マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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一〇 遠い空と優しい剣士

 草原を優しい風が撫でていく。エンリは構造を把握したばかりの法服の前を緩めて少しだけ風を取り込みながら、季節外れの外套を着せた幼い少女を連れていることを思い出した。

――少しなら緩めてあげても。

 

 振り向くと、風がふわふわと少女の薄絹をめくりあげていた。既に外套の前は全開で、その幼い曲線を初夏の日差しが照らしていた。

 

 エンリはもの言いたげな半目でマーレの方を見つめるが、まるで無垢な天使のようなきらきらとした瞳で正面から見返されると、すぐに視線を外して深く溜息をついた。 

 

「ど、どうしたんですか?」

 

「……いま、エ・ランテルに向かうルートが決まったところ」

 

 エンリの不機嫌な声に、マーレは不思議そうに首を傾げた。

 

 カルネ村より南西に位置するエ・ランテルに向かうルートは、エンリの聞いている範囲では二つある。

 一つ目はまず南へ進み、それから街道筋を西へ行くルート。これは帝国との戦争が近い時などは好まれないが、比較的安全だ。

 二つ目は森の周辺に沿って西へ進み、途中から南下するルート。これはモンスターとの遭遇率が高く、村人には好まれなかった。

 

 エンリが今選んだのは二つ目のルートだった。

 確かにモンスターとの遭遇は避けたいが、マーレがいれば危険は少ない。それより避けたいのは旅人との遭遇だった。無遠慮に肌色を晒し続ける幼い少女と、この辺りでは珍しい幼い闇妖精。旅人と遭遇した時に変な目で見られるのは間違いなくエンリの方だからだ。安全とはいえ、街道筋など通れるわけがない。

 

 旅人との遭遇。

 

 考えただけで恐ろしい。生まれ育った村を出たエンリには、怪しまれた時に助けてくれる者は誰もいない。マーレは口を開いても状況が悪化するだけ。玩具の少女は口以前に外套の前を開いて色々丸見えの時点でどうにもならない。

 やはり、マーレの爛れた嗜好を隠したのがいけなかったのだろうか。隠さず玩具の少女を連れ回させていたらどうなっただろうか。それは今さら考えても仕方の無い事で、小屋の中でのあれが心に刺さっていたエンリには、放置することができないのも無理は無かったのだ。

――エンリが教えてくれたんです!

 それが悪意の無いものとわかった後も、心に刻み付けられたものは簡単には消えない。その上、エンリの運命に刻み付けられた何かも消えてはいないのだろう。

 そういえば、ガゼフの話では、マーレはいたいけな村娘を玩具にする嗜虐の王子様どころではなく、王国の危機、あるいは人類の危機と言ってもいいような存在らしい。エンリだけの危機ではないというなら平等で結構なことだと思って軽く流してしまったが、他の旅人などと問題を起こされたり、犯罪者として追われる立場になるのは困る。交渉を試みていた様子に見えたという法国の人間の末路を聞く限り、交渉ごとなどはエンリが担当しなければならないのだろう。

 

「これから色々あると思うけど……本当に危なくなったら仕方ないけど、なるべく戦いとか殺し合いとか、嫌だからね」

 

「は、はいっ。ガゼフさんからも頼まれてるし……」

 

 ガゼフという言葉に眉をひそめるが、ここでは問題にすることもないだろう。その名はエンリに不幸をもたらした災厄の象徴とも言えるものだったが、あの卑劣漢とも人間として最低限意見を共有できる部分はあるようだ。

 

「わかってるなら、その通りにお願いね」

 

 エンリは少し身をかがめて、マーレに目線を合わせて言い含めておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その筋肉でできた小山のような巨大な生き物は、子供くらいの身長の醜い生き物の群れとともに、三人を囲むように現れた。エンリは冷や汗が背中を伝うのを感じながらもマーレに目配せし、平然としたマーレが頷くのを見て落ち着きを取り戻す。あとは魔法で縛るのか爆発させるのか、村を襲った騎士たちの運命を考えればそこに不安は全く無かった。

 そしてマーレは何やら詠唱し、その身がふわりと浮き上がる。安全な空から攻撃するということだろうか。後ろを歩いていた玩具の少女も浮き上がる。複数人で空を飛べる魔法なのだろう。それに合わせてエンリも息を大きく吸い込み、重心を高くして浮遊感に身を任せようとする。

 

――空を飛べるなんて、ちょっと凄いかも。

 

 

 

 少し体を反って精一杯背伸びをしたエンリが一人、その場に残された。巨大な筋肉の塊は、大きな顎を前に突き出した知性を感じさせない姿でゆっくりと歩み寄り、潰れた顔の醜い小鬼たちの緩やかな包囲はじりじりと隙間を減らしていく。エンリの背中を冷たい汗が滑り落ちる。

 

 何が起こったかわからないエンリのもとへ上空で何やらマーレの声が聞こえ、そこで体が一気に軽くなる。全身の感覚が鋭くなり、力がみなぎってきた。これなら空だって飛べそうだ。エンリは魔法というものの力の大きさを実感し、自分の順番が来たことに安堵した。

 

――これが空を飛べる身体……凄い。私じゃなくなったみたい。

 

 エンリは背伸びをするつま先に必死に力を入れてみた。いつまでも足は地面についたままだ。

 

 次に鳥を思い浮かべて両腕を広げてばたつかせるが、やはり地面から離れることはできなかった。

 

 ……そもそもマーレたちはそんな動きをしていない。

 

 エンリは完全に孤立した。餌である人間の不思議な動きに警戒して亜人の集団の足が鈍るが、それも危機を数秒繰り延べるものに過ぎない。

 

――まさか、重量オーバーとか?

 

 不穏な想像に強い衝撃を受け、エンリは蒼ざめる。しかし、子供用の魔法でもない限りそんなことは無いはずだ。確かに開拓村の農作業は厳しいもので、若干は普通の村娘より筋肉がついているかもしれないが、余分な肉を付けているつもりはない。……それは、昨夜きちんと隅々まで確認したばかりだ。

 余計な事を思い出して少し頬を染めながらも、その抗議の声は切実だ。

 

「ちょっ! マーレ!? わたしっ、私だけ飛んでないよ!!」

 

「ガゼフさんが言ってたんです! エンリに任せた方がいいって」 

 

 どこか既視感のある展開に災厄の象徴ガゼフの名が加われば、エンリの運命が風前の灯となるのも当然の事であると、感覚的には理解できた。理屈抜きに、するりと頭に入ってくる納得感がそこにはあった。

 しかし、あまりに理屈が無さすぎる。ガゼフは卑劣漢だが魔法使いではなく、何でもありだというわけではない。そもそも血塗れだ魔女だとうるさかったあの失礼な取り巻き連中ならともかく、ガゼフはエンリがただの村娘でしかないことをわかっていたはずだ。

 これは何かの謀略だろうか。村娘エンリはリ・エスティーゼ王国の敵で、王国戦士長に謀殺されなければならないほど罪深い存在なのだろうか。

 

「まま任せるって何!? わわたし戦いとか無理だよ!」

 

「はいっ。戦いにならないように、交渉をお願いします」

 

「ちょっっ! 待っ――」

 

 言いたいことを言うと、空中のマーレは玩具の少女とともにその高度を上げる。同じ身分でありながら安全な場所にいる幼い少女が恨めしく、無意味に晒される全開の肌色がいちいち疎ましい。今はそんなものを気にしている場合では無いのに。

 

 エンリ自身と同じくらいの長さの棍棒を持った巨大な生き物は、こちらを見て涎を垂らしている。あれは人を喰らう生き物――オーガだ。醜い小鬼――ゴブリンたちの方も、それぞれに歪んだ曲刀や手斧、弓などを構えてエンリの方を窺っている。こんな状態で何を交渉しようというんだろう。こうなったのはガゼフのせいらしい。そもそも、今エンリがここに居るのも、全てガゼフのせいだ。少しずつ怯えが怒りに変わっていく。

 エンリは拳を握り締める。王国戦士長をこの拳で殴ってやりたいと思った、その時の気持ちを思い出して。

 

――なめるな。あいつはたぶんガゼフより弱い。あの卑怯者より弱いんだ!

 

 人間の中にも、単身でオーガに勝てるような者が居ないわけではない。王国一番の戦士だというガゼフもその一人だろう。つまり、オーガというのはその程度の生き物なのだ。

 息を思い切り吸い込む。空を飛ぼうと夢見たあの時よりずっと強く。そしてエンリは腹の底から声を張り上げた。

 

「止まりなさい!! 言葉はわかりますか!?」

 

 オーガの視線が目の前のご馳走――エンリの体から、顔へと移る。エンリはオーガの視線に正面から挑み、見返した。目を逸らしたら、終わりだ。

 

「コトバ、ワカル。オマエ、ニンゲン、ウマソウ」

 

「それ以上近づいたら、仲間があなたたちを倒します!」

 

「オマエノナカマ、ニゲタ。……オレサマ、オマエ、マルカジリ」

 

 

 オーガは破顔した。

 外の世界における、エンリの初めての「交渉」は失敗に終わった。話はまとまらなかったが、エンリはオーガの笑顔というものを認識できるようになった。

 巨木を思わせる筋肉の塊が斜め上から迫る。その先にはごつごつとした岩のような指が開かれ、エンリというご馳走をその手に収めようとしていた。ゴブリンたちもあるものは距離を詰め、あるものは矢を放ってくる。

 

「ひぃぃぃっ!」

 

 エンリは自分でも信じられないような身軽さでその岩石のような手から逃れる。そこは斜め後ろから放たれた矢の射線上だ。体勢を崩していた状態では避けようがなかった。

 矢に貫かれる自らの末路を想像して体を強張らせ、足がもつれて倒れこむ。しかし、それは矢が外れるほどの動きではない。すぐに背中に感じたのは、棒で突かれたような鈍い痛み。

 エンリの着る法服は、ゴブリンの矢で貫けるようなものではなかった。

 

――私、生きてる!?

 

 一瞬、背中から落ちた矢に意識をとられ、上から迫る気配に気付くのが遅れた。オーガの持つ人の身体ほどの太さの棍棒が、風を切りながらエンリの上に振り下ろされる。エンリはその場で身をすくめるしかなかった。

 

 

 

 

 

 マーレは、一応ガゼフと約束はしたが、別にガゼフの願いを聞き届けようと思って受け入れたわけではなかった。ただ人間との付き合い方を振り返って、そうするのが良さそうだと判断したに過ぎない。

 エンリを通して話をした時は村長などからきちんと情報や協力が得られ、自分で話をした時はろくに情報が得られないばかりか、危うく敵に、侵入者たちに連なる勢力にアインズ・ウール・ゴウンの情報を渡しそうになった。ニグンという人間は協力的かと思ったが、これも実際には敵の側だった。こうした経験がマーレに人間たちとの接し方を再考させ、ガゼフの言葉に耳を傾けさせたのだった。

 

 それでも、なるべく戦いを避けるというのは面倒な言い分だった。かつて耳にした言葉に、「言う事を聞かせるためには一発殴るのは悪くない」というものがあり、マーレはそれに少し共感していた。それが話題の端にのぼったとき、お茶会の御方々は「誰でも楽々交渉術」と呼んで茶化してもいたが、マーレはそこで敵意を挫いたり、必要なら移動力を奪ってしまえば理想的だと真面目に考えていた。

 

 ただ、実際に役に立っているエンリが言うなら、エンリの交渉を待ってから一発殴るのも悪くない。

 

――本当に危なくなったら仕方ないけど、なるべく戦いとか殺し合いとか、嫌だからね――

 

 マーレはエンリの意思を尊重して交渉を任せ、本当に危なくなるまではそっと見守ることにした。オーガやゴブリンは知能が低いが、言葉を解さないわけではない。亜人を含む異形の者が多数を占めるアインズ・ウール・ゴウンでは、それらと同程度の片言しか話せないしもべも多く存在したが、その知能の範囲で命令を理解するし間違いを正すこともできた。あれらでも、脆くてうるさくて扱いにくい人間より交渉相手としてよほどマシだろう。エンリならうまくやれるだろうし、駄目でも今の装備と予めかけておいた上位の強化魔法を考えれば問題は無さそうだ。

 

 そして、残念ながら交渉は失敗した。エンリはオーガやゴブリンと相性が悪いのかもしれない。戦闘態勢になったが、充分な支援魔法はかけてあるので焦ることもないだろう。もしかしたら、途中でエンリが一発殴って交渉を再開するかもしれない。

 

 マーレは本当にギリギリまで待ってから、無詠唱化した魔法で助けに入ることにした。時間を止めて自分で下に降りていって対応することも考えたが、それも面倒だ。魔法の服なら水で流せばきれいになるし、多少汚してしまっても問題ないだろう。エンリの隠れた性癖を考えれば、内心では喜んでもらえるかもしれない。

 

 

 

 

 

 そして オーガは爆散した。取り落とされた巨大な棍棒が落ちてきて、二つの腕だけで身を庇う。エンリは命の危険を感じたが、魔法の服の効果なのか道端で人にでもぶつかられた程度の感触だった。そして肉食亜人種特有の粘ついた血肉が降り注ぐ。

 

 べちゃり。

 

 何が起こったのかと斜め上を見上げたエンリの顔に赤いものが降り注ぎ、開いた法服の襟元に小ぶりな赤黒い塊が落ちてきた。

 

「っきゃあああぁぁぁっ!!」

 

 エンリは体勢を戻す間も無く、首筋に乗った何かを掴みあげ放り投げようとする。

 

 ぐじゅっ。

 

 強化されていることで加減を誤ったその手の中から溢れるように、潰れ出た臓物の欠片が顔の上にびたびたと落ちてきた。

 

「ひゃぶっ! ぷはっ!」

 

 口の中に入りかけたものが何だったか確認する勇気なんてあるわけがない。エンリは血と汗と涙に塗れた酷い顔を、その黒い袖で必死に拭っていく。ごつごつした小手が当たって痛かった。

 

 

 

 

 

――楽しいのかな。

 

 まるで吸血鬼が血を浴びているかのように、嬌声をあげて血肉を堪能するエンリ。その姿はそういう性癖をもたないマーレから見ても充分に微笑ましかった。はしゃぎすぎないよう、声をかける。

 

「相手はまだいますよ! あとは一発殴って言うことを聞かせるだけです」

 

 

 

 

 

 色々言い返したい事はあるが、今はそれどころではない。エンリは短剣を手に周囲を窺う。オーガの末路に驚き戸惑っていたゴブリンの集団との距離は近いままだ。エンリがふらふらする剣先を向けると、恐慌状態に陥った一匹が古びた曲刀を構えて突撃してきた。

 

「スットイッテドス!」

 

 ゴブリンは聞いたことのない言語で叫びながらエンリの戸惑う剣先をすり抜け、腹部に曲刀を突き立てながら体当たりをしてきた。しかし、腹部を硬いもので突かれたような鈍痛がやってきただけで、それも痣も残らない程度のもの。

 

――あれっ? 刃物で刺されたのに何ともない?

 

 恐れからくる興奮が急激に冷め、命を賭けているという感覚がすうっと消えていった。それまでの混乱が嘘のように収まっていく。恐怖で狭まっていた視野が戻り、目の前の集団が取るに足らないものに思えてきた。命を狙って襲い掛かってきた生き物が、作物につく害虫とまではいかないまでも、人間に危険を及ぼすほどではない小型の害獣程度に見えてくる。

 エンリはいったん短剣を両手で持ち、抱え込むような形になったゴブリンの肩口に突き立てる。

 

「ギャァァァ!!」

 

 刃はするりと肉の中に沈み込み、容易に致死の深みに達した。その肉は家畜の解体を手伝った時より柔らかく感じた。

 

 その後は簡単だった。落ち着いて対処すればゴブリンの動きは遅く、その脆弱な攻撃を受けることもなくなった。短剣がその肉を、軟骨を切り裂く。軟骨は硬めの野菜の芯くらいの感触だろうか。三体が倒れたところで、ゴブリンたちは逃げ出した。あちらは――東だ。

 

「マーレ、お願い!」

 

 カルネ村の方へ走っていくのを放置するわけにはいかない。村長だけなら活きのいいゴブリンを数匹投げつけてやりたいくらいだが、ネムや他の村人もいるのだ。

 思わずマーレに声をかけると、今度は見捨てずに対処してくれた。何の魔法か、走り出したゴブリンたちは突然背中から血を噴き出し、全てその場へ倒れ伏した。 

 

――そうだ、これ、お金になるんだ。

 

 エンリは短剣を包丁のように持ち替え、ゴブリンの死体と格闘する。

 多少気味が悪くはあるが、得られる金額を考えたら尊い労働だ。薬草をとっていても気持ち悪い虫は出るし、美味しい肉入りの食事のためには誰かが動物を解体しなければならない。

 数が多いので、マーレにも用意した袋を渡して指定された耳を切り取るよう頼んでおく。

 

 薬草取りの心得があるエンリは、指定された部分だけをきっちりと採取する事にこだわっていた。薬草の採取では根を取ると次に生えてこなくなってしまうし、ギリギリまで取らないと薬効が減ってしまうものもあった。モンスターの耳にそんな事情は無いのだが、エンリはきっちりと耳だけを切り取ることに時間をかけてしまう。慣れない手つきで二匹目の耳を切り取る頃には結構な時間が経っていた。

 

「終わりました」

 

 マーレが血の滲んだ袋を持ってくる。やはり力が違うと仕事も速い。元は薬草を摘む時に使っていた袋だが、もはやこれ専用にするしかないだろう。エンリは袋を受け取り、自分が採取した耳も無造作に突っ込んでおいた。

 

 

 その後、少々疲れる話し合いを済ませ、せめて亜人や魔物が出現した時は一緒に行動することを約束してもらった。予想通りマーレには全く罪悪感が無く、亜人を脅威の対象とすら考えていないようで、その認識を改めることすらできたとは思えない。

 ガゼフの言い分についても確認しようと思っていたが、その名を思い出すだけで気分が悪くなるしお腹の辺りがムカムカしてくるから放っておいた。たぶん、みんなガゼフが悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が沈みかけてから、野営の準備は慌しく始まった。

 マーレは別に寝なくても構わなかったのだが、エンリは夜の魔物の奇襲を恐れていた。そういう事を考える時、想像の中で犠牲になっているのが常に自分一人だけであることに余計な苛立ちを感じながら野営を強行に主張し、受け入れられたのだった。

 そんな想像の中では何故か助かる側として勝手に嫉妬の対象になっていた巫女姫は、ただ歩き、ただ座り込んでいた。

 

 エンリは野営の方法は聞かされてはいたが、マーレが周囲を警戒できる場合は、簡易なものを勧められている。

 旅立って最初の夜ということもあり、今夜は警戒をマーレに任せることにした。何日も旅が続くようなことがあれば、習った通りに糸を張って警戒網を作ってエンリが周囲に注意を払わねばならない時も来るだろう。

 

 マーレは焚き火を準備している。エンリがテントと格闘していると、声をかけるものがあった。

 

「こんばんは、お嬢さん。手伝いましょうか?」

 

 涼やかな声にエンリが顔を上げると、その声に相応しい男の切れ長の目が優しい光を湛えていた。戦士というより剣士といった雰囲気を持つその男は、エンリの知る粗野な戦士たちと比べれば立ち居振る舞いが洗練されているようにも思えた。

 

「あ、助かります。あなたは?」

 

 テントを畳んでいた金具を外しながら、男は丁寧にその名を名乗った。

 それは若干芝居がかった口調だったが、それもガゼフやその部下たちとの違いをより大きく感じさせることもあって、今のエンリには好印象だ。

 

「それにしても、このような簡単な野営で大丈夫なのですか?」

 

「はい、魔法を使える子がいるので」

 

 エンリの視線を追って、男がマーレの方を見る。

 

「ああ、なるほど」

 

 男は少し含みのある声で納得する。

 

――少しマーレの方を見る目が変だったような……しまった!!

 

 エンリは、マーレの向こうにいる少女のことを思い出した。わたわたと手足をちぐはぐに動かしながら駆け寄り、その外套の前をとめる。

 

「あのっ、違うんです! これは、その……」

 

 みるみる顔が赤くなっていく。エンリは、旅人を見かけたら真っ先にやらねばならない事を忘れていた自分の愚かさを悔いる。

 そこへ、思いもよらない優しい声がかけられた。

 

「私は何も見ていません。落ち着いて、私はあなたの味方です」

 

 エンリは顔を上げる。

 男の口調はその芝居がかった部分が薄まり、とても落ち着いたものだった。そこには今までエンリが浴びせられてきたような警戒と好奇の混じったような嫌な感情は全く感じられない。

 エンリの目をまっすぐに見ながら、男は問う。

 

「こちらの闇妖精(ダークエルフ)は、冒険者の仲間ですか?」

 

「そうといえばそうですが、冒険者とか仲間っていうのは、ちょっと……」

 

 エンリが口ごもると、男はその口の前で指を立て、微笑みを浮かべて優しい声で諭す。

 

「言いにくい事は結構。とりあえず、あなたがあちらの少女とこの闇妖精(ダークエルフ)の身を預かっているだけ、という感じでしょうか」

 

「そ、そんな感じです」

 

――何か、察してくれてるのかな。

 

 触れたくない問題に蓋をしてくれた目の前の男に、エンリは素直に感謝した。

 

「旅人には色々な事情があり、冒険者やワーカーの間では互いに詮索をするのはご法度だと言われるくらいです。堂々とした方がいいですよ」

 

 エンリは初めて冒険者というものに良い印象を持った。――互いに詮索をするのはご法度――その言葉を、深く心に刻んだ。

 

「――というのも、私にも連れがいるから、あなたの苦労もわかるんですよ」

 

 いつの間にか、マーレが焚き火に火を灯していた。その照らす先、少し離れたところに人影が三つ並んでいた。

 

――森妖精(エルフ)

 

 途中で切れているような不自然な形の耳は、それでも人間よりずっと大きい。肌は白く、背はエンリよりいくらか高い。全て森妖精(エルフ)で、妙齢の女性のように見える。顔立ちは整っているが、その沈んだ雰囲気には仄暗い闇を感じる部分もあり、少し怖い感じがした。

 マーレを見て驚いているのは、闇妖精(ダークエルフ)が珍しいのだろうか。

 

「荷物、持ってもらってるんですね」

 

 見咎めたというわけでもないが、エンリには森妖精(エルフ)が体格に見合わない大きな荷物を持っていたのが少し気になった。

 

森妖精(エルフ)というのは案外力が強いものなんですよ。旅路は長いのだから、あなたも持たせればいい」

 

「その通りですけど、マーレはまだ子供なので世間体が気になります」

 

 エンリは、マーレの「片付け」の時の杖での一撃を思い返した。確かに、ああいう恐ろしい力を持つ者たちにとっては荷物など何でもないだろう。

 しかし、力はともかく姿は子供であるマーレだけに多くの荷物を持たせるのは、どうにも見た目が悪いのだ。

 

「こういうのを連れている時点で、世間体まで考えても仕方ありませんよ」

 

 男は笑う。それにつられて、エンリも笑みがこぼれた。

 マーレとともに行動したことでエンリの世間体がどういうことになったか、それを考えれば、男の言う事の方が正しい。

 エンリは笑う。今は蘇ってくる忌々しい記憶を笑い飛ばすべき時だ。焚き火の前で二人は心から笑いあった。

 

――きっと、この人も苦労してるんだ。

 

「それにしても。三人も連れて、大変じゃないですか?」

 

「はは、この通り体力だけはありますから、なんとか楽しくやっていますよ」

 

 男はニヤリと笑う。それは決して高潔な剣士のものとは言いがたい、どこか品の無い笑みだった。それさえも、今のエンリには男が自分と同じ所まで降りてきてくれたような、親しみを感じさせるものに思えた。

 何より、相手は三人だ。この男も表面上は余裕があるように見えても、泥の中を這いずり回るような苦労をしているに違いなかった。振り返って上品に笑えるような、まともな日々であるはずがない。

 エンリは、三人のマーレを連れまわす日々を想像し、戦慄した。

 

「度量があるんですね。人間が大きいというか、立派だと思います」

 

 心から思う。エンリはこの出会いに感謝していた。

――初めて出会った旅人が、こんなに立派な人で本当によかった。

 ふと視線を感じ、ちらりと森妖精の方をうかがう。三人の森妖精(エルフ)たちは、一様にその濁った目に背筋が寒くなるほどの明確な嫌悪を浮かべてエンリの方を見ていた。エンリの中で、この気難しそうな三人を連れている男への敬意がますます大きくなった。

 男が言葉を返してくる。

 

「あなたこそ凄い。その若さでなかなかの器だと思いますよ」

 

 涼やかな声に芯が入って、それは男の心からの賛辞に思えた。エンリは過ぎた言葉にくすぐったさを感じもしたが、苦労を分かり合える存在と出会えたことの嬉しさがそれを塗りつぶす。男ががっちりとした固い手を差し出し、それをエンリが握り締める。二人の男女は偶然の出会いに感謝し、間違いなく相手に敬意と親しみを覚えていた。

 

「エンリ・エモットです。エンリと呼んでください」

 

 

 

 それから、エンリは自らを天才剣士と称するその男に一つ相談に乗ってもらった。

 まず目先の問題としては、冒険者組合へ行かねばならない。気になっていたのは、一人で行っても良いのかということだ。マーレが関わるとろくなことにならないし、玩具の少女は論外なので、いっそ二人とも連れて行かないのが良いのではないかと考えていた。

 

 男はそれを、むしろ当たり前のように後押しした。エンリの当然の権利だという男の言い方には少し戸惑ったが、男もよほど森妖精(エルフ)たちに苦労しているということなのだろう。

 一人であることに疑問を持たれたら、男とそのチームの名を明かし、男に勧められたので同じようにやるということを伝えれば理解が得られるはずだという。

 

 あらゆる面で道なき道を切り拓く覚悟をしていたエンリは、先に道を切り拓いていた先達の存在とその奇跡に心から感謝した。多大な苦労をしたであろうこの男の貴重な経験のおかげで、エンリは安心して、少しでも拓けた場所を進むことができる。まず冒険者は集団であるという固定観念からきていた悩みも、驚くほど簡単に解決した。

 

 さらに男は、一人だけの冒険者でもチーム名はあった方が良いという。

 名声や評判という部分についてはどうでもよかったが、問題が起こった時に自分の名前だけでそれを背負うのは重過ぎるというのは納得できなくもない。

 そして男は無邪気に笑った。自分の名前の他にチーム名があると、悪口が半分になるような気がするという。

 エンリも一緒に笑いあった。

 

 既に決めているのでなければ、と前置きした男は、エンリの黒衣を指して『漆黒』という名を提案した。そして、悪口を言われる時も短い方がいい、そう言って笑った。

 

 エンリは男と同じワーカーという身分にも興味を示したが、ワーカーが仕事を得るにはある程度の名声が必要であり、冒険者組合に愛想が尽きてからで充分だと諭される。

 そのことで、エンリは熟練のワーカーである男と、まだ駆け出しの冒険者ですらない自分自身との差を理解した。それがなければ、苦労を分かり合える立派な剣士との同行を望んだかもしれない。

 

 

 男は急ぎの依頼のため、野営をせず北東へ進まねばならなかった。ワーカーとしての本拠地は帝国の帝都アーウィンタールであり、もし訪れることがあれば喜んで帝都を案内するという。

 

 二人は再び固い握手を交わし、互いの冒険の無事を祈り、別れた。

 エンリはその男――エルヤー・ウズルスの名を心に刻んだ。男のチーム名『天武』とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルヤーは確かにこの出会いに感謝していた。たかが十五、六の小娘に対して心から賛辞を送るなど、これまでの自分にはありえないことだが、そのことにも驚きは無かった。

 

 最初は、幼いながらも確かな輝きを放つ闇妖精(ダークエルフ)の少女の容姿に魅かれて近づいた。

 しかし、話をするうち、エルヤーの関心はその主たる黒衣の少女へと移っていった。強者の雰囲気を滲ませる物々しい黒衣を纏ったその少女は、闇妖精(ダークエルフ)の少女を愉しむ所有者だった。

 そのことは、もう一人の幼い人間の少女にさせていた格好を見れば自明だろう。

 

 幼い少女を愉しむ少女というのは新鮮だ。自分の前でだけは爛れた嗜好を隠さず、伸び伸びと生きて欲しいと思うほどに。

 自らの爛れた嗜好を知られ慌てる少女は微笑ましかった。同じ世界を知る立場として優しく歩み寄り、共感を分かち合いたいほどに。

 世間体を気にする少女は初々しかった。黒衣の少女のその爛れた嗜好との落差がたまらなくエルヤーを興奮させた。

 

 エルヤーの生き方を真っ向から肯定する少女の存在は大きかった。言葉では言い表せないほどに、エルヤーの全てを包み込むほどに。

 

 少女はまだ十五、六歳だ。エルヤーのしていることを知れば、潔癖さが残りがちなその年頃の少女なら悪感情を向けてくるのが普通だろう。世間を知っている女でも、顔を背けるくらいの反応は当たり前だ。女が男の性欲を理解できないのは仕方の無いことで、それはエルヤーもわかっていることだった。

 しかし、あの少女は違った。三人の森妖精を愉しむエルヤーの日常を丸ごと肯定し、それをあたかも男として優れている事の証であるかのように受け取って、素直な敬意を向けてくれた。

 

 そんな少女が、夜になると幼くも美しい闇妖精の少女や、視界を奪った幼い人間の少女を蹂躙しているのだ。清楚ささえ残るあの若さで、いったいどんな経験を積んできたらそういう領域に到達するのだろう。

 これから冒険者になるというが、年齢にそぐわぬ爛れた嗜好とあの黒衣を見ればそれまで陽の当たる世界にいたとも思えない。

 

 

 エルヤーにとって、女とは欲望をぶつけるだけの、支配の対象でしかなかった。それは肥大化した自尊心の裏返しでもあり、それが森妖精(エルフ)の奴隷を買って夜の相手をさせつつチームメンバーとして使うという、ワーカーとして特異とも言える生き方に繋がっていた。

 その方法は人間以外を下に見るエルヤーの中では非常に合理的なものであり、人間社会に迷惑をかけずに自身の欲望を満たすとても冴えたやり方だった。

 

 しかし、その生活は単調なもので、奴隷の女には飽きることが少なくなかった。飽きた女を取り替えても、それはエルヤーの自尊心のための閉じた世界のピースに些細な変化が生じたに過ぎす、同じ事の繰り返しだった。それでも、それ以上のやり方は無いと思い、満足はしていた。

 

 そんなエルヤーの前に現れたのが、エンリだった。

 それは、エルヤーの閉じた世界を肯定し、包み込み、そして新たな世界へ誘うことができる唯一の存在だ。エルヤーの持つ究極の愛が自己愛であるなら、エンリを愛することはその延長上のさらに先にあるものだ。

 

 そこには、男女関係における対立的な部分は存在しない。妥協も必要ない。

 あるのは、それぞれの欲望を満たす世界を持つ者同士の共感と友情、そしてその世界を絡めあう愉しみと、自己愛の世界を絡めあう関係から生じる無謬の愛の姿だ。

 

 エルヤーはエンリとその奴隷たちとの甘美な愛の世界を想像し、そこに無限の高まりを見た。

 二人の主が互いに全てを肯定しあう幸せな世界の中で、ただ蹂躙するだけでなく、蹂躙するさまを見て愉しむことができる。愉しみを交換することも、一緒に愉しむこともできる。

 そして、男である自分とは全く違う少女の感性で少女が貪られていくさまを見れば、エルヤー自身の愉しみ方も大きく広がっていくだろう。

 

 それはエルヤーにとって、生涯に一度会えるかどうかの理想の伴侶の姿だった。

 いや、理想などという陳腐な言葉で言い表して良いものではないのかもしれない。エルヤーの自尊心を妥協させず、肥大化させたままの世界を丸ごと包み込んでくれる女性など、想像の範疇に収まる存在ではなかった。思い描けないものは理想などいう概念に留まるものではないのだ。

 

 

 しかし、エルヤーは焦らない。

 エンリの連れていた闇妖精(ダークエルフ)の少女は、飛びぬけて美しい。薄絹の少女も充分に美しい上、人間の少女にあのような扱いをするという背徳感も大きいだろう。となれば、エンリはその爛れた欲望を充分に満たしているのは間違いない。

 

 そうやって充分に満たされた者に対し、焦って迫ってもろくなことにならないことをエルヤーは知っていた。

 戯れに立ち寄る娼館やそういう酒場で、羽振りの良い自分に迫ってきたつまらない女たちの姿を思い出す。自分がああいうふうになってはいけない。焦らずゆっくりと親交を深めていけばいい。

 

 エルヤーは、『天武』のリーダー、エルヤー・ウズルスの顔に戻っていた。今は、精力的に仕事をこなさなければならない。エンリとの再会の時までに、より強く、より大きな存在となるために。











うんめーてきなであいですが少女マンガみたいにはいかないのでご安心ください

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