マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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ガゼフさんです。













四 血塗れの魔女

 これから赴くのは、死地なのかもしれない。

 これまでは、ただ殺戮の跡を呆然と眺めるしかできなかった。今度こそ、今度こそ間に合ってくれと願いながらも、無辜の民を救うことはかなわなかった。ようやく破壊を免れ多くの民の残る村を発見したが、そこには濃厚な致死の罠の気配が漂う。

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、斥候が得た情報より罠の存在を示唆する。

 

「村人の多くは外へ出されている。路地には動死体(ゾンビ)が一体確認されたが、村人たちにそれを恐れ混乱する様子は無い。何者かに制圧されて餌として外に出されているのだろう。敵の影は確認されていないが、強力な魔法詠唱者(マジック・キャスター)に警戒せねばならない。勿論、これまでの村を襲撃した者たちも隠れていよう。第一に群集の中、第二に家々の中からの奇襲に備えつつ、速やかに村人の安全を確保せねばならない。罠とわかっていてもなお、行かねばならんのだ」

 

 ガゼフは奮い立つ部下たちの声を受けながら、民のためとはいえ、部下とともに罠に踏み込むことに苦渋の表情を浮かべる。

 

「戦士長!罠なんて食い破ってやりましょう!」

「俺たちは国と民を守るために訓練をしてきたんです!」

 

 ガゼフは黙って頷くと、馬を走らせる。罠を張った者たちの対応が少しでも遅れるよう、できる限り速く、そして注意深く群集や家の中に隠れた敵を探しながら村への距離を一気に詰める。家並みの中から現れる者は無い。

 村の通りの一つに動死体(ゾンビ)の姿を認めると、ガゼフは弓を取り出し、疾走しながら矢を放つ。

 矢は吸い込まれるように、正確に四つ這いの動死体(ゾンビ)の潰れかけた頭部を射抜き、それがあるべき姿へ戻す。

 それでも伏兵は現れないが、油断はできない。村人たちの反応が遅く不自然なのだ。辺境の開拓村であれば野伏の一人くらいはいるものだから、それが警戒しないということは罠で確定と考えて良い。武器を構えた屈強な戦士の集団は、村人たちが気づいた頃には既に包囲を完了していた。

 

 

 

 

 

 

 あらゆる警戒は意味をなさなかった。覚悟していた伏兵は現れず、決死の覚悟で安全を確保したはずの村人は怯えきって縮こまっていた。ならば敵は大戦力で周辺に……。

 

「い、命ばかりはお助けを……」「俺たちが来たからには、もう大丈夫だ!」

「……は?」「……ええっ?」

 

 命乞いを始めた村人と、怯える村人を気遣う部下が同時に声を発し、そしてその場で固まった。

 怯えられていたのは、他でもない、群集に向かって武器を構えて疾走してきた自分たちだったのだ。じわじわと心を蝕む疲労感をガゼフは頭を振って追い出し、咳払いを一つ。

 

「ゴホン……私は、リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフだ。王の御命令で、王国に侵入した帝国の騎士どもを討伐するために村々を回っていたのだが……」

 

「王国戦士長……」

 

 ぼそりとつぶやいた村人の一人が、鎧を凝視し歩み寄る。王国の紋章を確認しているのだろう。別の村人がその袖を引く。

 

「村長、気をつけてください。王国戦士長が、王国の民にいきなり武器を向けてくるはずがない」

 

 ガゼフは困惑する。確かに無辜の民を怯えさせた非は明らかで、伏兵の気配も感じない。しかし部下たちはおさまらない。

 

動死体(ゾンビ)と共存するような民がいるものか! 見て見ぬふりをしていただろう!」

「あれを操る者はどこだ! 俺たちを罠にかけようとしているのではないか!」

 

 村長と呼ばれた男は、その剣幕を黙って受け流す。ガゼフの鎧から視線を外すと視線を上げ、静かに言った。

 

「見て戴きたいものがございます」

 

 殺気立つ歴戦の戦士たちに怯みもせず落ち着いたその姿に感心しかけるが、観察するとそこにあるのは胆力などの類ではなく、憔悴しきって反応の薄くなった者のそれであった。

 

「これは……帝国の!」

 

 村長に連れられた先には、中身の無い帝国騎士の鎧が乱雑に並べられていた。その数は十五は下らず、その過半は赤黒い汚れがこびり付いていた。その形状は……先ほどの動死体(ゾンビ)が着ていたものと同じものにも見える。

 

「最初から順に、お話ししましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の外では押し問答――王国の兵士が来たようだ。村長がその場に留めているが、時間の問題だろう。動死体(ゾンビ)がどうこうと言っているので、決して好意的な反応は期待できない。

 慌ててマーレに頼むと動く屍は只の屍に戻ったが、悲鳴をあげる騎士の上からどかさねばならない。この状況がどれだけ不味いものであるか、このマーレにわかるはずがない。エンリは心の中の大切なものを色々と捨て去っておぞましい感触に耐え、目の前の屍に挑む。

 焦るあまり得物を持ったままの腕で無理矢理に押しのけようとするが、ぬるぬると滑ってうまくいかず、諦めて足で転がしにかかる。どうにか半回転させたところで、小屋の中に陽の光が注ぎこむ。扉が開かれたのだ。

 

 

 村人が見せたがらなかった扉の向こうには、手斧を持った血塗(ちまみ)れの娘がいた。酷く損壊した屍に足をかけている。

 一人を除いて、戦士たちは次々に武器を構える。

 

「お前が動死体(ゾンビ)の主か!」「エ……エンリ!?」

 

 死を弄ぶ魔女に挑む覚悟で叩きつけるような殺気を向ける戦士たちと、腕や衣服を血に染めて血塗られた手斧を持つ見知った娘の姿に愕然とする村人たち。さらにその足元には、血で汚れた多くの金貨袋が集められていた。

 エンリは頭が真っ白になった。村長を見つけて救いを求めるように視線を送るが、村長も自分の方を見て顔をひきつらせていた。慌てて屍から足をどける。足元を見た時、自身の服が血に塗れていることに気づく。手斧からも手を離す。半歩足を引くと金貨袋を足で蹴る形になり、その音がさらに耳目を集めた。

 

「ち……ちがっ……」

 

 

 

 

 

 緊迫した空気を無視して、ガゼフが一歩前に出る。

 

「村長、奥にいるのが、話にあったマーレ殿か」

 

「はい」

 

「……マーレ殿と、この娘に話が聞きたい。村長もこの場に残ってくれ。お前たちは外で待っていてほしい」

 

 ガゼフは、目の前の血塗れの娘より小屋の奥に座る子供にただならぬ気配を感じていた。部下たちはいまだエンリの方に鋭い殺気を向け続けながらも素直に従う。この距離で王国戦士長を脅かすことができる魔法詠唱者(マジック・キャスター)などこの世界にいるはずがないからだ。

 踏み込みかけた部下たちが下がりきる前に、奥から声がかけられる。

 

「あのっ、ガゼフというのはその中にいますか?」

 

「ガゼフは私だ。名は名乗っていなかったはずだが……魔法の力か?」

 

 話に応じた事で、ガゼフは部下を制し下がらせる。扉を押さえていた者が下がると、建物の傾きのためにゆっくりと扉が閉じる。

 

「い、いえ、それに話を聞いていたら、出てきたんです」

 

 それが指しているのは、足元に転がっている男だ。大きな怪我は無いようだが血に塗れて怯えきっている。村長の説明にあった通り、村を襲った者たちなのだろう。

 

 男はあっさりと全てを話した。これまで見てきた多くの無辜の民の犠牲は、ガゼフを致死の罠へと誘い込むための贄でしかなかった。帝国騎士の鎧は偽装で、相手はスレイン法国の者。ガゼフを辺境まで釣り出し、法国の切り札の一つである陽光聖典が抹殺するという手筈だった。

 

 ガゼフは強い焦りを感じていた。罠の一端は宮廷にまで達しており、ガゼフは王国の宝でもある強力な武装を剥ぎ取られていた。その上、噂に聞く六色聖典……。周辺における最強の国家が、満を持して作り上げた完璧な致死の檻の中にいるという事実に愕然とする。

 今は少しでも味方が必要だ。それでも、そんな状況に流されることはできない。むしろ、それに真っ向から反する事を考えている自分の愚劣さに呆れるような思いもある。しかし、狡猾な計算より愚劣な正義を選ぶのがガゼフという男の本質であり、この場での選択であった。

 ガゼフは、マーレに鋭い視線を向けたまま、まずはゆっくりと頭を下げる。

 

「この村を救っていただいた事には、感謝の言葉も無い。この者たちへの尋問の方も……」

 

 損傷の激しい屍の方を一瞥し、表情を歪める。

 

「……速やかに情報を引き出すことが出来、状況を把握することができた。それも、ありがたい。しかし……」

 

 そこで一瞬の躊躇を経て、続ける。

 

「何故、動死体(ゾンビ)を使うような、屍を食わせるようなおぞましいことをしたのだ! 返答によっては……」

 

「そ、それは、エンリが教えてくれたんです!」

 

 極めて場違いな、親しみの篭った明るい声。その場の全員が、血塗(ちまみ)れの娘の方を向いて固まる。

 あの娘はせいぜい尋常ならざる気配の者に使われて血なまぐさい作業をしていたに過ぎないと考えていたガゼフも、急に目の前の魔物が二人になったような衝撃を受けていた。

 淀みない明るい声で発せられた突然の強烈な言いがかりに耳を疑ったエンリは、先程よりさらに酷い視線の暴力に晒される。

 

「えっ、なっ、わ、わたっ? っえーーーー!?」

 

 エンリの悲鳴にも似た戸惑いと驚愕の声が、小屋の外まで響きわたった。

 

 

 

 その直後、エンリはマーレの両肩を掴んでいた。絶対的な力への畏怖もそれを前にした緊張感も吹き飛んでいた。恐るべき相手に対するその気安さがますます状況を悪化させる事に気付く余裕などあるわけがない。

 

「ちょっ、わ、わたしがっ、何をしたって、いうのっ!」

 

 エンリは涙目になって、マーレをかっくんかっくんと揺らす。マーレは目でわかり合い共感するような柔らかな微笑みをエンリに向けていたが、必死の形相のエンリに揺らされているうちに少し申し訳なさそうな、おどおどした雰囲気になってきた。

 

 恐ろしい。このおどおどしたような完璧な演技が恐ろしい。無垢な天使のようなあの微笑みが恐ろしい。村中の人間をまとめて殺せるような恐るべき魔法の力より、何よりその性根が恐ろしい。

 そうだ、これは魔物だ。悪魔だ。世間を知らない子供のように見えても、幼いうちから権謀術数渦巻く貴族の世界で主の意を酌んで生きてきた魔性の少女なのだ。その主、幼い少女を貪る爛れた嗜好を持つに違いないモモンガという名の貴族も、館や城塞ではなく大墳墓などと呼ばれる場所に住むという。恐るべき魔法の力を持ち、人としての良心が欠落している少女が、そのような者に奴隷同然の立場で忠誠を尽くしているとはどういうことか。

 つまり、少女もまた蹂躙する側ということだ。領民の中から美しい娘をさらって館の奥深くに囲うような貴族は珍しくはないが、モモンガとその忠実な配下マーレは人知れず仄暗い墳墓に幼い少女を集めて嗜虐の宴を楽しんでいるのだろう。墳墓とそういう行為は本来似つかわしくはないが、モモンガが好むような幼い少女はそういう行為に耐えられる年齢では無い場合が多いのだとすれば、そういった少女たちが「壊れて」しまった時、墳墓にふさわしい、おぞましい「片付け」を行うのがマーレの役割ということか。モモンガを敬愛するマーレは、モモンガのそのような所業をも愛し、ともに楽しんでいるのかもしれない。

 

 伝説なんて都合のいい嘘だ。物語なんて気休めだ。本当の強者というものは、王国の貴族たちと同じように常に蹂躙する側にしか居ないのだ。物語の中に入り込んだような浮ついた気持ちで、不遜にもそちら側の存在に対等な口をきいた自分の運命など、最初から決まっていた。

 

「それは、どういうことなのかな?」

 

 言葉を発したのは、王国戦士長だ。静かだが威厳のある声に、エンリはぶるりと震えてマーレの肩を手放す。

 無理だ。この朴訥そうな男に魔性の少女の本質が見抜けようはずもない。火炙りか、縛り首か、吊るされ槍で突かれるのか、絶望の中でろくでもない想像を巡らす。

 罪人として王国で処断されるのは恐ろしいが、まだ想像できる範囲で済むだろう。だが、残されたネムはどうなる。村人たちにも身寄りの無い者を世話するくらいの情はある。しかし、村を救ったマーレの誘いでその主の貴族モモンガの許へ引き取られるとなれば、特に疑いも無く送り出されるだろう。その後にネムを襲うであろう絶望と苦痛は、ただ人間として一般に知られる方法で命を奪われるに過ぎないエンリとは比べようもないものになるに違いない。

 

「エンリが言ったんです。相手に合わせてあげないと、きちんとお話を聞くのが難しくなるって」

 

 エンリは絶望の中にいた。どういう理屈かはわからないが、どうせここから魔性の少女は自分をいかようにも料理するだろう。そしてガゼフには何の話をしているのかわからない。

 

「合わせるというのは、どういうことだ」

 

「え、えっと、人間っていうのは脆いですよね。うまく加減できないでちょっと壊しちゃうと、叫ぶばかりで全然話をしてくれないんです」

 

 エンリは耳を疑った。何を言っているのかわからない。そして、マーレにただならぬものを感じていたガゼフの表情が歪む。

 

「加減と動死体(ゾンビ)が関係があるのか?」

 

「きちんと脆い人間に合わせて、壊しちゃった人間を使えばちょうどよく痛めつけていけるみたいで、うまく話が聞けたんです」

 

 控えめな微笑みを浮かべ、静かだが喜色の混じる声で言うマーレ。話の内容から目を背ければ、新しいお手伝いのやり方を覚えて自慢する子供のようにすら見える。エンリはマーレの意図が完全にわからなくなった。

 ガゼフは鋭い眼光をマーレに叩きつけ、やや声を荒げる。ただならぬものを感じるとはいえ、小さな魔法詠唱者(マジック・キャスター)の言葉としては異様だ。あえて動死体(ゾンビ)を使うおぞましい嗜虐趣味にしか思えない。

 

「百歩譲って尋問のことはいい。だが、村人の前で動死体(ゾンビ)に人間の死体を喰わせたのはどういうことだ!」

 

 ガゼフの熱気に応えるものをマーレは持たない。どうでもいい事を強い調子で聞かれても困るのだ。 

 

「ま、魔法でばらばらになった人間で汚くしちゃったのを見て村長さんがびっくりしていたので、きれいにしようとしたんです。ひとつ潰して動死体を作って、ばらまいちゃったのを食べさせれば迷惑がかからないと思ったので」

 

「きれいに、だと……」

 

「時間がかかっていたので、急ごうと思ってふたつみっつ潰して増やそうと思ったんですが、エンリと村長さんが増やさないでほしいみたいだったのでやめたんです」

 

 自分の名を話の中での安全な位置に確認したエンリは、奇跡的な速さで混乱から回復した。自分の立場が、おぞましい血塗れの魔女の如き虚像から脱しかけた事に気付き、うっすらと見えてきた見えてきた安全な立ち位置に全力でしがみ付くため速やかに話に加わる。

 

「この子は、魔法で間違って飛んできたとかで、村を助けてくれた恩人なんですが、このあたりの常識が無いみたいなんです」

 

 このあたりでなければ、どのあたりの常識なら動死体(ゾンビ)が死体をガツガツ喰らう姿を人々に見せ付ける事が許されるのだ――という思いをガゼフはいったん呑みこむ。

 少なくとも、ガゼフが数日間望み続けた結果を勝ち得た、無辜の民を救ってくれた人物には違いない。ガゼフの逡巡を見てとり、村長も口を挟む。

 

「決して、決して私どもからお願いしたわけでは無いのですが、帝国の騎士を倒してくださったマーレ様が戦いの跡を気にされて、あのようなものを……」

 

 慎重に言葉を選ぶ。小さな子供の姿をした恐るべき魔法詠唱者(マジック・キャスター)の機嫌を損ねるような恐ろしい事ができるはずもないが、王国戦士長の前であのようなおぞましい所業を肯定するわけにもいかない。双方を立てつつ、安全な位置取りを考えての発言だった。

 

 

 もはやガゼフから殺気は消えていた。村を救えなかったガゼフが、村を救い感謝されている者をその村人たちの前で処断するということは考えられない。そもそも処断などできる相手かもわからない不気味さもある。

 対応を考え直そうとしたところで、騎馬を駆って部下の一人が小屋の付近へ駆け込んできた。息を弾ませながらも大声で告げるのは、既にガゼフも認識していた致死の罠の最後の一欠片、法国の誇る陽光聖典との遭遇であろう。

 

「戦士長! 村を囲むような人影が現れ、こちらに接近しつつあります!」











次こそニグンさんです。

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