マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

15 / 69
一五 あなたのその気持ち、知ってるよ

 ンフィーレアは着慣れない一張羅の襟を直しながら、会話の糸口を探る。今日するべきことは決まっているが、そこへ自然に到達しなければならない。その道のりは良く言えば臨機応変、悪く言えば白紙である。

 

「昨日お客さんから聞いたんだけど、冒険者組合に凄い新人が入ったらしいね」

 

 げえほっ、けほっ!

 不意にエンリが咳き込んだ。

 

「……ど、どこまで聞いているの?」

 

 震える手で、果実水のコップを口元へ運ぶ。

 

「又聞きで名前はわからないけど、素手でモンスターを引き裂いたり、頭の骨を片手で握りつぶしたりできるらしいよ」

 

「へ、へえ……そんなことができる人、いるわけないよ」

 

「うん、よくあることだけど、噂に尾ひれがついてるんだろうね。そういえば、新人は一度は宿で先輩の冒険者に絡まれるっていうけど、大丈夫だった?」

 

「う……うん、大丈夫」

 

――マーレと、それを止められなかった私が悪いんだしね。あとで謝ればいいだけだし、大丈夫。

 

 エンリは不安を振り払うように、それまでちびちび飲んでいた果実水を一気に飲み干した。

 

「それは良かった。もしかしたら、その凄い新人さんが先にやっつけてくれたのかもね」

 

「我慢したと思うよ!」

 

 テーブルに両手をつき突然身を乗り出したエンリに、ンフィーレアは目を丸くする。

 

「へ? その人を知ってるの? どんな人だったか――」

 

「知らない知らない! そ、そうじゃなくて、強い人ほど自制心があるものだし、その人も悪い噂になったら困るんじゃないかな」

 

「うん、そういうものかもしれないね。冒険者ってのも、一度悪評が立ってしまうと取り返しがつかない狭い世界だから」

 

「…………」

 

 エンリは静かに座りなおすと、顔を伏せて黙り込んだ。料理に向けられるその目からは生気のようなものが感じられない。

 

「何か嫌いなものでも入ってた?」

 

「ううん、とっても美味しい」

 

 エンリの前にある料理は、ンフィーレアが熱烈に勧めた可愛らしいふわふわ卵のオムライスのハーフサイズと、雄雄しく濃厚な照りが映える骨付きラム肉を積み重ねて申し訳程度の温野菜を添えたものの二皿だ。ちなみに、ンフィーレアの前にあるのも同じものだが、逆に肉料理の方がハーフサイズとなって、エンリのものには無い浅緑色の爽やかなソースがかかっていた。

 オムライスは半球状の卵の被膜で覆われ、中央に旗状の飾りがついた細い串が刺さっていた。その串穴の脇から半熟の潤いが僅かに染み出し、トマトソースと米に細かく混ぜ込んだ鶏肉、そして被膜の内側でとろける卵の香りが漏れ出て食欲を誘う。エ・ランテルの婦人たちに絶大な人気を誇る一品だ。

 他方、肉料理の方は冒険者などに人気の一品だ。慣れない露店の匂いですっかり肉の欲に囚われていたエンリだが、染み出す肉汁と脂で艶めいたラム肉の群れが運ばれてきた瞬間はその威容に圧倒されていた。それ自体はこの店ではよくある一見客の反応だが、エンリがソースの提供を断ったことでいくらかの注目を集めることになった。

 開拓村では肉は貴重品で、その風味を味わうことを大切にする。当然のことながら、そこではこの料理のようにソースで肉の濃厚さを抑えて食べやすくするような発想は無かった。ソースを肉に使うとすれば、元々味の薄い淡白な部位や出汁をとったあとのものをより濃厚に味わうためにのみ用いられるのが通常だった。

 そして、目の前にサーブされたラム肉は何か濃厚な調味液に漬け込まれてから石釜に入ったような仕上がりで、これ以上ないほど重々しい赤銅色の照りを見せていた。そのため、これ以上の味を重ねるなど考えられず、呪文の詠唱のような調味料の説明を遮ってソースを断ってしまったのだ。説明の際にはカード型の説明付きメニューも示されていたが、文字が読めないエンリには関係なかった。

 

 まずは、とろとろとした卵を纏う鶏とトマトの御飯をスプーンで口へ運んでいく。卵の甘味と鶏脂の香りをトマトの微かな酸味が軽く締め、エンリはずっと食べ続けていたいような、ずっと食べ続けていられそうなふわふわとした食の快楽に包まれる。

 しかし、エンリは決して忘れない。あくまで、この場の主役は肉なのだ。ずっと食べ続けていられるということは、決定的な満足感は得られないということでもある。

 年頃の少女が肉肉肉と一見偏った想いを募らせることには確りとした理由があった。それは露店の匂いによるものばかりでなく、街での外食など経験の無いただの村娘であったエンリの堅実な金銭感覚にも由来していた。卵とトマトと米を使った料理と、純粋な肉による肉のための肉料理、それが農村の原始的な交換経済においてそれぞれの食材が麦何束分と交換されるものであるかを考えれば、さして金額に差が無い以上は肉料理を選ばざるを得ないのは当然のことだった。最終的にはハーフサイズを付けることで妥協したが、オムライスを強く勧めたンフィーレアを一瞬煩わしく思うほどその価値観は確固たるものだ。

 しかし、肉に手を付けるには様々な手段がある。手で骨を掴むこと、テーブルの上の籠の中からフォークを出してそれで刺すこと、オムライスの上にあるような串を活用することなどだ。ナイフは骨から剥がす時に使う感じだろうか。それとなく周囲を見回すが、意外なことに昼食で骨付き肉を貪る者は一人もいない。農村なら午後の作業に向けて力のつくものを食べたい時間帯だが、街ではそうではないのだろうか。

 もはや手本となるのは目の前の友人だけとわかると、エンリはオムライスを味わう速度を徐々に落としながら、ンフィーレアの肉の皿をちらちらと窺うことになる。

 

 

 

 

 

――エンリ、たくましくなった感じがする。

 

 ンフィーレアは改めてエンリを観察する。その顔色ばかり窺っていたが、服装や雰囲気の変化は著しい。過酷な経験を経てきたとはいえ、冒険者となることで人はこんなにも変わるものなのだろうか。愛しいエンリが少し遠くへ行ってしまったようにも感じるが、現実の距離は果てしなく近付いていることを思いなおし、自分を叱咤する。

 

――今だ! 今言わなくてどうするんだンフィーレア!

 

 エンリはまだ肉に手をつけず、ハーフのオムライスを食べている。肉が嫌いなわけではないのは、ソース無しの皿を見れば一目瞭然で、おそらく肉はとっておきなのだろう。

 ビネガーベースやヨーグルトベースのものが揃う摩り下ろし野菜とハーブの爽やかなソースを断れば、皿の上に残るのは濃厚で果てしない、肉汁と脂の滴る赤銅色の山脈だけだ。この清涼感を一切排除した嶮しい山脈自体も店では裏の看板メニューとして知られていたが、その登頂者はラムの脂と肉汁と独特の臭みを愉しみたい筋骨隆々の兵士や前衛職の冒険者などに限られていた。それでも大抵は野菜や御飯もので休みを入れながら食べるのが一般的で、最後にとっておいて一気に食べようなどという猛者は限られた登頂者の中でもごく一部だけだった。

 

 ンフィーレアもオムライスから食べている。元々、肉を食べるつもりがなかったのもあるが、嫌いというわけではない。後回しにする理由はただ一つ、エンリの視線だった。肉好きの中の肉好きと同じ食べ方を選んだエンリがハーフサイズのラム肉のプレートをちらちらと窺っているのを見れば、これを丸ごと後にとっておかざるを得ない。

 恋する少年としては、お腹一杯になったとか何とか言って、あわよくば片思いの少女に対してフォークで口に直接運んで食べさせるような機会を逸するわけにはいかないのだ。それをするには、その場で切り分けるのが自然であり、多めに残っているのが望ましい。そして至福の時間は長ければ長いほどよく、そうなると今はまだ肉料理に手をつけるわけにはいかないのも自明のこととなる。

 

 それぞれに違った事情でどちらともなく食事のペースが落ちると、自然と話をしやすい空気ができてくる。それをいち早く察知したのは、元々それを熱望していたンフィーレアだったが、頭の中で十数回ほど目の前の少女に想いを伝えるうち、顔が熱を持って真っ赤になってしまった。この状況下において、まだ計画では十数通りの選択肢があるが、もはやそれらを思い浮かべるのも難しくなってきた。

 ンフィーレアの計画は多数の告白パターンを用意し、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処するという物量重視のものであったが、そこからその場で選ぶというのは無理があったようだ。

 

 

「ンフィー、大丈夫? 顔が赤くなってるけど」

 

 調子が悪かったら残りを食べようか、などとは言わない。食べたいが、先に手本も欲しいのが複雑な乙女心というやつだ。

 

 

「エンリ! ぼ、僕は君が……君のことを考えると、こうなってしまうんだ。顔が熱くなって、胸がドキドキして……」

 

 ンフィーレアは内面からあふれ出す気持ちに押し流されるように、言葉を選ぶのを止めた。

 

 計画では、格好いいと思う言葉を沢山用意していた。しかし、自身の心や経験と繋がりを持たない言葉など、いくら大量に集めたところで何の役にも立たなかった。単体では人の心に響きそうな言葉でも、そうした繋がりがなければ使いどころがわからず、無理に押し込むことを想定しても会話を維持することはできないのだ。それは、兵站の切れた大軍のようなとてもむなしいものだ。毎年の戦争で王国の兵站の総力が試されているここエ・ランテルの地で、最後の決戦を物量だけに頼った少年の敗北は必至の状況であった。

 

 しかし、そこで奇跡は起こった。何気ない少女の言葉とその状況が、少年の真っ直ぐな気持ちを言葉として引き出したのだ。

 そのまま言葉を選んでいれば、おそらく長い長い時を一緒に過ごしでもしなければ、そして誰かの後押しを得なければ、到底先へ進むことはできなかっただろう。それを、ただ思うまま感じるままを言葉にしてぶちまけることで、少年はどうにか前に進むことができた。

 エンリは変わった。冒険者になって目の前に現れた時、その変化は著しいものだった。ただ服装や職業が変わったというだけではない。女らしさ、艶かしさのようなものさえ感じられたのは、再会までの年月のせいか、エンリに生じた何らかの変化のせいか……。ただ、大きく雰囲気の変わった今のエンリが、これまでのようにずっと手の届く場所にいてくれると思えないのだけは確かだった。このままどこかへ行ってほしくない、縋りついてでも自分のもとに留まってほしいという気持ちもそれを助けたのかもしれない。

 

 

「ンフィー……。ンフィーは、私に……そうなんだね」

 

 エンリが浮かべたのは、優しいが少し寂しげな微笑みだった。そして、とろとろの卵ばかりになったオムライスの最後の一口を舌に纏わせながらゆっくりと味わう。オムライスの物量で決定的に劣るエンリにとって、この絶望的な持久戦での敗北は元より不可避の事態であった。唾液と絡んだ最後の卵はゆっくりと喉の方へ流れ、消えていった。

 

「私は、あなたのその気持ち、知ってるよ」

 

 心の中の動揺を感づかせないよう、そしてンフィーレアの気持ちに反応して生まれる感情の起伏をも覆い隠すように、あえて軽快に言葉を紡いだ。

 オムライスの皿はもはや空で、卵の端切れすら残っていない。もはや先延ばしはできない、決断の時は今だ。

 エンリは旗状の飾りを汚さないよう脇へ避けてあった華奢な串を利き手に取ると、ラム肉のプレートを正面に持ってくる。そして、自身の決断を胸に赤銅の山脈へと挑みかかりつつ、努めて明るい声を出す――。

 

 

 

 

 

 ンフィーレアは、エンリとその一つ一つの挙動に魂を囚われていた。気持ちを上手に伝えることができたとは思わない。しかし、計画を放り出してまでぶちまけた不器用な言葉を正面から受け止めてもらってから、さらに気持ちを知っていると返されたあとの僅かな時間は、無限に続くかと思えるほどに長く感じられた。エンリの僅かな表情の変化に縋りながら、不安と希望の支配を交互に受け入れ、翻弄され続けた。

 そして、エンリの答えは意外な形で返ってきた。少し作ったような、明るい声で。

 

 

 

「そういうの、緊張っていうんだよ!」

 

「ええっ?」

 

 ンフィーレアは耳を疑った。勇気を出し、なりふり構わず突き進もうと思っていた目の前の道が突然塞がれ、真っ暗になった。

 

 

 

 ぺきっ。

 

 

 

 そんな、何かが折れた音がしたような気さえした。実際に聞こえるはずの無いその不思議な音は、たった今折れたと思ったものの大きさの割に、妙に儚い、白々しい音だった。

 

 

 エンリは得意げに言葉を繋げる。自分の心に刺さる何かを覆い隠すように、努めて明るい声で。

 

 

 

「ンフィーは初めて? 私も最近そうなったことがあるからわかるんだ!」

 

 

 

 思考がついていかない。顔など合わせられるはずもない。エンリの方を見ようとしても、手元から視線が上がっていかない。

 

 エンリの手元には、無理矢理に肉に刺そうとして骨に当たり無残に折れたオムライスの旗があった。十三英雄の誰かが望んで始まったという老舗らしい伝統の飾りも、こうなってしまえば哀れなものだ。次第に冷えてくる頭の端で、聞こえるはずがなかった音の正体を理解する。

 

 ンフィーレアは散らかった思考を拾い集めて整理する。自分が緊張していたのは当たり前のことで、エンリが自分をそう見たことには……思う所がありすぎるほどだが……大きな問題は無い。一世一代の何かは完膚なきまでに折られてしまったが、何か大切なものを失ったわけではない。

 

 問題は、エンリがこういう種類の緊張を感じたことがあるということだ。

 それも、最近。

 

 鼓動が早まる。背中を嫌な汗が伝っていく。

 

 今のエンリはただの村娘ではなく、冒険者だ。冒険者の世界において、強さという最大の価値を備えた魅力的な男は多く、金銭的にも充実している者も少なくないだろう。狭い村に訪れて、エンリとの距離を縮めることもできないまま、それとなく周辺の話を聞きながら利己的な消去法で一喜一憂してきた頃とは全てが違うのだ。

 

 何かが折れてしまった状態で、更に勇気を振り絞るのは難しい。しかし、やらねばならない時もあるのだ。エンリに何が起こったのか、詳しく聞かずにいたことを悔やむ部分もあるが、それがエンリのためなのだから考えても仕方の無いことだ。それより、今は再び勇気を出して、この場でそれを聞き出さなければならない。まずは、僅かな希望に賭けて――。

 

 

 

 

 

 エンリの方も、しばらくはンフィーレアの挙動に注目していた。骨付き肉で串を折ってしまった時は驚かれただけでなくこの世の終わりのような顔をされてしまい、街育ちで作法を知っているにしても厳しすぎるその反応が深く心に刺さった。慌ててフォークに持ち替えて食べようとしてちらりと様子を窺うと、こんどは目に涙を溜めていた。そこでようやくンフィーレアの言葉を思い返し、緊張のせいで情緒が不安定なのだろうと考え、反応を窺うのをやめた。

 結局、選んだのはフォークと骨の手掴みを併用した子供のような食べ方だった。限界を迎えていた肉への渇望も、持久戦の間に客が減った周囲の環境もそれを後押ししており躊躇はなかった。

 少し冷めてはいるが、内部には肉汁がしっかりとたたえられ、ラムの臭みをも取り込んで内側から肉らしさを過剰なまでに主張していく濃厚な味わいは健在だった。計算された漬け込みと焼き加減によって、ありのままの獣の血肉を体内に取りこむ原始的な悦びのようなものが、しっかり火の通った肉の中に再現されていた。

 

 緊張に苛まれるンフィーレアを心配しながらも、どうしても肉の悦びを詰め込んだエンリの頬は緩んでしまう。

 

――何か悪いことをしたのかなぁ。

 

 緊張――ンフィーレアの症状は、それで間違いないだろう。エンリがマーレに対してそれを感じた時のことを考えれば、ンフィーレアがエンリに緊張するということは、エンリが多大な迷惑をかけているということになる。

 確かに、自分の家に恐ろしい妖精族を連れてこられるというのは重大な事態には違いない。本格的に迷惑をかけ――世話になるのはこれからだというのに、最初からこれでは先が思いやられた。

 

――とにかく、今のンフィーには優しくしてあげないと。

 

 頼るために媚びるというのではない。エンリの経験上、緊張している人間というのは、追い詰められているものだ。そんな時に一番必要なものは、味方をしてくれる存在なのだ。ンフィーレアがなぜそのような状態にあるかはわからないにしても、大切な友人が困っている時、できることはしてあげたかった。

 そんなエンリに、ンフィーレアから縋るような言葉がかけられた。

 

「ぼ、僕って、エンリにとって何なのかな?」

 

「ンフィーは私の、大切な友達だよ」

 

「う、うん……ありがとう」

 

 唐突な問いにも、エンリはするべきことを忘れない。努めて優しく、笑顔を作って問いに答えた。エンリは今のンフィーレアの味方になってあげたいと、心から思っていた。気持ちは伝わったはずだが、ンフィーレアの表情がますます暗くなっているのはどういうことなのだろう。

 

 

 

 

 

 嫉妬心。それが純粋な恋心よりも人を動かす力を持っているということを本などで読むことがあっても、ンフィーレアはそれを認めたいとは思わなかった。しかし、実際にそういう感情を抱くに至れば、すぐにそれを認めざるをえなくなった。まだ見ぬライバルの粗を探すため、自分でも驚くほど迅速に行動に移ることができていた。

 

 緊張。

 

 この際は、そう呼んでおいた方がマシだ。エンリは最近そうなった。最近ならまだ何とかなるかもしれない。ンフィーレアの方は初めてかと言えば初めてだが、その初めてが何年も続いて今があるのだ。最近そうなった相手なんかに負けるはずがない。負けていいはずがない。

 

 エンリが好意を抱くとすれば、村の恩人やその同行者、あとは他の冒険者しか居ない。村人の中にそれなりの相手がいたなら、エンリ一人を旅立たせるようなことはなかっただろう。そして、恩人とその同行者は少女だった。となれば――。

 

「エンリは冒険者になってから、さっきの二人以外に新しい知り合いとかできたの?」

 

 好きになった相手が誰かなんて聞けるはずがない。エンリが自分以外の誰かを好きだと口にするなど、考えたくもない。想像するだけで吐き気がする。ここでは、昔から続けてきた回りくどい消去法でいくしかなかった。

 

「うーん、あまり話題にしたくない人が多いかな」

 

 エンリは疲れたような表情を見せる。冒険者の中にただの村娘だったエンリが混ざれば、嫌なこともあるだろう。

 

「嫌な人とかじゃなくて、仲良くなれた人とか……」

 

 仲良く、という程度の表現でもンフィーレアの心には大きな負荷がかかる。それ以上はとても無理だった。心が耐えられない。

 

「冒険者組合の組合長さんは親切だったよ。あとは、ワーカーのエルヤーさんかな」

 

 中年で妻帯者の組合長はすぐに候補から外し、エルヤーという名を心に刻む。どこかで冒険者たちの噂話で聞いたかもしれないと思い記憶を辿るが、買い物の時に出てくる雑談の記憶の中では、何も残ってはいなかった。

 

 そのエルヤーというワーカーとは、旅の途中で野営を手伝ってもらい、冒険者になるにあたっての様々なアドバイスを貰ったらしい。向こうは急ぎの仕事で野営をせずに去っていったと聞き、胸をなでおろす。冒険者の野営とは、なんと危険な環境であろうか。

 

「わかりあえる部分があったから友達みたいに接してくれたけど、難しい事情をすぐに察してくれて、私の進むべき道も教えてくれた。対等な友達なんかじゃなくて、とても凄い人だったんだよ」

 

 男のことを語りながら、瞳の中にキラキラと輝きを宿したようになるエンリの顔を、ンフィーレアは正視できなくなっていた。

 

 曰く、度量があって人としての器が大きい。

 曰く、察しがよくて優しい。

 曰く、力だけではない本物の強い男。

 

 目的は粗探しだったが、その結果は惨憺(さんたん)たるものだ。エンリの口から出てくる掛け値なしの高評価の一撃一撃がンフィーレアを容赦なく打ちすえ、叩きのめし、磨り潰していった。

 

――僕は、小さい人間だ。

 

 粗探しを試みて失敗した自分の惨めな姿と、嬉しそうに語られた巨大なライバルの姿を比べ、ンフィーレアはがっくりと肩を落とした。

 

 細かなことを聞き出すことはできなかった。既に、ンフィーレアにはそれだけの力は残されていなかった。かろうじて記憶を手放さず、諦めずに後日きちんと調べようと切り替えて食事に専念することができただけでも、彼にとっては上出来だった。

 

――でも、時間はある。

 

 エルヤーは隣の帝国を本拠にしており、再会はまだまだ先になりそうだという。であれば、それまでに積み重ねた時間の重みで勝つしかない。敬意や憧れは恋愛感情とは違うものだと自身に言い聞かせながら、ンフィーレアはまだ見ぬライバルに心の中で宣戦を布告した。

 

 

 

 

 

 それは、ニニャと向かい合って座っていたペテルが予め会計を済まそうと一旦席を立った時のこと。客も減り、視線が通りやすくなった店内で、偶然二つの視線が交差した。

 一方の視線は、ただ店内をふわふわと動き回り、自分の食べ方が変な注目を浴びていないか確かめていたもの。他方の視線は、壁役がいなくなるので顔を伏せねばならないと思いつつも、ドロドロとした憎しみをぶつけてしまっていたもの。

 ただ笑われていなければよかった。普通の視線なら意にも介さなかっただろう。たとえ知人でも気付かなかったかもしれない。しかし、その視線はエンリの心にずっと引っかかっていた、謝らなければならない、誤解を解かねばならない相手からのものだった。

 

 エンリは真っ直ぐニニャの方を向いたまま卓上のクロスの端で手を拭うと、ンフィーレアに一声かけて席を立った。いち早く異変に気付いたルクルットがジェスチャーでペテルを遠ざけ、ニニャにその場に留まるよう指示した。既に会計を済ませたダインはルクルットを視線から守る壁役のまま不動でいなければならないが、緊張の面持ちで腰のアイテム袋に手先を入れて中身を確認する。

 

「場所が場所だし、シラ切れば大丈夫だろ」

 

 小声で諌めるルクルットに、ダインは手先を腰の袋から出してコップを掴み、果実水をぐいとあおった。

 

 エンリはニニャの前まで真っ直ぐ歩み寄った。久しぶりの肉、それも村では食べられないような濃厚な味付けのものを大量に食べた満足感から、その顔は緩み、眠気すら感じ始めていた。昨夜のような刺々しい気持ちは既にどこかへ消え去り、今はそんな相手にも優しい気持ちになれるような気がしていた。

 昨夜は散々な言われようだったが、非はこちらにあり、目の前の少年は誤解を解くべき相手には違いない。エンリは安らかな笑顔を作って少年に声をかけた。心の余裕もあって、相手が格上であるシルバーのプレート持ちだということにも配慮して丁寧な言葉を選んだ。

 

「こんにちは、昨夜の方ですよね。あの時は失礼な対応をしてすみませんでした。またお会いできてよかったです」

 

 

 

「……っ……」

 

 ニニャは言葉が出なかった。相手がこちらを格下と見て侮っていたのはわかりきっていたことだが、上機嫌に正面から言葉をかけてくるというのはさすがに想像の範囲外のことだった。ニニャは目の前の少女が浮かべる余裕たっぷりの作り笑顔の裏にあるドス黒いものの正体に想像を巡らした。下卑た挑発行動か、あるいは警告かもしれない。

 

「昨夜は私の連れのことを心配してくれたみたいですが、今後は街なかでは目を離さないように気をつけるので安心してください」

 

「……あの子には、行動の自由は無いってことなんですね」

 

 ニニャの目が濁る。姉が連れていかれた時よりさらに幼い女の子が、目の前の化け物のような少女に奴隷として扱われている。かつて無力で最低な村人でしかなかった自分は、冒険者になっても無力なままだ。今はただその事が口惜しかった。

 

 

 

「もちろんです。けっこう素直に言うことを聞いてくれるし、仲良くやってるから大丈夫ですよ」

 

 エンリは努めて笑顔を維持した。

 まるで肉親でも被害にあったかのように、少年の妖精族への差別意識は相当なものであり、エンリはそれに合わせて答えを選ばざるをえなかった。マーレがその気になればエンリなどひとたまりもないのだが、エンリだって人間社会でマーレによる被害が出ないように頑張っているつもりだ。とにかく心配させないようにした方がいいだろう。危険な妖精族を連れている以上、きちんとそれを制御できていると思ってもらった方が世間体の面でもマシになるには違いない。

 それでも、最後の方は少し疲れたような笑みになってしまう。仲良くやっているつもりでも、苦労だけは一人で背負っているのだ。

 

「仲良く、ですか……」

 

「はい。……それでは、友人と一緒なので失礼しますね」

 

 少年の表情は晴れないが、言うべきことは言えた。これで今後絡まれたり、悪い噂が広がるようなことも避けられたかもしれない。

 一礼して席へ引き返すエンリの足取りは軽かった。肩の荷が一つおりたような気がしていた。ンフィーレアの心配そうな視線に曇りの無い晴れやかな笑顔を返し、エンリはとっておきの最後の肉にかぶりついた。

 

 

 

 

 

 計画を修正し一人、二人、一人とバラバラに店を出た『漆黒の剣』は、店先すぐの出てくる客の視線が通らない辺りで合流していた。静かだが深い怒りに包まれていたニニャを宥めつつ、皆が最後の直接対決の部分にあえて触れないように話題を選ぶ。

 

「混乱しながらも、最後まであの女への好意は消えてなかったな」

 

「けぷっ……よりにもよってあの男の話なんて酷いというか……精神操作系魔法の効果でも確認していたんでしょうか」

 

「ふー、食った食った。バレアレ君は女の趣味は最悪だけど、なかなかいい店知ってるねー」

 

「真面目にやるのである」

 

 四人の男たちは完食したオムライスの香りを漂わせ、それなりの満足感を覚えつつも、最低限の緊張感は維持していた。

 

「ところでニニャよ、さっきの、色恋に持ち込まなかったのは何でなんだ? 惚れさしといた方が利用しやすいだろうに」

 

「憶測ですが、友人でなく恋人となると想いが強すぎて魔法の効果が切れた時の疑念や反動が大きいのかもしれません」

 

「恋愛より友情の方が細くても長く続くってことか」

 

「友と葡萄酒は古いほど良いと言うのであるな」

 

「恋愛の方は、やっぱり目新しいのがいいからなぁー」

 

 昼食時の若者客は殆どが恋人たちで占められるこの食事処の店先で友情の優位性を語っていた『漆黒の剣』の四人は、これから午後のお茶を楽しみに来ていた商家の婦人たちの妄想の具材としていいように調理されることを知らないまま、店を出たターゲットを追って人混みに紛れながらそそくさと店を離れていった。

 




エンリにとって優しくて強くて大きな存在であるアインズ様無しではンフィーレアが焦らないのでエンリが冒険者では何も進展しないのでは……とご心配されたかもしれない皆様、長らくお待たせいたしました。

エンリにとっての「緊張」がどういうものかについては、この話のエンリ特有の言葉なので、第八話の後半あたりを見返すと思い出せるかもしれません。
初々しいって、いいですよね。

一話丸々ラブコメ?なんて展開はおそらく最初で最後なので、ご勘弁を。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。