『奴ら』が現れ、平和だった街が地獄と化して数度目の朝を迎えた。
空に昇った太陽が街を照らし、光は巡ヶ丘高校をも温かく包む。
しかし、陽の光の温かみに感謝する者はもうこの街には残っていない。
かつて多くの生徒がその学び舎に通い、青春を謳歌していた舞台である学園の姿も街と同じ惨状だった。
陽の光を反射させて輝いていた学校の窓も今では正門から望める範囲では全て割れ、割れた残骸には赤黒い染みがべっとりとこびり付いている。
生徒の憩いの場所だった場所も被害が出ていない場所は探しても存在しない。
そして、顕著なのが学校の校庭を四六時中に歩き回る『奴ら』の大群。
まるで、果てのない何かを探し求めるかのように彷徨うようにも見える。
もっとも、その探している物がまともな物でないのは明白だ。
そんな『奴ら』の姿を新一は屋上から見下ろしていた。
「……」
普段の制服姿ではなく、体育で使うようなジャージに着替えている。
最近、学校で寝泊まりしているため、寝間着代わりに使っている物だ。
ただ、彼が何を見据えているかは分からない。
フェンスに寄りかかって亡者の巣と化したグランドを見下ろす彼の片手にはブラシが握られている。
そんな彼の傍には水の入ったバケツが置かれ、床は水と赤い液体が排水溝に流れている。
近くの菜園の傍には布に被せられた物が横たわっている。
それは、新一が確実に殺した先輩の遺体だった。
この学校に残っている誰よりも先に起きて、数日間放置してしまった自分の罪を文字通り洗い流している。
「……」
新一はグラウンドの『奴ら』の観察に飽きたのか、再びデッキブラシで地面にこびり付いた血を洗い始める。
ゴシゴシとブラシの擦れる音以外は何もない、本当に静かな朝だ。
こんな静かな朝のように、この悪い夢も覚めてくれないかと頭の中で反芻する。
全ての事の発端である事件の日から既に数日が経った。
全ての始まりとなったあの日、おれは皆を屋上に避難させて三階の奪還のために『奴ら』と戦った。
おれが耳で聞いた通り、奴らはそんなに数は多くなく、殲滅は肉弾戦でも十分に可能だった。
途中から素手で触るのも危険だと感じたおれは途中から教室に残された筆記用具やコンパスといった簡易武器も使った。
たくさん殺して、血も浴びた。
白かったワイシャツも真っ赤に染まり、おれの手も血で濡れた。
たくさんの生徒が、おれの友達が渡った廊下を血と肉片で汚した。
他ならぬおれ自身が、この手で。
おれが―――した中には見知った顔もあった。
事件が起こる直前まで、くるみたちとの仲を冷やかしていた友人の顔もあった。
それでも自分はこの手で、この拳で引導を渡し、この世から消したのだ。
一緒に笑いあった友人をこの手で……
この学校で過ごした日々は楽しかった。
今までの殺し、殺されるような生活に新しい風を吹き込み、温かい光のようにおれの生活を潤してくれた。
この学校で過ごした期間はほんの数週間で、まだまだ友人も、顔見知りもそんなにいたと自分で言うのはどうだろうと思う。
くるみたちとだって、ほんの数週間で、ちょっとした運で知り合って顔見知りになったくらいだった。
それでも彼らはおれの友人だった。
そんな友人たちをこの世から消したのは、他でもないおれだ。
彼らを葬る直前、何度も彼らとの思い出が脳裏を過った。
楽しくて、喜ばしい彼らの思い出が自分を苦しめる茨となっておれの心に巻き付いてくる。
苦しかった
殺したくなかった。
助けられるなら助けたかった……
でも、それでもおれは彼らを―――した。
彼らを―――する瞬間、走馬灯のように思い出が駆け抜け、振り下ろす拳を止めたこともあった。
でも、おれの鉄のように冷たい心がそんな思い出を無情に振り払った。
今でも覚えている。
おれは彼らを葬った直後、すぐに冷静になっていた。
原型も残らないほどの強力な一撃で潰れた彼らを見て思った。
―――あぁ、死んだって
冷静に見下ろした後、自分で自分に恐怖した。
おれは最近まで仲良くしてくれた友人を―――したというのに、おれは全く動揺していなかった。
普通なら―――した罪悪感と虚無感で泣きもすれば、呆然とするのが普通の人間だ。
だけど、おれはそんな余韻すら感じていなかった。
まるで金勘定のように―――した数を頭の中で整理して、友人の死を悲しむより先に奴らの行動パターンを冷静に分析していた。
おれは友人の命を、まるで将棋の駒のように見ていた。
特定の駒を犠牲にして、戦闘を有利にするように……
自分で自分が信じられなくなった後、おれはその後の記憶をほとんど消した。
聞かなくても分かる。
その後のおれはまるで機械のように正確で冷酷で無機質だっただろうな。
動揺も不安もない、血を浴びて真っ赤になった殺戮マシーン
きっと喜ぶべきなんだろうな。
そのおかげで、皆の命を護ることができたんだ。
良かったんだよ……たった四人、されど四人だ。
こんな人でなしなおれでも四人を助けられたことは絶対に喜ばしいものだ。
くるみたちと再び会うことはできた。
ただ、あの時、おれを見る皆の顔が忘れられない。
驚愕と恐怖に満ちた、そう、化物を見たかのようなあの顔を。
あの日、三階を奪還した後、彼女たちを比較的安全な部屋に入れて、おれは別の部屋で過ごしている。
おれと彼女たちとの心の距離は、今の別々に住んでいる部屋の間の距離を表している。
だから、この数日間は彼女たちと顔を合わせるどころか声さえ聞いていない。
もっとも、まだ整理が付かないおれにとってはある意味ありがたい幸運だった。
たとえ、丈槍たちがおれを化物だと思っても仕方ないんだ。
そうしなきゃおれは何もできなかったから。
自分で納得しようとしても、胸の中の何かが疼く。
じゅくじゅくと膿んでるような何かが自分の中で胸を締め上げては、再び冷静になる。
最近続いてるパターン……いや、もはやルーティンだ。
パラサイトのような冷酷な心と、人間のような過去の思い出を憂う心
そのどっちかが消えれば、ここまで苦しむこともないのに……
「あ~もう……掃除しよ」
休めば、また考えてしまう。
身体を動かしている間は何も考えなくて済むだろう。
なら動こう、動き続けて、疲れるまで。
おれが再びデッキブラシを地面に押し当てた時、背を向けていた屋上の扉が開いた。
「泉くん……」
そこには、おれのことを気にかけてくれていた先生が心底驚いたような表情で立っていた。
目が覚めたらうっすらと明るい天井が見える。
閉めたカーテンから入り込む木漏れ日は部屋を照らして私たちに朝が来たことを伝える。
自分でもよく寝たと思う。
ただ、色んなことがありすぎて身も心も疲れすぎた。
普段の睡眠じゃあ改善できないほど私たちは心身に疲労がこびりついている。
身体と頭が重い。
社会人になってから飲みに誘われたり、二日酔いでダウンした日もあった。
でも、そんな痛々しい過去でさえ、今では遠い夢の果てのようだ。
手を伸ばしても、あの日は戻ってこない。
過去を振り払うかのように起き上がり、おぼつかない足取りでカーテンを開けるといつもの光景が広がる。
何度、夢であってほしいと願った地獄
晴れやかな朝とは何もかも正反対な地上の様子に私の気分も暗くなる。
私、いえ、私たちは今、三階の生徒会室で寝泊まりしている。
この部屋はあまり侵入された形跡もなく、比較的きれいに保存された部屋だった。
そのおかげか戸を閉めれば少しだけ外の様子を忘れられる。
生徒の力で学校をよくするために使用される部屋が、今では学校だけでなく外の現実から逃避するために使われてるなんて洒落でも言えないわ。
少なくとも、この子たちには……
私が使っていた寝床の隣には丈槍さん、恵飛須沢さん、若狭さんがまだ床に敷かれた布団で眠っている。
なぜ、生徒会室に布団があったかは疑問だけど、今はありがたい。
あの日から昨晩まで、ふさぎ込んでいる丈槍さんには特に……
せめて、寝る時だけでも生徒たちにはこんな現実を忘れさせたいものだわ。
そんなことを考え、すぐに自分に嫌気が差した。
「泉くん……まだ、資料室かしら……」
気にかかるのは、恵飛須沢さんたちと同じ、私の教え子の泉くんのこと。
この学校で恵飛須沢さんの他に生き残った、数少ない生徒にして唯一の男子生徒。
第一印象は大人のような落ち着きを見せながら、授業態度も真面目な好青年。
それに、どんな悪事も見過ごせないような道徳を弁えたよくできた生徒だと思う。
私は見たことないけど、聞いた話では身体能力が非常に高くて体育や部活のヘルプでも彼を称える噂は後を絶たなかった。
そして、今もこうして襲われることなく、ぐっすりと眠れる部屋を私たちに提供してくれた。
事件が起こったあの日、何もかもが一瞬で変わってしまった状況の中で私は何もできなかった。
ただ流されるままに事態の成り行きを見送り、
そんな何もできない私の代わりに皆を導いたのは他でもない泉くんだった。
泉くんは恵比須沢さんを助けた後、私たちを屋上に残して自分は三階の敵を倒しに行った。
最初は、泉くんに任せた方が効果的だと思った私は後になって後悔した。
生徒が頑張っているのに、教師の、大人の私は何をしているんだろう、と。
だけど、ドアの向こうに広がる地獄に足を踏み入れる勇気もなく、ただひたすら震えて何もできなかった。
丈槍さんたちを見守る……なんて偉そうなこと言ったけど本当は怖かっただけ。
怖くて、嫌なことを全て泉くんに丸投げして自分は逃げてしまった。
教師として恥ずべき行為だった。
でも、そんなのはまだ序の口だ。
本当の問題はその後、彼が帰ってきた時に起こった。
屋上で、茜色の空が薄暗くなるまで彼を待っていた私たちはほんの数十分で消耗しきっていた。
陸上部の先輩くんの亡骸の前で呆然と、静かに涙を流す恵飛須沢さん。
一人、離れた場所で自分の身体を抱いて恐怖に身を震わせながら「るーちゃん……るーちゃん……」とうわ言のように誰かの名前を呼び続ける若狭さん。
そして、私に抱き着いてしゃくりながら泣く丈槍さん。
私だって、本当は泣きたかったし、こんな状況から走って逃げ出したいと思った。
でも、泉くんから生徒たちを託された私にそんな選択肢は存在しなかった。
そして、彼が帰ってきた時、私たちは弾けたように素早い動きで閉めていた扉の鍵を開けた。
鍵を開けて、屋上に姿を現した彼の姿に私たちは―――戦慄した。
白い制服が赤一色に染まっていた。
彼の手から真っ赤な血が垂れていた。
そして、彼はどこまでも普通で……平常すぎた。
全てわかっていたかのように悟りの境地に達したような彼の静かな表情。
まるで、仮面を被っているようであり、その時の私は伸ばした手を引っ込めてしまった。
無表情で、何も問題は無いと言いたげな表情はその時、私たちにひどい場違い感を与え、恐ろしいとさえ思った。
それは恵比須沢さんたちも思っていたと分かった。
彼女たちの怯えた目は全て泉くんに向けられていたから……
そんな私たちの不本意な恐怖を垣間見たのだろう。
ふっ、と分かっていたような、そして諦めたかのように寂しげで優しい微笑みを浮かべて言った。
「そっか……仕方ないよな…」
その後、彼は生徒会室で見つけたといった食べ物を私たちに渡した後、一人離れた場所で警戒をしていた。
それから、彼の言う通り夜になった後、彼に生徒会室に案内され、今のように生活している。
ただ、泉くんだけは生徒会室じゃない、もっと離れた資料室で一人、寝泊まりしている。
この学校は非常時に屋上に備えられたソーラーパネルと蓄電器で電気、シャワー、そして飲み水も管理されているため、生活には困っていない。
だから、私たちが使っている生徒会室は外の街と比べて、ましてや学校の他の教室と比べて恵まれているのだ。
恵まれているのに、私たちはこの数日間、泉くんに会おうともしなかった。
いや、言い訳になるけれど、正確には合わせる顔も、余裕もなかった。
この数日間、恵飛須沢さんと若狭さん、丈槍さんは生徒会室でほとんど寝たきり状態に陥っている。
もっと言えば、寝たふりをして泣いているのを見かけた。
備蓄されていたインスタント食品を朝・昼・晩ご飯で食べる時にはちゃんと顔を出したけど、そこにかつての笑顔や明るさは見られなかった。
かく言う私もあまり余裕が無くて、自分を落ち着かせるために数日もかかってしまった。
正直言えば、今日になってやっと落ち着き始めた状態だった。
これは多分、精神の成熟の差なのだろう。
生徒や同僚の生徒、お母さんからは子供っぽいが意見だって言われるけど、私は大人だ。
曲がりなりにも皆より多く色んな経験してるし、社会的にも自分一人で生きていけるくらいに自立している。
でも、皆はまだ心の準備が不完全だった。
もう少し先だった親への自立が予定より早く、しかも予期せぬ出来事で起こったのだ。
こんな数日とかで立ち直れる訳が無い。
皆はまだまだ経験不足で、準備不足なのに。
まだ大人の協力が必要だという時期にこんな惨状だ。
もしかしたら、不安が膨らみ過ぎて学校から出て行ってしまう危険性だってある。
精神的に不安定な
だから、私は泉くんに全て任せるべきじゃなかった。
もっと私が頑張っていれば泉くんにあんなことをさせることはなかったのに。
もう逃げるのは止めよう。
今日こそ泉くんに会って、ちゃんと話をしよう。
「よし!」
皆が寝ているのを忘れて気合を入れてしまった。
口を押えて、寝息が聞こえる部屋から出た後、一足早い朝ご飯を食べて、歯を磨いて顔を洗う。
自分だけ先に準備を終えるのはマナー違反だと思うけど、ここは目を瞑ってもらおう。
今さら泉くんに合わせる顔が無いのかもしれない。
でも、だからといって彼を見限るようなことは絶対にしたくない。
それに、今日まで一番頑張ってきたのは泉くんなんだから。
「そうだ! 野菜に水をやろう!」
まず、こんな欝々とした気分を払拭させよう。
沈んだ顔で泉くんに会っても逆に気を遣わせちゃうから。
今日はカラっと晴れた日だし、外に出てリフレッシュしましょう!
グランドさえ見なきゃ大丈夫よね!
今日のすべきことが定まったことで、久しぶりに自分の動きが軽快になったのを感じた。
寝間着を脱いで、ワンピースを着る。
鏡でリボンの場所を調整して万全の状態で臨む。
確か、屋上への通路付近は既に全て片付けたらしく、襲われる心配は無いらしい。
泉くんの話を信じて、生徒会室を抜け出す。
それから通路を渡って屋上への階段を上ったけど、本当に遭遇しなかった。
彼には感謝しかない。
こうやって生きているのも泉くんのおかげだ。
そんな感謝の気持ちを抱いて、屋上へ続く扉を勢い良く開けた。
その先には晴れやかな太陽に照らされた野菜、そして―――
「泉くん……」
後で会おうとしていた泉くんの姿に、出鼻を挫かれてしまった。
対する彼はジャージ姿のままデッキブラシで床を擦り、あの日血で汚れていた床を水で洗い流していた。
そして、屋上の奥には丁寧に布に包められた……
「せ、先生……」
思いもよらぬ出会いにさっきまでのやる気が霧散して緊張してしまった私と同様に泉くんもどこか気まずそうに返した。
どうしよう、さっきまで泉くんと話そうと決心してたけど、いざ本人を目の前にすると決心が鈍ってしまった。
今まで彼一人に任せっきりだったのに今更教師面してもいいのだろうか……
でも、ここで黙っていては前に進めない。
そう思って私はつばと一緒に弱音も飲み込んだ。
「少し、お話しよ?」
一旦、生徒会室に戻った私は備品のコーヒーメーカーで熱いコーヒーを作った。
それを備品のマグカップ二つに注いで屋上に向かう。
戻ってくると、私の言う通り作業を中断させた泉くんが菜園の縁の石に腰かけて私を待っていた。
そんな彼に湯気の立ったマグカップを渡す。
「はい。熱いから気を付けて」
「あ、ありがとうございます……」
「砂糖とミルクも持ってきたから、好きな物使って」
私も一緒に腰かけて彼との間にスティックタイプの砂糖とミルクを置く。
泉くんはどこか余所余所しくしながらも、私の持ってきたコーヒーをすする。
隣でちびちびと飲む姿にはどこか微笑ましく思い、少しだけ私の緊張もほぐれた。
こうして見ると、やっぱり私よりも年下なんだって思う。
(それはそうだよね……)
いつも通りの彼に私は何言ってるんだ、と自戒した。
また隣り合ってコーヒーを飲み合っていると、泉くんの方から話を切り出してきた。
「先生……あの、一ついいですか?」
「なに?」
何だか思いつめたような表情で、何かに恐れているようでもあった。
それだけで、彼が何を話そうとしているのか、すぐに分かった。
躊躇ったのか、少し口を動かした後、私と向き合った。
「おれ、人間に見えますか?」
「……え?」
内容としては思っていたより根本的で、それでいて根が深そうに思えた。
だから私も一瞬だけ言葉に詰まって答えを返すタイミングを逃してしまった。
そんな私を一瞥した後、泉くんが空を見上げて続けた。
「あの日、あんな事件が起こるまでは……ずっと普通でいるつもりでした」
彼が今、何を思っているかは分からない。
だから、この話を私は聞かなくちゃいけない。
そう思って、彼の話に耳を傾ける。
「前の学校では、色々あって……悲しいことや辛いことが立て続けに起こりすぎて泣く暇も余裕もありませんでした」
彼の言う「色々」
簡単な一言で済ませているけど、彼にとっては一生忘れられない事件だったに違いない。
彼の周りで数十人もの人が犠牲になった。
その中には泉くんの大切な人も含まれている。
それは、私なんかじゃあ理解できないほどに根深い。
「その時までは成績も運動神経も中の中辺りでキープしていた平凡な学生だったのに……そんな学生が今では一人で死体を処理したり、化物を相手に死闘を行ったんですよ? 人生って難しくできてるんですね……」
冗談めいて笑いかけるけど、その笑みはどこか自分の運命に嘆いているように思えた。
「その時からかな……何だか、身近な人が死んでいったのに、何も感じなくなって、泣くこともできなくなったんです」
「何も……本当に何も?」
「はい……おれと仲良かった子、加奈っていう子がパラサイトに殺された時も……死んだ時に立ち会ったというのに心は晴れやかで、『死んだのか』としか思えなかったんです」
「……」
彼は何でもないように話すけど、今の彼の顔を見ればその心境なんてすぐに分かる。
涙は出ていない……でも、空を仰ぎ見るその目は太陽の光でいつもよりも輝いて見える。
まるで、流せない涙が目の中で溜まっているように。
「そこで、加奈って子を気にかけていた光男という人に言われたんです」
『お前は人間じゃねえよ!!』
「当然ですよ。人が死んだっていうのに……ましてや顔を知っている友人たちの顔をこの手で潰したっていうのに、涙一つ流さない……それどころかその一つ一つの死を冷静に分析して、まるで実験動物のように考えてるんです……酷い奴でしょ?」
話を続ける泉くんの表情は凄く冷静で、いつものように普通だった。
彼が語る、私たちなどでは到底及びもしない悲しみ、葛藤を前にして私は目から溢れる感情を抑えきれなかった。
どれだけ辛かったんだろう。
どれだけ怖かったんだろう。
どれだけ悲しくて、寂しかったんだろう。
その答えは他でもない、泉くんしか知らないというのに、私の胸が苦しくなる。
私が泣いても泉くんの苦しみを分かち合うことも減らすこともできない。
ましてや、代わりに泣いてあげることもできない。
生徒が苦しんでいるのに、それを見過ごしていた自分が嫌いだ。
泉くんは元から強かったんじゃない。
その強さは、無理矢理植え付けられてしまったものなんじゃないかと思った。
人は、辛いことがあると現実逃避して心を癒すメカニズムがある。
もしかしたら、これから丈槍さんの中の誰かが発症してしまう可能性だってある。
でも、泉くんはそれすらできない。
いや、許されない。
彼が経験したパラサイトとの戦いは彼の心を歪な形に、それでいて強固に成長させてしまった。
だから、彼は泣くよりも先に生きることを優先して、立ち止まることが無い。
心が悲しみを別の場所へ追いやり、感慨に耽る時間すらも奪ってしまう。
だから強くいられた。
そのために、何か大切な物を殺しながら。
私たちがショックで寝込んでいる時も彼はずっと、人間じゃなくなる心に苦悩しながら、その力を使い続けていた。
他ならぬ私たちを護るために。
そんな彼を、私はずっと一人にしてしまったのだ。
暗くて、寒い孤独の闇の中へ置き去りにして。
だから、だからこそ私は彼を護らなくちゃいけない。
心身ともに、何一つ適わない私でもできることはあるから。
「せ、先生……?」
私は、泉くんの手を握りしめた。
彼の体温が伝わる。
それはとても温かい。
とても、人の頭を叩きつぶしたとは思えないほどに小さく、乾いていた。
「ごめんね……ずっと一人にしちゃって……寂しかったよね……」
こんなに小さい手で頑張ってくれた。
泉くんは決して大柄ではない、平均的な体格だ。
さして大きいわけでもない身体で、今日まで皆を護ってきたことはきっと褒めるべきなんだろう。
でも、褒めるよりも先に謝ってしまった。
お礼さえも口にできなかった。
ただ、何もできない無力感に謝っていると、泉くんが私の手を上から包んだ。
「先生が、先生でよかったです」
それに気付いて、涙が滲む視界で彼を見ると、確かに彼は笑っていた。
さっきまでとは違う、満足したような朗らかな笑みで、静かに、優しく。
「それだけで、おれは報われました……ありがとうございます」
私は教師だ。
迷える生徒を導き、時には厳しく、時には優しく諭すことを生業とした誇るべき仕事だ。
たとえ、ここが学校として機能していなくても、その事実を曲げるつもりはない。
生きている限り、今、生き残った生徒たちを護り、道を示したい。
でも、もし、立ち止まることが許されるなら、休むことが許されるなら。
今だけは、教師でなくなることを許してほしい。
導くのではない
しばらくはこんな風に皆との関係改善に努めます。
普通に考えれば、ショッキング事件が続いた後で新一の変貌を素直に受け止める方が無理な話ってことです。
おかげで、今の新一は肩身が狭く、気まずい思いで溢れていました。
ですが、今回はめぐねえがあフォローしてくれたので少し救われています。
こんな感じで次回も進みます。
では、また次回にお会いしましょう!