馬を呼ぶ口笛が響く。 戦闘の邪魔にならぬよう方々へと走らせた馬達が口笛の音を聞き付け戻ってくるのだから、訓練された馬というのは賢いものだなと感心する。
恐慌状態から既に立ち直った戦士達は、漸く勝利を実感したのだろう笑顔で互いの健闘を称え合っていた。
不思議と――というか当然の結果だが――ネムの周りだけ誰も近寄ろうとしない。「別に寂しくなんかないもん」と少しイジけてみせた。
馬の手綱を引いていたガゼフは、顔を顰めるとネムの元まで馬を引いていく。
「すまない。皆、まだ少しばかり怖いのだ。だが、ネム殿には心から感謝している。それは皆が思っている気持ちだ。それは分かって欲しい」
「心配要りません、ストロノーフ様。彼らの気持ちは分かるつもりです。それに、私の無知にも原因があるのですから……」
これは事実であるとネムは認識している。この世界のおいてネムの力は規格外すぎた。強大な力を持つからといって、それを好き勝手に使って問題にならない筈はないのだ。街中で機関銃を連射する子供には誰だって近づきたくはないだろう。
目立つ行動は控えようと決めた矢先のこれだ。次は熟慮を重ねた上で慎重に行動すべきだと深く反省する。何せ、今は
ガゼフは困ったような様子で頭を掻いた。
「ガゼフと呼んで頂けるかなネム殿。俺よりも強い御仁に敬称で呼ばれるのは何ともこそばゆい」
「ではガゼフと呼ばせて頂きます。私のこともネムでいいですよ」
自分で言ってネムは気恥ずかしさに若干、顔を赤らめる。
例えば英語圏ではお互いをファーストネームで呼び合うことは普通かもしれないが、鈴木悟は生粋の日本人である。仕事柄、互いの姓を「さん」付けで呼び合う社会で生きてきたのだ。ファーストネームで呼び合う事に、単純に慣れていなかった。
「では、ネムと呼ばせて頂こう。改めて感謝する。ネム、君のおかげで生き残ることができた。本当に君のお陰だ」
「……ああ、気にしないでください。ガゼフ」
真顔で手を差し伸べられて、世界観のギャップを痛感するネムであった。
彼らは来た時と同じ構成でカルネ村へと馬を走らせる。すなわち、ネムとガゼフが相乗りをして先頭を走り、部下達が隊列を組みそれに続く構成である。ただし、突入時とは違い帰りは危険がないため、ネムが前に乗り、後ろにガゼフが乗って手綱を取っている。
馬を走らせながらネムとガゼフは互いに質問を繰り返す。もっぱら、魔法をどこで学んだのか、師は誰なのかなど答えられない質問ばかりでミステリアスな少女を演じることになったのだが……。
「……そういえば、ネム。君が陽光聖典のロイムという男を生かした理由は、法国に
よく覚えていると舌を巻く。
「ええ……まぁ、他にもカルネ村をスレイン法国から逸らす目的もあったので……」
「なるほどな。では、ロイムに行ったアレだが……アレには一体どんな効果が?」
ガセフは指をくるくると回してあの時に見た光景を再現する。
「ああ、アレは思考に制約を与える類のものですよ。死に至る呪いのようなものではありません」
ネムはグラニューを思い出す。条件が満たされることにより人を殺すことができる魔法など聞いた事がなかった。
「私は死に至る
「俺には魔法のことはさっぱり分からないな」
「私はこう考えました。死因は魔法の精神支配による情報の吐露であると。アイテムによるものか、私の知らない魔法であるのか分かりませんが、そういった手段がある以上、ロイムを魔法で縛るのは得策ではありません」
他の隊員とは普通に会話ができていたので、強制的な情報漏えいが原因である可能性が高いとは考えている。しかし、精神支配が魔法以外の手段で行われた場合も同様なのだろうか? 自らの思考と意思で行った場合も同様なのか? 結局は答えなど得られていないのだ。
だからこそロイムに対して
「ロイムに行ったアレは、魔法とは別の、もっと直接的なものですから」
「……本当に、君は一体何者なんだ?」
「ただの村娘ですよ。ただ、ほんの少しだけ、人より魔法が使えるだけのね」
ほんの少しではないだろう、という顔をする。
次は私の番だとばかりに、ガゼフに質問を投げ掛ける。主に王都の生活や暮らしぶりについての質問ばかりであったが……。
「都市の暮らしに興味があるのなら、一度、首都を訪れると良い。ネムなら何時でも歓迎するよ。おっと、村が見えてきましたな」
夜になると人工的な明かりの無いカルネ村は夜の静寂に包まれるのだが、村の入り口付近では、その明かりが目印とばかりに枯れ木束ねてを燃やした炎が辺りを照らしていた。そこでは、多くの村人達が彼らを出迎えていた。
村人達の中に両親とエンリの姿を見つけると、ネムは慌てた様子でガゼフの服を引っ張る。
「あのさ、ガゼフにお願いがあるんだけど……」
「何かな?」
「一緒に家族に謝ってくれませんか? 特にエンリお姉ちゃんに」
ここからでも鬼の形相をしているのが見えたのだ。
「申し訳ないがそれは聞けそうもない。力になれなくて残念だ、ネム」
ネムの子供らしい一面を垣間見て、ガゼフは心からおかしそうに笑った。
村に着くや否や村人達に取り囲まれ労いと賞賛の声に包まれる。
そんな中、エンリはネムに駆け寄ると烈火のごとく怒りを爆発させる。
「どうして黙っていなくなっちゃうの! 心配したじゃない! 本当に心配したんだから!」
「……ごめんなさい」
「夕食時になっても見つからないし、村中探してもいないし、村長に聞いたら戦士長とかいう知らない変な人について行ったって言うし」
「確かに軽率でした。申し訳ない」
「変な人いたー!」
「戦士長に向かって言いすぎだよエンリ。無事に帰ってきたのだし今夜は……」
流石に王国戦士長に向かって変な人は不味いだろうと、村長が口を挟む。しかし、そんな言葉ではエンリの怒りの炎は収まらない。寧ろ火に油を注ぐ結果となり、村長にまで飛び火する。
「何言ってるんですか村長! はっ、もしかして村長さんも知ってたんじゃ……知っててネムをそんな危険な場所に行かせたんですか? そんな……信じていたのに……」
「いや、私は……申し訳ない……」
深い皺を寄り深くして謝る村長。エンリの激情は既に誰彼構わず向けられていた。これには、エモット夫妻も慌てて止めに入る。
「落ち着いてエンリ。あなた言ってることが無茶苦茶よ!」
「娘の暴言、申し訳ありませんでした」
父親はガゼフと村長に頭を下げると、エンリに向き直る。
「エンリ、そのぐらいにしなさい。忙しさのあまりネムを放って置いた俺にも責任がある」
「だって……私も安置所の草取りに追われて構ってあげられなかったのは悪かったけど……急にいなくなっちゃったから」
父親の言葉はエンリの熱を一瞬で冷ました。ネムはまだ10歳の子供なのだ。忙しいなどという言葉は言い訳にはならない。だが、今日のネムはしっかりしていたので大丈夫だろうと目を離したのだ。己の非を認めてしまった。やはり私が悪かったのだと涙ぐむエンリの肩に、母親は優しく手を添える。
騎士の無慈悲な暴力に傷付けられた村人達が眠る場所を少しでも綺麗にしてあげたかったエンリの気持ちを誰が責める事ができるだろう。
だが、そこに爆弾が投下される。
「まぁまぁ、エンリお姉ちゃん。ガゼフも悪気があったわけじゃないんだ。許してあげて」
「お前が言うな!」
両親とエンリの声が見事に重なり合った。
・
村には現在、多数の空き家があった。その一室を借りてガゼフは部下達と共に一晩の滞在をすることになり、数日振りに屋根のある家屋で休息を取っていた。
ガゼフは扉をノックする音で目を覚ます。夜半過ぎに訪れる者がいる場合は、大抵が碌な用件ではない。
剣を取り十分に警戒しながら窓の鎧戸を僅かに開けて外の様子を窺う。月明かりに照らされてネムが一人、扉の前に立っているのが見えた。
「これはネム。こんな夜半に何用かな?」
「起してすみません。ガゼフ達は明日の朝、カルネ村を出立すると聞いたので――」
「見送りなら明日の朝でも――」
「――捕虜の騎士の記憶の改竄に協力して欲しい」
ガゼフは言葉を飲み込む。
「……記憶の……改竄ですか?」
「はい、ガゼフは捕虜を連れて行くのでしょう? であれば、余計なことまで喋られては困りますので」
「また、あれを呼び出されるので?」
ガゼフの脳裏に
「いえ、そういうことが行える魔法があるのです」
村の倉庫ではガゼフの部下の戦士二人が見張り番をしていた。
見張り番は、ガゼフとネムをすんなりと倉庫中へ通す。
捕虜の騎士、モーレットは縛られ地面に転がされたままの姿で深い眠りに落ちていた。
ネムは静かにモーレットの頭部側に座ると、ガゼフを足元に立たせて合図をする。
ガゼフは頷くと、剣を抜き身構える。
「起きろ」
モーレットは目覚めと共に薄く目を開け、剣を抜き自身を睨むガゼフの姿に昼間の恐怖を思い出し声を詰まらせる。
すかさずネムはモーレットの頭を両手で挟んだ。
「<
魔法を詠唱すると共にモーレットの瞳は無機質なものへと変わり、ガゼフにぼんやりとした視線を向ける。
「これからどうするので?」
「まずは、モルダーの姿とガゼフの姿を入れ替えます……っと、これは、意外とキツイ……」
ネムはこれまでにない魔力の喪失感に捕らわれる。記憶の僅かな改竄ですら魔力の消耗が尋常ではなかった。
「これで、ひとまずは……あっ……まあ、いいか」
「何か問題でも?」
「大した事じゃありません。私がガゼフを召喚したことになっただけです」
ガゼフは首を捻る。それは、本当に大した事ではないのか疑問に思う。
「次は、私の尋問はガゼフが行った事にしても良いですか?」
「ああ、かまわんよ」
「それでは……っと、やはりキツイな……はぁ……」
ネムの額には大粒の汗が浮き出て、頬を伝い流れる。濡れた前髪が額に張り付き、疲労で苦しそうに息を喘ぐ。
「ああっ……これは流石に……もういいや……」
終わりだとばかりに手を離すと、深く息を吸い呼吸を整える。
モーレットの瞳に意思が戻り、その視界にガゼフが入ると恐怖のあまり白目を剥いて意識を失った。
「どうした? 何があった?」
ガゼフが心配になりネムに尋ねる。
ネムは鷹揚に手を振って答えた。
「大した事じゃないですよ。この男の記憶の中でガゼフがガゼフを召喚した、それだけの事です」
ガゼフは渋い顔をする。それは流石に大した事だろうと言いたくもなるが、ネムの疲労が尋常ではなかったので言い出せずに黙る。流石に訂正を求めるのは酷なように思えた。モーレットが何を言おうと恐怖で錯乱したことにすればいいと結論付ける。
「後のことは俺に任せてくれ。今日はもう疲れたろう、ゆっくりと休むといい」
ネムは立ち上がると、フラフラと体を揺らしながら出口へと向かう。
「そうさせて頂きます。お休みなさい、ガゼフ」
・
東の空には太陽が昇り暖かな陽の光が地面を明るく照らす。晴天の眩しさに目を細くする。
ネムは朝早くに起されてやや不機嫌そうだ。寝不足で閉じかけた眼を擦ると大きく一つ欠伸をする。
ガゼフ達は出立の準備を済ませて中央広場で隊列を組んでいる。村人達は見送る為に中央広場に集まっていた。ネムもその集まりの中に加わっていた。
ガゼフは見送りに来た村長と手を取り合い挨拶を済ませると、家族と共に見送りに来ていたネムに視線を送る。
エンリは慌てた様子で頭を下げる。
「あの、昨夜は申し訳ありませんでした」
「いや、本当に気にしないでくれ」
「ガゼフは、これから如何するのですか?」
「まずは、エ・ランテルに向かうつもりだ」
ガゼフは顔を顰める。辛い過去の出来事を思い出したのだろう。声に哀愁を滲ませる。
「ネムはルフナという村を知っているか?」
「おお、それでしたら……」
エモット夫妻の隣で話を聞いていた村長が割って入る。
「カルネ村より南方にある少し規模の大きい村ですな。ハイグロウンという茶葉が盛んでしてな。年に何度か交流のある村です」
「……その村だが、数日前に騎士達に襲われてな。生き残ったのは僅か数名だった」
「……なんと……」
「今は、エ・ランテルの神殿で治療を受けている筈だ。俺に、何かしてやれる事があればよいのだが……」
「でしたら、この村に移住の依頼をお願いできないでしょうか。丁度、カルネ村も村人が減って移住者を募らねばならなかったので、彼らが来てくれるのなら我々も助かります」
「そうか! この村ならば俺も安心だ。是非、お願いしたい! エ・ランテルに着いたら俺の方からも話をしてみるつもりだ」
ガゼフはネムに向き直りにこやかに笑う。
「ネム、君と同じぐらいの年の少女も一人いる。名前はアシュレ・ルーインという。酷い傷を負っていたが無事なはずだ。是非、良くしてやって欲しい」
「もちろんですよ、ガゼフ。約束します」
「感謝する」
ガゼフは膝を折りネムと強く握手を交わす。そして、村長に「世話になった」と頭を下げると、馬に騎乗してカルネ村より去っていった。
カルネ村の村人達は、王国の戦士達の姿が見えなくなるまで見送ると、それぞれの居場所へと戻っていく。
「エンリ、ネム、私たちも帰ろう」
父親の言葉に頷くと我が家へと足を運ぶ。ネムは家に帰りながら次にすべきことは何かを考える。
(やはり情報不足が一番の問題だな。エ・ランテル城塞都市か……。行ってみたいな)
突然、前を歩く父親が足を止めた為、ぶつかりそうになる。文句を言いたげに見上げると、父親は我が家の方向を注視して驚愕の表情を浮かべていた。
「何……あれ……?」
エンリのかすれた声が聞こえる。視線が集まる先を見ると、家の玄関先に小さな黒い穴が出現していた。それは、空間を侵食するように急激に膨れ上がり、楕円の形をした底の見えない闇へと変わる。
(え? あれはまさか……<
空間に発生した闇の中から骨の手が出現する。やがて、全体像を現したその姿は、漆黒のローブを纏う
「お父さん! お母さん! エンリお姉ちゃーん!!」
180センチほどある骸骨のアンデッドは恐怖で悲鳴を上げて硬直するエモット夫妻とエンリに抱き付きぴょんぴょんと跳ねる。その重量で倒れそうになるが、そこは足を踏ん張り必死に耐えていた。
「な!? 俺がいる……」
「あ、あたしだー」
家族の背中越しにネムとモモンガは視線を合わる。それはネムが最もよく知る
<
続いて飛び出した少女も、先程の悪魔に負けぬほどの美少女だ。漆黒のボールガウン・ドレスを着こなし、その肌の色は白蝋じみた白さで、銀髪に真紅の瞳をしている。
二人は<
「お待ちください。外は危険です!」
「待っておくんなまし。私も行くでありんす」
先に飛び出した美女は、
それは、ネムも同様であった。
「な、アルベドに……シャルティア?」
ネムの口から漏れ出た声は小さく、呟く程度であったが、その言葉に反応して、アルベドは激しく動揺したように見える。
後に続いた美少女――シャルティアは、立ち止まるアルベドを不審に思いながら彼女の視線を追い、ネムに止まると瞳孔を開いてその姿を凝視し、アルベドに視線を向ける。
「ちょっとアルベド! これはどういうこと?」
アルベドは激しく動揺した様子で、しかし、何かを悟ったのか、その面持ちに影が差す。
「まさか……隠し子……」
「そんな!」
シャルティアは聞きたくなかったかの様に頭を横に振り、驚愕に眼を見開き悔しがると唇を噛みめた。
第一章は終了となります。次回より第二章を始めます
次回『ナザリック地下大墳墓』