寄生少年の学園生活日誌   作:生まれ変わった人

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潜入

新一たちがモールに到着する数分前、ジョーがいち早く感じ取った。

 

「うわっ」

 

無言で胸元をノックされた宇田は思わず声を上げてしまった。

食べ終わった朝食を片付けている最中の奇声に全員の視線が向けられる。

 

「どうかしましたか?」

 

美紀が遠慮がちに訪ねてきたのに対し、冷や汗が流れた。

こんな事態を引き起こした原因に恨み言を心の中で呟きながら、咄嗟に誤魔化す。

 

「いや、蚊が目の前を通って驚いただけだよ」

 

安直すぎたかと不安になったものの、すぐにその不安も消える。

 

「あぁ、この時期には増えますよね」

「こんな時は蚊取り線香が恋しくなりますよねー。今度、使ってみましょうよ」

「圭……我儘だよ」

「あはは……いや、僕も必要かと思ってたし構わないよ。でも、蚊取り線香を選ぶなんて今どきの子にしては珍しいと思うけど」

「すいません……この子は古いものが好きなようで」

「いいじゃん。ロマンがあって……るーちゃんも興味ない?」

『見てみたい』

「まったく……」

 

子供を味方にしてはしゃぐ親友の姿にため息を漏らしながら苦笑する。

それと同じように穏やかな心地になっているのも事実。

 

こんな緊急事態でもこんなに穏やかな時間を過ごせているのだから。

もう宇田に対しては最上級の感謝しか感じない。

彼が幻を見ていようとも、自分たちが支えようと思うくらいに。

 

 

人知れない決意を固めていた美紀に対し、宇田は部屋を出て静かにジョーに尋ねる。

 

「何だよ、急に呼び出して」

「いい加減に慣れろ。そんなんだと異常者に見られるぞ」

「たく……で、今度は何だよ」

 

いつものような罵倒から入る会話も慣れたものか、ため息を漏らしながら耳を傾ける。

口が悪いといってもジョーの助言は全て有益であり、生きるために必要なことだと今までの教訓で思い知っている。

 

また今回もそういったものだと思って続きを促すと、予想だにしなかった答えが返ってきた。

 

 

「仲間の反応だ。このモールに向かってやがる」

「なっ!?」

 

その瞬間、宇田は背中が底冷えし、驚愕の声を溜まらずに出してしまう直前にジョーに塞がれた。

手荒いものの、美紀たちには知られていない様子だったので、ジョーに感謝せざる得ない。

タップして落ち着いたことを知らせるが、その実、うすら寒い予感しか感じられなかった。

 

 

美紀たちを庇ってパラサイトに戦って勝つ可能性は―――0に近く、1から遠い。

 

 

新一のように優れた身体能力など持っているはずがなく、肥満気味な中年の体力など人体の潜在能力を引き出しているパラサイトと比較すら馬鹿らしくなるほどに開いている。

 

しかも、戦闘になれば土台となる宇田は口を塞がれ、鼻呼吸を強いられるため、直接戦うジョーの体力が真っ先に尽きる。

 

それに何より、新一と比べて交戦経験のない自分では心構えも死ぬ覚悟も決められているかも曖昧なのだ。

臆病風に吹かれて狂ってしまう恐れもある。

 

 

八方塞がりだ―――密かに頭の中で出た結論に静かに絶望した。

そして、そんな感情の動きもジョーにはお見通しである。

 

「は、早く皆とここを出ないと!」

「かなり厳しいな。相手も俺たちを察知しただろうし、ここを急に離れれば不審に思って追いかけてくる可能性もある。しかも、通常なら話もつけることもできたかもしれねえが、こんな異常事態じゃあ人間じゃねえ限り他の存在など邪魔でしかねえだろうな。人間も3人いると分かれば間違いなく、独り占めしようと俺を含めて皆殺しだ」

 

話し合いも逃走も俺なら許さねえな、そう締めくくったジョーの言葉に今度こそ顔が真っ青になった。

喉から熱い胃液が逆流しかけるも、こらえて押し戻す。

 

我慢した宇田も絶望的な状況に言葉を失う感覚によろめくが、ジョーがさり気なく支える。

 

そんな気遣いも気にならないくらいに打ちのめされている時、ジョーは指を一本作って立てた。

 

「だが、手はある」

 

その言葉に宇田は素早く壁に倒れかかっていた体を起こした。

 

「本当か!?」

「あぁ、かなり危なっかしくはあるが、上手くいけば全員、逃げることができる」

「どうすればいい!?」

 

まさしく、地獄に垂れた蜘蛛の糸を見つけた気分だった。

 

「実はな、仲間の反応は一つだけじゃなく他の所からも反応を見つけた」

「えぇ!? それって不味いだろ!!」

「うるせぇな。落ち着け」

 

さっきまでの自信ありげな発言は何だったんだと、宇田は怒りたくなったが、ジョーの変わりない話し方に少しだけ落ち着けた。

これだけでもジョーに対する信頼が見て取れる。

 

「他の反応というものがどうにも普通じゃねえ。俺の反応に気づいたわけでもないからよ」

「そこまで分かるのか?」

「殺意というものが信号の中で強いように、感情の変化で信号の強さも変わる。俺を確認した奴のほうは明らかな感情の変化を示したが、片方の方は感情が平坦だ……敵意はない」

「な、なるほど……」

「それに、感情のない方の反応がどうにも弱すぎる。まるで、寝ている時みたいにな」

 

最後の言葉に宇田は少し考えたあと、思い出した。

それはまさに、その『本人』から聞かされたことだったから。

 

その可能性に行き着いた宇田の表情に希望が含まれていた。

 

「それじゃあ!!」

 

しかし、それをジョーの静かで平坦な声が抑える。

 

「油断すんじゃねえ。今までならその考えももっともだが、こんな状況じゃあ確実にそいつらが新一とは限らねえ」

「いや、でもその反応は眠っているんだろ? その状況でこっちに向かっているということはそういうことじゃないのか?」

 

パラサイトはもともとの人間の体を完全に乗っ取って生まれた生命体。

それはつまり、体が睡眠を欲して眠りについた時には人間同様に完全に沈黙すること。

その状態で移動しているならば、新一のように人間の脳とパラサイトが完全に別離している時でしかあり得ない。

 

「その考え方は間違いねえが、俺は例外があると思っている」

「例外?」

 

そんなものがあったのか、と聞くと、直後にジョーから身の毛もよだつ可能性が言い渡された。

 

 

 

―――死体が動いているなら、どうなると思う?

 

 

宇田は今度こそ、本気で悪寒に襲われた。

それほどまでに恐ろしく、それだけでも恐ろしいことであったから。

 

「う、そ……だろ?」

「俺も考えたくはないがな。だが、可能性としては0でもねえ」

 

それはつまり、パラサイトのゾンビ化。

『奴ら』に殺されたパラサイトがそのまま『奴ら』として生まれ変わった場合、どうなるのか。

 

今まで、ジョーはその可能性を考えていたが、宇田たちを不安に陥れるということで黙秘していた仮説だった。

しかし、もうそんなことを言っている場合じゃない。

宇田の性格と性質を考慮した結果、明確な危機を提示して正確な判断をしてもらおうという狙いもあった。

 

この男は何らかの義務感が働くと、本来の性格とは想像できないくらいの行動力を発揮すると確信できる。

今はプラスになることはどんな手でも打つと決めている。

 

そう判断できるだけで、いかに宇田のことを理解しているかが伺える。

 

「どっちにしろ俺の戦闘も美紀たち(あいつら)がいるから何も出来ねえ。でも、前門の虎、後門の狼というのなら簡単だ」

「? どういうことだ?」

 

ジョーの言うことが理解できず、オウム返しをすると、次には分かりやすく言い直した。

 

 

―――要は、虎と狼をぶつけちまえばそれでいい。

 

 

 

モールに辿り着いた新一たちの行動は素早かった。

新一を先頭にモールに入り、そこからりーさん、ユキ、めぐ姉と続いて最後にシャベルを持ったくるみが続く。

新一が鋭い五感を活かして『奴ら』の比較的少ない経路を進み、その間の三人はもしもの時のサポート役に徹する。

後方のくるみは主に新一が取り逃がした時のための後処理係を担っている。

 

―――前もって組んだ最善の布陣を組んで進む。

 

軍や警察のような最適解を導くことはできなかったが、一学生と教師が考えた最善の布陣であった。

この作戦の肝は新一とくるみの『奴ら』に対して戦闘可能だと言える。

 

もちろん、皆も新一の感覚の鋭さは信頼しているが、本人としてはそんなに過信してほしくないというのが本心だった。

自分の感覚が自前ではなく、ミギーからのもらい物だからだろうか、自分の集中力でその鋭さが左右される時がある。

 

(万が一ということもあるしね)

 

もちろん、こんな状況で油断するつもりはないが、手を抜く理由にはならない。

打てる手は些細なことでも打つ、この異常事態を生き抜くには必要なことだと再認識して気を引き締める。

 

「うん、一階はちらほらいるけど二階からはそんなにはいないな」

「やっぱり階段が登れないということか」

「じゃあ早く登っちゃおうよ」

 

声を最大限に抑えながら一階のホールを徘徊する『奴ら』を迂回し、物陰に隠れてやり過ごしながら既に停止したエスカレータを目指す。

迷わず辿り着き、二階へと登ると適当な店のシャッターを見つけてくるみが上げる。

 

「ここは?」

「たしか、おもちゃ屋」

「え? 何でそこを?」

「いいから、絶対に役に立つものがあるんだよ」

 

モールを知っているくるみがなぜ、おもちゃ屋をチョイスしたか分からないものの、彼女なりの考えがあると思い、特に何も言わない。

そして、僅かに開いた隙間を抜けて中に入ると、ようやく一息つく。

 

「はぁ……疲れたわ」

「結構、集中したものね。時間を決めて休みましょ」

 

僅かな移動だけで一息つくりーさんとめぐ姉は適当な場所に腰掛ける横で、ユキは目を輝かせてテンションを上げている。

明らかに浮かれているのが分かると、くるみはため息をついて新一は苦笑する。

 

「何かゲームでも持っていこうよ!!」

「テレビゲームは無しだからな」

「え~……」

「当たり前だろ。ゲームやったその日、シャワーに入らなくてもいいってなら別だけどな」

「うぐ……」

「料理、部屋の明かりも無くなるからな~」

「……分かったよ~」

 

先に釘を刺されて不満顔を浮かべるも、くるみの言いたいことを理解してか不承不承だが納得はしていた。

学校のソーラーシステムで供給される電力には限りがあるため、ゲームをしようものなら一日分の電力が尽きるのが目に見えている。

 

能天気なユキでも生活の肝を絶やしたくないと思うのが本音である。

 

ただ、くるみとしても娯楽品の一つは欲しいと思っていたくるみの代案にユキも食らいついた。

 

「持ってくならボードゲームにしとけ」

「あ、なるほど! 人生ゲームとか、トランプもいいのかな!?」

「場所を取らねえならな」

「ラジャー!!」

 

意気揚々とゲームを探しに行ったユキを見て保護者になった気分を味わいながら、くるみは自分の目当てのものを探す。

 

「新一、ちょっと」

「なに?」

 

目的のものが置かれてある場所を覚えていたため、新一を呼び出してその場所に連れて行く。

最初は分からなかったが、その場所について指をさした商品を見て納得した。

 

「トランシーバーか」

「役に立つと思わねえか?」

 

ニヒルな笑みを浮かべるくるみに新一は素直に感心した。

 

交通、情報インフラが全てダウンした現在、携帯電話が使えないことはすでに承知済みである。

しかし、そんな状況でも変わらずに使用できるのがおもちゃ型のトランシーバーだとくるみは思った。

 

くるみは常々、自分の役割というものに疑問を抱いていた。

自分が身体能力で新一に全体的に劣っていることはすでに承知済みである。

だからこそ、『奴ら』と戦えても、あくまで新一の後処理として役割を担っている。そのことに不満はなく、当然のものだとしている。

 

だけど、それだと自分がみんなを助ける機会も少なくなるのでは、と危惧してもいた。

それに気づいたくるみは自分なりに自分にしかできない役割を模索し、考えた。

そして、考えた結論が以下になる。

 

(新一じゃあ思いつかないような案を提示するしかねえか)

 

事実、新一はパワーが強いせいか細かいところが大雑把になっている節が見られる。

それは今回のトランシーバーでもそうだった。

 

(耳と目がすごく良いっていうなら、それを手軽に連絡できたほうがいいよな)

 

新一が察知し、それを皆に伝えることで情報を共有し、危険を回避する。

情報網の伝達を思い付いた。

 

その旨を新一に伝えたところ、反応はくるみが思った以上だった。

 

「すごいなくるみ!! こんなこと、俺なんて思いつかなかったよ!!」

「お、大げさだっつの」

 

満面の喜色を見せられ、むずがゆく感じたくるみは軽く悪態をつくも、満更でもない表情を浮かべる。

予想以上に喜ばれたことに、自分の居場所ができたと思ってしまったため、口が緩んだ。

 

「まあ、あたしにできることなんてこれくらいしかないしさ。そんな大したことじゃねえよ」

「……」

 

自分で言った後、しゃべり過ぎたことに気が付いた。

しまった、内心でそう思って誤魔化そうとしたのもつかの間、新一のほうが早かった。

 

「俺はいつだってくるみがいてくれて助かったと思ってるよ」

 

掛け値無しの賞賛にくるみの動きが止まった。

不思議そうに振り返るくるみに優しい笑みを浮かべる。

 

「くるみは運動能力もあるし、俺が気付かない所を細かく指摘してくれたりするからここまで来れたのは間違いないよ」

「……あたしはそれくらいしかできないからさ」

「たとえそうだとしても、くるみはいつだって俺たちのことを優先して考えてくれるからこそできることだと思う、むしろくるみは自分のことを後回しにしすぎると俺は思うな」

「え……」

「ここに来る途中でも、気になってさ」

 

新一の言いたいことを察してくるみは何も言えなくなる。

 

モールに向かっている最中、新一たちは恵飛須沢家……くるみの家に立ち寄った。

もちろん、そこに立ち寄るべきかどうか本気で悩んだものの、本人たっての希望もあり、くるみは久しぶりの我が家へ入っていった。

でも、俺の耳には何も聞こえなかったことと、しばらくしてくるみが一人で戻ってきたことで俺たちは察し、話題に出さないように努めた。

 

赤く腫れた目についても、何も触れずに。

 

 

本当は大声上げて泣きたいはずなのに、悠里みたいに辛いはずなのに俺達には弱い姿を見せないように我慢している。

それだけで、すごく辛いように思えた。

俺だって、父さんがどうなっているか分からないし、今すぐにでも助けたいと思っている。

 

俺がくるみのような立場になったら、自分がどうなってしまうか想像もできない。

 

それを思うと、くるみはすごく強くて、俺なんかよりもしっかりしてるとさえ思う。

それでも、昨日の悠里のこともあるから不安にもなってしまう。

少しくらい、感情を吐き出してもいいんじゃないかって。

 

「……あたしがそんなに頼りなく思うか?」

「そうは思わない。でも、耐えるだけの苦しみもそれなりに知ってるからさ」

「……」

 

お互いに何も言えなくなる。

新一としてはくるみの辛い経験をほじくる必要はないと判断したが、くるみの方は新一の業の深さを垣間見たが故の無言だった。

 

話で聞いただけでは伝わらない、新一なりの苦悩が少しの会話に出てくると、改めて新一という人間の深さを知ってしまう。

耐える苦しみ、それほどの事態が過去の新一に起こったのだろうと思い至るのに時間はかからなかった。

 

互いに無言が続くと、どうにも居心地が悪くなったと感じたため、くるみの方から話題を吹っ掛ける。

 

「そういえばさ、お前としては今の状況をどう思う?」

「状況? とりあえず、生き延びてしばらくは助けを待つってこと?」

「あ~、そういうんじゃなくて、その、お前以外は全員女子だろ? 何かこう、誰か気になる人とかいるんじゃないのか?」

「は、はぁ~?」

 

悪戯っぽく聞いた質問に新一は間の抜けた声を上げる。

その反応にくるみも当初の目的を忘れて面白い話題を見つけたと攻めに転じた。

 

「昨日の見張りの時にりーさんと何かあったろ?」

「なんでそれを?」

「今日の態度があからさますぎんだろ。あれで何もありませんでした、っていうほうが無理だ」

「まぁ…………そうなんだけど、デリケートな所もあるし、悠里だって色々と無理してたらしいし、いずれは皆にも悩みを打ち明けるって言ってたし」

「ふ~ん、まありーさんの感じも少し戻ったようだし、抱き着かれて新一もご満悦だからいいんじゃねえの?」

「お、俺はそんなこと……」

「度胸はあるのに、そういうのには慌てるんだな。お前、女経験ないだろ」

 

普段は頼りになる新一を相手に手玉に取った優越感と今朝から暑苦しく見せつけられたイチャイチャへの当てつけで狼狽する新一に口撃が止まるどころか楽しんでいくようになった。

まるで普通の学校生活を送っていた時の感覚にくるみも楽しくなってからかい続けた。

 

しかし、普段の役割からか疲労が溜まった状態での新一はからかわれることを面白く感じなかった。

 

(さっきから言いたい放題言いやがって……!)

 

苛立ち、とはまた違う反抗心がむくむくと大きくなるも、新一の中で一つ天啓をえたような名案が浮かんだ。

ただし、からかってくるくるみに対して、こっちからの反撃はお世辞にも効果があるとは思えない。

それどころか相手を調子づかせるものかと思うも、からかい続けてくるくるみへの反発心に耐えられずに実行してしまった。

 

後で思い直した。俺は疲れていたんだ、と。

 

「くるみって、本当はシンデレラを夢見る乙女じゃないのか?」

「はえ?」

 

この瞬間、くるみの口撃が止まった。

効果あり、そう思った新一は猛攻に転じる。

 

「だって、口調はあれだけど俺たちの中で唯一、恋をしてたし俺に男としての意見とか求めてた時もあったし」

「そ、それは……!」

「夢は就職だっけ……お嫁さんに永久就職」

「何でお前が知って……!? いや、そんな事実は知らないな!」

「スポーツ部の女子にしては髪を伸ばして整えてたり、汗かいたら念入りに拭いたり匂い消したりしてるし」

「女子なら普通にやってるっつーの!! てか、何見てんだよ!! そこまで舐めるようにあたしを見てたのかよ変態!!」

 

自覚無いようだけど、結構人前でやってたぞ、と言うほど新一も野暮ではない。

ましてや、ユキが面白がってくるみの可愛らしい夢をチクったことも正直に言う必要もないと思いながら、とどめを刺した。

 

 

「可愛い女の子を見てしまうのは仕方ないからな」

 

冗談ではあるが、完全に嘘ではない。

 

以前からくるみは男口調の癖と勝気な性格から女子と男子からも男友達として、接してこられたのを知っている。

それなら、慣れない女の子扱いしてやれば十分な反撃になるだろうと。

何の前触れもなく女子から褒められると妙に浮つく感覚のように。

 

そう見通していた新一だったが、くるみを見て反発心も綺麗に弾け飛んだ。

 

(顔赤っ!!)

 

想像のはるか上をいった乙女な反応に新一も一瞬だけ思考が止まらざる得なかった。

そして、自分の言ったことを落ち着いた頭で考え、悶絶した。

 

(やばい……自分で言ったとは思えないくらいの軽薄さが……)

 

自分の言ったことにダメージを受けながらも必死に立て直そうとする新一だが、くるみはそれどころではなかった。

 

 

(新一……あたしのこと可愛いって……)

 

くるみは新一からの言葉を頭の中で反芻させながら、恥ずかしく思うと同時に感動さえしていた。

 

元々、くるみは口調と性格から女の子扱いを受けた機会が少なかった。

それでいて、自分でも認めるほどの乙女感覚があるのは自覚しているし、心の中だけでなら認めるほかない事実である。

現実と理想の間に乖離したギャップを覆すことは既に無理なのだろうと諦めさえしていた。

 

先輩が自分に対して可愛がるような行動から気持ちの変化があったのだから、恋心もそういう所に起因しているのかもしれない。

そもそも、めぐ姉に相談しなければ気が付かなかったほどの想いが恋心だったのかさえ、今となっては分からない。

 

(先輩でもそこまで言わなかったというのに、この男は……!)

 

思えば、先輩の可愛がり方は先輩が後輩に対するもの……もっと言えば年上が年下を可愛がるようなものではなかったかと思った。

それに対し、目の前の男はそれ以上のことをはっきりと言ったのだから驚愕も倍に膨れ上がっていた。

 

そして何より、くるみは先輩に失恋したのだ。

自分の想いを伝えるどころか、先輩が自分のことをどう想っていたのかさえ分からないまま死んでしまったのだから、最悪の形での失恋ともいえる。

無意識ではあるが、もう甘い想いを抱くこともないと思っていた。

 

 

そこへ、新一からの遠回しな告白発言である。

そう考えれば、新一の目論見がこれ以上ないほどに的中し、成功したともいえる。

 

もっとも、乙女の胸中を赤裸々に暴露されたことに対する怒りは万倍にも膨れ上がっていた。

 

「うん、俺が悪かった。だから今すぐにそのシャベルを床に置いて落ち着こうか」

 

顔を真っ赤にしながら興奮した猛獣のように荒い息を吐き、シャベルを力の限り握りしめて近寄って来るくるみに新一は恐怖した。

見た目からしてくるみの思考回路が異常なのがすぐにわかる。

 

ただ、くるみの頭の中には新一に対する怒りしかなかった。

 

「何で、お前だけ、そんなに……!!」

「……くるみさん?」

(あたしだけ動揺してんのが馬鹿みてえじゃねえか!!)

 

くるみの言いたいことが分かってない様子に、怒りの導火線に点いた火が激しさを増した。

 

新一が冗談で言ったということは自分でもわかっているはずなのに、感情の高ぶりが止まらない。

自分がこんなに苦しんでいるのに、新一に至っては何の動揺もしていないのは納得がいかない。

 

ジリジリとにじり寄って来るくるみに新一は本格的に危機を感じた。

 

(これは、やばい!)

 

危険を察知した新一は恥を忍んでその場から逃げることを選んだ。

無駄のない動作で潔く逃げた新一にくるみは捕まえることができず、代わりに口が出た。

 

「後で覚えてろよこの野郎!!」

 

背中から聞こえた声に新一は覚悟を決めた。

少し落ち着くまで逃げよう……どうせくるみからは逃げられないけど。

 

後で殴られる覚悟もするか、そう思いながらりーさんたちの元へ戻って行った。

 

 

その後、店の中で反響した会話を聞いていたりーさんたちから白い目で見られた上に、予想通りくるみから一発殴られた。




完全に嵐の前の騒がしさです。

フラグは立ちましたが、恋愛感情ではありません。
次回からはデパート編も本番に入ります。

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