っ立てられる。それを考えると心がざわつき、とてつもなく落ち着かない。

 頭ではわかっている。マーレと同行さえすれば、危機を迎えるのはエンリたちではなくバハルス帝国の方だ。何も問題は無い――わけではないが、これまで起こったことに比べて突出して恐ろしいようなことはないだろう。

 それでも、村でなくただの大都市でもなく帝都で、街の商人や神官でもなく貴族でもなく皇帝と会うともなれば、雲の上すぎて自身の緊張の度合いさえわからなくなる。

 

 エンリはふらりと階下へ向かう。深夜で営業はしていないが、宿泊者が水がめから水を貰うくらいは許される。迷惑になるので音を立てないよう階段を降りようとすれば、暗闇のはずの下階から明かりが漏れている。

 立ち止まって聞き耳を立てると、話をしているのは昼も来ていたはずのフールーダと、マーレだった。だが、フールーダの声質は昼間とはまるで別人で、深夜ということもあって声自体は抑えているが声の奥の震えはマーレの転移魔法を見た直後のような、心の昂ぶりを隠せないものだ。マーレはラケシルの時のように魔法でも見せたのだろうか。あるいは、あの危険な宝珠を……。

 

――今度は、関わるのはやめよう。

 

 エンリは喉の乾きを癒せないまま、静かに部屋へ戻る。

 今のエンリはきちんと下着をつけている。だから、フールーダにあるかもしれない何かを見抜く目の力を恐れているわけではない。

 それでも避けるのは、ラケシルのことを思い出したからだ。下へ降りて話に加わった所であの人類最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が血走った目で「ともにこの帝都アーウィンタールを死の街に」などと叫びだすような事態を思い浮かべてしまった。そうなれば、エンリとマーレだけで相手をするのは嫌な感じがしてくる。

 話題はフールーダが魔法談義を持ち出し、マーレが「竜王国」の事を聞くなどすれ違い気味だが、少なくとも二人はそれなりに良い関係にあるように見える。それなら、エンリの関わる余地は無い。エンリだって学習しているのだ。

 エンリは自分の水袋をひっくり返し、同室のクレマンティーヌのものまで漁って僅かな水を得て、寝床へと戻った。

 

 

 

 

 

「えっと、ぼくたちは帝国の人間たちと一緒に竜王国へ行くことになりました」

 

 唐突なマーレの決定は、謁見の日の朝に伝えられる。

 バハルス帝国あるいはフールーダ・パラダインは、それなりにマーレを満足させるだけの情報を持っていた。マーレはフールーダと何度か話し合いを持ち、次の情報収集の地を竜王国と決めたらしい。

 

「向こうで話を聞くには、帝国から依頼を受ける形で行くのが一番いいそうです。あと、クレマンティーヌは皇帝の思う通りのふりをして、帝国の人間として話を聞く手伝いをしてください」

 

「えぇ、まだそれやるんですか? 竜王国みたいな小国相手にそこまでしなくても――」

 

「どれほどかはわかりませんが、竜王国の女王は()()巨大爆発と同じ種類の魔法を使うそうです。なので、その、きちんとやってください」

 

 言葉は柔らかいが、有無を言わせない雰囲気が感じられる。拷問を受けたことのあるクレマンティーヌには、より強いニュアンスで伝わっているのだろう。

 

 謁見では緊張感ばかりが先立ったが、特にものを考える必要も無かった。事前に様々なことがマーレとフールーダの間で決まっていて、マーレや直前に現れたフールーダから予めするべきことを聞いていたからだ。そのマーレが参加せず、エンリ、ンフィーレアにクレマンティーヌの三人でというのはどうも納得はいかなかったが、その三人で招かれたのだから仕方のないことだ。マーレはあくまで表には出たくないということらしい。

 エンリたちは王国との関係を問われ、王国出身の冒険者でしかないことを説明する。クレマンティーヌについても単なる旅の仲間としたが、ジルクニフは納得していない様子だ。それでもフールーダ主導で話が進み、予め聞いていた通り、冒険者として依頼を受けることとなった。それが今回の竜王国行きだ。依頼自体はバハルス帝国の紹介で竜王国のために働くという単純なもので、帝国へ来る時の依頼に近い。それで報酬が入るのだから普通に考えれば悪い話ではないが、竜王国は激しい戦争の只中にあるため、マーレが決めたことでなければお断りしたい仕事だ。

 なお、マーレの求める情報は謁見の場においては『漆黒』が求めていることになっている。帝国と『漆黒』との間で行われたのは、そういう前提での取引だ。

 

 竜王国はビーストマンの侵略に抵抗するため精強な冒険者を求めているが、ここ最近の大侵攻で滅亡の危機に瀕している。『漆黒』だけでは効率的な情報収集は難しく、バハルス帝国からの援軍の関係者として赴く形をとればそれも容易になるという。

 そのため、クレマンティーヌが一時『漆黒』から離れ、帝国軍の一員として従軍することになる。白銀に輝く鎧を用意されそうになって固辞した結果、普段の露出度の高い鎧の動きを阻害しない範囲で純白の布を使った服を仕立てられ、聖女のような装いになってしまった。前で合わせるショールで肩を覆い、胸と腰に分かれた鎧は動きやすさを損なわないようツーピースに分けた神官服のようなドレスで覆われている。

 その身分は仮のものだというが、クレマンティーヌはバハルス帝国准将軍ということになっている。竜王国の女王からでも情報を得られるような身分としたのは竜王国での情報収集のために帝国が図った便宜でもあるが、同時にそれに対する対価にも繋がっている。フールーダを介して決まっているのは、後々マーレにとって必要がなくなった後、クレマンティーヌを帝国へ譲り渡すということだ。後付けでエンリがこれを承認する時は幾らか白々しくなりそうだったが、ンフィーレアの助け舟で事なきを得た。

 それにしても大仰に見えるクレマンティーヌの装いは、竜王国がこれまで対亜人における国防をスレイン法国に頼り切っていたこととも関係があるという。この服装のイメージは人類の守護者なのだそうだ。実際の援軍部隊の指揮は別人が担うにしても、スレイン法国最強の漆黒聖典出身であるクレマンティーヌを人類の守護者として出した援軍の名目上の指揮官としておけば、竜王国側が勇気づけられるだけでなく、将来正式にクレマンティーヌを帝国へ仕官させる際に法国の横槍が入りにくくなるのではないかという計算もあるらしい。

 大災害以降は竜王国への援軍も殆ど出せなくなったとはいえ、法国は亜人との戦いでは率先して矢面に立ち、人類の守護者を自認してきた。その役割を「バハルス帝国の騎士クレマンティーヌ」が担ったとなれば、その存在を認めざるを得なくなるのだとか。

 

――ンフィーが一通り説明してくれたけど、やっぱり難しいや。クレマンティーヌの将来が決まったのなら、私たちの安全を考えると嬉しい状況なのかな。

 

 しかし、行先は戦場だ。マーレはクレマンティーヌを伴って竜王国の女王から情報を得るというが、その後でビーストマンの国で起こっていることを調べたいという。ビーストマンといえば、人間を食料とする恐るべき亜人だ。エンリが役に立てるとは思えないので、できればマーレには一人で行ってほしい。その際の居場所を考えれば、竜王国での情報収集の際は積極的に関わって、マーレ不在の際にはできるだけ安全な場所に居られる状況を作った方がいいだろう。 

 













フールーダとの詳細をやると展開が遅すぎるため、他の二次であまり描かれないようなシーンを優先しました。
次から竜王国での話の前に、『マーレひとりでできるかな』で未登場のキャラクターばかり出る幕間的(?)な話になります。
チョイ役ではなく、強い強いひとたちです。

独自設定(?):はいてなかった(&はかせてしまった)
 女性用パンツの歴史って、かなり浅いみたいです。ファンタジー的に庶民の娘さんなら、基本はいてなかった方向で良いのではないでしょうか。
 下半身下着の形状については、皆様の夢はそれぞれだと思うので触れません。
 我々にはぷれいやー由来という切り札があるので、好きなように想像しましょう。

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