目を開けると、光が差し込んできた。木でできた天井から目をそらし、体を起こすと畳の匂いがつん、と剛の鼻を襲った。どこだ、ここは、と考えているとガラッと障子が開き、そこから昨日助けた夜雀が出てきた。
「あ、もう目が覚めたのね。いくら人間とは言え私を助けようとしてくれた人が死ぬのを見るのはいい気分じゃないからね。あ、そうだ、自己紹介がまだだったわね。私はミスティア・ローレライって言うの」
「あ、俺は・・・」
剛が自己紹介しようとすると、
「ああ、さっきあのおっさんから聞いたからいいわよ」
と突っぱねられた。
剛はそれを聞いて、昨日の戦いを思い出し、
「そうだ! おっちゃんはどこにいるんだ!?」
とミスティアに大声で尋ねた。
「あの人なら今朝妖怪の賢者がここにやってきてそれに付いて行ったっきりよ」
剛は妖怪の賢者、と言う者が誰か一瞬考えたが、答えはすぐに出た。八雲紫、あの風格はまさに賢者そのものだったからだ。
剛が急いで布団から飛び出して方角を尋ね、佐々木のもとへ向かう。
十分ほど走った後、二人が神妙な顔つきで何かを話している姿が目に入った。結構離れているため、声までは聞き取れないが佐々木が例の槍を持っていることから考えて今後の処遇について話し合ってるのでは、と剛は推測した。さすがにあの空気のなかに入って流れを遮るような無粋なまねは剛もできず、近くの岩影に身を隠し、話が終わるのを待った。
----------三十分はたったであろうか、ようやく話は終わったな、と剛が岩陰から顔を出して確認すると、すでに八雲紫の姿は無く、
「悪いわね、結構待たせちゃって」
いきなり後ろから声が聞こえてきた。
「ギャァァァァァァァ!!!!」
剛は悲鳴をあげて飛び上がり、その反動で頭を岩にガチン! と思いっきりぶつけた。
剛が頭をさすって紫を見つめると、彼女はなんとも愉快だ、とでもいうかのように微笑んでいた。
「ふふ、面白いわね。詳しい話は彼から聞くだろうけど、あなたたちにはしばらく此処で暮らしてもらうことになったわ。いろいろ大変だろうけど頑張って」
と意味ありげな笑顔を剛の目に映し、スキマへと消えていった。『彼』というのは佐々木のことだろう、と剛があたりをつけると、すぐに岩陰から飛び出し、
「おーーーい! おっちゃーーーん!!!」
と大声で叫んだ。
佐々木も表情を明るくして、
「剛ちゃん! もうケガは大丈夫なのかい!?」
と尋ねてきた。
「おう! あの程度じゃ死にゃしねぇよ」
「よかった………あ、それでこれからなんだけど、早い話、俺たち幻想郷で暮らすことになったみたいなんだ」
佐々木の弁によると、紫のスキマで佐々木を外に送り出そうとしたが、どうやら槍がスキマには入らなかったという。博麗神社というところから外に送り返す、という方法もあるらしいのだが槍の力が未知数で、結界にどんな影響を及ぼすかが分からないため、いい方法を考え付くまで人里で生活する、ということになったらしい。
「それにしても随分と勝手だな、あの女。自分で勝手に俺たちを呼んでここで暮らせ、なんて」
剛が不満を漏らす。
「まぁいいじゃない。たまにはこういうところで暮らしてみる、っていうのもさ」
佐々木がそんな剛をたしなめる。
「あ、そうだ、人里に行く前にミスティアさんにお礼を言わないと」
佐々木が思い出したようにそう告げた。
「あの人、剛ちゃんを助けようとして夜も寝ないで看病してくれたからね」
佐々木の口調から彼も一睡もしてないのだろうな、と察した剛はプッ、と吹き出した。
佐々木はこういうことを言うとき決して自分も苦労した、なんてことは一言も漏らさない。剛は佐々木のそんなところをいたく気に入っていたのだ。
「あーーーー! 何笑ってるのさ! ホントに心配したんだからね! 」
と佐々木が腹をたてる。だがその姿が余計に剛の笑いを誘っていた。結局、ミスティアの家に着くまでこんなやりとりがずっと続いた。
「ミスティアさん、剛ちゃんの命を助けてくださって本当にありがとうございました」
ミスティアの家にあがるやいなや、佐々木が右手を剛の頭に乗せて深々とお辞儀をする。
ミスティアも佐々木の恭しい態度に少し慌てたようだったが、
「別にいいわよ。先に助けられたのは私のほうだったし」
と冷静に返した。佐々木が人里で暮らすことになった旨をミスティアに伝えると(槍の件は伏せたが)、ミスティアはそう、と言って、暇なときには屋台に来てくれ、代金は安くしておくから、と伝えて剛たちを見送った。
「それにしてもおっちゃんが槍の使い手だったとは驚いたな」
人里に行く道の途中で剛がそう呟いた。
「うん、そのことで紫さんもすごく驚いてたみたい。でも生き物の命を簡単に奪う物はあんまり好きじゃないから俺としては複雑なんだけどね」
佐々木は命、というものを世界のなかで最も尊ぶ人間である。それが自分のものであろうとなかろうと。剛もまた、彼のそんな考え方を好んでおり、命こそが一番大事なのだ、と考えていた。
「昨日剛ちゃんが襲われてるのを見て助けたい一心で槍を掴んだらスルリと抜けたんだ。だから彼らには悪いけどあの時は槍が使えて感謝したよ」
彼ら、というのはおそらく佐々木が槍で倒した相手のことだろう、と剛は思った。たぶん、剛は思った。俺なら殺した相手のことはそこまで考えないだろうな。降りかかる火の粉を払っただけだから。
しばらく他愛も無い会話を繰り返しながら、草原を歩いていると剛はミスティアの言葉を思い出し、あることに気付いた。
はっ、とした表情で
「おっちゃん! 幻想郷って金はどうなってんだ!?」
そう告げると佐々木の顔は見る見るうちに蒼白になっていき、
「い、いや………円が使われてなくても為替相場ぐらいはあるさ………」
と頼りない口調でそう告げた。
「じゃあ今カネはどれぐらい持ってるのさ!?」
さらに剛が質問攻めする。佐々木は引きつった笑顔で
「さ、三十円………」
とぼそっ、と呟いた。
剛ちゃんは………? と藁にもすがるような声で佐々木がそう尋ねると、剛はポケットの中に手を突っ込んで、
「………二二七円………」
と呟いた。
その瞬間、剛は紫の意味ありげな笑顔を思い出し、あの女、知ってて黙ってやがったな、とメラメラと怒りの炎を燃やした。
「ま、まあひょっとしたらこっちじゃ円の価値が結構高い、なんてこともあるんじゃないかな………」
佐々木がため息交じりに言う。
これから先が思いやられるな、と剛は沈んだ気分で歩いていった……
太陽が最も高く昇ったときに二人は人里に到着した。佐々木のもつ槍のおかげか襲ってくる妖怪も一匹もおらず、無事に辿り着けた。
「とりあえず着いたけど、どうしようか」
佐々木が剛に問いかける。
「どうするったって、とりあえずカネを工面しなくちゃな」
剛がそう告げると二人は里の人間に片っ端から聞き込みを開始したが、そんな場所は知らない、と突っぱねられるばかりであった。
三十分ほどたったころ、ようやく里の一人が心当たりがある、と教えてくれた。
その弁によると、魔法の森というところの入口近くに香霖堂という変わり者の店主が営んでいる店があり、そこなら通貨を交換してもらえるかもしれない、ということだった。
二十分かそこらで里から出て、そこから少し歩くとその店が見えてきた。店だというのに客がやって来る様子は全くなく、入口も少し錆びれていた。
「本当にこんなトコでカネを交換してくれんのかね?」
剛が少し疑うような声でそう呟く。
「と、とりあえず入ってみようよ」
佐々木がそう急かすのでガラガラ、と戸を開き、店内に入る。
「すみませーーーん! どなたかいませんか!?」
剛がそう叫ぶと店の奥の勝手口から
「誰? 店主なら今はいないわよ」
と頭に紅白の大きなリボンをした巫女が頭を出してそう答えた。
ちなみにこの作品では貨幣の価値は
3800円(外)=1円(幻想郷)=100銭=1000厘
という風にしています。明治五年の価値で変換します。