ALOのサービスを開始してから初めてのクリスマス、という訳でゲーム内でも運営主催のイベントを開催することにしたレクト。しかしここで大誤算というか予想通りというか、やりたいことを社員が持ち寄ったらあまりにも多すぎて一日に収まりきらなかった。
ついでに言えばALO内は一日を16時間に設定している。固定された時間でしかログインできない人にも楽しめるようにという配慮なのだが、16時間では催し物が全然できないのである。
いっそのこと日数を増やしてしまえと24、25日の二日間、ゲーム内では三日をクリスマス期間にすると共に全域でのPKを禁止、各自の領都と央都を結ぶ転移門を開設し往復を容易にしたのだ。
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そうして始まる三日間のクリスマス休戦。この時ばかりは種族のしがらみも放り捨てて妖精達が央都アルンにごったがえしている。彼らのお目当ては……それこそプレイスタイル次第だ。
まず挙げるべきは味覚エンジンの大幅アップデートだろう。より現実に近づいた味覚再現を試してもらうべく、イベントの初日は央都の広場を開放し、無料の立食パーティーを催したのだ。
次いで二日目、
「むせ返る程に暴力的な味わい、やはりラーメンは豚骨に限る。そう思わないか須郷君」
「いや……なんで先輩がログインして審査員になってるんですかね」
「私は味覚エンジンの開発者だ、己の身で試さなければ名折れというもの」
キリッと決めた茅場先輩の手元には湯気のたつ
「さて次の料理人は……ほう、彼女ならば期待できるな」
「アスナが? 何かあったんですか?」
先輩曰く、味覚エンジンの未熟なSAO内でも約百種の素材という素材を調べ尽くして味覚パラメータを解き明かし、現実の味に限りなく近い醤油やマヨネーズを作り上げていたとのこと。
「あの味が糧食として提供されたからこそ、血盟騎士団の進軍は閃光の速度を実現したのだ」
「え? 閃光のアスナってそういう二つ名?」
「なに二人してバカなこと話してるんですか全く」
気付けば既に彼女の準備は終わっていたようで、審査員席の前には既に皿が並べられていた。
そして美味いのだ、これが。VRでの食事に満足を感じられるかは非常にデリケートなのだが……例え内実はデータだとしても、やっぱり作り手の顔が見えるというのは心が満たされる。舌触りも香りも味わいも食感も、その全てを先輩と調整はしてきたけれど、熱意はあれど真心はなかった。なかったモノがここにはあった。
惜しむらくは自分だけのために作られた訳ではないことだけれど、それは我が儘というものか。
「それですごーさん、どうでしたか?」
こっそりと聞いてくるアスナ。わざわざテーブルに身を乗り出し顔を近付けてきての質問だ。
「美味いと思った」
本当に? という言葉に深く頷く。他の審査員がどう評価するかは分からないが、今のところブッちぎりだと思われる。味覚エンジン改良で経験した何よりも満足できた……腹ではなく心が。
「この味を現実でも食べたいと思ってしまう程に、な」
それを聞いて嬉しげにする彼女の姿に思わず呟いた。僕に公平な採点はできそうもない、と。
結局、料理部門の優勝はアスナが手にした。いわゆる鉄人の称号と、副賞としてALO内の最高品質にグレードアップされる
さて、料理部門を始めとする各スキルの天下一決定戦は一日目と二日目に行われた。料理以外の部門も社員がスタッフとして司会進行している筈だ。鍛冶や裁縫といった攻略の下支えとなるスキルは当然のこと、釣りや写真や音楽に歌唱といった趣味分野でもそれぞれの趣味人が競い合いを演じた。釣り部門の優勝者は確か、どこかのケーブル保守を担当している人だった気がする。
そして外せないのが三日目に開かれるPvP、全損決着モードでの
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クリスマスが近付くにつれキリトの気分は沈みがちになっていった。いわずもがなサチの件だ。
共通タブを眺めてはため息をつくばかり、まるで恋煩いでもしているような彼の態度にリーファ達は内心穏やかではいられない……のだが、そこはユイが事情をぼかして話せば通じることで。
折角のクリスマスイベントも、彼を誘うことができず央都へと女子だけで繰り出していたのだ。
キリトもクリスマスイベントには興味がある。
この一年、メッセージを共通タブに放り込むことを繰り返してきた。読まれた形跡はあるし、返事も何通か来ている。だからこのアルヴヘイムのどこかにいるのは間違いないのだ……けれど本質的なことにキリトは踏み込めなかった。黒猫団壊滅の一件について、である。
当たり障りのない話題と近況報告に終始する二人の文通は遠距離恋愛のごとき手探り具合で、周囲ももどかしいこと限りない。人を頼り探し当てて直接会いに行けばいいのに、と。
キリトも他人にならば勧めるだろうし、賢い方法であることも理解している。けれどそう簡単に割り切って行動できるようであれば……キリトは黒猫団が壊滅した時も自分を責めなかっただろうし、無謀なレベリングなど行わなかっただろう。人と触れ合うことが怖いのは、今も変わらない。
録音結晶に籠められたサチの諦観と感謝、激励と離別の言葉。あれがあったから、キリトは自棄になった状態から立ち直ることができたのだ。けれど時が経つと不安になる、あれは彼女の本音だったのだろうか? 本音だったとしても生還した後、そして今はどう考えているのか? 嫌な、後ろ向きな想像ばかりがキリトを責める。
そこに来てここ数ヵ月、何故かサチから音沙汰がない。メッセージを送っても返事がない。そんな訳で更に負のスパイラル、今の彼を立ち直らせることのできる人物は当人だけだったのである。
「で、あたしはその女に発破を掛けるために鍛冶部門で優勝した訳だ」
「リズさんって尽くすタイプですよね、意外に」
「どういうことかなシリカ!? あたしはねぇ」
「ほらリズさん、インタビュー始まりますよ!」
「後で覚えてなさいよアンタ」
鍛冶部門を制した優勝者、初代王者の称号を手にしたリズベットへ向けられるマイク。音声と映像はアルヴヘイム中に中継されている筈だ。
「この場を借りて一人の女にメッセージがあるの……キリトはアンタを待ってるのよ!」
なんであたし恋敵っぽい女に塩送ってるんだろうなぁと思いながら、リズベット自身は顔も名前も知らない女性プレイヤーへのメッセージを私怨込みで発信していくのだった。
アインクラッドから生還して、紆余曲折を経てアルヴヘイムにやって来たサチはキリトからのメッセージに驚き、そして喜んだ。彼も無事に帰還できたことを、生きていたことを喜んだ。
けれどメッセージのやり取りを続ける内、キリトの周囲に沢山の仲間が、女性がいることが分かった。彼ら彼女らとの日常に満たされていることが、ひしひしと伝わってきたのだ。そしてサチは思った、自分はもう、キリトにとって必要ないのかもしれない、と。
必要とされて嬉しかった、傷を舐め合うようなかつての日々。キリトは強くなってそこから脱却できたのだと、それは少し寂しいけれど、彼の力になれたのならそれで充分だった。
とはいえサチにも幾つか未練があった。それは雪の街をキリトと一緒に歩くことと、赤鼻のトナカイ以外の歌を彼に送ること。確かにあの歌を選曲したのは当時の心境にマッチしていたから、けれど他の曲を歌えるものならば歌いたかったことも確かで、でも歌詞を覚えていなかったのだ。
しかし帰ってこれた今は違う。新しいクリスマスソングをキリトに送って、それで……もう、終わりにしようと考えていたのに。そのためにここ
「リズベットさん……キリト」
キリトの現状を伝える言葉、多分あれは真実だ。彼女がキリトに向ける気持ちの真剣さは、ここが仮想であってもサチには分かった、何故なら自分もまた同じだったから。
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「個人戦の大会は今日か……」
25日の朝。昨夜は久しぶりに……本当に久しぶりに家族四人が揃ってのクリスマスパーティーを桐ヶ谷家では開いた。単身赴任に出て長い義父の
流石にサンタがプレゼントをくれる年齢ではないけれど……両親からはちょっとした贈り物があって、ボス攻略でLAを取った時と同じくらい嬉しかったことに自分でも驚いて、直葉に表情を指摘されて慌てて顔を背けて自室へと逃走してきたのである。
前日のリズベットのメッセージはキリトも聞いていた。ALOの自宅に置かれた映写クリスタルは各部門の決勝の模様と優勝者のインタビューを放送していて、リズベットが出場していることを伝えられていたキリトも当然観戦していたのである。
「リズベットにも、世話になってばっかりだな」
彼女と出会い行動を共にした二日間を思い出す。SAO時代、発現したスキル二刀流のために強い片手剣がもう一つ必要になって、
全てが作り物の世界、たった一つのホンモノは人の心だった。触れた手の温かさが、心の温度が今ここにリズベットとキリトが生きていることを実感させてくれる、繋がりなのだと。そうして告げられた彼女の想いに、キリトは応えられなかった。
黒猫団を壊滅させてしまった自責の念が、未だキリトには残っていた。サチのお陰で自暴自棄からは解放されていたが、だからといって身近な場所に誰かを、大切な人を置こうとは思えなかった。唯一の例外は血盟騎士団にいる時で、自分よりも強いヒースクリフがそこにいるからだった。
リズベットのことは好きだ、けれど、だからこそ一緒にはいられない。そう伝えた、なのに。
──ならあたしを専属スミスにして、この場所に帰ってきて。アンタがこの世界を終わらせて!
現実に戻れたら剣の代金を請求するから、高いんだから絶対に踏み倒すなよと空を見上げて叫んだ彼女の顔をキリトは見ていないけれど、いくら鈍いと言われようと取り違えはしない。だからALOで再会することができた今でも彼女にあの剣の代金は払っていない。彼女も受け取りはしないだろう、彼女が望んでいるのは、そういうことではないのだから。
サチにメッセージを送り続けて一年、心の整理を付ける頃なのかもしれないと思い始めていた。
「お知らせ? ギフトボックスっていったい誰……か、ら」
ポンと軽くタップして展開されるメニューウィンドウ、そこに表示されたのはずっと音沙汰のなかった待ち人からの録音結晶。急いで実体化して、スイッチを押して……籠められたメッセージと、あの時は歌詞を覚えていなかったというクリスマスソングがサチの思いを伝えてきた。
デスゲームの中で迎えた地獄のようなクリスマスと、今こうして迎えているクリスマスと、両方が2023年のクリスマスであることがおかしくて。どちらにもプレゼントを贈ってくれたサチの心は、やはりキリトの心を救ってくれる。幻のようにあやふやだった過去が、今に繋がった。
「We Wish You a Merry Christmas、か…………そう、望んでくれているんだな」
今日この日を楽しく過ごして欲しいという彼女の想いを受け取って、キリトは装備を整える。個人戦の参加申請は直前まで受け付けている。腕利きが集まる
目指すは世界樹前の広場。キリトは鍛えた疾走スキルで央都アルンを駆けていった。
☆ ☆ ☆
「メリークリスマス、姉ちゃん!」
現実世界は25日、クリスマスの朝に起き出してきた木綿季は家族との挨拶を交わしていた。靴下に詰められたプレゼントを姉と見せ合って、着いた朝食の席で母からもプレゼントがあると聞いて目を輝かせる。
「ありがとー! それでそれで、一体なに、を…………お母さん、それって」
ロザリオだった。木綿季には母の、藍子には父の使っていたロザリオが、目を白黒させている二人の首に掛けられる。クリスチャンである母にとっては何よりも大切な信仰の証をどうして手放すのか、嫌な想像が浮かぶ。死期の宣告を受けたのか、そのロザリオは形見のつもりなのか、と。
慌てた木綿季と藍子、しかし話を聞いてみるとむしろ逆のようで……自分達のロザリオを新調したいと考えられるようになったから、という理由だった。確かに形見という意味合いがない訳ではない、それこそ娘達にいま残せるのは信仰を籠めたロザリオ位、自分達の代わりに二人を守って欲しいと神に祈ったことはあると。
けれど信仰と神頼みは違う。自らの行いをロザリオを通じて神に告白することが信仰なのだ。
「それじゃ、二人ともまだ死なない、んだよね?」
木綿季の問い掛けに柔らかく頷き、自分達の首に新しいロザリオを両親は掛けた。それは娘二人のロザリオとお揃いの、しかしピカピカの新品。これから暫くは神様からも新人扱いだな、なんておどける父と、信仰の
残したいと思った。刻みたいと願った。今のこの気持ちを、胸をつく感情を忘れないように、皆に対して
満足だなんて嘘だった。自分の生きたシルシを刻めたから充分だなんて嘘っぱちだ。こうして次から次へと新しい明日を願ってしまうことを、止められない、止めることなんてできない、止めたくなんてない。胸の中で、熱を持ってグルグルと回転する何かが行き場を求めている。
けれど、じゃあどうしたら……悩みながら朝食を終えた木綿季に渡されたのは色々な人達からのプレゼント。友人から、お世話になっている人から、幾つもの贈り物がやって来てテーブルの上は埋められてしまう。明日奈からも、詩乃からも送られてきていた。
その中の一つ、小振りな箱を開けて、木綿季は中身に目を見開く。
「この
赤い地の布に黄色で>の模様をあしらった滑らかな手触りのソレは二つあって、けれどよく確かめるとデザインが微妙に違っていた。ユウキとして身に付けている鉢巻きは
「すごーさんが送り主? あは、間違えるなんてひどいなぁもう……え、どうしたの姉ちゃん?」
鉢巻きの意匠を食い入るように見つめる藍子、その様子に木綿季は虚を突かれる。
僅かに
他人よりも短い人生を駆け抜けざるを得ない、その境遇を打破して、他人と同じ速さで歩いていけるように──そう呟いたことがあるという彼、だからこそ鉢巻きの意匠は、そのことを意味しているのだろうと……藍子の話は、木綿季にとってあまりにも不意打ちだった。
「は、はは……まったくもう馬鹿だなーすごーさんはっ! ホント勘ぐりすぎだよ、だって、ボクがそんなに難しいこと考えてるわけ、ないじゃんか……っ」
ユウキの鉢巻きに描かれた>>の意匠が早送りされる人生を表しているように見えたという彼。
木綿季自身に明確な考えがあった訳ではない。けれど鉢巻きのデザインは他に幾らでも候補があった訳で、数多の中から現在のモノを選んだのは何かしらのしっくり来る感覚があったからだ。
デザインが自分の人生を例えたものだったのかは、それこそ木綿季自身にも分からない。けれど木綿季がいま手に握っている鉢巻きのマーク、再生ボタンのようなソレは彼女もまた同じ速さで、明日奈や詩乃と生きていいのだと語りかけてきて────
「もー、ボクをこんなに泣かせてどうするつもりなんだよっ、ボクだって女の子なんだぞ!」
ぐいと顔を
そうして目が捉えたのはもう一つの鉢巻き。>>>と三つを重ねたソレは早送りを超えた何かを──もっと先へ、加速したくはないか、と──伝えようとしているようで。
ブルリ、と身震いする木綿季。今の時間を噛みしめ味わうか、誰も知らない未来へと疾走するか、どちらを選択しても良いのだと示された悪魔の誘いに、木綿季は両方の鉢巻きを掴み取る。
「姉ちゃん……ボク、スリーピング・ナイツで団体戦に出られればいいやって考えてたけど」
ホントはもっと欲張りだったみたい、と顔色を
「えへへ……じゃあ、行ってきます。優勝しちゃうから、個人戦も見ててよ!」
武闘会の参加申請は直前まで受け付けている。央都アルンへと木綿季、ユウキはログインした。
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手に汗握る
やはり戦い慣れたSAO経験者が決勝大会16名の多くを占めてはいるのだが、中には純粋なALOプレイヤーもランクインしている。斬り合いに傾倒するSAOと魔法に傾倒するALOという単純な区分けではなく、この一年で双方が影響を受けているらしい。
まぁユウキやシノンがALOからの純粋なビギナーかと聞かれると首を捻るのだが。彼女達も勿論のこと16人の中に名前を残している……やたらと気迫に満ちていたのは何故なのか不明だが。
決まる優勝者、ここでサプライズを運営は提供した。英雄ヒースクリフを登場させたのだ。
個人戦優勝者と神聖剣ヒースクリフのエキシビションマッチである。一夜限りの復活ということでアルヴヘイムに降り立った茅場先輩は血盟騎士団団長の装いで、それはもう当たり前のように剣と盾を持ち随意飛行を使いこなしてコロシアム中の観客を熱狂させた。
────ここまでくれば充分。茅場晶彦に、SAOに、アインクラッドにプレイヤー達が忌避感を持っていないかが最大の障害だった。だからこそヒースクリフは姿を現した。
それは人々にSAO時代を想起させるため。彼の姿にALOプレイヤーは何を感じるのか、それだけが気がかりだったのだが……その障害が取り除かれた今、アインクラッドを再臨させることにもはや
「親愛なるアルヴヘイムの諸君、今宵は重大な発表がある」
全土への放送、すぐさま情報は現実にも波及するだろう。
「諸君が待ち望んでいた滞空制限の解除は今から現実で百日後に行われる。それに伴いアインクラッド、ソードアート・オンラインのワールドとアルヴヘイムは接続することになる」
ヒースクリフの指差した上空、世界樹の更に先、黄金に照らされ輝く
「だがその前にアインクラッドへ行くことを望むならば世界樹を攻略するがいい。全種族のためのグランドクエスト、頂上にて待つ妖精王に謁見できれば一足早く滞空制限は全員に解放される」
にやり、と笑うプレイヤー達。これ見よがしな大扉を開けることすら出来ないままだった央都アルンの世界樹、その先に至る道を待ち望んでいたプレイヤーは数知れない。
「実装は年が明けてからだ。君達の勇戦を、期待するよ」
沸き上がる歓声とグランドクエスト実装を待ちきれない彼ら……その内のいったい何人のプレイヤーが冷静にグランドクエストの内容を思考できていただろうか。
「さて、あれで良かったのかい、須郷君」
「ええ、文句なしです。果たして彼らは城に足を踏み入れるに足るのか、見物です」
プレイヤー達は世界樹を攻略できるのか、予想では無理だと思う。それだけのモノを、既に用意していた。そんな僕を見て皮肉げな笑みを浮かべる先輩。
「クリアされない公算が高いものを提供するとは、君も中々に性格が悪いな」
「尋常なプレイすら不能なクソゲー伝説を打ち立てた先輩を見倣ったんです」
ソロでは無理、パーティーでもギルドでも無理、種族一丸でも無理だろう。SAO経験者だけでもALOプレイヤーだけでも足りない、そういう難度だ。それでもゲーマーの
きっと彼等の