強くないのにニューゲーム   作:夜鳥

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この作品はフィクションです。実在の人物・団体・制度とは関係ありません。
モチーフにすることはあっても似ているだけ、作者に他意はない、イイネ?


起き上がり小法師

 大学入試、それは確かに難事ではあった。泰然自若など程遠い僕は前もって大学を下見して──試験室がどこになるかもまだなのに──トイレの場所を確認し、電車が遅延した場合のルートを──最悪は歩いてでも──複数想定し、道中で何かあってはいけないと──途中で買い揃えられる物まで詰めて──キャリーバッグを転がして受験した。

 

 後から振り返ると本当、自分でも笑ってしまうようなことを大真面目にやっていたものだ。それよりも学力を心配しろと言いたい……ただ当時の自分はそれだけ緊張していたのである。無事に教室へたどり着いた僕は思った。

 

「受験できるなら合格するだろ」

 

 ただ単に、テストの出来を心配するための余力を残していなかっただけなのだが。

 

 

 

 

 

 そうして四月から志望大に通い始めた僕は、まるで予定調和のごとく(つまず)いた。

 

 半端ない予復習の量、新しい知識の複雑さ、人間関係の稀薄さなど理由にはこと欠かない。高校時代に感じていた「勉強? 僕はやれば出来るし」という確信が妄言と化したのである。加えて教授や同級生との交流などというものは基本的に存在せず、何につけても自分から働きかけなければいけない……ということを悟るまで月単位で要したのだ。

 

 

 

 

 

 その後の僕はとにかく動いた。患者団体との交流を持つゼミは存在していたし、教授陣だって立派な経歴と肩書きを持っている。図書館の膨大な蔵書は知識の宝庫と言えたし、同級生だって何かしらを志していると知った。

 

 けれど……まるで足りないのだ。遅々として進まない計画は、(なか)ば画餅となりかけている。あまりにも不足しているものが多すぎて、何が必要なのか、何をすればいいのか、まるで考えがまとまらない日々。溺れかけていた僕が手を伸ばしたのは結城家だった。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 結城京子が伸之と顔をあわせたことは、実はこれまで数えるほどしかない。

 

 彼女自身の立場、経済学部の准教授という職責が休むことを許さないということもある。社会的地位を築くことで己の価値を示し、京都の本家をはね除けたいという思いから。

 

 だがそれ以上に強い本質的な理由は「彰三が勝手に選んだ」娘の許嫁だからだ。

 

 旧家のあり方を京子が嫌っていると知っているにも関わらず、旧態依然とした婚約者などというものを相談なく決めた彰三。彼への反発が、そのまま伸之の無視に繋がっていた。

 

「久しぶりね、須郷君。大学生活は順調?」

「いえ……お恥ずかしながら」

 

 2017年の盆明け、宮城から戻ってきた所を訪ねてきた伸之。彰三が婚約破棄を匂わせていることと、娘がそれとなく取り成したこと、双方があって仕方なく、本当に仕方なく席につく。

 

 居間のテーブル越しに対面する青年をまじまじと眺め、京子は溜め息をつきたくなるのを抑えた──何故時間を割かねばならないのか、と。だというのに。

 

「京子さん、教授を動かすにはどうしたらいいでしょうか」

「…………どういうこと?」

 

 自分は准教授だ、確かに教授陣の操縦法は心得ている。だが印象が悪すぎるので、そんなスキルを表沙汰にすることはない上に気づかせることすらない。手練手管を用いてのしあがろうとする自分を揶揄(やゆ)しに来たのか、と。

 

 この時点で会談はほぼ決裂していたのだが。

 

 伸之の話を聞いていく内に感じ方も変わっていくことになる。

 

「須郷君、あなた、良くも悪くも子供なのね」

 

 へ、と呆気にとられた顔を見て気が抜ける。本当、どうして一時的にも許嫁に選ばれたのかと。

 

「起こりうる悲劇を想定して、義憤に刈られて、一丁前に頭を使った気になって……ヒーローにでもなったつもり?」

 

 大学生の年頃にありがちなのだ、こういった暴走は。麻疹(ましん)と同じで一度はかかることになる。

 

 自分にしか出来ないことを求めて、自分には出来るような気がして、自分以外には良案を作れないと思って、がむしゃらになって……大体は壁にブチ当たって砕け散る。そうして嘆くのだ、自分は特別な存在などではなかったと。

 

 それがある意味では一皮剥けて大人になるということでもある。

 折り合いをつけて妥協することを覚えて、その中でどれだけ自分の望みへ近付けるのか足掻いて、へし折られては立ち直ることを繰り返していく。

 

「私自身だってそう。昔から教授職を目指していた訳じゃない」

 

 進学を機に宮城から上京して、彰三と出会って、将来を共にすると誓って、旧家の歪さを見せつけられて、女性でも独り立ちした立場になろうと決めて、専業主婦でも会社勤めでもなく学徒の道を志したのだ。

 

 その中に一体どんな義が、理想があったというのか。准教授として受け持つ講義は自分でなくとも出来ることで、論文の形で示した博士としての見識には何の思い入れもない。

 

「分をわきまえなさい。それがあなたにとって一番楽な道よ」

 

 京子は伸之を好ましく思ってはいないが、心底から彼を思って諭したのだ。私だって出来なかったのだから、きっとあなたもそうなのだ、と。

 

「確かに、それが正しいのでしょう。分をわきまえ、利口になり、折り合いをつけ生きることが」

「なら────」

「それでも、それは僕の正しさじゃないんです。今こうして渦巻いている無力感を無駄だとは……思えない」

 

 卑怯だ──そう思った。

 何故その目を私に向けるのかと。

 その目を向ける相手は私ではなく説得する相手だろう、と。

 

「そんな目を、昔はしていたわ」

「誰が、ですか?」

「誰もが、よ」

「それは彰三さんが? それとも」

 

 ふい、とそっぽを向く。京子とて、そのような時分はあった。振り返ると身悶えしたくなるような己の青さを思い出させられて平気ではいられないのだ。ただそれを悟られるのはシャクで──客観的に見て間違いなく気付かれているという予測には蓋をして──誤魔化すべくして口を開く。

 

「まずあなたには想像力も共感も足りていないの。AIDS患者に限らず感染症というものは昔から蔑視と差別が共にあったでしょう。にも関わらず声をあげることを彼らに強要するなんて見当違いにも程があるわ」

 

 マシンガンのごとく吐き出される指摘の数々。

 

 伸之の取り組む姿勢もろもろについても苦言を(てい)し、最後を締めくくった。

 

「加えてHIVの研究は、発症が海外由来だからなのか日本は遅れている。国も国民も、教授だって同じ、対岸の火事だと思っている。専門にしている教授どころか問題点を共有することすら難しいでしょうよ」

 

 これだけ指摘してあげれば無力感に打ちのめされて諦めるだろうと、京子は思っていた。

 

 だがたった一つだけ見落としがあったのだ。

 

「京子さん、ありがとうございます」

「はい?」

 

 伸之にとって無力感に苛まれることなど日常茶飯事であった。

 

 求めていたのは己の至らない点を指摘してくれる、話を聞いてくれる相手だったのだ。

 

「わざわざ具体的な課題点まで一緒に考えてくれるなんて!」

「はい?」

 

 

 

 

 

 その後、具体的なブレインストーミングまで付き合わされて──准教授の冷静な知見が遺憾なく発揮され──伸之は鼻唄混じりに帰っていった。

 

「お母さん、なんで玄関に塩を撒いてるの?」

「それはね、縁起を担ぐためよ明日奈」

 

 まったく、ひどい目に遭ったと玄関先で背筋を伸ばした京子。徹夜明けのごとくバキバキと音をたてた背伸びに明日奈は驚いて、京子はそれを見て思わず笑みが零れた。本当に、久々に。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 木を隠すなら森の中とはよく言ったものだ。持ち得ない知識を持つ僕だって大学にいれば一学生でいられるように、混ざってしまえば気づかれない。僕自身が身に覚えのあることを何故思い至れなかったのかといえば、やはり経験が浅く視野が狭いからだろう。

 

 感染症患者が声をあげることを求められて、応えられるのは(まれ)だ。ゼロではないが……誰しもが蔑視を受け、また蔑視されるのではないかという恐怖を抱えている。

 

 ならばどうすれば良いのか、京子さんは一緒に考えてくれた。

 

「血液製剤の運用状況についてお話を聞きたいんですが」

 

 血液製剤による感染症群のあくまで一つという立場にAIDSを落としてしまえばいい。悪いのは血液製剤の抱える性質であって、結果として梅毒などと同じく罹患してしまうのだと。

 

 輸血用血液に接したことのない医者などまずいない。教授であろうと学生であろうと同様に、身近な話題なのだ。加えて感染症群には学生でも日々学習するような病名も含まれる。

 

「教授の専門であるこの感染症研究について、お話を聞きたいんです」

 

 それは即ち、病名に該当する専門の教授も多いということだ。分母が増えれば分子も増える、数打てば当たるではないが、話に興味を示してくれる相手は確実に増えていった。

 

 あとこれは僕のミスなのだが……教授というのは、とにかく自信家である。自説を盲信レベルで主張するし、対抗する論説の相手は鬼のようにこき下ろす。そして「知らない」「分からない」という返答を極端に嫌う。よく言えばプライドが高く、ぶっちゃければ心が狭い。

 

 研究が進まないどころか必要性すらないと彼らが考えていたAIDS問題について知見を求められても、まともに返答がある訳もない。けんもほろろにボロクソ言われるのは当たり前なのだ。

 

「ところで教授、確かアメリカでは血液製剤に(まつ)わるHIVが問題だと聞いたことが」

 

 ならばどうすればいいか? 簡単だ。僕以外の誰か、仲の良い教授や一目おいている研究者、情報が薄いだろう外国の状況をダシにして……教授自身が思い付いたのだと思い込ませれば良い。

 

 そして働きかける相手は、何も上の人間ばかりではない。学生も同様に行えばいい。

 

「先輩、他大学の友人に聞いた話なんですが」

 

 大学生になって、義心を抱いて、壁にぶつかるのは僕だけではない。大なり小なり全員が似たような経験をしているのだ。それ程に僕達の年代は正論とか特別とか理想とかいう言葉が好きで、のぼせ上がってしまいやすい。あか抜けない、すれていないという美点でもあるのだけれど。

 

「問題は諸外国で指摘されているにも関わらず国は動かない。今も被害者は増えているんだ」

 

 動きたい、けれど現実的な計画がなくて出来ない、そんな学生は多い。当たり前だ、ついこの間まで高校生で、授業を受けることしかしてこなかったのだから。

 

 そんな彼らに指針を、計画性を与えることを行く先々で繰り返して一年も経つとどうなるか。

 それはもう、エライことになる。

 

 医学に留まらず薬学や法学へと波及していく運動が大学を越えて行われるのだ、社会問題化するのは時間の問題だった。リスクなしで国を相手取れるのだ、メディアだって放ってはおかない。

 

 運動に関わっている人間の全員が善意などということはない。むしろ少ないだろう。誰もが思惑を持ってこの流れを利用していて……それでもいいのだと、思うようになった。

 

 賠償の訴えや治療の研究も始まるだろう。在学中には法整備も含めて支援の体制が作られるだろうと……いつぞや話も聞いてくれなかった教授は自慢気に語っていた。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

「どうしよう……」

 

 そんなこんなで大学二年の半ば、僕は先行きに頭を抱えていた。

 

 というのも運動が完全に僕の手を離れてしまったからだ。何人もの人間が「自分で思い付いた」と思って自信満々に活動している今、そうなるよう働きかけた人間がいたことなど覚えている者はほとんどいないに違いない。それ自体は構わないのだ、神輿(みこし)になるなど御免なので。

 

 ただぽっかりと、やることがなくなってしまったのだ。

 

「治療法の研究だって洒落にならない難しさだし……」

 

 話を聞いてもらえる相手を探す中で訪問した現場の医療スタッフ、そして患者自身の姿と現状。過酷、そんな言葉で表現することが申し訳ない程の今がそこにあって、僕はまた己の不明を恥じたのだけれど……そんな彼らを救う手だてを、僕は持っていないのだ。

 

 新薬の開発、治療法の研究、それらを僕が始めるまでにどれだけの時間がかかるのか。今までの研究成果のほとんどは外国語で、理解に膨大な時間が費やされるだろう。その先で開発に従事するとして、新薬発見には多分に才能的な面がある。

 

 そして僕は(ひらめ)きやセンスといった資質が欠けていた。そもそもが不器用なのだ、新しいことを覚えるには何度も繰り返して慣れを作り、ようやく人並みになれる。

 

「他の人に任せるしかないのかなぁ……」

 

 素人の自分よりも優れた研究者は国内だけでも沢山いる。そんな彼らのマンパワーに期待して、待っているだけで……いいのか? 自分は特別じゃないと悟ったふりをして、全然悟れていない。

 

 そうして僕はいつぞやのように学校帰り、電車に乗り込み三角コーナーに背中を預けていた。他人に当たり散らすことは流石にしなくなったけれど、この癖は高校時代から変わらない。

 

 確か、あのときも車内ディスプレイを眺めていた。今日も僕は対面のドア上にある液晶を眺めて、ボーッとして。NERDLESの機械が冷蔵庫サイズに縮小されたというニュースが流れて。

 

「あれ?」

 

 ────冷蔵庫サイズなら、そのままメディキュボイドに流用できるんじゃ?

 

 2018年、某日。直接神経結合環境システム、NERv Direct Linkage Environment System、略称NERDLESの研究開発は順調に進んでいたのだ。


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