東方槍呪伝   作:金沢文庫

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第九話 法界

 迷いの竹林、来る者を迷わせるチカラを持った場所。そこを風を切り裂きながら走る男がいた。その眼球は真っ赤にひび割れ、髪の毛は彼が普段携えている黒髪の面影を残さない白妙(はくたい)へと変貌していた。身体の皮はもはや無色と言っていいほど薄く、全身の血管が隅々まで見えるほどだった。

 

 

 

 

 佐々木は元々中小企業の社長の息子として生まれ、温室育ちの坊ちゃんとして育てられてきた。父は佐々木を甘やかして社会の制度や仕組みについてほとんど教えることはなかった。

 

 『誰かのために何かを一生懸命できる人間になれ』、『命だけは何があっても軽んじるな』この二つが父が佐々木に口をすっぱくして教えた言葉であり、その教えを守ることだけが佐々木の小さな誇りだった。しかし、家族の幸せな時間は長くは続かなかった。

 

 佐々木が大学を卒業すると同時に父の会社が倒産、多額の借金を抱えた父は家族で心中を決意するが運悪く佐々木だけが生き残ってしまったのだ。若くして借金を背負ってしまった佐々木を雇う会社などあるはずもなく、路頭に迷う羽目になった。

 

 そんな佐々木がサラリーマンになれたのはかつて父の会社の尽力によって大企業へと成長した会社の社長が職場を用意してくれたからなのは間違いない。だが温室育ちの佐々木には砂糖に群がる蟻のように借金に困った人々が押し寄せてきた。

 

 実はこれらの事件は全て社長が裏で糸を引いていたのだ。佐々木がそのことを知り、後悔したときにはすでに多額の借金を背負った後だった。

 

 その後、佐々木はすぐさま自殺を決意した。なぜ首つりなどという手段をとらずに山奥に行ったのかは彼自身にも分からなかった。後悔とぬか喜びだけの人生。死ぬ目前になってそんな考えが頭をよぎった。

 

 目の前に熊が現れたとき、自分はまだ父の教えを守れていないことにようやく気付いた。まだ誰かのために何かを本気でやったこともない。大切な命を自分はみすみす捨てようとしている。そんな思いが滝のようにあふれ出し、生きたい。ただそれだけを祈って彼は悲鳴を上げた。

 

 次の瞬間、英雄が目の前に現れた。彼の人生の壮絶さを耳にしたとき、その境遇を知らず知らずのうちに自分と重ねていた。彼のために何かをしてあげたい。そこで彼の生活の援助を申し出たのだ。佐々木と剛の共同生活はそこから始まっていった。

 

 剛は佐々木のことを優しい、偉大だ、そう評する。だが、その言葉を聞くたびに佐々木の心は嬉しそうな外面とは裏腹に気後れしていた。

 違うんだ。俺は剛ちゃんが考えているような立派な人間じゃないんだ。人生の中で自分を救ってくれる人、そんな人に出会ってはすぐに妄信して尽くそうと動く。でもすぐに彼等は俺を裏切る。そうなったら他の拠り所をさがしてまた同じことの繰り返し。そこからただ逃げよう、逃げたい、そう思っているだけのろくでなしなんだ。

 

 

 

 

 佐々木は竹林を駆け抜けながら激しい後悔の念を抱いていた。

 何で俺はあんなことを口走ってしまったのだろう。自分が抱いていた劣等感や後ろめたさが爆発してしまったから? それとも里の人の命など何とも思わない彼等の決断に嫌気がさしたからか?

 分かっている。俺の我侭だ。彼等は里の人たちを大切に思っていてだからこそあんな決断をした。それも分かっている。それでも、決して俺のように人を疑わない人が後ろから刺されて殺される光景なんか見たくない。それに、剛にあんなことを言ってしまった。もう愛想を尽かされているに違いない。なら、突き進むしかない。

 

 そう考えて竹林の中をさらに素早く駆け抜けていった。悲鳴を上げた肉体から流れている血は、涙のように地面を濡らした。

 

 

 

 

 

 

 

 剛の目の前から黒い幕がはがれたのは佐々木が飛び出してから五分ほど経過した頃だった。

 

 まるでそこだけ時が止まったかのように何も動いている気配はしなかった。輝夜たちの様子が気になり辺りを見回すが、誰もいない。おそらく先に目覚めて佐々木を止めに行ったのだろう。

 

 自分に何ができるかは分からないが、このまま佐々木を野放しにして里をパニックに陥らせるわけにもいかない。そう決心し、剛は意を決して迷いに竹林に足を踏み入れた。

 

  竹林は霞がかかっており、剛を迷わせるには十分だった。足を踏み入れて十秒と経たないうちに永遠亭の位置すら分からなくなっていった。夜の闇と相まってさらに剛の視界を悪くしていた。

 

 一体どんな作りになってるんだ? そう剛は思った。竹林に入ったときから目印に竹を折って進んでいるが、少し目を離したスキにいつのまにか元に戻っている。

 

 三十分は裕に走ったであろう時には剛の足は木の棒みたいに硬くなっていた。息は一歩一歩歩くたびに切れ、視界も少しぼやけてきた。それでも歩き続けると、竹の切れ目が目に入った。ようやく出口を見つけた。そう考えて少し安堵するも、佐々木を止めていない、と自身の体に鞭を打って走り出した。

 

 

 

 

 

 

 「待ちなさい。これ以上里に貴方を近づける訳にはいかないわ」

 永琳の声が佐々木の後ろから響いた。目の前にはいつの間にか鈴仙が立っており、佐々木の感情の波長を狂わせようとして狂気の赤い瞳を佐々木に向けた。しかし、ひとたび悲鳴を上げるかのように槍の金属音が鳴り響くと、その波長は途切れた。

 

 自分の能力がまったく効いていないことに動揺したのか、鈴仙は呆然と立ち尽くしていた。この隙に駆け抜けようとして足に力を込めて地面を蹴り上げた。が、その直後に永琳の弾幕が佐々木の足をかすめ、勢いそのままに転倒した。全力で飛ばしたバイクのような速さで走ろうとした佐々木は竹の群れの中に頭から突っ込み、土煙が巻き起こり、体中の血が蛇の群れのように流れ出した。

 

 ズン、と頭に衝撃が走った。輝夜に後ろから蹴り飛ばされたのだ。その反動で槍を手から離してしまったことに佐々木がようやく気付いたときにはもう手遅れだった。鈴仙の狂気の瞳が佐々木を捕らえたからだ。

 

 佐々木の感情や心臓の振幅は見る見るうちに短くなり、クスリが切れた麻薬中毒者のように奇声を上げて発狂しだした。

 

 「ギャァァァ!!」

 胸のなかに激しい吐き気がこみ上げてきた。頭を何者かにグルグルと回されている感覚に近いものを感じた。脳が素早い周期で伸縮を繰り返している。自分の右手で顔に触れると、そこには吐瀉物(としゃぶつ)と鼻血が混じった半液体がこびりついていた。

 

 汚い。それを見てまず佐々木が抱いた感情はそれだった。他人の命のためなどと吹聴して我侭で永遠亭の者たちだけでなく一心に大切に思っていた剛までもを傷つけてしまった己。まるでこの物質は自分の心のようだ。そう佐々木は思った。

 

 だが、不思議と彼女らが本気で自分を殺そうとしているとは感じられなかった。そう佐々木がほとんど機能を失った頭で不思議に感じたとき、竹林から飛び出してくる影が弾幕を放った。驚いたことに、彼女らは今にも佐々木を袋叩きにしようとしていた人物と瓜二つだった。

 

 「こいつらは!」

 飛び出してきた輝夜が驚嘆の声を上げた。どうやら彼女たちのほうが本物のようだ。佐々木はそう確信したが、もはやまともに動ける状態にはなかった。だが、口の中に何かのカプセルが投入されると視界が開き、頭の痛みも退いてきた。

 

 「これは応急処置用の薬よ。こいつらを壊したらまたウチに来てもらうわよ。話はまだ終わってないんだし」

 永琳の声が佐々木の耳に入ってきた。佐々木はやむを得ずに頷き、鈴仙とてゐに佐々木を任せると、永琳が敵に向かって飛んでいくと戦いを傍観することになった。

 

 戦いは非常に一方的なものだった。傍から見ていると弾幕一発一発の美しさだけでも偽者と本物とでは雲泥の差だった。永琳や輝夜の計算されつくした弾幕は芸術品と言っても差し支えないもののように感じていた。言葉だけではどうやったって言い表せないほどの色彩を有した数々の弾幕。それは狙いをはずさずに確実に相手を追い詰めつつ最後はダメージを与える。永琳たちが戦ってから数分もしないうちに戦いは終わっていた。

 

 「妹紅から話は聞いていたけど、まさか私たちの偽者まですでに製作されていたとはね」

 永琳が感心したかのようにそう告げる。

 

 「お師匠様、姫様、ご無事でしたか!?」

 慌てて鈴仙が輝夜たちのもとへ駆け寄ってそう叫ぶ。心の底から彼女たちを大切に思っているのだろう、と佐々木は感じ、少しばかりの後ろめたさを覚えた。

 

 「ええ。ウドンゲ、私たちのことなら心配ないわ。それよりも彼の様子を見てくれないかしら?」

 永琳が落ち着き払った声でそう告げる。佐々木が先ほど聞いた偽者の声とは優雅さ、という点では少しも似ていなかった。佐々木は落とした槍を拾いはしたものの、抵抗する素振りは一切見せなかった。

 

 輝夜と永琳が佐々木のもとに駆け寄ってきた。次の瞬間、いきなり目の前の景色が夜の竹林から異形の場所へと変化した。

 

 驚いて辺りを見回すと鈴仙とてゐの姿が消えていた。永琳と輝夜も何が起こったか分からないようで、頭をキョロキョロと動かしていた。

 

 「ほっほっほ」

 

 いきなり老いた声が辺りに鳴り響いた。佐々木たちがバッ、と後ろを振り向くと、そこには後頭部が常人のそれよりも遥かに伸びきっており、顔面には満遍なく皺がこびりついた老男が立っていた。

 

 「貴方は誰なのかしら」

 輝夜がおそらく初対面であろう妖怪に臆面もなくそう言い放つ。

 

 「儂はぬらりひょんという者じゃよ。まぁそんなことはどうでもよいわ。それよりもどうじゃ? この法界の空気は」

 飄々とした態度を崩さずにぬらりひょんは薄ら笑いを浮かべてそんなことを訊いてくる。その態度にしびれをきらしたのだろうか、

 

 「最悪ね。早く幻想郷に還してもらいたいわ」

 永琳がそう冷たく言った。

 

 「そうじゃな。お主らは確かに無関係じゃ。儂はこの男の持つ槍さえ壊せればそれで満足じゃからの」

 佐々木の右手を睨み付けてそう告げる。その眼光は能天気な雰囲気を醸し出している言葉とは裏腹に獲物を狩ろうとする蛇の目であった。

 

 「悪いけどそれは呑めない条件ね。一度治療した患者は寿命以外で死んでもらわないと納得できないタチなのよ。私って」

 永琳が間髪いれずにそう答えて構える。

 

 「ふむ・・・・・・ならば仕方ないの。死んでもらうとしよう」

 ぬらりひょんがそう告げるや否や、周り四方八方を法界の妖怪が姿を現して三人に襲い掛かってきた。

 

 「佐々木さん」

 輝夜が名前を呼ぶ。

 

 「さっきは私は何も言わなかったけど、私も永琳と同じ考えよ。貴方に死なれて剛が永遠亭まで来なくなったら退屈しちゃうし」

 少し茶化した言い方ではあったが、佐々木を守りたい、という思いはどうやら本物のようだった。

 

 戦いの第二ラウンドのゴングが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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