マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前々回までのあらすじ

 『蒼の薔薇』を討伐し、捕らえた吸血鬼イビルアイに轡をかませて魔獣登録した『漆黒』
 凱旋の後、宿へ訪れた『フォーサイト』は皇帝の命で『義の人クレマンティーヌ』を迎えに来ていた。
 「血塗れの魔女などいない。クレマンティーヌは正義の戦士」という皇帝の呼び出しを受け、『漆黒』は帝都へ。
 道中、森妖精(エルフ)やエルヤーへの認識の違いでエンリはイミーナやヘッケランと険悪になり、ンフィーレアが仲裁。
 ジルクニフはロクシーに謁見の同伴を申し付け、昔のことをチクチク言われる

●前回のあらすじ

 「下手な演技はいい」ジルクニフは『義の人クレマンティーヌ』に語り掛け困惑させる
 皇帝が得た情報により、漆黒聖典隊長の死亡を推定
 皇帝が掴んでいた異変は西の大爆発やトードマンの移動と、南東のビーストマン大侵攻による竜王国の危機
 帝国と心中したくないクレマンティーヌは、フールーダとブレインに挟まれた状態でマーレたちの元へ戻る

 仕事を終えた『フォーサイト』は、狙われたエンリを助けるため走るエルヤーに出会う。

●エルヤー・ウズルスがこんなことになるまでのあらまし

 四〇の最後で再登場する以前の登場シーンは一〇後半だけなので、そこを見返せばだいたいわかる模様。





四一 エルヤー・ウズルスの告白

 帝都アーウィンタールでは表通りの近くは人通りの少ない通りでも区画が整っており、王国の古い都市のように道に迷うような複雑な路地はかなり奥へ入らないと見られない。

 そのため、エンリは宿で人目につかない道順を教えてもらい、マーレとともに裏通りを通って冒険者組合へ向かうことができた。イビルアイの魔獣登録自体は一つの街で行っていれば、あとは求めに応じて魔法複写画を含んだ登録書類を見せれば良いだけだが、ここは登録を行った王国とは別の国、バハルス帝国の首都だ。組合にイビルアイと魔獣登録書類を見せ、報告をしておいた方が良いというンフィーレアの考えには賛成せざるをえない。

 とはいえクレマンティーヌを待つ必要もあるため、ンフィーレアとミコヒメを留守番として宿へ残している。何かとフォローしてくれるンフィーレア無しでマーレと出るのは不安だが、マーレもクレマンティーヌも無しでイビルアイを連れるような恐ろしい真似もできない以上は仕方がない。ミコヒメを置いていくのは『蒼の薔薇』から受けた誤解の影響だ。

 イビルアイは拘束具こそ外せないが、裸だったところへミコヒメの予備の外套を着せたことで大事な所は隠れている。丈が足りず太ももがかなり上の方まで露わになっているが、拘束具とあわせて見なければ、露出度だけならクレマンティーヌよりはマシなように思える。拘束しなければならない理由があるのだから、これで問題無いだろう。

 組合で提示した魔獣登録書類の魔法複写画では魔獣扱いのイビルアイは全裸に首輪や拘束具だけの姿だが、こちらの組合では特に服を脱がすような指示は無かった。それがアダマンタイト級冒険者への信頼と思えば、このあまりに過分な地位も悪いものではないように思えてくる。ただ、魔法複写画を見せた時から腫れ物に触るような扱いをされたのは納得がいかないが、国を滅ぼすような恐ろしいアンデッドを前にした以上仕方のない反応なのだろう。

 

――私が退治したわけじゃないけど、アンデッドへの偏見を退治した側にまで向けるのはちょっと違うよね。

 

 いかがわしいものを見るような目で見られたのは、邪悪なアンデッドを滅ぼさず連れ回しているからだろう。マーレが決めたことなので仕方がないが、ンフィーレアが居てくれればもっと上手く事情を説明できたはずだ。クレマンティーヌを待たずに出たのは失敗だったかもしれない。

 

 帰路もイビルアイを連れている以上は裏通りになるが、やはり人通りは極端に少ない。よく整備された帝都では真っ直ぐに伸びた表通りこそが近道で、それに並行する曲がりくねった裏通りを使う者は少ないのだ。

 そのことは人目を避けたいエンリには都合が良かったが、他の人目を避けたい者たちにも都合が良かった。

 

「えっと、組合を出たあたりから敵意のある人間が増えてきて、囲まれてます」

 

「ええっ!」

 

「たいしたことないので、全部殺しちゃいますか?」

 

「え……いや、転移魔法ってあったよね」

 

「宿を出たあたりから確認できている気配もあるので、後で宿で戦うことになっても良ければ」

 

 振り返るが、エンリには気配などわからない。だが、相手の方はこちらの行動をある程度把握しているということなのだろう。宿へ戻ってから遭遇すればンフィーレアはわからないが、少なくともマーレはエンリよりミコヒメを守る。逆にエンリたちが逃げたままなら宿の二人が狙われるかもしれない。

 

「……そ、空を飛んで距離を取るっていうのは?」

 

「飛び道具でエンリが狙われるのと、結局は宿で戦うことになります。――あ、来ました。《上位硬化(グレーターハードニング)》《上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)》……」

 

 戸惑うエンリに対し、マーレの判断は早い。すぐにエンリに幾つかの魔法がかけられる。

 エンリがただならぬ気配に気付く頃には、裏路地や建物から総勢十二名の男たちが現れ、包囲を完成させていた。

 

「……『漆黒』のエンリ・エモットとお見受けする」

 

「あ、はい――」

 

 言葉が終わるより早く、金属の細長い煌きがエンリを囲み、そのまま黒い法衣に吸い込まれる。

 顔をかばう小手から複数の金属音が響くが、そこで受けられたのはごく一部だ。エンリは胸元や背中に鈍い痛みを感じて呼吸が一瞬止まる。

 大地にばらばらと落ちる長い針のような武器は、ちょうど十二本だ。痛みは残るので痣はいくらか出来てはいても刺さってはいないのだろう。どれも血はついていない――血の色ではないが、濡れたような光を放っている。

 

 全員からの奇襲をその身に受け、なおその場に立ち続けるエンリを前に、男たちは目を見開く。

 

「――強い」

「当たりながら、通らぬか」

 

 通っていれば、法服を貫けていれば起こるべき変化が起こらなかった――そういうことなのだろう。

 

「……毒?」

 

「そうみたいです。それで、またエンリが『交渉』しますか」

 

 マーレの判断は早いが、それがエンリにとって甘いものとは限らない。むしろ厳しいものばかりではないかとエンリは思う。

 何か魔法がかかった今の状態なら、攻撃が来るのがわかっていれば服と小手で防げるような気はするが、明らかに命を奪いに来ている相手と命をかけて話をしたいとは思わない。

 

――もう「交渉」は嫌。毒針を使うような相手なのに、無理無理無理!

 

 交渉と言われ、エンリはマーレと旅立ってすぐに一人でオーガと対峙させられたことを思い出して身震いする。今回も以前のようにマーレの魔法で体が軽くなったが、もう騙されはしない。これは()()()()()()だ。

 目の前の男たちは、一人一人がオーガより危険なように見える。交渉相手としても攻撃前にマルカジリとか宣言するだけオーガの方がマシだ。毒針の威力も、普通に受けていれば法服で防げなかったかもしれない。

 

「……流石はアダマンタイト級冒険者か。この二人は強い。幾人か死ね」

「畏まりました」

 

 男たちは一斉にナイフを抜き、構える。猶予は無い。

 次は法服では防ぎきれないだろう。エンリは軽く抜きやすい魔剣キリネイラムを構えつつ、この場をマーレに委ねる。

 

「『交渉』はしない。どうにかしてほしいけど、でもいきなり全員殺すとかじゃなくて、私たちを狙う理由を聞きだせるかな」

 

「はい、いいですよ」

 

 そしてマーレが何やら詠唱すると、裏通りに複数の鈍い爆発音が響く。爆発したのは人間の血肉だ。

 男たちが本当の意味で彼我の戦力差を認識できたのは、短い詠唱の終わり際の僅かな時間だけだった。そこには殺気も威圧感も無い。ただ濃厚な死の気配にあてられ、男たちは自身が踏み潰される直前の地虫でしかないことを理解し、すぐに無数の肉塊となって飛び散った。勘の鋭い者だけは、刹那にかすれた叫び声をあげることを許された。

 最初に声をかけてきた男だけは魔法の対象から外されたが、部下たちが肉塊となったことを認識する頃にはマーレの腕に腹を貫かれていた。

 

「ちょ……マーレ?」

 

「では、ちょっと話を聞いてきますね」

 

 マーレは確保した男を貫いたままの腕で抱え、イビルアイを連れて消える。集団転移魔法だろう。

 

 エンリは殺してしまうのを止めたつもりだった。

 マーレは、確かに全員は殺さなかった。言う事を聞いてくれたのだ。

 エンリは助かり、この場は安全になった。全身の力が抜けたエンリは、男たちの血肉を浴びたまま血塗れの裏路地に立ちつくした。

 

 

 

――血塗れだ。……とにかく、ここを離れなきゃ。

 

 エンリが向かうべきはマーレの消えた先ではなく、背後の宿の方向だ。

 血塗れの恰好も問題はあるが、今は村娘でなく冒険者であり、襲撃者を撃退したと説明すれば大きな問題にはならないかもしれない。村で血塗れになった時と違って魔法のかかった服なので、水をかぶれば汚れも落ちる。

 それより、問題なのは戦力だ。一人となった今、新たな敵が現れたらどうにもならない。宿に戻っても戦力があるわけではないが、ワーカーの常宿だという『歌う林檎亭』なら少なくともこの場よりは襲撃を受ける可能性は少ないだろう。

 しかし、無情にもそちらの方向から駆け寄る者がある。その足音はマーレでもクレマンティーヌでもンフィーレアでもありえない、重い金属鎧を着た戦士のものだ。

 

「アダマンタイト級冒険者、『漆黒』のエンリですね」

 

 涼やかな優しい声だが、肩書から入るのは先ほどの刺客と同じだ。先行したのは一人だが、遠くからばらばらと複数人の足音も聞こえる。

 エンリは慎重に活路を探り、先ほどは無かったアダマンタイト級という言葉と、少し距離を取って止まった足音にそれを見出す。

 

――虚勢を張って、マーレかクレマンティーヌが戻るか、見回りの騎士が来るまで時間を稼ぐ!

 

 思えば、こういうギリギリの判断をするのは久しぶりだ。マーレもクレマンティーヌも居ない状況では、死への距離はあまりにも近い。

 エンリは魔剣キリネイラムを構え、言葉を選びながらゆっくりと振り向く。

 

――大丈夫、剣の持ち方もおかしくないし、真似事くらいなら。

 

「あ、あなたもそこへ転がっている連中のようになりたいの?」

 

 

 

 そこに居たのは、新たな刺客ではなかった。

 

「エルヤーです。あなたは、夏の初めにエ・ランテル近郊の村から旅立った、あのエンリですね?」

 

 エルヤー・ウズルス。

 忘れもしない。この男は、マーレとともに旅に出たばかりのエンリに様々な助言をくれた恩人だ。頼れる雰囲気も、涼やかな声も、変わっていない。

 後ろには、陰鬱な三人の森妖精(エルフ)の女。この三人からの粘つくような敵意を含む視線もあの時と同じだ。

 

「は、はい。あの時のエンリです。『漆黒』という名前もエルヤーさんがつけてくれたもので――」

 

 エンリはさらに後ろから追いすがる足音に気付き、口をつぐむ。エルヤーを追ってきたのは『フォーサイト』の四人、クレマンティーヌとも接点ができている者たちだ。

 エルヤーだけなら話したいことも沢山あるが、あまり打ち解けることができなかった『フォーサイト』は別だ。半森妖精(ハーフエルフ)のイミーナに至っては、性格的に合うのかクレマンティーヌと仲良く話していたくらいだ。弱味を見せるのは危険だろう。

 

「ただ者ではないと思っていましたが、ふた月もしないうちにアダマンタイト級冒険者ですか……。あなたを狙う者についてお知らせしようと思って探していたのですが、イジャニーヤの刺客がこうなるようではその必要も無かったようですね」

 

 エルヤーはエンリの身に着ける冒険者プレートと周囲の血塗れの肉片を見比べる。

 

「あ、いや、これは私じゃ――」

 

 言いかけて、エンリは虚勢を張ったことを後悔する。

 

「『漆黒』は俺たちの見ている前であの『蒼の薔薇』を倒したんだ、ただ者なわけがないだろう。運命の人とか勝手に盛り上がってたから黙ってたが、エルヤー、あんたが守るような相手じゃないと思うぜ」

 

――運命の……人?

 

 物騒な話の中におかしな言葉があることに気付き、エンリは耳を疑う。挑発するような口調で言うのはヘッケランだ。それを聞いてエルヤーは微笑む。

 

「そのようですね。――エンリ、いや、エンリさん。会いたかった。……私は不遜にも、あなたに再会できたらあなたのことを手に入れるつもりでした」

 

「て、手に入れる?」

 

 エンリは自分の顔が熱を持つのを感じる。

 エルヤー・ウズルス。

 旅立ったばかりのエンリに的確な助言をくれた尊敬できる先輩。

 エンリの抱える事情を察し、エンリ以上の苦難を背負いながら笑って生きられるような大人物だ。

 

「しかし、あなたは今やアダマンタイト級冒険者です。あなたの大きな器にふさわしい力を付けてからお迎えしようと思っていたのですが、いつの間にか、私はあなたを追う立場となっていたのかもしれません」

 

「いえ、私はそんな、大した人間じゃないです……」

 

「それでも、私の心は初めて出会ったあの日からずっと、あなたの虜になっています。男の見栄で力を付けてからの再会を考えましたが、離れてみればあなたを求める心が燃え上がるばかりでした。……私はやはり、あなたと一緒に旅がしたい。あなたの前で剣を振るいたい」

 

 エルヤーは真っ直ぐにエンリの目を見る。その言葉はどこまでも情熱的だ。

 エンリは物語の中のお姫様になったような気持ちで、その涼やかな声に、甘い言葉に聞き惚れる。

 頼りがいのある立派な戦士に護られる旅。そこにはエンリがこれまで求めて得られなかったあらゆるものが揃うように思えた。

 

 

「そして、私はあなたを愛し、愛されたい。あなたの隣に、私の居場所を作りたい」

 

 熱の篭もった口調で、エルヤーはあけすけな恋心を打ち明ける。

 

――ええっ、愛? そんな、いきなり……私なんかに、どういうこと?

 

 真っ直ぐな気持ちをぶつけるような告白にエンリは混乱する。

 

 曰く、あなた自身にも、その誇り高い生き方にも惚れた。

 曰く、あなたの存在に勇気づけられ、私は初めて人を愛することを知った。

 曰く、世間体など忘れて一緒に生きていきたい。あなたと全てを共有したい。

 

 一言一言がエンリの心を揺さぶり、顔が火照る。普通なら戸惑うような歯の浮くような言葉にも、強い気持ちが篭もっているのが感じられる。あまりに情熱的な告白だ。ヘッケランの小さな口笛やロバーデイクの優しい視線に晒され、エンリは今起こっていることを実感する。

 

 エンリが見つめるのは、まるで物語の中の王子様のような、強さと物腰の柔らかさを併せ持つエルヤー・ウズルス。

 それでいて、時折見せるどこか品の無い笑みには、エンリの後ろ暗い部分を理解し、暖かく包み込んでくれるような優しさが感じられた。

 

 

「そして、私はあなたの甘美で淫猥な世界に踏み込みたい。私の居場所を作りたい」

 

 熱の篭もった口調で、エルヤーがあけすけな欲望を打ち明ける。

 

――ええっ、淫猥? そんな、いきなり……経験もないのにどういうこと?

 

 突然のわけがわからない言いがかりにエンリは混乱する。

 

 曰く、自分と一緒になれば特殊な嗜好を抑え、隠しておく必要も無い。

 曰く、少女を奴隷として愉しむ倒錯的なエンリの世界を一緒に愉しみたい。

 曰く、ただ愛し合うだけでなく、ベッドの上で奴隷を交換して愉しんだり、互いの行為を見せあうのもいい。

 

 一言一言がエンリの鳩尾(みぞおち)を締め上げ、血の気が引く。普通なら呆れるような唐突過ぎる言いがかりにも、強い確信を持っているような雰囲気がある。あまりに変態的な告白だ。イミーナの無遠慮な舌打ちやアルシェの汚物を見るような視線に晒され、エンリは今起こっていることを思い知る。

 

 エルヤーが幻視するのは、まるで物語の中の魔女のように、倒錯的で嗜虐的な嗜好を備えたエンリ・エモット。

 それでいて、度々見せる極めて品の無い笑みには、魔女の後ろ暗い趣味を共有し、ともに愉しもうとするような嫌らしさが感じられた。

 

 

 エンリは混乱に陥る。気分まで悪くなってきたのは、鳩尾のあたりが痛いせいだろうか。

 何か言い返さなければいけないのはわかる。しかし、こういう時は下手に口を挟めば事態がさらに悪化しかねない。

 さらに、『フォーサイト』が居る以上、クレマンティーヌに聞かせられないようなことも言えない。弱いエンリを見せるわけにはいかないのだ。

 

 事態の急変についていけず、思考が滑る。エンリは目の前の現実の一番厳しい部分から逃れつつ、遠巻きに事態を把握しようとする。

 

 エンリは、すぐにでも家庭を築けるような生活力のある一人前の男性から告白を受けたのは初めてだ。村に居た頃はそこに働き者という条件が加わったが、今ならエルヤー・ウズルスの強さはなんとなく雰囲気で感じられる。クレマンティーヌとどちらが強いかなどはわからないが、ワーカーとして一人前どころか一流なのは間違いなさそうだ。

 そうした一人前の男性が告白をするには相応の勇気と覚悟が必要だと両親から聞いている。村では結婚をすれば自立して生活の基盤を築くことになるからだ。それゆえ、感覚的なものだけで決めず、しっかり相手のことをわかった上で、冷静に考えて決めるように言われている。

 だから、エンリは真面目に考える。混乱して思考力は相当に落ちているが、幸い熱を持っていた顔は冷め切っていて考えるには都合が良い。 

 

 エルヤー・ウズルスは人前で果敢な告白を行う勇気を持っている。エンリの世界を包み込み、丸ごと守ろうとするような覚悟も伝わってくる。おそらく、その力も十分にあるのだろう。

 今はエンリの側にも力や金銭はあるが、そうしたものはここでは関係ない。自分の持ち物次第で相手に求めるものを上げるようでは、働き者ほど結婚から遠のいてしまう。稼ぎのある冒険者で考えても歳をとるほど売れ残りやすくなってしまうので同じことだ。大事なのは、相手自身の勇気や覚悟とそれを実現する力。そして、エルヤー・ウズルスにはそれがある。

 

 つまり、条件としては悪く無いということだ。

 もはやエンリも十六歳で、結婚適齢期の半ばを過ぎている。本来ならその場で応じようと思えなくても、返事を待ってもらって前向きに考えなくてはいけない状況と言える。

 

 しかし、エンリは決して肯定的な言葉を口にすることはできない。

 たとえ倒錯的と言われようと、エンリがそういう対象として強い緊張を感じたことがあるのは少女であるマーレだけだ。ただ、エルヤーの方も倒錯的であっても構わないというので、この点は問題ないものとして――。

 

――違う! そうじゃなくて!

 

 そうじゃないのだ。最初からマーレは関係ない。これは誰にそういう緊張を感じるとか、同性がいいとか異性がいいとか以前の問題だ。

 エルヤー・ウズルスが見ているのは、少女でありながら奴隷の少女たちを愉しむようなどこかの魔女であって、断じて自分(エンリ)ではない。

 エルヤーの後ろに来ていた『フォーサイト』の四人がおぞましいものを見るような目で見るべき相手も、自分(エンリ)ではないのだ。

 

 エンリは混乱し、考え、考えすぎた。答えに詰まる時点で、周囲からの印象はエンリの意図せざるものとなってしまう。

 

 

 

 そして、周囲にあって話を聞いていたのは『フォーサイト』だけではなかった。

 

「んふふ、血の臭いに誘われて来てみれば、何? 奴隷を交換して愉しむって? そこの君、ずいぶんと面白いこと言ってるねー」

 

 ここでエルヤーに声をかけたのはエンリではない。大通りに続く細い路地から現れた短い金髪の女――クレマンティーヌだ。

 

「おや、どちら様でしょうか。依頼を受けたワーカーなら、周囲の状況を見て引き返すことをお勧めします。彼我の実力差もわからない愚か者なら、代わりに私がお相手しましょう」

 

「へぇ、実力差のわからない馬鹿はどっちだろうね。……やりたいなら抜きなよ。おねーさんが遊んであげる」

 

「ちょっと、クレマンティーヌ!」

 

 エンリが強く呼び止めるが、クレマンティーヌはひるまない。いつもの卑屈さが感じられない。

 

「エンリ様がそういう趣味なのはわかってますよ。でも、こんな身の程知らずの雑魚に貸し出すとかは勘弁して欲しいかな。私にもまだプライドとかあるんで、どうしてもやりたいなら前みたいに手足でももぐとか、動けなくなるまで痛めつけてからにしてください」

 

「あ、いや、そういうことは……」

 

 殺気を抑えようとしないクレマンティーヌの鋭い眼光に、エンリは気圧されて言葉に詰まる。マーレの拷問以降では初めて見るような表情だが、これが本当のクレマンティーヌなのだろう。

 浅く息を吸って吐いても、まだエンリは言葉を継ぐことができない。かつてクレマンティーヌに拷問を指示したことになっているエンリが実は弱者だと知られたら、この殺気はそのままエンリに向けられるのだろう。それを頭でわかっているだけでなく、身体で感じてしまった。目で、肌で感じてしまった。

 

 しかし、殺気を向けられたエルヤーは止まらない。

 

「あなたも彼女の持ち物ですか……いいでしょう。確かに奴隷くらい力で従わせられなければ、エンリさんに愛を受け入れてもらうのも難しそうです」

 

「いい心がけだね。弱くても物わかりがいい男は嫌いじゃない。――あ、すぐ終わらせるんでパラダイン様ちょっと待っててください。ブレインちゃんも」

 

「舐めるなよ、奴隷」

 

「パラダ――って、ちょ、クレマンティーヌ!?」

 

――待って! 何、連れてきてんの!? どこから話聞いてたの!?

 

 フールーダ・パラダイン――その名は、イビルアイから聞いた帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)のもの。見れば、クレマンティーヌの少し離れた後ろに佇む高級そうなローブを纏った老人は明らかに帝国の要人だ。ブレインというのは無精髭も無くなっていて、街で歩哨をしている騎士の服装を豪華にしたようなものを着ているのでわかりにくいが、盗賊団討伐の時に逃げたブレイン・アングラウスだろう。不思議な組み合わせだが、ブレインについてはンフィーレアがどこに仕官してもおかしくないと言っていたので、クレマンティーヌの監視役か老人の護衛のようなものかもしれない。

 

 そして、エンリの不安は一気に膨らむ。

 

 縛り首。

 火炙り。

 

 そんな物騒な言葉が脳裏を駆け巡るのは、カルネ村で王国戦士長に誤解された時以来のことだ。

 クレマンティーヌが戻った後でも、どうにもならなくなったらマーレは全てをまっさらにして解決してくれるのだろうか。

 

――違う! そうじゃない!

 

 今は城や街が更地になるような事を考えるべき時ではない。エンリは恐ろしい考えを必死に頭の外へ追いやる。

 『義の人クレマンティーヌ』はどこへ行ってしまったのか。人間の奴隷は王国では違法だが、帝国ではどうなっているのか。

 

 

 エルヤーとクレマンティーヌ。二人の交わす言葉でエンリが現実に引き戻された時、その戦端は開かれる。

 といっても、クレマンティーヌは強い殺気を漂わせ挑発をしながらも、いつもの疾走から鋭い刺突を繰り出そうとはしない。先に動くのは、殺気にあてられたエルヤーの方だ。

 

「私はエンリさんの前で力を示さなければなりません。手加減はできませんよ! ――<能力向上><能力超向上>」

 

 エルヤーはクレマンティーヌと同じ二つの武技を発動して剣を上段に構えるが、クレマンティーヌは構えもせず、武技を使う気配も無い。

 

「格の違いを見せましょう。<空斬(くうざん)>! ――<縮地改>!」

 

 空を切り裂く斬撃がクレマンティーヌに迫る。そしてエルヤーは振り下ろした剣を下段に構え直しながら、不自然な動きで自らが飛ばした斬撃の後を追う。

 足を動かさない、滑るような不思議な動きでクレマンティーヌに迫り、そこでエルヤーの姿が大きくブレる。エンリがどうにか視認できたのは、ほぼ同時にクレマンティーヌに迫る二つの斬撃だ。

 

 この時点で、エンリには勝敗が見えた。クレマンティーヌの動きはエンリの目では追いきれない。エンリから攻撃が見えているようでは通用しない。

 

「――遅すぎ」

 

「ぐああぁぁああっ!」

 

 裏通りにエルヤーの叫び声が響き渡る。

 

「――治癒だ、ちゆを寄越せ!」

 

「ふふ、それで格ってのはどれくらい違ったのかなー」

 

 気が付けばクレマンティーヌは剣を振り切ったエルヤーの背後に回り、エルヤーは片膝から勢いよく血を吹き出しながら脂汗を滴らせ、足を震わせていた。エルやーの鎧には膝当てがあるが、クレマンティーヌのスティレットは並みの鎧など貫通してしまう。

 エルヤーは仲間の森妖精(エルフ)に魔法による治癒を命じ、傷の回復をさせる。

 

「すみません。私もそういうつもりはないので、こういうのはやめませんか?」

 

 エンリは口にしたくない言葉を色々と回避しながら、この場を収めることを提案する。思っていたのとかなり違っていたエルヤーの発言やその嗜好には衝撃を受けてはいたが、わざわざ殺したり痛めつけたい相手とまでは思わない。

 そもそもエルヤーの思っているような趣味も無いのだから、それを共有するつもりだって無い。奴隷を交換して愉しむとかクレマンティーヌが怒りを見せたようなことは、そもそもエンリも考えていないのだ。言葉は全く足りないが、そういう意味だ。

 

「嫌です! そんな気遣いは要りません。私はこの奴隷に勝って、あなたと並び立ちたい。受けに回ると手強いようですが、次は油断しません!」

 

――気遣いじゃなくて、奴隷とかそういう話が嫌なんだけれど。

 

 それでも、下手に言い返すとまた帝国の要人に聞かせたくないような話が始まってしまうような気がして、エンリは黙り込む。

 エルヤーは滑るように距離を取ると静かに剣を構え、クレマンティーヌに切っ先を向ける。

 

「いい心がけだね。まだお仕置きが足りないし、続けようってのにはさんせー。……で、今度はそっちが受けに回ってみる?」

 

「あなたの使う武技はおそらく防御系かカウンター狙いのものだけでしょう。リーチも短く、私の<空斬(くうざん)>を先に潰すこともしなかった。攻め手に回れば何もできないはずです」

 

 エルヤーは自信溢れる態度で言い放つ。

 

「あん? お前程度に武技なんか使ってないけど? まー、こっちのお客さんに免じて、見たいならやってやんよ」

 

 クレマンティーヌはブレインの方を一瞥する。眼光鋭く戦いを注視する姿は、確かにあの時のブレイン・アングラウスその人だ。

 あの時エンリの目では殆どとらえられなかったが、今ならわかる。盗賊団の塒で見たクレマンティーヌとブレインの戦いは僅かな時間だが『蒼の薔薇』との戦いにさえ劣らない本物の殺し合いだった。

 クレマンティーヌがその気になれば、エルヤーはここで死ぬ。

 

「クレマンティーヌ、殺すのは――」

 

「はいはーい。言われなくても、この身の程知らずを簡単にラクにさせる気はありませんよ」

 

「そのような挑発は無駄です! あなたに間合いを詰める手段はありません。 <空斬(くうざん)>! ――まだまだいきますよ、<空斬(くうざん)>! ――<空斬(くうざん)>!」

 

 確かにクレマンティーヌが遠距離攻撃を行うのを見たことはない。

 しかし、エルヤーが幾度も放っている空中を走る斬撃は、幾度か見たクレマンティーヌの疾走よりも遅いように見える。

 クレマンティーヌはそんな斬撃を最小限の動きでかわし、受け流していく。

 

「うんじゃ、いっきますよっ! <能力向上><能力超向上>――っと、<疾風走破>」

 

 連続で放たれた二発の<空斬(くうざん)>を受け流しながら武技を発動させると、クレマンティーヌの姿がその場から消える。まだまだエンリの目で追えるような速度ではない。

 エルヤーの方を見れば、既に両膝から血を吹き出して崩れ落ちるところで利き腕の肘をスティレットに貫かれ、言葉にならない叫び声をあげている。そして瞬きをするような間に、スティレットは逆の肘へ。

 そのまま地に倒れ伏したエルヤーの頭へクレマンティーヌの足が乗せられる。エルヤーは襟首にスティレットで浅い傷を付けられるまで立ち上がろうともがいていたが、先に潰された膝と肘から先は殆ど動かせなくなっているようだ。

 

「んふふふー。普段だったらもっと痛めつけるんだけど、ここにうちの回復役居ないから、残念だったね」

 

「……ひ……チゆをはやくシろ! 腕も、足もだ!」

 

 裏通りの路面に押し付けられたエルヤーの口から出るのは、恐怖で半ば裏返った割れ鐘のような声だ。涼やかな声の偉丈夫はもうどこにも居ない。地に伏しているのは恐怖と苦痛に顔を歪め、がなりたてるだけの存在だ。

 仲間の森妖精(エルフ)たちは動かない。さすがの森妖精(エルフ)も強者であるクレマンティーヌを前に恐怖に縛られたのかとその表情を窺えば、三人ともねっとりとした暗い笑みを浮かべている。クレマンティーヌの本気の連撃を前に恐怖も警戒も見せないその姿に、エンリは戦慄した。

 

――不味い。この三人を野放しにしちゃ駄目だ。

 

 エンリはエルヤーとクレマンティーヌの下へ歩み寄る。

 

「エンリ様もこいつで遊びますー?」

 

「……はぁ。しないよ。クレマンティーヌ、足をどけて」

 

 エンリは疲れた顔で倒れたエルヤーを見下ろす。

 エルヤーは奴隷をどこかに囲って、下衆な享楽に溺れている男だ。さらにエンリのことを同類だと考えていて、それを大きな声で言い放ってくれた迷惑な男でもある。

 エンリはエルヤーを殺したいとも助けたいとも思わない。ただ、この男の背負ってきたものを引き受けたくないだけだ。今のエンリにそんな余裕はない。

 

 エンリから冷たい視線を向けられ、エルヤーは斜めに持ち上げた顔に怯えの表情を張り付ける。

 

「た……助け……」

 

「エルヤーさん、今後、私たちにはもう関わらないでください。それと後ろの人たち、連れ歩くならきちんと管理してください」

 

 エンリは黒衣の腰あたりにある薬瓶受(ポーションホルダ)からポーションを引き抜くと、少し逡巡してからエルヤーに振りかける。

 与えるのを躊躇したわけではない。直接手渡すという程度の関わりさえ持とうと思えなかっただけだ。

 

「あの時の助言には感謝しています。さようなら」

 

 見殺しにしたいというわけではない。しかし、助けたいとも思えない。ここでエンリにポーションを使わせたのは、恐ろしい三人の森妖精(エルフ)の存在だ。

 エルヤーが動ける程度までポーションを振りかけてから顔をあげると、森妖精(エルフ)の一人と視線が合う。

 

――やっぱり、この人たちはエルヤーさんじゃなきゃ無理だ。

 

 先ほどの暗い笑みは消え、濁った目に背筋が寒くなるほどの敵意が揺らめく。それは三人とも変わらず、さらに『フォーサイト』のイミーナまで刺すような敵意を向けてくる。エルヤーが弱ったままであれば彼女らが徒党を組んで、この街で何か恐ろしいことが起こっていたのかもしれない。

 エルヤーは完治にまで至らない傷の具合を気にしながら、のろのろと立ち上がる。

 

「…………あなたたち、行きますよ。早く!」

 

 エルヤーは視線を合わせず屈辱に顔を歪めながらも、森妖精(エルフ)たちを率いてくれる。

 

――自分の危機にあんな笑みを浮かべる人たちと一緒にいたら、色々おかしくなっても仕方がないのかも。それとも、男の人は辛い旅をしていると、そういういかがわしいことが必要なのかな。

 

「私は……大丈夫、かな?」

 

 誰に問うでもない独り言を小さくつぶやいて、エンリは去りゆくエルヤーたちから視線を外す。

 

 思えば、マーレと出会った当初は常に日常と狂気は隣り合わせだった。血に塗れ、魔物の肉片も浴びた。村にも居られなくなった。冒険者組合で化け物扱いされ、関わった冒険者チームに目の敵にされることもあった。同じ妖精族の森妖精(エルフ)を三人も連れているエルヤーがまともでいられるはずもないし、そのエルヤーがエンリをまともだと考えないのも仕方のないことかもしれない。

 









どうにか最悪の告白シーンを作ることができました。
この章はできれば次あたりまでに。

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