マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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第五章 マーレとクレマンティーヌ
一六 クレマンティーヌ、動く


「げえっ、血塗れの魔女!!」

「血塗れのエンリか!」

 

 その野太く大きな声、そして周囲に拡がるざわめきにたまらず振り向けば、屈強な戦士が二人、道端にへたりこんで後ずさりをしていた。装備は不揃いながら、鎧にある控えめな印は王国戦士長ガゼフ・ストロノーフに仕える戦士のものだ。早朝から街を捜索していた者は数多いが、奇しくもその二人は揃ってこの街に冒険者の知人を持っており、情報交換のついでに様々な話を聞かされていた。

 

「きっ、着替えたのに……最低」

 

 もはや血塗れ呼ばわりされる理由など無いはずだった。懐かしいカルネ村に置いてきたはずの、忘れたい思い出を刺激されたエンリは顔をしかめ、目の端に少しだけ涙を溜め、一刻も早くこの場を逃れるべく戸惑うンフィーレアの腕を抱えるように強く引いて早足で歩き出した。行き先など考えない。人の居ない方へ、居ない方へと路地裏を進んだ。

 

 ンフィーレアはエンリに腕を強く引かれると、すぐに目の前の騒動について考えるのをやめ、小走りについていった。

 血塗れとか魔女とかよくわからないが、安全な街の中で差し迫った危険などはない。であれば、エンリの方から腕を組んで貰えて、あわよくば柔らかい所が二の腕に当たるかもしれない絶好の機会を逃すことなど、絶対に考えられない。たとえそこに差し迫った危険があったとしても、それに注意を向けることさえできなかったかもしれない。

 ンフィーレアは早足のエンリに追いつき、全神経を片腕に、そして二の腕に集中した。もう少し背が伸びるのが早かったら、能動的に動かすことができる肘にそれを集中することになって、得られる接触が故意であれ偶然であれ、期待と欲望と罪悪感で身動きがとれなくなっていたかもしれない。そういう意味では、ンフィーレアの体と心の成長は現段階のエンリとの関係において理想的なバランスを保っていたと言えるだろう。

 

 エンリはンフィーレアの配慮に深く感謝していた。その引き締まった表情は、エンリが受けたいわれなき暴言を完全に跳ね除け、好奇心すら持たないようにしてくれているように見えた。あの忌々しい戦士たちから逃れたいのはエンリだけであるのに、気がつけば歩く速度も歩幅すらも寸分違わず揃えてくれて、ただ早く歩くことに専念してくれていた。その姿は全てを察してくれているかのようで、とても安心できた。

 そして、エンリは自分を恥じた。エンリの状況を察してくれているンフィーレアに対して事情を打ち明けることもせず、中途半端な状態で接していた自分を情けなく思った。

 

――今夜、きちんと話をしよう。

 

 何も聞かず、ただ横にぴったりと付いてきてくれるンフィーレアの表情は普段の少年のものではなく、頼りになる立派な男のものであるようにさえ思えた。

 

 

 

 

 

「バレアレ氏、やはり精神操作を受けているような不自然な表情だったのである」

 

「そうかぁ? 俺はてっきり、腕を組んだ時に胸が当たるのを期待してそれしか考えられなくなってるとしか……」

 

「こんな時でもお前はそれなのか」

 

「ルクルット、最低」

 

 小声で会話できるのもここまでだ。人の少ない路地に入れば、満足に尾行ができるのはルクルットだけであり、ペテルとダインは少し距離をとりつつ後を追うことになる。店の中で顔を見られたニニャはさらにその二人の後に遅れて続く形だったが――。

 

 

 

 

 

「ま、待ってくれ! 実は今朝、その服の持ち主が……」

 

「ちょぉっと待ちなよー。女の子が嫌がってるんだから、顔洗って出直したら?」

 

 エンリたちを追おうと路地裏に入り込んだ戦士たちの襟首を後ろから掴んだのは、女の細い手だった。彼らが冷静さを保っていれば、その程度で走っていた男二人が押し留められたことに大きな違和感を覚えただろう。

 

「さっきのあれは、女の子なんてかわいいものじゃな……ぐぁっ……」「がぁっ……おま……え……」

 

 二人の戦士の鎧の隙間に、短い金髪の何かが突き立てられた。戦士たちは不意に襲われた激しい痛みの中で思考にもやがかかり、助けを呼ぼうという考えが別の何かに覆い潰されていった。

 それでも心の端に残された正体のわからない不安は、後ろからかけられた親しい友人の声によってかき消された。

 

「君たちー、怪我の方は大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ」「こう見えて結構鍛えてるからな」

 

 男たちは振り返り、友人に強がってみせた。

 その友人――短い金髪の女は、顔に亀裂のような笑みを浮かべて、馴れ馴れしく話を続ける。

 

「だよねー。とりあえず歩きながら話そっか。……でさ、頑丈な君たちが恐れるあの怪しー女、いったい何者なの?」

 

 女は男たちを路地の奥へと誘導していく。

 

「戦士長からあまり口外しないよう止められてるんだが、まぁ、お前なら大丈夫か。ここだけの話だが、あれはな……」

 

 親しい友人に秘密を打ち明けるように、二人の男たちはひそひそと女に何かを耳打ちしていた。

 

 ニニャは先行するペテルとダインを追うのも忘れ、路地の物陰から物陰へ移動しながらその様子をじっと見ていた。ひそひそとやっている話の内容までは聞き取れなかったが、王国戦士長があれのことを把握していて、その部下たちがあれを恐れているということまでは理解した。そして、そのことの意味を考えれば、暗澹たる思いを抱かざるを得なかった。

 清廉な人物とされる戦士長があれのしていることを知った上で黙認しているとなれば、冒険者組合どころではなく王国そのものが腐っているということになり、『漆黒の剣』程度が何をしても無駄だということになる。そうでなくとも、王国最強の戦士であり冒険者でいえば最高位のアダマンタイト級に相当する猛者である戦士長が部下たちと同様あれを恐れているとなれば、やはり銀級冒険者の『漆黒の剣』では話にならないだけでなく、何か裏を取って告発したとしてもあれを裁ける者自体が存在しないというおそれさえあるのだ。

 この世界において、裁きを受けない者というのは確実に存在する。ニニャの姉を奪った憎い貴族たちもそうであったように、圧倒的な力や権力を持つ者は常に裁きを行う秩序の側を凌駕しているのだ。

 ニニャは二人の戦士たちを支配する女を凝視した。女は王国の精鋭である戦士たちに害をなしておきながら、その深い笑みには絶対の自信が窺えた。これもまた裁きを受けない者なのだと、ニニャは直感的に理解した。

 裁きを受けない者は、裁きを受けない者によって斃されるべきだ。それが、断片的に聞こえる女の声だけで内容の掴めない会話に必死に耳を傾け続けながら、ニニャが至った結論だった。

 

 

 

 

 

「居場所まではわっかんないかー、じゃ、君たちともそろそろお別れかな?」

 

 女と旧知の仲であるようにふるまっていた戦士たちの命は、もはや風前の灯だった。それは殺気やら気配やらといった、近接戦闘の感覚に疎い魔法詠唱者の少年にも容易に理解できたことだ。もちろん、そのこと以上に明白な、この場に留まっていることの危険性もわかっていた。

 しかし、ニニャには力が必要だった。許しがたいものを打ち破れるだけの、力。それこそが、ターゲットを尾行する仲間の後を追っていたはずのニニャをこの場に釘付けにしたものだ。

 

 ただ、最後の決断は憎しみだけではなく、半分は人らしい情から出たものではあった。ニニャにとって、この正体不明の恐ろしげな女の手にかかるべきは、戦士たちではなくあの少女だった。少年の浅はかな背中を最後に押したのは、罪の無い戦士たちが犠牲になってあの少女が逃げおおせるのは正義に反するという思いだった。

 

「あいつの居場所、知りたいですか?」

 

 震える声で告げると、ニニャの期待に真っ向から反して、戦士たちがその場に崩れ落ちた。地面に赤いものがゆっくりと拡がり、ニニャは自身の甘さを思い知った。

 

「……ふぅん、二人死んでも動かないってことは、君、よっぽどあいつ嫌いなんだね」

 

「私も、殺すんですか?」

 

「元々いつでも殺せそうだから放っておいたんだし、情報貰ったら許してあげてもいいかなー」

 

 ニニャの顎が、女の持つ血で濡れたスティレットで持ち上げられる。その刺突に特化された鋭い短剣には刃がついておらず、ただ金属の冷たい感触だけが伝わってくる。

 

「――でも、くだらねーガセだったらさっき走ってったお仲間、とりあえず全員君の前でじっくりと拷問して、それからのことはその顔見てから決めてあげる」

 

 

 女は、目の前の少年の憎しみで濁ったような目を少しだけ気に入っていた。

 

 

「居場所は……後をつけて話を聞いていた限りでは、今夜は一緒に居た薬師の家です。名前は――」

 

 戦士たちの亡骸から目を離すことなく、ニニャは全てを話した。

 

 万一薬師バレアレの家に居なければ、冒険者の安宿であろうこと。

 薬師バレアレの家と、安宿の場所。

 少女が恐ろしい力を持ち、人間の奴隷と闇妖精を連れていること。

 闇妖精は詰問された時、転移か不可視の魔法で逃げた手錬れであること。

 開き直った少女に対し、自分たちでは何もできなかったこと。

 冒険者組合さえ腐り果てていて、少女の味方であろうこと。

 

 話を終えれば、自分もそこに冷たくなって転がるのだろう。だからといって、話を長引かせ命を永らえようというのではない。避けようの無い運命を少し先延ばししたところで何も意味は無いのだから。

 ただ自らの死のあとで、目の前の女の矛先が『漆黒の剣』の仲間たちに向かうことがないよう、そのためだけに女の言葉に従い、ニニャは自分の知っていることの全てを話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新入りの方を見て、カジットは苦々しい顔で口を開く。

 

「仕掛けるのかと思えば、手間をかけさせおって……これは問題になるぞ」

 

 その鎧にあったのは、王国戦士長の率いる戦士団の印だ。動死体とされた今は、念のためカジットの部下によって削り取られている。

 

「必要な犠牲だよー。魔法で精神操作しても、記憶が残っちゃうのが不便だしね」

 

「……クレマンティーヌよ。数年来わしが密やかに行ってきた準備は、この街を確実に死の街へと変えるためのもの。それを台無しにするような真似をするなら……殺すぞ?」

 

「はいはーい。だから、今夜やればいいんだよ。どちらにせよ急がないと駄目だからね」

 

「なぜ、そこまで急がねばならん」

 

「例の異能持ちが狙われてるんだよ。法国風の法服を着た怪しー女と一緒だったから、連れていかれちゃったら困るなーと思って情報を集めたわけ。で、さっきのアレともう一つの情報源から、異能狙いなのは間違いなさそう。そこそこやるみたいだけど、法国絡みじゃなかったのが救いかな」

 

「もう一つの情報源……そちらは大丈夫なのか?」

 

「戦士二人の死体だけでも面倒だったのに勘弁してよ。向こうから情報くれた感じだし、それ隠すのも手伝わせた上にしっかり脅してきたから、事が終わるまではもつんじゃないかな」

 

 実際には戦士たちをその場で殺す必要も無かったのだが、口うるさいカジットにそれを言う必要は感じない。ただ一緒に血を見て気分良く脅した方が話がしやすかったのだ。

 

「……で、異能狙いの女は、お前で何とかなる相手なんだな?」

 

「風花の調べた強者には含まれてないし、話聞いた限りでもこけおどしかなー。器用貧乏か半端な力馬鹿? あれは強くはないよ」

 

 

 それから、クレマンティーヌは倒すべき相手について得ておいた情報をカジットと共有した。身の運びなどを見た時はそれほどとも思えなかったが、一応ターゲットが連れていた女についてはそれなりに、その同行者については適当に情報を集めてあった。

 

 血塗れの魔女エンリ、それがクレマンティーヌたちと同じように異能持ちの少年を狙っていた女の正体だ。王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとその戦士団がスレイン法国の特殊部隊を倒した時の協力者ということになっているそうだが、実際はエンリが連れてきた闇妖精しか戦いには参加していないらしい。

 クレマンティーヌには倒されたのが陽光聖典だとわかったが、計算外の魔法詠唱者が王国最強の戦士に加勢すれば作戦の失敗も仕方無いように思えた。その戦いと闇妖精について細かく聞かなかったのは、魔法詠唱者なんて自分にかかれば「スッと行ってドス」で終わりの相手だからだ。

 血塗れの魔女の方は、蒼の薔薇のガガーランをも上回るような非常識なまでの膂力を持ち、人の生き血と拷問を好んで動死体を操るという。若干の親近感を覚えつつ、それなりの存在であることも理解できたが、それでもクレマンティーヌが警戒するほどとも思えなかった。

 

 クレマンティーヌは一流の戦士であり、本当の戦いというものを知っている。血塗れの魔女が何らかの異能かマジックアイテムの力で非常識な膂力を誇っていたとしても、自分の武器を持っておらず戦士の一人からどうでもいい武器を貰ったと聞いただけで、その実力は問題にならないものとして片付けることができた。

 血塗れの魔女が武器に習熟していないのであれば、いくら力があったところでオーガやトロールなどと大差は無い。かつて王国の情報を集めた風花聖典が蒼の薔薇のガガーランをクレマンティーヌとまともに戦える相手の一人に挙げていたが、それとて風貌や膂力のためではなく、あくまでそこに一流の戦士としての技術が伴うからこそ脅威となるのだ。

 

 そうなると、注意するべきは第三位階の《アニメイト・デッド/死体操作》を使える魔法詠唱者でもあるということだが、その程度の位階ならば脅威ではない。クレマンティーヌはどっちつかずで力馬鹿のようにも思われるエンリより、魔法に特化しているであろう闇妖精の方を警戒していた。恐らくは支援役であったろうがそれでも陽光聖典相手に戦況を左右し、さらに転移か不可視の魔法も使えるとされる以上、エンリより高い位階の魔法を使える可能性が高い。この点は魔法詠唱者であるカジットも同意見だった。

 つまり、初手で闇妖精を葬れば襲撃の成功は約束されたようなものだ。逃亡阻止の役割を担うカジットから予め防御魔法を貰っておけることもあり、武技<不落要塞>まで使えるクレマンティーヌにとっては、エンリの初撃がどのようなものであっても問題になるとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応接テーブルの上には、普段は見かけない立派な装飾を施された薬瓶が中身を満たした状態で、七本並べられていた。

 

「おばあちゃん、これって……」

 

「第五位階だよ。次はこの娘たちにも旨いものを食わせてやるんだね」

 

 客人の食事はリィジーが買ってきたもので済んでいた。それでも、普段は近場で済ませるリィジーにしては珍しく、目の見えない巫女姫の食べやすさに配慮までして少し遠くの店からロールサンドを買ってきていた。

 普段ならこの祖母がそこまで他人を気遣うなど珍しすぎて体調不良でも疑ってしまうンフィーレアだが、この日はそれも当然のこととして理解できた。

 

「第五位階!?……そんな、英雄級じゃないか!」

 

「ワケありのようだがね。使ってくれたのはこちらの……そういえば、名前は聞いていなかったね」

 

「持ってくる前はミコヒメって呼ばれてたみたいです」

 

 マーレの言葉に、リィジーは少し顔をしかめる。

 

「そう、法国絡みだ。お前にも、あれの裏には関わるなと言ったことがあったか。私も昔は若気の至りであちらの秘薬に興味を持って、怖い思いをしたものだよ。危険すぎるし、一介の薬師ごときが関わるべきではない」

 

 ンフィーレアは少し俯き、リィジーと目を合わせない。言う事を聞かない時の孫の姿を認めたリィジーは、少し安心したような顔になって続ける。

 

「話がそれだけなら、治癒魔法の報酬を渡して出ていってもらうところだ。しかし、そうも言っていられなくなった。……この子にも先ほどの赤いポーションを見せてやってくれないかい?」

 

「赤?」

 

「見るだけですよ」

 

 マーレはどこからか赤いポーションを取り出し、ンフィーレアに手渡した。リィジーが魔法による鑑定結果とその意味を熱く語ると、静かに聞いていたンフィーレアもその表情に興奮の色を強めていった。マーレが手を出すと、ンフィーレアは今日二番目に寂しそうな表情になってそのポーションを返した。

 

「私はこの誘惑には勝てない。この子の目的に協力することに決めたよ。もちろん、危険なのは承知の上だ。若いお前に同じ道を強いるつもりはないし、お前のために新たな工房を確保するくらいの蓄えは充分にある」

 

「ぼ、僕だって――」

 

「何もない村でよかったら、エモットの家も空いてるよ」

 

 ンフィーレアは静かに情熱を燃やす性格であって、薬師としての情熱では祖母にさえ大きく劣ることはない。赤いポーションの鑑定結果を聞いた上で、危険だから関わらずに田舎に引っ込むなどということができるはずは無かったのだが――。

 

「……い、いいの? ほんとに?」

 

 その顔は真っ赤になっていた。これまでそこに至る方法も考えず、ただエンリを呼んだらどうするかだけを必死に考え計画を立ててきたンフィーレアにとって、自分がエンリの家に招かれ一つ屋根の下で暮らすという提案は全てを吹き飛ばすだけの威力を持っていた。

 

「そんな、たいした家じゃないよ。ネムも村長にお世話になってるし、誰も住んでないと家って傷むから、代わりに住んでくれるとむしろ助かるくらいだし」

 

「代わり……に?」

 

「うん、私も冒険者やってなきゃいけないし、ちょうど住む人がいなかったからね」

 

「あー……うん、そういうつもりじゃ……僕は君が……」

 

 翻弄される哀れな孫の姿を見て、リィジーは大きな溜息をついた。

 

「いい加減にせんか。そういうのを済ませるために二人きりで出かけてきたんだろうに、まだゴチャゴチャやってるのかい!」

 

「お婆ちゃん!」

 

 ンフィーレアが赤い顔で抗議の声をあげる。

 

 エンリは昼食の会計の時のことを思い出し、勝手に納得した。甘えるような関係では無いから結局は自分で支払ったが、その時は決して安くない食事を奢られそうになった理由に心当たりが無かったのだ。

 

「ご飯なんて奢ってくれようとしなくても、空き家なんだしいつでも――」

 

「お前ももう黙っておれ!」

 

「あっハイ」

 

 エンリはリィジーに気圧されて口をつぐんだ。呆れたような目で見られる心当たりなどは無かったが、何故か今は少し黙っていた方がいいような気がした。

 

 

 

「で、どうするんだね」

 

「僕も、一緒に協力するよ! ……エンリの恩人だし、それだけのものを見せられて関わらないなんてできるわけがない」

 

 その方がエンリと一緒に居られるから、という部分は心の中でだけ呟いた。それでも照れがあってエンリの顔を見ることはできず、それを隠すためにマーレの方へと向き直った。

 少し顔を紅潮させたンフィーレアは、マーレの両手をとって、身を低くして視線をあわせた。

 

「エンリたちを助けてくれて、本当にありがとう。僕も微力ながら君に協力させてほしい」

 

 こっほんっ!

 

 何故か苛立ちのようなものを感じたエンリは、わざとらしい咳払いをしてしまう。大切な友達が自分と一緒に協力してくれるのは嬉しいことであるはずなのに、そういう感情を持ってしまった不思議な自分に混乱し、すぐに二人から視線を逸らした。

 

 ンフィーレアはすぐに手を離した。そしてエンリの行動の意味を考え、ますます顔を紅潮させた。

 今日という日は、人生で最も自分自身の小ささを思い知る一日だった。しかし、そんなちっぽけな自分に対して、エンリがそういう反応をしてくれた。勝手にライバルと決めたエンリの憧れの人エルヤーの背中は遥か彼方だが、現状、少なくとも希望はあるということだ。

 

 

 それから、エンリは改めて冒険者となった経緯を話した。王国戦士長から聞いた部分も、マーレの少し変わった部分も。

 二人は疑ったり否定したりすることもなく聞いていた。第五位階の治癒魔法と赤いポーションを見た上でそれは当たり前のことだったが、エンリにはそこまでのことはわからない。

 冒険者組合で受けた誤解について話しているとンフィーレアの顔が引きつってきたが、それは話の中でゴブリンや狼について「気性の荒い家畜程度」と言い放った、変わり果てたエンリに対しての反応だった。エンリの方はそれが当たり前と思っているので、狼の頭蓋骨を握りつぶすようなマーレの非常識な力に対する反応だと考えた。

 そして、エンリはここまでの自分自身でも信じられないような話の裏付けとして、ガゼフからの紹介状を見せることにした。もう二度と用いることのない書状だが、これを出した時の異様な反応も気になっていたのだ。

 

 

 書状の内容は以下の通りだった。

 

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが、この書状を携える少女とその一行の身分を保証する

 この書状を持つのは、先日、私ストロノーフと王国戦士団を死地から救った者たちである

 敵に回せば王国戦士団の総力を挙げても、この書状を読み終えるほどの時を稼ぐこともできないだろう

 危険な者たちだが、敵となれば王国存亡の危機となるため、くれぐれも失礼なきように

 話をする場合はエンリ・エモットという少女と行い、他の者については詮索や接触を控えられたし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……エンリ! エンリ! 大丈夫!?」

 

 ンフィーレアがエンリを揺さぶる。

 

 エンリは意識を失っていたわけではなかった。ただ少しの間だけ自分の内側に閉じこもり、詰め所で、冒険者組合で、この書状を出した時の状況を思い出していた。そして、そこで起こったことを理解しようとしながら、心がそれを拒絶するという葛藤を繰り返していただけだった。

 

 一人で街へ入る必要など無かった。

 一人で冒険者組合へ行く必要など無かった。

 

 それらを一人でやろうとしたことこそが、最大の間違いだった。

 兵士たちの土下座も、恐怖に震える受付嬢も、エンリの中で全てが一本の線で繋がって……しまいそうだ。

 

 

 戦士長は、余計な詮索や行き違いから間違いが起こることを最大限警戒していたのだろう。マーレが王国にとっての災厄とならないよう、彼なりに配慮した文面であることは間違いない。王国には戦士長の地位を侮るような者はいても、戦士長の武力を侮る者はいないということを最大限利用した内容だった。

 エンリの隣にマーレさえ居れば、上等すぎる服を着た、王国では見慣れない闇妖精の姿さえあれば、怪しげな者だが危険だから詮索を控えろという意図もそれなりに伝わったことだろう。もちろんその横にマーレの玩具とされた少女――ミコヒメが居ても問題はなかったのだ。

 それが、実際はどうであったか。王国存亡の危機に繋がるほどの危険人物と見られたのは、その場に居なかったマーレではなく、いったい誰だったというのか。

 

 エンリは、一人の状態でこの書状を用いたことの意味が、閉じた心の防壁の隙間から少しずつ自分の中へ入ってくるのを感じていた。それは、少しずつでなければ、とても心がもたないものだから――。

 

「顔色が悪いよ。今、気分が落ち着く薬を――」

 

「ンフィーレア、やめて」

 

 明確な拒絶。何をするつもりかわからないが、無理矢理回復されて健康になった心にそれが一気に流れ込んできたら、自分が完全に駄目になってしまうような気がした。少しずつでもギリギリだというのに……。この街へ来てから時折痛むようになった鳩尾のあたりが本当につらかった。

 

 

 しばらく応接セットのソファを借りて横たわり、差し出された果実水を何度か口にして、エンリはようやく生還した。この街で自分がいったいどういう目で見られてきたか、時に拙い言葉でぽつぽつと語り、時に質問に答える形で、粗雑ながらもどうにか説明することができた。

 我が身に溜め込んだ毒をようやく吐き出すことができたかのように、エンリは晴れやかな気持ちになっていた。ンフィーレアも、リィジーさえも親身に話を聞いてくれて、安心できる家族に囲まれているように感じられた。

 

 そんな時、冒険者となったエンリが初めて出会う本物の脅威ともいえる存在が、既に工房のすぐ外まで来ていた。




強者たちによる新展開を前に、ある意味でエンリのここまでの流れの「解」みたいな部分です
第十一話、第十二話で活躍した紹介状の中身を開けてみました。

ようやく(自覚ある範囲だけとはいえ)全てを話すことができ街の名士にまで理解が及んだことで、積み上げてきた酷い何かが崩れてしまいそうですが、そう簡単にはいかないのがこの連載なのです。

早くクレマンティーヌに会いたいので、近日中に次話投稿します。

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