強くないのにニューゲーム   作:夜鳥

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SAOの学生生活は灰色な法則

「メウォイヤァアアアッ!」

 

 竹刀の先で相手の面を打ちながら叫ぶ。口から放たれるのは「メン」ではない、別の何かだ。

 

「デヲイヤァアアア!」

 

 引き胴を打ちながらあげる雄叫び。ただ、こんな発声でもまだ行儀の良い方だったりする。上級者の掛け声は本当に意味不明なのだ。

 

 彰三さんを味方につけて部活動を始めてから──彼が右と言えば両親は右を向くから──時は過ぎて高三の夏。引退前の都大会で僕が務めたのは先鋒。オーダーを決めた顧問いわくノリと勢いが良いから、だそうで。

 

 調子が出て二人を続けざまに抜き、調子にのって中堅にやられるのはいつものこと。どっしりと待つ緊張感に耐えられないのと、出番がないとつまらないという子供な理由で、志願が通る場合にはいつも先鋒に立候補してきた三年間。

 

 その三年間も、今日で終わりになる。次将、大将と破られて試合は終了した。

 

 ウチの部活は高校から剣道を始めた奴がほとんどで、正直いって強くない。都大会にしても一回や二回勝ち進んだら敗退するというのが毎年のパターンなのだ。

 

 昨年の高三も、一昨年の高三もそうだった。だから予測し得た結果なのだ、これは。

 

 だというのに何か重たいものが僕の中にあるのは何故なのか。いや空っぽなのか。分からない。

 

「ありがとうございました!」

 

 対戦相手への礼、左右から聞こえたのはヤケクソみたいな叫び声だった。奇遇だな、僕もだよ。

 

 控え室に下がって、さっさと着替えればいいのに出来なくて。ボロ泣きしている大将の頭を抱き抱える顧問、他のメンバーだって似たようなもの。そんな姿を僕は眺めていた、立ち尽くして。

 

 やがて顧問が一人一人に声をかけ始めた。三十代だという短髪痩躯の、鬼みたいに厳しかった先生。そして僕の番。

 

「ノブ、お前が入部してきたときは正直、一年続かないと思った」

 

 ひでぇ、と思うが自分でも同感だ。入部の目的は体力養成だったのだから。

 

「掛け声は小さいしへっぴり腰だし部員と話さないし、目が如実に不満だらけだったからな」

 

 モヤシのコミュ障にはハードルが高すぎたんだよ。体育会系のノリにも付いていけなかった。

 

「でも夏の合宿も、冬の寒稽古も、普段の部活動も、一日たりとも休まなかった」

 

 それは帰宅して両親の顔を見たくなかったからだ。何かある度に「結城さんに申し訳ない」と言われ続ければ家に居たくないと思うだろう……代わりに地獄の練習が待っていたとしても。

 

「二年目には劇的に変わったな。振り下ろす腕も震えなくなったし、お前もいっぱしの剣道初心者になった。楽しんでいるのが傍目にも分かる程に」

 

 それは、昔からデジャヴを実生活に当てはめて活かすことばかりしてきたから。通年の経験を積んでしまえば後は似たような繰り返しなので、僕にとっては慣れたことだった。

 

「ノブ」

 

 全部、顧問の勘違いなんだ……だからさ、先生、そんな目で僕を見ないでくれよ。

 

「よく頑張ってきた」

 

 なんだってこんな、僕は誰に望まれた訳でもないことを必死こいて続けて。

 

 それを見てくれていた人がいて、的はずれなこと言われて。

 

 なのに嬉しいとか、思っちまってるんですか。

 

「おし、今日は打ち上げ行くからな! 先生の奢りだ」

 

 そんな顧問の宣言にさっき泣いた大将がもう笑った。学校近くまでわざわざ戻って、押しかけたのはその辺りにあるラーメン屋。この時期の御用達らしく、店長と顧問は顔馴染みのようだ。

 

 人付き合いがなかったから僕は知らなかったが、部員達はよく通っていた店なのだろう。慣れた様子で席を詰めていくのに倣い、狭苦しい椅子に座る。肩がぶつかり合うような近さだ。

 

 メニューもなしに同じものを人数分、ドンと出されたのは肉野菜マシマシの豚骨、いかにも運動部が食べそうなラーメンだった。家では絶対に食卓に上らない、暴力的なまでの獣臭と下品な程の盛り付けが空きっ腹に突き刺さって、僕達はせかされるようにして箸を突っ込んだ。

 

「どうだお前ら、奢りなんだから味わって食えよ?」

 

 一杯あたり千円もしないじゃねぇか、と返す部員達。わざとらしく戯ける顧問にツッコんで、わいわいと騒がしい。ズズ、と啜った麺から口内へ広がる豚骨の、大雑把な野郎感。

 

 今までも「美味な」ものは食べてきたし……普段の食事の方がよほど高価だと確信がある。

 

「先生」

「ん?」

「僕、初めて食いました」

 

 ノブお前ラーメン食ったことなかったのかよ、なんて沸き上がる声と爆笑。

 

 そうじゃねえよ。

 こんなに何かを美味いと感じたのが初めてなんだよ、ばかやろう。

 

 

 

 

 

 バシバシと肩を叩いてくる同級生、お前と僕は別に親しくもなかっただろう。

 訳知り顔で頷いている顧問の先生、いつか一本取ってやろうと思っていたのに。

 本当にうるさく騒いでいる大将達、泣くのか笑うのかどちらかにしろと言いたい。

 

 馬鹿だらけだ、ここにいるみんな。これが最後なのだと、丼を持ち顔を隠して汁を呑んだ。

 

 

    ☆    ☆    ☆

 

 

 部員であることが終わり、受験生となった夏のある日。僕は結城家にお邪魔していた。

 

 原作知識を想起した高一のあの日以来、降って沸いた知識は確からしいことを僕はまず確かめた。そしてそれに(もと)づきどう動くべきかシミュレーションを重ねて出た結論がいくつかある。

 

 一つには自分がどう働きかけたとしても──情けない話なのだが──ソードアート・オンラインのデスゲーム化は防げないだろうということだ。

 

 原作の須郷は量子物理学の分野において、茅場との二大巨頭として扱われていた。その是非はさて置いたとしても、SAOのサービスが開始する時点における名声は茅場一強だっただろう。

 

 須郷が何本の論文を上げようと画期的な発案をしようと全ての先達が茅場なのだ。加えてナーヴギアとSAO、カーディナルシステムという目に見えた成果を示している。

 

 仮に……そう、仮にSAOの本サービス開始前日にテレビ局をジャックして「バッテリーセルの容量とフルダイブ技術を悪用したデスゲーム」の可能性を語ったところで、すぐに警察を呼ばれて摘まみ出されるだけだ。

 

 須郷の言葉の説得力が茅場のソレと比較して低すぎるから。茅場は最低限の外面さえ(つくろ)っておけば、第一人者としての立場と名声が彼の全てを是としてくれる。

 

 それこそ茅場の成果を先取りしてしまえば──NERDLESもナーヴギアもSAOも先に作ってしまえば──などという策は現実味に欠ける。僕の頭は凡俗な高校生に過ぎないから。

 

 究極的には茅場を物理的に排除すればいいって? 冗談じゃない、何故僕の人生を、赤の他人のため棒に振らなければならないのか。こんな選択肢が存在する時点で無理ゲー具合もお察しだ。

 

 

 

 

 

 そしてもう一つ────僕はこれだけの悪条件にも関わらず、何とかしてSAOのデスゲーム化を止めたいと思っているということ。

 

 僕だって自分が一番可愛い。誹謗中傷やあからさまな危険を犯してまで茅場と争いたくはない。

 

 けれど。

 

「久しぶりだね、明日奈君」

「お久しぶりです、すごーさん。父は書斎で待っているそうです」

「そうか。今日も暑い、体調には気をつけるようにね」

 

 にぱ、と挨拶を返してくれる明日奈(小3)と別れて彰三氏の書斎に。勝手知ったる他人の家、結城家にお呼ばれすることはそこそこあり、彼女と言葉を交わす機会もそれなりにあるのだ。

 

 両親の躾はかなりしっかりとされている一方で、母方の実家が田舎らしく盆と暮れには祖父母に甘えられるという育ち方をしている。兄がいることもあってか大人ぶろうとする面もあり、そこがまた可愛らしい……ではなく、癇癪(かんしゃく)を起こさない、理性的なのだ。

 

「それもそれで心配なんだけど……」

 

 とにかく、感情的な人間は全員DQNなんじゃないかと考えてしまう程にコミュ障な僕にとって、自然体で話せる相手というだけで貴重なのだ。その彼女がデスゲームに? 悪い冗談だ。

 

 では明日奈がデスゲームに巻き込まれるのを防げればそれで充分なのかというと、これがそうでもない。想起した原作知識が僕を責め(さいな)むのである。こちらの方がより深刻だった。

 

 忘れもしない2014年の春、あの日の時点で既に手遅れな事柄は複数あった。各々の正確な日時や場所など覚えていない、だが年齢から逆算した結果、どうしようもない事実は思いのほかに多い。

 

 例えばキリト……桐ヶ谷夫妻の事故死。

 例えばユウキ……紺野親子のHIV感染。

 例えばシノン……朝田父の交通事故死。

 

 本当、何故タイミングを逃した時点で知識を思い出すのかと思う。正直、もうほぼ手遅れなんじゃないかとすら。そして茅場晶彦はこの二年間で活躍の幅を広げ、更に高い牙城と化している。

 

 けれど明日奈の笑顔を、澄まし顔を、怒り顔を、泣き顔を見る度に胸が(うず)く。良心なんて僕には無いだろうなんて(うそぶ)いてみても、偽善者気持ち悪いなんて自虐してみても、どうしようもないのだ。或いは僕が須郷伸之で、彼と同じく小心者だからなのか。

 

「急な訪問、受けてくださり感謝します」

「よく来たね、伸之君。先日の試合は惜しかった」

「ありがとうございます……あの、彰三さん、お話があります」

 

 茅場晶彦と同じ道を歩いて、後追いに窮々として、劣化コピーの扱いを受けて、自己評価すら失墜する未来。はっきり言って、僕は茅場が怖い。僕の人生を無意味なものに失墜させかねない彼を、恐れているとすら言っていい。

 

「何かね? アーガス社の株式購入や技術提携打診の件で君には随分と驚かされたからね、生半可なことでは驚かんよ」

「実は、志望する学部を医学部にしようと考えています」

 

 記憶がもたらす苦痛と予測がもたらす恐怖、二つの板挟みにあった僕が逃げたのは、折衷案。同じ道を歩みたくはない、けれど何かしなければ僕自身の心が悲鳴をあげるから、選んだ逃げ道。

 

「我が国における輸血用血液の問題、特に血液製剤の抱える問題を、ご存じですか?」

 

 

    ★    ★    ★

 

 

 日本は医療先進国であり、必要とする輸血量も比例して多い。にも拘らず国内の献血で賄うことはできておらず、海外からの輸入に頼る部分があまりにも大きい。血液製剤も同様に。

 

 血液製剤、血液を原材料とした医学薬品は性格上、元となる血液による感染のリスクをゼロにはできない。その被害を受けた患者類型の一つがAIDS、HIV感染者だった。

 

 その内に血液製剤の問題は社会問題化されるだろう。

 その内に国が動き、法整備や医療体制が整うだろう。

 その内に特効薬が生まれ、治療のメドが立つだろう。

 

 だがそれは、今ではないのだ。それでは遅いのだ。救えない人間(ユウキ)がいるのだ。

 

 熱気の籠った部屋の中、それ以上に熱意を込めて訴えかける伸之の説得は、既に一時間を超す。

 

 まるで()()()()()()()かのような実感と気迫……唖然、まさしく唖然とするしかない内容に結城彰三は困惑していた。ショックを受けたのか、朦朧としてきている頭をなんとか回転させる。

 

 突拍子もないことを言い出すようになったのは二年前からだが、今回もまた事前の気構えを粉砕してくれた。タラリと流れた汗を拭い、口を開く。

 

「伸之君……君の父親は私の腹心、レクト社の幹部だ、総合電子機器メーカーのね。彼は、そして私も、君にいずれレクト社を継いで欲しいと考えている」

 

 知らない筈はない。直接口にしたことこそなかったが、状況から推察すれば容易に出る予測だ。結城家長男、浩一郎が継ぐ可能性もゼロではないが……経営のセンスや管理職の資質を鑑みると現在では首を捻らざるを得ないのだ。

 

 故に伸之には理工学部を卒業しレクトに入社してもらい、各種の資質を試していく。並行して浩一郎への教育も本腰をいれ、互いに競わせる形を作る予定だったのである。

 

「それに血液製剤の問題も、AIDS患者の問題も、君がする必要はないだろう?」

「彰三さん、確かに僕はロクデナシです。両親とは向き合えないし、貴方にも迷惑ばかりかける」

 

 そこまでは思わないが、とフォローしようとした彰三を遮って、ギラリと輝く眼光。伸之の眼差し、射抜く視線が彰三を縫い止める。

 

「けれど。今この瞬間も病に侵されている人がいるんです、間違った知識、人災によって」

 

 じっと瞬き一つしない目から視線を動かせない。

 

 伸之が来てから始まった耳鳴りがうるさく、まともに意識できる音はただ彼の言葉だけ。

 

 ゴクリ、と喉が動く。変な動悸すらしている。早く、早く次の言葉を言ってくれ。

 

 周囲がボヤけ始めて、視覚すら危うい中、彰三はただ伸之の言葉を熱烈に待ち望んでいた。

 

 そして、やっと。

 

「僕をヒトデナシにしないでください。誰かが悲しむ未来を知って放置したくはない」

「…………あぁ、分かった」

「賛同してくれますか、ありがとうございます!」

 

 ガッと握られる両手、その刺激でハッと意識が覚醒した彰三。見送るために立ち上がろうとして目がくらみ、そのまま椅子へ倒れ込んでしまう。

 

 伸之が部屋を出ていく後ろ姿を最後に、彰三の意識は暗転した。

 

 

    ★    ★    ★

 

 

「それにしても……なんで彰三さんの部屋、クーラー入れてなかったんだろう?」

 

 夏本番。うだるような暑さの中を帰宅する途中、どうにも暑かった彰三さんの書斎を思い返す。世間は最高気温を連日更新する夏日続きで熱中症患者が量産される毎日、窓から差し込む日光と(こも)った熱気のせいで、体感だが四十度を超えていたように思う。

 

 僕は夏合宿の地獄を経験しているから耐えられたのだけれど、彰三さんが涼しい顔をしていたのには驚いた。経営者は想像以上に激務なのだろうか。

 

「年齢的に更年期障害があってもおかしくないのに、もしや体を鍛えているのか……如才ないな」

 

 対両親説得の最終兵器である彰三氏、彼が味方になれば両親は頷くしかない。だからこそ三顧の礼に倣ってでも押し掛け続けるつもりだったのだが、一度目で上手く行ったのは僥倖だ。

 

 そもそも結城家には後継ぎとして長男の浩一郎がいるのだ。僕までレクトに引っ張りたい彰三氏の思惑は、言うなれば「親子二代でウチに仕えて欲しい」ということなのだろうと思う。

 

 それを悪いとは言わないけれど……長男の腹心にする気だったのか、長男の当て馬にする計画だったのか、娘婿として跡を継げる可能性もあったのか、果たして本当の所はどうだったのだろう?

 

 まぁ今回の件で流石に見切りを付けられただろうし、許嫁の解消も時間の問題に違いない。

 

 次は志望大学の過去問を買いに行こう、と鼻唄混じりに炎天下を歩いて向かう。

 

 

 

 

 

 東都医科歯科大の過去問が洒落にならない難しさだと気付くのは後の話。


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