剛が宣言し、すぐに紫は
「そう、ならよかった」
と告げ、
「今は初夏だから此処に来る者は少ないけど、秋や春になると結構な数の妖怪たちが集まってくるのよ。もし春の花見の場所が取れないならここにいらしてもいいわよ」
と本気か嘘か分からない冗談も告げた。
「んなこたぁどうでもいい! はやくおっちゃんを放せ!」
「駄目。あなたが此処を立ち去るまでは話せないわ」
「ずいぶん疑り深いんだな」
皮肉を込めて剛は紫にそう言い放つ。
「そうね。それにあなたがこの槍を使いこなせると決まったわけでもないし」
「へっ、そこまで言うんなら引っこ抜いてやんよ」
そう言って槍に一歩、二歩、と近づく。土を踏む音がさらに五、六回響くと右手を樫の木で出来た槍の柄に伸ばす。
「こんなのちょいとチカラを入れりゃすぐに………」
と言って引っこ抜こうとしたが、まるで地球の中心まで根っこが生えているかのようにビクともしない。
剛がコメカミをピクピクさせ、腕の血管から血が滲み始めても、びた一文抜ける気配はしなかった。
「………期待はずれね」
紫ががっかりした、というような視線を向けてくる。
「う、うるせぇ! 今日はチョット調子が悪いだけだ! ンなもん俺が絶好調なら………」
「なら明日もここに連れてくるから今日はもういいわ」
紫がもはや剛に対する興味を失ったかのようにそっぽを向いてそう告げる。
「の、望むところだ!」
と剛は虚勢を張っては見たものの、内心ではかなり焦っていた。今までどんな相手でも喧嘩や勝負に負けたことはなかった。それなのに始めての敗北の相手が槍だなんて彼のプライドが許さなかった。
「今日はもう幻想郷に泊まっていきなさい。いちいち結界を越えさせるのも面倒だし」
紫はそう指示するとスキマの中に一人消えていった。
「剛ちゃん、どうしよう」
しばらくして、月が顔を出し始めたころ、佐々木が呆然としている剛にそう尋ねてきた。
「………とりあえず道があるから進もうか」
そう言って再思の道へと足を踏み出した。
しばらく道を歩いていると、剛は後ろに何者かの気配を感じ取った。素早く振り返っても、影一つ目に入らない。
「どうしたの、剛ちゃん」
「いや、誰かが見てたような・・・俺の気のせいだったかな」
と言ったそのとき、剛の耳に美しい歌が流れこんだ。美しい、少し聞いただけでも心の底から確信した。
頭の中に花が咲いてきた。楽しい。陽が差し込んできた。愉快だ。誰がいようがどうだっていい、こんなにも綺麗な歌声を聴けるなら・・・
突然視界が暗くなった。何だ、と剛が思っていると、鋭い爪が剛の顔面目掛けて襲ってきた!
間一髪で避けるも、顔には三本の等間隔の直線がつき、そこから僅かに血が流れた。
「誰だ! 出てきやがれ!」
♪~~~~♪~~~~
暗闇の中をさっきと同じ歌が流れる。だが剛はもはやその声に酔うことはなく、警戒と僅かな恐れが彼の脳内を支配していた。
剛が耳で再び爪が襲い掛かるのを察知し、そこにカウンターに右拳を叩き込む。
が、そこにあったのは敵の姿ではなく、ひらひらと宙をまう羽だった。
はめられた、と思う瞬間さえ与えず、爪が襲ってくる。
「へぇ、人間のクセにいい反応するじゃない」
姿の見えない敵は剛にそんな賛辞を送ってくる。
「うるせぇ! さっきからヘンな歌歌いやがって!」
敵の前で歌に聞きほれた、なんて死んでも言えない。
「え~歌には自信あるんだけどなぁ。嘘ついてない?」
「う、嘘なんざついてねぇ!」
焦って返す。
「嘘つきは鳥目にしてあげなきゃねぇ!」
声がそう告げると辺り一体が暗くなった。と同時に
「きゃあ!」
という声が暗闇に響いた。
剛が状況を飲み込めずにいると、パッ! と視界が明るくなり、かわいらしい夜雀が数体の怪物に襲われているのが目に入った。
その怪物たちは全身を鋼鉄で覆われており、腹に刻まれた顔はライオンのそれとそっくりだった。
彼らが右腕を大きく振りかぶり、彼女に叩き落した瞬間、剛は彼女を掴んで跳び、かわした。
「大丈夫か!」
剛が彼女の腕を掴んで走りながら言う。
「あ、あいつらなんで私の能力が効かないの!?」
彼女はすっかり混乱していた。
「落ち着け! とにかく早く逃げるぞ!」
「え、いいの? だって私さっきあなたを・・・・・・・・・」
「いいから早くしろ! っ!それよりおっちゃんは!?」
剛がようやく冷静さを取り戻し、そう叫ぶ。
「あそこよ!」
彼女の指の先の方向を見ると、佐々木が倒れているのが剛の目にもはっきりと映った。
すかさず傍に駆け寄って背中に乗せると、先ほど通ってきた道を逆走し始めた。
「ちょ、ちょっと、どこに行くのよ! そっちには誰も………」
彼女の問いには答えずに迫り来る怪物たちから必死に逃げる。
---しばらくして無縁塚まで戻ってきた剛は先ほどの槍に手を伸ばし、必死に抜こうとする。しかし、その結果はさっきと同じだった。
「だぁーーーーーーー! くそったれ! こうなったら俺一人で全部やっつけてやらぁ!」
剛がそう自分に言い聞かせるかのように叫ぶと、そこいら中に転がっている石を両手で掴んで四、五対の怪物に突っ込み、ローキックをくらわせると一つの鉄の塊の頭に石を叩き付けた!
ガシャン! と音を立てて、一体を破壊した。ホッ、と息をつく暇もなく二体、三体目が襲い掛かる。さすがに剛も石を拾い上げる暇は与えられず、しだいに攻撃をかわすだけの防戦一方の戦いになっていった。
やがて怪物の右フックが左脇腹にクリーンヒットし、剛の意識が二、三秒宙に飛んだ。目の前が真っ白になり、もうダメか、と諦めかけたそのとき、突然怪物たちの悲鳴が聞こえた。
……何だ?
剛が不思議に思っていると、
「大丈夫かい、剛ちゃん」
聞きなれた声が聞こえてきた。心の底から自分を気遣ってくれる声。この地球上で剛が最も安心できる声だった。
そこで剛の記憶はいったん途切れていった・・・・・・