マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前話のあらすじ

 『蒼の薔薇』の前で晒された幼い巫女姫の全開の肌色
 思わず啖呵を切るクレマンティーヌ
 空気を読まずに存在を主張するイシュペン
 とりあえず『国堕とし』について聞いてみるマーレ
 話の流れで突如現れた闇のラキュース

 そして、仮面の少女は死地へ赴く
「マーレを私が大きく凌駕するなら勿論、たとえ互角であったとしても問題ない」
 『漆黒』(エンリたち)に実力を見せつければ有利に働くという考えだ







三一 マーレと国堕とし

「戻った『漆黒』が早速『蒼の薔薇』ともめていたらしいわ」

 

「静観すべき。私たちの動きを王国側に知られるのはまずい」

 

「まさか、討伐されるってことはないだろうな。いくらクレマンティーヌでも『蒼の薔薇』が相手では……」

 

「アダマンタイト級冒険者ともあろう者が、あんな露骨な煙幕に釣られて行動するとも思えませんが」

 

 彼らは専ら街の中で張っていたため、『漆黒』の帰還後まもなく、冒険者組合の前に突然現れたという噂を聞くことができた。あとはギルドの裏口で職員の帰宅時間を狙って最低限の情報を得たというわけだ。

 

「でも、あれが煙幕かしらね。狼煙だと思って近づいたら村が全焼してたってくらい盛大な悪評じゃない。仕事で事情を聞いていなければ今すぐにでも討伐されてほしいくらいよ」

 

「釣られたふり、という考え方もある」

 

「討伐したことにして王国に引き込むってことか? だったら困るな」

 

「それも迂遠すぎるような気がしますね。そんな考えで焦って火中の栗を拾って、本当に討伐だったら大火傷を負うことになりかねません」

 

 彼らの腕は『蒼の薔薇』には遠く及ばない。

 結局、この場の結論は静観ということになった。クレマンティーヌという人物については事前に聞いてあるので、今の王国と馴染むとも思えない。慌ててもリスクの方が大きいという判断だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿に戻ったクレマンティーヌは久しぶりに気分良く酒を飲んでいた。空きっ腹でも飲むのはそこらじゅうのテーブルに久々のタダ酒があるからで、食べ物を控えるのは後で旨いものを食べにいくことになっているからだ。

「久しぶりー、みんな元気だった?」

 テーブルを渡り歩き、冒険者たちに声をかけながら勝手に酒を拝借する。

 イグヴァルジが目を合わせないようコソコソと逃げていくのを視界の端で確認するが、今は奢らせる必要もないので放っておく。あの態度は、少し教育が足りないのかもしれない。

 

 エンリたちが宿へ立ち寄り、合流してようやく食事だ。あの後『蒼の薔薇』とは特にトラブルにはならなかったらしく、気分良く食事を楽しむことができた。冒険中の簡素な食事は恭順する亜人たちから肉や魚が提供され少しずつ立派になっていったが、やはり人の手の入った本格的な料理は違う。何より大切なのはスパイスだ。

 クレマンティーヌは、人間が人間であるのはスパイスのおかげなのではないかと思う。あの悪夢のような朝から、日を追うごとに生臭い食べ物が苦手になっている。スパイスを多めに、そしてよく焼くように注文できるこの店は素晴らしい。

 

 

 そして、幸せな食事の時間の後は現実に戻らねばならない。

 今後のことを考えるためいったん全員でバレアレ家へ戻ると、そこには青い顔のリイジーが待っていた。バレアレ家を襲った盗難事件の顛末を聞けば、すぐにマーレを除く全員が青ざめる。

 

 クレマンティーヌは『蒼の薔薇』などどうでもいいが、すぐにマーレやエンリのお仕置きの可能性を意識して震えあがる。

 エンリと視線が合うと思い出してはいけないものを思い出し、こみ上げてくるものがあったので、てくてくと歩く巫女姫を押しのけてトイレに飛び込んだ。

 

「うえぇっ、おげえぇぇぇぇぇ!」

 

 コツ、コツと弱弱しく扉が叩かれるが、相手をしている余裕など無い。たっぷりと飲み食いしたものを全部口から出しながら、部屋から漏れる会話を拾おうと耳を澄ます。

 巫女姫が扉を叩く音が邪魔なので叩く瞬間に合わせて扉を蹴ると音は止み、室内の会話を聞くことができた。巫女姫はとぼとぼと部屋の方へ戻っていったようだ。

 

 幸い、クレマンティーヌの責任を問う者は居ない。

 鎧を盗んだのは『蒼の薔薇』の手の者だろうとンフィーレアが指摘するが、これは当たり前の推論だ。

 そして、今問題になっているのは鎧を盗んでおきながら何も言ってこなかった『蒼の薔薇』の姿勢だ。『蒼の薔薇』などどうでもよいが、この流れには乗らなければならない。責任を問う流れにしてはならない。

 

 クレマンティーヌはトイレの扉を勢い良く開けると、足早に部屋へ戻って話題に加わる。

 勢い余って巫女姫を突き飛ばしてしまうが、よろめきながらも手近な木桶に捕まって転ばずに済んだので気にしなくていいだろう。顔色が悪いのは体調でもよくないのだろうか。

 

 

 

 

 

 エンリは目の前の現実と向き合いきれない。最初から敵視されていた。『蒼の薔薇』との会談を乗り切ったと思ったら、全ては茶番だったということだ。

 ンフィーレアだけでなく、部屋に戻ったクレマンティーヌも一緒になって現実を突きつけてくる。頭を抱えるエンリに、クレマンティーヌが軽口を叩く。

 

「たかが冒険者だし、邪魔ならやっちゃえばいいだけじゃないですかー?」

 

「べ、別に『蒼の薔薇』なんてどうってことないけど、これからも王国でやっていくわけだからいろいろと――」

 

「何かやる気なんですか? 確かにあいつらは王宮に出入りしてるって情報もあるから、王国で大きなことをするなら利用価値はありますけど」

 

 エンリがクレマンティーヌに強気を装うのはいつもの光景だ。そうしなければマーレとの関わりが無くなった後のクレマンティーヌが怖いから仕方なくそうしているのであって、別に大それたことをしたいわけではない。

 エンリはンフィーレアにちらちらと助けを求める視線を送るが、反応が悪い。

 

「いや、利用とかそういうのじゃ……」

 

「違うんですか? 冒険者として上も見えてるし、王国なんかですることといったらそういうのしか――」

 

「違うと思うよ。じ、自分から強引に地位を狙っては軽く見られる。大きなことをするなら、足場は望まれて得た地位でなければ難しいんじゃないかな」

 

 ようやく助けに入ってくれたンフィーレア。

 何を言っているのかわからないのは最近よくあることだが、何か動揺しているような雰囲気がある。少し顔が赤いのは、いつもの冷静さを欠いている証拠だ。

 やはりバレアレ家として殺人常習者クレマンティーヌの犯罪の片棒を担がされたような形になったダメージが大きいのだろう。本当に、バレアレ家の人々には迷惑をかけ通しだ。

 

 ンフィーレアの視線の先には、何故か木桶の上にしゃがみ込んでいるミコヒメ。目は塞がれているが、口元だけでもどこかほっとした表情のように見えるのは、誰がどう見ても彼女だけはクレマンティーヌの共犯には見えないことを理解しているからだろうか。

 そして、ンフィーレアは気楽な彼女を羨んでいるのかもしれない。

 

 

 そんな時、バレアレ家の扉に一本のナイフが投げつけられる。

 荒事に慣れたクレマンティーヌが音で気づかなければ翌朝まで放置されたかもしれないそれは、一通の手紙を扉に縫い付けていた。

 

 クレマンティーヌは口の端に笑みを浮かべながら、手紙をマーレに見せる。――結局、クレマンティーヌが読むことになるのだが。

 

 

 手紙の主は、『蒼の薔薇』のイビルアイ。マーレと一対一で話をしたいらしい。

 『国堕とし』について詳しい話を聞きたければ、スラムのゴミ山の前の赤い屋根の廃屋に一人で来いという内容だ。

 

 どう考えても罠――その考えだけは共通だが、罠の中身についての認識はエンリとそれ以外で全く違っていた。

 エンリはマーレを引き離した隙に『蒼の薔薇』に襲撃されることばかりを考えていたが、クレマンティーヌが呆れ声で『蒼の薔薇』を心配したことで認識を改める。おそらく罠にかけられるのは一人でおびき出されるマーレであり、間違いなく犠牲になるのは『蒼の薔薇』だろう。

 

「あいつらが勝手に襲ってきて全滅するなら別にいいんじゃないですか?」

 

「別に強そうな人はいなかったので、ぼくは大丈夫です」

 

 誰もマーレを止める者は無く、止める理由も無い。自分たちを追い詰めようとしていた者たちが、実際に自分たちに悪意を持っていれば勝手に奈落の底へ落ちるというだけのことだ。

 エンリのイメージの中で、エンリを執拗に責め立てていた『蒼の薔薇』の面々と、マーレに四肢を潰された時のクレマンティーヌやカルネ村で肉片にされた騎士たちの姿が重なる。心の中で、これで問題が解決するかもしれないと悪魔が囁く。

 

「……マーレの安全が優先だけど、なるべく殺したりはしないでね。あと、やむを得ず戦う場合はできるだけ人目につかない場所で、お願い」

 

 エンリはそれなりに保身を考えながらも、どうにか悪魔の誘惑に勝利した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴミ山への道がわかる辺りまでマーレを案内するのはクレマンティーヌだ。

 目的地を知っているのは他にンフィーレアしかいないため、もし『蒼の薔薇』と遭遇して戦いを挑まれても身を守れるクレマンティーヌが適任ということだろう。

 

 もちろん、手紙の条件に反して目的地まで同行するようなつもりはないし、マーレもそれを望んでいない。

 クレマンティーヌはマーレが望むなら喜んで『蒼の薔薇』と戦い、奪ったことのないアダマンタイトプレートを鎧には飾らないまでも手元にコレクションしておきたいと思っているが、とりあえずマーレが戦いを許可するか襲撃でも受けない限りは大人しくしているつもりだ。

 

 エンリの言っていた「問題が起こらないように気を遣って」というのはよくわからないが、あの女のことだから死体が出たらマーレの代わりに片付けろということだろう。

 幸い、目的地はカジットと組んでいた時に見つけておいた死体の置き場所から近い。でかいのも混ざっているが、五人分くらいなら大丈夫だ。

 

 

 マーレに道を教えて送り出した後、目的地に近づきすぎない範囲で周囲をうろついていると、声をかけるものがいる。

 

「よぉ、良い夜じゃねぇか」

 

「……んふふ、良い夜だね。やっぱり罠だったんだ」

 

「そんな気はねぇんだが、おめぇこそ護衛のつもりか?」

 

「私は下っ端だからね。ただの道案内」

 

 声をかけてきた偉丈夫は『蒼の薔薇』の戦士ガガーランだろう。かつて風花聖典が王国内でクレマンティーヌと戦える数少ない戦士として挙げた時の特徴や、先ほどエンリたちから聞いておいた風貌にも合致する。

 クレマンティーヌにとっては以前のブレイン・アングラウス同様、一度戦ってみたい相手ではあるが、マーレとエンリに逆らって勝手なことをするわけにはいかない。

 ガガーランの声は大きい。その巨体からすれば自然でもあるが、人間として会話をする以上は不自然な大きさで、近くにいる仲間に知らせるためのものだろう。

 クレマンティーヌは奇襲に警戒するが、背後から現れた女――ラキュースにはそのつもりはないようだ。

 

「今回はイビルアイを守るつもりでいただけなのですが、あなたには少し別のお話があります」

「おめぇ、最近人様に見せられねぇようなものを失くしたろ?」

 

 二人は退路を塞ぐ形でじりじりと動く。

 たかが神官戦士がクレマンティーヌを相手に仲間の後ろに隠れずに包囲に加わるその姿は、愚かを通り越して滑稽にも見えた。向こうから戦いを挑んでくれるのなら、相手をしない理由は無くなる。

 クレマンティーヌは初手でラキュースの頭蓋を貫いてからガガーランと一戦を交えるイメージを固め、口の端を吊り上げる。育ちの良いラキュースは嫌いなタイプではあるが、さすがにガガーランと同時では嬲りものにする余裕も無さそうで、それだけが残念だ。

 

「ふーん、王国にはアダマンタイト級のこそ泥なんてのもいるんだねー」

 

「私たちは盗品の鎧を発見した方から通報を受けて、色々調べさせてもらっただけです」

「……わりいな。これでも王国としてトップを張ってる冒険者なんだわ。冒険者殺しの常習者をはいそうですかって見逃すわけにはいかねぇな」

 

「御託はいいよ。昼みたいにゴチャゴチャ難癖付けられるのも面倒臭いし、勝負を付けようっていうならさんせー」

 

 クレマンティーヌは腰のスティレットを手に取ると、低い姿勢を取る。

 露骨にラキュースの方を向くことはできないが、最初に地を蹴るべき足に力が入る。ガガーランに比べ距離の開いた位置取りだが、並の戦士なら無理でもクレマンティーヌなら一瞬で詰められる範囲内だ。

 

 クレマンティーヌは横目でラキュースの綺麗な顔を一瞥すると、ガガーランの側の足で地面を蹴って――その場から消えた。

 

 

 

 

 

 廃屋で待つイビルアイのもとへ、マーレは約束通り一人で現れた。

 イビルアイはマーレの問いには『国堕とし』に関する一般的な伝承通りの答えのみを返しつつ、聞きたいことを聞く。

 

「このように邪悪な『国堕とし』を仲間かもしれないと考えるのはどういうことか、逆に教えてもらいたいものだな」

 

「あなたが味方かどうかわからないので話せません」

 

「ふむ……お前は闇妖精(ダークエルフ)とはいえ二百年前では生まれていないと思うのだが、その吸血鬼が国を滅ぼしたことをどうやって知ったのだ?」

 

「いえ、あのひとがその時期に来ていたならそうなったかなって思うだけです」

 

――仲間とは……魔神か?

 

 イビルアイは仮面の下で表情を硬くする。自身の過去を知る者では無いようだが、これは人違いで済ませて良い話ではない。

 国を滅ぼせるような吸血鬼が他に存在する――マーレの言葉が意味するのはそういうことだ。もし、それが世界に災厄を招く者であれば、ここで情報を得ておかねばならない。

 

「私は十三英雄と協力して『国堕とし』を歴史の表舞台から葬り去った者だ。お前の仲間がそうであるかはともかく、国を滅ぼすような吸血鬼の仲間かもしれない者を放ってはおけない。詳しく話してもらえないなら、少し痛い目をみてもらうことになるぞ」

 

 嘘はついていない。

 イビルアイが十三英雄と協力し共に旅をすることでそれ以降『国堕とし』の名は歴史の表舞台から消え、そのことで『国堕とし』は十三英雄によって退治されたと伝えられるようになっている。すなわち、自らその名を葬ったと言っても良いだろう。二百年という時間は問題だが、人間でもそれだけの時を生きる者が居ないわけではない。

 

 マーレの方を見るとその顔には表情と呼べるものは無く、疑いの色は無いようにも思える。ただ、その瞳の奥には引きこまれそうな深い闇があるだけで、その考えは読み取れない。

 

「そういうつもりなら仕方ないです。あなたも何か知っているようですし、ぼくも強引にでも話を聞かなければと思ったところなので――」

 

 場の空気が変わった。マーレは戦いの気配を表に出すようなタイプでは無いようだが、一瞬の判断でイビルアイは先手を取る。

 一対一で戦うことになれば、マーレが突撃して来ることは読めていた。マーレの奥の手は陽光聖典の隊長を葬った何らかの近接戦用魔法による奇襲であり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)同士の戦いならば接近にも躊躇は無いはずだ。

 

――ならば、近寄らせなければいい。簡単なことだ。

 

魔法最強化・(マキシマイズマジック )結晶散弾(シャード・バックショット)

 

 マーレが駆け寄るその距離を無数の尖った水晶の欠片が埋め尽くし、その全てが散弾となってマーレの身体に叩き込まれる。

 元々、戦端を開く場合はこの魔法を加減して打ち込むつもりだったが、この場では逆に最強化していた。これは理屈では説明できない恐れの感覚によるものだ。

 

 光の散弾が消えた瞬間、腹部に大きな違和感。

 これは、痛みだ。

 イビルアイの腹部を襲うのは臓腑を抉られるような強い痛み。

 

 吸血鬼であるイビルアイにとってあらゆる痛みは戦闘の妨げとなるほどとはならないが、危険信号としての痛みは存在する。

 そして、この痛みは、たった一撃によるものとしてはかつての魔神との戦いでも経験のない危険なもの。

 打ち出した魔法の輝きとともに、マーレの姿は消えた。それが短距離転移であるならば、この痛みは何だ――。

 

 見下ろすと、胸元に迫るマーレの頭。懐に入られ、腹を何かに貫かれたようだ。しかし、転移を発動して魔法による近接戦を行えるタイミングではない。何より、水晶の散弾の全てが跡形もなく消え失せたことの説明もつかない。防御魔法の後の攻撃魔法と考えても同じで、間に合うわけがない。

 

 イビルアイの腹を貫いたものは、細い腕だ。

 腕が背後に回りイビルアイの身体を捕えようとするが、うまく掴めていない。イビルアイの持つ行動阻害耐性のおかげだろうか。

 

 この短い時間であらゆる可能性を考えたイビルアイは、最も恐ろしい結論に辿り着く。

 

 

 短距離転移など無かった。マーレはイビルアイの魔法を無視し、全てを完全に無効化し、ただ恐るべき速度で接近してきたに過ぎない。

 近接戦用魔法など無かった。マーレはイビルアイの上質な装備や魔法的防護を貫いて、ただ恐るべき膂力で腕を突き込んだに過ぎない。

 

 

――化け物。

 

 

 イビルアイは動けない。理解が追いつかない。追いつきたくもない。

 とにかく、振り解いて転移で逃げなければならない。仲間を呼ぶことはこの場に死体を積み上げることにしかならない。

 装備品の効果で拘束は無効化できているが、貫かれているだけではもとより完全な拘束状態ではない。そのため、相手を殴ることはできるし、魔法で攻撃することもできる。勿論、もがき、身体から腕を抜いて逃げることも容易だ。

 しかし、イビルアイを貫いた者がそれを待ってくれるはずもない。

 

 直後、イビルアイの前で初めて使われたマーレの魔法は、位階もわからない高度な転移魔法だった。

 

 

 

 廃屋の傍らで聞き耳を立てていたティアとティナはイビルアイの魔法が放たれたことで駆けつけるが、その後で何が起きたのか知ることはできなかった。わかるのは、イビルアイとマーレの姿が消えたということだけだ。

 周囲を調べてからラキュースたちの方へ向かうと、同じようにクレマンティーヌが目の前で消えたことで慌てていた。

 

「この近くにいるはず。おそらく『漆黒』は全員でイビルアイを狙ってきた」

「戦士のクレマンティーヌも転移させたのだから、遠くへは行ってない」

 

「奇襲に注意して二人一組で、手分けして探しましょう」

 

 転移魔法についてはイビルアイから聞いて多少の知識はあった。魔法詠唱者(マジック・キャスター)本人だけなら遠距離での転移も可能だが、仲間と一緒に転移するのなら、たとえ世界最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が転移の魔法を究めたとしても短距離転移がせいぜいだという話だ。

 これは、イビルアイの持つ転移魔法を羨んで街と街の間を移動するのに魔法でできたら楽だという話になった際、多少説教じみた雰囲気で無理だと諭されたことで聞いていた知識だ。

 

 そして『蒼の薔薇』はスラム近辺を徹底的に捜索した。近郊の盗賊団がかつて使っていた隠し部屋や八本指絡みらしき地下室なども見つかったが、イビルアイの姿どころか『漆黒』に繋がるものは一切見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃がさないようにはしてありますが、少しの間これを見ていてください」

 

()()を手伝いましょうか?」

 

「……殺さない程度でお願いします」

 

 マーレが作り出した迷いの森では、高位の転移魔法以外では転移ができない。今回は別に飛行魔法の対策もしており、「木に登ったり高くジャンプしたりはしないでください」との事だが、地に這うイビルアイに対してそのようなことをする必要も感じない。

 それならば走って出られるかというと、それも不可能だ。それは同じ場所で必死に逃走し、そして拷問を受けたクレマンティーヌが一番よく知っている。そして、たかが魔法詠唱者(マジック・キャスター)ごときが自分より速く走れるはずがない。

 しかし、それを目の前の獲物に説明する必要は無い。自分の手で希望を打ち砕く方が楽しいに決まっている。

 

 クレマンティーヌはスティレットをぺろりと舐めると、四肢の骨を砕かれたイビルアイへ近づいていく。ラキュースとガガーランをやれなかったのは残念だが、殺しだけでなく拷問も大好物だ。

 

「な、何をしようと、お前らに話すことなど何も無いぞ」

 

「んふふ、私はそれでもいーんだよ。拷問するの大好きだし。愛してると言ってもいいね」

 

「……それがお前らの本性か」

 

「私なんて優しい方だよー」

 

 目の前のイビルアイは腹部を二度貫かれ、四肢の骨を砕かれその損傷も激しい。不自然なほど出血が少なく見えるが、魔法というのは何でもありなので何か対策をしているのかもしれない。それでも、普通の人間なら死んでいてもおかしくない状況に見える。

 

「――殺すなって事だし、地味で悪いけど指一本ずつでも行ってみるー?」

 

 多くの人間を嬲り殺してきたクレマンティーヌの経験上、体幹や頭部への攻撃が許される状況には見えない。拘束できれば眼球でも抉りたいところだが、イビルアイが拘束に耐性を持っているのは、マーレに嬲られている時にその拘束を不自然に逃れたことから間違いないだろう。

 もし暴れられて手元を誤って殺してしまえば、命令に反した自分の方がマーレに眼球を抉られかねない。あるいは口にでも突っ込まれるか、何かおぞましい蟲でも潰して眼球に混ぜ込まれるかもしれない。

 

――ガキの癖にしぶとすぎ。それと、これは生気が無いっていうのか……どうも調子が狂うなー。

 

 クレマンティーヌにはその違和感の正体まではわからず、ここでは「地味」な手段に甘んじるしかなかった。目が赤いのも怪我を負っているのだろうがよくわからない。魔法的な力か何か知らないが、死なないギリギリの線がわかりにくいというのは本当に不便だ。

 

 

 

 

 

 転移魔法でバレアレ家に現れたマーレは、白い手袋を血に染めていた。回復魔法が必要になったとしてミコヒメを呼び寄せる。

 

「もしかして、イビルアイという人と何かあったの?」

 

「はい。捕まえて話を聞くことにしました」

 

 ンフィーレアの問いに、当たり前のように応えるマーレ。その平然とした顔を見ながらエンリは軽い目眩を覚える。

 

「ちょ、他の人たちはどうしたの!?」

 

「一対一で、他の人間はその場にはいませんでしたが」

 

「あのね、その人の仲間は他に四人もいるんだよ。もう一対一の問題じゃなくなったの」

 

「でも、イビルアイ以外は全然弱いですよ。クレマンティーヌと同じかそれ以下だと思います」

 

「クレ……ええと、強い弱いじゃないの。冒険者は仲間のために命をかけるっていうし……もう、大変なことになるよ」

 

 エンリの脳裏に浮かんだのは、クレマンティーヌと同じような邪悪な笑みを浮かべる『蒼の薔薇』の面々だ。そんなのが四人もいる集団に恨みを買ってしまえば命がいくつあっても足りない。

 しかし、こういう時のマーレは説得してどうこうなる相手ではない。

 

「――とにかく、私たちは……ええと、ンフィーとリイジーさんの安全を考えて、この街で最初に泊まった安い宿屋に身を隠すから、事が終わったら迎えに来てね」

 

 イビルアイの事は既にエンリの頭の中から抜け落ちている。それどころではないのだ。

 

 かつてクレマンティーヌの拷問が行われる直前のこと、マーレに拷問を行う理由を聞いて「エンリが言ったから」などと言われたことをエンリは忘れてはいない。

 そして、今回イビルアイの仲間たちは健在で、それら全て「クレマンティーヌと同じかそれ以下」というアダマンタイト級冒険者だ。下手に関われば余計に大変な事になりかねないから、考えないようにしているのもある。

 

 既にクレマンティーヌの鎧が盗まれている以上、この家は安全ではない。

 マーレがイビルアイの所へ戻ってしまう以上、一人一人がクレマンティーヌに近い強さだという『蒼の薔薇』に対抗する戦力はこの家どころかエ・ランテルの街を逆さに振っても出てこない。クレマンティーヌを呼び戻しても無駄だ。

 もとより、マーレと離れるのなら身を隠す以外に手段は無い。

 

 マーレは「わかりました」と頷くと、ミコヒメを連れて転移魔法で去っていった。

 エンリとンフィーレアは急いで荷物をまとめるが、リイジーだけは既に準備を終えていた。盗難事件の際、鎧の押収を聞かされた時から夜逃げの準備を始めていたということだ。もちろん、今回持っていくのは旅装と貴重品の手荷物だけではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中では、クレマンティーヌがイビルアイの()()作業を続けていた。

 

「どうしてそこにアンデッドが居るんですか?」

 

 驚いたようなマーレの声。

 この場にはクレマンティーヌとイビルアイ、そして今戻ってきたマーレしか居ないはずだ。クレマンティーヌはイビルアイの大切な品であろう指輪を、スティレットで貫いて捻じ切った指ごと踏みにじりながら振り向く。

 

 クレマンティーヌはイビルアイの表情を観察しながらも上機嫌でこの「地味な」拷問を続けていたが、当初は異常なまでのイビルアイの我慢強さに苦戦していた。嘲笑(あざわら)いながら様々な痛みを与え、ようやく辿り着いたのがこの指輪だ。

 指ごと奪ってやることでようやくクレマンティーヌが大好きな不安や畏れの表情を引き出したこの指輪は、イビルアイにとって大切なものに違いなかった。だから踏みにじっていた。それだけのことだ。

 

 マーレはアンデッドなど知らないというクレマンティーヌから拷問経過の説明を受けると、仮面や指輪など幾つかの装備品をイビルアイに装着しては外しを繰り返し、納得したような表情になる。さらにその顎に手をかけ、口をこじ開けて中を見た。

 

「この指輪で隠していたみたいです。イビルアイはアンデッドで、おそらく吸血鬼の系統です。えっと、この世界で吸血鬼というのは、人間に混じって生活しているものなんですか?」

 

「人間の国では絶対ありえないし……少なくともこのあたりでアンデッドと共存してる国なんて無いですね」

 

 マーレは少しだけ残念そうにしてから、イビルアイに向き直る。ここからはマーレの時間だ。アンデッドが相手となればせっかく連れて来た巫女姫の回復魔法は使えないが、マーレはアンデッドを回復させる魔法を使えるらしい。クレマンティーヌも本来は拷問をする側ならば喜々として参加を申し出るところだが、マーレと一緒に拷問というのは嫌な記憶を呼び覚まされそうな部分があり、どうしても一歩退き、目を背けてしまう。

 

 

 

 

 

 回復手段が確保できたことで、()()は本格化する。

 

 イビルアイは容赦なく引き千切られ、身体の中を掻き回され、様々なものを混ぜ込まれた。

 それでも()()作業は遅々として進まない。種族由来の毒への耐性は魔法でも奪えなかったためクレマンティーヌと同様のメニューをこなすことはできなかったが、回復魔法が使われた回数はクレマンティーヌの時より多く、激しい苦痛が与えられ続けていたことは間違いない。

 なお、相手がアンデッドでは連れてきた意味がなかったかと思われた巫女姫は、作業を手伝うクレマンティーヌの精神を幾度か回復することで役に立っていた。

 そして、幾度となく繰り返されるイビルアイの「早く殺せ」――その張りのある声はとても長時間の拷問を受けた者のものではない。それでも肉体は限界に近づいているため、マーレの魔法によって回復が与えられる。

 

「アンデッドのせいか、どうも精神が自然に回復しているような……難しいです」

 

「エンリ様にでも聞いてみたらいいんじゃないですか? こういう事は大好きでしょうに」

 

 エンリが蜥蜴人に共食いを命じた時から、クレマンティーヌはエンリがそういう存在だという確信を得ている。それまではたまにマーレに合わせてぎこちなく振舞っているような雰囲気を感じることもあったが、さすがに今はそれの方がンフィーレアの前で体裁を繕う白々しい演技だと考えるようになった。

 クレマンティーヌ自身も、少しふざけた自分を作って演じているうちにそれが素の自分に混じってしまっているので、そういう変化について理解はできる。

 

「アンデッドで血があまり出ないから、エンリは喜ばないと思います。……そういえば、他の四人はどうしたんだって言ってました」

 

「他の四人? 結局、全員捕まえろって話ですか」

 

 クレマンティーヌは横目でイビルアイを見ながら、少しだけ声を大きくする。

 これは揺さぶりだ。マーレの拷問は嫌な記憶が蘇るので、早く終わらせてもらいたい。そういう気持ちからのものだ。

 マーレの魔法と暴力でただ極限の苦痛を追求していく拷問とは次元が違うので比べたいとも思わないが、クレマンティーヌも相手に合わせた尋問や拷問の経験は豊富なつもりだ。

 

「そうなんでしょうか。そういえば、もう一対一の問題じゃないとも」

 

「まー、確かに『蒼の薔薇』の仲間連れてきて目の前で拷問するって手もありますよねー」

 

「なるほど、そういうことですか」

 

 二人のやりとりを前に、イビルアイの顔色が変わる。これは()()()だ。

 アンデッドでありながら、心の部分は見た目通りということか。

 

「やめてくれ! あいつらは関係無い!」

 

 もしこれが漆黒聖典の頃の仲間を伴った任務だったら、マニュアル通りに心を揺さぶって尋問するところから始めるので数分で落ちていた相手だったのかもしれない。

 勿論、そういう邪魔者が居ない今は自分の趣味で肉体的苦痛を与えるところから入ったため、アンデッドであるイビルアイ相手には通用しなかったのだが。

 

「そうなんですか? 冒険者は仲間のために命をかけるんですよね。エンリも大変なことになるって言ってましたし」

 

 素っ気ないマーレの言葉に、イビルアイは天を仰ぐ。

 

――アンデッドのくせに随分と仲間思いなものだ。

 

「んふふ、二百年も前のことなんて、隠してもしょうがないんじゃないかなー。人間用としてはこの世界でも最悪を突き抜けて最悪な拷問を四人分、たーっぷり見学してみたいのならいいけどね」

 

 そう言って、クレマンティーヌは深い笑みを浮かべたままイビルアイの耳元に顔を近づけると、畏れと震えの交じる声でその内容を語り始める。それは嘘や誇張の一切ない、真摯な体験談でしかないものだ。

 

 

 

 ()()はあっけなく終わった。イビルアイは観念し、マーレの求める情報を吐いた。

 

 イビルアイは、『国堕とし』本人だ。

 

 十三英雄と戦わず行動をともにしたとかそういう部分は確かめようがない。ただ、これは間違いのない事実だろう。

 マーレに首根っこを掴まれた状態で魔法を使う姿は哀れにすら見えたが、試しに撃たせた魔法が第五位階だとマーレが言う以上は間違いは無い。

 第五位階を使う吸血鬼――それはまさに国をも滅ぼしうる大きな脅威であり、法国に知れたら確実に漆黒聖典が討伐か捕獲に動く存在だ。

 

――やっと、終わった。

 

 拷問は大好きだが、嫌な思い出しかないマーレのものは別だ。クレマンティーヌは安堵して、今後のことを話そうとマーレに近づく。

 マーレはイビルアイの腕を取る。話は転移してからということなのだろう。

 集団転移に備えクレマンティーヌがマーレに寄り添うと――。

 

 

 

「ぐあぁぁああっ!!」

 

 イビルアイの腕が肩口から捻り上げられ、乱暴に毟り取られる。ブチブチと大小の繊維が切れるような音が生々しい。

 

――終わらないの!?

 

「適当なことを言わないでください」

 

 マーレの拷問は終わらなかった。再び、人間の身体が相手では考えられないような大雑把で凄惨な行為が再開される。

 そこにあるのは、そもそもこの程度の弱者が伝説にまで残るのか? という冷淡な態度だ。

 

 クレマンティーヌには拷問を受けるイビルアイを哀れむような気持ちは全く無いが、自身の嫌な思い出を呼び起こすような行為を何度も見たいとは思わない。

 そして、ここからイビルアイの側がマーレの望む答えを出せるはずもないので、マーレの機嫌が悪くなる前に話に加わることにする。

 

 

 クレマンティーヌの説明もあって、マーレはようやく人間の脆弱性とイビルアイの話をつなげて理解することができた。

 そして、『国堕とし』本人であるイビルアイが実は十三英雄に出会ってから一緒に旅をしていたこと、そうやって歴史の表舞台から消えたことが『国堕とし』が十三英雄に倒されたという伝承に繋がったことについても、どうにかマーレは納得した。

 クレマンティーヌは十三英雄が全員死んでいるという部分について胡散臭くも感じたが、それは確認のしようのないことだ。マーレの求めていた情報が、マーレの望まない結果であれ得られたのだから問題は無いだろう。

 

 問題は、『蒼の薔薇』との関係だ。

 マーレは関心が薄くイビルアイの言い分のまま放置しているが、二百年生きているはずのイビルアイは拷問の場数を踏んでいるクレマンティーヌを誤魔化せる程の演技力を持っていなかった。

 そこから見えたのは、『蒼の薔薇』がイビルアイが口先だけで主張するような、「私が勝手に愛着を持って拘っているに過ぎない」吸血鬼に騙されていただけの愚かな冒険者ではなさそうだということだ。もしかしたら、正体を知っていて一緒に冒険をしていた可能性さえ考えられる。

 

 もちろん、今さら『蒼の薔薇』が仕掛けてきたところで何の問題もない。

 ただ、戦い以外の方法で敵対的な行動を取られた場合、困るのは何らかの理由で冒険者をやっていて、王国内に家族も住んでいるエンリだ。そして、エンリの機嫌を損ねればクレマンティーヌの身にも危険が及ぶ。

 やはり、ここはエンリやンフィーレアを交えて今後のことを話し合うべきだろう。

 


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