マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

23 / 69
第六章 マーレとザイトルクワエ
二三 薬草採取という平和な仕事


 二日後、『クラルグラ』は北の盗賊団こと『死を撒く剣団』の(ねぐら)を訪れていた。

 

 討伐隊が組まれないまま銅級一チームに全てを攫われ呆然とする同格の冒険者たちを尻目に、格下の白金級相当とされた安い事後調査の依頼書を迷わず取ったイグヴァルジは、ただ凄惨な殺戮の現場を眺めて帰ることとなった。その痕跡を綿密に調べれば、それが盗賊団の剣士によるものを凌駕するかもしれないということばかりでなく、殺戮者の嗜虐的な性格さえ見えてくる。鋭利な刺突武器で数箇所から数十箇所を刺された死体が多かったが、人間とは思えない力で破裂したかのように引き裂かれたものなどは『血塗(ちまみ)れの魔女』の評判通りのものだった。

 刺突武器を使う者――『血塗れ』の奴隷となった女がそうであったはずだ。一笑に付したはずの、高位の冒険者のプレートを奪って鎧に貼り付けていたという話が急に真実味を帯びてくる。

 しかし、『血塗れ』に敗れて嬲りものにされた女がミスリルやオリハルコンの冒険者を殺せるほどの存在なら、冒険者に登録したばかりの『血塗れ』は既にアダマンタイト級並みかそれ以上の実力者だとでもいうのだろうか。

 英雄を夢見て、必死に冒険を繰り返し、ようやくこの街で最上位のミスリル級にまで昇ってきたイグヴァルジにとって、それは考えたくもないことだ。殺戮の現場を見て『血塗れ』の評判に嘘が無いと知ったことで、『血塗れ』への苛立ちは怒りに変わっていた。想いと情報を引き継いだ『漆黒の剣』のものとは異質な怒りではあるが、することは変わらない。この仕事も、蹴落とす材料を探すためのものでもある。

――刺突武器を使う女はそこまで強者ではないはずだ。単純に『血塗れ』がその女の武器を奪って使ったのでは……。

 そのように、イグヴァルジは自らの思考を不快感の少ない方へ誘導しようとするが、それも適わない。『血塗れの魔女』の非常識な膂力と、恐ろしいまでの精密な技術に裏付けられた刺突の傷跡とは、どうしても結びつかなかった。仲間たちも死体を調べるうちに刺突武器を持つ女への興味を強め、それは仕事を終えた後も『クラルグラ』の話題の中心となった。

 

 

 

 

 

「際立った強者はいなかったようですがね。……あれは異常ですよ、組合長。間違いなく危険な女です。盗賊どもは皆、弄ばれるように身体中を穴だらけにされたり、バラバラに引き裂かれたりして殺されていました。人を殺すのを楽しんでますよ」

 

 組合へ報告に訪れたイグヴァルジは、『血塗れの魔女』の異常性を強調する。ここでは刺突武器を使ったのは誰かという問題は関係ない。

 盗賊団の強者について独自に握っていた情報と違う答えを返したのは、自分たちさえ追い抜いていきそうな生意気な新参者の昇進を少しでも抑えさせたい感情によるものだが、実際に死体からはそれらしい情報も得られない状態だったので問題はない。

 

「……力とは危険なものだよイグヴァルジ君。それに、彼女は正義感が非常に強いか……あるいは、盗賊団のような者たちに恨みでもあったのかもしれないな。誰しも生まれた時から強者ではなく、冒険者になる者は様々な事情を抱えているものだからね」

 

 冒険者組合長プルトン・アインザックは本来、過剰な殺戮や嗜虐性などを良しとする男ではなかったはずだが、ここではイグヴァルジと目を合わせようともしない。聞いていた通り、『血塗れ』との間に何かあるのは間違いないだろう。

 

「……ともかく、盗賊団の方はたいした連中では無かった。そういうことになります」

 

「ふむ……強者がいればオリハルコンも考えたが、ここはミスリル級あたりで良いところか……」

 

 それは問いかけといったものではなく、調査任務の報告者が意思決定に関わるような問題でもないのだが、わかっていてもイグヴァルジは黙っていられない。盗賊団の規模からミスリル級複数チームの動員が必要な実績であっても、銅級の駆け出しがたった一度の仕事で自分たちと肩を並べることを許せようはずがない。

 

「ミスリル級といっても、今はこの街最高のランクですよ。新入りが急に目立ちすぎるのは良くないんじゃないかと思いますがね」

 

 

 

 昇格関係など本来は他の冒険者と話題にするようなことではなく、普段なら適当に煙に巻くところだが、イグヴァルジの言葉はアインザックの中へ素直に入っていった。

 『血塗れ』ことエンリ・エモットは、恐るべき闇妖精マーレの存在を隠蔽すべく、自らの評判を省みずたった一人で冒険者として登録して他の者を使うという形をとってくれている。アインザックはそのことを思い返すことができた。

 

「ありがとう。君が言うならまあ、その通りかもしれないな」

 

 目立つ目立たないで言えば、『血塗れの魔女』の噂は冒険者の間にも広まっており、エンリの思惑がうまくいっているとは言いがたい部分もある。それでも、協力できる部分は協力しておいた方が良いだろう。

 

――昇格ということならチーム名も必要だが、『血塗れ』や『血塗れの魔女』で……良いわけがないな。組合としても少し困るし、聞いておかなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、昇格の方は当初ミスリル級を考えたんだが、事後調査を担当してくれた『クラルグラ』のイグヴァルジ君が、目立ちすぎて困るだろうと言っていてね。今回は白金級ということにさせてもらった。……もちろん、エンリ君が望むなら本来適正なミスリル級以上への変更も考えるが」

 

「いえ、そのまま白金級で。もっと下でもいいくらいです」

 

 もっと控えめな評価にしてもらっても良かった。

 

 組合長の部屋に来ているのは、またもエンリ一人だ。その方が強そうだというンフィーレアの言い分には思うところもあるが、エンリは貴重な理解者である組合長の前では気を楽にすることができた。

 エンリは、この部屋で対応してもらえること自体が特別扱いだと理解してはいるが、この配慮には深く感謝していた。

 確かに、受付から組合長の所へ連れられる際の他の冒険者からの視線が気にならないわけではないが、視線が痛いのは特別扱いのせいばかりではない。最初に組合でモンスターの討伐証明のための部位を提出した時、マーレが素手で骨ごと(えぐ)り取ったものを出してしまい衆人環視の受付で化け物扱いされたエンリとしては、この特別扱いが本当に有り難かった。

 

「悪いが、それ以下は考えられないな。出した結果とあまりに釣り合わないことをしては組合の信用にも関わる」

 

「わかりました」

 

――『クラルグラ』のイグヴァルジさんか。わかってくれる人、ほかにもいるんだ。

 

 エンリはその名を記憶に残しておく。

 事後調査という言葉に『死を撒く剣団』の惨状を思い出して少し不安になったが、良き理解者であるアインザックからその点への言及は無かった。そして、調査がある以上、ブレインのような証拠が無く後で問題になるかもしれない部分は伏せておいて正解だったのだろう。

 その後、チーム名を登録することを勧められ、エ・ランテルへの旅路で出会った剣士エルヤーの勧め通り『漆黒』としておいた。悪口を言われる時も短い方がいい、そんな彼の言葉は、今はあの時以上に理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、これからのことなんだけど――」

 

 バレアレ家の工房の一室に戻ったエンリは、仲間たちとテーブルを囲んでいた。エンリは受け取った報酬の大部分をクレマンティーヌの前に置く。

 

「これはあなたの分。クレマンティーヌにはミコヒメの世話もお願いしていいかな。白金級だからあの宿で過ごして、冒険者組合からチーム『漆黒』への連絡があったらこちらへ知らせてく――知らせてほしいの」

 

「は? これ全部? ここから離れていても……いいんですか?」

 

 クレマンティーヌは目を丸くする。奴隷同然の身と考えていたところへにポンと大金を渡されれば、訝るのも当然かもしれない。

 しかし、クレマンティーヌが前で戦ってくれたおかげで、「事後調査」とやらがあっても問題が起こらず、エンリの評判は悪化しなかったのだ。さらに、エンリには自分たちを守って戦った者の装備に気を配るのは当たり前だという考えもあった。幾多の冒険者プレートが貼り付けられた殺戮者の証である鎧を使わせておくわけにもいかないが、かといって鎧も着せずに戦わせてクレマンティーヌを危険に晒そうという考えにもなれない。それは、マーレに用済みになった後クレマンティーヌを殺すように頼もうとまでは思えないのと同じことだった。

 クレマンティーヌはちらちらとマーレの顔色を窺い、それに気付いたマーレが口を開く。

 

「どこにいてもわかるようになっているので、これの管理をお願いします」

 

「ハひっ」

 

 マーレの言葉に裏返った声で返事をすると、クレマンティーヌは不安な表情のまま何かが残っているであろう自らの腹部をさする。

 

「そのお金は人に見られても大丈夫な新しい鎧を買う分も含めてのものなので、まずは買い物が先で、ミコヒメを連れていくのはそれからということで……」

 

 語尾を濁すエンリ。弱気な言い方にならないよう意識してはいるが、年上で経験も迫力も何もかも違うクレマンティーヌを相手に、大きな態度で接することに慣れるのは難しい。

 

「鎧……そっか。それじゃ、案内にンフィーちゃん借りますねー」

 

「えっ、僕? まあ、別にいいですけど」

 

――なんか仲良くなってない?

 

 エンリは二人を少し複雑な気分で見送る。

 

 ともかく、これで今夜からは部屋でマーレと二人きりだ。常にいかがわしい薄絹一枚の格好を鑑賞できるよう、当初は外套の前さえとめさせなかったミコヒメを、あのマーレが手元から離すことを簡単に認めたのは意外だった。ただ、何をしても反応が無さそうなミコヒメでは飽きが早かったのかもしれないし、世話が面倒だったこともあるのだろう。もちろん、その場で断られたらエンリが装っているものも剥げ落ちかねないため、事前に話し合って了承を得た上でのことだ。

 

 エンリたちは仕事の後、バレアレ家で余っている部屋を提供してもらっていた。そこへ、これまでミコヒメだけでも余計だったというのにクレマンティーヌまで加わってしまい、夜は大人しく寝ることしかできなくなっていた。とはいっても、クレマンティーヌに見られるような状況でマーレが手を出してくれば自分を装うことができなくなってしまいかねず、エンリは気まぐれなマーレの欲望に警戒して眠れぬ夜を過ごしていた。

 

 エンリの中では、今でもマーレは玩具であるエンリとミコヒメを支配する嗜虐のご主人様のままだ。それでいて、クレマンティーヌに対しては強者であるように装わねばならないのだから難しい。安易にその道を勧めたンフィーレアにそのあたりの繊細な事情を説明しづらいのが辛いところだった。

 

 もちろん、クレマンティーヌではマーレのような嗜好の持ち主にとっては流石に歳がいきすぎているようにも思うし、持っている情報が目当てだとマーレから聞いていたので()()()()しもべではないということもわかってはいた。しかし、それでも近くに居られると、ちょっと()()()()()と思う。エンリが持っていて、同じくマーレの()()()()対象であるミコヒメが持っていないものの差が、クレマンティーヌの前では吹き飛んでしまうような気がするのだ。

 

――でも私、それでいいのかな?

 

 少し迷惑そうに腕を引かれながらも、クレマンティーヌと打ち解けた様子に見えたンフィーレアの姿を思い返す。ほんの少しだけ心の奥に引っ掛かりを感じるが、今のエンリにはそれが何であるかを理解できない。

 

――ンフィーレアと食べた御飯、美味しかったな。

 

 そんなンフィーレアを困らせてしまったことも忘れてはいない。一緒に美味しいものを食べながらも、ンフィーレアはエンリに対し緊張を感じていた。これは多大な迷惑をかけていた証拠だろう。なぜなら、エンリが同じ感情を抱いたのは、あのマーレに対してなのだから。

 

 

 エンリはマーレとの関係を思い返す。

 

 当初は、高価な服を着た妖精族のマーレはどこかの貴族の哀れな慰みものだと考えた。主だというモモンガへの純粋な忠誠心を知り、その純粋さを汚さないまま助け出したいと思った。そのマーレが絶対的な強者であったことで、その認識は揺らぎ始めた。

 モモンガというのは、幼い少女とともに地下の墳墓に住まう恐ろしい存在だ。可憐なマーレに全く似合わない、動死体(ゾンビ)に死体を食わせるような恐ろしい所業は、モモンガの獣欲に蹂躙され壊された幼い少女たちを「片付け」るために教え込まれたものと考えるしかないだろう。

 

 そして、マーレが裸同然の薄絹姿のミコヒメを連れてきた時、モモンガのための「数を揃えないと意味ない」玩具だと言い放っておきながら、主の居ないその場でも「すぐ使えるように」しておく――そのことで、マーレ自身もまた主モモンガと同じ側の存在だと知った。

 そのミコヒメの小さな透ける薄絹――エンリでは色々な所が露わになってしまうそれに着替えるよう求められたあの時から、エンリのマーレの玩具としての立場は決まってしまっていた。

 マーレは恐ろしい主モモンガに捧げる使い捨ての少女を集めていた。その列に加わるくらいなら、マーレに見初められているうちにマーレのものになった方が遥かにマシだという後ろ向きの考えが、今の関係の端緒だった。

 

――マシだから、仕方が無いから、恐ろしいマーレが望んだから、ネムまで巻き込みたくなかったから。

 

 今は、どれもしっくりこない。何かが違う。

 

――命を、村を、救われたから? マーレが可愛いから? ずっといっしょにいたから?

 

 わからない。

 考えたこともない。

 絶対的強者の所有物となって、考えるのを止めているうちに、わからなくなった部分だ。 

 

 

 

 エンリはマーレの真意を知らない。マーレがモモンガに幼い性を捧げる寵姫ではないことも、ミコヒメがモモンガやマーレの性的な玩具として連れられたのではないことも、その玩具という呼び方さえ魔法を使うだけの道具である割にたいした魔法が使えないという意味に過ぎないということも、エンリがミコヒメの露出度の高い薄絹に目を奪われていた間にマーレがそれではなく今着ている黒衣を勧めていたことも……。

 それらの全てについて、エンリは今さら遡って気付くこともできないし、かといってマーレの口から語られるようなことでもない。

 

 そして、年頃のエンリは毎晩のように覚悟を決め、焦らされ、一抹の寂しさとともに安堵する。その繰り返しが少しずつ意識を塗り替えていることにも気付かずに、エンリは今日も強くマーレを意識する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初、クレマンティーヌは自身の待遇に混乱しかけたが、ニニャという冒険者から聞いていた『血塗れの魔女』についての情報を思い出してようやくその意図を察した。あれには幼い少女を嬲るような趣味があり、慰みものの少女を飼っているという。何らかの理由で今進めているンフィーレアの籠絡と並行してそれを愉しむには借りている部屋で夜の間に行うしか無く、大切な回復役ではあっても目の見えない巫女姫の世話が煩わしくなったのだろう。

 クレマンティーヌは、どこかに監禁されているであろう慰みものの少女を見てはいないが、興味もない。むしろ、そういう類の趣味を一時的にでも我慢していた欲求不満が自身への苛烈極まる拷問の指示に繋がったかもしれないとすれば、そんな欲求は好き放題に発散させておいて欲しかった。別に目の前でやってもらっても構わないのだが、そういうことをするのに第三者が邪魔だということも理解はできるし、マーレから離れて過ごせる以上、喜んで従うのは当然のことだ。

 

 巫女姫に食事を与え部屋に置いてきた後、クレマンティーヌが宿の一階で食事をとっていると多くの視線が集まってくる。以前調べて知っていたことだが、この街にはそれほど実力のあるワーカーはいない。主に白金級以上の冒険者たちが利用するこの宿で、プレートを持たないクレマンティーヌが注目を浴びるのは当たり前のことであって、本来なら気にするようなことではなかった。

 ただ、その視線の中に、こそこそと胸元を探るように見てくる粘ついたものが含まれている。マーレから離れることができた開放感で気分が良かったクレマンティーヌは、その視線の主を少しからかってみることにした。

 

「うわー、このオッサンこそこそ人の胸元見てかっこわるー。えろすけべー」

 

「なっ……ちがっ……この女っ!」

 

 ミスリル級相応の風格を持ちながらもどことなく小物感を感じさせるその男はたまらず立ち上がり、それでもたまにちらちらと胸元を覗き込みながら近づいてくる。

 

「うぷぷぷ、変態さん、喧嘩なら買うよー」

 

「お、俺はただ、お前の鎧が……違……う?」

 

 クレマンティーヌが男に向き直ると、マントの前が少し開いて買ったばかりの鎧が露わになる。露出度は以前とさほど変わらないもので、今は男をからかうためにわざと見えやすくしたのだが――。

 

「鎧? そっかー。……どこかで見たの? それとも、誰かから聞いた?」

 

「……ふん、弱みを握ってる相手がいるってことだけは覚えておけ。『血塗れ』の事はよく聞いている」

 

 急に雰囲気が変わり低い声になったクレマンティーヌに気圧されながらも、男は強がる。鎧を観察しての行動だったということか。

 

「弱み、ねぇ。騒いでもその命が危ないだけだと思うけどね。どうなっても知らないよー」

 

「ぼ、冒険者同士で殺しなんて無いだろ。そんなこと組合が――」

 

 男はたじろいで半歩退く。何か知っているのか、あるいは、本能的にものわかりが良いのなら長生きできるタイプかもしれない。

 

「んふふふ、誰が冒険者だって? たとえ私一人でここの全員を片付けたって、無関係のワーカーが問題を起こしただけってことになるんだよ」

 

 クレマンティーヌは声を抑えるのをやめた。コソコソやっていては、周囲を嗅ぎ回る人間が増えることになりかねないからだ。

 

 

 

 その男――イグヴァルジは、背後で椅子を蹴って立つ音を幾つも聞いた。

 

――く、くるな!

 

「おいおい、一人でここの全員を片付けるだと」

「女、調子に乗るなよ」

 

――おいやめろ。

 

「イグヴァルジ、いつまで言わせておくんだ」

「お前らしくもないじゃないか」

「どうせワーカーだろ、軽く痛い目を見せてやったらどうだ」

 

――やめてくれ。やるなら俺と今すぐ代われ!

 

 同格の冒険者たちが多く居る酒場で、冒険者のプレートを持たないような者に馬鹿にされたままでいるわけにはいかない。自身の名声を大切にするイグヴァルジは、適当に女の弱みをついて折れさせ、矜持を保ったままその場を誤魔化すつもりでいた。

 しかし女は折れず、気がつけば周囲を巻き込んで、退くに退けなくなってしまっている。

 

 目の前の女は、とてつもない強者である可能性が高い。ただし、その情報は盗賊団討伐の事後調査を行ったイグヴァルジと『クラルグラ』の仲間たちだけが持っている。他の冒険者たちにとっては、調子に乗っているだけのワーカー風情でしかない。

 

 イグヴァルジは、険悪なふりだけでもして、外に連れ出して話をすることを考える。

 

「口だけなら何とでも言えるだろうが、話してんのは俺で、周りは関係ねえ。ちょっとそこまで顔貸し――」

 

 

 

 めきょっ

 

 

 

 立ち上がった女の細腕から放たれたものは目に見えないほど速く、そして重かった。

 イグヴァルジは薄れる意識の中で鼻の形が変わってしまったことを感じながら、どこかのテーブルを巻き込みつつ後ろへ倒れこむ。顔面に受けた衝撃を拳だと認識する頃には、多くのミスリル級、白金級チームを巻き込んでの乱闘が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弱いねー。ちょっと前なら全員殺しちゃってたかもよ。今は『血塗れ』から問題起こさないよう言われてるから降りかかる火の粉を払っただけで済ませたけど」

 

 クレマンティーヌは無事なテーブルから酒瓶を取って直接あおる。

 

「も、問題おこしてないつもりか……」

 

「絡んできた変態ひとりのばしただけで、別に何も起こってないよねー。ほら、テーブルとか戻そうか」

 

 ミスリルのプレートを付けた男が、クレマンティーヌに尻を蹴られて慌てて手近なテーブルを起こす。

 店内は荒れ果てていたが、黙々と片づけを行う冒険者たちには、鼻骨を折られて盛大に鼻血を撒き散らしたイグヴァルジを除けば目立つ外傷は無い。ただし、服や鎧の下は痣だらけで無残なものだ。漆黒聖典で様々な特殊任務に従事してきたクレマンティーヌは、痕跡を残さずに人間を痛めつける方法も熟知していた。

 

 近くで片づけをしていた戦士がおそるおそる口を開く。

 

「あ、姐さんはワーカーなんでしょうか?」

 

「ワーカー? まあ、そうとも言えるね」

 

「言える?」

 

「実際は『血塗れ』の所の奴隷だよ。絶対服従。まー、仕事手伝ったら律儀に分け前たくさんくれたからワーカーってことにしてもいいのかな」

 

 マーレの名前は出してはいけないことになっている。

 

「こ、こんなに強いのに奴隷ってのは、何か弱味でも握られて――」

 

「ないない。ちょっとした仕事であいつら襲って、負けて、一晩こってり拷問されただけ」

 

「ち、『血塗れ』に負けたんですかい!?」

 

「……人間の中では負ける気がしないんだけどねー。私らなんか人外の世界ではゴミ同然なんだよ」

 

 仲間から回復魔法をかけられて意識を取り戻したイグヴァルジは、呆れ顔で話を聞いていた。自分たちだけが握っていた情報の一部が共有されたことを残念に思いつつも、まさか当事者からそれをばら撒かれては呆れるしかなかった。

 そこには怒りも、意識を失う前の焦りも無い。周囲を見れば、この場の殆どのチームがクレマンティーヌ一人にやられたことがわかる。つまり、イグヴァルジの名声に傷はついていないのだ。それは、少なくとも英雄を夢見て冒険者になったこの男にとって、回復魔法で治った鼻の骨よりも重要なことだ。

 

 ただし、情報を持っているイグヴァルジには、クレマンティーヌの話は価値を持たない。だからこそ、それに集中することなくその場への侵入者に気付くことができたのだろう。

 

「思い出したくもないけど、あの『血塗れ』の二つ名は本物だよー。ガキにえげつない拷問やらせた後に、ちゃんとできたって聖女みたいな顔で笑って喜んでた。あれはもう、人間やめてるっ――ん?」

 

――馬鹿女、後ろを見ろ! 後ろだ!

 

 イグヴァルジは、侵入者の存在をクレマンティーヌにジェスチャーで伝えていた。

 クレマンティーヌに同情があるわけでも、屈服したわけでもない。もうとばっちりは懲り懲りだという思いの傍らに、『漆黒の剣』から聞いた話もあわせて人外の世界とやらに比べれば目の前の女の方がマシだという思いくらいはあったかもしれない。

 

 クレマンティーヌが小首をかしげてから振り向くと、そこには笑顔のエンリが立っていた。

 

 

 

 一転してしおらしく謝り続けるクレマンティーヌを引きつった笑顔で受け流すエンリ。マーレを連れていないせいか、土下座までいかなかったのは幸いだった。問題も起こしていないというし、周囲の冒険者たちもクレマンティーヌはこの態度通り慎ましい性格だと思ってくれるだろう。

 もちろん、クレマンティーヌが目を逸らしし、何か隠している態度なのはわかっている。周囲の冒険者たちが片付けのようなことをしているのもそれと関係あるのだろう。ここはしっかりと釘を刺しておかなければいけない。

 

「上のランクの冒険者はこうやって掃除まで自分たちでやる立派な人たちなんだから、クレマンティーヌさ――もさぼってないで手伝ってね」

 

 すぐにさぼっていたクレマンティーヌも片付け作業に加わり、「立派な人たち」の動きも目に見えて良くなる。後輩の前でいいところを見せようとしているのかもしれない。やはり、クレマンティーヌはこの店の不文律みたいなものを隠していたのだろう。

 そして、冒険者たちはそんなクレマンティーヌを文句一つ言わずに受け入れ、一緒に作業を続けている。やはりミスリル級や白金級冒険者ともなると人間の出来も違うのだとエンリは感心した。

 エンリがここへ来たのも、そういう立派な冒険者の一人に感謝の言葉を言うためだった。

 

「この中に、イグヴァルジさんという方はいらっしゃいますか」

 

「イグヴァルジは俺……ですが」

 

 仲間たちから優しく肩を叩かれ、一人の男が出てくる。一流の冒険者だけあって目つきは鋭いが、腰が低く丁寧な物腰の立派な男だ。銀級の『漆黒の剣』とは違って、下のランクの冒険者にも紳士的に接することができるあたりに、この街最高のランクであるミスリル級冒険者の風格のようなものが感じられる。

 

「はじめまして、『漆黒』のエンリです。今回は目立たないようわざわざ配慮していただき、ありがとうございました」

 

「そ、それをどこから……」

 

 エンリは柔らかに微笑み、感謝を伝える。

 現れた時は腰が低かった男だが、いつの間にやらぴんと伸びたその背筋は、見ているだけで気が引き締まる。顔色からすると体調は良くないようだが、それでも威厳のある姿勢を保っているのはやはり一流の冒険者の矜持なのだろう。

 

「はい、組合長さんから教えてもらいました。おかげさまで、今回はここまでになりました」

 

 両手で持っていたものを片手にまとめ、真新しい白金のプレートを指差した。まとめた重みで、持ってきたもののことを思い出す。

 

「ところでクレマンティーヌ――、よ、用事は済んだの?」

 

「はーい。いただいたお金で鎧買ってきましたー。今はちょっとこいつらと遊んでただけですよ」

 

「うまくやってるようで良かった。これ二本、忘れ物。どっちも攻撃魔法を込めてあるけど、質が悪いから第七位階以上は入らないって」

 

 エンリはマーレが魔法を込めたスティレットを渡し、酒場を去る。まだクレマンティーヌとの接し方には慣れることができず、第三者の前ではなおさら居心地が悪かった。

 

 

 

「……ちっさい男だねー」

 

 多くの冒険者を殺してきたクレマンティーヌは、ランクと実績の相関はわかっているつもりだ。あれほどの盗賊団を討伐しておきながら白金級などに留まった理由をなんとなく理解し、顔面蒼白のイグヴァルジを新しい玩具を見るような目で眺める。片付けに加わっていたのは、エンリの姿が見えなくなるまでのことだ。

 

「怒ってない……んでしょうか?」

 

「さあねー。えげつない拷問やらせて喜んでた時も、ちょうどあんな顔で笑ってたからね」

 

「た、助けてく――助けていただけないでしょうか」

 

「んふふ、どーしよっかなー」

 

 実際は自分のことで精一杯だが、暇潰しの相手にはちょうど良いのではぐらかしておく。

 

 

 その夜、クレマンティーヌは巫女姫を宿に残し、ンフィーレアから聞いていた街一番の肉料理を堪能した。肉汁の滴る感覚から蘇る嫌な記憶は、高い酒を沢山飲んで流し込んだ。

 

 支払いを任されたイグヴァルジは涙を滴らせながらもその酒に付き合わされていたが、クレマンティーヌの半分も飲まずに潰れて路上に置き去りにされ、仲間の盗賊に回収された。

 財布は軽くなったが、厄介な女の相手を一人で引き受けたイグヴァルジの評価は同格の冒険者を中心に高まることとなった。他のチームにも率先して情報を提供し、誰もやりたがらない事後調査は率先してこなし、厄介者が現れれば自分からその相手を買って出るこの男には、皆が頭が下がる思いだった。派手な『血まみれの魔女』の話題が出ている今こそ、冒険者たちの中では力だけではない本物の存在が評価される。

 そういう大切なものを得たかもしれないイグヴァルジは、記憶ごと意識が飛ぶ前に少しでも厄介者の情報を回収しようとする仲間から何度も頬を叩かれたため、顔を真っ赤にした無残な姿で眠っていた。それは、組合での事情を知らない仲間たちにとっても、身銭を切り身を挺して情報を持ち帰ってきた素晴らしいリーダーの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンリは考えた。

 

 前回の依頼は、思ったより危険なものだった。

 あとでクレマンティーヌにそれとなく聞いたところ、一番強い男の難度は80を超えていたかもしれないという。

 アインザックが配慮してくれているといっても、マーレがいる以上、戦いが中心になる仕事は危険なものにならざるを得ないのかもしれない。

 

 査定が済んだとの連絡を受けたこの日は、受付で戦利品買い取り分の金貨を受け取るだけの予定だったが、ついでに組合長に会わせてもらうことにした。受付嬢が「さ、査定にご不満でしょうか?」などと決して小さくない震え声でいちいち余計なことを言うのが気になったが、受付から出てきてみればやはり最初にエンリを晒し者にした女だった。思わず大きなため息が出ると、先導するはずの女は走るように階段へ向かう。最近他人の怯えた顔は記憶に残したくないのでお尻の大きさで覚えていたが、受付嬢に関してはそれでは意味が無いようだ。

 

「あくまで希望なんですが、できれば戦い以外の仕事もしてみたいんです」

 

「ほう、戦い以外とは……」

 

 アインザックは難しい顔で腕組みをする。駆け出しのエンリに対しいつでも相談に乗ると言ってくれた最高の理解者だが、実際にこうして無理を言うのは心苦しい。

 

「世間体は諦めていますが、あまりに評判とか……その……。とにかく、戦いとか討伐とかじゃなく冒険って感じのがいいんです」

 

「しかし仲間に盗賊もおらず野伏(レンジャー)も……闇妖精(ダークエルフ)は森なら……そうだ! 適任者がいなくて王都へ回そうと思っていたのが確か……」

 

 離れた棚で書類を見つけたアインザックは、神妙な顔で戻ってくる。

 

「トブの大森林で、希少な薬草を探す仕事だ。ただこれはかなり難し――」

 

「やります! 森ならいけると思います。私も薬草を採ったことがあるので」

 

 エンリはアインザックの言葉を遮ってまで、目の前にぶらさがった魅力的な仕事に即座に飛びついた。

 願ってもない仕事だ。マーレの感知能力で危険も避けられ、薬草ならエンリにとっても得意分野で、専門家のンフィーレアもいる。何より、人の血が流れない薬草採取という平和な仕事というのは、血なまぐさい日々に辟易(へきえき)していたエンリにとって非常に魅力的だった。

 

「そ、そうか。君がそう言うなら大丈夫だろう。……これは、以前に採取に成功したローファンのチームが遺した地図だ。だいぶ昔のものだが、大森林の奥の方はそう変わるものでもあるまい。そして薬草の特徴は――」

 

 情報は薬草採取の心得のある者にとって十分なものだった。希少薬草で地図まであるということは、その地点にあって他の場所にない所を探せばいい。地図が示された警告もトブの大森林を知る者として納得のいくものだったが――。

 

 

 

 

 

「どうしても、まっすぐ突っ切るわけ?」

 

「はい。転移が使えるのに回り道は面倒だし、長く生きていて森の賢王というくらいなら、魔獣でもいろいろなことを知っているかもしれないので」

 

 皆を集めて説明をしてみれば、地図上の警告は無視されることになった。森の奥を目指すのなら森の賢王の縄張りを避けるのはこのあたりの住人にとって常識だが、そんなことはマーレには関係なかった。

 

「それじゃカルネ村から出発でいいけど、近隣の村のためにも森の賢王は生かしておいてほしいんだけど……」

 

「殺す必要がなければそうなります」

 

 微妙な返事だ。やはり、マーレには人間の側の事情など知ったことではないのだろう。

 マーレが転移魔法を使いたいということでカルネ村からの出発となり、森の賢王との衝突は避けられなくなってしまった。しかし、実際に戦いになってそれを殺してしまうようなことがあれば大変なことになる。エンリの故郷であるカルネ村の周辺で魔物があまり出ないのはあれの縄張りが近いおかげであって、殺してしまえば森の魔物への備えがない無防備なカルネ村は数年以内に地図からなくなってしまうかもしれない。

 

「……この回り道のルートを見る限り、森の賢王の縄張りはかなり広い。君の探してる人たちに対して、何かの目印にはならないかな」

 

「なるほど。しもべにして言うことを聞いてもらった方がよさそうですね」

 

「そうそう、それがいいよ! その方が話も聞きやすいし!」

 

 ンフィーレアの助け舟のおかげで、村は救われたかもしれない。エンリが後押しする声は自然と大きくなる。

 そんなやり取りを呆れ顔で眺めるのはクレマンティーヌだ。

 

「はぁ……その森の賢王って、何百年も生きてる伝説の魔獣でしたよね……それを生かしておくとか、しもべとか」

 

「……何か知ってるの?」

 

「昔のローファンのチームでも避けて通ったわけだし、一人で戦えって言われたら無理だって言いますけど、どれくらいかまでは……」

 

 そのローファンについて聞いてみると、今は老いて引退しているが冒険者をしていた頃なら今のクレマンティーヌより強かったかもしれないという。しかし、それが一チーム分いればマーレに勝てるかと聞いてみれば、三チームでも五チームでも無理そうだというので、全く根拠にもならないがどうにかなるような気がしてきた。

 

 

 その後、出発までマーレは相変わらず布団に潜って魔法で近郊を調べ、エンリは食料などの旅支度ついでにネムや村人たちへの土産を買い込み、ンフィーレアは希少薬草について手持ちの資料を調べ、ミコヒメはバレアレ家に預けられた。クレマンティーヌはミスリル級冒険者の一人と食事を楽しんでくるという。

 クレマンティーヌに宿で過ごしてもらうのは少し不安だったが、先輩の冒険者たちとそこまで仲良くしてくれているのはエンリにとって嬉しい誤算だった。やはり、同じ人間の強者同士であれば何か通じ合える部分があるのだろう。これで、少しは評判なども良い方向へ変わっていくかもしれない。

 












イグヴァルジって、仲間たちからすれば命を預けられる立派なリーダーらしいです。
信頼されているイグヴァルジは無謀な男ではないはずで、それが原作でモモンのような突拍子もない強者を最後まで疑ったりその存在に腹を立てるというのは、それだけ普段の情報収集を頑張っているのかな、などと考えてみました。周囲の危険に気を配る役目の人がリーダーを務めるというのもそれっぽい感じです。


エンリについては吊り橋理論なんて眉唾な考え方も脇に置きつつ、何よりカルネ村が田舎で、年齢が近い同性の友人が居なかったのが大きいです
そういう環境からくる純粋さのようなものも、原作でのエンリの魅力なのかもしれません。(そんなエンリになんてことを……)
せめてンフィーレアと一緒にたくさん怖い思いができればいいんじゃないかと。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。