マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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二六 魔樹を滅ぼすもの

 マーレは既に居ない。気配すら無いということは、どこかへ転移したのだろう。そして、あのマーレが()()()()というものが魔樹ではなくこちらへ向かっている。

 

 亜人の有象無象とは違って、クレマンティーヌはマーレやエンリの冷徹さを知っている。そして、ンフィーレアのように守られるだけの価値がある異能を持っているわけでもない。持っている情報に価値を認められ生かされているが、その大部分は既に吐き出してしまっている。つまり――。

 

――ここは、危険だ。

 

 クレマンティーヌは集団から一気に駆け出す。罰を受けることは覚悟の上で、それを想像するだけでこみ上げてくるものがあるが、それでも戦士としての勘がその道を選ばせた。

 逃亡するつもりは無く、言い訳のできる距離に留めるつもりだが、ただ離れられれば一応の安全は確保できる。また、エンリに追いつかれるとしても、それはむしろ望ましいことだ。エンリがマーレのように集団転移魔法を使うのでなければ、この賭けはクレマンティーヌの勝ちとなる。

 なぜなら、未知数とはいえ強者であるはずのエンリと二人きりなら、それはそれで最も安全な状況となるからだ。エンリがクレマンティーヌを追うにせよ、少なくとも常人であるンフィーレアを伴うことはできない。

 つまり、これは一人で安全を確保するか、エンリという護りを独占するかという、集団転移の可能性さえ排除すれば完璧な賭けなのだ。

 

 駆け出した瞬間、集団の中で意識を失い倒れるものがあった。エンリとンフィーレアに介抱されるのは、マーレの支配下にあったピニスンだ。マーレが離れすぎたためか、あるいは――。

 

 

 

 

 

 そして、クレマンティーヌは自ら思い描いた賭けに勝った。エンリは、追ってこなかった。

 

 

 

 

 

 しかし、クレマンティーヌは一つの可能性を失念していた。それに気づいた時には、手遅れだった。

 

 

 

 

 

 その時、集団から充分に距離を取ったクレマンティーヌの方へ、方向を変えながらすさまじい速度で向かってくる気配があった。失念していたのは、相手が自らの方へ向かってくるという可能性だ。

 遭遇が不可避と覚悟すれば、クレマンティーヌの判断は速い。集団への距離を詰めつつ、それが光の粒も同然のうちから金属鎧の白い輝きを見て、自らの短い刺突武器(スティレット)が少しでも有利であろう森の中へ駆け込む。格上が相手でも戦いの基本は変わらず、金属鎧にふさわしい大きな武器を持つであろう相手とは障害物の多い所で対峙するべきだ。

 

 クレマンティーヌと白く輝く騎士が対峙したのは、魔樹が食い荒らした荒れ地との境界近くの森の中だ。当然、エンリ率いる集団の方への逃走も考えての位置取りとなる。

 輝く騎士は、白金のような輝きを放つ豪華な全身鎧に身を包み、面頬付き兜(クローズドヘルム)の奥の表情さえ窺うことはできない。そのせいというわけではないだろうが、強者の気配のようなものが希薄な存在だった。マーレの言葉が無ければ、そして向かってくる時に並外れた速度でなければ、侮ることもあったかもしれない。

 騎士は手にした斧槍の( ハルバート )柄を地面に突き立てると、そのままクレマンティーヌの姿を観察するかのようにしばらくその場に立ちすくみ、そして静かに言葉を紡いだ。ものものしい鎧姿に似合わない、柔らかな声だ。

 

「やはり、()()()か。……世界を滅ぼしかねない魔樹をなんとかしに来たら、とんでもないものを見つけてしまったよ」

 

「世界が危ないってわかってるなら、自分でなんとかしたらどうかなー。私なんか、世界をどうこうできるようには見えないと思うけど?」

 

「500年というのは人間には長すぎたのかな。まさかスレイン法国が世界盟約を破っていたとはね」

 

 世界盟約――世界を汚す猛毒に対する同盟。破ればスレイン法国の存亡に関わる最強の契約。

 つまり、輝く騎士は竜王やそれが属する評議国の側の存在だ。漆黒聖典にいた頃なら、それを葬る任務を与えられていない限り刺激することを避けるべき状況だが、今はむしろ法国とぶつかってもらった方が都合が良い。

 

「ふーん、よく知ってるねー。竜王か評議国の関係者かな? でさー、盟約? そんな馬鹿なもの誰が守ると思ってんだか。確かに法国の神都ではてめぇらを警戒して動けないけど、六大神の血を引いた先祖返りの人外が大事なものを護ってる。盟約とかてめぇらの優位を維持したいだけのワガママが通らなくて、残念だったねー」

 

 お偉方が時折口にする面倒な話を軽視していたクレマンティーヌに細かいことはわからない。ただ、神人を隠蔽しなければならない状況や、法国上層部が評議国を刺激しないよう常に注意を払っている状況からすれば、そんな盟約は竜王・評議国側が世界における自らの優位を維持したいが為に押し付けたものとしか思えなかった。そうした感覚は、クレマンティーヌが人間である以上、法国を捨てた後も変わることはない。

 

「……漆黒聖典の一員である君が言うなら間違いは無いんだろうけれど、本当に残念だよ」

 

「ちょぉっと情報が古いけど、物知りだねー。でも今の私らには関係ないし、神都にでも行って、好きに争ってくれていいからね」

 

「関係ない? とぼけないで欲しいね。今は本拠地を離れて自由に動いているもう一人の方を問題にしているんだ」

 

――隊長のことかな。

 

「私さー、もう漆黒聖典なんかやめてるし、そんなの知ったことじゃないんだけど」

 

「言い逃れても、大きな力を持つ者を隠しているのはわかってる。盟約を破った以上は痛い目を見せてでも話を聞かせてもらうよ――」

 

 騎士は大きく踏み込んでくる。クレマンティーヌは騎士の斧槍(ハルバート)の軌道を読んで小さな動きでかわそうとするが――得物の大きさの割に、その初速は速すぎる。

 

<不落要塞>

 

 差し出したスティレットは騎士の得物に比べ細く頼りないものだが、武技により斧槍(ハルバート)の斬撃を完全に受け止める。

 

――弾けない! 何で!?

 

 この武技で受け止めた攻撃は、普通は弾かれる。そうならなかったのは、過去にたった一度だけ。

 あれは、クレマンティーヌを地獄へと誘ったあの日の、エンリの攻撃だった。それは、この恐るべき斬撃とはまるで質の違うもの。

 

<流水加速>

 

 クレマンティーヌは目の前の騎士に不気味なものを感じ、武技を発動して全力でその場を逃れようとするが――。 

 

「ぎぃぃいぃっ!」

 

 その脚に斧槍(ハルバート)の細い槍先が突き込まれる。その瞬間、金属の何かを叩き壊すような音が響くと、クレマンティーヌの脚に抉るような傷跡を引きながら斧槍(ハルバート)を持った騎士の腕が落ちた。目の前の結果とは程遠い、空虚な音だ。

 

「……っ!」

「ぐぁああぁぁっ!!」

 

 クレマンティーヌは激痛に耐え、無事な方の脚を踏ん張って騎士から離れる。何が起こったかはすぐに理解できたが、その場には理解できない光景もあった。腕を落とされた騎士は一滴の血も流さず――鎧の中には、血を流す身体自体が存在しない。その騎士は空っぽの、鎧だけの存在だった。

 騎士は突然の奇襲に驚いたふうではあるが、痛みを感じている様子も無い。

 そこへかけられる、場違いな声。

 

「ご、ごめんなさい。これはぼくのしもべなので、殺されると困るんです。これを狙うということは、スレイン法国の方ですか?」

 

 現れたマーレは自信なさげなおどおどとした雰囲気ではあるが、空っぽの騎士の異様な姿に構わず声をかける。騎士の腕を落としたのはマーレの杖による一撃だ。不可視化――気配すら断つのだから、もっと上等なものか――を解除したのだろう、マーレはクレマンティーヌと騎士の間に立っていた。

 

「君たちこそ、法国の者ではないのか?」

 

「あのっ、法国は敵です。これも法国の情報が欲しくてしもべになってもらったんです。あなたが法国と関係ないのなら、戦う理由はありません」

「私は確かに元漆黒聖典だけど、法国なんてとっくに捨てたよ」

 

「……だとしても、世界を汚す者には変わりないのかな」

 

 騎士は残った腕で斧槍(ハルバート)を軽々と拾い上げる。

 

 

 

「待ってください!」

 

 

 

 勇気を振り絞って集団から歩み出たエンリに、空っぽの騎士の面頬付き兜(クローズドヘルム)が向けられる。その空虚な隙間の奥に目や顔といったものがあるか疑わしいが、長く注意を引いたのは間違いない。

 

「そうか、指輪まで……世界を汚す者の仲間に渡ってしまったんだね」

 

「世界を汚す者って、何ですか?」

 

 エンリは空っぽの騎士をまっすぐに見つめて、問う。

 

「世界の外からやって来て、この世界に悪い影響を与えるものだよ」

 

「それは、あの魔樹ではないんですか?」

 

「魔樹もそうだし、その闇妖精(ダークエルフ)もそうだと思う」

 

「そんな……」

「その世界を汚す魔樹から救える者を救おうとしているマーレが、いったいどんな悪い影響を与えているんでしょう」

 

 言葉に詰まったエンリに、ンフィーレアが助け舟を出す。救うこと自体はンフィーレアの提案だが、元々こういう時のためにしたことだ。ンフィーレアの助けを得て、エンリも再び口を開く。

 

「……あなたは法国の人間と勘違いして襲ってきたようですが、私の居た村は法国の人間に襲われ、マーレはそれを助けてくれました。ここにいる蜥蜴人(リザードマン)などの亜人たちも、マーレがいなければ魔樹に滅ぼされていたかもしれません。そうやって私たちを助けることが、世界を汚すことなんですか?」

 

 蜥蜴人の族長たちやリュラリュース配下の精鋭たちも状況を理解し、敵意に近い感情を込めて空っぽの騎士を睨んでいる。

 

「そういうことではないんだ。ただ、百年に一度――」

 

「私たちから見れば、あなたこそ世界を汚す者です。マーレは私の村を、私たちの世界を守ってくれたけれど、あなたはそうじゃない」

「魔樹から皆を守る側のマーレと戦おうというなら、魔樹による犠牲を増やそうとする、魔樹と同じ側の存在になりますね」

「法国と繋がってたら、亜人なんて絶対に助けられない。それくらい、あっちの関係者ならわかるでしょう」

 

 エンリが、ンフィーレアが、そしてクレマンティーヌまでもが、空っぽの騎士を魔樹に差し向けるため、心の一部に蓋をして言葉を繋ぐ。

 

――戦ったら巻き添えで全員死にます。

――死にたくなければ『ザイトルクワエ』と戦ってもらえるように交渉してください。

 

 脳裏にはマーレの言葉が真実味を持って蘇る。奇襲に成功したマーレが、一気に無力化しようともせず睨み合っているような相手だ。なんとしてもマーレでなく魔樹と戦ってもらわなければならない。

 

「……君たちから見れば、そういうことになるのか」

 

「あなたはこの指輪のことを気にしていたけど、これは絶対に邪悪なものに渡さないように言われて預かっているものです。あなたが魔樹でなくマーレと戦おうというのなら、私たちにとってその邪悪なものとは魔樹と今のあなたのような存在です」

 

「言いたいことはわかったよ。リグリットからそれを奪えるほどの存在とも思えないし、その指輪に免じて今回は魔樹だけを相手にすることにしよう」

 

 騎士は、ツアーと名乗った。エンリは詮索を受けることを警戒したが、指輪を受け継いだ者として名を問われたのみで済んだ。リグリットが何者かはわからないが、クレマンティーヌの前で強者を装っている鍍金(メッキ)が剥げればまずいことになる。エンリは止まらない冷や汗を背中に隠しながら、クレマンティーヌより遥かに強い鎧の化け物の前で背筋を伸ばし、虚勢を張り続けた。

 

 

 

 

 

 ツアーと名乗った鎧の主、『白金の竜王』の二つ名を持つ竜ツァインドルクス=ヴァイシオンは、操る鎧を通して見た状況を整理する。結果はともかく、最初の判断まで間違っていたとは思わない。スレイン法国が盟約を破れば世界は歪められてしまうのも、ここで現れたマーレと呼ばれる闇妖精(ダークエルフ)が本質的には悪質な側に寄っているよう感じられたのも確かなことだ。

 ただ、目の前のエンリという人間が持つ指輪は、かつての仲間との繋がりの証とも言っていいものだ。その仲間と繋がりがあるであろう指輪を受け継いだ者の厳しい言葉は、空っぽの騎士に――鎧を操作する主にとって、決して無視できるものではなかった。

 

――リグリット、本当にこれでいいのかな。

 

 鎧の主にとって、人間とは滅びを待つばかりの弱小種族の一つでしかなかったが、かつての仲間たちへの想いと信頼は強い。そして、世界を汚す力――ぷれいやーの多くは人間や人間と関わりを持とうとする者たちだ。それと(おぼ)しき存在が現れたこの時期に、人間たちの中に溶け込むその繋がりを軽視するわけにはいかなかった。

 そして、ぷれいやーの中には世界に協力する者も存在する。マーレは単体ではとてもそうは見えないが、マーレに助けられたというエンリは世界に協力する側に見えるため、マーレもそうなってくれるかもしれない。百年毎の災厄が既に訪れているのならば、どれだけ来ているかわからない状況であえてマーレを敵に回す理由も無い。

 

 

 ツアーはマーレに声をかける。

 

「君は一緒に戦ってくれないのかな?」

 

「ぼ、ぼくは皆を守らなくちゃいけないし、守りながらあんな大きいのと戦うのは無理です」

 

 マーレはおどおどとした態度のままだが、その瞳には何の感情も宿っていない。この小さな身体で鎧を破壊する恐るべき力を持ちながら、こちらへの敵意も無ければ、魔樹への恐れも見えないのが不気味に思えた。

 

「私らは、いきなり襲ってきた鎧の化け物からも守ってもらわなきゃいけないからね。……つっ、ミコちゃんお願い」

 

 漆黒聖典の女戦士は動きの割に深手を追っていたようで、脚を引きずりながら仲間の回復魔法で傷を癒される。

 

「私たちはあなたを信頼したわけではありません。マーレには私たちを守っていてもらいたいと思っています」

 

 エンリが厳しい視線を向けてくる。普通なら会ったばかりの人間の感情など気にならないが、リグリットとの繋がりを考えるとこうした感情をぶつけられることが残念でならない。かつて鎧の姿で人間の騎士のふりをして旅をしていて、仲間たちに正体を明かした時のあの何とも言えない雰囲気さえ思い出してしまう。

 

「あのっ、他に倒しに来る人は来ないんでしょうか?」

 

「今は、私だけだろうね」

 

 周辺にそれらしい気配は無いし、()()はもう帰ってしまったはずだ。

 

「その腕ですが、その、普通の回復魔法は効きますか?」

 

 マーレが声をかけてくる。仲間を守りながらも、できる限りの協力はするのだろうか。「状態変化の護りは必要ですか?」「では、強化は」「防御を補いたい属性はありますか」などと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としては必要なことのようではあるが――。

 

「私には構わなくていいよ。君は皆を守っていてくれればいい」

 

 感情の無いマーレの瞳を見ているうちに、情報を探られているような嫌な感じがして、ツアーは支援の申し出を断った。

 

――この子は、苦手だ。

 

 もやもやとした気持ちのまま、ツアーは魔樹との戦いに赴く。

 

――この戦いは、古き仲間たちとした約束を果たすためのものだ。

 

 この約束には、マーレの不気味さも、指輪を持つ者(エンリ)から信頼を得られなかった寂しさも関係はない。元々自分がするべきだったことを、予定通りにするだけのことだ。

 

――不幸な出会い方をしていなければ、古き仲間たちとの約束を、新たな仲間とともに果たすことができたのだろうか。

 

 ツアーは考える。かつて世界を汚す者たちと戦った古き竜の仲間たちはその殆どが死に絶えた。それらに比べれば、現代の竜王たちは子供のような強さしか持たない。それに対し、世界を訪れる者は百年の周期でこうして現れ続けていく。

 世界を訪れる者の中には、かつて共に旅をしたリーダーのように世界に協力するものも存在するはずだ。今回のような事を繰り返し、それを味方につけることができなければ、いつかこの世界は――。

 

 

 

 

 

「ちょっと様子を見てきます」

 

 ツアーに続いてマーレが去ると、エンリは大きく息を吐き出した。ツアーと魔樹の戦いは始まっており、命懸けの交渉はどうにか成功したようだ。

 

「エンリ、ピニスンが居なくなってる!」

 

「ええっ」

 

 緊迫の交渉の場面で最大の不安要素だった木の精霊(ドライアード)は大事な場面で都合よく意識を失っていたが、今からでも余計なことを言ってほしくはない。その所在は気になるところだが――。

 

「あれ、マーレ様が連れていったみたいですよ」

 

 戦いを注視するクレマンティーヌには、何かが見えているようだ。

 

「……何か、口止めでもするのかな」

 

「さすがにヤバい相手だから、何か()()()でもするんじゃないですか」

 

「そっか、さすがに()()()()戦うんだね」

 

 エンリの方を一瞥したクレマンティーヌは、呆れたような皮肉な笑みを浮かべていた。

 

――私、何か変な事言ったかな。

 

 

 

 

 

 ツアーは終わりの見えない、永遠に続くような戦いを続けていた。魔樹は周辺の森から力を吸い取っているのか、その回復力は想像以上で、この世界の生物の常識に真っ向から反するものだった。触手を幾つか切り飛ばし、本体に大きな傷をつけても暫くすると回復してしまう。この森にそこまでの力の源があるとは思えないが、この魔樹はかつての仲間(ぷれいやー)からユグドラシルの生物だと聞いている。あの時は魔樹の一部が相手だったのでそこまでではなかったが、今回は本体との戦いであり、世界の常識を逸脱した能力を持っていてもおかしくはない。

 ツアーは焦っていた。それは消耗のせいなどではない。このような巨大な魔樹を長く暴れさせておけば、いずれはマーレ以外の同種の者たちが現れ、この場に集う呼び水となってしまうかもしれない。もしそれが悪質な側の者でマーレと手を組むようなことがあれば、かつて世界を汚した者たち――八欲王の再来ともなりかねない。

 背後から戦いを観察するマーレは、今は敵対するつもりはないようだ。その横に倒れているのは――木の精霊(ドライアード)か。その手を取っているのは治癒か介抱でもしているのだろうか。既にツアーの鎧はボロボロで、マーレがその気になれば背後からの攻撃で鎧はすぐにでも破壊されうる状況だ。それでもそうしないということは、今だけは信じても良いということだろう。

 魔樹の振り回す枝の触手を蹴り、それに弾かれたように大きく距離を取る。ただそれだけの衝撃で、痛めつけられた鎧のあらゆるパーツが悲鳴をあげる。残念だが、鎧の姿での戦いはここまでだ。

 

 

 白金の輝きを纏う偉大な竜の姿のツアーは、護っているものを慎重に台座ごと掴み、大空へ舞う。これは、踏み出してはいけない一歩なのかもしれない。しかし、あれがいなくとも結局は自分がやらねばならなかったことだ。鎧の姿でどうにかならなかったのだから、割り切るしかない。

 もちろん、この姿を見せるつもりはない。魔樹を始原の魔法で葬ることができるギリギリまで近寄って、すぐに元の場所へ戻るだけだ。

 護っているのは、剣だ。鎧騎士の姿のツアーでも装備することができないその剣は、ギルド武器と呼ばれるもの。八欲王の遺した八武器の一つで、ツアーがこの場所から離れられなかった理由となるものだ。その力も性質も不明だが、世界を汚したあの力にも似た、運命さえ操りかねない不気味な力が感じられるギルド武器は、漆黒聖典や新たに世界を訪れる者たちに決して渡してはならないものだ。

 

――彼らが居たら、これを持ち出すことなど考えられなかった。

 

 スレイン法国は甚大な災害に見舞われ、ツアーが警戒する漆黒聖典は今回の出撃ではたった二人となっていた。そこには常に隊を率いていた人間を逸脱した強者もおらず、危険な雰囲気を漂わせる神器と呼ばれるユグドラシルのアイテムも存在しない。さらに一人は十年近く前から見かけなくなっていた者だ。そして、若い方が大きめの(フクロウ)を偵察に出して様子を窺うと、手に負えないと見てすぐに引き返してしまった。彼らが向かった先の魔樹は明らかに人間たちにも重大な脅威であり、充分な戦力を揃えずに出るのはこれまでの彼らにはありえないことだ。魔樹の近くにも漆黒聖典の女が居たため、あれは別働隊だったのかとも考えたが、それも違っていた。

 

 もちろん、漆黒聖典だけが問題というわけではない。世界を汚す者たちにこれを奪われることもあってはならず、その危険を冒すことも絶対に避けたい。

 しかし、世界を汚す者たちが集結してしまうという最大の脅威を避けるために、このことは冒さざるをえない危険だ。今の世界にはかつての八欲王に対抗できるような戦力は存在せず、もし敵対するなら八欲王が仲間割れをして滅びていった時のように分断して個別に(たお)さなければならない。

 

 

「いったん魔樹のもとを離れるけど、魔樹は必ず滅ぼす。そのために、このあたりから北へ立ち入るのは避けてほしい。立ち入れば、魔樹を滅ぼす攻撃に巻き込まれることになるよ」

 

 鎧のツアーは警告を発する。そうしなければマーレを倒せるかもしれないが、倒せないかもしれない。そして、ぷれいやーという存在は倒せたとしてもどこかで蘇生して再び現れるのだ。たとえ一度倒せる可能性があったとしても、敵対するつもりのないぷれいやーをわざわざ敵に回すのは愚かな事でしかない。そして、こちらがぷれいやーに騙し討ちをしたことがわかれば、たとえ交渉すれば世界に協力する側に回ってくれるような者でも殆どが敵となってしまうだろう。

 

「そ、そんなに広い範囲が危険なんですか?」

 

「君たちの知らない魔法で、魔樹のあたりに巨大な爆発を起こすんだ。あっちの蜥蜴人(リザードマン)や人間たちも立ち入らないように伝えてほしい」

 

「わかりました。少しの間でも魔樹を自由にさせてしまうのなら、念のため監視目的のモンスターを魔樹のまわりに配置します。それは巻き込んで構いません」

 

「……わかった。すまないが、陽が赤くなる頃までこの場は頼むよ」

 

 少し時間はかかるが、このマーレが守りに徹すればどうにかなるだろう。

 

 

 

 

 

 始原の魔法(ワイルド・マジック)

 

 長い(ドラゴン)の歴史の中で、これほど大きな不安に包まれながらこの力を振るった者がいただろうか。

 

 八欲王との戦いにあっては、怒りや勇気、時には悲しみや怯えとともに行使されることもあっただろう。

 それでも、(ドラゴン)たちはいつでもこの力こそが戦いの帰趨(きすう)を決するものだと信じて、力を振るっていたはずだ。

 

 絶対的な力である始原の魔法(ワイルド・マジック)は、人間種を含めたこの世界でその存在を知られていないわけではない。むしろ、人間たちにとっては、スレイン法国の行動を縛っているように抑止力にさえなっているところがある。

 しかし、あのマーレの前でそれを使うことには、言い知れない大きな不安があった。 

 

「本当に、これでいいのかな」

 

 答える者は居ない。

 そうしなければ、大きな脅威に晒されるかもしれない。

 では、そうしたら何が起こるというのか。

 

 その先にあるのは、この世界を数百年にわたって見守ってきた『白金の竜王』ツァインドルクス=ヴァイシオンにも見通すことができない、真っ暗な未来だ。

 

 

 

 覚悟を持って、闇へ踏み出す第一歩。そこへ灯されるのは、世界を染めあげる白い閃光。

 

 大気を、大地を揺るがす轟音と、あらゆるものを灼き尽くす豪熱の爆風。  

 

 極限の爆発が傷ついた魔樹を白の世界へ包み込み、万物に死をもたらす閃光は一瞬にして広大な領域に拡がっていく。

 森の木々は塵芥となり、緑の大地は剥ぎ取られ、粉塵と化して空に舞うそれらは魔樹の亡霊の如く、丸みを帯びた巨大な大樹を形作って大空に漂う。

 

 

 ツアーは、二百年前の約束を果たした。

 

 

 閃光と豪熱に包まれた致死の領域とその周辺には木々の他にも少なくない生命が存在したが、魔樹のほかは全て不自然なモンスターばかりだった。その数の多さや多様さが気になったが、亜人や人間たちは無事、魔樹から離れた安全な場所に固まっており問題はない。

 

――あれは、何を監視していたのか。

 

 ツアーはぶるりと身震いをする。魔樹が消滅した今も感じるこの視線は、あのマーレのものなのだろうか。この場は魔樹に始原の魔法(ワイルド・マジック)の巨大爆発が届くギリギリの距離で、あの闇妖精(ダークエルフ)が居る場からは現代の竜王たちでも知覚できないほど離れているはずだ。

 少し南へと意識を向けると、マーレの姿は蜥蜴人や人間たちの近くに確認できた。そのことに安堵した瞬間、ツアーはマーレの感情の無い瞳が自らを捉えていることを確信した。

 ツアーはすぐに森に背を向け、数百年ぶりに出す全速力でその場から飛び去る。他の(ドラゴン)がその姿を目にすれば、『白金の竜王』の威厳が失われていることを驚いたかもしれない。悠然と空を跳ぶ本来の(ドラゴン)の王の姿はそこには無かった。

 


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