マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前話のあらすじ

 イビルアイ「さあOHANASHIしようか」
 
 マーレ「捕まえて話を聞くことにしました」
 エンリ「もう一対一の問題じゃなくなったよ。(私たちが)大変なことになるよ」
 マーレ「一対一の問題じゃなくて、(蒼の薔薇が)大変なことになるらしいです」
 イビルアイ「うぅ……実は私が『国堕と』……ぐあっ、げはっ、ちょ、信じてお願い」
 クレマンティーヌ「うわあ……信じてあげましょーよ」














三二 蒼の薔薇討伐依頼

 こんな世界、もう嫌だ。

 

 

 伝説なんて嘘だ、物語なんて気休めだ。

 そう思い知って広い世界に踏み出して、そろそろ一月ほど経つだろうか。

 

 世間体は諦めていた。街に出てからも、それは悪化の一途だった。

 ついには王国最高の冒険者さえ自分を責め立てた。かなり(こた)えたが、それも耐え忍んだ。

 

 それでも、この世界でおかしいのはマーレだけで、その影響さえ我慢していれば大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

 

 しかし、世界はそんなに優しいものではなかった。

 伝説に残る英雄も、王国最高の冒険者も、みんな国を滅ぼすような恐ろしい吸血鬼(ヴァンパイア)とグルだった。

 

 

 

 

 

 辛い現実と向き合うのが嫌になりそうになるが、そういう状況を説明するのがクレマンティーヌとなれば、エンリはそんな弱さを見せることさえ許されない。

 それでも、マーレに聞けば「役に立ちそうなので持ってきました」「ただの玩具です」みたいな酷い説明で済まされかねないのだから、いくらか状況が理解できるだけでもクレマンティーヌの存在はありがたい。

 十三英雄も、『蒼の薔薇』も、国を滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)『国堕とし』と行動をともにしていた。つまり、様々な困難から人々を救っていたように見えて、そういうものを生み出していた側の存在だったということだ。

 

 ンフィーレアはエンリより現実を受け入れるのが早い。「二百年前に急に世界が大変なことになった理由がわかった」という。災厄をばら撒く側の存在が世界各地で好き放題のことをやって、最後にそれを解決したことにしていたのだと推理する。

 そして、英雄が使っていたような強力な武器や防具が国宝となっていることなどにも触れながら、そんな過程で国が出来たからこそ王国の貴族は問題のある人が少なくないのかもしれないと繋げる。

 クレマンティーヌも「そんな考え方もあるかもね」と否定せず話に乗っている。彼女の祖国スレイン法国では王国はかなり悪しざまに言われていたらしく、むしろその理由として納得して受け入れているような雰囲気だ。

 

 エンリには会ったことも無い大昔の英雄のことなどよくわからないが、お伽話の英雄が吸血鬼の仲間で、そういう邪悪な者たちと仲が良いか従っていたような連中が国を作って今の王国があるという上っ面の部分だけは理解できた。

 それより『蒼の薔薇』だ。ラキュースは貴族だというが、何不自由なく生きていける身分でありながら、食い詰めた人間がやるような危険な冒険者稼業に身を投じるなど不自然にも程がある。考えてみれば、こういう裏がない方がおかしい。

 

 それでも、あまりに暗澹たる世界のありようを知って、エンリは目まいさえ感じた。クレマンティーヌの目が無ければ顔を覆って座りこんでしまったかもしれない。

 

「ただ、吸血鬼(ヴァンパイア)の方は『蒼の薔薇』を騙していただけだって言ってます。まー、庇ってるんでしょーねこれは」

 

「とにかく、ぼくが用があるのはイビルアイだけなので、他はどうでもいいです」

 

 マーレによって意識を奪われた状態のイビルアイは、二百年以上の時を生きた吸血鬼だという。様々な状況で情報を求めるため、マーレはクレマンティーヌのように手元に置くつもりらしい。

 

「こう言ってるし、吸血鬼はこちらで何とかすると言えばわかってくれるかな」

 

「どうでしょうねー。わかってて仲間やってたなら話にならないだろうし、そうでなくても、ねぇ」

 

「どちらにしろ問題なのは、『蒼の薔薇』の弱みを握ってしまったことだね。『蒼の薔薇』のリーダーは貴族の出だから、吸血鬼(ヴァンパイア)と一緒に旅をしていたなんて洒落にならないよ。騙されてましたで済む問題じゃない」

 

 クレマンティーヌが嗜虐的で捻くれているのはわかりきったことで、本来なら吸血鬼(ヴァンパイア)だと知って仲間にしていたなどとは思いたくもないが、この世界はエンリが考えていたほど()()()ではない。さらにンフィーレアにそう言われると円満に解決できる気がしなくなる。

 

「知らずにしたことでも、罰を受けてしまうの?」

 

「人の上に立つということはそういうことだけど、向こうだって素直に罰を受けるわけがない。揉み消して僕らの口も封じてしまえばいいわけだからね」

 

「そうだねー、この国の貴族なら誰でもそう考える。たとえ相手が強くても弱みを探す。今回の場合、エンリ様の村も危ないでしょーね」

 

 ンフィーレアに続いて、クレマンティーヌがろくでもないことを言う。

 

「でも、向こうだって弱みを広められたら困るから、めったなことはできないんじゃ――」

 

「ただ広めても、流言を流して人心を惑わしたって言われるのがオチだよ。貴族と冒険者では信用度が違い過ぎるし、冒険者としても向こうが上なんだから」

 

「そういえば蒼の薔薇は王族とも繋がりがあったはずですよ。王宮に出入りしてるって情報があったんで。……これはもう、闇討ちして片付けてもこっちが悪役にされそうですね」

 

 よくわからないが、その理屈はおかしい。逆に闇討ちしておいて悪役にされない方法があるとでも言うのだろうか。

 

「アダマンタイト級冒険者といえば英雄みたいなものだから、それくらいのコネもあるだろうね。それなら、こちらが何を言っても英雄の足を引っ張る流言を流す者として非難されるだけで終わりだよ」

 

「それじゃ、どうすれば――」

 

 困り果てたところを、何をつまらないことで悩んでいるのか、という雰囲気で口を挟むのはマーレだ。

 

「えっと、困ってるならどうにかしてもいいですけど、その王宮っていうのはスレイン法国の神殿の百倍以上大きいですか?」

 

――うわ、嫌な予感しかしない質問。

 

「そこまで大きくないです。た、たぶんマーレ様の考えてる天災っぽい何かでもカタはつくけど、それは最後の手段にした方がいいかなーって思います。私も目立ちたくないし、マーレ様もそうでしたよね」

 

「そうですね。いい手があればそっちにしてください」

 

 凶悪なクレマンティーヌも、マーレの前では常識人として振る舞うことが増えている。ありがたいことだ。

 

「うんうん、それがいいと思うよ。……ンフィー、何か言いたそうにしてるけど?」

 

「この街には蒼の薔薇に迷惑を蒙ってる人たちがいるから、それを味方につければチャンスもあると思うんだ」

 

「お、ンフィーちゃん賢ーい。それなら相手が貴族でも王族でも大丈夫かも」

 

――ん? なんか馴れ馴れしい……。

 

 こういう時、たまに二人の関係が気になってしまうが、それより今はンフィーレアの話だ。クレマンティーヌがわかったふうな態度をとっているからエンリもそうせざるをえないが、当然ながら何が言いたいのか全くわからない。

 

「ちょっとずるいかもしれないけど、吸血鬼(ヴァンパイア)の件を『蒼の薔薇』に閉鎖された組合を解放する大義名分にすれば、少なくとも組合は味方になってくれるよ」

 

「へ? それだけ? それじゃこの街以外では向こうが正義だよ。組合に目をつけたところまでは凄かったんだけどなー」

 

 クレマンティーヌは拍子抜けしたような反応。感心してその話に乗っかろうと思ったエンリはギリギリの所で踏みとどまる。

 こうして、聞きたくても聞けない立場の辛さを味わうのは何度目だろうか。困ってンフィーレアの方を見ると、同じように早く続きを聞きたいという態度だ。

 

――ンフィーは自分を取り繕う必要なんて無いんだから、早く聞けばいいの……に……。

 

 

 

 

 

――そうだ! 私以外の人に説明してもらえばいいんだ!

 

 

 

 

 

「クレマンティーヌ。あなたの考えていることをンフィーにわかりやすく()()()()()()()

 

 エンリは会心の一言を思いついたことで心の中で小躍りしたが、ンフィーレアはエンリとは違う方向できちんと頭を使おうという姿勢があった。

 

「待って。……ええと、組合を通して僕らが正しいってことを皆に知ってもらえばいいってことでいいのかな?」

 

「まあ、正解だね」

 

「でも、どうやって? 組合が処分とかできるのはエ・ランテルの冒険者だけで、『蒼の薔薇』は無理だし……」

 

「ンフィーちゃんのおかげで思いついたんだけど、わっかんないかなー。組合とか冒険者たちを見届け人として蒼の薔薇を潰せばいいんだよ。つまり、エンリ様のいつもの発想でいいってこと。ですよねー」

 

「ええっ……あー……うー……潰すって、ちょっとわかりやすく説明してあげてほしいんだけど」

 

――ですよねーじゃない。いきなり振られても困るし、そんなのがいつもの発想なのはマーレだけだと思う。

 

「はーい。まず、組合に押し入って組合長でも助け出して蒼の薔薇の罪を晒して、組合から討伐の依頼を貰ったことにしまーす。蒼の薔薇には、勝負に勝てば秘密を守るとか、吸血鬼(ヴァンパイア)を返して欲しいなら返すとでも言えばいい」

 

「返す気はありませんよ」

 

 話を聞いているように見えなかったマーレだが、すかさず口を挟む。

 

「どうせその勝負で蒼の薔薇を潰せば、危険な吸血鬼はこっちでどうにかするって話にもできます。でも、見届ける組合の冒険者たちが怯えないような戦い方にしてくださいね」

 

 クレマンティーヌはマーレの希望には逆らわない。吸血鬼(ヴァンパイア)をどうするつもりなのかはよくわからないが、その表情に迷いが無いことから何か考えがあるのか。これまで『蒼の薔薇』が隠してこれたのだから、どうにかする方法があるのだろう。

 とにかく、ここまで来たら蒼の薔薇とはぶつかるしかないということはエンリも頭では理解しているが、王国最強の冒険者チームと戦う覚悟などあるはずがない。クレマンティーヌの前で強者を装ったまま戦いを避けられるような上手い理屈が全く思い浮かばないのが辛いところだ。

 

 

 その後、イビルアイが人質として通用しなくとも冒険者組合へ力ずくで押し入ろうというクレマンティーヌの案は、ンフィーレアによって各神殿勢力と都市長から依頼を取り付けてから押し入るという形に修正された。

 少し穏便になったのは助かるが、最後に『蒼の薔薇』と戦うという部分はどうにかならないものだろうか。

 

 この時、都市長が冒険者組合の閉鎖を認めるサインの後ろに自筆で書き足した「本件に一切の関わりを持たない」という一文をもって『蒼の薔薇』に協力的でないことを見抜いたンフィーレアと、ンフィーレアの提案を聞いてすぐにそのことを思い出し話に乗ったクレマンティーヌは、エンリとは別次元の存在のように思えた。

 しかし、エンリは信じたい。文字さえ読めれば、きっと自分だってそれくらい思いついたか、少なくとも二人と同じ立ち位置で会話に入っていけたはずだと。

 

 クレマンティーヌとンフィーレアは盗まれた鎧がどうとか決闘の条件がどうとか細かな部分の打ち合わせをしているが、エンリの頭には入ってこない。

 それでもこの日、これからの人生の強い支えになるかもしれない「説明してあげて」という言葉に到達することができたエンリは、少しだけ自分自身の可能性について前向きに考えることができるようになっていた。

 

 

 

 

 

 まず、一行は神殿へ向かった。

 神官というのはアンデッドを見分けられるので、吸血鬼(ヴァンパイア)であるイビルアイがどれほど酷い状態でもそれに同情することはありえないとのことだが、今のエンリはその程度の話で安心できるほどおめでたくはない。

 国を滅ぼしたという恐ろしい吸血鬼(ヴァンパイア)に同情するわけではないが、街中で血塗れの少女を持ち運ぶか引きずり回す冒険者というその見た目がどうしても心配になり、一応マーレに回復しておいてもらうことにした。

 やはり街では人目が無いわけではなく、通りすがりの四人組の旅装の男女にはジロジロと見られたりもしたので、その判断は正しかったはずだ。

 

――神殿や都市長が代わりに『蒼の薔薇』の処罰とかやってくれないかな。

 

 そんなエンリの期待は空振りに終わる。

 エ・ランテルは比較的大きな街だが、それでもアダマンタイト級冒険者を自ら断罪しようなどという組織が存在するはずもなかった。それどころか、ンフィーレアとクレマンティーヌの二人はいきなり『蒼の薔薇』の名を出せば討伐依頼を貰えるかどうかも怪しいという。

 

 結局、ンフィーレアの立案によって、最初の神殿では『蒼の薔薇』の名を出さずイビルアイとその正体を隠蔽してきた手段を見せるだけで「吸血鬼(ヴァンパイア)を街に連れ込んだ冒険者」への討伐依頼を書面にして貰い、次以降の神殿では吸血鬼(ヴァンパイア)とともに書面を半端に見せて事情を話すことで「吸血鬼(ヴァンパイア)を街に連れ込んだ『蒼の薔薇』」への討伐依頼を貰うことができた。そんな時、イビルアイはクレマンティーヌに何やら囁かれ、何かに耐えるように黙り込んでいた。

 こちらから声をかけて依頼先まで書かせるのはおこがましいとして冒険者チーム『漆黒』の名を書かせなかったのは、エンリのせめてもの抵抗だ。

 

「どこの神殿だって自分たちが最初に『蒼の薔薇』に敵対する勇気は無いだろうけど、勝手に横並びだと思ってもらえれば大丈夫なんだよ」

 

 そう言うンフィーレアに、いつも通りわかったふりで応じておいた。エンリはこのことを二人きりになれる時まで覚えていられたら、きちんと説明を聞いておくつもりだ。

 都市長も「しんでんせいりょくのそういなら、しかたないね」と言いながら書面を書いてくれたが、その内容は「『蒼の薔薇』の吸血鬼(ヴァンパイア)」の討伐依頼となっていた。ンフィーレアが目を丸くして、クレマンティーヌは「食えないおっさんだね」などと言っていたが、ぷひーぷひーと可愛い鼻息を立てていたあの人に限って複雑なことを考えているということはないだろう。あまり話を聞いていなかったせいに違いない。

 

 

 

 

 

「蒼の薔薇に迷惑を蒙ってる人たちを味方にするんだったら、他の冒険者にも声をかけた方がいいんじゃないかな。ランクの高い人たちだけでも」

 

 それが今のエンリの精一杯だ。討伐依頼には依頼先の記載が無く、結構な金額が提示されている。もしかしたら宿屋にいたミスリル級や白金級の立派な冒険者たちが複数チームで連合を組んでどうにかしてくれるかもしれないと考えたのだ。

 エンリの気持ちを知ってか知らずかンフィーレアが賛成し、宿に滞在している間に冒険者たちと親交を深めていたクレマンティーヌが今いる全員を連れてくると約束する。

 エンリは逆転の一手が思い通りに動き出したことで胸をなでおろす。

 

 しかし、連れてこられた三十人余りの冒険者たちに戦意は無い。『漆黒』が『蒼の薔薇』と戦うという前提で、彼らはその見届け人として、また冒険者組合の業務を再開させる手助けとして連れてこられていた。

 状況を説明する中で、複数の信仰系魔法詠唱者がイビルアイがアンデッドであることを確認してもそれは変わらない。怯えや畏れの色を見せるかエンリたちを遠慮がちに激励するかで、ともに戦おうとか自分たちがやってやろうという気概は全く見られない。

 

「無茶を言わねえで下さい。俺たち全員が束になっても『蒼の薔薇』の相手なんか無理ですぜ」

「我々なんてその魔法詠唱者(マジック・キャスター)吸血鬼(ヴァンパイア)だけで全滅ですよ。たとえ『漆黒』と一緒でも足手まといにしかなりません」

「クレマンティーヌの姐さんに言われた通り組合は元通りにしますし、決闘は全員で見届けますんで、後はよろしく頼んます」

 

――決闘とか伝わっている。よけい逃げ道が無くなっただけかも。

 

「お、俺は……死ぬ気で『漆黒』のために頑張りますから……」

 

 頑張ってくれそうな人もいるが、顔面蒼白で小刻みに震えている。

 見ると、それは以前エンリの理解者として組合長に意見してくれたイグヴァルジというミスリル級冒険者だ。クレマンティーヌにぽんぽんと肩をたたかれて親しげな雰囲気だが、体調でも悪いのか、あるいは『蒼の薔薇』の英雄然とした顔の裏にある恐ろしさのようなものを知っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、エ・ランテルの冒険者たちは、自分たちの本拠地(ホーム)を取り戻した。

 

 この街の上位の冒険者の大部分が集まって組合長への面会を申し込んでくれば、よそ者の『蒼の薔薇』は一歩退かざるを得ない。

 リーダーのラキュースは神官であり、マーレが連れているイビルアイの変化にも気づいているようだ。今のイビルアイは正体を隠すマジックアイテムを外されており、神官であれば簡単にアンデッドだと見抜くことができる。

 

 エンリたちは冒険者たちに守られながら軟禁状態だった冒険者組合長プルトン・アインザックに会い、がっちりと握手を交わした。組合長は『蒼の薔薇』への協力を拒み続けていたらしい。

 

「エンリ君も含め、この街の冒険者を信じるのが私の仕事だ。どちらがつよ――ゴホン! どちらが正しいかは、私には最初からわかっていたよ」

 

 アインザックは討伐依頼書に躊躇なく冒険者組合長印を押していく。最後に、組合長を依頼者とする『蒼の薔薇』の討伐依頼書を作成し、『漆黒』への指名依頼とした。

 エンリは思わず声をあげる。

 

「そ、それはちょっと!」

 

「心配しなくていい。これは私が君の味方だという証だ。後の責任は全て私が取る。エ・ランテルの冒険者組合を取り戻してくれ」

 

――心配しているのはあなたのことではないんだけど。

 

「姐さん頑張ってください」

「エンリさん、お願いします」

「俺達の組合を取り戻しましょう!」

「な、何でもしますから……」

 

 退路は塞がれた。こうなったら、これ以上戦いを煽られる前に冒険者組合の正常化を急がねばならない。

 エンリたちは冒険者を引き連れ、『蒼の薔薇』のもとへ向かう。ここでするべきは戦いではない。

 

「組合の鍵や書類などを返してください。みなさん困っています。吸血鬼を連れていたあなた方にそんなことをする資格は最初から無かったのです」

 

 これはエンリの本音だ。人のことを疑ってかかる前に我が身を顧みてほしい。

 討伐依頼を突き付けられた『蒼の薔薇』のラキュースは顔面蒼白になりながら、武器に手をかける仲間たちを制する。

 戦士のガガーランは苦虫を噛み潰したような顔でラキュースを守るような位置取りをするが、盗賊風のティアともう一人の同じ顔の女は表情を変えずにラキュースの方を窺っていた。

 もしラキュースが一言でも指示をすれば、すぐにでも襲いかかってきそうな雰囲気だ。

 

「ここで事を荒立てるつもりはありません。まずは話をしましょう。そちらのお二人は、こちらの冒険者の皆さんと一緒に組合を元に戻す作業を手伝ってください」

 

「鍵が開かない扉が開かないでは困るから、よろしくねー」

 

 戦いを恐れるエンリは理屈も考えずに飛び道具を持っていそうな盗賊風の二人を引き離しにかかるが、クレマンティーヌの的確なフォローに後押しされる。

 

「ティア、ティナ、ここは仕方がないので、言う通りにしましょう」

 

 

 

 応接室ではエンリたちと『蒼の薔薇』のラキュースとガガーランがソファに座り、各冒険者チームのリーダーがそれを取り囲んで立っている。ソファの端に座ったマーレが意識の戻っているイビルアイの腕を掴んでいるのは、拘束への耐性を持っているとかで縛ったりすることができないからだ。マーレとクレマンティーヌがしっかりと脅してあるらしいので、無茶なことはしないだろう。

 

「こいつの方から喧嘩を売ってきたらしいね。あんたら偉そうにしてるけど吸血鬼(ヴァンパイア)なんか連れてたんだ」

 

「いや、私は正体を隠していた。こいつらは――」「黙りなよ」

 

 こういう時、『蒼の薔薇』の威圧感に負けないクレマンティーヌの存在は助かる。すぐに口を挟むイビルアイを黙らせてくれた。

 

「おいお前、あの時は一体どこへ逃げたんだ」

 

「んー? ちょっとこいつの化けの皮剥がすの手伝ってただけだよ」

 

 クレマンティーヌは、マーレがイビルアイと会った時に『蒼の薔薇』とひと悶着あったと聞いている。ガガーランが問うのはその話だろうか。

 

「卑怯者が。最初から二人で仕掛けるつもりだったのかよ」

 

「二人? んふふ、それはどうだろうね」

 

 顔を歪めて吐き捨てるガガーランをクレマンティーヌが嘲笑う。

 

「イビルアイは……『蒼の薔薇』の大切な仲間です。私たちの仲間を返しなさい」

 

――仲間?

 

 他の冒険者たちも立ち会っているというのに、ラキュースの言葉には迷いがない。それはエンリにとっては軽い驚きだった。

 イビルアイは元々マジックアイテムで正体を完璧に隠していた。それなら、『蒼の薔薇』は正体に気付いていなかったことを前提に、口封じに来るか、仲間であったこと自体を否定してしらを切るかと考えていたからだ。

 それが、アンデッドを看破でき神官のラキュースがこのような事を言えば、言い逃れはできなくなる。また貴族の縁者という立場でも、吸血鬼(ヴァンパイア)を仲間と認めるのはとんでもないことのように思えるが――。

 

「違う、仲間じゃない!! 私が騙してたんだ、そうだ、お前たちが仲間と思ってるのは私の魔法の力だ。私のことは諦めて、帰れ!」

 

「何を言ってるの!? そんなわけにいかない。イビルアイは私たちの大切な仲間よ!」

「そうだ、俺たちは仲間だ! イビルアイは人間に危害を加えるような存在じゃない!」

 

 吸血鬼(ヴァンパイア)のイビルアイがまるで仲間を庇うようなことを言う。そして、ラキュースが、ガガーランが、イビルアイを庇う。

 

 まるで茶番だ。アダマンタイト級冒険者ともあろう者たちが、イビルアイが正体を隠すマジックアイテムを失っていることに気付いていないわけがない。

 あるいは、そんなことは関係なく、そういう演技をすることでこの場を自分たちの信用力だけで押し通そうとしているのかもしれない。

 

 つまり、『蒼の薔薇』は吸血鬼(ヴァンパイア)を仲間として扱い、これまで通りにやっていきたいということ――それは、『蒼の薔薇』がイビルアイを吸血鬼(ヴァンパイア)と知っていて仲間にしていたということでもある。そして、イビルアイの正体が露見してもなおそれを止めるつもりはないようだ。

 

「こいつらは不味い! 頼むからここは諦めてくれ! お前たちでは――」

「ちょっとうるさいよー。黙らないとその仲間が…………」

 

 クレマンティーヌが耳元で何やら囁いてイビルアイを黙らせる。

 

 

 『蒼の薔薇』の行動は理解できない。吸血鬼(ヴァンパイア)を連れて王宮に出入りしていたような者たちを、こんな白々しい演技で誰が信じるだろうか。全てが露見し、全てが手遅れだというのに。

 エンリはラキュースからの厳しい詰問を思い出し、ふと暗い笑みを浮かべてしまう。その笑みには、事前に粗探しをしてまで自分を陥れようとした相手が英雄などではなく邪悪な存在だったことへの安堵の感情も含まれていた。

 

「ラキュースさん、あなたは神官なので、今はイビルアイが吸血鬼(ヴァンパイア)だとわかるはずです。……わかっていてそんなことを言っているんですか?」

 

「イビルアイは吸血鬼(ヴァンパイア)ですが、それでも『蒼の薔薇』にとってはかけがえのない仲間です。人間に危害を加えるような存在ではないことは私たち『蒼の薔薇』が保証します」

 

 ラキュースはエンリの方を目をまっすぐ見て、堂々とした態度で言い放つ。引き込まれそうな澄んだ目は、とても嘘をついているようには見えない。 

 

 

 

――こんな綺麗な目でそんなでたらめを言えるなんて、このひと怖い!

 

 

 

 『蒼の薔薇』が連れていたイビルアイは国を滅ぼしたことがある吸血鬼(ヴァンパイア)のはずだ。本人が明かしたのだから間違いはない。そして、国が滅ぶような状況なら、その犠牲は数百や数千では済まなかっただろう。

 

 エンリは戦慄し、僅かに残っていた暗い笑みは引きつったものになる。

 

 

 

 このラキュースは冒険者である前に嘘と謀略の世界で生きてきた貴族(ばけもの)なのだと、エンリは思い知った。

 

 

 

 追い詰められているのは『蒼の薔薇』のはずなのに、何故かはわからないが、この場の善悪さえ簡単に引っ繰り返されそうな不気味さがある。

 この場でも、仲間の神官たちから確実な答えを得ているはずの冒険者たちにさえ戸惑いが見える。これでは、確証をもたない役人や他の貴族であれば『蒼の薔薇』の方を信じてしまうかもしれない。

 

「んふふ、つまり『蒼の薔薇』は『国堕とし』を手放したくないわけだ。一緒に王宮にまで出入りしてたらしいねー。詰んでるわこの国」

 

――がんばれ、くれまんてぃーぬ。

 

 後ろ暗い世界で生きてきたクレマンティーヌには、貴族(ばけもの)の技は通用しないようだ。エンリはクレマンティーヌを心から応援する。

 

「王宮とか関係ねえだろうが! そもそもてめえのあの鎧こそ冒険者殺しの動かぬ証拠だ!」

 

「……へぇ、あれって殺して奪ったものなんだー。初耳ぃー」

 

 クスクスと笑うクレマンティーヌ。窮地のはずだがその余裕……どうするつもりなのだろうか。

 クレマンティーヌの催促するような視線を受けて、ンフィーレアは少し顔を歪め、大きく息を吐いてから口を開く。

 

「クレマンティーヌが発見して隠してあった鎧ですが、貼り付けられていた沢山の冒険者のプレートは『蒼の薔薇』の吸血鬼の犠牲になった人たちのものかもしれませんね。『蒼の薔薇』があれの存在を知っている理由も盗み出す理由もわからなかったのですが、吸血鬼の存在で全てが繋がりました」

 

「き、貴様!」

 

「だよねー。私は盗まれたプレートかと思ってたんだけど、吸血鬼(ヴァンパイア)連れてた連中が殺して奪ったっていうならそうなんだろうね。……イグヴァルジはどう思う?」

 

 クレマンティーヌが憤るイビルアイの頭をぽんぽんと叩きながら言い放つ。

 これは明らかな言いがかりだが、相手は国を滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)と、聖女のような顔で平然とそれを正当化する貴族(ばけもの)だ。クレマンティーヌの過去に絡んでややこしいことになってそこに付け込まれれば、平民の冒険者に勝ち目など無くなってしまう。これは仕方のないことなのだろう。

 

「は、はい。姐さんの言う通り、全て恐ろしい吸血鬼(ヴァンパイア)の仕業だと思います!」

 

「イグヴァルジさん、あなた!」

 

 イグヴァルジは気まずそうにラキュースから目をそらす。

 この人はエンリの事もよく理解してくれて、最近はクレマンティーヌと特に仲が良い。やはり最初の印象通り、信頼できる冒険者だ。

 

「まー、吸血鬼(ヴァンパイア)の冒険者殺しについては、プレートがそれだって証拠も無いから追及はしないけど、王宮に出入りしてたのはまずいよねー」

 

「それは! 私たちがこの国のために戦っていたから――」

 

「国のことを言うのなら、王都で『蒼の薔薇』と貴族であるあなたが吸血鬼(ヴァンパイア)と一緒に冒険者をやっていたという事を公表して、吸血鬼(ヴァンパイア)の処遇を国で決めてもらうのが正しい道だと思います」

 

 クレマンティーヌの言葉に、演技を続けながら食い下がるラキュース。それに怯まず、正論を言ってくれたのはンフィーレアだ。

 勢いを得てクレマンティーヌも楽しそうに追撃を入れる。

 

「んふふ、貴族なら色々な知り合いに迷惑がかかっちゃうねー。取り潰しとか、追放とか? 派閥争いが捗りそー。少なくとも王宮であんたらと仲良くしてる奴は確実に終わるね」

 

「……そんなこと、絶対に許さない」

 

 ラキュースの瞳に怒りの色が灯る。貴族(ばけもの)が普通の人間になった瞬間をエンリは見逃さない。

 

「それなら、こんどは貴族としての力でも使って、このことを握り潰しますか?」

 

「そんなことは……」

 

「エンリ、この国では貴族と正面からやり合うほど馬鹿らしいことはないよ。……ラキュースさん、あなた方が正義だけでやり合える相手ではないのはわかっています」

 

 そう言い放ったンフィーレアは固い決意を込めた眼差しを向けてくる。それは、『蒼の薔薇』がただ諦めてエ・ランテルを去るような流れを期待していたエンリにとっては嫌な予感しかしないものだ。

 エンリはすべての力を思考に回すが、今さら何も出てこない。

 

「私には貴族のそういう力は無いし、あっても使いません!」

 

「そんな言葉を信じられるわけがないよねー。国を滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)を無害だとか堂々と言える女の何を信じろっての?」

 

「それは……」

 

 クレマンティーヌの言葉にラキュースは困惑する。貴族らしい分厚い面の皮でもこのあたりが限界なのだろう。

 

「まー信用できないからこそ、決着をつけておかなきゃってのはあるよねー。『蒼の薔薇』の冒険者としてのプライドくらいは信じてあげる」

 

「決着?」

 

「そ。私らは『蒼の薔薇』討伐依頼をもらってる。あんたらは吸血鬼(ヴァンパイア)を返してほしい。だったら戦って決着をつけるしかないよねー」

 

「それで、イビルアイを返してもらえるの?」

 

「絶対にありえないけど、あんたらが勝ったらそれでいいよ。私らは今回のことを無かったことにしてあげるから、あとは口止めでも何でも勝手にすればいい。元々誰も逆らう奴なんて居ないだろうけどね。でも、負けたら『国堕とし』との関わりを絶ち、この街と私達にも二度と近寄らないこと」

 

 クレマンティーヌが提示したのは決闘だ。その内容は先程話し合ったものなのだろう。ンフィーレアに目配せしながら話は進む。

 場所は今夜のうちに使者を送って指定し、時刻は明日の正午。もしその場に来なければ、すぐに神殿勢力を伴って王都を訪れ、アルベイン家と『蒼の薔薇』のパトロンの処罰を求めるという。

 

「下種野郎が……仲間を人質に取られた状態で戦えってのかよ」

 

 ガガーランが吐き捨てる。その言葉に戦いを止められそうな気配を感じ、絶望に濁り始めていたエンリの瞳が輝きを取り戻す。

 

「確かに、そんな状態で戦えというのは無理な話かもしれませんね」

 

 和解に向けて作った表情は微笑みだ。優しい微笑みを浮かべて発したこの一言で、戦いへと向かう恐ろしい流れが滞る。その隙に、エンリは戦いを回避する道筋を全力で考える。

 

――まずはクレマンティーヌを黙らせるために……ここはマーレで!

 

 エンリは膝を折ってマーレに視線を合わせ、問う。

 

「マーレはイビルアイを解放するつもりはないのよね?」

 

「情報源として確保したんですが、戦う間だけ解放してもいいですよ。どこに逃げても捕まえられるようにしてありますから」

 

 期待していたのと逆方向の答えに、エンリは口をぱくぱくさせる。笑顔が引きつる。前提が崩れ、思考が崩れ、立て直せない。頭がうまく働かない。

 

「そんじゃ、いったん解放して改めて吸血鬼(ヴァンパイア)ごと『蒼の薔薇』を討伐するって形でいきましょーか。エンリ様も全員まとめて潰したいみたいだし」

 

 冒険者たちが驚愕の表情でエンリに注目する。とっさに引きつった愛想笑いで応じるが、正しい表情はこれじゃない気がする。しかし、もう遅い。

 決闘の条件としてクレマンティーヌに付け加えられたのが、直前にイビルアイを解放し『蒼の薔薇』とともに戦うことを許すということ。

 有効な手を打てないままこれを聞いたエンリの心臓は飛び跳ねた。

 

――死ぬ。絶対死ぬ。アダマンタイト級冒険者で、投げナイフみたいなの持ってるのが二人居て、さらに吸血鬼(ヴァンパイア)魔法詠唱者(マジック・キャスター)まで相手に戻すなんて。

 

 エンリはぱくぱくと口を動かすが、うまい言葉が出ない。

 ンフィーレアに視線を合わせると、目を伏せて小さく首を振る。どうにもならないという雰囲気だ。

 

「……わかりました。全員でということなら、その勝負受けます」

 

 ラキュースは静かな怒りをたたえた瞳をエンリに向け、決闘を受け入れた。『蒼の薔薇』だけでなく冒険者たちの視線も集まってくるので、エンリは動揺を押し込めて表情を引き締めた。


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