マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前話のあらすじ

お伽話の英雄も、王国の英雄も、みんな国を滅ぼすような恐ろしい吸血鬼とグルだった。
「問題なのは、『蒼の薔薇』の弱みを握ってしまったこと」
口封じで揉み消される前に――そうだ、神殿も都市長も他の冒険者も巻き込もう

「イビルアイは吸血鬼ですが、人間に危害を加えるような存在ではないと私たち『蒼の薔薇』が保証します」
――こんな綺麗な目でそんなでたらめを言えるなんて、このひと怖い!
「私らは『蒼の薔薇』討伐依頼をもらってる。あんたらは吸血鬼を返してほしい。だったら戦って決着をつけるしかないよねー」
そして決闘は明日。








三三 身代わりを立てる

 冒険者組合の閉鎖は解かれた。『蒼の薔薇』は組合に踏み込んだ冒険者たちを避けて一段グレードの低い宿に引っ込み、組合の業務は再開された。

 

 『蒼の薔薇』が去ると、冒険者たちは普段から親しくしているクレマンティーヌに疑問を投げかける。

 

「姐さん、あんな条件でいいんですか?」

「アンデッド連れてた連中を戦った後は野放しになんて……」

 

 周囲の冒険者が戸惑うのも無理は無い。『蒼の薔薇』は今や立派な犯罪者集団だ。

 

「そう言うけど、追い込みすぎてあいつらが逃亡して冒険者に復讐するようになったら、あんたら対処できるの?」

 

 クレマンティーヌの言葉に冒険者たちの顔色が変わる。貴族としての復讐も怖いのだが、そういう考え方もあるのだろう。

 

「それはわかりやしたが、わざわざ吸血鬼を解放して一緒に戦わせるってのは一体」

 

 納得のいってない顔で盗賊風の冒険者が疑問を呈するのは、エンリの生死もかかっている危険な行為に対してだ。

 

――がんばって、名前わからないけど。

 

「吸血鬼無しで叩きのめしても、吸血鬼を助け出して一緒に戦えば勝てるなんて思われたら後が面倒だからねー。最初から絶望的なまでの差を思い知らせて心を折っておく方が早いし、それがエンリ様のやり方ってこと」

 

 クレマンティーヌは「吸血鬼単体の討伐依頼もあるからね」と言って笑った。

 冒険者たちから再びとてつもないものを見るような視線を向けられ、エンリは慌てて半開きになっていた口を閉じた。

 

 

 

――帰ったらンフィーに相談しよう。明日までに何とかしないと、本当に死ぬ。

 

 エンリの脳裏には走馬灯のようにマーレとの思い出が蘇る。

 オーガやゴブリン、そしてクレマンティーヌの襲撃――エンリは様々な場面で矢面に立たされ、時にはモンスターの攻撃を受けることさえあった。それでもどうにか今日まで生き延びてきた。

 

 しかし、明日はこれまでとは全く違う。おそらくエンリなど一撃で殺せてしまうようなアダマンタイト級冒険者が、五人同時に襲ってくるのだ。そしてそのうち少なくとも三人は遠距離攻撃の手段を持っている。飛び道具だけならマーレに頼んでおけばどうにかなるかもしれないと思っていたが、魔法まで来るなら対処のしようがない。

 チーム同士の戦いとはいえ、エンリは冒険者チーム『漆黒』のリーダーどころかチームそのものであり、最初の瞬間から複数人に狙われる可能性が高い。ただでさえ鷹揚に構えているマーレの護りでは、これまでのように一つを防いでも二つ三つと同時に来ればエンリの命運はそこで尽きるだろう。

 

――逃げるか。

 マーレ相手にそれは不可能だ。きょとんとした顔のマーレに簡単に連れ戻され、クレマンティーヌに弱さが露見してしまう。

 

――いっそクレマンティーヌに真実を話し守り手を増やすか。

 エンリは間接的にクレマンティーヌの拷問に関わったことになっている。マーレと別れた後、クレマンティーヌに確実に殺される。

 

――どうにかしてこの戦いを中止にする方法を考えるか。

 弱いことがバレれば後でクレマンティーヌに殺される。さらに、秘密を知る者として後で『蒼の薔薇』にも殺される。殺されすぎだ。

 

 

 エンリは八方塞がりの思考を止める。今のエンリにとって、本当に頼りになるのはンフィーレアだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者組合に押し入ってきた上位の冒険者たちとかち合うことを避けるため、普段より質素な宿をとった『蒼の薔薇』だが、その一室には重い空気が漂っていた。ここでは『漆黒』と話をしたラキュースとガガーランが、その場にいなかったティアとティナに状況の説明を終えたところだ。

 

「そうね、私がどうかしてたかもしれない。……あの時、二人がかりかそれ以上だったとしても、イビルアイがああなるような相手に勝算は無い。明日の戦いをみんなに強要するつもりはないわ」

 

 ラキュースの目には涙が浮かぶ。組合では気丈に振る舞っていたが、苦楽を共にした仲間たちの前では本音が出る。

 

「鬼の目に涙?」

「らしくない」

 

 ティアとティナは心配そうにラキュースを見つめる。仲間たちの意思を尊重するべく、ガガーランは腕組みをしたまま口を結んでいる。

 ラキュースは意を決したように、大きく一呼吸入れてから口を開く。

 

「私たちの負け。『蒼の薔薇』は、今日限りで解散します。みんな、いままで有難う。……不甲斐ないリーダーで、ごめんね」

 

「リーダーが諦める?」

「賢明だけど、似合わない」

「解散ってお前、明日はどうするつもりだ」

 

 それは『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースの言葉として最もありえないものだ。ティアにティナ、そしてガガーランが一斉に詰め寄る。

 

「私は、一人で行くつもりです」

 

「……おい、てめえふざけてるのか?」

 

 ガガーランがラキュースの胸倉を掴み、ティアとティナもラキュースに厳しい視線を向ける。

 

「これは『蒼の薔薇』のリーダーとしてさせてもらう、最後の決断です。明日の戦いは、私一人で――」

 

「そんなのは戦いではなく公開処刑」

「一人で死のうとする理由を知りたい」

 

「認めるわけじゃねえが、一人で行くなんて戯言を聞かされた俺たちには理由を聞く権利くらいあるはずだ」

 

 先走りの理由を問われたラキュースは小さく息を吐き、寂しげに微笑む。

 

「そうね、ごめんなさい。結局『漆黒』は、私たちの秘密を知ってしまったの。そこから、私たちを倒すかイビルアイを王都に連れていっておおごとにしなければ自分たちの身が危ないと考えてしまうのは、私が貴族の出だからよ。だから私さえ『漆黒』の前に現れれば、みんなもラナーも守られる」

 

 ガガーランが手を放し、ティアとティナの視線も和らぐ。

 

「わかってくれたのなら、今夜のうちに早くこの街から――」

 

「リーダーは甘い」

 

 ラキュースの言葉を遮るのはティアだ。

 

「リーダーがやられたら、次は私たちの番。向こうの視点で私たちの復讐などを考えないわけがないし、例の鎧とか『漆黒』に都合の悪い情報を掴んでる私たちを始末するのは当然のこと」

 

「そんな……」

 

「エンリはあの時、私たちを引き離そうとした。これは『漆黒』の弱点を考えて私たちを警戒していることを意味している」

「ん、飛び道具に弱いとか?」

 

「どういうこと?」

 

 ティナが、そしてラキュースが問う。ティアの把握していることをティナが察していないというのは珍しいことだ。

 

「これは私しかわからないのも無理はない。私はあの巫女姫の恰好に興奮して、幼い身体のラインを完璧に脳裏に焼き付けてあるから」

「それなら仕方ない。姉妹を隔てる性嗜好の壁は果てしなく高い」

 

「……まじめな話ではなかったのかしら」

 

 ティナは即座に理解を示すが、ラキュースの視線は少し冷たいものになる。

 

「コホン、今は真面目。あの未熟な身体は細すぎず太すぎず、それでいてふんわりと柔らかそうで――それはともかく、俊敏に動けるようには見えなかった。信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としても筋肉は無さすぎで戦闘経験があるとは思えない。冒険者から町娘まで幾多の女子を凝視してきた私の見立てに間違いはない。あの子だけなら簡単に仕留められる」

「なるほど、唯一の回復役を潰せればチャンスはある」

 

 ティアは女の子が大好きだ。『蒼の薔薇』で公然と晒されているその同性愛者としての立場にブレは無く、その観察眼は確かなものだと思われた。

 

「そういやイビルアイを解放する話の時も、あのエンリはいい顔をしなかったな。俺はてっきりあいつが魔法を苦手にしてるのかと思ったんだが」

 

「一人で冒険者チームを名乗るほどの人がそれは無いと思うわ。あの服だって陽光聖典の隊長と戦った時は攻撃魔法の効果を軽減していたし。今考えると、それも全体を見渡すリーダーとしてチームの弱点の巫女姫さんを心配してのことね」

 

 ガガーランも自分の観察した部分を思い出すが、あまりに都合の良すぎる部分はラキュースが否定する。ただ、『漆黒』が飛び道具や魔法を嫌っているという考えは『蒼の薔薇』に希望を与えた。

 

「そういえば、他にも弱点はある。前髪で顔を隠した男もたぶん弱い。ちょっと育ち過ぎだからティアほどまじめに観察してないけど」

 

 今度はティナの嗜好である少年愛に基づく視点だ。彼女は少年が大好きで、ンフィーレアは少年と大人の狭間の存在だった。長く接点があったわけではないが、女ばかりの『漆黒』が相手ならティナの目のやり場はそこしかなくなる。

 

「あの童貞については俺も見ていたから、それは保証するぜ」

 

 ガガーランが好きなのは童貞だ。既に身体の準備ができていて本番を迎えていない男性であれば、直感で獲物と判断してしまうところがある。あの場にいた獲物はンフィーレアだけだ。

 

「――ついでにあの闇妖精(ダークエルフ)も見た目では弱そうだと思うんだが、飛行魔法とかイビルアイの言っていた強力な近接攻撃魔法とかを考えるとこれは駄目かな」

「飛び道具を集中すればいけるかも」

「位置取り次第」

 

 遠距離から魔法詠唱者(マジック・キャスター)を狩るのはティアとティナが得意な分野だ。体術を鍛えず魔法ばかりで対処してくるタイプなら、虚を突いて一撃を入れるだけで致命傷を与えることができる。

 

 『蒼の薔薇』はいつの間にか活力を取り戻し、明日の戦いに備えて熱く話し合った。

 

 もちろん、純粋な勝算は全く無い。イビルアイを倒したのがマーレとクレマンティーヌの二人であろうと、何らかの方法で全員でかかったのであろうと、『蒼の薔薇』の残り四人ではイビルアイに勝てないのだから総合力ではどうにもならない。イビルアイが諦めろと言う程なら、そこで希望を持つことはできない。

 しかし、味方に犠牲が出る前に何としても『漆黒』の巫女姫を殺し、できればンフィーレアという少年まで殺すことができれば、その場でラキュースしか使えない復活魔法を交渉材料としてイビルアイを返してもらうことができるかもしれない。『漆黒』にとっては復活魔法まで使えるという巫女姫はもちろん、どんなアイテムでも使える異能を持つ少年も重要度は高いはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『漆黒』が『蒼の薔薇』の討伐依頼を受けたらしいぞ」

 

「はぁ!? 逆じゃないの?」

 

「私も聞いた。『漆黒』の奇襲を受けて捕まった『蒼の薔薇』の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイが吸血鬼だったという話」

 

 

 

「英雄のように言われていた『蒼の薔薇』が吸血鬼(ヴァンパイア)の仲間だったというのは……残念です。それにしても、魔法を使える吸血鬼(ヴァンパイア)というのは恐ろしい存在ですよ。各個撃破できたのなら本当に良かった」

 

 神官ふうの男は胸元の聖印に触れながら安堵の表情で語る。

 

「それが、その吸血鬼(ヴァンパイア)も『蒼の薔薇』に合流させてから決闘をして倒すらしい」

 

「何それ! 頭おかしいんじゃないの!? 確かにそういう人だって聞いてるけど、無茶にも程があるでしょ」 

 

「あのイビルアイは第五位階まで使う。まとめて相手をしようなんて馬鹿げてる」

 

「ある意味、私たちが聞いてきたことが正しかったという証明ではありますね」

 

 充分な情報を与えられている彼らは、当事者を除けばこの街で最も『漆黒』の行く末を心配していた。

 

「でも、エンリとか死ぬだろ。仮初の仲間でも露骨に危険に晒すのはおかしくないか?」

 

「そうよね。戦士が魔法詠唱者(マジック・キャスター)から弱い仲間を守れるわけがないし、私たちの情報通りならそうなるけど……」

 

「『漆黒』の側には生まれながらの異能(タレント)持ちもいるらしい。何か切り札があるのかもしれない」

 

 彼らは王国側に知られないよう密かにクレマンティーヌと接触しなければならない。最上位のアダマンタイト級冒険者である『蒼の薔薇』に察知されずに動くのは彼らの能力では不可能であるため、何を話し合っても今は袋小路となる。

 結局、彼らができることは群衆に紛れて明日の決闘を見にいくことくらいだ。『漆黒』が敗北してもクレマンティーヌが囚われることはないであろうし、もし逃亡するならその方角は把握しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クレマンティーヌと、あとマーレとエンリがいれば勝てるのはわかってる。でも、ただ力押しで勝つだけじゃ駄目なんだ。色々な面で『蒼の薔薇』に仕返しを諦めさせるような準備をしたい」

 

 ンフィーレアがクレマンティーヌを扉の外へ連れ出し、話をしている。彼女を先に宿へ返すというだけなのに、エンリには少しいい雰囲気にも見えてしまう。

 

「――僕は弱い。戦いの中で身を守れるかわからないし、後で捕まって人質にされて迷惑をかけるかもしれない。この先、たとえマーレが離れても『蒼の薔薇』が敵対しようと思えないような勝ち方を考えたいんだ」

 

「うん。そういうことならンフィーちゃんに任せるよ。弱いなりに自分の身を守ろうって姿勢は悪くない」

 

「ちょっと込み入った話になるから、先に宿へ戻って休んでほしい。クレマンティーヌは前衛の要で大変だと思うから」

 

「わかった。余裕って言いたいところだけど、受け持つ人数次第ではそうでもないから休ませてもらうね。それじゃ、また明日」

 

 一人分の足音が遠ざかっていく。

 

 

 

「行ったかな?」

 

「うん。もう何を話しても大丈夫だ。エンリが生き残るための話し合いを始めよう」

 

 エンリは扉の裏で全てを聞いていたのだが、そういう行動はさもしいような気がするのでずっと椅子に座っていたふうに振る舞う。

 自分でも盗み聞きなどどうかとは思うが、二人のことは何かと気になってしまう。

 

「まず一番安全なやり方は、マーレに頼んでできるだけ早く全員殺してもらうことだよ」

 

 物騒な言葉に驚いたエンリは慌てて雑念を追い払う。

 

 

 

「殺しちゃうのは……貴族の家からの仕返しとかも心配だし……」

 

「確かに、貴族は冒険者を侮っている。身内がやられたらカルネ村などへ仕返しをすることも考えられる。でも、手加減するってことは時間がかかるってことで、それだけエンリのもとへ飛び道具や攻撃魔法が来る確率も上がってくるよ」

 

 ンフィーレアは真剣だ。そして、仕事で付き合いの多い冒険者というものもそれなりにわかっている。戦いになれば巧妙に弱点を突いてくるし、それがアダマンタイト級冒険者の飛び道具や攻撃魔法となれば、最近少したくましくなったとはいえエンリなどひとたまりもない。

 大切な人の命がかかっている以上、相手の命を奪うことに躊躇は無かった。

 

「貴族のラキュース以外の何人かをそうする方法もあるけど、逆に強い復讐心を持たれてしまうかも――」

 

 

 

「えっと、あの、エンリを守りたいのなら身代わりって手もありますけど」

 

 見せしめ的な案も考えるンフィーレアの言葉を遮ったのは、マーレだった。

 

「身代わり? 化け物とか亜人を連れてきて、エンリです、って言い張るとかじゃなくて?」

 

「そんなのじゃないです。姿はそのまま人間のエンリですよ」

 

 これまでマーレが森で呼び出したり従えたりしたものを思い出したエンリは、街に出現した奇怪な化け物が地獄の底から響くような声で「エンリデス」と名乗る姿を思い浮かべてしまうが、そういうことではないようだ。

 

「それはどういうこと? 魔法か何かで私の姿で戦ってくれるの?」

 

「はい。えっと、特殊能力みたいなもので、誰にでも成り替わることができます」

 

 あまりに都合の良い話に、エンリの目が輝く。

 これまでの経験上マーレを信じるのは不安が大きいが、戦わなくて済むのなら期待してもいいのかもしれない。

 

「――さらに、あの人たちが使うくらいの魔法に対し身を守る手段を持っているので、ぼくとそれが連携すればンフィーレアやミコヒメを守るのも簡単になると思います」

 

「あ……そっか。危ないのは私だけじゃないんだよね」

 

 エンリはハッとして、今の自分の態度を恥じる。

 ンフィーレアだって魔法を使えて強いとは聞いていたが、それは普通の人間にしては強いというだけで、アダマンタイト級冒険者の前ではエンリと同じように死の危険に晒されるはずだ。ミコヒメはマーレにずっと手厚く守られてきたから考えていなかったが、今回はそれでも危険かもしれない。

 

「私は話とかしなきゃいけないかもしれないから、ンフィーの身代わりをやってもらった方がいいかも」

 

「それは断るよ。『蒼の薔薇』のリーダーは口が上手いし、人を引き込む力がある。エンリたちに相手をさせてフォローする人が居ない方が心配だよ。戦いの前に群衆の前でエンリとクレマンティーヌがあの人と言い合いをするところなんて想像もしたくないね」

 

 それは、ンフィーレアが当たり前のように戦いに参加する側として振る舞っていた理由でもある。顔を出さなければならない以上、戦いに参加しない方がかえって人質などにされる危険が増すというのがその考えだ。

 

「うっ、それはちょっと……」

 

 エンリは巻き込まれただけのンフィーレアが助かるべきだと考えたが、そう言われると返す言葉も無くなる。いつの間にか断罪される側になっているイメージしか湧かないからだ。エ・ランテルの人々の心を『蒼の薔薇』に持っていかれてしまっては決闘の意味さえなくなってしまう。

 

「マーレ、身代わりっていうのはこっちが頼んだ通りにふるまったり喋ったりすることができるのかな?」

 

「あっ、はい。しもべなので、ぼくが命令すれば他の人の言うことも聞くと思います」

 

 ンフィーレアは満足げに頷いて、エンリに向き直る。

 

「そういうことなら、エンリに身代わりを立てて、喋る内容とかは僕が教える。それでいいね?」

 

「……うん。お願い」

 

 こうして、エンリは自身の生存から全員の生存に向けて考えを改めることで、細かな不安を置き去りにしてしまった。

 

 身代わりが戦う間の隠れ場所に悩むエンリとンフィーレアに対し、「それは心配しなくていいですよ」と微笑むマーレ。

 

「えっと、早速、身代わりを立てますね。エンリ、ちょっとこっちへ来てください」

 

 

 

 その場に『身代わり』が現れると、すぐに隠れ場所の心配は霧散する。

 ンフィーレアはエンリの身を心配するが、マーレと『身代わり』が安全を保証することですぐに治まる。

 

 但し、『身代わり』はなかなかの難物でンフィーレアも根負けしてしまい、あまり喋らせずに済むよう最後に決闘の場へ駆けつけるという方針が決まった。そこで諦めたのは、朝になったらクレマンティーヌも呼んで、マーレも含めて戦い方についても話し合わなければならないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。エ・ランテルの巨大墓地内中央の広場には、その場に似つかわしくない生暖かい風が吹いていた。

 

 広場を遠巻きに囲う群衆の中で、最も多いのが神官や神殿関係者だ。これはわざわざ呼び集めたものだから当たり前のことだ。『蒼の薔薇』が街へ吸血鬼を連れ込んだ罪人であることを広く知らしめておく必要がある。

 その他には、冒険者やワーカー、兵士など荒事に関わる者も多いが、そうでない者も相当数含まれている。冒険者組合の閉鎖という異常事態を心配していた者は少なくないため、扉の同じ場所に張り出した情報を見てこの場を訪れたのだろう。

 

 既に決闘の刻限は間近に迫っている。

 しかし、この場にエンリの姿はまだ無い。

 

「早くイビルアイを、私たちの仲間を返して!」

「エンリは逃げたのか? 戦うんじゃねえのかよ!」

 

 ここでは、ラキュースの要求もガガーランの怒りも、涼しい顔で無視しなければならないものだ。

 ンフィーレアは震えそうになる全身に力を入れて大きく息を吸い込み、腹の底から声を出す。

 

「ご存知の方もいるでしょうが、蒼の薔薇のイビルアイ! その正体は、かつて国をも滅ぼした邪悪な吸血鬼、『国堕とし』です!」

 

「おい、てめえ!」

 

 ガガーランが吼える。武器を構え怒りの視線を向けてくる『蒼の薔薇』からは、言葉で言い表せないような圧力を感じる。変形の投げナイフのようなものを持つ双子からは「口を塞ぐ?」など物騒な言葉が風に流され聞こえてくる。

 ンフィーレアは冷や汗を背中に隠しつつ、大きく深呼吸をして続ける。話を聞く態勢になった群衆に対しては、最初ほどの声量は必要ない。

 

「エンリがここへ来る前に、その言葉を伝えます。この『国堕とし』の陰謀に加担した蒼の薔薇のこの街での専横は目に余りますが、アダマンタイト級冒険者としてのこれまでの貢献に鑑み、蒼の薔薇については罪人として王都へ突き出すのではなくこの場で決着をつけるのみとして、諸悪の根源である『国堕とし』のみ改めて捕えることとします」

 

 群衆にざわめきが広がる。ただし、それは邪悪な吸血鬼を街へ連れ込んだ者への対処が甘すぎるがゆえのものだ。

 しかし、それは望ましい反応だ。英雄級の名声を持つ『蒼の薔薇』への同情の萌芽は予め摘んでおかねばならないのだから。

 

「ほーら、お仲間の所へ行きなよー」

 

 段取りに従ってマーレが手を放しても動こうとしないイビルアイを、クレマンティーヌが蹴り飛ばす。

 既に怪我などはマーレが全快させてあるが、この対応にはンフィーレアは眉をひそめる。予定では軽く突き飛ばすことになっていた。

 

「やめてくれ……罪があるというならそれは私だけのことだ! 『蒼の薔薇』は関係ない!」

 

「何を勝手なことを! イビルアイ……彼女は、たとえどんな存在であろうと一緒に戦ってきた私たちの仲間です!」

 

 地面に倒れ伏したイビルアイは『蒼の薔薇』を庇うが、それに構わず墓穴を掘るラキュース。

 この場でイビルアイがアンデッドの正体を晒していることは、神官ならわかっているはずだ。同情を買うのが得意なのかもしれないが、この選択は策謀に長けた王国貴族としては愚かとしか言いようが無い。

 この好機をクレマンティーヌが見逃すはずはなかった。

 

「聞いたー? 私たちの仲間だってよ! ふふっ、神官の人たちはよーく見てやんなよ。そのアンデッドを仲間だって蒼薔薇のリーダーさんが言ってるよ!」

 

「おぉ……アンデッドだ」「本当に……そんな……」「何ということだ……蒼の薔薇が……」「皆を騙していたのか……」

 

「待って! みんな、違うの! イビルアイは吸血鬼でも、遠い昔からずっと私たち人間のために――」

 

「見苦しい言い逃れをするな!」「吸血鬼とつるんでいる連中が、組合を閉鎖して何をするつもりだったんだ!」「化け物をかばって、それでも冒険者か!」「アダマンタイト級の極悪人め!!」

 

 声を荒げてラキュースの声を塗り潰すのは、クレマンティーヌから「事情を改めて説明して味方に」しておいてもらった上位の冒険者たちだ。声出しをする者は巧妙に他の者の影に隠れて『蒼の薔薇』に顔を見せないあたりが彼らの限界だ。

 それでも、上位の冒険者たちの態度を見れば金級以下の冒険者たちが『蒼の薔薇』へ向ける視線もさらに厳しいものになる。もちろん彼らの中にもチームごとに神官がいて、イビルアイが吸血鬼であることを知った上でのことだから当然だ。

 

 これは『漆黒』が身を守るための戦いだ。『蒼の薔薇』には王族ともパイプを持つ貴族ラキュースの強い政治力があり、群衆の中の神官や街の有力者の中にもその影響下にある者が少なからず潜んでいるはずだ。その者たちが同調の声を上げて空気を変えることができないよう、この場では彼女の主張は速やかに潰さなければならない。

 もし、この場での主張が五分に近い状況であれば、ラキュースの根回しによって平民だけの『漆黒』など簡単に犯罪者にされてしまうだろう。ンフィーレアはエンリとその家族を守るため、心を鬼にしてクレマンティーヌとともに言葉の戦いの準備をしてきた。

 

 さらに、冷静さを欠いて準備を怠ってくれることも期待していたが、さすがに相手が『蒼の薔薇』ともなるとそこまでは難しい。

 イビルアイの方を見れば、挑発に耐えながらティアとティナの双子に何やら話をしている。イビルアイの持っていた拘束を無効化するアイテムなどをクレマンティーヌが奪って所持していることや、マーレの魔法に関する情報なども伝わっていることだろう。

 

 うまくいかなかった部分を振り返っても仕方ない。ンフィーレアは大きく息を吸い込んで、言うべきことを言い放つ。

 

「無責任な『蒼の薔薇』がここエ・ランテルで吸血鬼を野放しにしたことで、強力なアンデッドが発生しやすくなっています。それを心配したエンリは、戦いの直前にもかかわらず、単身で墓地へ乗り込んでしまいました。そろそろ、アンデッドをねじ伏せて戻ってくるはずです。戦いの場を巨大墓地に指定したのはそのためです」

 

「くっ、適当なことを……」

 

 正体を隠すとともにそうした力もアイテムで抑えていたイビルアイは言いがかりに呆れるが、神官、衛兵、そして冒険者たちを中心にざわめきと動揺が広がる。

 アンデッドは墓地などで自然発生するが、多くのアンデッドを放置すると強力なアンデッドが出現し、強力なものを放置すればさらに強力なものが出現する。彼らはそのことを知っている者たちだ。

 ここエ・ランテルの巨大な墓地が城壁の内側に作られているのも、毎年の戦争の死者の中から強力なアンデッドが生まれないよう、巡回して間引きを行わなければならないからだ。

 

 

 

「待たせたな!!」

 

 斜め上から凛として芯の通った女の声。それはエンリのものではあるが、声の出し方が普段と明らかに違う。腹の底から響かせたような強さのある声だ。

 それは、エンリでありながらエンリではないもの。エンリの身代わりとして戦うことになったマーレのしもべの『死の宝珠』という存在。

 その正体は、意思を持ち人間の身体を乗っ取ることができるマジックアイテムだ。

 昨夜からエンリの身体を一時的に支配しており、この決闘ではアンデッドや魔法を駆使してその身を守りながら戦うことになっている。魔法や飛び道具に対する強力な防御手段となるものを使役できるため、エンリとンフィーレア、そして巫女姫の生存のためには不可欠な存在だ。

 

 

「見よ! 『蒼の薔薇』が化け物を連れ込んだことで、墓地のはずれにこんなものが発生していたぞ。化け物には化け物を用いて当たらせてもらうことにしよう!」

 

 

 今のエンリ(死の宝珠)は幾つかの魔法を使えるが、《飛行(フライ)》が使えるわけではない。空中で足場にしているのは、巨大な白い人骨の集合体だ。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)!? そんなものが現れるわけ――」

「てめえ、卑怯だぞ! 降りてこい!」

 

 

「卑怯? 勘違いされては困るな。……これは決闘ではなく、懲罰である!!」

 

 

 エンリ(死の宝珠)は色めき立つ『蒼の薔薇』を一喝する。

 

 この場に現れた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は二体だ。もちろん墓地で見つけたなどでたらめで、マーレのしもべとなった死の宝珠が支配していたものに過ぎない。一応、その存在の原因まで『蒼の薔薇』に押し付けるための最低限の話はしてくれてはいるが――。

 

――確かに禁止した語句は使ってないけど、もっときちんと話をしておけばよかった。

 

「我らがわざわざ捕えた吸血鬼を再び『蒼の薔薇』へ合流させるのは、その双方の討伐任務を受けたこともあるが、何より衆目の場でまとめて懲罰を下すために他ならない」

 

 エンリ(死の宝珠)の声は群衆の隅々まで響き渡る。

 

 ンフィーレアは頭を抱えてうずくまりたい気分になっていた。

 力及ばなかった。昨夜教えたことは跡形もなかった。

 ただ、「死」だの「滅び」だのといった禁止語句を設定しておいて本当に良かったということだけは、感覚的に理解できた。

 最後に「理解した通り、自然にできることをやってくれれば」などと甘いことを言ったのが悪かったのかもしれない。

 確かにこの場で最低限言うべきことは理解してくれているし、逃げ腰で戦っても弱者のように見られないよう気丈に振る舞うという指示通りの行動には違いない。そのために、口調やエンリのイメージなどは全てが置き去りとなっていた。

 

「皆の者、刮目(かつもく)せよ!!」

 

 とりあえずこの惨状については後でエンリに謝ればいいとして、始まりが近いので腹をくくらねばならない。

 

「エ・ランテルの敵、すなわち『漆黒』の敵である『蒼の薔薇』の惨めなる敗北を、その両の(まなこ)に焼き付けよ!!」

 

 そう言って、エンリ(死の宝珠)は森で手に入れたグレートソードを高々と突き上げる。これが合図だ。

 

――後でエンリにどう説明しよう。

 

 ンフィーレアはそんなことを考えながら、持ってきていた大きな袋のようなものを握りしめる。

 エンリや巫女姫とともにマーレの魔法で空へ浮き上がると、すぐに骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に守られる態勢になる。地上に残るのはクレマンティーヌだけだ。

「待ちやがれ!」

「これは……まずい」

「計画の修正が必要」

 

 ガガーランが吼え、ティア、ティナが警戒する。

 『漆黒』の後衛の護りは強化され、『蒼の薔薇』の計画は早くも修正を強いられようとしていた。

 

「お願いします!」

 

 ンフィーレアが慌てて合図を要求すると、冒険者組合長のアインザックが古びた軍ラッパ(ビューグル)を吹き鳴らす。

 

 

 

 命を賭けた戦い(懲罰)の始まりだ。





●独自解釈:ガガーランの性癖とその感受性()について

 彼女は初物に大人としての肉体言語を求めているので、それが可能な状態にある初物を意識(あるいは感知)する仕様だと解釈しておきます。
 準備のできていない小さな子供を喰いたがる描写はなかったので、このあたりが落としどころかと。

●ティアとティナの性癖について

 ガガーランほど強烈な感受性は無いものとしておきます。


 時折タレント呼ばわりされるガガーランの童貞感知能力ですが、冷静に考えればクライムなんて誰でもわかりそうなものなので、実際に感知能力があるかはわかりません。
 ただ、あったら面白い気もするので、あっても困らないような解釈をしておきました。

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