たとえ英雄になれないとしても   作:クロエック

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もう一度

 その日の朝、僕は心地いい暖かさを感じながら眠りから覚めて行った。

 意識が鮮明になるにつれて、自分の物ではないその熱と重みがはっきりと感じられるようになってくる。

 

 ゆっくりと目を開ける。

 ナァーザさんはマントに身を包んだ体を丸めるような姿勢で、僕の胸にその頭を預けるようにして寄り添い眠っていた。

 朝、目が覚めた時に感じるこの暖かさと重さにふと、僕は神様のことを思い出した。

 

      間違いを犯すような事をしたらただじゃおかないぜ?

 

 脳裏に首切りのポーズを取る神様の姿が浮かぶけれど、僕は眠るナァーザさんの顔を確かめる。

 彼女は静かに寝息を立てていて、僕には安心して眠っているように見えた。

 

 (神様。間違いとかじゃないです。だからこれは、許してください。)

 

 もう少しの間だけ、僕は彼女の安らかな寝顔を大切にしたかったから。

 僕はそっと目を閉じて、その柔らかな暖かさを感じながら再び微睡んだ。

 

 

 そのまま半分眠っていた僕の意識が、もどもぞと動きだした彼女の動きが現実へと引き戻された。

 もう起きるかな?と思って彼女の顔を伺う。すると丁度ナァーザさんが瞼を開いてしまった。

 そして覗き込んでいた僕とぴたりと目が合ってしまう。

 

「おはよう、ベル……」

「お、おはようございますナァーザさん……」

「……」

「……」

 

 咄嗟に挨拶を返したものの、気まずい、沈黙が。

 

「いつから、起きてた……の?」

「い、いえっ。丁度僕も今起きたところで……」

「ふぅん……」

 

 いつもの半分降りた瞼から放たれる視線が、今は僕を疑う疑惑の目に感じられる。

 

「ところでベル、随分元気だね……」

「へっ?元気って一体何が―――」

 

 唐突な彼女の言葉に僕が疑問を発しようとすると、半分体を預けるように僕に寄り添っていた彼女の……丁度僕の腰の辺りの上にのっかっていた部分がもぞりと動かされた。

 自分と彼女。二つのマント越しにだけれど、丁度そのあたりにあった彼女の手が僕の体を確かめるようになぞったのがわかる。

 その下には何故か丁度僕の―――

 

「う、うわあああああああああああっっ!!!?」

 

 思わず叫び声をあげて身をよじり彼女から離れようと試みる。

 狭い小型テントの中で無理に動いた事で、すぐに壁布にあたってしまいテントがぐらぐらと揺れる。

 

「ベル……。ベルの事は嫌いじゃないし、とても見直したけれど……私のことをそういう目で見られるのは……困る」

「ちっ、ちがいますっ!?これは生理現象で!僕はそんなこと全然っっ!」

「全然……?ベルから見て、私……魅力ない?」

 

 ナァーザさんは、僕に問いかけながら身を乗り出してくる。

 彼女の顔と距離が近付いて、彼女の吐息が僕の鼻腔をくすぐった。

 

「と、とにかくっ、違いますからあぁぁぁぁぁぁ」

 

 なんだか分からないけど全方位に言い訳をしながら僕は必死にテントから飛び出した。

 顔を赤くして外へ転がり出る僕の背後で、小さく笑うナァーザさんの声がテントの中に消えていったのだった。

 

 

 落ち着きを取り戻してからかわれた事に気付いて抗議をしたり、それを適当に受け流されたりしながら僕らは朝食の準備を済ませた。

 そしてこの旅の最後の朝食を食べながら、これからどうするかについて僕らは話し合った。

 

「今までに取れた素材だけでも、多分二属性回復薬(デュアル・ポーション)の作成はできると思うけど……」

 

 ナァーザさんは迷いを見せて言い淀んだ。

 多分大丈夫。でもそれは言い換えれば確実じゃないってことになる。

 天秤の片側にかかっているのはファミリアの進退だから、できるだけ確実にしたいのは当然だと思う。

 でも、あんなことがあった後じゃもう一度同じことをしようとするのは辛いに違いない。

 僕達だけじゃあの作戦以上の方法があるとは思えないし、まだこの森にゴブリンや他のモンスターが居るかもしれないと思うと無理はさせられない。

 

「ナァーザさん。やっぱり、僕らだけであの素材を採るのは危ないんじゃないでしょうか」

「うん……やっぱり、そうだよね。ベルがそう言うなら、あの卵は諦めることにする……」

「強制は出来ませんけど……でも、無理はするのはやめましょう」

「強制だなんて気にしないで。私の方こそ、もうベルに無理強いは出来ない……。諦めるから、大丈夫」

 

 彼女は悔しさをかみ殺すように唇に力を入れて笑みを浮かべる。大丈夫だからと僕に微笑みかけ……って、これじゃあ、なんだかあべこべじゃないだろうか?

 採取にもう一度挑みたいけれど、僕を気遣って諦めようとしている。

 それでいて僕がその事を気に病まないように―――そんな態度に見えるのは僕の考えすぎだろうか?

 

「えっと、ナァーザさんはもう一度挑むのは危険だし、怖いと思ってます……よね?」

「…………?」

 

 僕がそう尋ねると、彼女はきょとんとした顔で僕の言葉の意味が分からないと言う様子を見せた。

 そして少し考えてから、おずおずと上目がちに僕の様子を伺って言葉をつむぐ。

 

「やっぱり、何が起こるかわからないから……ベルに危険を冒して貰うことになる……」

「えーと、僕だけじゃなくてナァーザさんだって危ないですよね?」

 

 僕は重ねてそう聞くけれど、彼女は首を横に振った。

 

「ううん、私は危なくない。でもベルは囮だから……」

 

 そういって彼女はやはり僕のことを気遣っている。

 

「え、でも……昨日みたいにゴブリンが現れたりしたら?」

「あれは、私の油断……もっと開けた場所から援護して、周りの警戒をちゃんとしてれば近付かれる前にどうにでもできた筈……」

 

 彼女は昨日の事態に責任を感じているのか申し訳なさそうに俯いてしまった。

 

「え、それじゃあ何でもう一度やり直すのは駄目なんですか?」

「だって、昨日は私の見通しの甘さでベルは死ぬかも知れなかった……。そんな私の判断で、もう一度ベルに危険を冒してなんて、言えない……」

 

 その言葉で、僕は彼女が何を案じていたのかやっと理解する事ができた。

 それなら、僕の答えはとっくに決まっていた。

 

「僕なら大丈夫です。だから、ナァーザさんがどうしたいかだけを考えて下さい」

「どうして……どうしてベルは怖くないの?私のせいで死にかけたのに……」

「どうしてって、決まってるじゃないですか」

 

「ナァーザさんを信じてるから」

 

 僕は心からそう告げた。

 そうできたことが嬉しくて、僕の口には自然と笑みが浮かんだ。

 

 僕はあの時ナァーザさんを疑ってしまった。

 それが間違いだったと分かった時、僕は自分がとても情けなかった。

 だけど、きっとまた何か誤解するような事態があれば僕は迷ってしまうに違いない。

 それなら僕は……迷ったままに、信じよう。

 彼女が間違うことだってある。裏切ることももしかしたらあるのかもしれない。

 そう思っていたとしても、彼女が信じて欲しいと言ったなら僕はそれで()()()()()()()

 それが、今の僕に出切る精一杯の信じ方だと思った。

 

 

 

 腰の矢筒から引き抜いた矢を番え、ナァーザ・エリスイスは弓を引き絞る。

 その双眸がぽっかりと開けた窪地の中心部に狙いを定めると、ベル・クラネルがそこへ駆け込んでいく。

 迷い無く走る彼の姿はナァーザへの信頼を表しているようだった。

 

「―――嬉しいな、そういうの」

 

 ナァーザは微笑みを浮かべながら矢を放つ。

 その援護を受けたベルがブラッドサウルス達をどんどんと引き回して行った。 

 彼女は周囲の気配を探りながら、新たな矢を番え引き絞る。

 ベルの援護をしながら、彼女は彼の言葉を思い出していた。

 

「でも、ナァーザさんは怖くないんですか?その、あんなことがあったのに……」

 

 ナァーザを信じると言って笑顔を見せてくれた彼が、そう彼女に問うた。

 あれはもう、怖くないのかと。

 

「うん……大丈夫、だから」

 

 ナァーザは微笑みと共に彼に答えた。

 

 淀みない動きでで矢を放ち続けながら彼女は思う。

 彼が自分を信じて、命を賭けてくれている。ならばその自分が、怖がってなどいられないと。

 それはただの強がりなのかもしれない。

 また、モンスターが近くにくればまた震えて何も出来なくなるかもしれない。

 それでも、今そのことを恐れはしないと。

 彼を前に恥じないで居られるように、強がって見せようと思った。

 

「大丈夫。さぁ、早く終わらせて帰ろう、ベル」

 

 

 

 

 

「かんぱーーーーい!!」

 

 神様の明るい声にあわせて、ガチャガチャとそれぞれのグラスやコップを合わせる。

 それから僕は自分のコップを口元によせて中身を呷る。

 口の中に広がる特有の苦味を我慢して、とにかくゴクゴクと飲み干した。

 

 飲みきるとカァっと体が熱くなった気がする。

 この麦酒なんかもそうだけれど、お酒の味は正直ってよくわからない。

 ジュースのほうが美味しいんじゃないかと思ったりもするけれど、でもこうして体が火照る感覚はなんだか大人っぽい気がして、こう言うお祝いの席で飲むお酒が僕は嫌いじゃなかった。

 

「おぉ~、ベル君。いい飲みっぷりじゃないか!ささっボクがおかわりを注いであげよう」

 

 神様が嬉しそうに僕のコップにまた麦酒を注ぎ込む。

 それならばともう一度コップを大きく仰いだ。

 

「いや~それにしてもディアンの顔は傑作だったねぇ」

「うむ。たまにはこちらが反撃してやる機会もなくてはな」

 

 神様とミアハ様が楽しそうに語り合う。

 僕はそれを見て頑張ったかいがあったと改めて思った。

 

 

 最後の素材、ブラッドザウルスの卵を無事に採取した僕達はすぐにオラリオへ戻った。

 乾いた血のこびりついたボロボロの服を着た僕達に、神様達はすごく心配して無茶はするなと怒られたりしたけれど、それでも無事に帰った事を喜んでもらえた。

 そして豊富にとってきた素材を使って直ぐに二属性回復薬(デュアル・ポーション)の開発に乗り出した。

 それと望んだ効果が発揮されるものが出来上がっても満足せずに、様々な組み合わせを念入りに試して改良を重ね、最も良かったものをどんどんと作って行った。

 

 疲れてもいたし目の回る忙しさだったけれど、どんどん良い物ができていく事に皆嬉しくなってしまって疲労も忘れて調合に取り組んだ。

 そして増産した完成品を借金返済もかねてディアンケヒト・ファミリアに持ち込み買い取って貰ったのだ。

 ディアンケヒト様は予想もしていなかった有望な新薬を目の敵にしているミアハ様の所から持ち込まれたせいか、ものすごく悔しそうな表情で歯軋りしながら買い取ってくれた。

 神様なんかそれを見て大笑いしながら、ここぞとばかりにディアンケヒト様に可愛らしい嫌味を立て板に水の如く放ち続けていた。

 

 そうして今月返済分を差し引いても結構な余剰額を買取の対価として受け取って、

 街の屋台で料理やら何やらを色々仕入れてきてお祝いをする事になったのだった。

 

「改めて礼を言わせてくれ、ベル、ヘスティア。そなた達の手助けのおかげでこうして祝いあう事ができるのだ。感謝する」

「ありがとう……」

 

 ミアハ様が僕と神様に改めてそういうとナァーザさんもその横に並び、二人が僕達に頭を下げた。

 

「少しはいつも世話になってる借り返せたようで、何よりだよ」

「僕も、頑張ったかいがありました。ほんとに良かったです」

 

 顔をあげ、僕達の言葉に微笑んで双眸を細めたミアハ様は次にナァーザさんと向き合った。

 

「ナァーザ」

「はい……」

「先日、お前は自分のことを役立たずと言ったな」

「……はい」

「私は、ただの一度もそう思ったことは無い」

 

 見開かれるナァーザさんの瞳を見つめたままミアハ様は言葉を重ねた。

 

「我らが以前より貧しき身に成り下がったのは、お前のせいではない。怪我をしたのが他の者だったとしても私は同じように金など投げ打っただろう。今ですら、私は困っているものが居れば施しを与えずには居られない。それが、私と言う神なのだ……。」

「だがお前はそんな私についていてくれた。共に過ごし、共に笑い、共に苦労をしてくれた。」

「お前こそが、(わたし)にとってなによりも救いなのだ。」

 

 ミアハ様が言葉を重ねていくたびに、ナァーザさんの瞳から涙が零れる。

 

「だから、自分をもう決して責めることはするな」

「……はいっ」

 

 泣き笑いのような表情で感情の溢れてしまっているナァーザさんを見て、僕は本当に力になれてよかったと思った。

 

 その後は、皆でどんどんと食べて、飲んだり歌ってして騒ぎに騒いだ。

 意外と言ったら失礼だけど神様が素晴らしい歌声を聞かせてくれたり。

 それに乗ってミアハ様がこれも素晴らしい踊りを舞って下さったり。

 ナァーザさんも調子っぱずれだけど、なんだか楽しくなるような不思議な歌を歌ってくれたりで、とても楽しかった。

 

 お腹がいっぱいになった頃、ナァーザさんは僕の隣に来るとこう聞いてきた。

 

「ねぇベル。ベルはこれからどうするか、決めた?」

「……」

 

 僕がこれから、どうするか。

 

「私達は……これから忙しくなる。二属性回復薬(デュアル・ポーション)はしばらくはうちが独占して作ることになるし、改良の余地だってまだまだある……それに外界の素材と迷宮の素材を組み合わせる事の効果はがはっきりしたから、新しいアイテムの構想だって色々ある……だから―――」

 

 彼女はそこで一度言葉を区切ると、意を決したように口を開く。

 

「ベルもここの薬師になって、手伝ってくれない……かな」

 

 そう言ったナァーザさんは、少し気恥ずかしそうだった。

 神様とミアハ様が、いつの間にか僕達のことを真剣に見守っている。

 

「別に神ヘスティアのファミリアを抜けて改宗(コンバート)して欲しいなんて、言わない……。今のまま手伝ってくれれば……なんなら、二人ともここに引っ越せば良い……今度はちゃんとお金だって払うし、ミアハ様だって喜ぶ筈……だから、どうかな……」

 

 言い終わったナァーザさんは、僕をまっすぐ見つめて返答を待っている……。

 ミアハ様も、そして神様も、僕の答えを待って見守ってくれている。

 

「……ナァーザさん」

「うん……」

「僕は今回、自分の弱さを改めて知りました。そして自分がまだ、本当には挑戦を始めてすらいなかったことも……」

「……うん」

「だから僕は、まだ自分の夢を諦めるわけにはいかないんです。

 僕は今度こそ本当に、冒険者を目指してダンジョンに挑まなきゃならない。」

 

 

 

 僕は弱くて、ちっぽけな存在かもしれない。

 小さなことしか、出来ないかも知れない。

 でも、そうであり続ける事を受け入れるのは別の事だ。

 

 あの日心の剣が折れたとき、僕はあそこから逃げ出した。

 でも僕は、自分がまだ戦えることを知ってしまった。

 もっと強く、そしてもっと誰かの助けになれる人間になりたい。

 僕が少し強くなったって、他人から見たら大して変わらないのだとしても構わない。

 

 僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あの遠い冬の日に願った事を、思い出してしまったから。

 

「そっか……うん、応援してる……」

 

 ナァーザさんは少し残念そうに微笑んで、それでも僕の答えを応援してくれた。

 

「よーしベル君!そうと決まればこれから君の新たな門出祝いだっ!!」

 

 突然、神様が僕に抱きついてそう叫ぶ。

 

「うむ……。己の可能性、しかと見定めるがよかろう……」

「きっと……LV.2ぐらいが限界。そこで調合の発展アビリティを取って引退するのが、ベルには丁度いい……」

「な、なにおー!ベル君ならすぱぱぱーんとレベルアップの最速記録を打ち立ててだな、後はすっごい強いレア・アビリティなんかも発現して、軽く伝説の英雄になってくれるぐらいするはずさ!」

「か、神様……それはいくらなんでも無茶ですよ……」

「神ヘスティアは夢見すぎ……ベルにそんな事できるわけない……」

「よーし、そこまで言うなら賭けようじゃないか。ベル君のこれからの将来でね!」

 

 そうしてわいわいと、僕の門出を一人と二柱が祝福してくれた。

 それがとても嬉しくて、この日は僕も皆とベッドに倒れ込むまで飲み明かしたのだった。

 

 

 


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