ナザリック百景   作:つるつる蕎麦

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今回ちょっとHです。直接的な描写があるわけでもない(と思う)ので多分R-15位だと思いますが、そういうのが苦手な人は(不快な気持ちにさせたくないので)読むのを止めていただけるようお願い致します。


第二階層:死蝋玄室付近にて

 ナザリック地下大墳墓は広大だ。

 

 そこはもちろん外敵からの攻撃から身を守るための厳重な防御機構としても見ることが出来るが、別の見方をすればそこは多数の存在が住まう都市だと表現することも出来る。大量の作り出されたシモベたち、自動で湧き出す防衛用のモンスター、あるいは至高の41人がリアリティを追求した結果として生み出された飾りとしての蟲や霊体、小動物など――大量の生物・非生物が活動している。

 

 そしてそれらのうち意思ある存在全てが至高の41人に対する絶対の忠誠心を持っているといって差し支えがなかった。この世のいかなる居城よりも硬い不退転の防衛の決意が満ちた魔王の城である。

 

 ただし「忠義を尽くす」と言っても個々の存在にとってその方法は少しずつ違っているのもまた確かだ。不埒な侵入者を切り裂くことが最大の忠誠の証と捉えるものもいれば、手足となって黙々と大墳墓の維持管理業務に尽くすのが忠義の表れとするものもいる。ひたすら眷属を増やしておくことを忠義の一部だと考えるものもいるし、与えられた獲物の体重を増やすことに忠誠の満足感を見出すものもいる。

 

 そんな違いがあるなか、彼女は少しばかり個性的な忠誠心――いや主に対する愛だろうか? を発揮している存在だった。

 不徳、不敬――人によっては彼女の内心に秘めた衝動をそう見なすものがいてもおかしくない。彼女自身も自覚していた。だからこの衝動は上手く隠さなければならない。元々目立つようなものではないし、隠すことも誤魔化すことも容易だろう。満足や幸福感は自分の腹の底に沈めて表立っては他の者達と同じように、あるいは問題とならないような範囲で振る舞い続ければ良いのだ。

 そう思っていた。

 

「……もう、おしまい……」

 

 絶望の吐息とともに天を仰ぐ。

 しかし彼女の見上げた先には天などない。かつてここで行われた数々の「作業」によって天井まで飛び散った「液体」がこびりつき、奇怪で黒々としたパッチワークを作っている薄汚く重苦しい石壁が見えるだけだ。

 

 彼女は現在完璧に監禁されていた。それどころか体は椅子に座ったまま縛り付けられ両手のみ自由になっている。しかし手でなんとかすれば体の自由を得られるような状態ではない。腕力で言えば相当にあるはずの彼女を持ってしてもビクともしない強靭な革ベルトに魔力の篭った足枷、胴枷。閉じ込められた部屋を見渡せば、さほど広くもない部屋の中には紛うことなき拷問器具の数々が鈍色の光を放ち、吸い込んできた血の量そのままの威圧感を発している。

 完全なる拷問部屋。逃げ場などない。分かっている。

 

「どうしてこうなってしまったのか……」

 

 それも分かっている。自分が悪いのだ。

 主を想い忠義を尽くした。しかしその忠義の形はここナザリック地下大墳墓では決して認められないような類のものだった……それだけのことなのだろう。

 自分の中では「良かれと思って」であっても、実際は害にしかならないなんて物事は世の中に五万とある。自分にとっては忠誠心や愛情であっても、外から見れば罪の形をしていた――それだけに過ぎない。

 そして今自分はまさにその敬愛する主にその罪をせめられ、しかし同時に最後の試しの機会を与えられてここにいる、という訳だった。

 

「……私は、苦しんでいる我が愛しの主様がせめて少しでも喜びを得られるようにと……」

 

 そう、耐えられなかった。大きな失敗に自分を責め続け、大輪の花がまるで枯れてしまったかのように輝きを失ってしまった主の姿が。

 だからせめてそんな姿を間近で見続けなければならない自分への慰めに、同時に心の中の主の慰めにもなったらいいのにと。不敬かも知れない。いや不敬だろう。だけどこんな悲しい主の姿を見続けていればせめて、と思って何がおかしいだろうか? せめて、せめて――。

 

 せめて、空想の物語の中でくらいは幸せになっていいじゃないかと。

 

 だから彼女は書いた。書いてしまった。

 羊皮紙はナザリック地下大墳墓において貴重品だが、紙は魔法を込めることが出来ないため使用の制限があるわけではない。そのものの貯蔵量自体も潤沢で自由に使うことが許可されていたし、実際書類仕事というのは日常的に彼女にあてがわれた仕事の一つであって、紙もペンも簡単に自分のものにすることができた。それ自体が別に咎められるようなことでもなかった。

 

 普段であれば主の美しさを称える散文詩などを書いていたのだが、苦しむ主の姿を見て彼女の中の何かが弾け飛んでしまった。

 そして空いた時間を見つけては、ひたすらに書き続けたのだ。絵が描ければもっと良かっただろうが彼女はそんな技術は持っていなかった。でも言葉を紡ぐことはできた。だから物語として書いたのだ。

 

「偉大なる至高の御方 × シャルティア様」を。

 

 実際に抜粋するとこんな感じになる。

 

『おお……このような美しい雫は見たことがないぞ……朝露に濡れる薔薇の花弁からこぼれ落ちたひとしずく……なんと甘く、胸を揺さぶるのか』

『あっ、アインズ様……美しき方、私の愛しい人、妾のそのような場所に触れては……溶けてしまいんす……この体が溶けて全て蜜になってしまいんす……』

『ほうそれは良い。全て溶かしてどこまで甘くなるか、試してみようではないか』

『あああっ、堪忍しておくんなまし……』

 

 耽美系で十八禁バリバリだった。

 

 そもそもが彼女――吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)である。同性経験ならあると豪語するシャルティアに仕えるだけあってまあもう色々と知っているしよく分かってもいるわけだ。そんな彼女がそういう方向に妄想を炸裂させたとして、一体どんな不思議があるだろう。

 紙の上で弾けた妄想は偉大なる御方の振る舞いを勝手に作り出し、あの恐ろしくも美しい主人を翻弄して酔わせる物語となった。

 

 しかし、しかしだ。

 

 それがいかに甘く甘く砂糖に蜜をかけたような物語であったとしても……仕えるべき主人たちの姿を身勝手に創りだしたこれは間違いなく不敬だ。大罪に値すると言っても良いはずだ。

 彼女は畏れ多さに震えながらそれでも書き続けた。なぜなら物語の中で美しく乱れる彼女の主は、その顔を幸福の桜色に染め続けていたのだ。その想像は彼女までも幸福な気持ちに包んでくれたのだ……。

 だがある時、彼女のこの幸福な時間は唐突に終わりを告げる。

 

「おんし……主の帰還に(いら)えもせず、何に夢中になっていんす?」

 

 見つかってしまった。夢中になりすぎた彼女は主の気配に気がつかず、筆を走らせていたその最中をまさに見咎められ、したためた物語そのものを読まれてしまった。

 今思い出しても恐ろしいあの時の主の姿! 目を通すやいなやその気配は恐ろしい殺意に塗れ、開かれた目が赤光を放って爛々と輝いていた。食い入るように文字を追う瞳が紙面から再び上げられた時、その繊手は断固たる動きで振るわれた。

 

 首をはねられて死を与えられるだけであれば幸福であるだろう――そう思いながら、彼女は主の裁きを待った。

 しかし、命を奪っては頂けなかった。

 我が主はご自身や至高なる御方に対しての不敬の罪をそうやすやすと許すような方ではない。私だって見逃せない不敬を犯した者がいれば容赦なく残酷で苛烈な苦しみを与えるだろう。そうして……彼女は否応なく今この拷問部屋に放り込まれた。主の恐ろしい命令とともに。

 

「書きなんし」

「………………はっ?」

「畏れ知らずの配下を持つは主の恥。でもこな散文だけではどれだけ不敬なのか分かりんせん。書きなんし。おんしの本当に思うことを。その出来上がりを見てどう苦しめるか決めてやるでありんす」

 

 否などあり得なかった。

 

 そうして彼女は今こうしている。部屋に閉じ込められた当初は呆然と何も考えられなかった。少し経つと懺悔の念と激しい畏れに見舞われた。

 ……しかし数時間が過ぎた今、部屋に放り込まれた直後とは違った気持ちが彼女をゆっくりと支配し始めていた。

 確かに彼女の中には畏れ、恐れ、後悔、不安、諦め……そうした気持ちが今も渦巻いている。

 

 しかし――自分の犯した罪を考えれば許されることなどあり得ず、自分でも許しを願うことも期待しないのならば、事ここに至り「どのように滅ぼされるか」の小さな違いがある程度の話でしかないのではないか?

 であるならば……思うままに振る舞うしか無いのではないか?

 例え不敬と見做されようと、私の忠義に、敬愛に、献身に偽りはない。美しき主と至高の御方の喜びをひたすらに願う奴隷の一人だ。狂おしいまでの熱情を至高の御方に注ぐ主と、あの慈悲深く愛情に満ちた至高の御方が愛を交歓する姿を願うことの、どこに偽りがあるだろう?

 

 そもそも、まだ現実になっていないだけの事ではないか。至高の御方が我が主を愛していないはずもないのだから、いかに空想の物語であったとしても時を経ればいつか必ず訪れるであろう未来ということに過ぎないはずだ。

 そう、ならば、書くしかない。これは私の忠義。これは私の存在証明。その証を掲げて昂然と胸を張り、断頭台に進もう。

 

 華麗なる我が主の美しき歓びの姿を書くのだ。至高なる御方の愛と厳しさに満ちた振る舞いを書くのだ。乱れに乱れ踊り絡みあう、花々の咲き誇る庭を嵐が駆け抜けて散らしていくような物語を書くのだ……!

 道具として渡されていたペンを手に取った。死よりも恐ろしい未来が待っているのは間違いない。しかしここで立ち止まることは自分の中にある忠義すら偽ることだ。

 

 一心不乱。

 

 目を見開き、血の滴るようなペン先を紙にぶつけるように書く。生まれ出てくるビジョンをそのままに、より瑞々しく、艶やかに彩る。そしていつしか紙の上で美しき主が踊りはじめる。不敬だと思う気持ちを叩き潰してより鮮やかにより淫靡に、彼女は自分の願いを表し続けた。

 

 ・

 

 主が再びやってくる。

 彼女の目の前の机には先ほど書き上げたばかりの作品が紙束として積み上げられていた。椅子に縛り付けられて立ち上がることにできない彼女は美しいお辞儀をすることができないが、それでも頭を下げた後、視線を主へと向けた。そして書き上げた物語を捧げるようにして主に手渡す。あとは静かに時を待ち、いかなる裁きであっても受け入れよう……もう心は決まっていた。

 

 主の背後には付き従う複数名の吸血鬼の花嫁の姿もあった。昨日までは立場を同じくした仲間、いや家族と言えた者たちも今では厳しい視線を自分に送ってきている気がする。しかしそれは仕方のない事だろう。これが彼女たちとの別れになるのか、あるいは彼女たちを交えた苦しみと痛みの始まりであるのかまでは分からないが、彼女は別れを告げるように視線を少しだけ向けた。

 

「ふん……これがそう」

「はい。シャルティア様」

 

 紙束を手に持ったシャルティアが彼女に尋ねる。

 

「短い時間で随分と張り切ったみたいでありんすね? おんしの不敬の程度を調べるのに手間がかかってしまうではないの」

「重ね重ねの不始末、どうかお許しを! しかしご命令の通りに全て書き出しました。覚悟はできておりますので、シャルティア様のお決めになる罰を全て喜んで受け入れます」

「そう。ならそこで待ちなんし。……吸血鬼の花嫁たち、妾はこれから少し私室に篭もりんす。誰も通すな!」

「はっ!」

 

 即座に踵を返したシャルティアと下僕たちが遠ざかっていく。再び部屋の扉には重い錠がかけられ、残ったのは彼女だけ。恐らく罰は凄まじいものになるだろう。簡単に死ねるようなことにはなるまい。彼女は覚悟していた。なぜなら今回書き上げた物語は……見咎められたものよりも別の意味でさらに過激だったからだ。

 

 こちらも実際に抜粋するとこんな感じになる。

 

『守護者にあるまじき醜態を見せたものよの、シャルティア?』

『申し訳ございませんアインズ様! どうか、どうか一度だけでも恥をそそぐ機会をっ!』

『ふむ、言葉での詫びなど何の意味があろうか。これは……機会を与えるにしても、その前に厳しいお仕置きが必要だと思わないか?』

『!!! アインズ様! 我が愛しの君! どうかお慈悲を……!』

『なんと、犬が言葉を口にするとは。四つん這いにして服を剥ぎ取るところから躾けを始めなければならんな……』

『他の守護者の前でこのような姿……っ、ああ、嫌です、ぶたないでおくんなまし! そのような所をっ!』

『おお、惨めな椅子としては中々のものだな、シャルティア? しかも、叩くとこの尻はいい音がしよるわ。ほう、水音まで聞こえて来おったわ、はは、ははは』

『ああっ! ああっ ああっ!』

 

 もっとエグい作品が爆誕していた。

 正直に言えば書いている本人が書きながら鼻血が止まらなくなるほどの作品に仕上がっていた。まさに死を覚悟したが故になせる技とでも言おうか、極限の覚悟と極限の忠誠心が生み出したハードコアな怪作である。

 おそらく我が主がチラリと一読するだけで終わり、そのまま作品も作者も闇に葬られるはずだが、そんなことは彼女にとって別に残念でもなんでもない。愛する主に自分の信じた忠義と罪が伝わりさえすればよいのだから。

 そして彼女は静かに待つ。全て吐き出した後の心地良い満足感があった。私がこれから滅んでも私の敬愛と忠義はもう物語の中にある。誰もが全て忘れても私だけはそれを覚えているだろう。それでいい――。

 

 そして数時間の後。

 

 再び彼女の監禁された部屋に近づく足音があった。

 扉が荒々しく開けられると仲間の吸血鬼の花嫁が一人、押し出されるようにして部屋に入り込んでくる。その顔には困惑しきりな表情が浮かんでいて、手には何かの道具を持っているようだ。その後ろにはシャルティアの姿があった。彼女は今度こそ下されるであろう裁きを待って目を閉じた。

 そしてシャルティアの声が響く。

 

「あー、んんっ、……よ、読み終わったけど、そう……文章、文章が下手でちっとも分かりんせんね。……こいつを付けてやるから挿絵を付けなんし」

「はい……はい?」

 

 先ほど前に押し出された同僚は所在なさ気に立ち尽くしている。

 

「挿絵を付けてどれだけ不敬な内容なのか分かりやすくしなんし」

「挿絵……でございますか」

 

 主に目をやると、激しい怒りで目を潤ませ頬を赤く染めた美しい顔が傲然とした佇まいの上にあった。そして厳しく熱のこもった声音が続く。

 

「そうだぇ。それに……これだけでおんしの罪は全てという訳ではなさそうだし」

「は、はっ……確かに、シャルティア様の仰るとおりです」

「ならそれも書きなんし。そうね……もっとたっぷ……いやしっかり書くために……一週間は時間をやる。おんしの罰を決めるのはそれから」

「はっ、シャルティア様の仰せのままに」

 

 彼女は再び頭を垂れる。

 

「分かってるでありんしょうが……これはおんしの罪を暴くために必要なこと。いい!?」

「もちろんでございます!!」

 

 主の厳しい宣言とも取れる声。どのような表情をしているのかは分からないが、きっとあの切れ長の瞳で私を睨みつけているのだろう。

 自らの主の公正かつ自他に厳しい振る舞いに再び忠義心を強くした彼女は、頭を下げながらも次の物語へと思考を飛ばしていた。ただその隣では、画材を持った同僚が何故か半泣きの表情で恨めしげに彼女を見ていたのだったが。

 

 ・

 

 あらゆる者の命と悲鳴とを飲み込んで、今日もナザリック地下大墳墓は存在する。最近では迫る締め切りに苦しむ者の嘆きも飲み込んだりしている。書かれた物語の一部が半端に実現したせいで「書けば起こる」的な思い込みが出て余計に扱いがきつくなったとかいう謎の噂があったりもしたが、大墳墓を包む暗闇はそうした無茶すら飲み込む深さと広さがあった。

 ナザリック地下大墳墓の闇は色々な意味で深い。


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