マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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※前三六話を飛ばし、三五のあとで読んでも問題ありません。
※三六話から更新間隔が普段より短めです。

●前々回までのあらすじ

 エンリたち『漆黒』は、『国堕とし』こと邪悪な吸血鬼イビルアイを連れていた『蒼の薔薇』の討伐に成功した。
 イビルアイを連れ歩きたいマーレの希望に応えるため、クレマンティーヌはイビルアイを魔獣登録することを提案。
 強引にアインザックの同意を取り付け、イビルアイに獣らしい恰好を強いる。


●前回のあらまし(加虐回のため飛ばし可、読まなくても繋がります)

 全力で『漆黒』に媚びるため、少女サイズの様々な拘束具を購入するイグヴァルジ
 当然、店主はそういう趣味の上客と見て、様々ないかがわしい雰囲気のオマケを提供する
 クレマンティーヌ怖さにオマケを断れなかったイグヴァルジ。不運にも、買ってきたものが衆目に晒されてしまう。
「な、何買って来てんのイグヴァルジ、これ趣味に走りすぎでしょ」イグヴァルジの二つ名は『道具屋』に。
 そしてイビルアイは様々な拘束具を装備することになる。

 受付嬢ウィナはクレマンティーヌにハタキを奪われ、嫌な想像を必死に頭の中から追い出しながら買いに走る。
 そして、魔獣登録は魔法複写で行われ、クレマンティーヌの手元には新たな装備のイビルアイを写し出した数枚の複写が残される。
 『蒼の薔薇』のパトロンと敵対する貴族の手の者だと称する中年の神官たちは、クレマンティーヌの許可を得て着衣状態の複写を持ち帰る。

 正気を取り戻したエンリは、新たな装備を身に着けたイビルアイを連れ、夕暮れの街を凱旋。
 群衆は『国堕とし』の屠所の羊も同然の哀れな姿に衝撃を受け、投石を目論んだ者さえもその石を取り落とす。












第八章 バハルス帝国へ
三七 鮮血帝の目は誤魔化せない


 エンリが正気を取り戻したのは、冒険者組合でクレマンティーヌたちと合流する殆ど直前のことだ。

 そこは、待ち合わせ場所でもある宿の一室。エンリが正気を失った場所と変わらない景色の中に、他人の姿は無い。

 

「……ひっ!」

 

 エンリはマーレの掌の上の死の宝珠に怯え切った視線を向ける。一瞬感じた宝珠への強い渇望は、すぐに宝珠の側から断ち切られた。

 エンリは知っている。死の宝珠は手放した者に耐えがたい渇望を強いる力を持っている。

 しかしエンリは知っている。死の宝珠はマーレに忠誠を誓っている。マーレに逆らってその力を行使することはできない。

 そしてエンリは覚えている。死の宝珠に支配されていた間の記憶は全て覚えている。自分の口から出た物々しい言葉ばかりではなく、聴衆の反応や表情まで、隅々までしっかりと残ってしまっている。

 

 記憶を反芻した後のエンリは、嘔吐物を吐き散らしたところで色々と()()()()()()。居なかったはずのミコヒメの姿が見えたり、エンリ(正気)ではないエンリ(死の宝珠)が再び体を支配してンフィーレアの差し出した沢山の薬を飲んでいたり、記憶に混乱が見られる。

 

 朦朧とした状態で、マジックアイテムである法衣を着たまま嘔吐物を洗い流され、仕上げだという薬を渡され、身支度を迫られる。

 待たせているのは、クレマンティーヌ。この状況、この精神状態を決して知られてはならない相手だ。

 エンリは許されるならその場でしゃがみ込み、ずっと頭を抱えてうずくまっていたかった。寝床があれば、一日中、いや、三日三晩でも布団をかぶって暮らしたかった。

 故郷のカルネ村では働き者と言われたエンリだが、この街では許されるなら部屋に閉じこもって何もしたくない。もちろん、今すぐカルネ村へ帰してくれるのなら、すぐに働き者に戻ることができる。見渡す限りの広大な麦畑でえんえんと雑草取りに取り組むのもいいだろう。きつい抜根作業だって厭わない。狩人が取ってきた獲物の処理のような血なまぐさい仕事だっていい。今の自分なら、いざという時に魔物と戦って村人を守ることだってできるかもしれない。

 つまりは、この街の人々に会わなくて済むのなら何でもいい。ゴブリンやオーガより人間が怖い状況だ。

 

 しかし、エンリがこの場に()()()時、冒険者チーム『漆黒』のエンリとしての仕事はまだ残っていた。マーレが迎えに来るまで正気に戻れず、そのマーレが転移魔法を使うのだから、その仕事に戻るまでにろくに猶予さえ与えられない。それを後押しするように差し出されるンフィーレアの怪しげな薬の数々も恨めしい。

 

――気持ちの整理を薬でつけさせようなんて、ちょっと酷い。

 

 その時、エンリはンフィーレアを恨みかけた。元凶のマーレはもはや天災のようなもので、考えても仕方ない存在だからだ。不条理な考え方かもしれないが、それは『漆黒』の関係者全員が受け入れていることだ。

 しかし、ンフィーレアも悩んだ上の判断だと言う。

 

「大変なところで戻ってもらうのは気の毒だけど、ここで本当のエンリに戻っておかないともっと大変なことになると思うんだ」

 

 そして、その判断は正しかった。エンリの心を完膚なきまでに痛めつけたが、それでも正しかった。

 冒険者組合では、何故か建物の外へ机を出していた受付嬢イシュペンに骨の竜(スケリトルドラゴン)のことを聞かれた。あれを街へ持ち込むような非常識な人間だと思われていたことが残念だが、押しの強そうな雰囲気の割に深追いされなかったのは助かった。

 

 

 魔獣登録のためだとして、拘束具のみを身に着け肌も露わな「獣らしい恰好」にさせられたイビルアイ。それを見た瞬間、エンリは意識を手放しそうになった。

 そこにはマーレも、クレマンティーヌもいる。死の宝珠の恐怖が去っても、この二人が居ることに変わりはない。エンリが正気とともに取り戻したのは、変わることのない狂気の漂う危うい日常だ。

 ここでは、エンリは狂気を装う。正気であれば間違いなく取り乱すところだが、弱みを見せられないクレマンティーヌの前ではそれさえも許されない。幸い、水のように飲み干した大量の鎮静薬の効果は残っており、心の粟立ちは生じた端から抑えられていく。

 

 そこからはクレマンティーヌの段取りに流されつつ、一足先に囚われの『蒼の薔薇』と会う。イビルアイのような恰好ならどうにかしなければと思ったが、こちらは普通に拘束されているだけだった。

 ラキュースとティアは仲間の死体の埋葬を拒み、自分たちで持ち運ぶという。暴れられても困るので、二人の手がそれで塞がるのは都合が良い。

 

 そして、『蒼の薔薇』の生き残り三人の対面はエンリの前で行われる。

 

「私たちは、あなたたちを絶対に許さない。今は敵わないけど、いつの日かきっとイビルアイを助け出す」

「手段は選ばないし、リーダーにも選ばせない」

 

 ラキュースとティナの敵意がエンリへ真っ直ぐ突き刺さる。

 轡をかまされたイビルアイは哀し気な目を向け、仲間たちの思いを拒むように首を横に振る。

 エンリは薬の鎮静効果に身を委ね、感情の篭もらない目でじっと二人を見つめながら今後のことを考える。クレマンティーヌだけでなく『蒼の薔薇』にも命を脅かされるとなれば、マーレと別れた後に明るい未来は全く見えない。

 

――今は、考えるのをやめよう。

 

 暗い考えが鎮静効果を上回れば不味いことになるかもしれない。クレマンティーヌにも『蒼の薔薇』にも弱みを見せることは未来の死に直結する。

 

 

 こうして、エンリはクレマンティーヌの狂気のシナリオに身を任せた。

 その先にあったのが、あの凱旋だ。

 

【挿絵表示】

 

 薬の鎮静効果が緩む中、エンリはイビルアイの拘束具から伸びる鎖を持たされて街を練り歩いた。沢山の群衆にその姿を見られた。

 これも、死の宝珠の所業を考えればやむをえないことだ。強者のふりをしなければならない以上、戦いの身代わりについてもクレマンティーヌに知られるわけにはいかない。さらに、『蒼の薔薇』にも知られてはならない。エンリが弱点だと知られれば、この日の勝利も無駄となってしまうかもしれないからだ。

 エンリはそれまでの死の宝珠の所業と矛盾なく振る舞うため、薬の効果が緩んで狂気のシナリオに抵抗を感じた後も、それを続けざるを得なかった。そのまま鎖を持たされ、晒し者になった。本当につらかった。

 

 それでも、正気のエンリがその役割を担ったのは正しいことだ。

 心に居座られていたエンリには、死の宝珠の行動パターンが手にとるようにわかる。わかってしまう。

 

 死の宝珠ならば、クレマンティーヌの求めに応じてイビルアイに騎乗するどころか、骨の竜(スケリトルドラゴン)とともに出現した時のように、その背に立って移動したことだろう。

 クレマンティーヌの勧める鞭を抵抗も無くその手に取って、裸同然の哀れな少女にしか見えないイビルアイにそれをふるったことだろう。

 『蒼の薔薇』に対しても、死体を動死体(ゾンビ)にして歩かせたり骨の竜(スケリトルドラゴン)に引きずらせたりしたことだろう。

 さらにその場で、群衆に向かってどのようなことを言い放つかなど、想像もしたくない。

 

 だから、エンリがエンリとして(死の宝珠から解放された状態で)突然このような状況に放り出されたのは、仕方がないことであり、そして必要なことなのだ。

 

 

「轡は馬用ではよくなかったですか」

 

 宿の前でイビルアイの轡を眺めていた時、先輩冒険者のイグヴァルジが変なことを聞いてきた。

 

「……馬用って、人間みたいな姿なのにおかしいと思わないんですか」

 

「そうですか……申し訳ありませんっ」

 

 あまり気力が無かったので投げやりに答えると、何故か恐縮して走り去ってしまった。

 それにしても轡といったら馬用しか無いだろうに、少し変なやりとりだ。彼もクレマンティーヌにつき合わされて疲れていたのかもしれない。

 

 

 

 ともかく、問題は全て片付いた。

 街中を凱旋させられたのは、エ・ランテルからの永久追放となった『蒼の薔薇』を街の外へ放逐するためだ。

 クレマンティーヌが色々と脅していたようで、それぞれに死体を背負った二人は無言のまま街道を王都方面へ歩いていった。

 邪悪な吸血鬼とその仲間たちの大粒の涙に心がざわつくのは、冒険者として未熟だからかもしれない。経緯はともかく、相手は冒険者組合からも四大神全ての神殿からも討伐対象となった存在だ。

 しかし、冒険者という命の奪い合いをする仕事にそういう覚悟の無いまま就いたのだから、これは仕方のないことかもしれない。

 

 その後、組合へ戻ってクレマンティーヌが他の冒険者に鑑定させながら剥ぎ取ったという『蒼の薔薇』の様々なマジックアイテムを回収した。全てを奪うようなやり方に驚いていたら、死体に巻いて蘇生魔法を助けるマジックアイテムを奪わなかったことをクレマンティーヌに謝られた。『蒼の薔薇』が面倒を起こさないためだというので咎めるつもりはないが、最大限に恨みを買うようなことをして、蘇生のチャンスにだけ配慮するクレマンティーヌのやり方に対しエンリは溜息しか出ない。

 

「蘇生を使えるラキュースを残したってこと自体、二度三度殺せて楽しめるって意味もあるんでしょーし」

 

 それは貴族の家からの仕返しを恐れての判断だったが、クレマンティーヌは違うことを考えていたようだ。

 そんなクレマンティーヌには、疲れて引きつった顔に歪んだ笑みを向けるだけで応えておく。否定したくても、死の宝珠(昼間のエンリ)と違和感の無い形で話ができる気がしない。身代わりを秘密にしなければならないことで、何もかもがクレマンティーヌのペースで進んでしまう。

 

 さらに組合では、何故か新品のハタキをしっかりと胸元に抱え込んだいつもの受付嬢にいつも以上に嫌な目で見られ、これまで堂々と接してくれていた組合長の怯えたような視線もつらかった。気が重いが、冒険者組合で何があったのか――正しくは、何をしでかしたのか――少し気力が戻ってからクレマンティーヌにしっかりと聞いておくべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、宿へ戻る頃にはエンリは憔悴しきっていた。

 この日は注目され過ぎていた。バレアレ家に戻れば迷惑がかかるため、全員で宿に泊まるつもりだ。

 

――あとは何もかも忘れて、休むだけ。

 

 そう思っていたところへ、とんでもない来客が現れた。

 

 当初その四人組には、表面上は友好的な関係を築けそうな雰囲気があった。仕事に関係ない部分では、なるべくエンリや『漆黒』の所業に関心を持たないようにしてくれている。積極的にあら捜しをしてきた『蒼の薔薇』とは大違いだ。

 もちろん、『蒼の薔薇』討伐の労をねぎらう際はいくらか距離を置くような態度をとっていたが、それは今日の一部始終を少しでも見られていれば仕方がないことだ。エンリでもそうするか、できれば近寄りたくもない。目も合わせないかもしれない。

 ただ、問題はその後で、彼らは驚くほどあっさりと、エンリたちが看過しえない言葉を口にしたことだ。

 

「実は、エンリさんは偽物――などというのは失礼ですが、本当はあまり強くないんじゃないかと考えていたんです」

 

「昨日まではあんな魔法を使えるようには全く見えなかった。今も同じで、昼間とはまるで別人のよう」

 

 神官の男と魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女の言葉に、エンリとンフィーレアは一気に顔色を失った。

 

 

 

 

 

 来客は、普段バハルス帝国で活動しているというワーカーチーム『フォーサイト』の四人組だった。衛兵や旅人では無い神官、街娘などバラバラに装った恰好はワーカーのそれには見えずチームとしての統一感もないが、『蒼の薔薇』に感づかれないよう街に溶け込むためだという。

 爆弾発言をしたのは神官のロバーデイク、手に持った杖から魔法詠唱者(マジック・キャスター)とわかる少女はアルシェと名乗った。あとは軽装の戦士ヘッケランと、おろした髪に違和感のあるレンジャーのイミーナ。この二人は、なんとなく距離が近い。

 

 彼らの目的自体は、そう悪い話ではない。帝国の立場のある人間が内密の依頼をしたいので、帝都まで会いに来てくれるだけで報酬を出すという。少なくとも、早いうちにこの場を逃れたいエンリやそれを察しているンフィーレアには魅力的な申し出だ。

 そのことに安心して、和やかに打ち解けたことで明かされたのが、「エンリが偽物」だという昨日までの彼らの認識だ。

 

 苦難の一日は、まだ終わっていなかった。言葉が、状況が、エンリの疲れ切った心に鞭を乱打する。

 

 ロバーデイクは半信半疑といった雰囲気だが、アルシェは何かが見えているかのように確信に満ちた視線を送ってくる。そして、アルシェの確信が昼間の戦いを見ていたという『フォーサイト』全員に伝播しているようにも見える。

 エンリとンフィーレアは一瞬の目配せの後、言うべき言葉を必死に探る。

 クレマンティーヌはこれから起こることを楽しむかのように、エンリとアルシェの間で興味深げな視線を往復させる。

 何かに気付いたというよりは、無礼な少女がどういう目に遭うかを楽しみたいような雰囲気だ。クレマンティーヌに席を外してもらって口止め、などという手段はとれそうにない。

 

 

 

 

 

「……思っていた、というのは、何か理由あってのことですか」

 

 ンフィーレアは思考を整理してからエンリの状態を一瞥し、どうにか言葉を絞り出す。まずは、相手の出方を知らなければどうにもならない。

 エンリの対応は期待していない。死の宝珠に支配された状態で群衆の前に出た記憶について心の整理がつく前に、イビルアイのあの姿、さらにあの凱旋だ。ンフィーレアでも同じ立場に立たされれば、この危機に対応するほどの余力は残らないだろう。

 ただ、憔悴しきった状態で顔をしかめるエンリは、一回りして死の宝珠に支配されていた頃と比べても違和感があまり無くなっている。見ようによっては、少し怖い雰囲気だ。『フォーサイト』が居なければすぐにでも薬を追加したいところだが、今はこのままの方が都合が良い。

 

 『フォーサイト』の四人は顔を見合わせると、戦士のヘッケランが口を開く。周囲の態度から、この男がリーダーのようだ。

 

「失礼とは思うんですが、仕事に関わる事なんです。実のところ、これは依頼人の判断なんです。今となっては何かの間違いだと考えるしかありませんがね」

 

「遠い帝都でそう判断するというのは、それなりに理由があってのことですか? 知っているようならお聞かせいただきたいのですが」

 

「判断材料が入ってくるという時点できな臭いよね。ただの妄想好きが会うだけで報酬ってのもおかしい。何者なの?」

 

 そんな判断をした依頼人については知っておかねばならない。ワーカーにいきなり依頼人のことを聞くのも気が引けたンフィーレアは遠回りな質問に終始するが、クレマンティーヌには遠慮が無い。

 

「……秘密は、守っていただけますか?」

 

「冒険者が依頼を受ける以上は、当たり前のことです」

「当たり前、です」

 

 どうにかエンリが話についてきた。エ・ランテルから逃げたい気持ちが支えになっているのかもしれない。

 

「表向きの依頼人は下級貴族のエイゼル家ってことになっているんですがね、実際に会ってもらうのはバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下ってことになります」

 

 

 

「はぁ? 鮮血帝が!?」

 

 各国要人の名前を聞いてすぐに反応できるのはクレマンティーヌだけだ。帝国皇帝ジルクニフは帝国民からの評判は悪くなく、むしろ名君と呼ばれる部類の皇帝だが、権力掌握の過程で貴族等へ苛烈な粛清を行ったことから鮮血帝と呼ばれていた。

 

「俺らは詳しく聞いてるわけではないんですが、依頼人はカルネ村で起こったことをご存じの上で、あなたがたを密かに帝国で保護したいと考えているそうで」

 

「法国の敵を抱え込むならこっそりっていうのはわかるけど、鮮血帝って大胆な人だねー。とりあえず法国出身の私は顔を出さない方がいいのかな」

 

「いえ、クレマンティーヌさんですよね。あんたが来てくれないと俺らは報酬が出ないんですよ」

 

「……は?」

 

「ははっ、鮮血帝の目は誤魔化せないってことです。間違いもあるようですが、大体の力関係程度は聞いてきているんですよ」

 

 ヘッケランは訝しげな視線を向けるクレマンティーヌに人懐っこい笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、場面は十日以上遡る。

 

 

 帝都アーウィンタールにカルネ村での事件の概要が伝えられるまで、リ・エスティーゼ王国の王城ロ・レンテ内で王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが『カルネ村の協力者』についての報告を行ってからそれほど時を要さなかった。

 王国の内通者からの情報は、それだけではバハルス帝国の聡明な若き皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスにとって充分なものではなかった。決定的なピースの欠けたパズルを前に、空中にメモをとるように考えを書き出していく皇帝のいつもの動作にも精彩を欠いていた。

 

「厄介ごとですぞ――」

 

 部屋に入ってきた帝国主席宮廷魔術師フールーダ・パラダインも追加調査を行っていたが、充分な情報を得ることができなかった。そのことが、温厚な「じい」を珍しく興奮させていた。

 それは、すなわち『カルネ村の協力者』が、フールーダと同等あるいはそれ以上の魔法を行使する者であるかもしれないということだ。もちろん、そうと決まったわけではなく――。

 

「ガゼフ・ストロノーフが嘘をついて何かを隠している、ということもありうるな。じいには残念かもしれないが」

 

 ガゼフの報告は不自然なもので、ジルクニフにとっては何かを隠しているであろうことは想像に難くない。

 ジルクニフが新たな可能性を示唆すると、フールーダの熱気あふれる喜びの表情に曇りが生じた。

 

「確かに、報告は具体性に欠けますな。魔法なのやら直接攻撃なのやら――全てが前者であればと望んではおりましたが、これでは……」

 

「それもまだわからん。それに、じいでも見つからないのなら本当に村や周辺には何も無いのだろう。突然強者が湧いて出るはずもないし、法国が見逃すとも思えん。エ・ランテルからの追加の情報を待つしかないだろう」

 

 

 

 結局、エ・ランテルからの情報にも決め手となるものまでは無かったが、後に帝都に到着した一人の剣士がパズルの最後の一ピースとなって、ジルクニフは一つの結論に至る。

 

 その剣士の名はブレイン・アングラウス。エ・ランテル方面からの情報を統合すれば、彼は『カルネ村の協力者』として名の出ていた冒険者エンリの一行に敗れたことになる。帝国最高の四騎士を凌ぐほどの使い手というだけでも有り難い人材だが、さらに重要な情報を持ってきてくれたとなれば、後の調査で後ろ暗い過去が垣間見えたところで問題にはならない。

 傍に控える四騎士の一人バジウッド・ペシュメルが、ジルクニフに促されるまま直近の手合わせを振り返る。

 

「実際手合わせしてみたら、冷や汗が止まりません。あれは本物の殺しの剣です。一対一ならガゼフ並みかそれ以上か、違った怖さがあります」

 

 そんなバジウッドの評価一つで、召し抱えることは確定だ。ジルクニフが力量だけで人を得るのは珍しいことではなく、四騎士の中には忠誠心を期待されていない者さえいるほどだ。

 そして、ブレインの証言と付き合わせれば、エ・ランテル方面の情報もそれなりに意味を持つものが出てくる。

 

「さて、じいには気の毒だが、法国の部隊長を倒したのは魔法ではなかったというのが結論だ。もちろん、ガゼフの報告通りに辺境の村に隠遁していた強力な魔法詠唱者が居たという可能性もゼロだとは言わないが、状況と新たな情報から見ての話だ」

 

「いえ陛下。もとより期待は薄いものと考えておりました。辺境の村にいきなり強力な魔法詠唱者が湧いて出るなど、魔法を知らぬ者の浅知恵ですぞ。特に高位階の魔法は、師も書も無い開拓村で学べるものではありません」

 

 魔法というのは自然発生するものではなく、長い時間学んだ積み重ねとして身につけるものらしい。それを語らせると長くなるため、ジルクニフは早めにこれに同意しておく。

 

「じいの言う通りだな。そんなことを考えたのは魔法を知らない者――すなわち、実際に現地で法国の部隊と戦ったガゼフと協力者ということになるだろう。王国では魔法は軽視されているから、この計画にエ・ランテルの都市長などが噛んでいてもおかしくはない」

 

「魔法がでっちあげだって言うくらいなら、陛下はもうその目的までわかってるってことですか」

 

 バジウッドが少し身を乗り出して問うのは、『カルネ村の協力者』が戦士かもしれないという話を既に聞いていたからだ。ブレイン・アングラウスという存在だけでも驚異的なのに他にも似たようなものが居るというのだから、無関心ではいられない。

 

「ああ。ガゼフとともに法国の特殊部隊を撃破したのは、戦士だ。それも、存在を隠蔽しなければならないほどの者であり、かつ、法国の罠を食い破れるほどの力を持つ者。さらに、法国の奸計を察知しその場に居合わせる必然性もある。ここで、すべてが繋がったのだよ」

 

 フールーダは自身が創設した魔法学院の優秀な生徒を見る時のような優しい目でジルクニフを見る。この「厄介ごと」に関わった当初のようなギラギラした瞳の輝きは影を潜めているが、こうした場でそんな魔法の深淵を求める時のフールーダなど見られる方が珍しい。その多くを知るジルクニフから見ても、今が本来のじいの姿だ。

 ジルクニフは自らが空中に書き留めた考えをまとめて幻視するように宙へ斜めに視線を走らせると、小さな咳払いをしてから口を開く。

 

「エ・ランテルで冒険者になったという『カルネ村の協力者』、血塗れの魔女エンリとかいう女だそうだが、そんなものは最初から存在しないのだ。いたとしても、それは本当に偽装も同然の、取るに足らない存在でしかないだろう」

 

 ジルクニフは自信を持って『血塗れの魔女』の虚構を看破する。

 

 毎年続く王国との戦争においてエ・ランテル都市長の離間策なども検討にのぼったこともあって、ジルクニフはエ・ランテルの都市長が自らの評判さえ偽装するようなやり手の人物であることまで知っている。もちろん、ガゼフ・ストロノーフと協力関係になりうる立ち位置であることも。

 

「エンリというのは、都市長パナソレイの手の者か、あるいはガゼフらに助けられた村人あたりであろう。これを冒険者組合が特別扱いしていたというのも、真実を隠すための偽装に過ぎない」

 

「そんな面倒なことをしてまで隠すってのは――ブレインが戦ったっていう、あの?」

 

「そうだ。奴らが躍起になって隠しているのが、かのガゼフ・ストロノーフに匹敵する剣士ブレイン・アングラウスさえ敗れたという、クレマンティーヌという女戦士だ。この者は、最近漆黒聖典を裏切ってスレイン法国を去ったと聞いている」

 

 ジルクニフが『漆黒聖典』の名を口にすると、フールーダはその脅威について語る。それは、帝国最高の、いや人類最高の魔術師であるフールーダ・パラダインに帝国最高の四騎士を加えても決して勝利を約束できない、スレイン法国最強の特殊部隊だ。

 

「奴らはクレマンティーヌから法国の内情をつかんだことを隠すため、そして何より味方となったクレマンティーヌの存在を隠すため、その隠れ蓑として『血塗れの魔女』をでっちあげたのであろう」

 

 果実水のグラスを手に取り、ジルクニフは心地よく喉を潤す。

 

「クレマンティーヌは漆黒聖典を裏切ってエ・ランテルでエンリと同行している。実際に戦ったというブレイン・アングラウスから聞き取らせたところ、エンリ一行は殆どクレマンティーヌが一人で戦い、他はせいぜい高位階の回復魔法に支援魔法があったかどうかだという」

 

 帝国四騎士をも圧倒するブレイン・アングラウスが直接戦ったことによる分析ならば、信頼せざるをえない。

 

「陛下、支援魔法を甘く見てはいけませんぞ。帝国戦史においても、戦場にあってより大きな成果をあげてきたのはむしろ攻撃魔法より支援魔法と言えるでしょうな。一流の魔法詠唱者というものは、攻撃魔法ばかりに頼らず臨機応変に戦況を見て――」

 

 フールーダの講釈は、始まると長い。

 

「今問題にしているのは魔法詠唱者ではなく、クレマンティーヌの方だ。じいの話は後で聞かせてもらうさ。――で、このクレマンティーヌという女は、仲間に攻撃魔法などを使わせることなく、一人で現れたブレイン・アングラウスと堂々と一騎打ちを行い、さらに敗色濃厚だったブレインを生かしたまま逃がしている」

 

「ブレインから直接聞いた話では、どうにも少しイメージが違うんですがね。あと、正体を隠さず名乗ってますが」

 

「そのイメージというのも、演技だろう。王国関係者から演技するよう頼まれていても、一騎打ちの相手には本当の名を名乗ってしまう。まさに私が考える通りの存在だ」

 

「はあ。そんなもんですか。――ところで、スレイン法国の漆黒聖典を裏切ってあの王国なんかに行く理由なんてあるんですかね」

 

 バジウッドが疑問を口にする。帝国や法国の中枢にある者なら、リ・エスティーゼ王国にろくな未来が無いであろうことは誰でもわかることだ。

 しかし、話題をそらされた形のジルクニフは、我が意を得たりという風な笑みさえ浮かべる。

 

「その理由にも繋がる話だ。一言でいえば、クレマンティーヌという女は――正義を重んじる誇り高い戦士なのだろう」

 

「正義……ですか?」

 

「そうだ。義の人クレマンティーヌは、ガゼフ・ストロノーフを罠にかけるために国境の村々を襲撃するというスレイン法国の計画に憤慨し、ひとり漆黒聖典を裏切って出奔した。そして、ガゼフ・ストロノーフとともに村人を救い、ともに法国の罠を食い破ったのだ」

 

「確かに話は……繋がりますか。完璧に」

 

「義の人クレマンティーヌを隠すため、同行するエンリの悪評を立たせる。戦いの勝利は魔法詠唱者(マジック・キャスター)によるものとする。出来る限りクレマンティーヌにもエンリの従者として演技をさせる。奴らもここまですれば完璧に隠せているつもりなのだろうが――」

 

「所詮、魔法に疎い王国の者たちらしい浅知恵ということですな」

 

「なるほど……さすがは陛下です。陛下の洞察力を前にすれば、王国の半端な策士程度ではどうにもなりませんね」

 

 ジルクニフは、そしてフールーダは確信を持って王国側の意図を読み切る。

 バジウッドもようやく説明を理解し、納得の表情になる。

 普段全くおべっかを使わないバジウッドだけに、その賛辞は本物だ。魔法に明るくないバジウッドから見れば、王国も十分に策を尽くしているように見える。

 

「いずれは誰もが読み取る事だろうが、この段階で気付くことができたのは僥倖だ。法国の諜報網は大災害以来かなり弱っているとはいうが、出奔したクレマンティーヌにとって脅威でないわけではなかろう。クレマンティーヌにはその危険を伝えつつ、我が帝国ならば安全を提供することができると伝えれば良い」

 

 ジルクニフはちらりとフールーダに視線を送る。帝国においては人類最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダの存在こそが、他国からの魔法的手段での諜報活動を防ぐ最大の抑止力となっている。その防御は相手が国力に勝るスレイン法国であっても万全だ。

 

「召し抱えるつもりですか」

 

「当たり前だ。義の人といっても、ガゼフ・ストロノーフと違って王国に忠誠心など無く義憤で動いただけであろうし、法国中枢にあった者ならば王国より我らの方が善政を敷いていることも理解していよう。情が移る前にこちらへ来てもらおうではないか」

 

 ブレイン・アングラウスに加えクレマンティーヌを得られれば、以前のようにガゼフ・ストロノーフ一人の猛攻で戦況を覆されることも無くなる。

 これは王国との戦争においても、極めて重要な戦力となる。

 

「今年の宣戦布告は少し遅れているが、クレマンティーヌを帝都に迎えたらすぐに出せるよう準備せよ」

 

 戦争は王国の国力を削ぐために行う毎年恒例のもので、今年は王国領で起こった事件の趨勢を見極めるまで手控えていたに過ぎない。

 それが王国の戦力を著しく増強するものでなく、ましてそれに関わる者を帝都に招くことができるのなら、手控える必要などなくなる。

 

 ジルクニフは秘書官のロウネ・ヴァミリオンを呼び、ワーカーを使う前提で帝国情報局に指示を出して手筈を整える。

 法国との関係もあるため、騎士を迎えにやるようなことは絶対にできない。誠意としてクレマンティーヌ本人には皇帝の名を出すにしても、送り出すのはワーカーで、依頼人は無関係の貴族という形を取ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後、クレマンティーヌ、あるいはそれが同行する冒険者チーム『漆黒』を帝都へ招くという依頼を受けたのがワーカーチーム『フォーサイト』だ。

 『フォーサイト』がエ・ランテルに乗り込んだのは、エンリたち『漆黒』がトブの大森林から戻らず、『蒼の薔薇』が『漆黒』についての調査を続けている間のことだ。さすがの鮮血帝も『蒼の薔薇』の行動までは読むことができず、戦力面で遥かに劣る『フォーサイト』では任務の秘密を守るため傍観せざるをえなかったという。

 


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