油断した。後藤以来、戦闘してなかったから勘が鈍ったか……いや、それは言い訳か。
もっと慎重になるべきだった。第一目標を奴を追い出すことと決めていたのに、欲をかいた。
戦いでは俺の流れだった。でも、たった一つの油断で俺は叩きつけられ、背中を殴打した。恐らく投げられたのだろう、背中が熱く、痛い。
陳列棚が俺の上に倒れている。足音が近寄って来るのも分かる。
普段ならこんな棚、片手でどけられるんだが、油断したからかダメージが大きく回復も遅くなっている。
情けない。
皆を護ると誓ったばかりにこのザマなんて、本当にっ!!
苛立ちで頭が沸騰する感覚を覚え、背中の痛みなど消えてしまった。
自分の不甲斐なさに歯を噛み締め、怒りのままに立ち上がろうとした、その時だった。
右手が俺の胸を叩いた。
「え?」
自分の意志とは無関係に動いた右手。しかし、自分の右手のはずなのにそこには別の意志が宿っている気がした。
冷静になれ
と、そう言われている気がした。
でも、そんなの無理な話だ。
戦いで絶体絶命という訳ではない……すぐそこに俺の友達がいてくれている気がしたからだ。
「ミギー……いる、んだろ?」
問いかけても返事は返ってこない。自分の右手にそう語りかけることなんて本来はおかしいはずなのに……語りかけられずにはいられなかった。
「頼む……助けてくれよ……」
本当は起きているはずだろ? なんで何も言ってくれないんだ? 助けてくれないんだ?
また一緒に助け合おう、敵を倒そう……のどの中でつっかえて言葉が出てこない。
分かっている、ミギーは長い眠りについたって。今のこの右手は自分の物だって。
自分の右手が、友達が近くて―――遠い。
こうして触れることができるのに、何も答えてくれない。
いつか起きてくることを期待してばっかりで、何もできない。
寂しい、辛い、怖い……
「頼む……」
たった一滴の涙も出せず、ただ暗闇の中で助けを待って震える子供のように右手に語り掛ける。
だからだろうか、頭の中に声が響いた。
―――思い出せ、君の腕は私であり、私は君の腕だ……自分の腕くらい自由に使って見せろ
懐かしいはずの声も、今はどこか空しい。
またこうして、手も届かない場所へ行ってしまう。
もう、置いて行かないでくれ。俺も連れて行ってくれ
このまま眠っていれば俺もあそこへ行くことができるだろう。
その時にはミギーに文句でも言われそうだ。
熱い感情と共に自らの額を地面に叩きつけた。
(なに、考えてんだ……っ!!)
俺が死んだら、ミギーだって終わっちゃうじゃないか!!
そうしたら本当に会えなくなってしまう。自分で一生のチャンスを捨ててどうする!!
それに、死んだらミギーだけじゃない、ユキたちだって殺される!!
嫌だ、死にたくない!!
俺は生きる……生きて、俺の護りたい人を今度こそ護らなくちゃいけないんだ!!
今もこうしている間に皆は危険に晒される!!
もう失うのは嫌だ!!
かつてないほどに自分の精神が昂るのを感じる。
生きることを放棄しかけた脳が熱くなる錯覚を覚える。
そして、そんな熱い感情に反応するかのように右手がせわしなく脈動する感覚に気付いた。
(こ、れは……)
人間の右手が不規則に変形する流体のようにうねる。普通なら不気味に思う光景も俺には恐怖を抱かない。
むしろ、懐かしささえ感じる。
しばらく動き続け、唐突に静かになった右手の手の平に目玉が開いた。
その瞬間、俺は涙を流した。
「ミ、ミギ……」
やっと会えた……そう思って名前を呼ぶが、そんなのを無視するかのように右手を人間のものではない、異形の形に変えて俺を押しつぶしている棚を突き破った。
突飛もなく、大胆すぎる行動に俺は気づき始めた。その動きに俺の意志も、ミギーの意志も感じられない。
動かして何となく分かった。ミギーとつながっている気が感じられない、と。
なら、この感覚は?
少し考えた時、自然と一つのことを思い出した。
(たしか後藤との一見以来、一度に複数の思考ができると言ってたな)
それが本当ならミギーは複数の脳を有していることになる。
でも、肝心のミギーはたった一人……魂も意思も感情も複製できない。
(てことは、これはミギーの思考力の一つが表に出ただけ……ミギーの分身……)
目玉もあり、化ける能力もあるがそれはミギーではない。
ミギーの一部でしかない。理論的な答えは出せないものの、新一は何となく、本能で理解した。
もちろん、落胆はあった。本物のミギーが帰って来たわけではない。これはただ、目の前の出来事に反応するだけの人形みたいなものだと。
それでも、新一はそれだけとは思えなかった。
この異形の手はミギーの一部であり、
辛いときも
ピンチも切り抜けたこの右手が戻ってきた。
ミギーは寝てもなお、自分を想い、生きろと言う。
なら、自分はここで腐っている場合なのか?
否
俺は生きる
上に被さっていた棚を押しのけて立ち上がると、案の定近づいていたパラサイトの刃は自然に動いた右腕によって止められていた。
ここで立ち止まらない
また失いたくない
大切な人を護るために
「予定変更……お前は、ここで仕留める」
奴の刃を弾き、懐へと肉薄した。
「!?」
だが、今までのような拙く、殺傷能力の低いナイフとは違う。流動体のように右手がグニャリと変形して形成した刃はあらゆる面でナイフを凌駕した。
威力、射程距離、そして何より文字通り体の一部だからこそ扱いやすいという所がある。
ただ、一点において決定的にいつもと違う点がある。
この右手、本当に俺のイメージ通りに動いたり、変形したりする。
ミギーの意志はないからひとりでに動くなんてことはあり得ない。そう考えると右手のことも何となく思いつく。
(ミギーの言う(複数の思考)というものなのか……俺のイメージと戦闘状況を感じ、目で見て判断し、最適解を導いている)
新一の行動パターンを優先的に表している状況から見てミギーの有無は確認できた。とすると、今のこの右手はコンピュータの自動操縦みたいなものだと判断した。
だが、どうしてそんなことが起こったのか?
理屈では出てこない、別の答えを導いた。
生きろ
そう言われ、尻を叩かれた気分がした。
皆の丁度真下……誰の目にも触れない場所で右手が変異したのも彼なりの気遣いなのかもしれない。
そう思うと、悲しみはどこかへ消えていた。
(こいつも仲間……なら何故、人間の脳が生きている!? それに、この反応の弱さも妙だ、眠っているかのように弱々しいはずなのに……!!)
対峙するパラサイトは新一からの攻撃を避けたり刃で防いだり、答えの出ない疑問に葛藤しながらも巧みに捌いていた。
新一だけなら互角に渡り合えたであろう攻防は新一の右手によって形勢を逆転された。
(なぜ、こんなにも明確に襲い掛かってくる……!! 敵はたった一人だというのに!!)
ここに来て新一たちの戦法が明らかに変わったのを身をもって思い知る。
先ほどまでは新一が息もつかせないほどの攻撃を休むことなく与え続け、パラサイトの機動力と体力を奪うことに特化していた。
しかし、ここに来て新一の攻勢の勢いが弱まった。そうはいってもパラサイトからしても十分に脅威だと思わせる力強さはある。
攻撃の手をゆるませた代わりにこちらの刃を的確且つ、確実に避けられる。攻撃と防御を両立させた形となる。
相手が新一だけならばパラサイトにも充分に勝機はあっただろう
だが、今の新一には右手がある。
意思がないのに人間の味方をするように動き、不意を突いてくる右手に悪戦苦闘を強いられ、追い詰められていく。
パラサイトに痛みという概念は基本的に存在しない。
しかし、人体に傷が付けば出血し、死へ近づくことを本能で理解している。
戦法を変えられてからというもの、既に人体は負傷レベルにまで達しており、このままでは出血量が致死量となって死に至るのは明白だった。
(体の反応が鈍い。意識も薄れて……体力と血を流し過ぎた……こんなのに敵うはずがない。逃げねば……何としても)
自らの人体は既に瀕死寸前と言うことを悟り、この場の離脱を決心した。
しかし、目の前の人間と右手がそれを許すとは思えない。
どうすべきかとパラサイトが辺りを見回した時、一瞬だけ止まった。
不自然な間が開いた。
戦闘中ではありえない停止
普通なら陽動かと疑うような場面で、攻めていた新一はその隙を見逃さなかった。
(ここだ!!)
突き出された刃を右手の刃で弾いて走り出す。
刹那の戦いの間でようやく見つけた隙を逃さんとばかりに新一はその一撃に全てを込める。
パラサイトとの距離が縮まっていく中、新一はその肉薄する一瞬の時が長い時のように感じた。
周りがスローに見えるという感覚だろうか、鋭くなった感覚をもってしても滅多にない体験に違いない。
一歩一歩を踏みしめる感覚をはっきりと感じる。
感覚が研ぎ澄まされた新一が感じたのは勝利への確信だった。
(っ!?)
右手はその確信を裏切る。
敵が無防備な場面で刃ではなく、表面積を最大限にまで広げて硬化させた“盾”を出した。
あまりに場違いな展開に新一は一瞬だけ混乱した。ただ、それも束の間に終わる。
右手が動く結果は常に最適解
故に、今回の盾は新一の運命を決めた。
構えた盾に何かが衝突した。
「なっ!?」
一瞬、何がと思ったが、その飛んできたものが『奴ら』だと判明する。
それも一人だけじゃない、後から続くように『奴ら』が新一に飛んできては盾に阻まれる。
急いで『奴ら』をどかすと、そこには既にパラサイトの姿はない。
既に新一に背を向けて走って逃げだしているパラサイトの姿に疑問が氷解した。
(『奴ら』を飛ばしたのはあのパラサイト……自分の体で死角を作って『奴ら』を投げ飛ばすのを隠していたのか!)
無防備だと思っていたパラサイトは既に逃げの布石を打っていた。
それに気付いたとき、沸騰するくらいに熱を帯びた頭で追いかけようとするも、既にパラサイトの姿は消えていた。
見えるとすれば、いつの間にか一回に集まってきていた『奴ら』の大群に覆われつつある光景だった。
(戦闘音に釣られてきたのか!? しかもこの数、恐らく全フロアから……!?)
状況を判断した時、パラサイトを逃したことなど既に頭の中から消えていた。
今はただ、『奴ら』の包囲網から抜け出すことが第一だ。
しかし、ここを出ようにも右手の力は必要……もちろん、『奴ら』であるなら右手で一掃することも十分に可能だ。
だが、外にはユキたちがいる……この右手を晒してしまうことになる。
どうする……っ!!
ジリジリと追い詰められる中、その声は唐突に響いた。
「耳を塞いで!!」
「悠里!?」
突然の指示に反射的に従った瞬間、全身が痺れるような感覚を覚えた。
耳を手で塞いでも並外れた聴覚に大音量の音が鼓膜を殴りつけてくる。多少の苦痛はあるものの、怯むほどではない。それどころか『奴ら』にとっては不快なのか分からないが、混乱したかのように俺に群がっていた足を止めた。
気が付けば、『奴ら』の大群の後ろから皆の姿を捉えた。皆が一階にいるということはパラサイトも既にモールから逃亡したのだろう。
その中には頭に包帯を巻いた宇田さんもこっちに呼びかけている。
よかった、目を覚ましたんだ。
だが、ここで皆に右手を見られたと思って慌てて右手を庇おうとしたが、既に右手は元に戻っていた。
恐らく、皆を察知して自動的に元に戻ったのだろう。こういう秘密主義な所もそのまんまって訳か。
ともあれ、危機的状況はなんとか脱したわけだ。
なら、後はこのまま撤収するだけ。
そう思ってすぐに、大音量にもがき苦しむような『奴ら』に向かって走り、その中の一体の頭を踏み台にして『奴ら』でできた『肉の壁』を軽く跳び越えた。
そのまま皆の元へ駆け寄ってみると、悠里の手に防犯ベルが握られていたため、この大音量のネタを知り、機転のよさに感心した。
皆は一様に喜んでいるが、直樹と祠堂だけは耳を抑えながらポカンとした顔で見つめてくる。
大方、パラサイトとの戦いと『奴ら』の大群を跳び越えた身体能力に驚いたのだろうと予想はついた。
まだ慣れていないため、これが普通の反応だろうと苦笑した。
悠里の持つ防犯ベルは一向に止まないため、会話もできないまま全員でモールの出口へと躍り出た。
たった数時間しかいなかったのに、夕暮れの空が妙に懐かしい気がした。
それだけ、ここでの時間が濃密だったことを意味する。
「泉先輩!」
「感傷に浸るのは後にしろ!! 早く乗れ!!」
「あ、あぁ、ごめん!」
直樹とくるみの呼びかけに意識を戻され、空を見上げるのを止めて車に乗り込む。
宇田さんの所は既に損傷している車を動かして先生の車、俺たちの乗る車の後ろについている。俺が最後に乗り込むと、先生が迅速にギアを解除した。
「構えて!! 舌を嚙むわよ!!」
言うとおりに体を丸めたように倒すと、今までに感じたことのないほどの力がかかり、エンジンが火を噴いた音を響かせた。
そして、座席から伝わる振動で車が走ったことを知ると、俺の力はドっと抜けて倒れそうになった。
「宇田さんたちは!?」
「大丈夫よ。ぴったりついてきてる」
どうやら宇田さんたちも無事、脱出を果たしたようだ。
身体を丸めた状態で体を起こすことですら億劫になるほどの疲労で外の景色も気にしている余裕がない。
「はぁ~……助かったぁ」
「間一髪……もうこんな経験はしたくないものね」
「ち、ちかれた……」
「えぇ、皆、よく頑張ったわ」
周りからは安堵のため息を漏らすのが聞こえてくる。
さっきまで生と死をかけた戦いに巻き込まれたのだからその反応も当然だろう。
だけど、俺には素直に安堵することなく、ただ感情もないままさっきまでのことを頭の中で反芻させていた。
突然になって動き出した右手とパラサイトの出現
片方は嬉しいはずなのに、今の俺にはそれすらも何かの前兆の気がして、素直に喜べないでいる。
それにつられるようにパラサイトとの闘いの日々……最愛の人たちを亡くした時のことを思い出す。
ただ、思い出すだけ……それ以上のことは考えられない。
ただ、意識が薄くなっていく
疲……れた
意識……遠ざかる
「新一くん!? その背中……っ!?」
「血まみれじゃねえか!! おい、しっかりしろ!!」
聞こえてきたはずの声も正しく理解できぬまま、俺の意識はここで暗転した。
ただ、休息を求めるがままに―――
久しぶりの投稿でしたが、何とか書きました。
今回は結果的にドローとなりました。「ここまで待たせておいてドローなんて最低!」とか思われそうですが、とりあえずこうしました。
また、書いてきますのでできるだけ早くに投稿したいと思います。
したいなぁ……