マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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一三 エンリとマーレと『漆黒の剣』

――とうとう、最後まで言えなかった。

 

 冒険者組合についての説明は、当然、依頼を貼り出された掲示板にも及んでいた。しかし、エンリはいかなる文字であろうと、一つたりとも理解することはできないのだ。あの場の荒くれ者たちの誰もがそれを読めるのだと思うと、エンリは田舎者の自分を恥じずにはいられなかった。

 

「あの掲示板ですが、その……私には……」

 

「ああ、気を遣わなくて結構。銅級冒険者向けに貼り出されているものでは実力的に困るというのはわかっている」

 

「あっ、ハイ」

 

 アインザックの指摘は、文字が読めないエンリが忘れていたもう一つの問題に先回りして配慮してくれたものだった。冒険者になるにしても、ただの村娘に普通の冒険者が受けるような仕事ができるはずがない。マーレが居るとはいえ、エンリは危険に晒されないとは限らない。むしろエ・ランテルへの道中では率先して危険に晒されていたような気さえする。マーレを基準にしてはならないのは明らかだ。

 

「規則といっても不本意な仕事を強いるつもりはないんだ。エンリ君さえよければ、信頼できる人から指名の依頼という形で何か見繕ってもらうことにするが、どうかな」

 

「指名……ですか?」

 

 特別扱いというと嫌な予感もするが、普通に冒険者として危険な依頼をこなすよりは、何らかの配慮をしてもらった方が良いのは間違い無い。目の前にいるのは、エンリにとって信用できる人物なのだから。

 

「君にちょうどいいものを用意するにはそれが一番だと思っている。もちろん、私の目算が外れて簡単すぎるものになってしまうかもしれないが、それでも構わないかな?」

 

「はい、お願いします」

 

 簡単すぎるものなら歓迎だ。冒険者としての実績ができれば、ガゼフが口にした徴兵みたいなふざけた話も縁遠くなるはずだ。

 エンリは全てを察した上でのアインザックの暖かい配慮が嬉しかった。そのまま話の腰を折る気にもなれず、最後まで文字が読めないことを言いだせなかった。

 

「では、決まったら後で紹介する宿へ人をやろう。その宿に泊まらない場合は、朝のうちに組合へ顔を出してもらえると助かる」

 

 

 エンリはアインザックの配慮を思い出し、少し足取りが軽くなった。わざわざ簡単な依頼を用意してくれるのだから、文字が読めないことは機会があったら相談すればいい。今日はもう宿で休むだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルには、巨大な墓地が存在した。毎年のように続く戦争の際の拠点となるこの都市には王国で最大の食料庫だけでなく、戦死者のために最大の墓地が必要とされていた。

 

 その一角、由縁も忘れられた古い霊廟の地下に存在する隠し部屋では日々血なまぐさい儀式が行われていたが、この日はその雰囲気にそぐわない気楽そうな女の声が響いていた。

 

「はあ? 風の神殿一帯が壊滅? いやだなーカジっちゃん、もうボケちゃったの? あのあたりは風花の本拠地で、魔法的な防護も凄いんだよ」

 

「……全て、ズーラーノーンを通した確かな情報だ。難航しているようなら法国で事を起こしたらどうかと他の高弟を通して連絡があった。準備に時間がかかると言うておろうに……。というか、お前の持ってきたそれはその時の混乱に乗じて奪ったものではなかったのか?」

 

「知らないよそんなの。ここ、よく見てよ。この黒い水晶は闇の巫女姫のものだって証。この叡者の額冠は、闇の神殿から自分だけの力で取ってきたものなんだよー。カジっちゃんが冷たいと思ったら、タナボタみたいに思われてたんだ。悲しー」

 

 女は頬を膨らませながら、額冠の中で最も大きな宝石がはまった部分を見せつける。

 

「ふん、そんなものがあっても使える者がおらんわ。それであれば、持ち出されてから行方不明になったという神器でも――」

 

「神器が行方不明って、本格的にボケたの? あれは持ち出す時は漆黒聖典が守ってるんだよ」

 

「その漆黒聖典も出撃した者の行方が知れないとか言われておる。大災害のあと、巨大な魔獣が現れたという話もあるぞ」

 

「うぅわー、破滅の竜王とか、神都に出ちゃったってこと? ……ちょぉっとありえないし、あったとしてもそんな話漏れるわけないじゃん」

 

「やられたのは風の神殿だと言ったろうが。風花聖典がズタズタなら、法国といえども諜報も防諜も知れているということだ」

 

「ふーん。風花の影を感じなくなったような気がするのも、そういうことなのかな。いちお、まだ油断はしないけどねー。……で、話を戻すけどカジット・デイル・バダンデール。同じズーラーノーン十二幹部として協力しない?」

 

 不意に女の口調が変わった。

 女の提案は、叡者の額冠を使ってカジットの行っている儀式を前倒しで行うというものだった。女はその混乱に紛れて、綻びの出てきた追跡の手を一気に振り切るつもりでいた。その計画の鍵となるのが、エ・ランテルに住む有名な生まれながらの異能持ちで、あらゆるマジックアイテムを使用可能なンフィーレアという男だ。

 数年を費やした計画を大きく後押しされる形のカジットは全面的な協力を約束しつつ、監視の緩みを知って浮ついているようにも見えた女に釘を刺しておく。

 

「クレマンティーヌよ、その男の祖母は第三位階までの魔法を使い、名声もある。厄介な事にならぬよう、決行までは関わらず、慎重にな」

 

「んふふ、わかってるって。……さーて、ちょっと安全になったみたいだし、明日明後日くらいにはやっちゃおっかなー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その三人が店へ現れた瞬間、銀級冒険者チーム『漆黒の剣』は凍りついた。そこには、許せないものと、恐ろしいもの、今日の話題の全てが存在したからだ。

 

 ニニャとルクルットの話を聞いていない隣のテーブルの鉄級チームは、先頭の黒衣の少女の姿をじっくりと観察しつつ、通路側のメンバーは座ったまま背中を丸め、じりじりと椅子ごと前に動いて予め通路を広く空けていた。『漆黒の剣』の反応から、それが話題になっていた新入りであることは明らかだった。

 余計な情報の無い分だけ観察は捗り、鉄級の四人は目で合図しあうとテーブルの上で顔を寄せ合って小声で印象を語り合う。

 

「奴隷商人だな」「『八本指』関係者」「イジャ……ニんヤ?」「ズーラーなんとか」

 

 あとの二人は、言いたかったものを取られたとばかりにどこかで聞きかじった名前も覚えていないものを挙げていた。

 

 

 

「二人部屋もあると組合長さんから聞いてます」

 

 エンリはアインザックの助言を忘れていなかった。相部屋を前提に話を進めようとした宿の主人に流されず、きっぱりと個室を要求する。相部屋を勧めてチームを組ませるのもこの宿の役割であり、冒険者相手なら個室は自ら望まない限り提示されないのだ。

 

「ほう……銅のプレートが組合長ときたか、駆け出しが会える相手じゃないんだがな」

 

「紹介状を出したら向こうから来ただけです。釣り合わないので、仲間は作らない方が良いから個室にするよう言われました」

 

 他の冒険者と馴れ合えるとは思っていない。同じ境遇のエルヤーも言っていたように、危険で気難しく人間社会の常識を知らない妖精族など連れていては当然世間体も悪く、結局は孤立するに決まっているのだ。

 そして、この店に入った時も、荒くれ者たちの視線が集中した。エンリはこれまでの経験からさすがに気圧されることはなくなったが、幾人かは強い敵意があるのではないかと思えるほどの鋭い視線を向けてきていたので、関わりたくないのが本音だった。妖精族の性質や所業を考えれば、種族自体を嫌悪したり恨みを持つ者がいても仕方の無いことなのだろう。

 

 主人はテーブルの方を一瞥すると、この少女の言葉に対してそちらから当然起こってくるべき短絡的な怒りの反応がみられないことで、目の前の少女が話題になっていた新入りであることを理解した。

 

「ふん……お前しかプレートがないのもあれの考えか?」

 

「それはエルヤーという人の勧めですけど、組合長にも理解はしてもらえました」

 

 主人は一行の装備を観察する。稀に金持ちの子息や受け継いだ遺品など一人だけ良い装備を持って死にに行くような世間知らずも見てきたが、目の前の者たちはそれらとも明らかに違っていた。黒衣の少女と幼い闇妖精(ダークエルフ)の装備はいずれもその価値が容易にわからないほど上等なもので、外套で装備を窺い知れない少女の方も目を塞いだ上にただならぬ雰囲気の額冠を付けている。

 これだけの装備が揃うなら、力量もそれなりと考えるしかない。魔法詠唱者のような軽装ばかりで極めてバランスは悪いが、組合長が対応するほどなら仲間などもそちらで相応の相手を考えてもらった方が良いだろう。

 

「ちっ、あれが認めてんなら好きにすればいい。体格的に二人部屋でもいいのだろうが、飯はオートミールと野菜程度だが三つ出すから一日八銅貨、飯に肉が欲しければ一銅貨追加だ。当然、前払いでな」

 

 主人の手に銅貨が収まると、エンリは後ろにマーレたちを引き連れて階段へ向けて歩き出し――遮るように足元へ斜めに長い棒が差し出された。

 

 

 

「うしろの子は、何ですか」

 

 差し出されたのは、杖だった。マーレのものとは違ってスッキリと長いだけの単純なものだが、持ち手が輪になった意匠でそれとわかる品だ。杖に手をかけるその持ち主はまだ少年のようだが、エンリを見る目には憎しみが宿り、明確な敵意をあらわにしていた。

 エンリはマーレの後ろの幼い少女がきちんと外套でその身を覆われていることを視野の端で確認し、少年の意図を図りかねる。

 

「何って、私の旅の連れだけど……」

 

「どういう種類の、連れですか」

 

 少年はちらちらとマーレたちの方を見ていた。店に入った時からもそうであったことから、エンリは少年が妖精族を嫌悪しているのだと理解した。何をどう説明しようにも時間がかかりそうで、それが意味をなすかどうかもわからない。一刻も早く寝床に横たわりたかったエンリは説明を放棄する。絡んできたのが自分より身体の小さい少年だけだというのも、安易な選択を選ばせた理由だった。

 

「冒険者の中では、そういう詮索はご法度だって聞いたことがあるんだけど」

 

「待てや、うしろの小さいのは冒険者じゃねえだろ?」

 

 今度は金髪の痩せた男が割り込んできた。軽薄さを装ったような声だが、滲む敵意は隠しようがない。

 

「私が責任を持って預かってる子たちだから安心して……なんて言っても無理か」

 

 その言葉の途中からさらに敵意が強まったような気がして、エンリは深く溜息をついた。

 

「一つだけ答えてください。あなたはエルヤーという人のことをご存知のようですが、うしろの子との関係もその人と同じようなものなのですか」

 

 怒りすら湛える少年の問いは、エンリには逆にこの面倒な状況を解決する糸口となるものであるように感じられた。エンリには、先に道を切り拓いてきた先達の存在があった。今こそその存在に頼るべき時だろう。

 

 

 

 ルクルットはニニャの方を呆れたような顔で見る。そんなことを聞いて素直に答える者がいるわけがない。黒衣の少女が連れている一番後ろの幼い少女は人間だ。王国では人間の奴隷は禁止されており、これは犯罪の自白を迫っているに等しい。とはいえ、実際に衝突してニニャを危険に晒したいとも思わないので、その後の対応にあわせてこの場では矛を収める方向に持っていくつもりだった。

 『漆黒の剣』の残る二人――ペテルとダインも、ここではルクルットと同じ思いだ。白々しい答えでもいったん受け入れ、とりあえずニニャを押し留める。あとで可能な範囲で対処法を話し合い、込み入った問題は組合や衛兵に任せる。それで済むものだと思っていた。

 

 しかし、目の前の黒衣の女はそんなまともな存在ではなかった。

 

 

 

「同じようなものかな。三人も相手をしてるエルヤーさんと比べれば、私なんてたいしたことないけど」

 

 エンリは三人も連れて涼しい顔でいられる剣士と一人を相手にするだけで様々な困難に躓き続ける自分の差を思い返し、自嘲気味に薄く笑った。疲れた顔に浮かべたその笑みは、敵意を持って睨む者からすればひどく酷薄なものに見えたかもしれない。

 ともあれ、これで誤解は解けるはずだった。相手がエルヤーの名を知っているなら話が早い。危険な妖精族を三人も引き受けている、ある意味で英雄級かもしれない剣士と自分を並べて語るのは気が引けるが、危険な妖精族を連れて何か悪い事をしようというのではなく、皆を守るためにそうしているのだとわかってもらうにはそれが一番だった。相手がまともな冒険者であれば、この険悪な空気もすぐに晴れるはず――少なくとも、エンリはそう確信していた。

 

 

 

 この言葉の衝撃をうけて、ルクルットもニニャもすぐには反応できない。そして、そのやりとりを注視していた全ての者たちが、目を丸くしたままその時を止めていたかのようだった。単に女同士というだけでなく、エンリのような年頃の少女が幼い少女を買うなどということになれば、それはいくら見聞の広い冒険者といえどもなかなかに想像し難い世界だ。しかし、言葉を発した少女の含みのありそうな薄ら笑いを見れば、嫌でもそれを事実として受け入れざるをえない。その言葉の意味を咀嚼したくもなかったニニャが真っ先に口を開く。

 

「ふざけないでください! 人数の問題じゃないでしょう。自分が何をしているか、わかっているんですか!?」

 

 

 

 険悪な空気は全く変わらないどころか、さらに悪化したようにも思えた。目の前の少年は子供だから世間を知らないのかもしれない。しかし、エルヤーの名を知っていながらこの態度というのは不可解だった。ここまでしつこいと後ろの仲間たちに絡む役をさせられているという線もありうる。軽薄そうな金髪もまだ睨んでくるのでそういう役回りなのだろう。

 

「もういいや、エルヤーさんも世間体は諦めろって言ってたし、好きに思ってもらって構いません」

 

 エンリは思い知った。結局、こういう連中の行動基準は、言いがかりをつける理由があるかどうか、それだけなのだ。

 

「開き直りですか。人間の屑ですね」

「ちっ、ほんとにド外道じゃねーか。見た目はちょっと好みだったのに」

「最低だ。同じ冒険者と思いたくはないな」

「世間体の問題ではないのである!」

 

 少年は絡み役で間違いないようだ。続いて軽薄そうな金髪も毒づき、テーブルについていた仲間の二人も席を立って難癖をつけてくる。大柄で野蛮な感じの男と、短い金髪の戦士風の男だ。

 エンリは、それが冒険者組合で報奨金を受け取っていた者たちであることに気がついた。依頼を受けて人を助けるものと思っていた冒険者の中にも、モンスターを倒す力があればどんな者でも金を稼げる仕事である以上、一皮剥けばごろつきやならず者でしかない者が含まれているのだ。話の筋道を整えることさえ放棄して言いがかりをつけてくる姿は、やはり、そういう種類の連中だったということだ。

 改めて観察すれば、最も危険な雰囲気を纏っていたのは最初に絡んできた少年だった。眼光は鋭く、そこに含まれるドロドロとした纏わりつくような暗い敵意は、他の仲間たちとも明らかに違っていた。それは危険な妖精族を退けようとする正義感や偏見などで理解できるようなものではなく、専ら人間相手の荒事で稼いできたような者の目としか思えなかった。見た目は少年でも、そこに生まれる油断を利用して様々な荒事をうまく立ち回っているのだろう。詰め所で言っていた北の盗賊団とやらの関係者が街に潜入しているとしたら、こんな感じなのかもしれない。

 一瞬、マーレに何とかしてもらおうかという危険な考えが脳裏をよぎる。しかし、その結果が全て自分のせいになる未来を想像してしまうのは何故なのだろう。そもそも、ここに来たのはこの街における貴重な理解者からの紹介であり、相手が冒険者という体裁でその場に居る以上は、その顔を潰すわけにもいかない。

 

――常に味方だと言ってくれたし。

 

「組合長さんは認めてくれたから、あなたたちが何を言っても関係ありません。それに、少なくないお金を払ってるのに邪魔されたくはないです」

 

 お金とは登録にかかる銀貨のことだ。一時的に大金を手にしてはいるが、エンリはそれに甘えて価値観を変えてしまうようなだらしない人間ではなかった。つい最近までただの村娘だったエンリの金銭感覚においては、ただ冒険者組合長プルトン・アインザックに認められたということより、認められた上で銀貨五枚分もの登録料を差し引き精算の形とはいえ支払っていたことの方が重要だった。

 

 登録料は冒険者全員が支払うものだ。いくら素行の悪い者でも、金銭の価値はわかっているはずだった。そういうエンリの考えは、目の前の男たちには通用しなかった。男たちの間で意味不明の怒りが余計に燃え広がっていく。

 

「組合長が……そんな……」

「おいおい、冒険者ってのは金で買える道楽じゃねえだろ!」

「まさか、ここまでとは……」

「……エ・ランテルの冒険者組合は腐っていたのであるか」

 

「わかったら、どいてください。疲れてるんです」

 

 エンリは呆然とする少年の横をすり抜ける。何かしてくるかと思ったが、少年は巨躯の男に肩を押さえられ、軽薄そうな金髪は戦士風の男に腕を掴まれていた。本気で事を構えるつもりはなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 既に鉄級の四人は部屋へ上がり、他の客も残ってはいない。気を利かせた主人が薄明かりを残した酒場には、『漆黒の剣』だけが残っていた。

 

「あの女が不利になるようなことまで喋っていたのは、こちらが挑んでも確実に返り討ちにできる自信があるからだろう。冒険者組合も向こうの味方である以上、現状を変えるのは簡単にはいかないな」

 

「だったら、詰め所に駆け込めば!」

 

 ニニャの思いは強いが、声はかなり抑えていた。冷静に状況を分析したペテルもその思いは同じで、苦渋の表情を浮かべていた。

 

「そういうのは間違いなく、組合に問い合わせが行くぜ。冒険者の疑惑なら、裏をとるのは冒険者の仕事ってことだ」

「確実に握りつぶされるのであるな」

 

 不機嫌な顔で淡々と語るルクルットも、表情には出ず声だけが低くなるダインも、その思いは一つだった。

 

「そんな! あんなものを見せられて、何もできないってことなんですか!?」

 

 食ってかかるニニャを制し、ルクルットは悪戯っぽく口の端を吊り上げた。

 

「なあニニャ、俺は、裏をとるのは冒険者の仕事だって言ったんだぜ」

 

「……冒険者は、ここにも居るのである!」

「しばらくこっちに泊まれば、数日仕事に出ないでいいくらいの余裕はあるかな」

 

 ダインとペテルからも笑みがこぼれた。

 

「みんな……ありがとう」

 

「おいおい、あの女を許せないのが自分だけだとか思ってんじゃねーぞ」

 

 薄明かりの中、『漆黒の剣』の四人はいつもの顔に戻って笑いあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンリ、起きてますか」

 

 自身が緊張と呼ぶ心の作用に囚われ、ぎこちない動きになりながらもどうにか身体を拭き終えたエンリは、マーレのベッドに入り込んで自身の腕や腰に僅かに触れる幼い体温に全神経を集中させていた。落ち着かず身じろぎを繰り返すが、触れている部分が増えれば緊張が増して顔や身体が温かくなり、減ってしまえばよくわからない喪失感を覚えて再び身体を動かした。

 マーレに名を呼ばれた時は、とうとう来るべきものが来たかと、身体をこわばらせながらマーレの方へ向き直った。耳まで真っ赤になっていたエンリに対し、マーレの方は普段通りの優しい表情だった。

 

「さっきのは殺した方が良かったんじゃないですか」

 

 一瞬何を言っているのかわからなかった。何を言われても受け入れるつもりではいたが、これは何か違う。エンリは二人の大切な瞬間と思っていた場面に割って入ってきたごろつき冒険者たちへの嫌悪感から一瞬その言葉を肯定しそうになり、そんな自分の心の動きに驚いた。

 

 確かに、妖精族とそれを連れている者への偏見だけで人間の屑とか外道呼ばわりとか、人の苦労を道楽呼ばわりとか、酷い悪口雑言を撒き散らして絡んできたごろつき連中の印象は最悪だ。ああいう連中がでっちあげる悪評は一度生み出されると何処までも付いてまわり、その傷を抉る者たちがいくらでも現れてしまうかもしれない。

 しかし、所詮は言葉の暴力でしかなく、それだけで死んでいいとまで思うはずがない。緊張というのは人間をおかしくさせるのかもしれない。

 

 エンリは気を取り直していったんマーレの言葉を否定し、今後のためにそう考える理由を聞いてみることにした。

 

 

 

 マーレの話を聞くと、疲れたエンリの全身に新たな疲労が押し寄せてきた。ここがベッドでなければ床に崩れ落ちていたかもしれない。

 強烈な偏見には理由があった。マーレはあのごろつき――ではなく冒険者のうち二人に一度会っていた。それがしつこく人数を増やして現れたから、もう殺した方が良いのではと考えたらしい。その経緯を聞けば、路地裏で別の男に絡まれ、その足を踏み抜いた時の男の悲鳴を聞きつけての遭遇だという。

 

「でも、その男は魔法で完全に治療して足も生えてきた後で騒いで逃げてしまったし、あの二人も何を怒っていたのかよくわからないんです。まるで人を回復させてはいけないみたいな……」

 

 断片的な説明ではあったが、エンリにはその状況が見てきたように想像できた。わからないのはマーレだけだ。

 いくら魔法が何でもありだとはいっても、そんな目にあって「生えてきて良かったね」で済ませて笑顔で歩いて帰れるならその男は足だけでなく心のどこかがもげている。悲鳴を聞いて駆けつけた二人も同様だろう。回復したこと自体を詰る人間などいるわけがなく、回復すればいいというその態度が問題だったのだ。

 

 それにしても、マーレの常識を踏み抜いてしまった大人の責任はやはり重い。マーレの主だというモモンガ様とやらは自分が幼い性を愉しめれば子供の教育とかどうでもいいのだろうか。百歩譲って自分の墳墓の中で一緒に好き放題爛れた生活をしているだけなら仕方ないとしても、こうやって野放しにするなら少しは配慮してほしかった。

 

 ともかく、事情はわかった。無茶苦茶に(なじ)られたことで気分は悪かったが、先ほどの冒険者たちとの件については恐ろしい闇妖精(ダークエルフ)を街中で野放しにしたエンリにも相当な非があるということになる。

 今さら何を言っても駄目かもしれない。あそこまで言われた相手に笑顔で接するのも難しい。しかし、エンリはどこかで少しでも誤解を解ける機会があれば話がしたいと考えていた。自分はエルヤーほどではないが、頑張ってどうにかマーレとうまくやっている。それだけはわかってほしかったのだ。

 マーレには、いきなり足を潰すとか殺すとかではなく、なるべく相手の話や態度を見て、相手にあわせて行動してほしいと言い含めておいた。精神力の削られる話し合いが必要かと思ったが、マーレはまるで以前から言われていたことであるかのように、すんなりとそれを受け入れてくれた。

 

 話が終わると、狭いからといってマーレはもう一人の少女を寝かせているベッドへ移ってしまった。寂しさと不思議な苛立ちを感じたが、さすがに心と身体の疲労が勝ってエンリの意識も眠りへと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは、薬師の工房が立ち並ぶ路地の一角。住人たちが見慣れない一人の女が、人目もはばからずにある男を捜していた。

 

 朝の心地よい風が金髪を揺らす。そこから覗く目は、常に何かを探すように視線を滑らせていた。通行人も居ないわけではないが、その全てが女の風体から異質な空気を感じ取り、視線を合わせないようにしていた。それは戦いを生業とする者でも変わらない。

 今朝は街全体で兵士や傭兵風の者たちの往来が多かったが、女は周囲を気にすることもなく、露骨なほどに薬師の店や工房を覗き込みながら進んでいく。その視線は全く商品の上に留まることは無く、何か別の狙いがあるかのように店内や工房内の人物だけを行き来し、すぐに去っていった。店主たちはその異質さに気付いてはいたが、その場で違和感を口に出せる者など居なかった。

 注意深く見れば、同行者がいることもわかっただろう。しかし、店や工房を覗き込むのはその女だけで、同行者の方は路地に留まり、その格好も雰囲気も女とは統一感が無い。その姿は人を探しているとしても、あまりに効率が悪いものだった。

 

 やがて、女はこの路地でもひときわ大きな複数の工房が繋がった建物の前で足を止める。入口の扉は空気の入れ替えのためか開け放たれ、濃縮された植物の様々な匂いが外へと漏れ出ていた。

 

 女の視線の先には、黙々と開店の準備をするボロボロの作業着を着た若い男がいた。女はそれが何者であるかを知ると少女の笑顔に戻り、親しみのこもった声で呼びかける。

 

「ンフィーレア!」

 

「……エンリ!?」














周囲と合わないストレスで疲れた人が浮かべる笑みがどれだけ印象悪く見えるかについては、原作で当初ガゼフがレエブン侯をどう見ていたかなどを参考にしています。

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