マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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※ 加虐回です。加虐行為が問題無い方はどうぞ。そうでない方は読み飛ばして次の三七話をお待ち下さい。
※ 元々警告タグ「R15」「残酷な描写」を了解の上でお読みいただいていると思いますが、そればかりの話になるので飛ばせるようにしました。(拷問でなく加虐です。血や臓物とは少しズレた方向なので、そちらを期待した方はすみません)
※ イビルアイの逆境が苦手な方も、読み飛ばして次の三七話をお待ちください。
※ 【三五 イビルアイを連れ歩く方法】から、比較的短い期間での更新となっています。前話をご確認の上、加虐行為が問題ない方はお読み下さい。

●前々回までのあらすじ

 正体の発覚した『国堕とし』とそれを連れていた『蒼の薔薇』の討伐に際し、エンリはマーレの提案に従い「身代わり」に戦ってもらうため死の宝珠を手にとった。
「これは決闘ではなく、懲罰である!!」
 『漆黒』はエンリ(死の宝珠)が呼んだ二体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の守りと、マーレの魔法が込められたクレマンティーヌの武器の力で『蒼の薔薇』に勝利
「これは吸血鬼(ヴァンパイア)と手を組んで街を脅かした邪悪な『蒼の薔薇』に対する、エ・ランテルの全ての者の勝利だ」

●前回のあらすじ

 『蒼の薔薇』はいったん捕縛し、プレートを剥ぎ取っておく。冒険者資格剥奪は既成事実化。
 マーレはイビルアイを確保する。そのためにクレマンティーヌには秘策があった。
 それは、『魔獣登録』というシステム。
「魔獣の分際で人間様みたいに服を着てるってのは駄目かもしれないね」
 アインザックの言葉尻を捉え、公然とイビルアイの服を剥ぎ取るクレマンティーヌ。
 冒険者組合大広間――衆人環視のその場所で、魔獣イビルアイは生まれたままの姿となった。



三六 首輪の少女【加虐回・飛ばし可】

 イグヴァルジは走る。

 

 『漆黒』――『血塗れの魔女』エンリとその取り巻きたちが邪悪でありながら何者も対抗し得ない強大な存在だということは、クレマンティーヌという存在を理解した時からなんとなく悟ってはいた。しかし、イグヴァルジは『蒼の薔薇』なら何とかしてくれると思いたかった。そして、そこへ肩入れしてしまった。

 ただ、囚われた吸血鬼――王国でも二百年も昔から伝わる伝説の『国堕とし』の哀れな姿を目にしてしまえば、否が応でも認めざるをえない。あれほどの存在を、それも力で従えることが出来るのであれば、その力を抑えられるものなどこの国に、いや、人の世界全体を見回してもいるはずがない。

 

 『蒼の薔薇』の敗北を目の当たりにする頃には、イグヴァルジの心を支配していたのは恐怖だけだった。

 

 クレマンティーヌの態度を見ればわかる。鎧を盗み出すという『蒼の薔薇』の短絡的な行動によって、おそらくイグヴァルジが情報を与えたことも露見している。決闘の場でエンリが高らかに宣言した「懲罰」は、自らのもとにも下されるかもしれない。

 もうお終いだ――実際、イグヴァルジはそう感じていた。

 英雄を夢見て、必死に鍛錬と命を賭けた冒険を繰り返し、徐々に階段を昇ってきた。そんなイグヴァルジは、横手から現れてたったニ、三歩で頂点へ昇りつめた強大な存在によって、あっさりと踏み潰されるのだ。

 

 それでも、ここで逃亡すれば完全に敵対者となる。相手は、あのクレマンティーヌでも逃げられないという存在だ。

 だから、『蒼の薔薇』の声を罵声で塗り潰した。『漆黒』の勝利に喝采を送った。チャンスがあれば土下座だってする。そのつもりで今回、決闘を観戦したのだ。

 

 そして、クレマンティーヌが組合へ戻る途中に自分を呼びつけ、吸血鬼(ヴァンパイア)のために首輪を買ってこいと命じた。これに一切の躊躇無く従うのは当然のことだ。恐怖を感じながらも誰よりも卑屈に彼女の意図を察し、拘束のための他の品物まで提案できたのは、これ以上強者同士の争いに巻き込まれたくないという思いばかりでなく、自身が危機に陥ったのは『蒼の薔薇』の浅はかな行動のせいだという仄暗い怒りの感情に駆られたからだ。そのうち一人が邪悪な吸血鬼だったとなれば、そこへ負の感情をぶつけることに何の躊躇もない。

 

――ざまあみろ。あいつを踏み台にして、俺は絶対に生き延びてやる!

 

 邪悪な吸血鬼(ヴァンパイア)が『蒼の薔薇』の仲間だったということは群衆の前で明らかになった。そんな者たちがイグヴァルジを危険に晒したのだ。ならば、その危険から逃れるために『蒼の薔薇』が守ろうとした吸血鬼(ヴァンパイア)に何をしたって構わないはずだ――イグヴァルジは胸の奥から湧き上がる感情を抑えられず、嘲笑した。

 

 考える。走る。買う。走る。走る。

 

 息を切らせず街の中を走り回り、知恵を絞る。そんな状況で研ぎ澄まされた判断力が衰えないのは、イグヴァルジがミスリル級冒険者チームのリーダーである証だ。

 

 媚びる目的でしかないイグヴァルジの提案をうけたクレマンティーヌは深い笑みを浮かべ、上機嫌な様子で様々な要望を語ってくれた。それに従い、驚くべき短時間で幾つかの鍛冶師や騎馬装具師などを巡っていく。

 別に倒錯した趣味を持っているわけではない。これは冒険者として蓄積された経験に裏打ちされた調査能力の賜物だ。馴染みの娼館で情報収集も行い、特殊な装具を扱う店まで紹介してもらった。残念ながら幼い少女に丁度良いものは無かったが、特注の場合の納期などまでしっかりと聞いておく。

 

「俺は、何をしているんだ……」

 

 ふと荷物を眺め、イグヴァルジは呟く。

 クレマンティーヌが冗談のような言い方で挙げたようなものまで用意するのは、『蒼の薔薇』に味方するつもりはないという意思をより明確にするためだ。

 媚びるのは呆れられるくらいで丁度良い。元々、泥をすすってもこの世界でのし上がると決めて今日までやってきた。本当に命の危険が迫った今、靴を舐めるような行為さえも厭うことはない。

 

「迷う? ……馬鹿な。俺はこの世界で生き延びるためなら何でもすると決めたんだ。この程度のことで……」

 

 イグヴァルジは袋の口を開いて、荷物をじっと見る。

 

「いかがわしい……変態みたいだ……」

 

 ただクレマンティーヌの要望や軽口に応えて用意したものたちを眺めただけで、不安とも迷いともいえるものが、心の底からこみ上げてくる。

 

 

 鉄板の仕込まれた革首輪は、小柄なイビルアイに使えるようその場で穴を増やして調整してもらった。少女の姿をした吸血鬼に使うのだと説明したが、店主の生暖かい視線は最後までそのままだった。

 イグヴァルジにはそのような趣味は無いが、まともな人間の子供が相手なら鉄板の入っていない普通の革首輪で十分なのだから、品物を見て本当に危険な相手を拘束するのだと理解してほしいところだ。「俺が使うわけじゃない、恐ろしい姐さんの命令で――」などと言っても含みのある表情は変わらず、そんな店主の態度には本当に納得がいかなかった。

 そこで購入した革手錠には幾つか種類があって、腰に装着するベルト固定式の革手錠に、手足をあわせて固定する八の字の革手錠、そして手足を個別に拘束する革の手錠に足枷も購入し、首輪と同様に調整してもらった。それぞれ鉄板入りの頑丈なもので、全てが鎖を繋ぐことができるようになっている。繋いでよし吊るしてよしとの説明もあった。足枷につける鎖付きの鉄球は迅速な調達(パシリ)の障害になるので冒険者組合への配達をお願いした。

 その他、これらのものを言い値で買ったことによる様々なオマケについては、勧められるがままに受け取っておいた。もし勝手に断って、そのことがクレマンティーヌの耳に入ったら大変だから仕方がない。「姐さんとやらによろしく」と言われれば、万難を排してもよろしく受け渡さねばならない。

 オマケには統一感というものが無い。幅広な革の目隠しや木製の反り返った茸のような形状の棒までは理解できる。しかし、どぎつい赤色の蝋燭や、大ぶりなボトルかデカンタの栓のようなものは売れ残りの雑貨にしか見えない。ワイヤーに沢山の小さな鉄球を通したものは武器か何かだろうか。振り回して使う殴打武器ならもっと重量があっても良さそうなものだ。このあたりはどうでもいい余りものか何かなのだろう。

 

 ただ、クレマンティーヌが言及した轡だけは、少女に適したものは特注となってすぐには用意できないとのことだ。嗜虐趣味として求めていたのなら代わりの品があれば足りるだろうが、イビルアイが魔法詠唱者(マジック・キャスター)だということを考えれば魔法を封じる用途も考えられる。別の拘束具を用意すれば良いというものではないかもしれない。

 急ぎの発注を打診すると、馬具の店に行くよう勧められた。そこではもちろん人間用などは無いが、仔馬の訓練に用いる最小サイズのものを用意した。人間用の特注については、後で聞いて必要だと言われれば改めて発注すればいいだろう。

 馬具の店では、鞭も用意しておく。相手が吸血鬼である以上、そこらの馬よりはよほど頑丈には違いない。ここでは八足馬(スレイプニール)の調教にも使えるというしっかりしたものを選んでおいた。先端の平たいタイプで、革の内側には鉄板が仕込んである。

 

 

 イグヴァルジは買ったものを確認すると袋の口をそっと閉じ、組合への道をひた走る。

 

 いつもの広場、そして組合の入り口が見えてくる。ここから先は、不安や迷いを抱えたまま進むことは許されない。

 

 イグヴァルジは顔貌から迷いを消す。眉間の皺を伸ばし、眼力をやんわりと弱め、頬骨を上げ、口角を上げ、軽妙な声を出す自分をイメージする。イメージするのは、無心で尾を振る犬だ。

 

「姐さん、買ってきまし……た……」

 

 そしてイグヴァルジの前に現れたのは、幼い少女の満開の肌色。

 

 イグヴァルジはその場で硬直し、大きな袋を取り落とす。

 クレマンティーヌの性格を知らないわけではないが、こうしたことが公然と行われているというのは想定外だ。

 

 袋の口から真っ先にこぼれ出るのは、いかがわしい小物たち。

 

「な、何買って来てんのイグヴァルジ、ィヒヒ、これ趣味に走りすぎでしょ、ィェヒヒヒヒヒ」

 

「いや、姐さん、それは店主のオマケであって、俺はその……趣味とかじゃなくて……」

 

 腹を抱え、漏れ出る甲高い変な笑いを堪えようとしないクレマンティーヌ。

 イグヴァルジは必死にこぼれたものを袋へ戻しながら、集まる視線にその身を竦める。

 

「必要なものが来たのなら、早く進めてください」

 

「ちょ、待っ……」

 

 イグヴァルジが拾い上げようとした袋を、ここでの作業を面倒がるマーレが持ち上げて中身をすべてぶちまける。周囲に見られまいと慌てても、ここ最近のイグヴァルジの不幸を象徴するかのように、いかがわしいものほど軽快に元気よく転がっていく。

 

「ウェヒヒヒ、変態だ、変態がいるよ」

 

 イグヴァルジはこの光景を忘れない。他の冒険者たちの遠くを見るような視線を忘れない。組合の女性職員たちの冷たすぎる視線も忘れない。清楚だと思っていた裏方のあの娘がイグヴァルジも知らない器具を見て顔をしかめた衝撃さえも忘れない。

 この時、仲間たちの生暖かい視線に含まれる一片の温情、一片の理解を感じなければ、この場から駆け出して二度とエ・ランテルに戻らなかったかもしれない。

 

――俺にはもう、こいつらしか居ないんだな。

 

 リーダーとして仲間たちからそれなりの信頼を得ていながら、イグヴァルジはそれを通過点と割り切り一人で英雄への階段を登ってきたつもりだ。しかし、個人の名誉や名声などというものは、些細なことで簡単に吹き飛ぶものだと思い知ることになった。

 『道具屋』イグヴァルジは、この日から冒険者チーム『クラルグラ』の真のリーダーとしての階段を登り始めることになる。

 

 なお、周囲の冒険者たちにも最低限の温情はあり、この日彼に付けられた新たな二つ名の意味が広く知られることはなかった。

 温情があるなら、そういう二つ名を弄ぶのも勘弁してほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受付嬢ウィナ・ハルシアは広間に背を向け、一心不乱にハタキを振るっていた。

 閉鎖の間、この部屋に埃が溜まっていたわけではない。むしろ業務を止められながら、一応交代で出勤していた受付嬢は掃除くらいしかすることがなかった。落とす埃など無い所へ、ウィナはただハタキをふるっていた。

 

――あの人たち、もう嫌。

 

 冒険者組合の閉鎖が解かれ、日常とともに戻ってきたのは、アダマンタイト級へと昇進したあの『漆黒』だ。これまでウィナの恐怖の象徴だった『血塗(ちまみ)れの魔女』エンリのチームは、ここへ現れた仲間たちの所業までアダマンタイト級に恐ろしいものだった。

 

「くっ……殺せ!!」

 

 広間の床に転がされた哀れな少女が叫ぶ。

 じゃらり、と重々しい金属音。そして鎖の擦れる音が生々しい。

 少女はこの場で魔獣として扱われている。一糸纏わぬ姿とされた後、四肢を黒革の手錠をはじめとする幾つかの拘束具に囚われ、八足馬(スレイプニール)でも繋ぐような太い鎖を垂らしている。

 公然と辱められる哀れな少女にしか見えないそれは、かつて国をも滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)『国堕とし』だという。

 白い肌と薄い肉を晒し武骨な首輪を嵌められた少女には、そのような恐ろしげな雰囲気など感じられない。哀しげな赤い瞳だけが、かろうじてその正体を物語っている。

 

「んー、まーだ、何か足りないんですよねー」

 

「四つん這いにさせれば獣ってことでもういいんじゃないですか」

 

 この場の凶行を主導する恐ろしげな女はクレマンティーヌ。その凶行に一片の哀れみも関心も持たないまま、投げやりな言葉で応えるのは闇妖精(ダークエルフ)の可憐な少女マーレだ。

 クレマンティーヌはアダマンタイト級の『蒼の薔薇』を相手に一人で前衛を務めたと聞くが、それでも『漆黒』では奴隷の扱いだと囁かれており、ここでもマーレのほうが立場が上のように見えるのが底知れない。

 むしろ、一連の行為で嗜虐心を満たすクレマンティーヌより、嗜虐も憐憫も何も無いマーレの方が恐ろしい――それは、この場に居る者たちだけが知ることのできる感覚だ。

 

「もちろん魔法複写では四つん這いですけど、獣っていったらもうちょっと必要なものがあると思うんですよ――ほら、ああいうの」

 

「はあ。必要なら早く済ませてください」

 

 ウィナは声の方を見ないよう顔を逸らす。

 声の主はこの凶行の主である金髪の悪魔(クレマンティーヌ)。そして、あろうことかその足音はウィナの方へと向かってくる。

 ウィナは意識をハタキに集中し、既に塵一つ無くなっている書類棚をパタパタとはたき続ける。

 

――来ないで、お願い! 関わりたくない! ……こんな仕事、やめればよかった!

 

「ひぃっ!」

 

 ハタキを振るうウィナの手が止まる。手首を掴んだのはもちろん金髪の悪魔(クレマンティーヌ)だ。アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』相手に一人で前衛を務めた女戦士にして、組合の大広間で少女を嬲る悪魔の名はクレマンティーヌ。彼女には冒険者としての登録は無いが、今やアダマンタイト級へ昇格した『漆黒』の唯一のメンバーである『血塗れの魔女』エンリ・エモットの仲間であり部下であり、そして奴隷だという。

 

「ちょっとこれ、貸してくれるかなー」

 

「は、はひっ!」

 

「あ、汚しちゃうから、これで新しいの買ってきてね」

 

「よ、汚……い、行ってきますっ!」

 

 クレマンティーヌは顔面蒼白になったウィナのハタキを奪って銀貨を握らせると、首輪の少女――伝説の吸血鬼『国堕とし』だとされるイビルアイの方へ向かっていく。

 ウィナは短めの柄のハタキに関する嫌な想像を必死に頭の中から追い出しながら、カウンターにお尻をぶつけつつ転びそうなほどの勢いで建物の外へ駆け出した。

 

 

 

「お、お前、それで何をするつもりだ!」

 

「んー? 自分の立場、まだわっからないかなー。そこらの魔獣にあって、イビルアイちゃんに足りないものだよ」

 

「ま、まさか、お前それ――がはっ!」

 

 クレマンティーヌは立ち上がろうとしたイビルアイの口元を容赦なく蹴り飛ばす。吸血鬼や高位の冒険者でなければ顎の骨が折れてもおかしくないような一撃だ。

 

「んふふ、組合長さんが()()()()()って言うから、わざわざ尻尾まで付けてやろうってお情けだよ。察しなよ」

 

 受付の一角の丸椅子に燃え尽きたように座り込んでいた冒険者組合長プルトン・アインザックは、雷に打たれたようにびくりと全身を震わせて顔を上げる。

 

「いや、私は特例としてこの登録は認めると――」

 

「ほーら、まだ特例とか言ってる。特例だったらこの街だけってことになるし、よそでも通用するように、それっぽくしておかないとダメなんだよ」

 

「あ……いや、そういうことでは――」「チッ……人の気遣いは黙って受け入れなよ」

 

 冷たい目で見下ろすクレマンティーヌの舌打ちに、アインザックは口をつぐんだ。これ以上は無理という表情だ。

 

「さて、獣らしく四つん這いになろうか」

 

「……くっ……戦いには負けたが、たとえどんな辱めを受けようと――かはっ! ぐはっ! げはっ!」

 

 クレマンティーヌは嗜虐の笑みを浮かべたまま、鉄靴の爪先を何度も少女の柔らかい腹部にめり込ませる。

 

「さっさと裏返りなよ。何されるかわかってんでしょー」

 

「ぐあっ、くはっ……」

 

「んふふ、今さら人間らしい扱いを望むなら、()()()()でも羽織らせてやろうか?」

 

「くっ……」

 

 少女は足蹴にされ転がされるような状況から、最後は抵抗を止めて自らうつ伏せになる。

 

 ()()()()というのは、別室で囚われている『蒼の薔薇』の生き残り二人が何を奪われても守ろうしたものだ。極めて高価な装備品の数々と少女の尊厳を無抵抗のまま差し出してでも守らねばならないそれは、二人の死体を保護し、蘇生の望みを繋ぐ安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)

 敗者にはまだ失うものがあり、それゆえに嬲られ続ける。生者も死者も、敗者は等しくその命運を勝者に握られる。

 

 クレマンティーヌは少女の臀部(でんぶ)を踏みつけ、その薄い肉に靴の踵を押し付けながらハタキを持ち替えた。

 

 広間でこの光景を見せられていた『漆黒』の関係者を除く全ての者たちが、金髪の悪魔(クレマンティーヌ)の所業から目を背けた。

 

 

 

 

 

 イビルアイの魔獣登録に際して、当初クレマンティーヌは別室で監禁してある『蒼の薔薇』でも連れて来させて、その前で他の冒険者にゆっくりと絵でも描かせようかと考えていた。イビルアイを生かしておく条件として、『蒼の薔薇』に描かせるのも良いという考えさえあった。

 しかし、面倒を嫌うマーレの顔色を伺うことで、金貨を払って魔法による複写を依頼することになった。

 念のためと称して枚数を多く依頼したのは、その原資がイビルアイから奪った金貨袋ということもあるが、沢山あった方が面白いからだ。冒険者プレート同様、勝利の証(ハンティング・トロフィー)は多いほど良い。今後『国堕とし』に絡んで神殿や貴族を利用する用途が生じても、まだ余るほど用意させておいた。

 

 

 その時、屋外に受付を構えていた受付嬢イシュペンの制止を振り切り、二人組の中年男が建物へ入り込んできた。

 

「すまない。よろしければ、その吸血鬼の身柄を我々に預からせてもらえないだろうか」

 

「あぁ?」

 

「君たち『漆黒』の悪いようにはしない」

 

 声をかけてきたのは、火神の聖印を持つ聖騎士と風神の神官だ。冒険者プレートは無い。

 

「無理。あんたらみたいな雑魚の手に負える相手でもないしね。神殿とは今頃話もついてるはずだし。まー吸血鬼のガキに興味でもあるならそこで見ててもいーよ?」

 

「神殿とは関係無い。私たちは、君たちが王国内でうまくやっていく手助けをしたいんだ」

 

 答えはマーレに聞くまでもないことで、クレマンティーヌは少々の煽りを込めて対応する。雑魚には違いないが、もし喧嘩を買ってくれれば少しは楽しめる程度の程良い相手だ。

 しかし、男たちは冷静そのもの。吸血鬼の身柄が難しいようなら魔法複写でも構わないという。

 

 話を聞いてみると、彼らは『蒼の薔薇』のパトロンに敵対する貴族の手の者だという。『蒼の薔薇』の不祥事を政敵の追い落としに利用するため、身柄を得られれば最良、そうでなくとも少しでも物証を持ち帰りたいということだ。そのことが『漆黒』への有形無形の報復をやりにくくすることにも繋がると言われれば、クレマンティーヌは納得せざるをえない。それに、どうせエンリも喜んでこの姿のまま連れ歩くだろうと考えれば、特に複写を得させるデメリットも無さそうだ。

 こういう場合、貴族の側も報復を恐れている。吸血鬼の報復など考えたくも無いだろう。それに、裏も取れない状況では貴族の名前なども聞くだけ野暮というものだ。

 

 結局、マーレの許可を得た上で、男たちの負担でさらに魔法複写を増やすことになった。着衣のものにして欲しいと言われたのは少し残念だったが、その方が用途上都合が良いなら仕方がない。もちろん、クレマンティーヌの手元に残る五枚の魔法複写は、全てが獣らしい装備や構図で作らせたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの街は<永続光>(コンティニュアル・ライト)式街灯の白い光に照らされ、思いのほか明るい。大通りに立ち並ぶ店からは呼び込みの声も絶えず、昼とは違った賑わいがあった。

 冒険者組合閉鎖に始まる『蒼の薔薇』討伐の騒動は、終わったようで終わっていない。エンリが久しぶりに街の風景を見回すのも、そうする余裕ができたからではなく、周囲の視線が気になるからだ。

 表向き平穏なエ・ランテル――その光景は人々の態度を除けば、以前とそう変わらない。変わったのは、エンリたち『漆黒』の方だ。

 

 エンリは滲み出る脂汗を拭き取り、立ちくらみに抵抗するため飲み水を口にしようと立ち止まる。

 あるいは、おぞましい記憶に抵抗して速やかに行動できるよう与えられた幾つかの薬が、今なお水を求めているのかもしれない。

 

 往来で突然立ち止まっても周囲に影響はない。それは、エンリたちの周囲に大きく人の居ない空間ができているからだ。

 完全に虚勢だが、エンリは胸を張った堂々たる姿勢を維持しながら、不安いっぱいの横目で人々の様子を窺う。

 

 殆どの群衆がエンリたちを眺め、周囲の者たちとヒソヒソ囁き合っている。

 

 囁きの直接聞こえてくる部分では、伝説の吸血鬼を捕らえた、悪の冒険者チームを討伐したなどと肯定的な言葉が多いように思える。しかし、そういう説明をしてくれる者がなければ、これまでのような純粋な恐怖の対象としての扱いに留まらず、いかがわしいものを見るような目で見られたに違いないことは、人々の表情を見れば明らかだ。

 

 

 エンリは黙って見下ろす。そこにあるのは、まさに満開の肌色。

 全開どころではなく、満開だ。これまで幾度も見てきた、ミコヒメのめくれ上がったコートの中の肌色程度の生易しいものではない。たおやかな肩口も、平坦な胸も、細い腰も、肉の薄い臀部も、華奢な太腿も、ほぼ全てが満開で、全てが公然と晒されている。

 そして、それらを引き締め、あるいは引き立たせるかのように悪目立ちしているのが、黒革の首輪と革手錠に太い鎖、そして鉄球の付いた足枷だ。

 少女は馬が使うような器具を口にかまされている。当初の予定では、四つん這いになったその背中に騎乗することになっていた。

 もちろん、『国堕とし』に乗るというアイデアはエンリのものではない。そうであるはずがない。

 強く勧めたのは当然、クレマンティーヌだ。急に迎えに来たマーレに連れられ、『死の宝珠』に支配されている間の状況の変化への混乱がまだまだ収まらない時のこと。組合の大広間で嗜虐の笑みを浮かべたクレマンティーヌに逃げ道の殆どない状況で勧められ、冒険者組合長さえそれに異を唱えないという異常事態。エンリは急に弱気を見せて怪しまれないよう、その場では乗るのもやむをえないかという考えさえ持ってしまった。骨の竜(スケリトルドラゴン)に乗って戦いの場へ現れた恐ろしい記憶が鮮明に残っていたことで、それより小さいだけマシなような気もしてしまったのだ。

 あの時、ンフィーレアが「騎獣としては小さすぎて見栄えが悪い」と口を挟まなかったら、今頃エンリは全裸の幼い少女に跨って街中を闊歩していたかもしれない。

 エンリはそのような恐ろしい構図を思い描き、そうならなかったことに安堵する。

 

 ものものしい首輪を付けた幼い全裸の少女を四つん這いで歩かせ、首輪から伸びる太い鎖をしっかりと握っていたエンリは、そのようなより悪い状況を想像することで自らの状況を客観視しないで済むようになっていた。これが、心が強くなるということかもしれない。

 それでも時折現実に引き戻される。そのたび、エンリは頭の中で何度も同じ言葉を繰り返す。

 

――これは魔獣。これは魔獣。これは魔獣。これは魔獣。これは魔獣、これは魔獣…………。

 

【挿絵表示】

 

 感覚的には、本当にありえないほど酷い状況だ。ここまでする必要があるのかも疑問だった。

 

 しかし、マーレが手放さないという以上、連れ歩かなければならない。

 それならば、恐ろしい吸血鬼が人々に被害を与えないよう、そして人間のふりができないよう魔獣として扱って全身を拘束する。

 そんなクレマンティーヌの説明には、エンリが異論を差し挟む余地はほとんど無かった。口を挟んだのは、クレマンティーヌが尻尾と称する不要な掃除用具を処分してもらった部分だけだ。

 

 ンフィーレアは目を背けつつ思案していたが、「処刑を要求されないようにするには、これくらいした方がいいのかも」などと意味のわからないことを言うだけで異論はなかった。上機嫌なクレマンティーヌの感覚にはついていけないが、二人が一致するならこれは仕方のないことなのだろう。

 

 

 次第にその数を増やしていく沿道の群衆は『国堕とし』の屠所の羊も同然のうなだれた姿に衝撃を受けていた。

 

 クレマンティーヌの指示を受けた冒険者たちが街中で『蒼の薔薇』の悪事と『国堕とし』の脅威を喧伝してくれた効果だろう。英雄然として振る舞い王国民を(たばか)っていた邪悪な吸血鬼に怒りを感じた者は多く、投石のための石を持って路地から現れる者も少なくなかった。

 しかし、過剰なまでの拘束具を身に着け、か細い手足を地につけて痩せた家畜のように石畳の上を進む『国堕とし』の状況をひと目見た途端、その怒りはことごとく削がれていく。手に持った石を仕舞いこむ者、取り落とす者など様々で、実際に石を投げる者は一人としていなかった。

 

 エンリは、ンフィーレアの言っていたことを少しだけ理解した。

 

 人として、本来は殺さなければならない存在を、マーレのために殺さずに連れて行かなければならない。

 その時点で、国をも滅ぼす危険な吸血鬼イビルアイを殺さず連れていくという時点で、人としての常識を手放しているのだ。

 

 このようなことで、それが許されるのかはわからない。

 しかし、少なくとも『蒼の薔薇』との違いを見せることをしなければ、人類の敵となった彼女らと()()になってしまう。

 

 エンリは、抑え難いイビルアイへの憐憫の情をゆっくりとすり潰しながら歩を進めた。

 慣れてはいけないように思えた光景も、いつの日か、慣れなければいけないものなのかもしれない。

 





【挿絵表示】

本文中にも入っていますが、くろきし様より、表情が見事なイラストを頂きました。
漆黒の新メンバーお披露目シーン、すなわちこの話の最後のイビルアイのお披露目シーン(イビルアイ・エンリ・クレマンティーヌ)です。





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