ガンショップ店主と奴隷との生活 -てぃーちんぐ・のーまるらいふ- 作:奥の手
強面の店主のもとへ金髪の少女がやって来た日から6日目の夕方。
太陽は美しいオレンジ色となり、ちりばめられた雲とともに空を染め上げています。
町の家々は明かりをともし、街路上は柔らかな街灯で照らされ、空と煉瓦道の茜色がきれいなコントラストになりました。
冷たい風があたりをさっとなでる中、街の人々は帰路へ着いたり、あるいは仕事帰りに一杯かけたり、中にはこれから仕事の人もいるのでしょう。
そんな中に二人の姿はありました。
筋骨隆々とした浅黒い肌に笑う子も泣き出す強面の顔。黒い外套を着こんだ齢40を過ぎる禿頭の店主。
細身に少しくすんだ金髪、可愛らしい白のワンピースと上着を羽織った、快活な笑みを浮かべる少女。
二人は、さながら休日の買い物から帰る親子のように、にこやかな表情で夕闇迫る街道をゆっくりと歩いていました。
「なぁ」
「はい! なんですか?」
「風呂行かねぇか。なんだかんだで行ってねぇからよ」
「お風呂ですか? 私、入ったことがないのでどんな場所なのか知らなくて……」
「どーんと湯があってだな。まぁ……行きゃあわかる。いいところだぞ」
「はい!」
二人並んで歩く姿に、この関係が、元奴隷とその主人だったなどとは誰も想像できません。
金髪の少女はやめました。自分の主人を疑うことを。
信じて心を開いても、裏切られたら今度こそ耐えられない。
少女はずっとそう考え。どこへ行こうと、誰に買われようと決して信じないと決めていました。
それがまるで嘘のような、明るい笑顔を浮かべられたのは、少女の知るところではありませんがガンショップ店主の作戦でした。
店主は、医者の元奴隷――――シルヴィとの話の中で、商談に使うようなスキルで金髪の少女の心を開くのはやめておこうと思っていました。
ですが、商売に関わる考えを捨ててしまえば店主には何も残らないのもまた事実であることに、店主本人がすぐに気が付きました。
医者は医者らしい方法でシルヴィを奴隷から解放した。
ならば。
商人は商人らしい方法で、つまり俺のやり方でこの子を救い出すべきだ。
腹の決まった熟練の商売人は緻密かつ正確な作戦を立て、どうすれば金髪の少女が〝心からの感情〟を見せてくれるのかを考えました。
そうです。〝心からの感情〟でよかったのです。
それがたとえ恐怖であったり、恨みであってもかまわないと店主は決めていました。
(結果的には最高の出来だったな)
少女から引き出せた〝心からの感情〟が、あの笑顔なら。
光の戻った瞳なら。
店主の作戦は大成功です。
(まぁ、それでもここからだ。この子はいま〝信じてみよう〟と決めただけだ。信じ切ったわけじゃねぇ。そしてここで俺が裏切るようなことがあれば、こいつは間違いなく壊れてしまう。)
だからこそ期待に応えてやるし、俺もこいつを守ってやれる。
強面の店主は偽りのない少女の笑顔を、守り切る自信がありました。
なんせそれを望むのは店主自身です。要するに、仲むつましい普通の夫婦の関係です。
「ご主人様」
考え事をしていた店主はいったん思考を外へやり、少女のほうを見ました。
「どうした?」
「えっと……また、正直に言ってもいいですか?」
「おう、遠慮すんな」
「…………捨てないでくださいね」
〝何を〟〝だれを〟は一切言いませんが、少女はそれだけ言いました。
十分に店主には届いています。
○
「ここが風呂屋だ。大衆浴場ってのが正確な名前だけどな」
「おぉ~」
目を見開いた少女は、目の前の建物を見上げています。
高い煙突が特徴的なレンガ造りのそれは、この町でも一位二位を争う大きさの建築物です。
「入るぞ」
「はい!」
金髪の少女は元気よく返事をして店主の後について行きました。
中に入るとそこは広場になっており、カウンターと、男湯女湯に分かれる通路が続いています。
店主はカウンターへ行き、
「大人一人と子供一人。着替えとタオルも頼む」
「かしこまりました」
必要なものを買って金髪の少女のほうへ向き直りました。
「さて……入ってから気が付いたんだが、風呂屋には男湯と女湯ってのがあってだな」
「おとこゆ? おんなゆ、ですか」
「あぁ。そのまんまだが男湯には男が入るし、女湯には女が入るんだ。そんでおまえなんだが……」
そこまでいって少女の表情が変わったことに気が付きました。
先ほどまでの快活な笑みは徐々に消えてしまい、今にも泣きそうな、不安に塗られた表情が見え隠れし始めます。
「……いっしょに入るか」
ぱぁ、と花の咲いたように明るくなった少女を見て、店主はひとまず胸をなでおろしますが別のことを心配し始めました。
○
「俺から離れるなよ、いいな」
「あ、はい……」
脱衣所へ着いた二人ですが、ここは男湯の脱衣所です。
中にはちらちらと女性もいますが、それは女性というよりは女児で、要するに小さな子供を親が連れている形です。
夕暮れ時ですからちょうど人も増えてくる時間帯でした。その辺のことを考えていなかったと、店主は今更になって後悔します。
金髪の少女の年齢はギリギリアウトな感じです。この年なら一人で女湯に入れるはずです。
少女自身、やや恥ずかしそうに頬を赤らめていますが、打って変わって内心ではそんなことどうでもいいと思っていました。
店主から離れたくない。物理的に離れてしまうのが怖い。
なぜそう思ってしまうのか少女にははっきりとわかりませんでしたが、とにかく今は離れたくない。
だからこそ多少の恥ずかしさなど気に留める事ではありませんでした。
強面の店主はざっとあたりを見回し、とりあえず自分の服を脱いでから、大きめのバスタオルを取り出して金髪の少女に渡しました。
「服脱いだらそれを体に巻き付けな。男どもに肌を見せるなよ」
「はい」
一瞬、店主は言葉を間違えたかと思いました。
なにせ少女は傷だらけです。それを他人に見せるんじゃないという意味で取られてしまわないかと思いましたが、少女は別にそんな風にはとらえていませんでした。
手際よく服を脱いでタオルを巻きつけると、二人は浴場へ入ります。
「わぁぁぁぁぁぁ……わぁぁぁぁぁ!!」
そこには少女の知らなかった世界が広がっています。
湯気の立ち込める広い空間と、暖かな空気が肌をやさしく包み込み。
耳朶を打つのはそこかしこから聞こえる湯の音と、洗面器が置かれて鳴る〝かぽーん〟という音。
活気づく人の話し声とその様子が、ありありと目に飛び込んできます。
また湯船の種類も多彩でした。
大人数が一度に入っても余裕のある大きなものから、一人用のくつろげるもの。奥のほうには何やら小部屋もあります。
ブクブクと泡の立つものや、手すりの組み入った湯船まで。
それはもう、どうやって入るのか想像のできないものもあります。
「すごいですね、すごいですね! ご主人様!」
「ま、普通の家にはねぇところよな」
ガンショップ店主の家には風呂がありませんが、一般家庭にはあるところもあります。
ですがこうも広い浴場はそうそうないでしょう。
「もう一度言うが、俺から離れるなよ」
「はい、離れません。絶対に」
なぜ先ほどからそう繰り返すのか少女は気になってましたが、浴場に入ってわかりました。
視線が集まっています。奇異の目で見られていることに少女も気が付きました。
店主から離れれば何が起きるのか、なんとなく想像がつきました。
○
二人は一緒に身体をあらい、頭を洗い、少女はタオルを付けたまま移動します。
その間にじろじろと見ようとする者もいましたが、となりのマッチョで恐ろしい顔の人物に気が付くと誰もが目線をそらしました。
店主がいるだけで安全そうです。
二人はまず一番大きな湯船につかりました。
入るときには少女もタオルを外し、さっと湯船に身体を隠します。
「うぃ~」
「はぁぁ~……これが、お風呂なんですね……溶けちゃいそうです……」
「いいもんだよな。うちにもほしいんだが、二階に作るのは大変でな」
「あ、でも私はご主人様に背中を拭いていただくの、とっても気持ちいいですよ?」
「そいつはよかった」
にかにかと笑いながら店主はあたりを見回して、次はどこへ入ろうかと考えます。
「ご主人様」
「どした」
「あれ、あれなんですか? あの部屋です」
少女が指さした先には小部屋がありました。
木製の板で囲まれたそこはドアが一つだけで、そこから人が出入りしています。
「ありゃサウナだ」
「さうな?」
「部屋の中全体が熱くてな。汗をかいて、かいた汗を冷水で流すところだ。これがまたなかなかいいんだぜ」
「は、はいってみてもいいですか?」
「おう、んじゃ行ってみるか」
二人はサウナへと向かいました。
○
ドアを開けて入った瞬間。
金髪の少女を、体験したことのない熱気が包み込みました。
「――――けほっ」
「鼻から息吸うと苦しいからな。口で吸って口で吐くんだ」
「わ、わかりました」
言われたとおりにやってみると、なるほど確かに大丈夫そうです。
小さな部屋の中には木造のベンチが並べられており、数人の男性客が座っています。
少女が入ってきたことに最初こそ驚きますが、皆特に気にしない様子でした。
「あつい、ですね」
「これがサウナだ。体力を持っていかれるからな、出たいと思ったらすぐに言うんだぞ」
「はい」
店主は長時間入っていても大丈夫ですが少女は別です。
木製のベンチに腰かけて、タオルが徐々に汗で張り付いてくるのを感じつつ、少女は初体験のサウナを存分に楽しみました。
五分ほど入っていると、
「ご、ご主人様……もう出たいです」
「おう」
二人そろってサウナを後にし、すぐ横の水風呂から桶一杯の水をくみ上げて頭からかぶります。
その時の恍惚とした少女の顔に、店主は連れてきてよかったと思いました。
その後、薬草風呂や泡風呂を堪能した一行は、日がとっぷりと暮れたころに風呂屋を出て、ガンショップへと帰路につきました。
○
就寝前。
ガンショップの二階はテーブル上のランタンに照らされており、その周辺を柔らかなオレンジ色が温かく包みます。
窓の外では明るい月が浮かんでいる、そんな静かな夜でした。
少女は白い寝巻に着替え、店主もゆったりとしたTシャツとズボンを身に着けます。
風呂でしっかりと洗った少女の金髪は見違えるようにきれいになっていました。
艶やかな金髪がちゃんと乾いていることを確認し、店主は少女を先にベッドへ寝かせます。
「ご主人様? 一緒に寝ないのですか?」
毛布の中から不安げな声音で聞いてきた少女に、店主は苦笑しながら答えました。
「寝るさ。だがまぁその前にやっとかなきゃならねぇことがあってな」
「?」
「おまえ自身の事なんだが」
その言葉に少女は起き上がり、すぐ横に立つ店主を見上げます。
瞳を向けられた店主は言葉を促されていることに気づき、そのまま続けました。
「お前の名前、聞いてなかったよな」
「あ……」
出会い、寝食を共にして6日間。
ここに来てやっと店主は少女の名前を訊きました。
店主はわざと尋ねていませんでした。
目の前のこの子が本心から接してきた時に、その時こそ名前を訊き、名前で呼ぶべきだと。
それが今です。
今日、あのレストランで少女の瞳に光が戻ったことを確信し、この日の終わりに訊こうと決めました。
一方少女ですが自分が名乗っていないことに今更ながら気が付きます。
思い返せば自分から名乗るべきタイミングは、自分の心を守るために放った言葉で埋められていました。
「おまえ、名前は?」
訊かれた少女は大きな瞳をうれしそうに細め、満面の笑みで答えます。
「〝アイビー〟と、両親から名付けられました」
「…………ん?」
一瞬、店主は首をかしげましたが目の前の少女――――アイビーは気付きませんでした。
「両親からもらった、大切なものです」
「あぁ、いい名前だな」
しかし店主は何事もなかったかのように笑顔で、何度もうなずきました。
そしてゆっくりと、今度は自分の名前を告げます。
「〝ソカー〟だ。昔はソカー・フォン・シュミットって名前だったが、いまは貴族でもなんでもねぇから、ソカー・シュミットって名――――」
「え?」
店主が言い終わる前に、アイビーは表情が固まったまま、そう大きく漏らしました。
震える声で訊き返します。
「ご主人様……名前、〝ソカー・シュミット〟って、本当ですか……?」
その問いに、こんどこそ店主も顔をこわばらせました。
「なぁ、アイビー」
「……はい」
「お前、奴隷になる前の、ファミリーネーム覚えてるか」
「…………〝ガルシア〟です」
アイビー・ガルシア。
それが金髪の少女のフルネームでした。
そして店主はその名前に聞き覚えがありました。
いえ、それどころか。
「俺は、12の時に親を亡くして、そんな俺を拾ってくれた行商人一家がある。俺はそこで商業を教えてもらい、15年前に独立した」
「…………」
「――――俺を拾ってくれたのは、ガルシア家だ」
アイビーの目は瞬く間に揺れ、こらえきれなかった涙が頬を伝っていきました。
店主も震える声で続けます。
「俺が独立する三年前、ガルシア家に長女が生まれた。そいつは」
「アイビー……ガルシア、ですね……?」
アイビーは耐え切れず滂沱の涙を流しながら、ソカーに飛びつき、その胸のうちで泣き続けました。
いつまでも、泣き続けました。