暇を持て余していた女神の後悔
地上に降りた女神であるところのヘスティアは、その時非常に追い詰められていた。
(嗚呼、どうしてこうなってしまったんだろう……)
彼女はその美しくも愛らしい顔かんばせを凍らせて、苦しみに耐えていた。
そのきっかけは何だったのであろうか。
直接的には直前のベルとの会話だが、本質的には彼が成長したことが原因だと彼女には思われた。
彼は変わった。見違えたと言って良い。それはヘスティアにとっても喜ばしい事であった筈だ。
そのきっかけを与えたのが、自分ではなく
(あのプロポーズまがいの言葉には焦ったけれども……)
しかし、勝利したのは自分だとヘスティアは思っていた。
結局ベル君はあの
そして自分と二人きりでこのボク達のヘスティア・ファミリアを盛り立てて行く道を選んだのだ。
そう彼女は思って、内心で勝ち誇っていた。
だからといって彼女はナァーザへの警戒を解いたわけではなかったが。
(あの娘、懲りるどころかどんどんとボクのベル君に親しげに振舞うようになってぇ~~!)
ナァーザとベルからすればあれだけの濃い時間を共有して潜り抜けたのだから、その後は親しくなって当然なのだがヘスティアにとっては油断できない娘としか思えない。
(それにミアハもミアハだ!あいつ、
と彼女はミアハにまで怒りを向ける。
彼は彼で複雑な思いがあって
それでも、現状はおおむねヘスティアの満足いくものであった筈だ。
いとしごであるベルが大きく成長し、自分との道を選び、
だが禍福は糾える縄の如し。喜びと痛みは表裏一体にして光と影のようなもの。
(ベル君は成長した。それもステイタスやスキルとかって意味とは違う。なんというか彼はそう、少し大人になったんだ……)
彼は少年から青年へと近付いていた。
無邪気だった瞳は、若い力と精悍さを時折輝かせるようになった。
微笑ましさの変わりに頼もしさが身について行くのがわかる。
もちろん全てが急に変貌してしまったわけではない。
それでも、その成長は親しい者であればだれもが認めるほど目覚しいものだった。
なにより、彼は良く考えるようになった。
部屋に篭って悩み、考え込むと言う意味ではない。
無鉄砲に動くのではなく、
そのためヘスティアは、彼に様々な質問や相談をされるようになった。
武装や道具をどうするのが良いか。いつまでにどれぐらいのお金を稼いでどう使うのか。それも含めた短期的な目標をどう立てるか。
新人の勧誘は今までヘスティアが路上で見かけて声をかけるという極めて無計画なものだったが、もしそれで入った人物がベルとファミリアの方針をめぐって対立した場合にはどうするのか。
その問題を含めて今後ファミリアのメンバーをどうしていくべきか。
また、
ステイタスとは、アビリティとはどのようにして上がるものなのか。
スキルや魔法はどう行った条件で発現する傾向にあるのか。
例えば強い相手と戦うことが良いと言うのは、絶対的な物かそれとも相対的な物なのか。
同じ恩恵直後のALL.Iであっても鍛え上げた戦士が伝説の武具に身を固めてオークと戦うのと、ただの少女が素手でゴブリンと戦うのでは明らかに後者の方が危険だ。
しかし実際には前者の方がアビリティは上昇されるとされている。
ここまで極端な事例ではなくとも、武術などの下地がしっかりしているものの方が恩恵を受けた後は同じ敵であっても容易に勝てる。
そして容易に勝てるから成長が鈍いということはなく、むしろそういった下地がある者の方が成長が早いという事が神々の間では判明している。
それならば、魔剣のような使用者の能力にあまり依存しない強力な装備を用いればすぐにレベルアップできるのか?だがそれはできないとされている。そうでなくとも低LVの冒険者にあまり強力な武具を使わせる事は推奨されていない。おそらく本人が身につけた力かどうかが鍵であるとされているものの、詳細はまだ神々の間でも謎とされていた。
しかしヘスティアは、そういった相談や質問に答えられる知識をほとんどもっていなかったのだった。
ベルから問われるたびに、ヘスティアの知識のなさが露呈していく。
彼女はそれをなんとか誤魔化して、次の日には即座にそれを調べようとする。
といっても彼女が取れる手段は実質的には一つしかなく、それはミアハに聞くと言う物であった。
彼はかつてはそれなりに隆盛した中規模のファミリアの主神であったこともあり、大いにヘスティアの助けになった。
しかしミアハもヘスティアばかりに構っていると言うわけにはいかなかった。
何しろ彼のファミリアは今大忙しな上、眷属はナァーザただ一人。
それにミアハは人望あつく、彼に相談を持ちかけるものはヘスティアの他にも大勢いた。
ヘスティアも流石に段々と危機感を覚える。
(嗚呼、ボクは今までなんで時間を無駄にっ……!)
少し前の誰かの後悔と同じような事を彼女は考えた。
彼女の場合は無駄な時間(1000年)と言う感じであったが……。
しかも最近ではベルはヘスティアではなく直接ミアハやナァーザの所に相談に行く始末である。
主神の威光も末期と言えた。
そしてついにその時が訪れた―――
教会の地下の隠し部屋で、彼との夕食後の語らいの時間。
なんだかんだで彼女にとっては最も幸福な時間である。
きっかけは、ベルの過去の話であった。
そこから語られる、思い出の日々。
少年時代に願った夢。そして今胸に宿った彼の思い。
ヘスティアはあらためて彼のことを愛しく思い、自分も彼の力になろうと決意を新たにした。
「そうだ、神様。次は神様の話を聞かせてくれませんか?」
「えっ?……ぼ、ボクの話かい?」
「はい、そうです。考えてみれば最近僕がどうしたいかって話ばっかりしちゃってましたし……神様も何かやりたいことがあって下界に下りてきたんですよね?神様は自分のファミリアをどんな風にしたいって思ってるんですか?」
刻が、止まった。
止まった気がした。
止まってくれないかなぁと彼女は願った。
しかし時の流れは何者にも止める事はできない。
ベルの質問からは逃げられない。
Q1、何がしたかったか。
A1、何も考えてない。暇だったから来た。
Q2、自分のファミリアをどうしたかったか。
A2、何も考えてない。しいて言えばたくさんお金を貢いで欲しかった。
あまりにも、あんまりな答えである。
ベルの夢を聞き、彼の思いに胸打たれた後で自分が返す回答がこれで良いのか……。
ヘスティアは悩んだ。
美しくも愛らしい顔かんばせを凍らせて、苦しみに耐え、必死に考えた。
(誤魔化す?嘘をついて?この大事な愛しいボクの唯一の眷族に向かって……。そんなこと、ありえないよっ!)
ヘスティアは決意した。
ベルには正直に話そうと。
そして彼女は自分の過去を聞かせていく。
ただ退屈していて、何も考えずに下界へと降りたこと。
冒険者に与える恩恵の事もオラリオのことも、他人事だと思ったまま興味を抱かずに、何も調べずに来てしまった事。
そしてオラリオに来てからも、ヘファイストスに甘えてただグータラしていた事。
追い出されても反省せず、最初に声をかけたエルフの娘にも呆れられた事。
どうにもならなくなって結局またヘファイストスに泣きついて、仕事とこの住処を紹介してもらった事を……。
けれど、彼女には昔と違う点が一つだけあった。
それはベルへの思いだった。
(そうとも。ボクは今、君の力になってあげたい。それだけはボクの中で本当の思いなんだ!)
彼女にとって下界はただの暇潰しだった。
ヘファイトスに追い出された後、もし彼女に縋っても慈悲なく追い返されていたら……彼女は割りとあっさり地上の事を諦めて天界へと帰っていただろう。
彼女の現実はあくまで天界にあった。下界では究極的にはどうなってもかまわない。
だから、下界での生活のために努力することもない。
でも今は違った。
自分を真剣な目で見つめるベルをみていると、ヘスティアの胸はいつも熱くなってくる。
(あぁ……これが
今になってやっと彼女は、ヘファイストスがあれほど自分に対して怒った気持ちが理解できた。
たった半年。
天界から降りてきたばかりの自分は、半年ぐらいで何をと思っていた。
ヘファイトスは大規模ファミリアの主神なんだし、自分をあと100年ぐらい養ったって何の負担もないだろうにと。
でも今なら解かる。
ベルが傷つき、苦しみ、そして立派に立ち直るまでの半年を、自分は知っている。
半年は、
そんな長い時間……もしどこかの神が、ベルが努力して稼いでくれたお金でただグータラと過ごしていたら、自分は烈火の如く怒るだろう。
それを思えばヘファイストスの対応はかなり温情に溢れているとも思えた。
「ボクは、どうしようもない神だ。何もできないし、何もしてこなかった……。」
「でもっ今君の力になりたいってこと。それだけは、絶対に本当だよ!」
ヘスティアは力いっぱいに拳を握りしめて叫んだ。
「―――そう!ボクがボクのファミリアに望むのは…・・・君の夢を一緒に追いかけることだ!
君と一緒に、君の仲間として、君と共に生きる家族!それがボクのヘスティア・ファミリアだっ!」
「神様……」
ベルは胸を打たれた。
彼にとって、それは始めてみる女神の姿だった。
優しく、暖かで、親しみやすく、可愛らしい。
素晴らしい、敬愛に値する女神だと思っていた。
けれど同時に何処か遠い、彼岸の存在だとも思っていた。
そんな彼女の、心の奥からでる真実の思い。
それに初めてベルは触れることが出来た気がした。
「神様っ!」
感極まってベルがヘスティアを抱きしめる。
「ベルくーーーーん!!」
ヘスティアも力いっぱいベルを抱き返す。
二人はしばらくの間お互いを抱きしめ続けた。
後日―――
「じゃあ神様、行きましょうか」
「……本当に行くのかい?ベル君」
「あたりまえです!神様だってちゃんとお礼しておきたいでしょう?」
「…………うん、まぁ、それはそうだけど」
「僕達のファミリアの設立を支援してくれたわけですし、今住んでいるホームだってヘファイストス様が下さったものなんですから、ちゃんと挨拶にいかないと!」
「………………………………………………そうだよね」
二人は今、遅ればせながら無事にファミリアが結成できた報告と受けた支援への礼などをするためにヘファイストス・ファミリアの前まで来ていたのだった。
ヘスティアは……ベルに言われて反論のしようがなく連れて来られたものの、大事な眷族の前でおそらく散々に怒られるであろうことを思うと彼女は胃が痛くなる気がしていたのだった。
暇を持て余しすぎていた女神の後悔は―――まだ終わらない。